各位
お疲れ様です。
休業期間中に『完訳 7つの習慣 人権主義の回復』を読み込み各習慣をブロック社員で分担して内容を要約する
という課題が出て自分は第1の習慣が担当になりました。
作成した資料の土台の素案を載せます。
7つの習慣 素案
第1習慣 主体的である
私的成功の第1歩
ここでは主体的であることの大事さを説いている
ではどれだけ大事かを見てみる
第1習慣の解説は全体の約7%と少ない
他の習慣の解説と比較して1、2を争う程少ない(公的成功と第7習慣が約6%)
だが他の章も含めて主体という単語だけで148件出てくる
いくつか他の単語と見比べてみたが一目瞭然
主体性、主体的であることの大事さが判る
(責任:91件 約束:68件 リーダー:94件 マネジメント:82件)
導入と最後に「1つの習慣を身につければ全ての習慣に拘わる」と書かれている
特に第1習慣は4,5,6の習慣(公的成功)に踏み出す為の土台たる
1,2,3の習慣(私的成功)の根幹
植物に喩えるなら根っこ、建築物なら基礎固めである
原則を理解した上で主体性という根っこを意識すれば幹と枝葉である各習慣の持続も可能となり充実した人生という果実を得る
主体性という根っこを育てるに辺り根腐れを起こす要因を知った方が良い。
それは外からの価値観である。
外からの価値観とは主に下記の3つである。例を挙げながら提示する。
遺伝的決定論:「短気な性格は親が短気だから」とDNAによるものと決めつける
心理的決定論:「人目を気にしすぎなのは家庭で抑圧されたから」と過去の体験により形成されたと決めつける
環境的決定論:「上手くいかないのは誰かが邪魔をしたから、上司が口出しするから、国が態度をはっきりしないから」等々周りの環境によりことが生じたと決めつける
3つの価値観は誰も一度は感じたことがあるだろう。
しかし本書の導入ではこの価値観にとらわれる人々を例に挙げ苦しみ憂う姿を提示している。
この価値観に依存すると自身に降りかかる如何なることもこの価値観に当てはめてしまう。
この価値観に任せればすぐに答えが出るので楽だが短絡的になり責任転嫁が当たり前になる。
当たり前になれば行動の指針が自身でなく外からの事象に重点が置かれる。
そうして外部からの干渉に左右され続ければ自身の主体性が育たなくなる。
その場で満足して達成した気分になる。謂わば根腐れ、まさに性根が腐るのである。
では主体性を身につける為には何をするのか
主体性を養う為の4つの要素を知る
自覚:自分の置かれた状況、位置、価値、能力等を把握すること
想像:実際には起きていない事柄を推し量る、または思い描くこと
良心:物事の善悪、正邪を判断し正しく行動しようとする気持ち
意志:目的、計画に対して実現しようとする気持ち
これらを意識しない人は外からの価値観(決定論)に左右され主体性を持てない。
ここまで来ると精神論のようで難しく感じるが発言、思う言葉一つ変えるだけで主体性を帯びるようになる。
「言葉に耳を傾ける」の項で言葉の対照表がある。
この言葉に切り替えるだけでも大切な一歩ではないかと考える。
まずは形から入るのも悪くない。
「「持つ」と「ある」」の項でも同様のことを述べている。
本書ではナチスに収容されたフランクル氏の事例があるがここではある事例を紹介する。
第1の習慣の内容を思い出しながら考えて欲しい。
昭和25年の8月、とある寺院が裁判に巻き込まれた。
一人の修行者が修行中に行いを正す為に肩を叩かれたことをリンチとして通報したのである。
当時の新聞、ラジオ等の報道機関は挙ってこの寺院を悪者として囃し立てた。
住職は拘留され寺院は石を投げ込まれ3人の兄妹達はいじめの標的となった。
(トラブルが生じた)
子どもうちの中学生の息子が泣きながら「学校に行きたくない」と母に泣きついた。
母は涙を流しつつ「苦しいのは判るが挫けてはお父さんの後は継げない」と言った。
息子は「将来はお父さんのような立派なお坊さん」と夢を持っていた。
その夢、自ら決めた目標を持ち続けていた為か10歳で人々の修行を見られるようになった。
(「決意を守る」項に通じる)
息子の辛い姿に母も心を痛めたはずだがその夢を熟知していたからこそ敢えてそう言った。
母との会話以来息子は泣き言一つ言わず登校した。
(不登校でなくそう選択した、ここでも息子の主体性を尊重し責任を持たせている)
登下校中石を投げられたり、泥に押し倒されたりしても挫けず通った。
2人の妹たちが泣けば兄が慰めた。
「叩かれたり罵られてもいいじゃないか。正しいが勝つに決まっている。僕たちもお父さんを護ろう」と。
裁判が進むうちに矛盾点が上げられたり、果てには検事側の証人喚問で「リンチと言わねば帰してくれなかった。今こうして家族と生活できているのは住職に出会えたから。リンチなんてとても言えない」と証言したりして次からは人権擁護委員会が参席するようになるなど裁判は好転した。
息子も母もこの証人も目の前にある事象に対し外圧に負けず自らの主体性に基づいて選択した。
もし一つでも主体性を欠いた言動をすれば裁判は暗転していたに違いない。
本書ではフランクル氏、ガンジー氏、キャロル氏の事例があるがこの寺院の事例でも第1の習慣の要素が詰まっている。
「「主体性」の定義」の項で「人に勇気を与え、人生を崇高なものにする価値観を体現 している」とあるがどの事例でも該当する。
他に左右されず自ら率先して行っているのである。
以上が(本名)が考える第1の習慣「主体性である」の内容説明である。
この資料の作成上説明し切れていない項目もあるが根幹たる箇所は述べられたのではないかと考える。
土台である主体性の大事さを意識しながら次の習慣を見ていきたい。