京都ことば磨き塾。
ここでも、ことばを味わいながら吟味する時間。
「発散する」について考えてみた。
●溜め込まないこと。
まさに、このことば磨き塾は、自己開示全開でさらけ出すことが出来る場。発散出来る。
●相手の気持ちに共感出来たとき。
●受け入れてもらえないからイジメが起きる。ありのままの自分を受け入れてくれたら…。互いに発散しないと。
●ひとりよがりのへんな発散はしない。
●人と話して、「あースッキリしたー」という状態。
聴き手と話し手2人で発散。相手がいないと発散にならない。
●ハレは挑戦、ケは日常。ケ時々ハレで達成感。
●心の中のマグマが飛び出す。
●傾聴ボランティアしたとき、認知症の方が話し終わってスッキリした表情。これも一つの発散。
●おいしいもの食べ、ジムに行き、雑談をする。これで発散。
「小さくする」について。
●しがらみを整理して、心の中を整理。空いたスペースで新しいことを始める。
●衣類を整理して、食器を整理して、空間を大切にしたい。
●開花する前の咲くか咲かないかの状態の花が好き。
●大型ショッピングモールの中の小さなスペース。
●ダウンサイジング。小さくしていくことが人生の喜び。
嫌なことキライなことはしない。
●茶道では無駄な動きはない。小さくすることで凝縮される。内容がより豊かになる。
●幼い頃、背が高かったので、小さくなりたかった。
「粋に振る舞う」
●ウジャウジャ悩まない。
●気持ちよく取り組む。
●さりげない振る舞い。わざとらしくない振る舞い。
●さりげなくさっぱりした生き方。
●艶っぽい。
●見えないところに計らいが出来る。
●飾らない。嫌味がない。自然体。シンプル。
●整っている。
ちなみに「いき」と「すい」について補足。
上方の「粋(すい)」が恋愛や装飾などにおいて突き詰めた末に結晶される文化様式、字のごとく純粋の「粋(すい)」である。これに対し、江戸における「いき」とは突き詰めない、異性間での緊張を常に緊張としておくために、突き放さず突き詰めない。
一方、『「いき」の構造』において九鬼周造は、「いき」と「粋(すい)」は同一の意味内容を持つと論じている。
江戸の「いき」は吐く息に通じるそうで、不要なものはため込まず、サッパリ・スッキリとこそぎ落とすことだそうだ。引き算の美。見えないところにお金をかけるのが江戸っ子。
それに対して、上方の「すい」は吸う息に通じ、何でも取り入れ、蓄積していく足し算の美。