名古屋ことば磨き塾。
きょうも3人初参加。
いつも「第1回」な感じ。
毎回、「新しい」塾な感じ。
「曖昧にする」という考え方について、言葉を交わし合った。
ドイツの価値観、古事記の価値観を塾生から教わり、佳き学びとなった。
●曖昧なことは自分に合わない。迷わないで即断タイプ。
考えすぎが面倒になる。
●ああ言えばこう言う姑と53年付き合った。極意は曖昧。
●ドイツに8年いた。ドイツ人は白黒ハッキリしている。政治家も公園の老夫婦も権利を主張する。日本の「和をもって貴しとなす」もステキ。
●ドイツに5年いた。ジャッジメントをくだす国。いるものといらないものの峻別もクリア。
●部下に答えを選ばせる経営者ステキ。
●この世に、答えはない。あるといえばある。ないといえばない。しめ縄の由来である七五三(しめ)…いずれも割り切れない数字。
●昔から「わからない」という癖があった。考えて考えた末に、わからなくてもいいのかな。
●自分は決めないと行動出来ないタイプだが、人には曖昧を許している。
●人に合わせてしまう自分が好きでなかったが、グレーゾーンもあっていいと思えてからは楽になれた。
●アナウンサー的発言として言い切らない。「あります」ではなく「あると思います」みたいなファジーな発言。
●塾生の一人から、「言向和平」(ことむけやわす)古事記にある言葉を教わった。
「悉言向和平山河荒神及不伏人等」訓読すると
「やまかはの あらぶるかみ および まつろはぬ ひとらを ことごとく ことむけやはす。」意味としては、「ことごとく山河の荒ぶる神、及び伏さない人たちを和平の言葉を向ける。」
敵も武力でなく ”言葉で悪をも抱き参らせる=愛で全てを包み込むことで、調和を図る”。
言葉は現実を変える。未来を創る。
嬉しいことばが争いを鎮め、平和を導くという信念は、古事記の時代からあったということだ。曖昧も悪くない。
●もう一つ「稽古照今」(けいこしょうこん)という言葉。
古(いにしえ)を稽(かんが)え、今に照らす。これも古事記に見える言葉。昔のことをよく学び、現在に活かす。
“稽古”の文字の「稽」には「神を迎えて神意を量る(はかる)」の意味がある。稽古というのは「古(いにしえ)に稽(かんがえる)」で、元来は「昔のことを考え調べる」という意味。