サウディを支那に追いやったのはバイデンである。イランと対立するサウディに武器を売却する約束をしたのに、これを実行しなかったからサルマン皇太子は支那に代替品を求めたのだ。トランプが大嫌いだからトランプの約束は無視する。個人的な感情が国家間の約束を破棄するのでは国際秩序は保たれない。まるで日本の旧民主党政権のようである。イランの核合意にしても、いずれイランは核を持つのだ。ロシアと北朝鮮の技術を得てである。だから、トランプは核合意から撤退した。米国の共和党、民主党の政局争いは別にして、国民と官僚の堅固な国体維持感覚は評価出来る。出来れば個人の損得勘定(商売感覚)を抜きにしたトランプのような政治家が登場して欲しいものだ。いずれにせよ、王毅の仲立ちに依るサウディとイランの和平案は紙屑に等しい。ウクライナとロシアに投げ掛けた和平案と同じだ。正義の味方を気取る支那を好意的に受け止める国は存在しないだろう。地獄はあるぞ、と支那が言っても、天上から蜘蛛の糸を垂らして助けようと笑い掛けても誰も信用しない。

 イスラエルのネタニヤフ首相が史上最強の右派政権を樹立したから、中東の宗教対立にユダヤ教が参入した。米国の努力がUAEとイスラエルを国交させた後である。中東にはキリスト教、ユダヤ教とイスラム教スンニ派とシーア派がそれぞれの立場で乱立し、衝突寸前の状態になったのだ。そこへ中華思想を満載した王毅の登場である。しかもマルクスレーニン教と朱子教の布教を兼ねてだ。無理であることは誰にでも分かる。習近平としては米国とロシアに代わって赤い極を作り、一帯一路政策の一大拠点としたいのであろうが、大切な宗教を失念している。支那の歴史では数多い皇帝達が、その都度民衆が信仰している宗教を国家宗教として容認して来たのだ。中東は違う。スンニ派とシーア派に大別される他、ユダヤ教やキリスト教が混在し、ゾロアスター教などの民族宗教も分派しているのである。宗教も碌に理解出来ぬ支那が、表向きサウディとイランの仲裁をし、両国と仲良くなったと思ってもそれは米国クリントンが仲立ちをしたイスラエルとパレスチナ問題と同じである。早期に自然に元に戻る。

 

 

※2023年3月21日、筆者の梧葉秋声子が死去致しました。

自由気ままに当ブログを書かせて戴きまして、当人もとても満足していました。

これが最後の投稿となります。

今までご愛読して戴き、誠に有難う御座いました。

 

 宗旨を広める為に「地獄」を現実化して恐怖を煽るのが宗教指導者であるが、それは嘘である。地獄は存在しない。あるのはシリア、リビアの戦火であり、イエメンの狂喚図である。地獄のような現況を作りだしたのは、宗教を利用してそれを戦争の道具とする族長達である。ハメネイやサルマンであり、遠隔操作する習近平やプーチンだ。しかし表向きは飽く迄、宗教対立である。族長の煩悩が対立要素では余りにも次元が低く、迷える子羊はたったひとつの命を賭けられない。

 そう、宗教は覇王や宗教指導者の煩悩達成の為にある訳ではなく、個人の心の内にあるべきなのである。だから地獄も心の中にあり、日教組教育がその構図を整えるのだ。教育勅語をさも悪書に例える人も居るが、それはプーチンがウクライナをネオナチに仮定するようなものだ。立民が日教組を支持母体としていることは、立民にとっては日本人もネオナチなのであろう。心の中は自由である。ナイフで他人の心臓を突き刺しても「殺す気は無かった」と言えば抗弁の余地は生まれるし、「高額闇バイト」で募集すれば強盗殺人を強要したことにはならない。この基礎を醸成するのがマルクスレーニン教、朱子教であり、日教組や立民の心の内である。司法とメディアの協力と補助があれば完璧だ。だから地獄などの宗教的恐怖は心の中に作られた大嘘と断言して良い。しかし、この恐怖が無ければ宗教指導者と取り巻きへの布施や献金が激減するので必死になってその存在を強調する。が、地獄はない。あるのはウクライナ、シリア、リビア、アフガニスタンやイランの戦火だ。

※明日に続く


 何度も書いたが、米国の一極支配が疑問視をされるようになったから、多極化に向けた覇権主義国家が牙を剥いたのである。それを積極的に自由主義国家群に言わず、協力、助力を求めないから支那が正義漢ぶって中東問題に介入するのだ。マルクスレーニン教と朱子教が宗教問題に口出すなど不可能である。他宗教は麻薬であり、断固排斥すべきだとする異端の宗教に、他宗教問題を解決する能力もなければ器量もない。サウディアラビアはイスラム教スンニ派の盟主であり、イランはシーア派の中心である。いずれも自称である。が、宗教を覇王の道具と考える共産党にユダヤ教、キリスト教経由で分派したイスラム教やその歴史など理解出来るはずはない。それなのに中華思想を以って西戎問題に対処し、一帯一路政策の進展に必要な事案として解決しようとするのだから笑わせる。外務相王毅の演技である。支那がサウディから輸入する石油は相当量に達する。若し、自由主義諸国からロシア同様の経済制裁を掛けられた場合の備蓄をも考えているのだろう。しかし、スンニ派とシーア派の宗旨対決を理解しているのか。単に軍事力経済力の差異と統治能力だけを考えているのならそれは根本的に間違えている。

 中東は米欧の資本に依り屈辱的な支配を受けて来た。その文化がキリスト教のものであったからイスラム教を選んだのだ。即ち、キリスト教を全否定している訳ではない。日本で言えば浄土宗と浄土真宗の違いか。顕教と密教の違いでも良い。根本、教義は同じなのだ。それをマルクスレーニン教と朱子教が仲介の労を就るだと。儒学なら可能性はあるが、朱子教では全く駄目だ。宗教が何の為に必要であるのか。それを全く分かっていない。

※明日に続く

 性悪国家に対する性善国家の姿勢はどうあるべきなのか。親北勢力が半分存在する韓国に対して、常に性悪説を持って対処すべきである。それが杞憂であればそれに越したことは無い。先ず、竹島に関する見解を公にすることだ。国際裁判所で取り上げ、帰属を判明させることも視野に入れるべきであろう。しかるに尹政権になって後、竹島に調査測量船を入れたのは如何なる理由か。若し、本気で日韓外交を真の歴史に沿って展開して行くのであれば、日本領である竹島の海を調査することは矛盾である。次に日本EEZ内でのレーザー照射問題だ。北朝鮮で猪八戒暗殺未遂事件が発覚し、それに関与したであろうとされる4人が脱北した再、文在寅に勅命が下ったらしい。皇帝の暗殺に関与した4人を秘密裏に北に送還せよ。私設秘書であり、忠実な乾分である文在寅はその命令を受け取り、早速駆逐艦と海上警察を派遣して4人(1人死亡)を拘留し北へ強制送還したのである。拷問の上、死刑になることは分かった上で、だ。

 日本のEEZ内での不審な行動を偵察監視をしている日本の航空機が見逃すはずはない。その国防義務に対してEEZを侵犯した韓国の駆逐艦と海警が、開き直ってレーザーを照射したのである。レーザー照射とは砲撃寸前の予備行為であり、開戦の一歩手前だ。日本機は「何かの間違いだろう」と思って回避し事なきを得たが、下手をすれば戦争になってもおかしく無い。それを未だに釈明せず、何食わぬ顔で放って置くのが韓国である。尹政権はこれも説明すべきである。日本は谺(こだま)のような遺憾砲だけだから怖くはないが、北のミサイルは侮れないとでも言うのだろうか。トリチウムの海洋放出にも反対し続けている。自国が放出している原子炉の浄化水に比べれば桁違いに低濃度であるのにである。元左翼人材であるからと批判しているのではない。若し自国民の遺伝子と民族性に問題があると気付いたとしても、これらを矯正するには相当の年月を要する。加えて卑近の数多い約条違反である。日本に対する信用度は全く無い。これを一個人や一政策で変化させようとしても無理である。先ず「肩代わり」の言葉使いを止め、「歴史検証」から始めて戴きたいものだ。ただ、政権としての姿勢は大いに評価したい。

 ところが困ったことに日本精神には聖徳太子が日本人に認識させた「和」がある。「和」は日本民族の特徴であり世界に誇る善なる性であるが、利口な人ほどこれを誤用し悪用する。性悪説を常用する人々に向かって、「和の精神」を公開するのである。これでは悪者の思うがままだ。嘘と捏造の歴史を基礎として諸案件を論ずれば、どうしても嘘と捏造が前提となる。だから1965年の日韓請求権協定も、不可解な政府間の約定となる。政府の見解が間違っていたのは基本的にその国の事情であり、相手国に賠償を迫ったり謝罪を強要したりするものではない。日本国民のように3年3か月の悪夢を経験し、国際的信用を失墜させられても立民の過去の責任を追求しない。

 その責任を「肩代わり」して負の遺産を解消し、世界に謝罪しているのは自民党である。立民は過去の罪を何処吹く風とばかりに、永田町で移民党の失敗を咎めている。自民党も「肩代わり」はしない方が良い。まあ、与野党の如く理念哲学が混在している自民党であるが、せめて軍事、経済安全保障と外交だけでも統一見解を持つべきだ。そして韓国が当然のように謳い、日本政界とメディアが事も無げに使用する「肩代わり」に反発しなくてはならない。尹錫悦が現在、日本に対して融和的に見えても、「肩代わり」を悪意的に使用しているのやも知れぬ。それに5年任期で再任の無い韓国大統領は、「永久恨」を遺伝子に組み込んだ朝鮮族の民族性に頤使されるのだ。細川昌彦の懸念も痛いほど分かる。経産省が輸出管理と規制を取り払おうとしているのも対支那、北朝鮮への忖度であるのか。自省の懐具合だけが大切であり、国家国民の保護の為のホワイト国に関する防衛観念が無いのか。

※明日に続く


 私が肩代わりをして負債を引き受けましょう。と言った場合、負債の存在を認めた上で、その負債を第三者が担保することになる。即ち、負債の有無は有として認め、負債をどうやって解消するかに焦点は絞られる訳だ。これが嘘で作り上げられた日本外交史の現状であり、歴代政府の認識であるなら誠に恥ずべきことであろう。嘘と捏造を反日の証拠としてた前提を、外務省が基本として小利口な理論を展開するのだから噴飯どころでは済まない。霞ヶ関一家の小役人共に外事を委ねていると、このような事案が頻発する。否、永久に続くのか。霞ヶ関一家にとっては刹那的なその場凌ぎであり省益第一主義であっても、国家国民には隘路に導入される悲劇である。真実の歴史を誤ったものに常識化し、為政者がそれを前提に外交を展開すれば、後で撤回し修正しようとしても簡単には行かない。だから、仕方なく歴代政府の見解を踏襲することになる。出稼ぎ工(朝鮮半島出身労働者、または徴用工)のことであり、1965年の日韓請求権協定の事である。最初にきちんと詳細を詰めて納得しても、詭弁を以って全てを否定するのであれば何も信用することは出来ない。

 蝙蝠(こうもり)のような性格と裏切り体質は弱い小国民の宿命だと弁護する識者もいるが、長い歴史で培われた遺伝子と民族性を変化させることは簡単ではない。勿論、優しく長い目で見て改善して戴くことを切望するのだが、王子国家間の約定を破り信頼を一方的に投棄するようでは信用し切ることは不可能だ。

※明日に続く

 なによりもウイグルには元の東トルキスタン共和国に、チベットはチベット人民共和国に戻って欲しい。南モンゴルは元のモンゴルに吸収され、満州は清の後継国として国体を復元して戴きたい。そこまで進めば香港と台湾も立派な新興国として世界に認められ、ロシア連邦に属する21か国と共に国連に加盟することになる。そう、今は世界の歴史の分岐点であり、種族が民主主義を唱える時でもある。ロシアも支那も抑圧と強権で各種族を植民地化することなく、それぞれの自立に任せたらどうか。若しそれが不可能であれば自治州に変化し、共通の国を建てれば良い。米英独が良い例ではないか。その上で投票をして種族や「LGBT」などの代表を決めれば良い。多数決が正義であるのならそれで良いだろう。しなし支那では集団指導体制に依る多数決がなくなった。習近平皇帝が即位し、共産党の大好きな「上意下達」が定められたのだ。韓直人が言った「時間を限られた独裁」ではなく、永遠の独裁なのである。

 東日本大震災で全てを失敗しても、韓直人には後に政権復帰を叫び回るほどの小さな出来事であり成功したと嘘を付けるのだから、李克強の成功部分を切り取って習近平の手柄にすることなど朝飯前である。諫早湾の水門の件でよく分かる。李克強は言いたい。失策を訂正し正しい道に復帰させる方法をご存知か・・・と。過去10年、経済に於ける成功時案は全て習近平が盗り自分の手柄としたのだが、その後の手段はどうするのだ、と問うているのだろう。太子党の目で選んだ李強などに経済復興策が出来るはずがない。李克強は己の政治能力に自信を持っている。それが今回の全人代で見せた自信と未練であろう。実際に李強でどうなるかは分からぬが、従来の勢いが低減することは避けられないだろう。それと李克強の腹案は別物である。しかし、演説で一度も使わなかったように、「共同富有」は不可能だろう。経済を軍事の一部と見做さない考え方に「共同富有」は有り得ないのだ。まあ良い。が、習近平が失墜して政権が崩壊に至った時、大反乱が勃発しないであろうか。それが心配である。

 しかし、本音を一言も漏らさない処が李克強である。自身に代わる李強に対して「やれるものならやってごらん」と言いたいのだろう。GDP予測を少し下げて5%としたのも李克強を虚仮にしている。「これ程楽なGDPなら低能なお前でも出来るだろう」と言っているのか。共青団や上海閥を悪い虎や蚊に例えて中央から追放され、宗族や圏族を叩かれた怨念は深い。その悪い虎や蚊が狐と一緒になって、支那の歴史を紡いで来たのではないか。集団指導体制を否定することは支那の歴史を否定することだ・・・と李克強は言いたいのだ。

 ウクライナ戦争を参考にすれば分かるように、米欧が団結すればこれに勝ち切ることは難しい。加えて食糧、エネルギー問題だ。如何に多極化した所でこの問題を解決することは難しい。それに不景気が長期化すれば、国内的に乱が生じる。これも歴史上の定番である。この大乱がきっかけとなり、どんな大帝国も滅亡していった。現在は植民地として抑圧しているウイグル、チベット、南モンゴルや満州国があるのだ。これらが一斉に放棄すれば以下に習近平が軍を掌握し、武装警察を頤使しようとも一たまりもない。それこそ春秋戦国時代に逆戻りすることになろう。今もこれからも経済安全保障を第一とし、武備、軍備は抑止力に位置付けるのが正しいと確信しているのが李克強であろう。それが支那共産党の為だと思っている。共産党政権としては柔軟な考え方である。が、習近平の方向性に比べればよりマシである。

※明日に続く


 全人代が三期目の総書記に習近平を決めた。集団指導体制を破棄し、皇帝制を選んだのである。支那は歴史上、数多くの皇帝が登場し、その全てが消えて行った。帝国とはあらゆる体制と環境が整い、皇帝としての人格がそれを支えているのである。だから一カ所でも一点でも蟻の一穴があれば、あっという間に崩れ去る脆い区域なのだ。李克強は退任の挨拶に代えてこれを強調した。それも優しい口調で遠回しに。「俺が居なくなって経済を回せるものならやってごらん。出来るだけ楽な見通しを示してあげよう。それでも出来ぬなら身の程を悟るんだね。」と言ったのか。軍事の増強、香港や台湾などは殆ど読み飛ばして演説を終えた李克強は、何か不気味な気配を残した。共青団の生霊か、共産党集団指導体制への未練なのか、噂では胡錦濤の後継者として総書記に就任する予定であった李克強の統治願望は凄まじい。米国を相手に戦争しても負けはせぬにしても勝ち切る事など望むべくもない。「韜光養晦(とうこうようかい)」。どこかの馬鹿が政治的に利用している孫子の兵法に依っても明らかに間違っている。その間、経済は乱れに乱れて、国民は塗炭の苦しみを負う。孫子に従えば余裕を以って勝ち切れぬ限り、戦争を始めるべきではないのだ。

 経済戦争に依って圧勝することは可能だ。李克強はこの十年で経済力を増強させたことで、軍事より経済に重点を置くようになった。国民を活用し利用して失敗もあったが、概ね成功したと自信を持っている。ただ、未だ道半ばなのである。地方債務の激増、不動産バブルの崩壊や一帯一路政策の停滞、世界が共有する支那への不信感など不安要素の払拭は第二段階の構想である。決して強引な軍事増強だけではない。

※明日に続く

 この盟友であるインドの面子を台無しにしたのがG20への欠席であった。「相変わらず馬鹿か」と揶揄される国会を重んじての事である。が、それは外務省が作った筋書きであろう。万が一非難されることを防衛する為に「参加するべきであった」と言っているが、それは嘘だ。議題はウクライナ侵略への非難と支那の横暴に対する牽制だったのだが、日本の姿は非常に弱い。出席しても何も効果がなく、得るものも無いと判断しての欠席だったのだろう。世界情勢が全く理解出来ず、日印関係の重要性が分かっていない。加えてインドの失望たるや大変大きなものである。インド太平洋は日本とインドが核となって守る。この気概を挫いたのが外務省の目先と林芳正だ。当然、岸田文雄の外交感覚も問われる。安倍晋三命の背中を見ながら外相を務めて来たのに、何を学んでいたのだろう。インドへの誠意どころか、日本人と国体への懺悔も必要だ。

 落ち目の三度笠であるバイデンさえも、大統領選を控えてまともらしき政策を打ち出すようになった。それなのに日本がG20欠席である。有名な野党の茶坊主にも馬鹿にされる始末だ。クァッド(日米豪印)に参加すればそれで良いと思ったのだろうか。しかし世界各国が見る目は違う。積極的な期待はしていなかったのであろうが、それでも日本の動作には注目が集まる。共同宣言にもそれなりの期待はあった。国内の法、しかもマッカーサー憲法を理由にして国際枠組みを欠席したのだから日本の評価は大暴落だ。立憲共産党のようなものだろう。支那包囲網に反対だったのか、それともロシア制裁を厳しく推進すれば北方四島返還に負担が掛かると思ったのだろうか。インド国旗の銀輪のように、毅然として忖度せぬ態度が望まれる。誰がどのように考えても良い。そんなことに妨げられず、心に決めた民族の精神はは守り通すことが国体に適う。インドを正確に理解しよう。