これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

2017年12月1日 日本テレビ「スッキリ」

昨日は、本当に心が折れそうな出来事が起こり、昨晩はずっと眠れなかった。

それでも生徒が待っていると心を奮い立たせて仕事に向かう。

 



せめてコーヒーでも飲んで元気を出そうとスターバックスによる。

 

「ホットのtallをお願います」

 

いつものように注文する。

ただ気持ちは落ち込みなんだか上の空だ。

 

すると店員さんが、

 

「ブログ読みました。とても面白かったです、頑張ってください」

 

そんな風にお声がけいただいた。

 

スターバックスの定員さんが、私のSNSを読み、そしてお声がけしていただく。

先日も塾の近くで、同じようなSNSの読者の方に塾の近くでお声がけいただいた。

 

ありがたいなと思う。

そんな人がいるから頑張らないとと思う。

 

 

今年度から、共通テストに「情報」が加わります。

国語や英語、数学は、受験を支援する塾はたくさんありますが、「情報」は今年度から導入であり、その対策が「覚えるしかない」になっていないでしょうか。

実際、大学入試センターが発表した「情報」の試行問題は、暗記対策だけではなく思考力が求められ、さらには専門職の背景が求められます。

 



そこで長坂塾では「共通テスト情報対策講」を開講します。

全国どこでも受講できるようオンラインでも対応します。

 

担当は、元NECのSEである水野隼大講師(北海道大学卒)です

もちろん実際にどのような講座なのご疑問もあるかと思います。

そこで4月26日(金)21時から水野講師のインスタライブをしたいと思います。

 

よろしければお気軽に視聴ください

 

三重県長島の三井アウトレット
最近は外国人も多い

今日、そんな三井アウトレットで見た光景

中国人のおじさん3人組が机のあるベンチにすわり何かをカバンから取り出す



お酒とつまみだ

お酒もつまみもパッケージは中国語だから、母国から持参したんだろう

そこで楽しい宴会がはじった

中国人嫌いの方から言わせれば、
迷惑行為ばかりする、
と言いたくなるかもしれない

たぶん家族は買い物であり、スマホが鳴り、3人は宴会を終えた

そこで3人は意外な行動をはじめる

まずゴミを集めカバンから袋を取り出してそこに収納、その袋はカバンに入れて持ち帰る

さらにカバンからウェットティッシュを取り出して机から椅子を丁寧に拭く

中国語だからわからないが、一人の拭き方を他の方が注意しながら、最後は椅子を元の位置に戻してご機嫌で去っていった

中国人にもマナーの悪い人はいるし、日本人にもマナーの悪い人はいる

悪い部分は目立つけど、良い部分を評価しないのは良くない
括らずにその人その人を評価したい

雨のアウトレット
3人の中国人は晴れやかだった
Instagramで
「1984年の東京」と
「2020年の東京」の
同じ場所の写真を掲載しているものを見た

その変化がとても興味深く、建物が新しくなったり、人々の服装が洗練されている

さらに写された人々の足元を見ると、
「2020年の東京」より、「1984年の東京」は、
ゴミがたくさん落ちていて、ゴミ箱がありしかもゴミが溢れている

また白く小さいタバコのフィルターがたくさん落ちていることに気がつく

例外はあるだろうが、40年前より街は洗練されただけでなく、ゴミが少なく綺麗になった

これだけで全ては測れないかもしれないが、ゴミに関して40年前の方がマナーやモラルは良くなったのではないか

写真には映らないが、40年前は道に犬のトイレの痕跡も普通だった



昔の方が良かったこともあるが、今の方が良くなっていることもたくさんある
「総合型選抜に合格するコツを教えます」
「高いレベルの大学に簡単に受かるチャンスです」

こういうキャッチコピーって本当に嫌だなぁって思う。

受験であったとしても、教育である。
いかにも総合型選抜はおいしいみたいな、ちょっとしたコツで何とかなるみたいな、そんなことを宣伝するのは、単なるビジネスに過ぎず教育ではない。
もちろんビジネスだって理念があって、そこには志がある。
これは金儲けだろう。

もう一つは、小論文を書いたり、志望理由書を書いたり、面接を受けたりというのは、未来を語ると言うことだ。
英語とか数学を勉強することはとても大切で、大きな努力だって求められる。
それと同じことで小論文を書くことだってとても大切で大きな努力が求められる。
両者に共通する事は、未来のために自分が何をなすべきかであろう。
それを導き、その学びの楽しさを伝えることを教育と言う。
偏差値や合格のためだけのために教育があるのではない。



勉強することや学ぶ事は、本来絶対的に楽しい。
興味関心があるから楽しいのではなく、本質的に楽しいのである。

その楽しさを伝えることが、教育の最大の楽しさであり、喜びでなければならない。
それは学校であろうと塾であろうとなんら変わるものではないはずた。
もちろん、企業の中で社員を教育するのだってみんな同じだし、家庭の中で子育てをするのだってみんな同じだと思う。

だからこそ、教育者は先生と呼ばれる。
「そんな大げさな」
と思われる人もいるかもしれないけど、私にとっては大切なことだ。

朝4時半に目が覚めた。
学ぶことの楽しさを伝えることに失敗した悪夢を見た。
そのプレッシャーは、とても大きなもので、それはしばしば悪夢となる。
だからこそ、
「とても授業が楽しかったです」
そんな一言は、合格の報告の何倍も嬉しい。