精神科医 のらこ(・ω・) の日記

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精神科医・のらこ です(・ω・)

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震災から1週間経ちました。

まだ都内で買占めは続いているものの、少しはましになってきた気がします。


いろいろ、日に日に動きがでてきている気がします。


バイト先の都立病院からは、DMATの一員として、精神科医も派遣されることになったようです。

同学年のレジデントの先生が、先日、気仙沼へ旅立って行きました。

現地でどういうことをするのかは知りません。

心のケア・・・というと、きれいに聞こえますが、

実際には、処方が途絶えてしまった統合失調症患者さんたちの処方調整とか、地道な作業がいっぱいあるだろうな、と思っています。


薬剤中断で再燃している患者さんたちがいっぱいいたら、本当に大変だろうなと思います。


のらこの勤務先では、まだ派遣話は出ていません。


被災地の患者さんたちを、各病棟で受け入れることになるようです。



とりあえず、後方支援として、できることを頑張ろうと思います。


いま、UpToDateやDynaMedなどの翻訳作業が進行しているようで、

のらこも、Dynamedの翻訳をちょっとだけお手伝いしました。


ただ、今日は自分の病院の当直だったので、翻訳途中に何度もPHSが鳴って、

作業が中断されました。



「もう・・・!仕事中なのに!」

ヾ(。`Д´。)ノ


とPHSが鳴るたび、思いましたが、

よく考えたら、呼ばれるほうが、自分の本来の仕事です。



支援というと、このまえ、ラジオで流れていたのですが、

松山千春さんが、こういったそうです。


「知恵のあるヤツは、知恵を出せ。力のあるヤツは、力を出せ。金のあるヤツは金を出せ。何も出せないというヤツは、元気を出せ」



自分にできることは僅かですが、日々のことに一生懸命取り組みつつ、

小さなことから取り組んでいきたいと思います。

大地震から4日たちました。


のらこの住む町は、直接の被災地ではありませんが、

まだ時々揺れています。


今日から、計画停電が始まりました。


のらこの病院でも、お昼前から夕方まで、電子カルテが全部停止しました。


節電のため、JR、私鉄ともに一部区間しか運転されておらず、


そのため、病院へ出勤できないドクターやナースもいました。


数時間歩いて、病院へたどり着いた先生もいました。


今日、ある部長からPHSに電話がかかってきて、

「のらこ先生、先生はさあ、公共交通機関がだめになっても、出勤できる?」

と聞かれました。


のらこはマイカー通勤なので、

「はい」


と答えました。


「これからはさあ、全員出勤できるとも限らないからさあ、数少ない出勤できた人だけで助け合ってっていうことにもなると思うのよね。先生、大丈夫ね、わかった(ガチャン)」



無事辿り着いたのですが、

これも、ガソリンがあとどれだけ持つかによります。


いま、道路を走っていると、ガソリンスタンドには何台も車が並んでいます。

閉鎖してしまったガソリンスタンドも近所にはあります。


ガソリンを入れに行っても、10Lまでとか、リッター制限があって、少ししか入れられません。


公共交通機関もだめ、車もだめ、となったら、もう徒歩しかありませんね。


遠方の、バイト先とか、当直先、どうしよう。

相談するしかないか。


非常事態になってしまって、なんの備えもなかった のらこは、週末、買い物に出かけたのですが、

懐中電灯やラジオ、カロリーメイトなど乾性栄養補助食品は、既にどこに行っても売り切れでした。


今日は、トイレットペーパーとティッシュペーパーが、どこに行っても売り切れでした。


みんな、買い占めてるんでしょうか。


うかうかしてると、どんどん品がなくなっていきそうです。


Amazonで購入しようと思ったのですが、懐中電灯とかは、売り切れでした。


職場で同僚の先生が、西日本に住む親に送ってくれと頼んだ、と言っていたので、

のらこも関西に住む家族に、送ってほしいものリストをメールで依頼しました。


なぜ電話じゃなくて、メールで実家にお願いしたかと言うと、携帯は、今日また通信規制がかかって、なかなかつながらないからです。

おかしいな、と思っていたら、「ソフバン、ドコモ、関東で通信規制再開」とヤフーニュースに書いてありました。



゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


阪神淡路大震災を経験しているのに、すっかり忘れて、何も準備していなかった自分を情けなく思います。


ただ、今回は、(もちろん阪神淡路大震災も大変な惨事でしたし、今回は原発事故合併など、特殊な事情がありますが)、「規模がちがう」、という印象を受けています。



阪神淡路のときは、梅田まで出れば、町は普通でした。


当時、学生だった のらこは、神戸のがれきの山と比べて、少ししか離れていない(大阪市)梅田が、まったく何もなかったように普通の町であるということに、驚き、涙したものでした。



でも今は、東北は、もちろん涙を流すこともできないほどの惨状ですが、それを取り巻く多数の都道府県、

のらこが住む東京もまた、

正常の機能を失っています。



゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚



あの金曜日、のらこは塀の中勤務の日でした。

ひどい揺れで、棚などが大きく移動し、建物ごと、崩れるかのような状態になりました。

窓の外の電柱は、柳のようにしなっていました。

建築基準が、だいぶ古いらしく、

常勤の先生が、「崩れるかもしれない」と言い、

1回おさまったとき、「のらこくん、いまの間に逃げなさい」と言ったほどでした。


しかし、PHSが鳴りました。

4階の、のらこの患者が不穏状態というナースからの連絡でした。


上に行くしかありませんでした。

患者の部屋、というか、房?に着き、対応していると、再び大きな揺れがきました。


「せんせ!こわいよお!!!」

若い、女性の受刑者が、のらこにしがみつきました。

壁がきしんでいました。


再びPHSが鳴りました。

それは一斉通知で、

職員全員に対し、特殊な状況をのぞき、配置を離れ、本部に集結せよ、という、緊急事態の連絡でした。


しかし、鍵のあいた房のなか、刑務官もナースもほかの対応に追われ、「先生、ちょっとここお願いします」といって一人残されたあとだったので、

その「配置」を離れるわけにもいかず・・・


一瞬でしたが、

「ああ、多分自分はここで殉職するんだ」、と思いました。

(少し大げさですが、でもそれぐらい、強い恐怖感をおぼえました)



その後、地震もおさまり、マイカーで来ていたのらこは、他の先生も乗せて帰宅の途につくべく、

都心方面に向かいましたが、

公共交通機関がすべてストップし、

高速道路も閉鎖されている中、

ふだんは1時間でたどり着く自宅へ、7時間かかって夜中にたどり着きました。


道すがら、四角い紙をもって、ヒッチハイクをしている人がいました。


携帯は、通話できず、メールの送受信もできませんでした。


車のラジオでは、公衆電話が無料開放された、と伝えていましたが、

携帯が普及したこの時代、

公衆電話そのものを見つけることができず、

コンビニ前などにやっと公衆電話を見つけても、

既に長蛇の列でした。



渋滞の道を走りながら、結局、災害のときには、連絡手段は絶たれるのだ、と思いました。


他のドクターと乗り合いで帰り、車内でいろいろ語り合ったことや、

ラジオの存在が、どれだけ心細さを紛らしてくれたか知れません。


ラジオは、すごいです。

いま、何がどうなっているのかをおしえてくれ、励ましてくれました。



夜中、やっと自宅にたどり着くと、高層マンションに住んでいるため、

冷蔵庫が倒れていました。

ガスは、安全装置が作動して、停まっていました。

ほかにも、いろいろ倒れたり、小物が遠くへ飛んで行ったりしていました。


まだ小さな揺れが頻繁に続いたので、こわくて、洋服のまま、帽子をかぶって眠りました。


寝た後も、数時間おきに、ドコモの携帯がビーっと鳴り、「エリアメール、緊急地震速報」という通知が届きました。


・・・・・・


あれから、4日。


のらこはこわがりなので、少し大げさかもしれませんが、

直接の被災地でなくとも、このような状態です。


電気も水道も、食料もままならない被災地の方々、

そして、がれきの下で、消えそうになる命を、必死でつなぎとめている人たちのことを思うと。。。。

心がもがれそうです。



でも実際、自分にできるのは、


・「計画停電」に不平を言わないこと(ただ、急に実施を変更したりしないで、もうちょっと本当にしっかり「計画」してほしい)、

・節電すること、

・車をそろそろあきらめること、

・日常業務をできるだけがんばること、


でしょうか。



停電すると、それに伴い水道も止まるため、明日も早起きせねば。。。



最後に、のらこの病院のメーリングリストで流れてきた、精神科関連の情報を下に貼り付けておきます。

優秀な同僚がくれた情報です。

何かの一助になれば。。。


(*vωv)。。。




『災害時のメンタルヘルス 日本小児精神医学研究会・編』の圧縮版のファイル、ウェブサイト上に掲載
http://homepage2.nifty.com/jspp/jspp_website/JSPP_zai_hai_yong_gong_youfairu.html


「サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版」
http://www.j-hits.org/psychological/index.html

自然災害発生時における 医療支援活動マニュアル
平成16 年度 厚生労働科学研究費補助金 特別研究事業
「新潟県中越地震を踏まえた保健医療における対応・体制に関する調査研究」
 http://www.nagaoka-med.or.jp/shizen_manual200510/02mokuji.html

日本自閉症協会編
防災ハンドブック(支援者向け、本人・家族向け)
http://www.autism.or.jp/bousai/index.htm

やるべきことがあり、忙しく、ブログを書いている場合ではないのですが・・・


気分転換。。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆



BECT つづき。



BECTとTLEの話をわざわざブログに書いたのは、そのとき指導医のA先生が話してくださった経験談が、印象深かったからでした。



もう何年も前のこと。


病院の外来でA先生が、あるBECTの患者さんとそのご家族に、「TLEでなく、BECTですよ」という病状説明をされた日のこと。


病状説明がおわり、後ろで陪席していたレジデントを振り返ると、泣いていたそうです。


A「そんなに・・・私の病状説明、感動的・・・だったかし・・・ら?」


と戸惑い、尋ねると、


その若いレジデントの先生は、自分が、BECTだった、と打ち明けたそうです。


・・・


しかし、そのレジデントの先生自身は、子供のころ、病院でTLEだと診断され、予後不良であるとも説明をうけたそうでした。

もう物心ついていたために、大変なショックを、家族ともども、受けたそうです。



きっと自分は、発作を繰り返していくうちに、知能も低下していく・・・。


でも、あきらめきれず、お医者さんを目指したそうです。


そして、医学の道に進み、

自分がBECTだったのだと、知ったそうです。


・・・



そんな過去を持つ人でしたので、A先生の病状説明をきいていて、こみ上げてくるものがあったのでしょう。




A「そういった例もありますからね。簡単に予後不良の疾患であると、伝えることはできません。」




・・・・・・・


逆だったから、印象深く感じたのかもしれません。


学生のころ、

研修医のころ、


おそろしい病気を見逃してはならない、と教わりました。

最悪の事態を予想して、説明や検査、治療にあたらねばならない、と教わりました。


もちろん、こわい病気を見逃してはなりませんし、

この話は、同一に扱えないかもしれませんが、


宣告された患者さんや家族が受けるであろう心のダメージへの配慮は、忘れてはならないことですね。



悪い予後を予測して、もし良い結果になったとしても、不安や恐怖の中で過ごした時間が修復されるわけではありませんでしょうから。。




「残念ながら君は・・・」

と宣告されてもなお、勉強をがんばってその道の専門に進まれたレジデントの先生のように、誰もが強いわけではありませんから。。




でも、(いい加減や気休めでなく、)


「あなたは大丈夫です」


と言いきれる医師・・・ちょっとやそっとでは、なれないだろうなあ、と思います。


o(;△;)o


こんばんは。

夏ばて のらこです。

(´・ω・`)



今日は勉強の話を。

というか、小さいメモ。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


☆BECT(ベクト)☆

:Benign Epilepsy of childhood with centro-temporal spikes/中心・側頭部に棘波をもつ良性小児てんかん。



こどもが、夜、大量のよだれを出し、口をぴくぴくさせている。

驚いて脳波検査をしたら、側頭部中心にSpikeが認められる。

睡眠時脳波ではSpikeはやや群発傾向を示すなど、著明となる。


この脳波をみて、TLE(側頭葉てんかん)だと勘違いし、家族に、予後不良だと病状説明することは、大きなまちがいである。


BECTは15歳ごろには自然に軽快する。

それ以降は、抗てんかん薬の内服も必要でなくなる。

知的機能の低下もない。



BECTの脳波の特徴は、Spikeを除き、基礎律動が非常にきれいであること。


それに比べ、TLE(mTLE)は、Spikeに続き、徐波がみられるなど、ベースもあまりきれいではない。



医師としておぼえておきたいこと。

BECTとTLEをきちんと見分ける(BECTは多い)。

側頭部にSpikeが派手にあるからといって、側頭葉てんかん、と思いこんではいけない。



「ポイントは、起こる形とタイミングとdistributionですね」(指導医・談)


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆



うぬぬ。。

いつも教育的で、たくさん実際の脳波をみながら教えていただいているのですが、

のらこ、頭に入りきらないです。。



とりあえず、今日おしえていただいた話のほんの一部を、メモ。



また気が向いたら、ブログにちょこちょこ書こうかしら。



おやすみなさい

φ(. . )



こんばんは。


先週、風邪をひいてしまい、当直をキャンセルさせてもらいました。


久々に当直のない平日1週間は、とっても体が楽でした。

( ・(ェ)・)


これからはもうちょっと自己管理に気をつけて・・・スケジュールくもうと思います。




*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


ところで、最近、身体合併症の患者さんの件で他科の先生と話をしていて、複雑な思いというか、ムっとしたことがありました。


ある日、たまたまご相談させていただいた、他科の先生は、こう言いました。


(他)「こうこう、こういうわけで、やはり早急に入院させて専門的な治療は必要だと思うんですが・・・うちは精神科の患者はお断りなんです。なので、治療を積極的にお考えになるとするなら先生、他をあたっていただけますか」


懇切丁寧に、相談にはのってくださっていただけに、

いざ、では治療をお願いできますか、と話すと、

ひゅーんと飛び去るように断ってきたので、


ε=ε=ε= ヾ(*~▽~)ノ


なんで!と思い、

(=`(∞)´=)


説明を重ねました。



(の)「精神症状のほうは非常に落ち着いていらっしゃるんです」



(他)「でも、落ち着いてるって・・・先生、じゃあなぜその患者は入院してるわけですか」



(の)「それは・・・今はまだ、自宅で過ごすのは少し早い状態でして、少しずつ、在宅復帰に向けて、リハビリを重ねている段階なんです」



(他)「そんなこと言われたって・・・とにかく、うちは精神科の患者は困るんです」



そして他の病院をあたることになりました。



やりとりのあと、少しむっとしてしまい、そばにいた中堅の先生に愚痴をいいました。



(の)「先生、どう思います?なんで精神科の患者っていうだけでお断りなんですか」



(中)「・・・まあ、精神科は往々にして、そういうこと、言われるんですよ。。」



体の侵襲的な治療が始まれば、それがきっかけになって、精神的に不安定になるかもしれません。

そのときに、対応に苦慮することが予想されるため、あらかじめ「お断り」と言うしかない。


そういう事情があるのかもしれません。


でも、少し複雑な気持ちになったのらこでした。


のらこ@自分のメインの病院で日当直中です。
(´-ω-`)

今のところ、比較的おだや・・・。
これ以上は、書かないでおきましょう。
そういうことを言ったり書いたりすると、決まって突然、嵐が訪れるのが常だからです。
(´-ω-`)

それにしても、自分とこの病院の当直が、いろいろな意味で、いちばんしんどいです。
最近レジデントの数が減ってしまって、当直回数も増えましたし・・・。
(´-ω-`)

バイト当直をたくさんしている のらこは、もうちょっとバイト先を整理したほうがいいかなあと思っています。
(´-ω-`)

でも・・・勉強になる病院はやめたくないし・・・お金も稼ぎたいし・・・。
(´-ω-`)


*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


~ S先生の話のつづき ~

M先生に「Googleしてみなさい」と言われて帰宅したのらこは、さっそくS先生をGoogleしてみました。


・・・

(@ ̄ω ̄@;)

・・・

(((゜ω゜;))))

・・・

( ̄□ ̄;)

・・・

Σ(・ω・ノ)ノ!

・・・

なんと、そこには、S先生の数々の業績を語る情報があふれていました。

先生の半生が、複数の論文にすら、なっていました。

full text でダウンロードし、読んだ後は興奮冷めやらず、夜中を迎えたことをおぼえています。


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


翌日、M先生のとこへ行きました。

M:「Googleした?」

の:「はい・・・。先生、S先生は、God of Forensic Psychiatryだったのですね・・・」


M:「あははo(^▽^)o  面白いこと言うわね。・・・そうよ。」


M:「のらこ、あなたはラッキーよ。出会ったのが、S先生で。この国にはね、S先生のような、犯罪精神医学の重鎮が他にも何人かいるわ。でもね、S先生のような humbleな(謙虚でつつましい) 人は他にはいない。」


M:「S先生はね、この国の、数々の有名な凶悪犯罪者を interview してきた偉大な犯罪精神科医よ。その技術は簡単に誰かが習得できるものじゃない。でもね、決して彼は威張ったり、おごり高ぶったりしないの。昨日もそうだったでしょ?」


M:「のらこ、あなたがね、今後どういうふうにトレーニングを積んでいこうと思ってるかは詳しくは知らないわ。
でも、ひとつアドバイスするとしたらね、
どんなにうまくアレンジされた、この国なり、あなたの国なりのプログラムよりも、
S先生の金魚のフンになって半年でも過ごすほうが、よっぽど得るものは多いわ。
というか、十分以上よ。
それに勝るプログラムなんて、そう簡単に存在しない。
それぐらいの人なのよ」


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*


その後、いろいろとお世話になり、のらこはS先生と帰国後も連絡をとるようになりました。

顔見知りになり、お世話になったとは言え、わずか1か月ですし、どこの馬の骨ともわからぬ外国の駆け出しの医者に、しかしS先生は非常に丁寧に、いつもお便りをくださいます。

その文章は、非常に、なんというか、じん、となってしまうものを書かれます。
(精神科医は、言葉や表現をとても大切にします。。なので万国共通、文章書くの好きな先生多いんでしょうか。。)


のらこが当時、沖縄へ帰国してまもない頃、先生から届いたお便りは、胸打つものでした。

「のらこ。
君が日本の沖縄から来た、と話をしてくれたとき、実は私は、非常に強い印象をおぼえていた。
沖縄、それは忘れもしない1969年に訪れた、思い出深い場所だったからだ。
当時、まだ駆け出しだった私は、戦争中だったベトナムのDaNangに、ある殺人者の証人として出かけた。
そして、難しいと思われたその人物の精神障害による無罪を勝ち得たのだ(get a successful insanity defense)。
その後、私は中継地点の沖縄へ立ち寄った。
一度きりの短い滞在だったが、あのとき見た美しい島のことは、この道に進むとの思いを強くした場所として、決して忘れない。
きっと君とは、互いの人生の小道が、再びどこかで交差する日が来ると信じている」

God of Forensic Psychiatryに、このような温かい言葉をいただけるなんて夢のようで、ハラハラと一人で涙したことをおぼえています。


あれから、のらこも精神科医になって1年と数カ月。

今週、少し大物の犯罪者さんが入ってくるのです。
のらこも頑張ってInterviewしよう。。。

m(uωu)m


S先生に初めてお会いしたのは、2009年の1月でした。


Electiveで渡米させてもらっていたときに、S先生が主催するForensic Psychiatry(犯罪/司法精神医学)のカンファレンスに出たのがきっかけでした。


カンファレンスの参加者は、フェロー以上の先生がほとんどで、精神科レジデントも、もうその道に進むと決めている4年目レジデントしかいなかったため、内容は非常に難解でした。

m(u_u)m



でも、そのときお世話になっていた犯罪精神医学のアテンディング・M先生は、期間中、毎回のらこを連れて行ってくれました。



M先生は、風貌も中身も、個性的な女性。

スペイン系白人で、緑の目に、ブロンドの長いカーリーヘア。

よく見ると美人なのですが、なんとなく、少し魔女っぽい雰囲気漂う人でした。

中米コスタリカの医学部出身の、いわゆるIMGで、

(のらこは情けないことにアメリカを目指すことはそのときもう諦めていたというか考えていなかったのですが、)

「絶対きたほうがいいわよ!!」

と言って、いろんな話をしてくれました。


ニューヨークでのフェロー時代に経験した、極貧生活。

ニューヨークの刑務所研修での衝撃的な体験。

精神科フェローの傾向と対策。


・・・




それはさておき。



カンファレンス参加初回の日。

カンファがおわって、のらこが資料をバッグに詰めていると、一人の初老男性が近づいてきました。


S:「見かけないお嬢さんですね。T大の学生さんかな?Mと一緒にきたのかい?」


の:「あ、あの、日本から1カ月だけこちらに来て研修している、インターンののらこと申します」


S:「おや、日本からかい。よく来てくれたね。この世界に興味があるのかい?」


の:「はい、あの、難しかったですが、参加出来てとても幸せでした」



そこへ、M先生がやってきました。


M:「ああ、S先生!彼女は日本からうちに来てるの。この世界をめざしてるのよ!また連れて来るわ」




その日はそれぐらいでした。


帰り道、M先生はのらこに言いました。


M:「さっきのが、S先生よ。。。名刺もらったのね。それ、絶対なくしちゃだめよ。宝物にしなさい。・・・ところで のらこ、S先生のこと、知ってる?」


の:「いいえ」


M:「寮に帰ったら、Googleしなさい。びっくりするわよ」


M先生は意味深げにそう言いました。

(つづく)



全身筋肉痛です
(´-ω-`)


このまえの当直、一晩で緊急措置入院が3件もあって…



大変激しい患者さんもいて…


急に暴れ出してしまったりして、

本人を守るための鎮静をかけるまえの「格闘」が激しくて…



全身筋肉痛です
(´-ω-`)



翌日はなんともなかったのに…


2日目から急にこんなに痛くなるなんて…


年とると、気は若くても大変ですわ…
(´-ω-`)



明日からは連直なので、痛いの飛んでってほしいなあ…
(´-ω-`)

こんばんは。
のらこ当直中です
(´-ω-`)


…………………


書きかけの話が途中だったので、続き。


と言っても、両方とも、続きは書かないことにしました。


なぜかと言うと、個人情報にかかわりますし、やっぱり科の特性もあって、デリケートな話だからです。



このところ、医師が書くブログへの規制の話題などを知るにつれ、書かないほうがいい、という思いはますます強くなりました。



日々、仕事でいろいろなことがあって…それは悲しいことだったり、嬉しいことだったり、ムカつくことだったり…と様々ですが、そのどれもがあるおかげで、生き甲斐を感じながら毎日を過ごしています。



来年度は、今の勤務先に加えて、精神科医として(タマゴですが)いくつか新しいことをするので、とてもわくわくしています
o(^-^o)(o^-^)o




ただ、今まで以上に個人情報を気遣う分野になるので、ブログに書き綴ることはないです。



また気が向いたら違う感じでブログ書くと思います。

おやすみなさい
(o・ω・o)/~

こんばんは。


早いもので、もう年度末近いですね。


確定申告しないと・・・と思いつつ、まだやってません。



ところで、書きかけの話のつづき。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆



「コウタくんの身に、大変なことが起こりました」


のつづきから。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


病棟では、毎朝、ナースの申し送りを一緒に聞くことから、一日がスタートします。


精神科は、患者さんがどんな様子だったか、何か変化があったか、小さなことでも、きちんと把握しておくことはとても大切なので、患者さんに密着しているナースからの情報は、とても大切なのです。


ある朝、のらこがやや遅刻気味に病棟へ行くと・・・


ナースステーションはザワザワした様子で、もう既に申し送りが始まっているようでした。



(しまた。。)



そう思って忍び足でナースステーションに近づいていったときです。


ナースステーションのドアがばんっと開き、中堅ナースが飛び出してきました。


(ナ)「のらこ先生!!」


(の)「すみません、ねぼうしま・・・」



そのナースが大変な形相だったため、怒られると思い、ついモゴモゴと言いわけを言おうとすると・・・



(ナ)「何モゴモゴいってんのよ!大変なことになったのよ!コウタくんが・・・コウタくんが・・・いないのよ!!!」



(の)「え・・・」



(ナ)「逃げたみたいなの!病院から!気付いたらもう病棟のどこにもいなくって・・・」



(の)「えぇ・・・(((( ;°Д°))))・・・」



精神科で、入院患者さんが無断で病院からいなくなることを、「離院」といいます。


コウタくんは、朝の薬も飲まず、ナースの目を盗んで、いなくなっていました。




離院というのは、決して安心できることではないのです。


そのつい最近も、別の病棟で離院があり、残念なことに、遺体で発見されていました。


朝はなんでもない様子だったのに、突然、病院を抜け出し、自ら命を絶ったのです。


統合失調症の患者さんの場合、その自殺を予見することは難しい、と聞きます。


のらこはまだ経験少ないのですが、傍目には変わりないように見えていたのに、突然、パンっと自殺されたりするようです。


その理由はさまざまです。

治療が功を奏して、よくなっている過程で、幻覚や妄想から解き放たれ、現実と直面することで、絶望して・・・というのもあるでしょうし、

また、突然、「死ね」といった声が聞こえ、その指令に従って死んでしまうこともあるようです。



コウタくん・・・



このところ、非常に被害妄想や被害関係妄想が活発で、不安定だったコウタくんです。


声も聞こえていました。



もし、「死ね」という声が聞こえて、

コウタくんが、「死ぬしかない」と思ってしまったら。。。



のらこは、自分の心臓の鼓動が速くなるのを感じていました。


(つづく)