大地震から4日たちました。
のらこの住む町は、直接の被災地ではありませんが、
まだ時々揺れています。
今日から、計画停電が始まりました。
のらこの病院でも、お昼前から夕方まで、電子カルテが全部停止しました。
節電のため、JR、私鉄ともに一部区間しか運転されておらず、
そのため、病院へ出勤できないドクターやナースもいました。
数時間歩いて、病院へたどり着いた先生もいました。
今日、ある部長からPHSに電話がかかってきて、
「のらこ先生、先生はさあ、公共交通機関がだめになっても、出勤できる?」
と聞かれました。
のらこはマイカー通勤なので、
「はい」
と答えました。
「これからはさあ、全員出勤できるとも限らないからさあ、数少ない出勤できた人だけで助け合ってっていうことにもなると思うのよね。先生、大丈夫ね、わかった(ガチャン)」
無事辿り着いたのですが、
これも、ガソリンがあとどれだけ持つかによります。
いま、道路を走っていると、ガソリンスタンドには何台も車が並んでいます。
閉鎖してしまったガソリンスタンドも近所にはあります。
ガソリンを入れに行っても、10Lまでとか、リッター制限があって、少ししか入れられません。
公共交通機関もだめ、車もだめ、となったら、もう徒歩しかありませんね。
遠方の、バイト先とか、当直先、どうしよう。
相談するしかないか。
非常事態になってしまって、なんの備えもなかった のらこは、週末、買い物に出かけたのですが、
懐中電灯やラジオ、カロリーメイトなど乾性栄養補助食品は、既にどこに行っても売り切れでした。
今日は、トイレットペーパーとティッシュペーパーが、どこに行っても売り切れでした。
みんな、買い占めてるんでしょうか。
うかうかしてると、どんどん品がなくなっていきそうです。
Amazonで購入しようと思ったのですが、懐中電灯とかは、売り切れでした。
職場で同僚の先生が、西日本に住む親に送ってくれと頼んだ、と言っていたので、
のらこも関西に住む家族に、送ってほしいものリストをメールで依頼しました。
なぜ電話じゃなくて、メールで実家にお願いしたかと言うと、携帯は、今日また通信規制がかかって、なかなかつながらないからです。
おかしいな、と思っていたら、「ソフバン、ドコモ、関東で通信規制再開」とヤフーニュースに書いてありました。
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阪神淡路大震災を経験しているのに、すっかり忘れて、何も準備していなかった自分を情けなく思います。
ただ、今回は、(もちろん阪神淡路大震災も大変な惨事でしたし、今回は原発事故合併など、特殊な事情がありますが)、「規模がちがう」、という印象を受けています。
阪神淡路のときは、梅田まで出れば、町は普通でした。
当時、学生だった のらこは、神戸のがれきの山と比べて、少ししか離れていない(大阪市)梅田が、まったく何もなかったように普通の町であるということに、驚き、涙したものでした。
でも今は、東北は、もちろん涙を流すこともできないほどの惨状ですが、それを取り巻く多数の都道府県、
のらこが住む東京もまた、
正常の機能を失っています。
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あの金曜日、のらこは塀の中勤務の日でした。
ひどい揺れで、棚などが大きく移動し、建物ごと、崩れるかのような状態になりました。
窓の外の電柱は、柳のようにしなっていました。
建築基準が、だいぶ古いらしく、
常勤の先生が、「崩れるかもしれない」と言い、
1回おさまったとき、「のらこくん、いまの間に逃げなさい」と言ったほどでした。
しかし、PHSが鳴りました。
4階の、のらこの患者が不穏状態というナースからの連絡でした。
上に行くしかありませんでした。
患者の部屋、というか、房?に着き、対応していると、再び大きな揺れがきました。
「せんせ!こわいよお!!!」
若い、女性の受刑者が、のらこにしがみつきました。
壁がきしんでいました。
再びPHSが鳴りました。
それは一斉通知で、
職員全員に対し、特殊な状況をのぞき、配置を離れ、本部に集結せよ、という、緊急事態の連絡でした。
しかし、鍵のあいた房のなか、刑務官もナースもほかの対応に追われ、「先生、ちょっとここお願いします」といって一人残されたあとだったので、
その「配置」を離れるわけにもいかず・・・
一瞬でしたが、
「ああ、多分自分はここで殉職するんだ」、と思いました。
(少し大げさですが、でもそれぐらい、強い恐怖感をおぼえました)
その後、地震もおさまり、マイカーで来ていたのらこは、他の先生も乗せて帰宅の途につくべく、
都心方面に向かいましたが、
公共交通機関がすべてストップし、
高速道路も閉鎖されている中、
ふだんは1時間でたどり着く自宅へ、7時間かかって夜中にたどり着きました。
道すがら、四角い紙をもって、ヒッチハイクをしている人がいました。
携帯は、通話できず、メールの送受信もできませんでした。
車のラジオでは、公衆電話が無料開放された、と伝えていましたが、
携帯が普及したこの時代、
公衆電話そのものを見つけることができず、
コンビニ前などにやっと公衆電話を見つけても、
既に長蛇の列でした。
渋滞の道を走りながら、結局、災害のときには、連絡手段は絶たれるのだ、と思いました。
他のドクターと乗り合いで帰り、車内でいろいろ語り合ったことや、
ラジオの存在が、どれだけ心細さを紛らしてくれたか知れません。
ラジオは、すごいです。
いま、何がどうなっているのかをおしえてくれ、励ましてくれました。
夜中、やっと自宅にたどり着くと、高層マンションに住んでいるため、
冷蔵庫が倒れていました。
ガスは、安全装置が作動して、停まっていました。
ほかにも、いろいろ倒れたり、小物が遠くへ飛んで行ったりしていました。
まだ小さな揺れが頻繁に続いたので、こわくて、洋服のまま、帽子をかぶって眠りました。
寝た後も、数時間おきに、ドコモの携帯がビーっと鳴り、「エリアメール、緊急地震速報」という通知が届きました。
・・・・・・
あれから、4日。
のらこはこわがりなので、少し大げさかもしれませんが、
直接の被災地でなくとも、このような状態です。
電気も水道も、食料もままならない被災地の方々、
そして、がれきの下で、消えそうになる命を、必死でつなぎとめている人たちのことを思うと。。。。
心がもがれそうです。
でも実際、自分にできるのは、
・「計画停電」に不平を言わないこと(ただ、急に実施を変更したりしないで、もうちょっと本当にしっかり「計画」してほしい)、
・節電すること、
・車をそろそろあきらめること、
・日常業務をできるだけがんばること、
でしょうか。
停電すると、それに伴い水道も止まるため、明日も早起きせねば。。。
最後に、のらこの病院のメーリングリストで流れてきた、精神科関連の情報を下に貼り付けておきます。
優秀な同僚がくれた情報です。
何かの一助になれば。。。
(*vωv)。。。
『災害時のメンタルヘルス 日本小児精神医学研究会・編』の圧縮版のファイル、ウェブサイト上に掲載
http://homepage2.nifty.com/jspp/jspp_website/JSPP_zai_hai_yong_gong_youfairu.html
「サイコロジカル・ファーストエイド 実施の手引き 第2版」
http://www.j-hits.org/psychological/index.html
自然災害発生時における 医療支援活動マニュアル
平成16 年度 厚生労働科学研究費補助金 特別研究事業
「新潟県中越地震を踏まえた保健医療における対応・体制に関する調査研究」
http://www.nagaoka-med.or.jp/shizen_manual200510/02mokuji.html
日本自閉症協会編
防災ハンドブック(支援者向け、本人・家族向け)
http://www.autism.or.jp/bousai/index.htm