「そうね。でも、気にならないって言い方は当たってないわ。マーヤが信念でそうしようということを、わたしが気にするのはおかしなことだというだけよ」(231ページ)


 自分がなぜそれをしているかわからないときでも、行為を継続することはできる。なにをしたいかわからない場合も、そうだ。そんなことはどちらも容易なことだ。いや、もしかしたらどちらとも、そのほうが行為を進めるにはかえっていいのかもしれない。そうした無自覚さは、たとえばこんなスローガンに生まれ変わる。「悩むのは後だ、やるだけやってみよう!」。過ちはそんなふうに、正されぬまま再生産されていくのだろう。(232ページ)


「生まれたての赤ん坊には飲酒の罪は無限大よ。そこから反比例曲線を描いて罪は軽くなって、二十歳になるとゼロになるの。わかる、守屋君? つまり十九歳の時には罪は無限にゼロに近いのよ。それはゼロと同義でしょう」(256ページ)


「おれ、頑張れ日本史選択。どうした日本史選択。思い出せ日本史選択。おれの記憶じゃ、『へ』で始まった気がするぞ」
「ヘ。ヘン……、ヘンキ!」
 びしりと音を立て、おれは実際に膝を打った。
「そうだ、偏諱だ。偏諱は主人からだけではなく、親族からもよく貰う」(288ページ)

 なんだか違和感を感じる姿だ。それがなぜか考えて、すぐに思い当たった。深い青のジャケット、桃色のパンツ、暖色系のストライプのシャツに、赤いニットキャップ。身につけているものの趣味が、少し妙なのだ。(29ページ)


 写真館の前で出会ってからのこれまでのマーヤの態度は、おれたちと彼女との意志疎通が完全でないことを計算に入れても、余裕のあるものだと思う。旅先であてにしていた人物がいざ訪れてみたら死んでいた、という抜き差しならない事情があってさえ、マーヤは彼女の言葉に反して「途方に暮れて」いるようには見えなかった。(51ページ)


「(……)日本人は雨に慣れているから、このぐらいだと傘を差さない。哲学として面白い。わたしも日本に来たからには、その哲学を学ばなければならないと考えたです。
 どうです、わたしは間違いましたか」(57ページ)


「マーヤさんに教えてあげたいのなら、守屋君が教えてあげたらいいじゃない。わからないのなら考えてみれば?」(59ページ)


 自動的な動きだった。自動的ではあるが、作業的というのではない。生活に似ている。(85ページ)


「紫陽花といって、この季節に綺麗に咲く花だ。種類によっては土が酸性なら青く、アルカリ性なら赤く咲く」(137ー138ページ)


「わたしたちの伝統は創造されたものです。わたしたちの共同体は想像されたものです。それでもわたしたちは、六つの文化のうちどれか一つにではなく、わたしたちの文化に生きることになるのです。もう一度言います、そうしたくなくてもです。わかりますか?」(143ページ)


「どのへん? わたし、ここがいいからと思って友達を作ったことはないわ」(167ページ)


「イザナミ。死んだはずなのに動き出し、夫を襲ったぞ。体はぼろぼろだったから、吸血鬼という感じじゃないが」(178ページ)


「イザナミ? どういう話ですか?」
「オルフェウス型の神話よ」(179ページ)


「昔、中国からの輸入品が、赤と白の紐で縛られていたから。中国にとってはそれは意味のあることではなかったけれど、受け取った日本は意味があると考えて、贈り物は赤と白の紐で縛るものと思い込んでしまったそうよ。それがずっと後になって、紅白はめでたいって変わっていったの」(189ページ)


 文原は腰掛けていた机から下りた。黒板の上に掛けられた時計にちらりと目をやって、
「ご苦労なこととは思うが、俺は、自分の手の届く範囲の外に関わるのは嘘だと思ってるんだ」
「手。暗喩か」
「いや、そのままの意味だよ。結局は身体だ」(209ページ)


「第一次世界大戦の発端は」
 珍しいことに、言葉が挟まれた。
「オーストリアとセルビアの戦争だったわね」(226ページ)



――柴崎さんは小説を書かれる際、登場人物に仮の名前をつける時は、上條作品からとられることがあるそうですが?
柴崎 みんなじゃないですけどね。困った時に暫定でつける名前は、みんなナツとユキ(笑)。かっこいい名前としての刷り込みがあるんです、きっと。
(上條淳士との対談、11ページ)


――『海獣の子供』は、女の子が主人公ですよね。女の子の視点には特に興味があるというか、意識されたりするんですか?
五十嵐 や、特には意識してないですよねえ。基本的には自分の感じで描いているだけなんですけど、……なんとなく女の子の方が信用出来る、というか。大雑把にいうと男の方がバカだろうと思ってるんで、自分も含めて(笑)。だから主人公にちゃんとしたした人を据える場合は、なんとなく女の子になりがちかなあ、とは思いますね。描いていて楽しいとかそれくらいで、あんまり深くは考えてないんです。
(五十嵐大介との対談、82ページ)


五十嵐 (笑)人がどう生きるか、っていのが基本なので。漫画描くために何かやるよりは、自分がまず楽しいことをやってみて、自然にそれを描きたくなった時にうまく描ければいいかな、という思いがあるんですけど。実際には締切とか色々あるので難しいんですけど、その中でなんとかうまく転がっていけば幸せかなあと。
(同、85ページ)


 目に見えて現われている世界がこんなにも美しいのは、そこになにかの調和があるからで、調和していることは美しいのだと思う。音楽も調和した数字で表されるもので、そういえば『陰陽師』で重要な役割を果たしている源博雅は音楽の才能を与えられている。
(「世界の秘密」岡野玲子との対談後、103ページ)


柴崎 (略)いわゆる「物語」をどうやって切るかと考えると、「時間」なんです。一日の話だったり、一週間の話だったり。書く時はだいたい実際の天気とか調べてカレンダーをつくるんです。

(浅野いにおとの対談、111ページ)


 電車で人が読んでいる本なんかを横から覗くのが好きなのだけれど、最近、子供がめくっている漫画をちらちら見たり、夏休みや春休みになると増えるアニメ映画のCMを見ていて「世界を救うために戦う」「○○のためなら死んでもいい」というようなセリフが溢れているのが気になりだした。もしくは「汚い大人にはわからない」とか「夢のない時代なんだよ」とかいったふうな。
(「現実の感覚」浅野いにおとの対談後、124ページ)


――外出はよくされますか?
くらもち 外はあまり出ないと思います。景色を見るためだけに出るとか、アイディアを探すことを目的にしての外出はしないです。そういう風にアイディアを探しにいくと逆に見つからないんです。
(くらもちふさことの対談、139ページ)


柴崎 ちょっと考え方や作り方が違っていて、例えば小説だと前から順番に思った通り書いていけばいいんですけど、脚本だと長さや登場人物などの事情を事前に織り込み済みでクリアしておかなければいけない、とか順番が違うんですよね。
(同、141ページ)


くらもち 「物語を考えること」を長くやってきて、自分にとって今はその何段階目になるか分からないんですけど、頭の中に物語が一つある場合、すでにある「それ」を、そうではない別のスタイルで展開することに興味があるんですよね。それがたまたま「スタイル」として今は面白いと思うので、結果、時間が前後したり毎回キャラクターが違ったりしているんです。自分のモードがあくまでも「偶然」「そこ」にフォーカスしている、ということで、オーソドックスに起承転結を考えられる時は、最後までキッチリ考えるようにしてますね。
(同、142ページ)


柴崎 また格好いい男の子を描いてください。あの、くらもち先生の漫画を読んでいると私はすごい半笑いになっているので……。
(同、149ページ)


柴崎 写真って出来上がってくると良くも悪くも平面になっちゃいますよね。そうすると、自分がファインダーをのぞいていた時見ていたもの以外のものも同じレベルの情報として写り込んでいるじゃないですか。だから、逆に余計なものが多くなっちゃって、かえって難しいんです。自分がその時見た印象、覚えているもの、選び取ったものを書いた方が、読む人にとってもちゃんと印象に残る。そうやって書くのが私にとっては一番いいし、伝わるんだなって。
(上條淳士とふたたび、240ページ)


 もう一つ、ダーウィンの進化論は「変化(進化)には目的も方向もない」ということをその主張の最大の中心にしている。
 生きものが「何かのために」生きている、などという言い方は、生きものの行為の結果を観察した人間が見たことを表現するために、かってに後からした説明にすぎない。ミミズは地球の表面を変える「ために」生きているわけではない。彼らの生の結果が、大地を変えただけだ。生きものの行為の結果を見て、それが生きものがその行為をする原因であった、つまり行為に目的があるなどと考えるのは、ぼくらがよくしてしまうあやまちである。ぼくらが目的とよぶようなことをもって生きているものはいない。なぜなら、もし生きものに起こる変化が、あらかじめなんらかの方向に傾いていたら、自然がおこなう選択はその創造性をうばわれてしまう。自然がすることは、ぼくら人間が「意図」とか「目的」とよんでいることを越えている。自然に起こる変化は「ただ変わる」とでもいうしかないことだ。だからこそ自然なのだ。
 ダーウィンは固定しているように見えるものも、つねに無目的無方向に変化しているという進化論のモチーフを、ミミズについて書いた生涯最後のコンパクトな本で、ぼくらにつたえようとしたのである。ミミズの本には発表の直後から現在まで誤解されつづけてきた進化論で、ダーウィンが伝えたかったことのエッセンスがわかりやすく示されている。
(44-45ページ)



 出会った人の多くが、すでに鬼籍に入っている。この歳になれば、仕方のないことである。「鬼籍」とは、死んだ人を「鬼」あつかいすることなら、ずいぶん失礼な言葉といえる。しかし「鬼」たちの印象の、なんとやさしいことだろう。


 たとえば留学生時代を終えて最初に就職した大学には、もう老齢で、なぜか僕と同姓のの教授が先輩でいらした。専門を存じ上げなかったのでたずねたら、「私に専門はありません。フランスの著書をABC順に読んでいます」という答えが返ってきた。ずっと独身で、結婚相手はピアニストで、それもフランス音楽を弾く女性でなければならないと決めこんでいた。お宅にお邪魔したところ、庭の一角に小さな建物があって、それがコンサートホールなのだと説明された。ピアノはおいてなく、未来の花嫁がもってくるはずだった。


 底のぬけた古いソファに二人ですわり、ラヴェルの「クープランの墓」のレコードをいっしょに聴き、そろそろお暇しようとしたら、もうひとつ聴いてって、とプレーヤーに古いレコードをおかれた。「旅の衣は篠懸の」で始まる「勧進帳」の長唄だった。秋口の夜に、月が出ていた。まもなく健康をそこなわれ、失火で炎にまかれて亡くなられた。それ以来ラヴェルを聴くと「勧進帳」が聞こえ、「勧進帳」の響く場面ではラヴェルが鳴るようになった。


 パリではヴァンセンヌの森の中にある大学に通い、とりわけある哲学者の講義に興味をひかれた。煙草の煙のたちこめる粗末な教室に、ぎっしり聴衆が並び、その奥に聴衆にまぎれてすわり、しわがれ声で奇妙な単語を次々くりだす先生がいた。名前をジル・ドゥルーズといった。まだフランスに着いたばかりで、何をいっているかよくわからなかったが、その口調とまなざしに、たちまち強烈な印象を受けた。はりめぐらせた巣のうえで、糸をつたわってくる振動をとらえながら考える哲学的な蜘蛛のイメージだった。僕もその巣にかかってしまったというか、とにかく聴衆のあいだを不思議な振動がかけめぐっていた。


 これで哲学という学問のイメージがすっかり変わってしまった。哲学の仕事とは、厳密な概念をみがきあげ、体系を築き上げることよりも、世界のカオスに直面しながら、様々な波動のあいだに概念を結晶させることであった。やがて論文執筆の指導を受けることになり、ついでこの人の著書を翻訳することにもなった。巨大なマグマのような思想を前にして、おずおずと意見を述べることがあったが、いつも励ましがやってきた。いや、それが励ましであったことは今頃感じるようになっている。当時は次々おしよせてくる難題の間で、ただもがき続けている感触しかなかった。


 自殺したドゥルーズについては、たくさん愚かなことが言われた。しかし「哲学者は、死者たちのもとから帰ってきて、またそこにもどっていく」。映画についての本のなかでドゥルーズは、ふとこんなことを漏らしていたのだ。それなら、この哲学者が生者のもとにあった、ほんの短い間に出会いはあったことになる。


 しかし出会いとは、そのときだけのものではなく、生きているときには達成されないのではないか。現に、死者たちの間にもどった人と、何べんでも出会っている。出会いの不思議に出会う。それは時間の不思議でもある。いま同時に、何人ものやさしい「鬼」たちの顔が浮かんでくる。

 声に出された言葉と心の中の言葉と地の文によって語られた言葉、すべての言葉に真偽の差や序列はない。すべての言葉はそれゆえに信用に値しないのではなく、そのつど本当のこととして語られている。

 俗っぽくわかりやすく言えば、Kは過去を持たない。Kの過去はカフカが書く言葉によって少しずつ増えてゆく。j考古学で、都市なり人物なりが新資料の発見や発掘によって少しずつ解明されてゆくのと似たようなことがKについても起こっている。しかしそれは言葉、ひたすら言葉を重ねることによってのみ、人物や空間を造形していく小説において、本質的なことであり、ものすごくあたり前のことだと言えるのではないか。

(274ページ)


 こういうときに「作者」という、作品を書く存在(機能)を考えた方がずいぶん説明しやすいのだが、作者は作品が進行していったらいずれこういう形でシュワルツァーを再登場させようという計算があって、冒頭の宿屋の場面でシュワルツァーを出したわけではない。「いままで何を書いてきたのかな?」と作品のすでに書かれた部分を反芻することで、「あ、そうだ。シュワルツァーがいた。」と思って、第十四章でシュワルツァーを登場させたのだ。

 第一章で登場させた人物について、作者の中にまったく何も意図がなかったなんてそんな過激なことは考えにくいけれど、そうは言ってもそれぞれの人物について考えがたっぷりあったわけでもない。引用した(C)と【q】のような見事な対応を発見すると読者は、作者の「構想」のようなものに驚くことになるわけだけれど、構想なしに、すでに書いた部分を反芻する方が対応は見事なものになる。

(276ページ)




小説家は、ひとびとや、かれらの営みから身をひきはなしてしまっている。孤独のなかにある個人こそ、小説の生れる産屋なのだ。かれは、自己の最大の関心事についてさえも、範例となりうるような発言をおこなうこともはや不可能であり、他人の助言を受け入れることも、また、他人に助言を与えることもできない。小説を書くとは、人間生活の描写のなかで、公約数になりえぬものを極限までおしすすめることにほかならない。

(166-167ページ)

私などは妙な嗜好があるのだろうか、花であれ観葉植物であれ、もらったり買ったりした初めのうちこそ、ああきれいだ、と感心したりするものの、それがだんだんと枯れてゆく様子を眺めるのが好きなほうだ。だから水も遣らず、ただ毎日毎日、植物が弱っていく様子をじっと見ている。

(82-83ページ)


 この職場に通い始めて十一ヶ月になる。そして、十一ヶ月間、この鮭おにぎりとたらこおにぎりを私は食べ続けている。初出勤の日、出社の途中で、目指す会社の途中にあった「弁天堂」でたまたま昼食用に買って以来、他に浮気をすることもなく食べている。そこまで根性を入れて食べ続けるほど鮭とたらこを偏愛しているわけでもないのだが、他のものを考えることが面倒なので食べ続けている。

(103ページ)


たまに読む雑誌はコンビニで買えるので、日ごろは本屋になど滅多に入らないのだが、時間潰しに棚をしげしげと眺めているうちに、なにか小説を読もうと思い立ったのだ。思い立ったはいいが、何を読んだらいいのかさっぱり見当がつかず、棚の端から端まで眺め渡して私が手に取ったのは、小説ではなく、なぜか『ギリシャ神話』だった。レジで勘定を済ませ本屋を出た私は、本を買ったくらいのことで、なんだか新鮮な気持ちになっていた。

(150ページ)


あたしは肌がつるつるさらさらして絹みたいだから絹江になったの、絹代ちゃんとこみたいに蚕を飼ってるからつけられた名前じゃないよ、と一文字だけ名前を共有していたともだちが突っかかるように言った台詞が、絹代さんの頭にまだこびりついている。

(「送り火」105ページ)


 文学は善行を奨めるものである。

 笑う人もいるかもしれないが、私は、それが、文学の重要な役割の一つだと思っている。

(320ページ)


 その看護婦が優しくて聡明で想像力の豊かな女だったとは思えない。どこかで、身勝手な女だったように思う。少なくとも、その晩は、自分の不幸で頭がいっぱいで、身勝手になっていたのにちがいない。首を固定されてそこに寝転がっている男、これから一生歩くこともできない男、どう考えても自分よりは不幸な男に向かって、自分の不幸をせつせつと訴え続けたのであるから。

(322ページ)