『にゃんころがり新聞』

『にゃんころがり新聞』

にゃんころがり新聞は、新サイト「にゃんころがりmagazine」に移行しました。https://nyankorogari.net/
このブログ「にゃんころがり新聞」については整理が完了次第、削除予定です。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。

にゃんころがり新聞は、新サイト「にゃんころがりmagazine」に移行しました。https://nyankorogari.net/
このブログ「にゃんころがり新聞」については整理が完了次第、削除予定です。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
















Amebaでブログを始めよう!

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー59ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

  時間は三時過ぎの筈でした。ラチの街まであとひとふんばりというところで、ミミ、リュシエルはひと休みしていました。
 東の空に黒い雲が広がっていました。雷を帯びた光の明滅が見え隠れしています。
「雲行きが怪しくなってきたな。急いだ方がいいかもしれないな」
 リュシエルが云いました。

 

 メメはミミたちから五十メートルほど離れたところで、きれいな色の蝶々を追いかけて遊んでいました。石に背中を凭せかけていたジョーニーがこっそり云いました。「メメ、今がチャンスだぜ。蝶々を追いかけるふりをして、このまま遠くまで逃げちゃおうぜ。ふたりで幸せな家庭を築こうよ」
 メメはぴたりと動きを止め、うんざりしたようにジョーニーを見やりました。「なんだか、ちょっとしつこすぎるわ。もうそれ次云ったら、あなたを連れて歩くのやめるからね」
 ぴしゃりと云うと、メメはジョーニーをそのままにして、ひとりで蝶々を追いかけて離れて行きます。
「おい、待ってよ。何処行くんだよう! 逃げるんなら、おいらも一緒に連れてってくれよう」
 メメは振り返る素振りも見せず、捲れ上がったレースのついたスカートの中のパンツを丸見えにしながら遠ざかって行きます。
 その時、喇叭と太鼓の奇妙な乱打の音が聞こえてきました。蝶々に夢中だったメメもギクリとして立ち止まり、音のする方を振り返りました。
「なんだろう? この不愉快な音は?」とジョーニーは訝しげに呟きました。

 

「これはこれは殿下。こんなところでお会い出来るとは望外の歓びですぞ。歓び過ぎて、鼻血が出そうなくらいだ」と代理官殿は馬に跨ったまま云いました。リュシエルは不審そうに楕円の体型の男を眺めました。その男は胸に見覚えのある王家の紋章や勲章などをジャラジャラつけています。
「誰だ?」リュシエルが訊ねますと、楕円の男は胸を反らし、「北方総督府総督代理官の職に就いておる者です。以後お見知りおきを。私のことは、代理官殿とお呼び下さい」
「代理官? 以前に代理官をしていた者とは違うようだが」とリュシエルが云うと、「あまりに無能だったから、わしがその者の代わりに代理官になったのです。殿下が行方不明になっている間に。いけなかったですかね?」
 と代理官殿は云って、プヒヒと笑いました。
 リュシエルは、ミミが自分の手を探し求めていることに気付いて、ミミと手を繋ぎました。ミミがリュシエルの手を強く握り返してきました。
「ところで、その代理官殿が、ぼくに何か用でも?」
 リュシエルがそう訊ねると、代理官殿は、ジョーの方を顎でしゃくり、「このジョーという男が、殿下に似た人間を目撃したというので、急ぎ馳せ参じたのです。ですから、もうご安心下さい。我々が、殿下をお守りして総督府までお連れしますから」
 リュシエルはジョーと呼ばれた男のことを忘れていましたが、しばらくして思い出しました。「彼は、むかし都で兵隊をしていたという……」
「ジョーですだ。やっぱり、あなたは王子様だった」ジョーが嬉しそうな声をあげました。「そこの女の方は、オラの怪我を治してくださった。あなたがたは、オラの命の恩人ですだ」
 その声を聴くと、ミミも思い出したらしく、微笑みを口元に浮かべました。
「わしが今喋っておるのだから、お前は黙っていなさい」代理官殿は不機嫌そうに低い声でジョーに云いました。「さあ殿下、総督府に参りましょうか」
 雨がぽつりぽつりと降ってきました。
「何故総督府に行かなければならないんだ?」
 頭に血が巡るのはかなり時間がかかると云わんばかりに代理官殿はしばしの沈黙の後、口を開きました。
「それは殿下が弱っているからです。弱っている者は、我々の手で保護しなければなりません。そのあと被保護者が回復せずに、死んでしまったとしても、それは我々の責任ではありません」
「?」
「とにかく、総督府までお越しください」
「ぼくたちは子供じゃない。保護なんて、必要ない。ぼくたちはこれから都に向かうのだ。この子の目の治療をするためにね。君の手助けは必要ない。悪いが、総督府には行けないよ」
 代理官殿はリュシエルの言葉を聞くと、がらりと声音を変えて、脅すように云いました。
「殿下。あなたは、昔は殿下であったかもしれんが、今はただの落ち目の逃亡者に過ぎません。そのような抗弁が出来るご身分でもありません。それとも、何か来られない理由でもおありなのかな?」
 何がおかしいのか、ヒヒヒと黒の参謀が声に出して笑いました。
 リュシエルは、代理官殿の異様な風体、無礼な言動に危険なものを感じ、ミミを立ち上がらせ、「ぼくが何処に行こうと、ぼくの勝手だ。かまわないでもらいたい」と云って、立ち去ろうとしましたけれど、「時に」という代理官殿の声が後ろから聞こえて来ました。
「カルマ村で、男をひとり、刺し殺されましたな、殿下?」
 リュシエルは立ち止まり、代理官殿を振り返りました。太りすぎて首が消滅した代理官殿はその軀体を大きくさせたり小さくさせたりしながら、「フーフーフー」とリュシエルまで聞こえてくるほど荒い息をしています。
「何故、お殺しなされたのです? 罪もない人間を」
 リュシエルは動揺して云いました。「し、死んだって? 殺すつもりは、なかったんだ」
「村人たちの証言によると、殿下、あなたたちは、金も持っていなかったのに、彼らの家に宿泊し、飲み食いをされた。その後、男に金を持っていないことを追及されると、あなたは激高し、男を刺し殺して、村から逃げたのだ」
「それは違う! ミミがあの男に襲われたから、守ろうとして、止むを得ずに起こった事故なのだ。嘘ではない」
「目撃者もおりますぞ。殿下、そのような言い逃れは通用しますかな? 御存知のように、人殺しの罪は、とても重いのです。どう責任を取るつもりですかな?」
「……」
「まさか、王子だから、見逃してくれと仰るのではありますまいな?」
 リュシエルが項垂れていると、代理官殿は左右の参謀に命じました。「この男を処刑せい。この者はもはや王子などではない。ただの凶悪な人殺しだ」
 白の参謀が愕いて声を上げました。「お待ちください、代理官殿。聞き込みをした内容と、殿下の言い分が食い違っております。もうすこし、調査をした方がよろしいと思われます。それに、百歩譲って、殿下が完全に悪かったとしましても、我々ごときが殿下を処刑するなどとは……逆立ちしたって出来ることでは御座いますまい」
 白の参謀の意見は、代理官殿の怒りのツボを刺激したらしく、代理官殿は激昂しはじめました。代理官殿の顔は熾った炭のように真っ赤になり、フンフーンと鼻からは白い蒸気が吹き出されています。
「貴様が意見を云う必要はない」
 代理官殿の卵型の体型は、ボールよりも真ん丸く、ますます完璧な円形に近付いて膨れ上がっています。
「悪い王子を処刑することに、何のためらいが要るのだ!」
 尋常でない代理官殿の様子を見た黒の参謀が、くねくねと身体を捩らせながら、頭の栓が飛んでいったみたいな高い声で取りなしました。
「大丈夫です、代理官殿。我々が王子を私刑に致しましても、庶民どもは拍手喝采して代理官殿の行いを褒めそやすことでしょう。他の誰にも出来ぬ行いを、代理官殿が遂行するのです。まさに英雄であります。史上まれに見る、英雄的行為です!」
 その言葉を聴いて、代理官殿は気持ちを落ち着かせたらしく、鼻から出ていた白い煙の量が半分に減り、やがて円形の身体が楕円形に戻りました。
 代理官殿が膨らんだりしているのを見て、リュシエルはミミの手を引いて駈け出しました。代理官殿は黒の参謀の長い銃を「かせ」と云ってひったくり、狙いを定めて引き金を引きました。ズガンッと鼓膜が破れるかと思うほどの衝撃音が響き、銃から灰色の煙が棚引きました。リュシエルはばたんと地面に倒れました。ミミも「キャアッ」と悲鳴をあげて転びました。
「ううう……」
「大丈夫? 何処にいるの?」ミミが訊ねると、
「……脚を撃たれた」リュシエルの答えが近くで聞こえました。
「お見事」と黒の参謀が拍手して、代理官殿の腕を称えました。
 代理官殿はまんざらでもなさそうな表情で、云いました。
「殿下。不公平だと思いませんか? わしは、どんなに頑張っても、一生将軍にすらなれない。それなのに、あなたは生まれ落ちた時から王子で、死ぬ時には王様だ。今の地位を得るために、わしが、どれだけ危ない橋を渡ってきたか分かっているのか。それに比べて、お前は、何もしないで、贅沢し放題。何も知らない無邪気さで、美女とやり放題。こんな不公平が許されますか?」
 ズガンッ。代理官殿が脇に抱えた銃が咆哮し、起き上がっていたリュシエルが草の間に仰向けに倒れました。リュシエルの脚に回復の魔法をかけようとしていたミミが悲鳴をあげました。
「お見事!」黒の参謀がまばらな拍手をしました。「今度は左腕に命中致しました!」
「この日を長年夢見ていたのだ。お命頂戴致します。腑抜けの総督を脅し、北方総督府が独立王国を宣言する運びになるだろう。それがうまくいけば、わしが総督の座を奪う」
「そして庶民には塗炭の苦しみが!」白の参謀が表情のない声で云いました。
 ズガンッ。銃が三度めの咆哮をしました。リュシエルはもう起き上がってきませんでした。ミミはそばで蹲り、泣いています。
「お前が死ねば、王の子孫はいなくなる。うるさいソフィーも力をなくすだろう。それからじっくり、王宮を潰してやる。王宮は、蛆虫の湧いた死体同然だ。ちょいとひねってやれば、首はもげて取れるだろう。そしてわしがこの国を支配する王となる」
「代理官殿バンザーイ!」黒の参謀が叫びました。「……それとも、王様とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
「いや、まだ代理官殿でいい」
 そう云うと、代理官殿は片目を細めて銃の引き金を二、三度立て続けに引きましたが、銃はカチッ、カチッと音を立てるばかりで弾を発射しませんでした。
「肝心なところで……」
 そう云うと、代理官殿は銃を地面に投げ捨てました。
「ああ、リュシエルが死んじゃう!」
 メメが走ってミミの背中に抱きつきました。
「とどめを刺すのだ」と代理官殿は指示をしました。「女子供も、忘れるな。此処にいる者は、すべて始末するのだ」
 黒の参謀が軍刀をギラリと抜いてメメの方へ歩いて行きました。
 次第に雨脚が強くなり、すべてを洗い流すような雨に変わっています。
 それまで動こうにも動けずに事の成り行きを見守っていたジョーでしたが、ここへ来て、
「お待ちくだせえ、お役人様」と黒の参謀の軀を後ろから羽交い締めにして止めました。「オラがお知らせに行ったのが、悪かっただか? どうかお考え直し下せえ」
「離せ、離すのだっ」黒の参謀とジョーはしばらく揉み合いになっていましたが、黒の参謀がジョーを振りほどき、軍刀を振り下ろしました。
「ギャッ」
 肉を切る鈍い音がして、ジョーが草の間に倒れました。体の中心にあったと思われる、鮮やかな色をした血が流れ出て、急速にジョーの回りに滲み出しています。
「独立王国を宣言するなどと……代理官殿、何を血迷われたのです?そんな夢は悪夢の中だけで充分で御座います。どうかご正気にお戻りください」
 白の参謀が諫めると、代理官殿は眉を八の字にして、眉間に深い皺を寄せました。代理官殿は普段から濁っている目をさらに血走らせ、沸騰したケトルのように顔を真っ赤にして怒っています。
「貴様は、いったい何度云わせれば分かるのだ!」
 代理官殿の卵型の体型は、今や満月よりも真ん丸く、これ以上ないほどの円形に膨れ上がっています。
「目の前に転がり込んで来た、千年にいちどのチャンスなのに!」
 奇妙奇天烈な代理官殿のお怒りの様子を目の当たりにした黒の参謀はぴたりと立ち止まり、その特徴のない顔を破顔させました。そうして軍刀を片手に持ちながら身体を左右にくねくねさせはじめ、普通の人より二オクターブは高い声で代理官殿を宥めました。
「大丈夫です、代理官殿。反乱計画は、うまくいきますよ。死んだ王とこの王子のことを良く思っている人間はひとりもおりません。麻薬のような快楽と、骨まで打ち砕く圧政に、民衆は涙を流して喜ぶことでしょう。ウヒヒヒヒ」
 その言葉を耳にすると、代理官殿はやっと普通の思考回路に戻ったらしく、眉は八の字から一の形に戻り、円形に膨れ上がっていた体型も、次第に本来の楕円形に収縮していきました。
 ミミとメメは抱き合って震えています。
 黒の参謀が軍刀を片手に「もっと偉くなりたい! もっと偉くなりたい!」と歌いながらふたりのいる方へ一歩ずつ近付いて行きます。メメが云いました。
「そうだ! オカシラたちを呼ぼうよ。きっとすぐ助けに来てくれるわ」ミミも、良いことを思いついたというふうに頷きました。「オカシラ! ミコさん!」メメが叫ぶと、ミミも一緒に名前を呼びました。「ばか力! スナイパー!」「オカシラ! ミコさん!」「助けて!」
 山あいの山荘まで届けとばかりに、ふたりはありったけの声を振り絞りました。山びこが帰って来るような気がしました。
「誰の助けを呼んでおるのだ?」代理官殿は訝し気に呟きました。
「こんな処に、いったい誰が助けに来ると云うのだ?」
 黒の参謀は、辺りをきょろきょろ見回しました。
 やがて、メメとミミの助けを呼ぶ声も、小さくなっていって、最後には泣き声に変わっていました。ふたりは抱き合って、雨と涙に濡れていました。
「早く殺ってしまえ」
「それにしても、何とも惨いことですな。こんな女子供まで手にかけるのは。黙って孤島に追放に致しましても、害はありますまい」
 白の参謀の献言を耳に入れると、代理官殿は顔を真っ赤にさせて内心の怒りを表現していました。鼻から滴り落ちる雨を、代理官殿の激しい鼻息が、小便の飛ばし合いっこよろしくフンフーンと三メートルほどは吹き飛ばし、卵型の体型は、太陽よりも真ん丸く、ますます完璧な円に近付いて膨れ上がっています。
「貴様、何を手緩いことをぬかしておるのだ!」
 普通でない代理官殿の激高する様子を見て、黒の参謀が身体をくねくねさせながら、お尻の栓を盗られてしまったために力が全く入らないとでもいうふうな、ふやけた声で云いました。
「お言葉、ご尤もで御座います。女子供と云えど、いっさい容赦してはならぬと存じます。覇道の達成のためには、僅かばかりの犠牲など、当然許されてしかるべきです」
 その言葉を聴いて、代理官殿は気持ちの昂ぶりを静めることが出来たらしく、雨水を鼻息で吹き飛ばすことを止め、完璧な円形に近付いていた体型も、元の楕円形に縮みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

にゃんころがりmagazineTOPへ

 

 

 

にゃんころがり新聞TOPへ

 
 
 
 

 

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー58ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

  代理官殿は今、山あいの土地で、その卵型の体型を馬の上で揺らしていました。
 代理官殿は此処まで来る途中、馬の上でほとんど眠っていました。ジョーがよくも馬上から転げ落ちないものだと関心するほどでした。
 ジョーが、「ブヒ―!」という豚の鳴き声を聞いたので、吃驚して、おかしいな、こんな処に豚はいないはずなのになと周囲を見回したところ、「ブヒ―」と鳴いているのは他でもない代理官殿自身なのでした。
 代理官殿は眠りながら、頻繁に「ブヒー」と豚のような鼾をかいていて、ますます高まっていくその自分の鼾に愕いて、今の今、目を醒ましたばかりなのです。
 代理官殿は目を醒ますと、参謀の手を借りて時間をかけながら馬から降りると、草叢に入って行きました。
  白の参謀が後ろに付き従っていたので、またトイレかと思い、ジョーはそちらの方に目を向けないように気をつけました。代理官殿は太りすぎているために、自分のお尻に手が届かず、用を足した後はいつも白の参謀にお尻を拭いてもらっているのでした。ジョーは偶然その様子を目撃してしまい、代理官殿の濁った目に睨まれて以降は、彼が用を足す時には近付かないように用心しているのでした。
 用を済ませた代理官殿は参謀ふたりにお尻を押されて馬上の人に戻ると、一行の行軍は再会されました。
 突然、白の参謀が背中にしょったカバンの中から進軍喇叭(ラツパ)を取り出し、パラッパッパーと派手に吹き鳴らしはじめました。喇叭の音を合図に、黒の参謀もお腹の前にブリキの太鼓をセットし、テッテケテー  テッテケテーと叩き出していかにも元気良く行進しています。伸ばした脚を、大きく踏み出し、
 テッテケテー  テッテケテー
 まるでおもちゃの兵隊さんのように、リズミカルな歌を口ずさんでいます。

 


 罪もない老若男女が
 今日もまた無駄に殺されていく
 代理官殿がダイエットすれば
 いったい何人の人を救えるというのか
 テッテケテー  テッテケテー♩
 可哀想などと思ってはいけない
 疑問に思ってもいけない
 ただこの命令が
 正しく実行されることこそ我らの望み
 我らの歓び
 テッテケテッテケテッテケテ♩

 


 我ら 未来の代理官
 輝くばかりの栄光と
 大きな出世が約束されている
 我ら 未来の代理官

 


 黒の参謀が片手に持った長い銃を、気のおもむくままに発射しました。ズガンッという音がして、ジョーは銃弾が耳元を通過したように感じ、飛び上がって愕きました。
「もっと偉くなりたい! もっと偉くなりたい!」と興に乗った代理官殿が吠えました。そうして歌の一番が終わると、気が済んだというふうに代理官殿はまた居眠りをはじめ、一行の捜索は続けられるのでした。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

にゃんころがりmagazineTOPへ

 

 

 

にゃんころがり新聞TOPへ

 
 
 
 

 

 

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー57ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 その頃、ジョーは、北方総督府から総督代理官殿とその参謀ふたりを連れて、リュシエルの行方を捜していました。
 ジョーはミミに病気を治してもらってから、故郷へ帰るところだったのにわざわざ東方の北方総督府へ引き返して、リュシエル王子らしき人物を目撃したことを総督府に報告したのでした。
 ジョーは総督府で長い時間待たされて、もうあきらめて帰ろうと思った頃、士官服に肩章や徽章、胸に勲章などをジャラジャラつけた、総督府のナンバー2である代理官殿が、フーフー荒い息を吐きながら現れました。そしてジョーは密室に移動させられリュシエルたちと出会った時の状況を詳しく聴取されたのでした。
「おまえ、何故すぐ云いに来なかったのだ?」と代理官殿は権柄ずくに云いました。ジョーは吃驚して、「すぐに云いに来ました」と答えました。
「すぐに云いに来ただと?」代理官殿の鼻息は荒く、目は濁っています。「かなり時間が経っておるではないか!」
 此処で随分待たされたからですよとジョーは云い返したかったのですが黙っていました。
「どうせ見間違いだろ?」と代理官殿の横柄な態度はますますエスカレートしていくのでした。
 ジョーは自分がむかし都で兵隊をしていた頃に王子を見かけたことがあり、目撃した男がその王子にそっくりだったことを告げました。
「兵隊ねえ……どうせ間近で見たわけじゃねえんだろ?」
 ジョーは黙っていました。確実なことは何も云えなかったからです。
 その後ジョーはひとりきりにされ、さらに気が遠くなるくらい長い時間待たされました。
 何となく、自分が場違いな処に来てしまったという気持ちを拭い去ることが出来ませんでした。ほんの善意から此処までやって来たのでしたが、自分が報告した目撃情報は出来ればなかったことにしてもらいたいと思ったほどでした。
 そして自分の存在が忘れ去られてしまったのではないかと思いはじめた頃、ジョーは代理官殿から王子捜索の道先案内人をつとめるよう申し渡されたのでした。
「わしらが王子の捜索に出掛けることは、誰にも口外するなよ。この行動はすべて隠密なんだからな」代理官殿は出発の前にそうジョーに云い含めました。

 

 

 そうして代理官殿は今、ジョーの後ろで馬に乗り、その左右に参謀ふたりが随身する形で、既に山賊のアジトがあるという噂の山あいまで捜索の足を伸ばしていたのです。
  ふたりの参謀は顔がそっくりで、まるで双子のようでした。ふたりは着ている士官服までそっくり同じでしたので、もし三日月の形をした軍帽の色まで同じだったとしたら、ジョーにはどっちがどっちなのだか見分けがつかないところでした。白い軍帽を被っている方が〈白の参謀〉で、黒い軍帽を被っているのが〈黒の参謀〉と呼ばれていました。ふたりはそっくりの顔をしていましたけれど、別れて五秒後には誰しも忘れてしまうほどの特徴のない顔をしています。
 此処まで来る途中、村人や旅人に聞き込みを行い――その役目は何故かほとんどジョーがやることになりましたが――ゴルドー村では村人の中に、若い男と盲の女、それに五歳くらいの子供が南へ向かうのを見たと証言するものがありました。
 またその情報を元に南進し、カルマ村に到着したところ、カルマ村では或る老婆がそういう風体の者たちを自分の家に泊めたことを明らかにしました。
 カルマ村の老婆の証言によると、元王子と思われる者を含む三名は、ただで飲み食いをしたあげく、夜中のうちに宿代を支払いもせず、老婆のひとり息子にそのことを追及されると激高し、ひとり息子を刺し殺して夜陰に紛れて逃走したということでした。その犯行の一部始終を目撃していた男もいました。ジョーはその話を聞いて、我が耳を疑いました。ジョーには彼らがそのような酷いことをする人間には思えなかったからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

にゃんころがりmagazineTOPへ

 

 

 

にゃんころがり新聞TOPへ

 
 
 
 

 

 

 

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー56ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 

 

ⅩⅡ 代理官殿とふたりの参謀

 

 

「何とも、急なことですな」とスナイパーが残念そうに云いました。
「どうしても行くのかい?」事情を聞いて、ミコも、別れを惜しんで云いました。
「オレたちの仲間にならないかい?」
 オカシラも云いました。
 リュシエルは、これまでのこと、自分が元王子であり、追われる身であったことなどを山賊たちに話して聞かせました。
 リュシエルとミミは、山賊たちに感謝のお礼を云ってから、それでもやはり、自分たちは都に行きます、と答えました。
「残念だな。王子だったなんてな。無事、王宮に辿り着くといいな」
 とばか力も云いました。
「王様になったら、貧しい人たちのことや、わしたち日陰者たちのことも、すこしは考えてくれますな?」
 とスナイパーも、云いました。
「勿論ですとも」リュシエルは、彼らのひとりひとりと固く握手し合って、約束は守ります、と誓いました。世の中の悪のように云われている山賊の中にもいい人達がいること、民衆を守るべき官憲の中に民衆を苛んでいる者がいることを元王子は放浪の旅で知ったのです。
「達者でな」
 ミミとリュシエル、メメは、山賊のひとりひとりとお別れをしました。
 メメはピエロの人形を抱えて、後ろ向きに歩きながらオカシラたちに手を振っていました。
 オカシラに新しい地図をもらいましたし、都への行き方も教わりました。
 オカシラの説明によると、方角的にはこのまま北東へ進めばラチの街へ着くということでした。
 リュシエルは剣をズタ袋の中に隠すことはもう止めて、堂々と腰に王家の剣を提げて歩いていました。何しろ、自分は王子なのです。もう、こせこせ隠れる必要はないのです。
 山から下りて、山荘のあったと思われるあたりをリュシエルは見上げましたけれど、そこには山の木々と雲が棚引いているばかりで、彼らの姿も山荘も掻き消えてしまったように何も見えませんでした。事情を知らない人に、「あなたがたが見たものは幻だった」と云われても、納得してしまいそうなほどでした。
 リュシエルもミミも、山賊たちとの別れは後ろ髪を引かれる思いでしたけれど、今は都へ向かうことに胸高鳴っていました。
 道々、色とりどりの鳥たちが、何やらピーチクパーチクにぎやかに囀っています。ミミは時々躓いたりしながらも、そのたびリュシエルの腕に助けられながら歩きました。
「ぼくのお祖母さんに当たる人が、花が好きな人でね」とリュシエルが歩きながらミミに話しかけました。「王宮の庭に変わった花や美しい花を世界中から集めて来て、何年もかかって大切に育てたり、手入れしたんだ。そのお祖母さんは今はもう生きてはいないけれど、お祖母さんが作った庭の花々は、毎年春になると、きれいな花を咲かせるんだ。何百という花だよ。そこでぼくたちは春になると、みんなでお花見をするんだ。従兄弟や友人は勿論、外国のお客も毎年招待していたよ。君の目が治ったら、是非見せてあげたいな。たぶん吃驚すると思う。凄くきれいだから」
「見てみたいわ」
「それから、毎年、夏になったら、南の海の別荘に行くんだよ。泳いでもいいし、魚釣りをしてもいいし、ただひなたぼっこをするだけでもいい。でも、いちばん気持ちがいいのは、海で泳ぐことだとぼくは思うよ。そばで珍しい魚も泳いでいるしね。ああ、しばらく行ってないな、海。ミミと一緒に行くと、楽しいだろうな」
「私、海って見たことないわ」
「そっか。じゃあ、是非、行かないとね」
「でも、私の目、治るかしら?」
「きっと治るよ。治らないなんてことないよ」
「だといいけど……」
 暑くもなく、気持ちが良いくらいの秋晴れでしたけれど、ミミの額からはうっすら汗が滲み出してきていました。目が見えないで歩くということは、普通の人が歩くより相当疲れるものなのだろうなとリュシエルは思いました。リュシエルはミミの歩調に合わせて、ゆっくり歩きました。
 さんにんは途中、四十代の男の旅人とひとりすれ違っただけで、誰とも会いませんでした。
 ふとリュシエルが見上げると、木の枝に止まった黒いカラスが首を傾げながらリュシエル達の方を見ていました。リュシエルは歩きながら、蹲踞んで石ころを拾うとカラスめがけて投げました。カラスが近くの梢に飛び立ち、石はカラスをかすめました。カラスは一層首を傾げながらも、リュシエル達と付かず離れずの距離を保ちつつ、ついて来ていました。「なんだか嫌な予感がするな」
「どうしたの?」
「あのカラスがずっとついて来ているんだ。石を投げても逃げないし」
「気味が悪いわ」
「誰かに追跡されている気分だな」
「私、歩くの遅いかしら?  もっと急いだ方がいいわね」
「慌てると転んだりして危ないから、ゆっくりでいいよ。大丈夫。今のところ、誰も追って来ていないから。あ、そうだ」リュシエルは、首に手を回して、ペンダントをはずし、ミミに立ち止まってもらってから、それをミミの首にかけてあげました。「剣とこのペンダントは、世界でただひとつしか存在しない物なんだ。だから、このペンダントの方を君にあげるよ。考えたくないけど、これから先、万一ぼくと離れ離れになったとしても、そのペンダントを見せて事情を説明すれば、王宮の門をくぐることが出来るはずだよ」
 ミミはペンダントの透明の原石にそっと手を触れてみました。たった今まで付けていたリュシエルの肌の温もりが伝わって来ました。石の表面には、龍の紋章とアルファベットの文字が刻み込まれているのが手で触っても分かりました。「そんな大切な物を私がつけていていいの?」
「いつか、何かの役に立つかもしれないからね」
「ありがとう」
 メメは元気いっぱいで先頭を歩いていました。メメがふと気付いて振り返った時には、ミミとリュシエルが後ろの方で小さく見えたほどでした。「離れすぎたわ。もう少しゆっくり行かないと」
「此処でやつらと別れて、おいらとふたりで逃げようぜ」腕に抱かれているジョーニーはメメに囁きました。
「あんた、こないだからそればっかりじゃないのよ。わたしがミミを置いて行けるわけないじゃない」
「早く逃げないと、そろそろヤバい気がするんだよ」
「ヤバいって何がよ?」
「この前も云ったと思うんだけど、おれっちの帰りが遅いと、リーベリ様がじきじきに探しに来るかもしれないんだ」
「リーベリって、ミミのお姉さんの?」
「そうだ。とても怖い魔女だ。捕まったら丸焼きにされちゃうんだぜ」
「なんの用があって、リーベリがわざわざこっちまでやって来るって云うのさ? ミミちゃんの目を失明させたあげく、まだこれ以上、何を嫌がらせしたいって云うのさ?」
「話せば長くなるんだが……」
「手短に話してよ」
「リーベリ様はリュシエルを自分の住まいの洞窟まで連れて行こうとしているのさ。そして、そこでリーベリ様とリュシエルは死ぬまでふたりで暮らすのさ」
「リュシエルにはミミちゃんがいるじゃない」
「だから、今度は力ずくでもリュシエルを奪って行くだろうさ。あの人からそんなに遠くまで逃げられるわけないのさ」
「どうして奪って行こうとするの?」
「……愛だよ、愛。君にはまだ分からないかもしれないなあ。狂おしいほどの愛情と、その人のためには前後の見境がなくなるほどの排他性。たとえ世界が滅亡したとしても、ふたりの愛さえあれば、そこに自分たちだけの新しい世界を作り出すことが出来るのさ。この排除と独占の気持ちは、愛をした者にしか分からない。だけど、君にもそのうち分かる時が来るさ。世界に存在するたくさんの、悲しい話も戦争も、すべては愛から生まれたことなのさ」
「よく分からないけれど、とにかくリーベリがやって来るかもしれないから、急いだ方がいいってことね?」
「要は、そういうことになるね」
 メメは後戻りしてリュシエルとミミに合流しました。「すこし急いだ方がいいかもしれないわ」
「どうしたんだい?  急に?」とリュシエルは云いました。
「なんだか胸騒ぎがするのよ」
  リュシエルはメメの金色の髪を撫でてやりました。
「そうだね。だから、メメも道草食ったりしないで、しっかりぼくたちについて来るんだよ」
「わかったわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

にゃんころがりmagazineTOPへ

 

 

 

にゃんころがり新聞TOPへ

 
 
 
 

 

 

 

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー55ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 

 

ⅩⅠ 訪れた朗報

 

 

 

 

 その日の夕方、オカシラ達が荷車を引いて山荘に帰って来ました。
 荷車の中はからっぽになっていました。
 山荘の台所では、昨日と同じくコユビさんがオカシラ達のためにご馳走を準備して待っていました。
 メメは、みんなでオカシラ達のお出迎えをした後、荷車の中に一枚のビラが入っているのに気づきました。書かれてある文字はメメには読むことは出来ませんでしたけれど、そこに描かれてある似顔絵を見て、メメが云いました。「これ、リュシエルに似てる!」
 リュシエルが気づいて何気なくそのビラを覗き込んでみますと、そこにはこんなことが書かれていました。
「このたび逆臣ネリとディワイは排除され、王宮内の騒動は無事鎮圧された。
 ソフィー王妃様にあっては、リュシエル王子の安否をいたく心配されている。王子の安否について知っている者あれば、どんな情報でも王宮府、または総督府などの最寄りの出先機関に寄せられたい。それが王子の発見保護につながった場合は、下記の賞金が進呈されるだろう……」
 リュシエルはビラを見て、心が震えました。王宮が作成したものらしいそのビラの、賞金の額が記載された下の方に、王子である自分の似顔絵が描かれていました。
 都へ帰れる! 王宮に戻れるんだ!
 リュシエルは自分の元に強い味方が帰って来たように感じました。これでミミの目の治療も出来る……。
 しかし、王宮へ戻るということは、近い将来、自分が王に即位するということを意味していました。果たして自分にその重責が務まるのか? 都の裏路地には、その日の食べ物にも事欠く腹を空かせた人々の群れがある。時に彼らは怒れる民衆と化し、王と王子を襲撃しさえもする……。離れはじめた民衆のこころを、自分などが取り戻すことが出来るのだろうか?
 リュシエルは、道中止むを得ない事情だったとは云え、ひとりの男に重傷を負わせたことを思い出していました。あのひとり息子は、無事だっただろうか? あの行いが、王子である自分の狼藉であると知れた時、あの男の母親はぼくの罪を許してくれるだろうか?
 リュシエルはしばらく沈思黙考していましたが、そのビラを静かに裏返して荷車の中に戻しました。
「その似顔絵、あんたに似てるんだよな」リュシエルはハッとして顔をあげると、山荘の中に這入って行ったと思っていたオカシラがひとり、知らない間に腕組みをして自分のことをじっと観察していた様子なのでした。「絵の方が、ちょっとぽっちゃりしてるけどな」
「このビラ、どうしたのですか?」とリュシエルがオカシラに訊ねると、
「立て札に貼ってあったのを引っぺがして来た」とオカシラは答えました。「あんた、王子様だったのかい?」
 リュシエルは、深く息を吸い込み、悲しげにそれを吐き出した後、云いました。
「人には、他人には想像も出来ない過去があります。ぼくは、ここ何年か、自分の身分を隠して行動して来ました。確かに、ぼくは元王子です。ですが、そのことは、みんなには黙っていていただきたいのです」
 オカシラは、眉をあげ、射るような目つきをしました。
「そうかい。それじゃ、そうするよ。此処では、みんな、人の過去は詮索しないことにしてるから、安心しな。あんたは、元王子だ。
でも、今はそうじゃない。それでいいんだろ?」
「かたじけない」
 リュシエルとオカシラ、メメも山荘に這入り、待っていたみんなと一緒に宴会となりました。
 昨晩と同じように、お腹がいっぱいになると、みんなそれぞれの行動を開始しました。オカシラとコユビさんは姿を消し、スナイパーはぶどう酒の香りを嗅いでいましたし、バカ力はいつまでも食べ続けていました。ミコさんはひとり寂しそうにしていましたし、山荘の玄関では、名前も知れない若い子分が見張りを続けていました。
 リュシエルはミミと山羊のいる飼育場を抜けて、庭に出て、三日月を見上げていました。
「どうかしたの?」と心配してミミが訊ねました。「元気がないようだけれど」
 ミミの顔には包帯が巻かれていました。包帯の下から、痛々しい顔の傷が見えています。元はと云えば、ミミの目が見えなくなったのも、彼女の顔に醜い傷がつけられたのも、自分のせいなのだとリュシエルは思いました。それなのにぼくは身の安全ばかりを考えて、都に帰ることを躊躇っている。
 突然、リュシエルが強く抱きすくめてきて、ミミは愕きました。しばらくリュシエルは黙っていました。彼は小刻みに震えているようですらあります。「どうしたの?」
 ややあって、リュシエルは云いました。
「帰ろう。都に。王宮に、戻れるんだ。君の目は、世界一の名医が必ず治してくれる」
 今宵は三日月がいつにも増して闇を強く照らしています。

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

にゃんころがりmagazineTOPへ

 

 

 

にゃんころがり新聞TOPへ

 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー54ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 

Ⅹ 鞭打つリーベリ

 



 一方リーベリは自ら御者台に坐り、牽き手のカエル二匹に容赦なく鞭をくれて、夜を日に継いだ強行軍で車を飛ばしていました。
 休憩はほとんどありませんでした。車を牽っ張る役目のカエル二匹は、既に体力の限界に来ており、リーベリに聞こえるか聞こえないかの小声で、ぶつぶつ不平を云い出しはじめていました。
 そんなところへ、走行中の車が急に傾いて、停止しました。何事が起こったのかと後ろを走っていたカエルたちも集まって来ました。
「どうしたんだ?」と後ろからやって来たカエルの一匹が訊ねました。
 それまで車を一所懸命牽いていたカエルの一匹が、足を抱え込んで道端に蹲っていました。
 リーベリは興味がなさそうに、黙って御者台に坐っていました。
 足を抱えたカエルはただ苦しそうに呻いていました。
 周りにいたカエルが、リーベリに事情を説明しました。「足を怪我したようです。出っ張った石に、足をぶっつけてしまったみたいです。これ以上歩くことは難しそうです」
 リーベリが御者台に鞭を置いて、降りて来ました。
 足を折ったカエルは、恐れを湛えた眼差しでリーベリを見つめていましたが、リーベリが自分の間近に近付くと、まだ動く方の片足でよろめきながら立ち上がろうとしました。「リーベリ様、オレはまだ走れます。まだ充分、働けます。リーベリ様のお力で、どうかこの足さえ治して頂ければ……」
 リーベリは立とうとして立てないでいる足を怪我したカエルをしばらく無言で見下ろしていました。ややあってリーベリが答えました。「あたしが、回復の魔法を二度と使わないって誓ったことは、知ってる?」
 足を負傷したカエルは、神を崇めるような目つきで、「ああ」とただ一言漏らしました。それでもカエルは縋るような目つきでリーベリを見つめていました。
 リーベリは御者台に戻り、カエルのぬいぐるみとナイフを持って戻って来ました。そのぬいぐるみは、オオヒキガエルに魔法をかけてカエル人間に変身させた時に使った、あのぬいぐるみでした。リーベリは、カエルのぬいぐるみを路上に置いて、ナイフを胸に突き立てました。そしてぬいぐるみの胸の部分から、綿を取り出し、それを掌で握り潰す仕種をして見せました。すると足を怪我したほんもののカエルの方が左胸を押さえて苦しみ出し、口から緑色の体液を吐き出し、俯せに倒れました。リーベリは丸めた拳にさらに力を込め続け、カエルの痙攣が止まり、息絶えるまで容赦しませんでした。
 リーベリが掌を開くと、今の今まで脈打っていたカエルの心臓が体液を垂らして押し潰されているのでした。
 他のカエル達は固唾を呑んでこの様子を見守っていました。
 リーベリは地面にぽいと黒ずんだ心臓を投げ捨てると、「さあ、先を急ぐわよ」と云って再び御者台に坐りました。
 牽き手の穴の空いた分は、後ろを走っていたカエルから一匹補充されました。
 一行は唸りを上げて、嵐のように森の中を突っ走って行きます。
 あたしに回復の魔法を使えだって?
 リーベリの脳裏に浮かんでいたのは、若くして亡くなった元気なママの笑顔でした。
 貧しい村人たちの際限のない注文に、ママは笑顔でいちいち付き合っていた。年がら年中病気して腹ばかり空かせている村人たちが、ママの体に良くない病気を招き寄せてしまったに違いない。
 リーベリは車を牽いているカエルに一層強く鞭をくれました。
「出来るだけ苦しみが少ないように、すぐ殺してあげるから」
 リーベリは、牽き手のカエルたちに話しかけました。カエルたちは、よく聞こえず、? という顔つきをしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー53ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 

 

 晩餐会はいつ終わるともなく終わっていました。
 隣の部屋から、ばか力の鼾が聞こえています。リュシエルが見ると、ばか力は臍を出して寝ていました。その隣では、背を向けて、静かにスナイパーが目を瞑っています。
「さ、あんたたちも、こっちの部屋で眠りな」ミコさんに案内され、夕食の皿を片付けた部屋で、ミミ達三人は横になりました。三人は、お昼寝をしたせいで、なかなか寝付けませんでした。

 

 

                            ☆

 

 

 ようやくうとうとしはじめたように思った朝方に、何やら騒々しい物音がしますので、リュシエルはベッドから体を起こしました。
 リュシエルはそっと部屋から出て、音のする方へ行ってみますと、山荘の戸の前で、オカシラとばか力、スナイパーの三人が、昨日総督府の検問所から奪って来た食料や衣類を積んだ荷車を何処かに運び出そうとしているところでした。指輪やネックレスなどは山荘に残していくらしく、ばか力とスナイパーふたりで手分けして荷車から降ろしていました。総督府の役人の生首は、何処で処分したのか、消えていました。
「やあ」リュシエルに気付いて、オカシラが快活に挨拶をしてきました。
「おはよう御座います」
「まだ寝ててもいいんだよ」
 すでに東の空が明るくなっていました。カラスがやかましく鳴いています。
 リュシエルは疑問に思ったので、訊いてみることにしました。「何処へ行くのです?」
「村さ」
「この食べ物を、どうするのです?」
「村に落として行くのさ。世間には、飢えた人がたくさんいるからね」
「……」
「此処には、いつまで居たっていいんだぜ。オレ達の仲間になるって云うんならさ」そう云うと、オカシラはばか力に荷車を引かせて山を下りて行きました。

 

 

 その日、ミミ達三人は山荘でのんびり過ごしました。
 山荘の窓辺には、花をつけたジャスミンの植木鉢が置いてあり、ミミはその香りを嗅いで楽しみました。
 山荘の庭では、コユビちゃんが山羊の乳を搾っていました。
 すこし山を下ったところに、大きなニレの木があり、おやつの時間になると、ミミたちはミコさんに連れられてその木の下でお菓子を食べました。
 そして気が向くとミミはリュシエルに魔法の教科書を読んでもらい、魔法を覚えました。
 ミミは「雨を降らせる」魔法を覚えました。難易度は高めの魔法でしたが、ミミは一度聞いただけでその魔法を覚えることが出来ました。
 ミコさんは、「私にも、魔法の教科書を見せて」とミミに懇願しました。ミミは、「好きなだけ見てください」と云って、それをミコさんに渡しました。
 ミコさんはしばらく魔法の教科書をつまみ食いするように読んでいましたが、思い切ったように、こう云いました。
「ねえ、人に自分のことを好きにさせる魔法ってないのね」
 リュシエルはちょっと考えた後、「そうですね、ないですね」と答えました。「人の気持ちをどうにかするって、魔法でも出来ないことなんですかね」
 ミコさんはがっかりしたように、魔法の教科書をミミに返して、空を仰ぎ見ていました。
 ミコさんは魔法を使ってオカシラのことを振り向かせたいのかな、とリュシエルは思いましたけれど、黙っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

にゃんころがりmagazineTOPへ

 

 

 

にゃんころがり新聞TOPへ

 
 
 
 

 

 

 

 

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー52ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

Ⅸ 戦利品

 

 

 夜空に星屑が惜しげもなくばらまかれたように輝きはじめた頃、オカシラ達が山荘に帰って来ました。大男が荷車を引いています。
 ミコさんが、「お出迎えしましょうか」と云うので、ミミ、リュシエル、メメも一緒に外に出ました。名前は分かりませんでしたが、昼間はいなかった若いエプロン姿の女性も、ミコさんの隣でお出迎えをしています。
 オカシラ達は、疲れた表情をしていました。リュシエルは、一瞬、オカシラ達から血の匂いが漂って来たような気がしました。
「怪我はなかったかしら?」とミコさんがオカシラに尋ねました。
「お帰りなさい」とエプロン姿の女性が云いました。
「大丈夫大丈夫。それより、三人とも、腹が減った。酒の準備をしてくれ」
 オカシラは、ミコさんと抱擁を交わし、エプロン姿の女性とキスをしました。
 リュシエルは、荷車の上に、食糧が積み込まれているのを見ました。その他には、衣類やネックレス、指輪などの貴重品も少なからず積載されています。
 オカシラは、山荘に入る前に、思い出したように振り向いて、「ほらよ」と云って、リュシエルにまた何かを投げつけて来ました。胸の中で抱き留めたそれは、金貨二枚でした。「?」
「一枚は、おれたちの取り分として、頂いておくぜ。野郎たち、たんまりため込んでやがったぜ。庶民を虐めて私腹をこやすとは、このことだ」
 そう云って、オカシラは山荘の中に這入って行きました。
「もしかして、この食糧などは……?」とリュシエルが呟くと、後からミコさんがやって来て、
「オカシラ達は、総督府の関所を襲撃して来たのよ。これは戦利品ってわけ」と云って、荷車を指差して、山荘の中に消えて行きました。
 大男が荷車を山荘の中に慎重に運び込もうとしていました。
 何気なく荷車の上の品を観察していたメメが、「きゃあっ」と突然叫び声をあげて飛び退りました。何事かと思ってリュシエルが近付いてみると、荷車の隅に、見覚えのある男の首が載っていました。鼻より長い顎髭を蓄えた、制服の左胸に星の階級章を三つ付けた男の首でした。
 男の首は、生きていた頃の血色の良さを失い、土気色に変わり果てていました。

 

 

 その後、オカシラたちは祝杯をあげ、宴会になりました。ミコさんとコユビさんが忙しそうにお酒の準備をしたり、食べ物をテーブルの上に並べています
 リュシエルがご馳走になった部屋で、椅子を並べて、その何十倍も豪華な晩餐会が催されました。
 リュシエルが料理を食べ尽くし、満腹になった後も、〈ばか力〉と呼ばれた大男は、「小食ですね」とリュシエルに云って、いつ終わるともなく食べ続けていました。
 白い髭の〈スナイパー〉は、ほとんど料理には手をつけず、良質のぶどう酒を自らの杯に注いでは飲んでいました。
 いつの間にか、オカシラと若いエプロン姿の女性の姿が見えなくなっていました。リュシエルがミコさんに教えてもらったところによると、エプロン姿の女性は、〈コユビちゃん〉と呼ばれているのだそうでした。
 リュシエルは、ひとりでお手洗いに行くのが怖いのか、一緒に付いてきてほしいというメメと奥のトイレまで行く途中、小部屋の中から艶めかしいそのコユビちゃんらしき女性の声が聞こえて来ました。荒い息をしているオカシラの声も、途切れ途切れに聞こえています。
「何してるの?」と訊くメメに、リュシエルは、「何でもないよ」と早く用をすませるよう促して、元の部屋に戻って来ました。
 ちらっとミコさんを見ると、すこし寂しそうな顔つきをしているようにリュシエルには思えました。

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

にゃんころがりmagazineTOPへ

 

にゃんころがり新聞TOPへ

 
 
 
 
 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー51ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

Ⅷ 執事のかえる君

 

 

 その頃、リーベリの住処である洞窟内の小部屋で、執事のかえる君が下命された案件についてリーベリに恭しく報告を行っていました。
 かえる君と云うのは、最近その頭脳明晰さをリーベリに買われて、事務方のトップに抜擢されたカエルのことでした。かえる君はオタマジャクシの頃から才気に溢れていて、つまり一度に十匹のカエルがゲロゲロ鳴き出しても、その内容を聞き分けることが出来ましたし、成人しては六韜三略を諳んじ、頭脳明晰さの点では右に出る者がいないほどでした。
 他のカエル達に比べて、体力の面ではひ弱なかえる君でしたが、執事の役職に就いてからは、リーベリから特別に黒い革のチョッキを着ることを許され、いかにも賢そうな、きらりと光る眼鏡を鼻の先に乗せて颯爽と執事の仕事をこなしていました。
 執事のかえる君がリーベリから調べるよう命令されたのは、王宮内の跡目を巡るゴタゴタについてでした。
 すでにリーベリも、リューシーの行方を箒に跨って方々探し回るうちに、ようやくリューシーが元王子リュシエルであることを突き止めていました。というのは、片田舎のロゴーク村ならいざ知らず、都に近付けば近付くほどリュシエル捜索の張り紙を目にする機会が多くなったからです。
 さて、かえる君曰く、「先代国王の愛妾・元高級娼婦のネリは、シン王の后ソフィーを地下牢に幽閉すると、計画通り自分の七歳の息子であるディワイを王に据えて、何も分からないディワイの代わりにネリが実質的に国の政治を牛耳っておりました。
 しかしですね、ディワイが王になってからというもの、王宮の野放図な乱費にますます拍車がかかり、次々と庶民を苦しめる増税策が推し進められていきました。諸方に無駄に建設される城や記念碑、それを造るために駆り出される人々。それに加え、ネリはもともと派手な生活を好みましたもので、庶民が一生働いても買えないような贅沢な衣装や宝石類、調度品などに目がなく、湯水のように血税を費消していきました。そのため民に重税を課さねば政治が立ちゆかなかったのであります。
 国中にネリと新王ディワイを憎悪する声が充ち満ちていきました。そんな折、はじめから結末の分かっている裁判にかけられて、処刑されることが決まった王妃のソフィーは、処刑場に引き出されることになりました。
 しかしです、処刑の当日、何十人もの決死の集団により、ソフィーは救出されたのであります。救い出したのは、ピラーという中将が率いる手勢でありました。ピラーとソフィーはしばらく行方を晦ましていたのですが、ピラーは作戦の準備が整うと、ネリとディワイのいる城を手勢を率いて攻め立てました。城の中からは内通者が多数出て、水も漏らさぬ警備が敷かれていたはずの城が、ほんの数十分で実にあっけなく落ちました。燃えさかる焔、兵隊たちの荒々しい跫音が響く中、ネリと幼君ディワイは玉座で自害して果てたのであります。
 このようにして、王宮内部の政変は一応おさまったわけですが、ソフィーのひとり息子であるリュシエルの行方だけが依然わからないままでありました。勿論、方々へ王子捜索の指令は出されていましたし、逆賊ネリ一味が処罰されたことも国中に宣伝されてはおりました。ところが、何時まで経ってもリュシエルの行方が分からなかったのであります。
 そんなところへ、リュシエルに護衛としてついていたマデラー少佐が孤影蕭然と王宮に帰って来たのであります。マデラー少佐は以前の面影もなく、窶れ、衣服はまるで乞食のように成り果てていて、身体からは鼻を摘んでも臭ってくるような異臭が漂っていました。マデラー少佐はソフィーが王の代理として王宮に舞い戻ったことを知って、逃亡先から急ぎ帰還したのです。
 マデラー少佐はまことに七生報国という言葉を絵に描いたような男でありましたので、ソフィー王妃にまみえ、これまでのいきさつ――道中リュシエルと離れ離れとなり、王子を見失ってしまったこと、リュシエルはおそらくもう不帰の客となってしまっていること――を告げると、自らの非力を詫び、王子を守り通せなかった責任を取り、その場で懐剣を抜き去り、あわや自害して果てようとしたのであります。ソフィーが玉座の間から転び出すような勢いで、マデラー少佐を止めて、その手から懐剣を払い落として曰く、『まだ生きている可能性もあるのですから、私達もあきらめないで希望を持ちましょう、あなたにはこれまで随分ご苦労をかけましたね、世間知らずの王子をその手ひとつに預けてしまって……どうかこれからも命を粗末にせずに、まだ生きているやもしれぬ王子とこの国の為にあなたの力を貸してください。王宮の高官の中には、随分といかがわしい人物が増えてしまったというのに、あなたのような人物が埋もれているのは道理に合わない』。そのようにして、ソフィーはマデラー少佐の階級をごぼう抜きで一気に中将にまで昇らせたのであります。有り難いお言葉ばかりか、そのような破格の扱いまで一身に受けて、以来マデラー中将がソフィーのためならますます身を粉にして働くようになったのは云うまでもありません。
 御存知ないかもしれませんが、このマデラーという男、元々は薄汚い乞食だったのです。その乞食の何処に目をつけたのか、当時のピラーという中将が、彼を兵士として取り立てたのが、そもそものはじまりです。それから十年も経たぬうちに、乞食のマデラーが、軍隊の最高位である将軍の次に偉い中将という階級にまで昇りつめたのです。
 さて、間もなく国中にリュシエルの似顔絵がばら撒かれ、大捜索団が結成され、リュシエルの居場所が王宮の兵隊たちにより国の隅々まで捜索されることになり、今に至っているのであります……」
 執事は自分で自分の言葉に酔ったようにしばらく演説の余韻に浸っていました。
 ところが、それまで目を閉じて、執事の報告を聞いているのかいないのか分からない様子だったリーベリが、突然目を開けて云いました。「よく舌の回るカエルだこと」
 その言葉を聞くと、可哀想なかえる君は額から滝のように滲み出した汗を拭くために、黒ベストのチョッキのポケットから急いで手巾(ハンカチ)を取り出しました。「ま、まことに、申し訳御座いません。すこし、饒舌に過ぎましたでしょうか?」
 かえる君が狼狽するのを見て、ふん、とリーベリは鼻を鳴らしました。「王宮の兵隊たちがリュシエルを見つける前に、あたしたちの手で見つけないとね。厄介なことになるわ」
「まったくもって、仰るとおりで御座います」
「リュシエル……」リーベリは自分に云い聞かせるように何事か呟いていました。
「何で御座いましょうか?」
「なんでもない……」
 リュシエルたちの捜索に出たジョーニーからはいまだ何の連絡も入っていませんでした。執事のかえる君ですら、中間報告くらい入れても良さそうなものだと思ったほどでした。そのために、翼を持ったストレイ・シープとコンビを組ませていたのですから。
  正直、リーベリは痺れを切らしはじめていました。リーベリが我慢の限界に来ているらしいことは、執事のかえる君にも分かりました。執事はずり下がった眼鏡を小指で上げました。
「この者は如何致しますか?」
 執事は、キリストのように両手両足に枷をはめられた男を見て云いました。男は洞窟の壁に寄りかかって立っていました。男の衣服は至るところ破れていて、汚れています。それは拷問の跡を示していました。両手両足の枷は、鎖と連結されていて、その鎖は釘によって洞窟の壁に打ち付けられていました。この男は王宮の出先機関である北方総督府のお役人で、王宮内の情報を仕入れるためにリーベリの一味の者によってこの洞窟まで拉致されて来たのでした。
「放してあげていいわよ。もう聞くこともないわ」
「わかりました」執事のかえる君はそばにいたカエルの兵隊に命じて、お役人の枷をはずさせました。
「お慈悲だ。行くが良い」
 と執事のかえる君は鷹揚に告げました。
 お役人は、両手両足の枷をはずされると、ふらつく身体で立つこともやっとというふうに、しばらく猫背になって小刻みに震えていましたが、やがて壁に手をつきながら、一歩一歩洞窟の出口目指して歩いて行きました。
「水晶を出して」とリーベリに云われて、執事のかえる君は慌てて戸棚の中から水晶を取り出しました。水晶を布巾で一拭きした後、袱紗を敷いて、その上に水晶をそっと置きました。まだお役人の姿が見えました。お役人は衰弱しているために、その足取りはひどくのろいのでした。リーベリはそんなお役人のことなど既に眼中にないように、目を瞑り、水晶に掌を翳していました。リーベリが念を込めてしばらくすると、水晶の中に像が結び合わされるのが傍らに屹立している執事にも覗き見ることが出来ました。リュシエルとミミが何処かの部屋のベッドの上で静かな寝息を立てて眠る様子が、窓の帷越しに映し出されています。
 此処は何処だろう? と執事は首を傾げました。
 続いて像は掻き消えて、水晶は違う角度の風景を映し出しました。それは清流の川べりでした。ジョーニーと五歳くらいの女の子供が何やら楽し気に話していました。女の子がポケットの中からクッキーを取り出し、半分に割ってジョーニーに手ずから食べさせています。ジョーニーは幸せそうな顔でクッキーを頬張っています。
「何をやってるの、こいつらは?」リーベリの怒りに震える声が聞こえてきました。「どおりで方々探しあぐねても、見つからなかったわけだわ。あんなに道草食わないでねって念を押しておいたのに……」
  リーベリは癇癪を起こし、執事に高い声で地図を持って来るよう命令しました。
 リーベリが地図を広げて水晶に何やら小声で話しかけると、しばらくして水晶の光が地図上の或る一点を指し示していました。「此処にいるのね……分かったわ。でも、あいつ、人間になったとたん、恩を忘れて勝手な行動を取りはじめるなんて。まったく、人間は信用できない、動物も信用できない、人形も信用できない。信用できるのは自分だけだわ……」
「仰るとおりで御座います」
「うるさいっ」
 執事のかえる君は首を竦めました。かえる君の頭をかすめて、ひゅう、と飛んで行った水晶が、洞窟の壁にぶつかって粉細工のように砕けました。
「ひっ」執事のかえる君は飛び退きました。もう少しで、粉々に砕けたガラス片が体に刺さるところだったのです。
「カエル達をすぐ呼んで来なさい。体力のある者十匹ばかりよ。集まったら即出発するわよ」
「ははあ!」
 執事のかえる君は、今や二十匹あまりにも増員されていたカエルたちの中から、体力に自信のある者十匹を選りすぐり、馬車の準備をさせました。
 馬車は煌びやかな装飾が施されていて、雨が降ってきても大丈夫なように屋根もついていました。
 車には帷が付いていて、帷を閉めると中に誰が乗っているのか外からは見えないように工夫されていました。リーベリはこの車の中にリュシエルを乗せて洞窟に帰るつもりでした。
 御者台にリーベリが坐ると、車は南へ向けて出発しました。馬車の中には、執事も乗り込んでいます。
 洞窟を出て五十メートルほど行った処に、先程の拷問を受けたお役人が白目を剥いて口から泡を吹き倒れていました。
 牽き手のカエル二匹は汗をびっしょり掻いて、一生懸命車を牽いていました。残りの八匹のカエルたちも、喘ぎながら車の後ろについて走っています。
 リーベリはカエルたちに容赦なく鞭をくれながら、リュシエルに会いたい一心で、夜通し駈けさせました。

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

にゃんころがりmagazineTOPへ

 

 

 

にゃんころがり新聞TOPへ

 
 
 
 
 

 

 

果てしなく暗い闇と黄金にかがやく満月の物語

ー㊿ー

 

 

 

 

 

にゃんく

 

 

 

 

 

 

 リュシエルとミミが目を醒ました時、山荘の外には夕闇が取り巻いていました。
 しばらくすると、ミコがふたりが目覚めたのに気付いて、紅茶を持って来てくれました。ミコは椅子に腰掛けて、三人は紅茶を啜りながら話しました。
「メメがいなくなっているな」とリュシエルが云うと、
「あの子は元気にこのあたりを探索してるようね」とミコが云いました。「心配しないでいいよ。それはそうと……おまえさんたち、都へ行くと行っていたけれど、都に行くには、こっちの方角だと遠回りになっちまうよ?」
 リュシエルはそう云われ、ほんとうのことを告げるべきかどうか逡巡しましたけれど、「実は、……魔女に追われているんです」と思い切ってほんとうのことを話してみることにしました。
「魔女に追われているって?」ミコはこの地域の人間には見慣れない緑色の目を大きく見開きました。
 リュシエルとミミはこれまでのいきさつを簡単にミコに説明しました。打ち明けなかったのは、リュシエルが元王子であるということだけでした。何もかも告白するには、お互いまだもう少し時間が必要なように思われたのです。
 あらましを聞き終えると、ミコは、
「愕いたね。カエルの軍団を手足のように操るなんて、世の中にはまだそんなすごい魔女がいたんだね」
 と云って頭に巻いた黒い布を手で直し、居ずまいを正しました。
「……さっきも云ったけれど、此処には好きなだけ居てもいいよ。怖い顔してるけど、みんな心根は優しいやつらばかりだから。腕っぷしも強い連中だしね。おっかない魔女さんが恋人を奪い返しに来たとしても、そう簡単には奪われることはないよ」
 ミミはミミで、疑問に思っていたことをミコに聞いてみました。「ミコさんは、オカシラとはどういう関係なんですか?」
「幼馴染みさ」とミコは云いました。
「幼なじみ?」
「赤ん坊の頃、私は山の中に捨てられていたのさ。それをオカシラの母親に拾われて育てられたの。だから、私にとっちゃ、オカシラのお母様が命の恩人でもあり、ほんとうの母親でもあるのさ」
「ミコさんは魔女ではないの?」ミミは、自分たちを救ってくれた魔法のオカリナの力のことを不思議に思っていたのでした。
「まあ、魔女の端くれみたいなものさ。あんたたちのことを追っかけている、おっかない魔女さんほどの凄い力はないけどさ。
 私の親がどういう人間だったのか知らないけれど、あんたたちと同じ民族の人間じゃないことだけは確かさ。ひょっとすると、ジプシーか何かだったのかもしれないね。大きくなるにつれて、自分には他の人にはない不思議な力が備わっていることに気付いたの。心を集中させれば、ごく近い未来を予測出来たりすることが分かってきたのさ」
 なるほどミコの容貌は見慣れないものでした。頭に巻いた布からは縮れた髪の毛が覗いていましたし、遠い異国の出自を思わせる彫りの深い顔立ちをしています。
 ミコは山荘の外の夕闇を一瞥すると、椅子から立ち上がり、「さあ、オカシラたちが帰って来るから、そろそろご馳走の準備をしとかないとね」と云いました。「あなたたちは、此処でのんびりしてるといいよ」

 

 

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

にゃんころがりmagazineTOPへ

 

にゃんころがり新聞TOPへ