もうだいぶ前のことですが、ある英語の先生がこんなことをおっしゃっていました。

「教科書が新しくなったら、まず最初から最後まで一冊全部読みます」

そんなことは当たり前だと思われる方も多いと思いますが、実際にはなかなか時間が取れず、教える直前に該当部分にだけ目を通すというケースも少なくないと思います。

でも、年度のはじめにその年の教科書を最初から最後まで目を通しておくと、どの段階でどういう項目や表現が出てくるのかがわかるので、見通しをもって指導をすることができます。

さらに、可能なら、その学年の前後の学年の教科書にも目を通しておけば、もっと広い視点で指導の計画を考えることができます。少しでもいいので、できるといいですね。

勤務先も授業が始まりました。今年は事務的な仕事も多くなります。4月になったとたん、一気に忙しくなりました。でも、細々とでも、毎週書いていきたいと思います。
 

「四月になれば彼女は」という名前の映画が公開されたようです。

私たちの年代、あるいはそれ以上の方の中には、このタイトルを見るとサイモン&ガーファンクルの「4月になれば彼女は」を思い出す方も少なくないでしょう。

ただ、この日本語タイトルは誤訳ではないかとの指摘もあります。

もともとのタイトルは  "April Come She Will" です。前半の2つの単語が「4月になれば」で、後半が「彼女は」に相当するということでしょう。

前半は April が主語で Come が動詞(述部)です。When she come の when が省略されているという解釈で、「4月になれば」という訳になったと考えられます。

後半は she が主語で will が述部ですが、動詞が省略されているので、「彼女は」で止まっていると考えられます。willが未来を表すことは、前半の「になれば」に反映されていると思われます。

この日本語タイトルが間違いだという指摘の根拠は come にあります。お気づきになった方もいらっしゃると思いますが、先ほど挙げた When she come は文法的に間違いですよね。三単現のsが抜けています。正しくは、When she comes です。

なぜ come に三単現のsが付いていないのか?これは、実は come が will に続く動詞だと解釈すればすっきりします。will は助動詞ですから、後続の動詞は原型になります。つまり、she will come がもともとの形で、このうち come が倒置で前に出てきたと考えられます。

つまり、April Come She Will は April Come と She Will に分かれるのではなく、April と Come She Will に分かれることになります。日本語にするなら、「4月、彼女はやってくる」です。「"April" は "In April" じゃないの?」という声が聞こえてきそうですが、口語では前置詞がなくても不自然ではないでしょう。日本語の「4月、彼女はやってくる」の「4月」も「4月に」としなくても問題ないですよね。歌詞を公開しているwebsiteの中には、April, Come She Will のようにカンマを入れているものもいます。このほうがわかりやすいですね。

先ほど come は倒置で前に出てきたと書きましたが、歌詞の続きを追うと、その理由がわかります。

5月以降はこうなります(必要な部分のみ書き出しています)。ぜひ声を出して読んでください。

May, she will stay

June, she'll change her tune

July, she will fly

August, die she must

気づいたと思いますが、月をあらわす単語とフレーズの最後が韻を踏んでいるのです。Mayとstay、Juneとtune、Julyとfly、Augustとmustという具合に。だから、4月は willを最後に置き、April と韻を踏ませているのだと言えます。8月もdieを前に出すことで、Augustとmustが韻を踏むようにしています。

ちなみに9月は 

September, I will remember 

となります。ここでも September と remember が韻を踏んでいます。

サイモン&ガーファンクルらしい、印象深い曲です。ぜひ一度お聞きください。そして、歌ってみてください。

 

25日は学部の卒業式及び大学院の修了式でした。

教職大学院の皆さんは学卒が2年、現職が1年での修了となります。とても短い期間でしたが、様々なテーマを一緒に考えることができ、私のほうが勉強になりました。修了式の前や当日にご挨拶をいただき、感謝感謝です。これからも体に気を付けて頑張ってください。また、ぜひこれからも連絡を取っていきましょう。

今年学部を卒業する皆さんのほとんどは2020年4月の入学です。覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、このとき日本はコロナが始まったばかりでした。入学式は中止となり、授業もすべてZoomによるリモートとなりました。

中学校コース英語分野の1年生及び小学校コース英語分野の2年生が履修している「現代英語」という授業は英語でディスカッションをしたり、プレゼンを行ったりする授業なので、リモートでは不可能だと思い、通常は前期に開講しているのですが、この時は後期に移しました。この時点では、コロナ禍がその後2~3年に亘って続くとは想像もしておらず、夏になるころには落ち着いているだろうと勝手に思っていました(同じような思いだったという方は少なくないと思います)。後期が始まるころには対面に戻るだろうと思っての移動でした。なので、例年なら4月に顔合わせができる1年生に初めて会えたのが10月でした。もちろん、「会えた」と言ってもオンライン上でのことでした。

翌年の2021年度、彼らが2年生になっても、まだ直接会うことはできませんでした。小学校コースの2年生のみなさんが受講した「現代英語」は例年通り前期に行ったのですが、これもオンライン(リアルタイム)だったので、直接会うことはできませんでした。中学校コースの2年生が受講した「中等英語科指導法C」もオンラインになってしまったため、この時もまた直接会うことはできませんでした。

やっと会えたのが2021年度の10月でした。「中等英語科指導法D」が対面で実施されることになり、それまで画面越しにしか会えなかった皆さんのうち中学校コースの皆さんと直接会えました。小学校コースの皆さんと合えたのは12月。初等英語科指導法は4月から対面だったのですが、英語分野の学生は第4タームだったので、この時が初めてでした(小学校コースの全員が必修なので、受講生は専攻で履修時期が指定されています)。

3年生になった2022年の4月からゼミが始まり、ここでゼミ生全員と顔を合わせることができました。そして、4年生時はマスクの着用も任意となり、やっとコロナ前にほぼ戻ったなという気持ちになりました。

本来であればもっと自由に過ごせたはずの4年間の半分くらいを様々な制限の中で過ごしながらも、仲間との絆を深め、成長していった卒業生のみなさんに心から拍手を送りたいと思います。皆さんの前途に幸多からんことを心よりお祈りいたします。そして、またいつでも遊びに来てください!

ご卒業おめでとうございます!

またまた大河ドラマネタです。

2024年は「光君へ」で、主演の吉高由里子が演じるのは紫式部。現在放送中。

2025年も既に決まっており、江戸時代中後期の蔦谷重三郎が主役(演じるのは横浜流星)。

そして、先日、2026年の大河ドラマが発表になりました。タイトルは「豊臣兄弟!」で、主役は豊臣秀吉の弟の豊臣秀長です。演じるのは仲野太賀。名前が「たいが」なので、そのことも話題になっています。私たちの世代だと、彼のお父さんのほうが馴染みがあるかもしれません。彼のお父さんは中野英雄で、は『愛という名のもとに』(1992年、鈴木保奈美、唐沢寿明、江口洋介らが出演)の「チョロ」という役で一躍有名になりました。その息子さんが次々回の大河ドラマの主役ですから、時の流れを感じます。

豊臣秀長は戦国時代が好きな人、あるいは詳しい人であれば確実に知っている人物だと思いますが、そうでなければ、ご存じないという方も多いでしょう。その彼が主役というのは、ちょっと意外かもしれませんが、信長、秀吉、家康という三英傑はもう何度もテーマになっているので、ネタ切れの感があり、大河ドラマでは、この3人と絡む周囲の人物を主役に据えることが少なくありません。

「春の坂道」(1971)の柳生宗矩、
「黄金の日日」(1978)の呂宋助左衛門
「おんな太閤記」(1981)のねね(秀吉の妻)
「独眼竜政宗」(1987)の伊達政宗
「春日局」(1989)春日局
「利家とまつ〜加賀百万石物語〜」(2002)の前田利家と妻のまつ
「名が辻」(2006)の千代と山内一豊
「天地人」(2009)の直江兼続
「江〜姫たちの戦国〜」(2011)の江(徳川秀忠の妻)
「軍師官兵衛」(2014)黒田官兵衛
「真田丸」(2016)の真田信繁(幸村)
「麒麟がくる」(2020)の明智光秀

2026年の豊臣秀長は最後まで秀吉と行動を共にするので、当然、信長、秀吉、家康と絡みます。

秀長の生涯は堺屋太一氏の『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』が詳しいでしょう。私も若いころに読みました。
 

堺屋氏は組織の発展・維持にはすぐれたナンバー2の存在が欠かせないと述べていますが、その堺屋氏がナンバー2として称賛していたのが秀長です。歴史好きの間では評価の高い人物で、もし秀長がもう少し長く生きていれば、歴史は変わっていたかもしれないという声もあるほどです。

さて、大河ドラマファンにとっての楽しみの一つがキャストの予想です。ネット上では既にいろいろな意見が出ていますが、特に注目なのが秀長の兄である秀吉を誰が演じるのか、ということです。いろいろな役者の名前が挙がっており、森山未來、柄本時生、神木隆之介、柳楽優弥、山田裕貴をはじめ、30才前後の俳優さんがズラリ。竹中直人(大河ドラマで秀吉を2回演じている)やムロツヨシ(「どうする家康」で秀吉)の名も挙がっていますが、仲野大賀(現在31才)との年齢差が大きすぎるのでさすがにそれはないでしょう。

では私の予想は?

私は濱田岳に一票。

彼は現在35才で年齢的にもちょうどいい。また、秀吉は小柄だったので、仲野大賀(168㎝)より高すぎると違和感がありますが、濱田岳は160㎝なので、これもちょうどいい。また、秀吉は若いころと天下統一期で性格や行動が異なるところがあり、演じるのが難しい(個人の意見です)。その点、濱田岳なら演技力も申し分ない(以前、こんな記事を書いたことがあります:「豊臣秀吉を演じる面白さについて」(2014年10月27日))。もちろん、SNSでも彼の名は挙がっています。

最終的には、脚本家が秀吉をどう描くかで役者が決まってくると思うので断定はできませんが、おそらく、彼が有力候補の1人であることはまちがいないでしょう。

濱田岳以外なら、森山未來、柄本時生あたりが有力なのではないかと。神木隆之介は仲野大賀より年下で、若いイメージが強いけど、秀長のほうが秀吉より落ち着いていて、むしろ兄のような印象もあるので、その点を強調した秀吉像にするなら、アリかもしれません。

早ければ4月ごろには秀吉が発表になるかもしれません。楽しみにしたいと思います。

前回、ビンゴゲームとコミュニケーション活動について普段思っていることをまとめました。

「ビンゴとコミュニケーション活動(言語活動)」

その趣旨は、コミュニケーション活動にビンゴを使うのは適切ではない、ということです。その考えは基本的に変わらないのですが、一方で、ビンゴにもいろいろあり、100%ダメとは言い切れないとも感じています。

前回(↑)は病気の名前を使ったビンゴの例を紹介しました。ここでは、クラス全員が病気という設定でしたが、実際は病気に罹っているわけではないので(本当なら大変)、言わば「ウソ」の状況でした。そのことも、活動がコミュニケーションからズレてしまった原因の一つだと思います。

もしビンゴで扱う内容が「本当」のことなら、ビンゴでもコミュニケーションの要素はある程度保たれるかもしれません。

例えば、canを使ったビンゴをよく目にします。ビンゴのマスには play baseball、sing English songs、swim well などがあり、Can you--? を使ってお互いに質問します。先ほどの病気の名前の場合と異なり、今回は自分自身のことを答えるので、そこにある種のコミュニケーションが生じると思います。

Can you play the piano? と聞いて、相手が Yes, I can. と答えれば、ゲームであったとしても、「へ~」とか「すごいね」という気持ちが生まれると思います。これは病気の名前の例とはだいぶ違うと思います。

基本的には、ビンゴはゲームなので、自分の予測があっているかどうかがポイントになるという点は病気の名前の場合と同じで、やはりコミュニケーションという点では問題があるのですが、canのケースの方が、コミュニケーションの度合いは高そうですね。

「コミュニケーション活動にビンゴは不適切!」と一蹴できないのかもしれません。難しいです。
 

英語の指導にビンゴゲームを使うことがあります。もともとは東京都の墨田区立両国中学校の長勝彦(おさ・かつひこ)教諭が授業で利用し、それが東京都、そして全国に広まったと言われています(ご本人や周りの方からお聞きしたものです)。単語の学習などに有効だとの印象を持っています(検証データなどがあれば知りたいです)。

ただ、このビンゴを「コミュニケーション活動」と結びつけることには疑問を感じています。

もう10年くらい前になると思いますが、中学校の教育実習生の授業でこんな場面を拝見しました。

ご本人の名誉のために先に申し上げますが、とても良い授業でした。力量もあり、今後が楽しみな実習生でした。ただ、一つだけ気になったのが、以下でご紹介するビンゴゲームによる「コミュニケーション活動」です。

その日は病気の名前がテーマでした。ビンゴシートが生徒に配られ、そこには、cold(風邪)やrunny nose(鼻水)などの病名が英語で書かれていました。

生徒はその中から一つを選び、自分がどの病気なのかを決めます。つまり、その教室の全員が「病気持ち」という状況です。あまり考えられない状況ですが、その点は置いておきましょう。

生徒たちは教室内を歩き回り、他の生徒と一対一でお互いの病名を尋ねます。相手の病名が書かれているマスにマルをつけたら、次の生徒に病名を聞きに行きます。こうして、縦、横、斜めのいずれか一列すべてにマルが付いたらビンゴが完成します。

つまり、こんな会話が想像できます。

A: Hello.  How are you? 
B: I have a cold.
A: Really? Take some medicine.
B: Thank you.
(続いて、BがAに質問する)

ここでAさんは以下のように cold にマルをつけることができます。


 

あとは、縦、横のいずれかに列ができることを目指します。

次にAさんはCさんと会話をします。以下の要の会話が進みます。

A: Hello.  How are you? 
C: I have a cold.
A: (小声で「え~!」と残念そうにしながら)Really? Take some medicine.
C: Thank you.

もうお分かりのように、CさんがBさんと同じ cold だったため、Aさんのビンゴは一つも進みませんでした。なので、Aさんは残念だという思いを口にしたのです。

こうなると、これはいったい何を目的とした活動なのか、と疑問を感じます。

おそらくこの活動の目的は「コミュニケーション」だったと思います。

しかし、もうしそうなら、相手が「風邪を引いた」といえば、「大丈夫?」「ゆっくり休みなよ」「実は僕も風邪をひいたんだ」などのやり取りが本当のコミュニケーションです。

でも、明らかに、Aさんにとって、この活動はビンゴというゲームに勝つことが目的になっていました。そのため、Cさんが cold と答えたときに、相手の体調よりもゲームの勝ち負けのことが気になってしまったのです。

もちろんこれはAさんが悪いというのではなく、コミュニケーション活動とビンゴを組み合わせた設定に問題があったと言えます。

繰り返しますが、決してビンゴが悪いということでもありません。前述の通り、単語のトレーニングなどには大変有効だと思っています。

ただ、「ビンゴ」と「コミュニケーション」が合わないのではないかと思います。

また、この実習生の授業は大変すばらしいものでした。ただ、一点のこの場面のみが気になりました。

そして、さらに言えば、こういう活動は、自分でもやっている可能性は十分にあるのではないかと思います。気をつけたいですね。

3月2日は故若林俊輔先生のご命日です。2002年ですから、今年で22年になります。早いものです。

先生のお話しの中で印象に残っていることを時折こちらでお話ししていますが、本日は「指名」にまつわるちょっとしたお話しを。

授業で児童生徒に発言を求めて「指名」をすることがありますが、これが結構難しいですよね。

なかなか手が挙がらないとき、誰を指したらいいのか、迷います。一方、多くの児童生徒が元気よく手を挙げているときも、誰を指したらいいのか迷います。

英語授業における「指名」について詳しいのは『英語授業の「型」づくり-おさえておきたい指導の基本』(一般財団法人語学教育研究所編著、大修館書店、2021年)の「指名」(第3章「さまざまな場面での指導技術」のⅡ)です。ぜひお読みください。

さて、若林先生のおはなしです。

教師が生徒を指名するとき、授業がスムーズに進むよう、難しい問題は勉強ができる児童生徒に、易しい問題は苦手な児童生徒を指名することがあります。恥ずかしながら、私にも思い当たることあります。

ところが、これを繰り返していると、難しい問題が出たとき、勉強が苦手な児童生徒は

「あ、この問題、自分が指名されることはないな」

と感じるのだそうです。

これは良くないですよね。児童生徒が、「どうせ自分は勉強ができないと先生に思われてるんだな」と感じることにつながります。

気をつけたいですね。
 

授業で教師が生徒に質問をする―――よく見る光景ですね。

今回は「リーディング」の指導場面で教師が生徒に投げかける質問の種類について考えてみたいと思いますが、教育現場では「発問」と呼ぶことが多いですね(「質問」と「発問」の違いは割愛します。検索すると、たくさん出てきます)。

教科書の本文など、英語を読む授業で生徒の「読み」を確認したり深めたりするには、教師からの発問が効果的だと言われていますが、その発問は3種類に分けられることが多いようです。それが「事実発問」「推論発問」「評価発問」です。

「事実発問」はテキスト等に答えが明示されている発問。例えば、What time did Bob get up? という発問は、Bobが起きた時間が本文中にはっきりと書かれていれば、事実発問です。教科書の内容理解のための基本的な発問と言えます。

「推論発問」は、はっきりと書かれてはいないが、明示されていることから読み取れる事柄を問うものです。例えば、Emmaが野球を楽しんでいる様子が書かれている文章があったとしましょう。そこに、Emmaは野球が好きだとはっきり書かれていなくても、野球が好きだと十分判断できる場面で、Does Emma like baseball? と聞くとき、これは推論発問となります。いわゆる、「行間を読む」です。

あるいは、登場人物の気持ちを問う発問も推論質問の一つと言えます。What did she think about it? と聞けば、生徒は、本文に書かれていることをもとに推測するでしょう。これも推測発問と言えるでしょう。事実だけを確認する読みから、一歩深い読みにつながる発問と言えます。

「評価発問」は内容に対して、生徒がどう思うか、何を感じるかを問う発問です。「事実発問」は答えがはっきりしていますし、「推論発問」もある程度答えを絞り込むことができますが、「評価発問」に対する生徒の答えに唯一の正解はありません。場合によっては「何でもアリ」になります。ただ、こういう発問を通じて、生徒がより深く文章と関わることなるでしょう。思考力・判断力・表現力の育成が求められる昨今では、推論発問や評価発問の役割がこれまで以上に大きくなってくると思います。

もちろん、すべての発問が上の3つにきっちり分類できるわけではなく、上記のうちの2つの中間に位置づけられるものもあるでしょう。

この分類を参考に、自分が普段どんな発問をしているか考えてみるのもいいでしょう。事実発問が多く、推論発問や評価発問をあまり使っていないと感じるのであれば、これらを取り入れることを考えてみてもいいと思います。

【重要】
言うまでもないことですが、事実発問より推論発問や評価発問のほうがすぐれた発問手法だと述べているのではありません。それぞれに、それぞれの役割があるので、授業の目的に応じて使い分けることが大切です。

それから、これも言うまでもないことですが、今回ご紹介した3種類の発問は「リーディング」の指導だけでなく、「リスニング」にも当てはまります。

英語授業における「発問」は山梨大学の田中武夫先生が有名です。

『英語教師のための発問テクニック 英語授業を活性化するリーディング指導』(田中武夫・田中知聡著、大修館書店、2009年)

『推論発問を取り入れた英語リーディング指導: 深い読みを促す英語授業』(田中武夫他編著、三省堂、2011年)

先週の続きです。日本語を母語とする人にとって仮定法が難しい理由を考えています。

先週 → 「英語の「仮定法」が難しいのはなぜ?」

前回、以下の3つがその原因ではないかと提案しました。

①日本語に「条件」と「仮定」の使い分けがない。

②英語に「仮定形」がない

③現在のことなのに「過去形」

前回は、このうち①について検討しました。今日は②と③について。

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②英語に「仮定形」がない

英語の動詞は主語または時制により形が変わります。

例えば、go は主語が三単現の場合 goes になり、過去を表す場合は went になります。

もし、go に「もし~行くなら」という仮定を表す形があれば、それを見てすぐに「あ、これは仮定法だな」とわかるでしょう。

言語によっては、仮定形がある言語があるようです。例えば、以下のサイトによると、トルコ語には「仮定形・条件系」があるそうです。これなら、見ればすぐに「~ならば」という意味であることがわかりますよね。

「トルコ語講座|第26回|動詞の仮定形・条件形」

ところが英語には「仮定形」がない。昔はあったのかもしれませんが、少なくともいまはありません。

では、英語ではどうしているか。仕方なく(というのは私の印象)、既に存在する「過去形」を使っているのです。これが③です。

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③現在のことなのに「過去形」

「仮定形」がないので、代わりに、何かを使わなければなりません。そこで、英語話者が選択したのが「過去形」です。なぜ過去形を使うことになったのは、英語の歴史を見る必要がありますが、調べている時間がないので、省略します。

時々耳にする説は、仮定法で表す内容は現実と異なるので、そこに心理的な「隔たり」が存在する、そして、その距離を現在との「隔たり」を表す過去形で表現しているのではないかと、というものです。

しかし、結果として、現在のことを語っているのに過去形を使うというわかりにくい状況になってしまいました。「現在と反する内容を過去形で表すから、『仮定法過去』」って、やっぱりわかりにくいですよね。

以上で、日本語が母語である人にとって仮定法が難しい理由についての考察を終わります。時間があれば、いずれ、その学習法・指導法について考えてみたいと思います。

学習指導要領の改訂により、2021年から、それまで高校の範囲であった「仮定法過去」が中学校の範囲になりました。

高校で教えられていたころから、仮定法過去(及び仮定法過去完了)は生徒にとって難し項目の一つでした。中学生にとっても難しい項目であることはまちがいないでしょうね。

日本を母語とする英語学習者にとって、なぜ仮定法過去が難しいのかを考えてみました。大きくは以下の3点ではないでしょうか。

①日本語に「条件」と「仮定」の使い分けがない。

②英語に「仮定形」がない

③現在のことなのに「過去形」

まず①について。

次のAとBの大きな違いは何でしょうか。

A「明日晴れていたら外出しよう」
B「自分が鳥だったらいますぐに飛んでいきたい」

いろいろな視点があると思いますが、今回の話題に絡めて言えば、Aが「条件」でBが「仮定」です。Aは明日が晴れる可能性もあれば、晴れない可能性もある状況です。一方、Bでは「自分」が「鳥」ではないので、これは単なる「条件」ではありません(このことを「妄想」と捉え、「仮定法(過去も過去完了も)は妄想だと思えばいい」という教え方もあります。なるほど、ですね)。

日本語使用者の多くは、この2つの状況に大きな差は感じることはほとんどないのではないでしょうか。ところが、英語話者にとってこの2つは大きな違いとなります。あり得る状況なのか、あり得ない状況なのか。

なので、仮定法を教えるときは、日本語の「もし~なら」という文をたくさん用意し、それぞれの文が表す状況が、単なる「条件」なのか「仮定(妄想)」なのかを生徒に考えてもらうと良いでしょう。

ただ、難しいのは、ある人にとって「条件」となる状況がある人にとっては、実現が難しい「仮定」になるという点です。例えば、「いま1億円あったら」は、私にとっては「仮定」の話ですが、大谷翔平選手にとっては「条件」でしかないのです。その点もきちんと教えておくとよいでしょう。

本日阿ここまで。続きは次回で。