起業してから10年を超える時間が過ぎた。
相変わらずの日々のため、振り返る時間がなかなかない。
ITの急激な発達により、やらなければならないことが「3次元」的になっている。スケジューラーも3D立体にしたいくらいだ。
かっこよく言えば、「突っ走っている」といえるが、悪く言えば「余裕がない」。
ただ確信をもっていえることもある。
「ひとつのことを続けることが苦手な私にとっては奇跡的」だということ。
起業前も約5年間、俗に言う「コンサルティング」業界に身を置いてきた。
合わせると15年以上になる。人生の3分の1、記憶が定かになっている年齢から数えると半分近くになる時間をこの「コンサルティング」なる世界に身を置いていることになる。
最近ふと考えることがある。
「コンサルティングとは結局「何」であって、コンサルタントとは「何」をする仕事なのか」
それは、移動中であったり、お風呂に入っている時間であったり、講義の最中、「もうひとりの自分」が心の中に現れ、リアルな自分(私)に語りかける。時に心地よく感じる時もあれば、時に恐ろしく表現しがたい圧力で追い込まれることもある。
一体どこに向かっているのかわからなくなることがある。
それが会社としてもいえるし、自分自身のキャリアとしても、そして1人の人間の「生き方」としても。
答えがないと分かっていても考えてしまう。
年をとったのかな。そう思って片付けることもできるが、それを許さない自分もいる。
職業病か?はたまた性格なのか?
周りからは「すごいね。なかなかできないことだよ」と温かい言葉をいただく。
大変ありがたい言葉である一方、「そんなことはない。それほどのことはしてきてない」と本心で思う自分もいる。
元来、根っからの理科系人間。
答えがないと気が済まない。幼少期からそういう子だったと最近両親と飲んだ時に聞かされた。苦笑い。的を得てる。確かにそうだ。疑う余地なし。
そんな私が答えなど到底見つからない世界に物心ついたときから人生の半分以上過ごしている。 いままで何人?いや何千人?の人々と接してきた。
引きこもりたい性格の私にとっては、相当の負荷だったのかもしれない。
そんなことは感じてないと思う強い自分と、耐え難い苦痛に襲われる自分の葛藤の繰り返しだった。
最近そのタームが短くなり、上下の波動が激しい。
「今日は今日。明日は明日」
何度となく心で言ってきた言葉。最近口に出そうになる。
いずれにせよ突き進むしかない、再起動やリセットが許されないのが人生の醍醐味とポジティブに考えよう。
リアルな私には今、圧倒的に1人の時間が足らない。
かつて何度も極限まで追い込まれてきた。その都度、「もうだめかも」と思ったが、なんとか乗り越えてきた。
そしてそういった期間がいつのまにか過ぎ去り、無意識のうちに隙をみせたり、油断したり、有頂天になっていると「ガツン」とまた突き落とされる。そんなことの繰り返し。
以前、年末大晦日の除夜の鐘が鳴り響くまで働いた時、ふと目に入った「占い」の文字に導かれ、みてもらったことがある。 1000円と引き換えにお願いしたのは、
「良いことはいらないから悪いことだけ時間いっぱい言ってください。」どこまでドMなんだ?
その時言われたこと
『あなたは心と精神そして身体が分離している。
精神力は人並以上に強い。一方で心が脆い。
「弱い」のではなく、「脆い」。
脆いモノは一見強固。ただ強固なモノはひとたび亀裂が入れば、あっという間に砕け散る。
あなたの身体はそれらを感じ取り表現することはできない。
残念ながら病気や言葉(弱音)という形で表現してくれない。
そのことを受け入れ、あらゆるバランスを常に意識して生きていく宿命にある。』
人生最初でおそらく?最後の占い。
昨日言われたように今も私の頭の中でリフレインしている。
これからの人生も良くも悪くも、表舞台の「私」と本来の「私」と付き合っていくことになる。真逆の世界を1人で生きていく。
引き裂かれるなよ「これからの自分」。