Jam Tun!  Jam Tun!

Jam Tun!  Jam Tun!

Jam Tun! (ジャム タン)とは、プル族の言葉で「平和だけ」ってこと。
あらゆる挨拶をされてもこの「Jam Tun!」って答えればオッケー!
セネガルの大地で青年海外協力隊員として、どっぷりプル族と向き合いながら生きた日々の記録。

青年海外協力隊として2009年1月~2011年1月に西アフリカ・セネガルの田舎町クサナールにて活動してました。


自分の貴重な経験を記録し、共有できればと思い、続けたブログです。


セネガルでの、ありのままを通じて感じた思いを書いてました。日本生活ではなかなか体験できないセネガルでの日々を知って頂ければ幸いです。




今まで関わった多くの人たちに感謝の気持ちでいっぱいです。仲間や家族の支えのおかげで、アフリカで活動するチャンスを頂き、無事に終えることができました。本当にありがとうございました。


今後もセネガルでの経験を活かして、皆様との繋がりを大切に自分らしく生きて行ければと思っております。

奥河洋介
Amebaでブログを始めよう!

2年間を終えて振り返ってみると、まず元気に無事にやりきれたことが素直に嬉しい。

2年間を終えての感想を少し書いてようかと。

Jam Tun!  Jam Tun!


【プル族の村人との関わりを通じて、、、】

電気も水道も学校も病院もない村で、自給自足で生きる村人。お金があまり価値をもたない社会で生きる村人の姿は、俺の価値観をぶっ壊してくれるものでした。みんな穏やかで笑顔で助け合いながらイキイキと生き、自然と向き合いながら生きるために働き、家族や仲間や家畜と関わりながら、JAM(平和)に溢れる日々を過ごす。いろんな問題もあるけど、村人と生きる日々は、めっちゃ素敵なものでした。

日本の企業で5年間働いた自分、この2年の経験をした自分。幅広い価値観を経験し、生き方を見て、感じることも考えることも多かった。これからの生き方にどんな影響を及ぼすんやろ。どっちがいいかではなく、自分にとっての大切なことを大切にできる自分でいたいなとは思います。

Jam Tun!  Jam Tun! Jam Tun!  Jam Tun!


【クサナールで向き合って積み重ねた2年間】

当初誰も知り合いがいない中で、人間関係を作り、生活環境を整え、現地語を学び、地域の状況を理解し、村を回り、活動を決め、村人と向き合いながら活動を進め、それを2年間やりきれたという経験。

誰も指示してくれず、進む道は自分で決めるしかない環境で、不安の中でいっぱい悩みながらやってきて、最後に村人に惜しまれて充実した思いで帰国きたことは、自分にとって大きな自信になりました。

ああすればよかったなんて言えばキリないけど、どこへ行ってもそこで「なんとかする」というたくましさは身についたかな。

Jam Tun!  Jam Tun!

Jam Tun!  Jam Tun!


【隊員仲間の繋がり】

セネガル同期やクサナールの隊員など、2年間で関わった隊員仲間と過ごした日々は一生の宝物。彼らと出会えただけでこの道を選んでよかったなと思う。弱いとこいっぱい見せて甘えたし、助けられたことばっかりで、彼らのおかげでやりきれたと思う。いっぱいバカやって飲んで語って過ごした日々は最高でした。この繋がりはこれからも大切にしたいな。

Jam Tun!  Jam Tun!

Jam Tun!  Jam Tun!


【協力隊事業について】

今、世間では事業仕訳けやらで、青年海外協力隊事業に対する風当たりはいいとは言えない。隊員の様子はセネガルしか見てないけれど、この事業は現地にとっても隊員にとっても、とても意味のある事業だと思う。

日本では経験できないことばかりだったし、隊員は現地の住民から必要とされる活動を頑張っていると思うし、これからもこの事業が継続的に続く事を願いたい。

そしてこの事業の一員として活動できたことを光栄に思う。

皆さんもやってみてはいかが??

Jam Tun!  Jam Tun!

後輩隊員が作ってくれました。


【ブログを始めて3年】

数えてみると、全部で448の記事を書いてました。毎月最低10回更新の目標はやりきれたのかなと思う。最後まで事実を俺なりに素直に書きました。

自分の経験の記録としても続けてよかったと思ってる。今まで読んでくれた人、ありがとうございました。

当初は閲覧数が1日10件以下だったのに、最近は毎日200台前後のPCから見てもらってるようで、ありがたい限り。

このブログで、隊員仲間に俺を理解してもらったり、日本の人に協力隊やセネガルを知ってもらえたのなら嬉しいです。

Jam Tun!  Jam Tun!

これからどう生きるかは、まだ全然わからないけど、それはまた別の話。

そして関わってくれた人、家族、友人、ありがとうございました。今後ともよろしくお願いします。


この記事をラストにこのブログは終了とさせていただきます。ありがとうございました。

ではでは。

日本に帰国して一週間。その違いが新鮮。

いちいち「すげえな!」と感心してる。例えばこんなことで。


シャワーの温度や水量が一定。

居酒屋に行って料理や酒を注文すれば、驚くほど早く出てくる。

どこ行ってもトイレが綺麗。

外は寒いが室内は暖房で暖かい。

夜でも明るい。

コンビニの品ぞろえが半端ない。

病院(健康診断)に無駄がない。

ウォシュレット。

ネットをつなごうと電話したらコールセンターがめちゃ親切。

卵の黄身がぷりぷり。

牛乳が美味い。

自動販売機。

電車4分遅れで館内放送。

万札出しても嫌な顔されないしちゃんと釣りが出てくる。

鍵や扉がスムーズ。


こういうことにいちいち感動できるって幸せなこと。

あたりまえだと思っていたことがあたりまえじゃないことを知って、日本ってすげえなと改めて思います。

こんなことが普通な世の中にした、日本の仕組みを作ってきた人すごいです。

みんなつまらなそうに下見て歩いてるけど、「凄いこといっぱいやで!」って教えてあげたいくらい。

パスオマル村の村人をここに連れて来たらどんな顔するだろうかとまじめに考えてまう。


ただ一方で、、、

ほとんど握手することないし

子供を抱きかかえることないし

町歩いてて自分の名前呼ばれることないし

いきなり呼ばれて食事ご馳走になることもないし

みんな怖そうな顔して携帯いじってばっかだし

なんかみんなせわしない。

セネガルのJAMに溢れた日々が懐かしくなることもある。


時間もたてば日本に馴染み、全てが普通になるんだろうけど、今感じれる「違い」に対する思いは、忘れないようにしたいな。どちらがいいではなく、いろんな世界があって、その中で自分が大切にしたいと思えることを大切にできるように。

帰国間際に後輩隊員が、帰国パーティを開いてくれました。その時の様子を日記に。

何度も帰国隊員を送り出してきたが、とうとう今回は俺らが帰る番。
Jam Tun!  Jam Tun!

3月に帰国予定の一つ後の隊次が中心となって企画してくれた、盛大なパーティ。
Jam Tun!  Jam Tun!

今回俺は、プル族の遊牧スタイルで登場。どうしても着たかったからついに実現!

Jam Tun!  Jam Tun!

大半の隊員がダカールのレストランに集まり日本人ばかり60人くらい集まった。ありがたいかぎり。
Jam Tun!  Jam Tun!

思い出いっぱいの同居人から素敵なメッセージをもらいました。

幸せものです。彼との思い出は一言ではとても表わせないけれど、彼がいたからこの2年間が充実したものになったと思う。ありがとう。

Jam Tun!  Jam Tun!

個性豊かな20年度3次隊の12名一人も欠けることなくみんな元気にこの2年という節目を迎えられたこと本当によかった。


夜は隊員ドミトリーに戻って2次会
Jam Tun!  Jam Tun!

いっぱい飲んで、いい時間でした。
Jam Tun!  Jam Tun!

有志によるセネガルダンスの披露があったり、楽団による合奏や、パラパラや AKB48やら、いろんな出し物もあって、最後は帰国隊員による合唱でしめくくり。楽しい夜でした。
Jam Tun!  Jam Tun!
セネガルに来たばかりの時に初めてでたソワレで、帰国する隊員が本当にまぶしく見えて、自分はあんなふうになれるのだろうかと2年間がとても長く感じたことが懐かしい。。。

こうしてソワレの舞台に送り出される側になるところまでこぎつけられて、こうして充実した気持ちで帰国できることは本当によかったなと思います。


それにしても、今の隊員仲間、おもしろい。。。

こういう後輩隊員とお別れになるのはさみしいもの。

みんなとはずっとつながってたいし、みんなの帰国後にまた再会できるのを楽しみにしてます。


そして幹事をしてくれたみんな、本当にありがとう。

前回やってるから知ってるだけにこんなにも凄い会にしてくれてほんま幸せもんです。ムービーも宝物です。

1月12日朝9時。無事に日本に帰国しました。

同期10人、元気に帰国です。2年ぶりの日本。
Jam Tun!  Jam Tun!

ダカール⇒パリ、パリ⇒成田での長い長いフライトの最後に飛行機から見えたでっかい富士山はなんか感動があった。山のない国セネガルから2年ぶりに帰ってきたんだなと。
Jam Tun!  Jam Tun!

帰国直後に朝から空港で、枝豆と共に生ビールで乾杯!美味かったーーーー

Jam Tun!  Jam Tun!

ちょうど2年前、同期のみんなと2年後の無事の帰国を誓い合って出発した日から2年。

こうしてみんないい顔して元気で帰国できました。関わってくれた人ありがとう。

Jam Tun!  Jam Tun!

日本の寒さに驚き、服を買い込み、最初の夕食は豪華な鍋を頂きました。

日本食最高!!この日以降、寿司、とんかつ、ラーメン、居酒屋。2年間味わってなかった日本食の幸せにひたってます。

Jam Tun!  Jam Tun!

2年。。。

あっという間とはとても言えないけれど、いろいろあったけど、

とにかく健康に無事に2年間やり終えれてほんまよかった。

そして、自分らしい2年間を作れたかなと、充実した気持ちで美味しい料理と素敵な仲間に囲まれて過ごす、帰国直後の日々は格別です。

17日に西宮の実家に帰ります。

ダカールに最終上京してきて帰国に向けて追われるような毎日です。

JICAからの支給品を返却したり、銀行を解約したり、何かいいお土産はないかと街に繰り出してみたり、大使館への表敬訪問だったり、セネガルのお役所への挨拶だったり、最終報告会だったり。。。

夜は、隊員仲間やお世話になったJICA事務所の方々と食って飲んで話しての日々。

体が持たん。


既に任地を離れてしまったこともあって、最後だからとかなり贅沢な日々を送ってるものの、ダカールの隊員宿舎という仮住まいのような場所での生活ということもあって、日本に帰りたい気持ちも増してきた。


ただ、これまでいろんな思いを共有してきた隊員仲間と離れるのはやっぱりとても寂しいもの。

今夜は後輩隊員が主催してくれる送別パーティ。

たくさんの先輩隊員の帰国する姿を見てきたけど、とうとう自分たちがそうなる番。

セネガルに来た当初、帰国する隊員がめちゃくちゃ凄くて眩しく見えて、2年後の帰国までたどりつけるのか、ずいぶん2年が長く感じことがなつかしい。


まだ日本に帰るとどんなことになるのか想像もつかないけど、今は残りわずかのセネガル生活を仲間と共におもいっきり満喫できれば!!

明日朝にクサナールを離れるのでクサナールで過ごす最後の1日。

たくさんのお別れをした感慨深い1日でした。

Jam Tun!  Jam Tun!

マルシェ(市場)の挨拶まわり。いつもくだらない話をグダグダしていたクチュリエ(洋服仕立屋)のみんな。

そのままご近所や、お世話になった人たちの家を回る。

こんなにもいろんな人と関わってこの町で生きてたんだと再確認。

寂しがってもらってありがたい限り。
Jam Tun!  Jam Tun!

そして家に戻って2年間お世話になったバイクを磨きあげました。走行距離6500キロ。悪路ばかりを無事故で走り抜いてくれたヤマハの愛車です。

そしてスーツケースに荷物をまとめたり部屋を片付けたり。

Jam Tun!  Jam Tun!

夕方にはいつもお世話になってる家族が遊びに来てくれた。やっぱり関わった時間が長いだけ思い入れも強い。
Jam Tun!  Jam Tun!

お別れは寂しいです。
Jam Tun!  Jam Tun!

食器洗いの風景。こういう何気ない日常も終わってしまうのはなかなか実感がわかない。

Jam Tun!  Jam Tun!

夜は一番の友達パティ・バと共に宴。イスラムなのに我が家でだけとがっつりビール飲みます。

クサナールに来て最初に関わったのも彼だったし、活動でも最も関わりが深かったのも彼。

俺のクサナール生活ラストを彼との時間で終わらせれたことは本当に良かった。

Jam Tun!  Jam Tun!
生活から活動まで何から何まで一緒だった同居人。本当にありがとう。
彼との出会いが、俺の2年間を振り返って最大のラッキーであり転機でした。

セネガル時間の12月31日18時に全ての活動を終了しました。

ラスト1週間、いっぱい関わってきた10村全てとお別れ。寂しいすぎる。

とても一言では言い表せない2年間で、村人といっぱい向き合って人間関係を積み重ねて来て、最後にこうして惜しまれながら任期を終えられるというのは幸せなことだなと思う。


そして自分なりに、自分がやろうと決めた活動は、とことんやりきれたと思う。

最後の訪問で村人と記念撮影。とても選べないので全部載せます。

①サーレデラル村

Jam Tun!  Jam Tun!

②パニャットジュルデ村

Jam Tun!  Jam Tun!

③パニャットグンド村
Jam Tun!  Jam Tun!

④マディナニャーナ村

Jam Tun!  Jam Tun!

⑤シンチューガニャ村

Jam Tun!  Jam Tun!

⑥シンチュージュテ村
Jam Tun!  Jam Tun!

⑦サーレハッジ村。最後にプラール語の手紙までくれました。

Jam Tun!  Jam Tun!
⑧シンチューダワディコトー村
Jam Tun!  Jam Tun!
⑨サーレニャンバ村
Jam Tun!  Jam Tun!
⑩パスオマル村。この村がもっともJAMに溢れる村です。
Jam Tun!  Jam Tun!
素敵な村人とたくさん関われて、ここで活動できて本当によかった。

また何年か後に、ここに来れたらな。

明けましておめでとうございます。

31日も夕方まで村に行き、ようやく活動は終わったものの、あと3日で、クサナールを離れなければならないといことで、こんなに新年らしくない年越しは初めてです。


しかも31日夕方からクサナールはずっと停電。

Jam Tun!  Jam Tun!

まあ2年も住んでりゃそんなことにはびくともせず、ろうそくを贅沢に使いまくって、男3人でのキャンドルナイト。

Jam Tun!  Jam Tun!

そして日本から送ってもらった貴重食材での年越しそば。

そして新年。
Jam Tun!  Jam Tun!
9月に帰国した元同居人から送ってもらったしめ縄を飾りながら、荷物の片づけに追われてます。


今年もよろしくお願いします。

まずは、無事に帰国できますように。

忙しすぎて目が回る。。。感情が揺さぶられ過ぎてます。

ただ今の気持ちは今のうちに書いておかなければとブログだけは頑張っておこう。


今までお世話になった村への最後の訪問。

いろんな経験をしたし、プラール語もいっぱい教えてもらったし、食事やアタヤもいっぱい出してもらったし、関わってきた村人には感謝の気持ちでいっぱい。何もあげずに積み上げた人間関係は誇りでもある。

でも、最後、やっぱり感謝の気持ちをカタチで表したいなと思った。

あげるならジョーロかなと思ってた。

1つ6500fcfa。日本円にして1300円。私費だけど、別にこのくらいはなんとでもなる。


ただ正直とても悩んだ。

モノをあげる物資援助ばかりの周囲の援助機関にイライラさせられたこともあるし、比べられて無力感を感じたことも何度もあった。

俺は帰国してもここクサナールに隊員は残る。それを考えるとボランティアがモノをあげたという前例はあまりよくない。

モノをあげたことで、俺の印象は「ジョーロをくれた人」になってしまうのではないか。人間関係を覚えてほしいおいう思いもあった。

この村で調達できるモノでやるのが「あるべき姿」だとも思う。

もしこのジョーロが壊れた時に、村人は野菜栽培のモチベーションが下がるかもしれない。

などいろいろ。


だから、渡す村、渡す時の説明、渡すタイミングには最大限、気を使った。

同任地隊員とも相談して、自分なりの迷いに自分なりに回答をみつけて、渡したつもり。

そして選んだ2村。今まで最も野菜栽培を頑張ってくれた2村。リーダーが成長したなと思える2村。思い入れが特に強い2村です。
Jam Tun!  Jam Tun!

サーレニャンバ村。彼らの成長スピードには何度も驚かされた。

Jam Tun!  Jam Tun!

そしてシンチューガニャ村。この村と積み上げた日々が俺にとっての2年間と言ってもいい。

Jam Tun!  Jam Tun!
いろいろ迷ったけど、彼女たちが俺の意志を理解して受け取ってくれ、しかも実際に水やりをしている様子を見て、嬉しかった。これまで大きなバケツを抱え、工夫して作った道具を使い、しゃがみこんだり腰をかがめながら水やりしてる様子を見て来た俺にとっては、あげてよかったなと思えた。

俺が通ってこな来なくなることで、モチベーションが下がることは想像できるから、このジョーロがモチベーションを維持することにつながってくれたらなとも思う。

俺がいなくなった後、この村がずっと野菜栽培を続けられるかが、俺の活動の成果。

何年か後にこの村にまた来たいなと思います。