歪んだものほど美しい
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刺青 女 画像 「幻のいれずみオリンピック」

東京オリンピック開催にあわせて「いれずみオリンピック」が計画されていたことをご存知ですか?

1940 ( 昭和15 ) 年、アジア初のオリンピックが東京で開催されることになっていた。 というのは皆さんもご存知だと思いますが、実は、「東京オリンピック」にあわせて江戸彫勇会「いれずみオリンピック」を開催しようと計画していたようなんです。

「東京朝日新聞」 1936年(昭和11)8月21日夕刊
「いれずみオリムピック 鳥肌だっても寒うはない」 より

江戸っ子の勇み肌、御自慢の刺青をすっぱりと見せびらかして百人程、二十日朝から王子名主瀧に集まった、江戸彫勇会刺青競艶納涼会と立札をかかげた珍奇な会だ、競艶というのだが、大抵はもう中老の爺さん連だから名主瀧の冷風に鳥肌立って小皺も目立つそのかみの勇み肌である

中に女も五、六人、下谷「加組大門町の姐御」笹岡たいさんの三紋龍京橋月島の内田つるさんの天人など男も及ばぬ総身のいれずみだ、姐御に似合わぬ洋装めいたアッパッパをさらりとぬいで「さあ見てくんな」と今日ばかりは裸ン坊大威張り

死んだお札博士スタールさんが大の刺青好きだったんでね、その追悼も兼ね、オリムピックが東京へ来たら一つ大々的に展覧会をやらかそうってんで準備してるよ、これもゲイジュツというもんだあな という気焔であった。 【写真は姐御の一人】

いれずみオリムピック


しかし、戦争の影響で両方とも幻のオリンピックになってしまいました…

写真は、初代彫五郎 内田五郎氏の妻、内田つるさんだと思われます。
文身百姿によると、彫五郎師の妻も背中に天人、両腕と腰に鯉の文身があるとのことです。

「文身百姿」 玉林晴朗・著 文川堂書房・刊 1936年(昭和11)
P.203 文身師の女房 より引用

彫五郎の女房背中に天人両腕と腰に鯉の文身がある。この人は深川の或映画館を経営して居た人の娘だと云われて居り、現存の人であって其の文身は亭主彫五郎の作に成る見事なものである。』

昭和4年に発行された「民俗藝術」 にも つるさんの写真が掲載されています。

「民俗藝術」 貳卷 第八號 いれずみ研究


刺靑研究の興味 1929年 福士政一氏寄稿 より
彫師の妻(四十歳) 二十五歳の時刺青す
背腰部 天人鼓を打つ図(朱入)
(右上肢 登り龍)
(左上肢 降り龍)



また、戦後まもなくの昭和24年に発行された
「ルック エンド ヒヤー」 創刊號 にも掲載されています。


医者の書く雑誌
「ルック エンド ヒヤー」 創刊號 1949年3月

血のかよった芸術 (その三) 医学博士 福士 政一氏寄稿 より

昭和七、八年頃満州より帰還。当時三十七、八歳にてすこぶる美人だったと云う。
刺青は二十二、三歳の頃にやったもので、図柄は天女の舞、 本人はどこかに現存している筈である。



やはり、2020年は「いれずみオリンピック」も復活でしょうか?

 

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