カメラマンの独り言

カメラマンの独り言

「カメラマン」「経営者」としての独り言を
だらだらと、そしてつらつらと書いています。

Amebaでブログを始めよう!
15年前のエッセイより抜粋…。

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ここ何年かで急激に普及した「LINE(ライン)」というメッセージをやりとりするアプリ。

Facebookの「メッセージ」でも同じような機能があるが、両方に共通しているのが「既読」という機能。

手紙やメールの時代は、相手が読んだかどうかは「返事」をもらうまではわからなかった。

ところがこの「既読」機能がついたお陰で相手が「読んでくれた」「確認してくれた」がわかるようになったので便利になったのは確か。

反面この「既読」機能があるために、読んでいるのに返事がないと一喜一憂する方も多く、特に若い方々は「既読無視」とかでイジメにまで発展したり…。

こうなると、もう便利なんだか不便なんだかわかりません…(汗)。

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15年前、メールについてとある人物と語ったことがある。

当時急激に普及してきたメールは、人間関係においてどういう影響が出るのか、便利なのか不便なのか、文化としてどうなのか等々…。

その頃、急ぎなら電話、いつか見てくれたらいいがメールだった。

大体メールって「一日一回確認すればいい」程度の時代だったからね。

で、その「電話」と「メール」の大きな違いって…。

「電話」の場合は「かけた方の都合」で「相手の時間」を頂く。

それに対してメールは「受信者の都合」で時間が使える。


実はこの違いって大きいんです。

例えば、集中して作業しなければならない仕事があったとします。

集中力を高めて仕事がはかどっている時に電話があり、別の用件を頼まれたりすると、せっかく高めていた集中力がそがれ、また高めるために物凄い時間がかかってしまう。

本当に急ぎの用件なら仕方がないが、後でも出来る様な確認程度のものだったりすると、正直「殺意」さえ覚える(笑)。

トドメに今では携帯が普及し、ナンバーディスプレイが当然になっているので、下手に出ないと「私だから出なかった」とか思われたりする。

やっぱり便利なんだか不便なんだかわかりません…(汗)。

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このエッセイ(抜粋)を書いていた当時、仕事もいっぱいいっぱいでなかなかプライベートの時間を取る余裕がなかった。

そんな中メールで「何時も楽しく読ませてもらってます」という連絡があり、ちょっと時間が出来たのでお礼の返事をした。

その後の返事で「お忙しいと思っていたので、返事は期待していませんでした。でも私のためにお返事を書く時間を割いて頂いて本当に嬉しいです!」と…。

あ、こういう事かって思った。

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自分はキーボードをブラインドタッチで、それこそしゃべる速度を超えるくらい早く打てる。

だからこの程度の文章量なら10分もかからず打ててしまう。

ただ「内容を考える時間」は関係ない。

ところが昨日今日キーボードに触れた人は、内容を考える時間と、それをキーボードで打つ時間の両方がかかる。

なので同じ文章の量でも、それにかける「時間」は人により同じとは言えない。

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まだ携帯電話で簡単にメールが出来る様な時代ではなかった頃、あるひとり暮らしの女性がこんな事を言っていた。

「パソコンが使えず、キーボードなんてまともに打てない実家の父からメールが来た。
 一言『元気か?』という内容のものだったが、それを読んで涙が止まらなかった。
 このメールを送るために父はいったいどれほどの勉強をしたんだろう。
 いつも偉そうにしている父が、会社の部下に頭を下げて教えてもらったりしたんだろう。
 やっと送ろうと思ってパソコンの前に座り、文字がどこにあるのか、どうすれば変換できるのかを考えながら、指一本でキーボードを叩いている父。
 その後ろ姿がメールから伝わってきた。
 これほど元気が出たメールは今まで無かった。」


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手紙やメール、LINEで送ることが出来るのは「用件」だけではありません。

実は「時間」も送ることが出来るんです。

それは「あなたのことだけを考えていた時間」

そして返事をもらうためには、自分のことだけを考える時間を、相手から頂かなければならないんです。

お金より何より大事な「時間」というものを相手から頂くというのはどういう事か…。

そんな事を考えながらメールやLINEと付き合って行ければ、今より楽しくやりとりできると思います。

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 よくブログで「私(松本)はクリエーターとして…」などと表現していますが、このクリエーターとは創作家、製作者の事を指します。

 日本では一般的に「アーティスト」と混合されがちですが、まぁ芸術作品をつくるのもクリエーターと考えれば、あながち間違いではありません。

 このクリエーターに憧れる人が世の中にはたくさんいらっしゃいます。

 私の業種で言えば「プロカメラマン」「映像編集者」「デザイナー」など。

 写真や映像、紙面で何かを表現するというというのも、まさにクリエーターですから。

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 さて、まずひとつの定義として、クリエーターとそうで無い人の大きな違いは「送り手」「受け手」か。

 例えば映画を観る。

 映画を作っている人はクリエーターで、観ている人はそうで無い人。

 ざっくりですが、まずこの点を押さえておいて下さい。

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 私(松本)は、小さな頃から変わった人間でした。<今もだけど(笑)

 親や先生から見れば、本当に心配になるほどの変わり者。

 例えば算数で「八百屋さんにみかんが2個、りんごが3個ありました。あわせていくつ?」という問題があったとします。

 他の生徒は「2+3=5個」と「簡単」に答えます。

 それに対し私は「みかんやりんごの品種は、どんなお皿に乗って売られているのか、八百屋さんはキテレツのアニメみたいなお店なのか、住宅街にあるのか商店街なのか…。」と想像が止まらなくなって、結局「5個」にたどり着くまでクタクタになってしまうんです。

 いわゆる「その問題には書かれていないシーンまで考えちゃう。

 なにか、問題の文字の中に吸い込まれていくような感覚。

 大人が「2と3を足せば5だよ」と言えば「算数的」には理解できます。

 でも、何故違う品種を足す事が出来るのか、どういうお店でどんな従業員がどんなお皿に盛って…という部分が自分で設定できないと「納得」できなかったんです。

 これを大人に話した所で「面倒くさい奴だなぁ」と言われちゃうので、当時は思っても考えないようにしていました。

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 今考えればバカバカしい事なんだろうと思います。

 でもこの「バカバカしさ」は未だに抜けず、ありとあらゆる物を見ると、その「裏側」まで考えてしまうようになりました。

 例えば「ちょろQ」というオモチャ。

 この商品名を、いいオッサン達が会議室で円卓を囲み、あぁでもない、こうでもないと話し合っていて、恰幅の良い部長クラスがざわめく会議室で「だまれぇ~!」と怒鳴る。

 そして低音でゆっくり「このオモチャはちょろQと命名する!」

 一同「ははぁ~」

 とかとか…(笑)。

 もう全ての物で、こういう想像や妄想をしてしまう。<面倒くせぇ(笑)

 それまでは「みんなそう考えるよね」と思っていたんですが、これを他人に話すと大笑いされる。

 何故笑う?
 何故そこまで考えない?

 正直驚いたこともたくさんありました。

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 話を戻します。

 クリエーターになると言う事は「送り手」になるということ。

 今まで「受け手」として楽しんでいた物を「なぜ楽しんでしまったんだろう」「なぜ面白がってしまったんだろう」と想像、妄想を働かせて分析し、「送り手」側の意図を読んでいく。

 笑ったら、何故笑ったのか。
 泣いたら、何故泣いたのか。
 感動したら、何に感動したのか。


 喜怒哀楽、その全てを「受け手」から「送り手」として考えなければ、クリエーターにはなれないんです。

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 弊社の社員には良く言っていますが、私に映画やアニメ、小説などを薦める場合は、ただ「面白いんです」では許しません。

 あらすじを言わせ、どこがどの様に面白いのか、見所はどういうところなのか、そして「ネタバレ」をさせずに如何に「観たい」と思わせるかを言わせる。

 要は「予告編を口で言え」という事。

 そしてコレができない限り、編集ではクリエーターにはなれないし、写真で人を感動させることは出来ない。

 自分は送り手なのか、受け手なのか。

 クリエーターになりたければ、いつでも「送り手目線」で物事を見る必要があるのです。

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 ミケランジェロが、有名な「ダビデ像」を掘った時の話。

 岩を目の前に、寝食を惜しみ、一心不乱に掘り続けるミケランジェロ。

 それを心配した弟子達が「先生、休んで下さい」というとミケランジェロは言った。

 「早く、一刻も早く、この岩の中にいるダビデを出してやらねば!」

 …、これがクリエーターなんです。

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 それこそ、今これ(ブログ)を読んでいても、クリエーターになるためのセンスは磨けます。

 このページをデザインした「クリエーター」がいます。

 他にも、自分の目の前には今、何がありますか?

 それを作った「デザイナー」という「クリエーター」がいることが見えますか?

 そのデザイナーは、それを作る時、何を考えて作ったんでしょうか?

 どうしてデザイナーはその形にしたんでしょうか?

 なぜその色にしたんでしょうか?

 …そこを読み取れるようになると、クリエーターとして成長できます。

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 クリエーターとは「送り手」の事。

 送り手になるためには、送り手の事を考えるのは当たり前。

 上手いなと感動したら、なぜ感動したかを分析する。

 それを繰り返し、気がつけば自分だけの「もの」が出来上がってくるんです。


 ひとつの物を真似すると「パクリ」になりますが、複数の物を真似して作り上げた物は「オリジナル」なんです。

 真似から入るのは間違いではありません。

 どんどん真似して、あらゆる物を吸収し、それを「アウトプットできる」ようになれば、クリエーターとしてどんどん成長できるのです。

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忘年会シーズン真っ直中なので、こんな話しは如何でしょうか?

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啓発本を読んだり、経営の学びに行くと「成功するにはチャンスをものにする」という話が良く出てくる。

チャンスを逃さず攻めるとか、チャンスを見極めるとかとか…。

そしてチャンスをものにした者が成功するなどなど…。

私は天の邪鬼なのか、この「チャンスをものにする」という「言葉」がどうも胡散臭くて苦手だったりする。

だって「チャンス」って目に見えなくて、どれがチャンスなのかわからないし、運だのみだったり願掛けだったり、どうも気持ち的にしっくりこない。

まぁ、チャンスをものにするという「気持ち」はもちろん良くわかるんだけどね。

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経営を学ぶ機会に恵まれ、たくさんの経営者とお会いできた。

もう経営の大先輩たちなので、話すだけで「勉強」になる。

そしてそういう方々とお話しさせて頂いているうちに「チャンスをものにする」というのがどういう事なのかが解ってきた。

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皆さん「成功者」だと「私から」は思いますが、現時点で成功者といわれれば多分「発展途上ですよ」と否定する。

でも、コツコツとチャンスをものにして現在の立場になったのは間違いない。

お付き合いをさせて頂いているうちに、そういう方々には「ある共通点」がある事に気がついた。

それは「ノリが良い」なんです。

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例えば「ご飯行こう!」と誘われると、ほいっと行く。

遊びに行こうというと、びっくりするくらい全力で遊ぶ。

仕事でも、嫌だなというより「やっちゃうもんねぇ~」という感覚。

この「ノリの良さ」が「チャンスをものにする」という事なんだと。

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ご飯を一緒に食べに行く、遊びに行く…、そうするとそこでまた別の人に出会える。

その出会いから、また次の出会いへと繋がっていく。

昨今、会社の忘年会や飲み会、食事会に誘っても「プライベートを大事にしたい」とか「面倒くさい」いう理由から行かない人も多いとか。

そうするとね、そこで一つ「チャンスを逃す」んだと思う。

行ってもチャンスをものに出来ないで終わるかもしれない。

でも行かなければそのチャンスにさえ出会う事が出来ない。

人付き合いが苦手とか、コミュニケーションが苦手とかそういう人もいるんだろうけど、やっぱりそれで沢山のチャンスを逃しているような気がする。

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「チャンスをものにする」というのは「ノリがどれだけ良いか」とほぼイコール。

皆さんの周りで「すごいなぁ」とか「成功者だなぁ」という方は、間違いなく「ノリが良い」はず。

チャンスは落ちていません。

待っていても来てくれません。

どれだけ「ノリが良いか」で、チャンスの量が変わってくる。

運が良いというのも「ノリが良い」から「運が降ってくる量が増える」だけなんだと思います。

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結局、人から何か頼まれたり誘われているうちが「チャンス」。

それを活かして、チャンスをものにしましょうね。

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この時期になると思い出す出来事がある。

もう20年以上前、音楽だけで食べられなくなり、トラックの運転手をしていた頃の話…。

長くなるかもしれませんが、ちょこっとお付き合いください。

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その頃の仕事形態は、お昼頃家を出て、次の日のお昼に帰る「24時間交代勤務」。

で、帰ってきたその日はお休みで、次の日の昼にまた出ていく。そんな勤務。

大手宅配業社の下請け会社にいたんだけど、ここでは夜中の荷物仕分けに、一般募集の他に「大学生」をアルバイトとして雇っていた。

それも大学の「サークル」ごと。

だから、夜中は大学生だらけで、それもやたら「活きのいい奴ら」ばっか(笑)。

で、私は夜中に「千葉・横浜」を走る定期便の運転手。

ご想像通り、このルートは夜中にすれ違う車は怪しい「カップル」だらけ。

その年、たまたま「クリスマスイブ」に仕事が当たっちゃったんだ。

わかると思うけど、イブの夜中にトラック走らせるのはやたら悲しい。

だって、ラジオはすべてクリスマス特集だったりするし、町並みもすべてサンタだらけの状態を、1人個室で「仕事中」に見るわけ。

特に横浜に向かう道は、この様な光景が多いし、なぜか混む(笑)。

その日、荷物を積み終わったのが夜の9時過ぎ。

「なんでオレがイブに仕事しなきゃなんねぇんだよ!」ってふてくされながら横浜に向かい、11時頃目的地に到着。

当然この時期はお歳暮シーズン。

膨大な量の荷物を効率よく移動するために、トラックをやたら増発させていた。

だから、どこの荷下ろし所も大混乱。

その場に到着してもなかなか荷物を下ろすところまでたどり着けない。

地方から来た運転手もいらいらし、最後尾は一般道までに達し警察まで出て整理を行う始末。

その混乱をなくすため、大学生をトラックの誘導員として入り口に立たせていることが多かった。

反射板付きのベストを着て、赤い光る棒を持たせてね。

横浜も例外じゃなく、大学生の誘導員を入口に立たせていたんだよ。

1台1台ベース(荷下ろし所)に入っていくトラックを、寒い中一生懸命誘導していたんだ。

自分の前が広島便のトラックだった。

混んでいた上に、着いたとたんの渋滞で苛立っていたんだろう。

その誘導員に食ってかかって罵声を浴びせていた。

学生も寒い中、ただひたすら謝るだけ。

確かに遠くから来て疲れていて、やっと着いたと思ったらこの渋滞でしょ?

苛立つ気持ちも分かるけどさぁ・・・。

それを後ろから見ていたら、何かいたたまれないものを感じたんだ。

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待っている時、ふと助手席に目をやると、ヒーターで暖まっていた缶コーヒー(当時はまだ100円だった)が1つあった。

で、これをあの学生にあげようと思ったんだけど、ただそれだけをあげるんじゃぁ「自分らしく無い」んで、運転席に積んであった赤いビニール紐をプルトップにリボンのようにつけた。

その学生の横に来た瞬間、おもむろに窓を開けコーヒーを差し出しながら、やたらでっかい声で…。

「メリークリスマス!!!」

学生は一瞬怒鳴られたと思い、体を固まらせていた。

彼がリボンのついた缶コーヒーを差し出している私を見て、何が起こっているのか理解した瞬間、はちきれんばかりの笑顔で「メリークリスマス!!!」って言い返してきたんだ。

で、どうせ渋滞しているんだからとトラックの助手席に乗せて暖まらせてあげた。

だんだんトラックがはけてきたので、お互いまたもとの仕事に戻っていった。

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翌出社日、いつもと同じように横浜へ行くと、やっぱりその学生が交通整理をしてた。

でね、私のトラックを見るなり遠くから全速力で駆けて来て「缶コーヒー」を渡してくれた。

でもそれは「冷たくなった」缶コーヒー。

そいつ曰く…

「冷たくってすみません。でも今日こちらに来ると聞いていたんで買っておいたんスよ。でもちょっと早く買いすぎて冷えちゃいました。本当にすみません。」

何度も頭下げながら言う彼。

なんかうれしくなっちゃってね。

助手席においてあった温かい缶コーヒーと取り替えてあげた。

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年が明け、冬休みが終わったのか、その学生は来なくなった。

で、それ以来横浜で二度とその学生に会うことはなかった。

2年くらいたった頃、突然彼から私の「自宅」へ電話があった(当時はまだ個人情報保護なんて適当(笑))。

「大学卒業して東北に就職が決まりました。松本さん、確かスキーが趣味って言っていましたよね。今度泊まりがけで来て下さい。」

「え?え?急にどうしたぁ?しばらく思い出せなかったよ。それにしてもよく自宅の電話番号知っていたね。あん時、教えたっけか?」

「すごい苦労したんですが調べたんスよ。どうしても就職が決まったことを一番に伝えたかったんス。だって今でも忘れられないッスよ。あの『クリスマスイブ』に渡された缶コーヒーの味は。あん時、すっげーうれしかったんス。あんなにうまい缶コーヒーは無かったっス。あれ以来、いつかお礼をしたいと思っていたんですが、学校も忙しくて連絡できなかったんスよ。本当はご自宅にお伺いしてお礼したいんですが、何せ貧乏なものでそれもできません。ですからスキーに行くときは是非こちら方面に来て下さい。お風呂と寝床くらいしか用意できませんが、それでも良かったら・・・。」

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私もこの学生も(すでに社会人だけど)、本当に暖かいクリスマスイブの思い出になった。

端から見れば「寂しい二人」って思われるだろうけど、自分達には一生忘れられないクリスマスになった。

みなさんには、もっとすばらしいクリスマスの思い出があるだろうけど、私にとっては、これが最も暖かいクリスマスの思い出かな?

女性との思い出ではないのが、ちょっと悲しいけどね(笑)。

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ちなみにこの文章、懐かしんでいる方もいらっしゃると思う(笑)。

これ、1998年12月に掲載したエッセイ。

すでに16年も前だとよぉ~!

…(涙)

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某箇所でまとめて於いたのですが、15日の終戦日を向かえるに辺り、ブログでもまとめておこうかと思います。

戦争賛美や右翼思想というのではなく、あくまで「事実」という事でご一読願います。

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玉音放送(ぎょくおんほうそう)と言えば、大東亜戦争(第二次世界大戦)で昭和天皇が国民に対し「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」と呼びかけ「無条件降伏(ポツダム宣言)」に至った程度しか知らず、全文を調べようなど思った事もありません。

正直「終戦という出来事の一部」程度の知識だったのですが、ネット上に「玉音放送の現代語訳」があり一気に読んでしまい鳥肌が立ってしまいました。

なぜこの全文が「教科書」に載らないのか不思議でしかたありません。

-----以下、玉音放送全文

世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。

常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。

私は日本政府担当者に米国、英国、中国、ソビエト連邦の4カ国に対して、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。

そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。

最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も、日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。

けれども戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。

その上、敵(アメリカ)は残虐な新型爆弾(核爆弾)を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。

もしもこれ以上戦争 を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、 ひいては人類(日本人とは言っていない)の文明すべてを破壊してしまいかねない。

そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。

これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。

私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。

また、日本国民であって戦地で命を失った者、 職場で命を落とし、悔しくも天命をまっとうできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、 心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。

戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。

この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。

みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。

けれども私は時代の運命の導きにそって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。

私はこうやって日本の国の形を守ることができたのだから忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、常にあなたがた臣民とともにある。

感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。

何とか国全体が一つとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて 総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、 日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。

私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよくよく理解してもらいたい。

-----ここまで引用

私(松本)は生を受けてからの、昭和天皇、今上天皇を尊敬し、お慕いしています。

私は「右翼」なのでしょうか?

ネトウヨなのでしょうか?

多分、「普通の日本人」だと思います。




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どこに分類すべきか悩みましたが「仕事」という事でご了承ください。

また「文面」だけだと、物凄い「罰当たりな奴」と捉えられかねませんので、結構ビビっていたりもします(汗)。

まぁ営業マンとして酬われなかった「親父への手向け(たむけ)」として「ネット上に記録」しておいてやろうかなという親孝行という意味でご理解下さい。
m(_ _)m

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さて私の「親父」は昭和13年の10月下旬産まれ。

そうです、あの「五黄の寅年」産まれです。

もう瞬間湯沸かし器より早い短気だし、気性は激しく、曲がった事が大嫌い、一度怒ると1ヶ月は口をきかない。

潔癖症も合わさり、親父が自宅にいると家族中がもうピリピリ状態。

団塊世代のため仕事一筋で家庭を顧みず、休日は接待であちこち行き、平日は朝早く出て夜遅く帰る。

「男は仕事最優先だ!」を地でいく親父。

小さい頃に「親父と遊んだ記憶」は「全く」無く、会話も殆ど無し。

私はそんな親父がずっと「大嫌い」でした。

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親父は某「一部上場企業」の営業マン。

後年、親父の部下だった方に聞いたのですが、その手腕は物凄かったらしいです。

日本中に支店がある企業だったのですが、親父の下で働いた経験があるという事だけで、各支店では「別格」扱い。

何でもその企業には「松本学級卒」という言葉まであったと言います。

転勤族でしたがその先々で売上を「日本一」にし、部下・顧客第一主義を貫いたため何度も上司と大げんか

高卒で入社し定年退職するまで「無遅刻無欠勤」。<本当です

定年間近に恩赦で「部長」の肩書きを与えられましたが、実は支店長よりも「格は上」という扱い。

大体「元部下」が「支店長」になっている所に移動する時がありましたから、その支店長が何かを決定する時、部下であるはずの親父に「意見を求める」という状態になっていたとも聞きました。

「支店長」やら「本社勤務」は生涯かなわなかった親父。

そんな親父の口癖は「オレに売れない物は地球くらいだ!」でした。<エリア88のマッコイじいさんかい!

ただ「自宅」では、本当に偏屈親父で、細かい事にうるさいし、怒る事はするが絶対に誉めない。

仕事が上手く行かないと自宅で一言もしゃべらず、いつでも苦虫を噛み潰したような顔をしている。

もう、本当に大が100個くらいつくほど大嫌い。

なので、高校を卒業後はすぐにひとり暮らしを初め、親父から「逃亡」しておりました。

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それなりに月日は流れ、自分も「ラッパ」で仕事が来るようになりました。

ある時「習志野市でサンバフェスティバルの様な祭りをやりたいんだけど、その時の曲を吹いてくれないか?」という演奏依頼があった。

これ習志野市では恒例の市民祭りになった「習志野きらっと」の第一回目でございます。

初めてのイベントと言う事で「せっかくだから行列の先頭で演奏しながら歩いて欲しい」とも。

千葉テレビやら何やらが撮影に来るというので、お袋に「オレが祭りの先頭で出るから見ておいてね」なんて連絡。

当日、京成津田沼駅の前から市役所辺りまで歩きながらラッパを吹く。

時間が来て担当者が「じゃ、お願いします!」と号令をかけラッパを構えた時、駅のロータリー辺りにもう何年も会っていなかった「親父」の姿が見えた。

その周りには場違いなスーツ姿の男女が何人もいて、親父が私を指さしながらその人達に対しなにやら話しをしている。

気付かないフリをしつつラッパを吹き初め行進し出すと、一緒になってスーツの団体が動き出した。

「うざいなぁ~、帰れよ!」と思いつつ市役所側の空き地の櫓(やぐら)まで行き、その櫓の上に登って最後尾が来るまで30分?くらい吹いていた。

櫓の上から、空き地の入り口付近でたむろしているスーツ姿の団体が見えた。

その時やっと「あ、親父は部下に自分の息子を誇らしげに話して喜んでいる」って気がついた。

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結局ラッパでは芽が出ず、その後脱サラして今の会社を「起業」したが、実はそれからが「地獄」だった。

自分の一部始終に関して、親父が口を出してくる。

自分の経験談、会社とは、企業とは…を来る度に言われ、説教説教、また説教。

親父は自分が培ってきたノウハウを叩き込もうとしたんでしょうが、あまりの猛攻に結局「精神を病んだ」状態に。

親父もそれ以来、会社については口出しする事が無くなり連絡も一切取らなくなりました。

そして2006年の正月、大動脈破裂によりポックリ他界

長男だったため、告別式で「私」が挨拶をしたのですが、その挨拶は…

「私は、親父を超えるために必死だったのに、死んで勝ち逃げしました。絶対に許せません。なので親父の墓参りは親父を超える時までしません。もし墓参りをする時は、会社を大成功させた売上の札束もって、墓石をひっぱたいてやります。」

でした。<マジです

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月日は流れ、経営について、人財育成について、営業などについてを学ぶ機会に恵まれました。

ところがその殆どが「現場に居続けた親父の言葉」に枝葉を付けた物だった事に最近気がつきました。

というか、経営を学びに行く度に「あ、親父が言っていたのはこういう事だったんだ」と。

以下、起業当時、親父が何度何度も自分に言っていた言葉集からの抜粋です。

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「人は金じゃ動かない、心で動かせば命をかけてくれる」

「現場を知れ、管理を知れ、経営を知れ。そうすれば自ずと答えは出てくる」

「社長が遊ぶ時は徹底的に遊べ。その先に問題の答えがある」

「物を売るな、人を売れ」

「お客は商品を買うんじゃない、心意気を買うもんだ」

「世界を動かしているのは総理大臣でも大統領でも神様でもない。営業マンが世界を動かしている」

「叱る時は人のいない所で、誉める時は本人のいない所で」

「社長は軽々しく動くな、社長が動く時は会社として最後の時だと思え」

「社長の役目は謝る事。それ以外の時は邪魔者扱いされるのが社長の役目だ」

「部下が失敗しても怒るな。一番落ち込んでいるのは本人だ。上司は叱るのではなく理解する事に全力を尽くせ」

「結果を出した奴を誉めるのは当たり前の事だ。それより大事なのは、結果を出せなかった奴をフォローする事だ」

「怒ると叱るをはき違えるな。はき違えた瞬間、会社は無くなる」

「お前が売りたい物を押し売りするな。お客が勝手に欲しくなる物を考えて売れ」

「人は他人をほんの数秒で見抜く。だから身なりだけはしっかりしておけ」

「金には死に金と活きた金の2種類ある。100円でも活きた金なら100万になって帰ってくる」


…まだまだあるんですが、今思えば確かに「ただ者ではなかった」と言う事は理解できます。

っていうか、これを「自宅」でも実践してれば嫌わなかったよ…と今になって思うのは何故(笑)?

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さて、私はこの年になっても未だに親父が「大嫌い」です。

実は他界し納骨後、本当に私は一度も「墓参り」をしていません。

罰当たりと言われようとも、それが親父に対する「たむけ」だと思っています。

多分親父なら「オレの墓参りする暇があるなら、お得意様を一件まわって来られるだろうが!」って怒鳴る事は明白。

死んだ親父にまで怒られたくは無いですからね(笑)。

もちろん本音では「たまには会いに来いよ…」って思っているんでしょうが、親父の意地っ張りにこたえるつもりで、私は墓参りには行きません。

どうせ親父は今もどっかで見ているはず。

私はこれからも親父を嫌い続けます。忌の際まで嫌っているでしょう。

でもこの「親父を嫌う事」が私のモチベーション

負のモチベーションですが、悔しいかなこの事も「親父」は見抜いていた事なんでしょう。

まだまだ親父の手のひらの中であがいている状態。

年商が10億くらいになったら、あの世で作った「部下たち」と、私を指さして誇らしげに笑うんだろうなと思いつつ、花束の代わりに「札束」を抱えて墓参りをする事を目論んでいる今日この頃です。


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今回はデジカメの専門用語も多々出てくると思いますので、あまり興味がない方は読み飛ばしたり、つまみ読みしていただいても構いません。

結論は最後にまとめます。

さて、写真撮影を生業にしている方は、多くの人から「上手い写真を撮るにはどうしたらいいか」という質問を良くされると思います。

で、修業時代やワークショップの講師など体験して感じ、実際撮影を「生業」としている私が「古い考え」を元に話しをしてみようかと思います。

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まず「カメラ進化」から考えてみます。

最初は「光」をピンホール(穴)で画像を結ぶ所から始まりました。

次にそれを「フィルム(当時は金属)」に「光の濃淡」を焼き付ける方法が生まれました。

その後、レンズが生まれ、シャッタースピードが変えられるようになり、光を取り込む量(絞り)も変えられるようになりました。

よりリアルに「カラーフィルム」も出ました。

レンズはその後、単焦点だけでは不便なので「ズーム」が付くようになりました。

ここまでの時代、カメラマンは「写真家・写真職人」として、一部マニアの楽しみ(仕事)になっていました。

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時代は進み、ピントも、シャッタースピードや絞り、果てはフラッシュまで「機械」が適切に判断するようになりました。

撮影した状況まで見極め、シーンまで勝手に判断してくれるようになりました。

今は「誰でも上手に撮れる時代」になったのです。

にも関わらず不思議な事に「上手な写真を撮りたい」というニーズは増えてきています。

カメラやレンズにお金をかける事によって「綺麗な写真」は撮れるようになりましたが、「上手い写真」というのはなかなか撮れません。

何故なのでしょう?

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実はこれには理由があります。

結論から言えば今のカメラは「機能」も多く、「レンズの種類」も多いからなんです。

なんか逆のように感じますが、振り返ってみましょう。

私が撮影を始めた頃(ニコンF3時代)は、オートフォーカスさえありませんでした。

オートフォーカスが付いた時、一番初めに感じた事は…

「コレで前より構図に集中できる」でした。

それまでは、シャッタースピードや絞りを考えつつ、構図を決め、そしてピントを合わせてシャッターを切る。

この作業段階が「1つ」無くなったのですから、構図を決める事に意識が集中出来ます。

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次にシャッタースピードや絞りが「機械任せ」に出来る様になりました。

そうすると「構図だけ」に集中出来るようになりました。

同じようにそれまでシーンごとにレンズを付け替えていたものが「ズーム」になれば、「1本のレンズ」である程度対応が出来る様になる。

マニュアルのフィルム時代から撮影していた「私」からすると、カメラが進化すればするほど「シーン」や「構図」にどんどん集中出来るようになったのです。

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ところが今のカメラをみるにつけ、とにかく「機能」が多すぎると感じます。

そしてそういう複雑なカメラというのは、カメラマンに対し常に余計な情報や懸念、気がかりな事を与え続けます。

「レンズは何がいいか」「感度はどれくらいがいいか」「RAWで撮った方がいいか」「AdobeRGBで試してみるか」「三脚があった方がいいか」等々、もう撮影する時に情報が多すぎて「どうすれば良い写真が撮れるかわからない…」という事になるんです。

結果「自分が何を撮っているか」に気づけなくなっちゃうんです。

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実際、私がフィルムカメラからデジタルカメラに変わった頃、撮影する時はいつも混乱していました。

フィルム時代は「レンズの向こう側にある出来事」を考えていました。

ところがデジタル時代になり「カメラの機能」ばかり気を取られるようになったからです。

撮影で一番大切である「レンズの向こう側にある被写体に意識を集中する事」が、カメラの機能が多くなったため「意識が散漫」になってしまった。

結局、デジタル撮影に関する勉強はある程度のところで放棄してしまいました。

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通常私はレンズを1本しか持ち歩きません。仕事なら壊れた時の事だけ考えて予備を持って行きますが、あくまでそれは「予備」でしかありません。

カメラの設定も使い込んでいる(場数が多い)ため、意識がカメラに行く事も殆どありません。

もちろんそこに至るまでは色んなレンズに手を出し、カメラも浮気気味で使っていたように思います。

でも徹底的に1本のレンズ、1台のカメラを使い倒す事により、それまで「機材」「設定」に気を取られ、一体何を撮っているかがわからなくなる事も多かったのが、「被写体」「構図」に集中出来るようになったのです。

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他にも伝えたい事が沢山ありますが、そろそろまとめます。

上手い写真とはつまり「良いシーン」を「良い構図」で撮る事だと思います。

写真が上手くなりたいと思うなら、まず自分でいつでも「良いシーン」「良い構図」を考える。

上手いと思う写真を見て勉強するのもありですし、街中を歩いていて考えるのもありでしょう。

そしてその良いシーンに出会った時、瞬時に構図を考え写真に収める。

…考えてみてください。

ミュージシャンなら良い曲が頭に浮かんで表現する時に、ギターのフレットやピアノの鍵盤などいちいち確認するでしょうか?

上手い写真を撮るために必要なのは、シンプルなカメラ(もしくはシンプルな設定)と自分のお気に入りのレンズ1本を徹底的に使い倒す。

本来ならレンズはズームではなく「単焦点」が良いんですが、今時はズームの方が普及しているのであえて無理する事はありません。

そして「シンプルさ」で言えば、スマホや携帯のカメラや写ルンですが最強。交換レンズもありませんし、何の設定も出来ません。

そうすると「何をどう撮るかにしか集中できなくなる」んです。

写真を上手に撮れるようになるためには「自分のカメラの存在を忘れるほどのシンプルさ」が必要なのです。

真の写真家って、写真に関心はあっても、カメラにはあまり関心がなかったりします。

語弊でも何でも無く、私の知り合いで写真に打ち込んでいる人って、CMOSやらレンズコーティングやらにあまり興味がない方が多いんです。

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レンズ沼・カメラ沼という言葉があります。

やたらとレンズを沢山持っていたり、カメラを多く所有していて、結局何をどう使うかわからなくなり、ドツボにはまっていく。

もし自分が「レンズ沼・カメラ沼」に陥りそう、もしくは陥っていると感じたなら、一度スマホや写ルンです「だけ」であちこち撮影に出てみてください。

まず「本当に撮りたい物や人」「構図」が自分にない限り、どんなに高いカメラやレンズを使っても「上手な写真」を撮る事は出来ないはずです。

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上手くなる方法の順番で言えば、単純なカメラ設定で単焦点レンズ、もしくはスマホ、写ルンですで徹底的に「撮りたい物や人」「構図」を身につける。

それで「自分の思う構図の写真が絶対に撮れない」と感じたら、次の段階に進む。

私の意見が正しいとは言いませんが、私自身、メインで使っているカメラの全機能の「1%」も理解していないかもしれません。

そして残りの「99%」については「興味」がありません。

なぜなら私の撮影に関しては「必要ない機能」だからです。

どうせならその「99%」分を被写体や撮影に集中していたいから、この先も取扱説明書を開く事はないのです。


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先日、選挙用のポスターで使う写真が欲しいという依頼があり撮影致しました。

選挙用の写真撮影の場合、通常の「証明写真」「記録写真」と意味合いが違い、その写真でその方の内面・主義主張まで写真で表現しなければならない。

なので、通常より多くの時間を割き、本人と語り合い、お人柄、訴えたい事、ターゲットなどを理解した上で撮影します。

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さて写真がデジタル化された現在では、撮影した後に「修正」というのができます。

ご本人は「若さ」を強調したいという事で、撮影後に肌などを修正して欲しいとの事。

一緒に打ち合わせしていた弊社の若い衆も「背景をクロマキーにすれば切り抜いて合成できる」とか「RAW(という画像形式)だと後で修正できます」とかとか。

…えぇ、可能です。

そうすればどんな状況でも「それなり」にできちゃいます。

ある意味、その写真一つで、その人の「運命」まで左右する撮影。

後で修正できるように撮影しておくべきだとは思います…。

でも、私個人としてはなんか違和感があって仕方がなかったのです。

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えと、ボロボロになった古い車のレストア(復元・再現)を例にしてお話しします。

このレストアって考え方が「2通り」あるんです。

1つは「作られた当時のまま厳密に復元する」という方法。

もう1つは「その車体を活かして、エンジンや足回りを変えて今でも通用する車に作り直す」という方法。

どちらにも理由があり、どちらも間違いではないです。

ただ、双方には譲れない「主義主張」があります。

前者の作られた当時のまま復元であれば、今の車に比べ遅くて運転しづらい車になるかもしれません。

後者の場合なら、見た目はそのままに、今の時代でも十分通用する車になるけど元々の車とは別物になる。

どちらも視点を変えれば一長一短があるんです。

まぁ結論から言えば「クライアントが納得するもの」が「正しい」。

けれどクライアントが求めているからと言って、前者の修理屋さんに後者の事を求めたら良い物はできません。

多分修理屋さんの「主義主張・こだわり」が曖昧になってしまい、結果どっちつかずのものになるからです。

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話を戻します。

私は写真撮影において「ありのままの真実を、ありのままに伝えたい」という理念・信念があります(ほぼナショジオ)。

ブログのどこかで書きましたが、今のカメラを使ってから35万枚以上シャッターを切っていますが、後で修正のしやすい「RAW形式」で撮影したのは両手の指で数えられる程度しかありません。

「プロカメラマンなら現場で仕上げる」

「現場で出来ないものは、写真には撮らない」

えぇ、古い考えだと思いますよ…。

でも、どうしてもこの「私の主義主張」は変えたくなかったのです。

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依頼されてから撮影までの間、背景をどうするか、光りの当て方はどうするか、若さを強調するためにはどうするか等々改めて研究しました。

頭の中でシミュレーションし、完成後のイメージ、印刷物に使用する際のイメージを徹底的に追求し、どうすればそれが「再現」できるのか。

弊社の若い衆にはさぞ「社長、何、面倒くさい事をしているんだ?」と思われた事でしょう。

会社でみんなが帰った後やお休みの日に、一人もくもくとテスト撮影をし、最適なストロボの発光量、角度を出し、あえてホワイトバランスをずらす事により、ストロボだけでグラデーションを付けてみたり…。

肌についても、確かにパソコンで修正できるけど、より「自然」にしたいのであえて「メイクさん」を呼ぶ事にしてみたり。

結果…。

全くの無修正で、予想を遙かに上回る写真になったと喜んで頂けました。

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間違いなくこの時代において私(松本)は、古い考え方のカメラマン。

こんな面倒くさい事をしなくても、撮影後にパソコンを使ってコツコツ修正して、イメージに近づけて行けばできる撮影だと思います。

でも、何て言うんだろう…?

やっぱりどんなに機材がデジタル化されて便利な時代になったとしても「アナログの良さ」って必要じゃないかと思う。

途中でお話しした「車のレストア」でも、今の時代に合わせたレストアなのか、その当時を懐かしむレストアなのか。

ただの「移動」だけならオートマチックは確かに便利なんだけど、「運転」ならマニュアル車のノスタルジックな面白さにはかなわない。

映画「Cars」の言葉を引用するなら…

「昔、車は楽しみに行くために走っているんじゃなくて、楽しみながら走っていたの…」

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カメラ任せ、機材任せ、パソコンでの後処理にするならオートマチック車と同じような気がします。

でも、自分であらゆる事を考え、端から見ればバカみたいに面倒なセッティングをする。

それはある意味「マニュアル車の面倒くささ」を楽しんでいたのかもしれません。

「写真は楽しむために撮影するんじゃなくて、楽しみながら撮影して欲しい」

この「楽しみながら撮影」が理解できない限り、写真って上手にならないんじゃないかって思います。

もちろん「報道」「記録」の場合はちょっと意味合いが違ってきますけどね。

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一通り撮影し、写真データをパソコンに移して本人に見てもらう…。

「うぉっ!これ、マジで自分ッスか!?」

「そうだよ。だって今撮ったでしょ?」

「すんげぇ~、これ誰ッスか?自分、こんな奴知らないッス!」

…。
…。
…。

よくよく考えたら「これって真実とは違うのか?(笑)」と思いつつ、本人も知らなかった「真実を引き出せた」という事でいいんだろうなっと(笑)。



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昨年の秋口から、撮影修行に来ている人がおります。

当然ここも読んでいるので迂闊な事を書き放題なのですが(ドS)、約半年ほど見ていて「私が彼から学んだ事」を書きます。

その「彼」、わかる人にはバレバレだけどいいかなっと(笑)。

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彼はそれまで写真やビデオを「趣味」として楽しんでおりました。

まぁクリエーターなどが順当に通る道なんだけど、当時いろんな人から「撮影が上手」「編集が素敵」と誉められ楽しくなり、本格的にやってみようかと足を踏み入れたわけです。

ちなみに彼は「撮影先の出演者」で、撮影後に「修行させて欲しい」と言われ今に至ります。

まぁ、自分がこの道に踏み込んだのとほぼ同じ流れかな(笑)?

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さてさて、実は彼、私(松本)に対して全く「前情報」が無く、ここのブログとかFacebook、果ては噂や悪口(笑)さえも知らなかったようで、とにかく「免疫」がありませんでした。

その状態でいきなり私と撮影に行く。

撮影した写真を整理しつつ「あれやこれや」と指摘する。

彼は髪の毛が真っ白になるくらい、ものすごく凹み、落ち込んでいたのが印象的でした。

で、カメラマンに限らずクリエーターの方々はお分かりかと思いますが、いわゆる「ハイアマチュア」の頃って「誉められる」んですよ。

そして誉められる事で「自分は上手いんだ、センスがあるんだ」と思い、「じゃぁプロになってそれで頑張ろう」と足を踏み入れる。

彼が修行に来た目的は「もっと上手になりたい」だったんですけど、私とのあまりにも差がある「技術やセンス」に打ちのめされたんですよね。

アマチュアが修行としてプロの現場に来ると、それまでは技術的にもセンス的にも「1番上手」だったのが「最も下手な立場」になってしまう。

それに耐えきれず、ここで「辞める人」って本当に多いんです。

彼の場合は、私が「鞭と鞭」を上手く使って現在も続けているのですが(おい)、相変わらず撮影に行くたびに毎回毎回凹んで落ち込む。

最近では、一緒に撮影行ったときに「今日はどこまで凹ませられるかなん♪」って楽しみになりつつありますが(笑)。<基本ドS

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さて、何故凹んで落ち込んだかを考察すると、それまでの彼は「プロとは何か」を知らなかったからだろうと思います。

今までなら「友人知人」を「ある程度失敗が許される撮影」だったのが、ここに来て「全く知らない人」を「失敗が許されない撮影」をしなければならなくなった。

特に学校や幼稚園の撮影なら、プロなら確実に撮影してくれると信じている「目に見えないクライアント(例えば保護者)」が存在している。

そして「誉められる」より「叱られる」方が多くなる。

果ては、誉められる自信を持って撮影した写真が、こてんぱんに言われてしまう。

この業界…、本当に「恐ろしい世界」なんですよ…。

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ここからが本題。

ブログに何度か「プロカメラマンと、アマチュアカメラマンの違い」を書きましたが、彼を見ていて「もう一つの大きな違い」に気がついた。

彼はここに来て修行するまでは「上手」だった。

ところが同じ「技術」なのにここに来てから「下手」だと言われる。

そうなんです。そこなんです。

つまり、アマチュアは「最高の出来がその人の評価」で、プロフェッショナルは「最低の出来がその人の評価」だからなんです。

アマチュアなら1,000枚撮影した中に1枚でも素晴らしい写真があれば誉められます。

でもプロなら1,000枚撮影した中に1枚でも失敗した写真があれば叱られます。

修行中の彼は、それまではアマチュアでした。

今、彼はプロになるために「アマチュア時代最高だった写真を、プロとしては最低の写真として考えなければならない狭間」にいるんだなと思います。

この「アマとプロの違い」、カメラマンに限らずどんな職業でも良いので当てはめてみて下さい。

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ということで、ブログに書いちゃったもんねぇ~(笑)。

彼は「純粋培養」から「免疫」をつけるために必死こいて毎日この「ブログ」を読んでいる。

明日、凹んでいるか、上機嫌でいるかによって、これからの対応を考えようっと(笑)。<やっぱりドS

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最近感じたことをつらつら書きます。

分類的には「エッセイ」になっちゃうかな…?

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さて、音楽を学んでいた時の話。

ある日師匠から「目標は低く持て」と言われた。

え?と聞き返しても同じ答え。

それまでは学校でもどこでも「目標は高く持て」と常に言われ続けていたので、この「目標は低く持て」という言葉が理解不明。

それから20年以上経った現在、この「目標は低く持て」という言葉がやっと理解できるようになってきました。

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さて、自分は現在カメラマンなので、この「目標は低く持て」ということを「写真撮影」を例にお話しします。

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写真撮影が好きな方は、もっと上手くなりたいと本を読んだりカメラの勉強したりして「自分もあのカメラマンの様に表現したい!」と頑張ります。

ところが、人間は最初から上手くできるはずはありません。

にも関わらず、素晴らしい作品を目標にしちゃうと、自分の作品と目指している作品の「差」が激しく、「これじゃダメだぁ~」とか「自分は才能が無いんだ(涙)」とか感じて落ち込んだり…。

そのうち自分の下手さ加減にあきれてやめてしまう場合が多々あります。

これ「下手の壁」って呼ぶんですが、これを越えられないと「上手くなる事が出来ない」んです。

皆さんにも好きなことや趣味で、こんな事を経験したことはないでしょうか…?

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写真や音楽などを教えていて、こういう方々にたくさん出会いました。

特に近年、上手い人の「見えない努力」を理解せず、自分にもすぐできるんだと思いがちな人が多かったりします。

以前、初心者と「スキー」に行ったとき、やっぱりこの「下手の壁」が邪魔をして、結局やめてしまった人もいました。

初心者のうちは「この程度でいいや」とか「ここまで出来ればいいや」と目標を低く持って、まずは動く。

だんだん慣れてきたら「良いもの」「上手い事」を作ったり出来るように努力する。


師匠はこの時「動くこと、続ける事が大事なんだ」を伝えたかったんだろうと…。

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「目標は高く持つ」というのも間違いではありません。

ただ「目の前の目標は低く設定」しておかないと「続ける事」ができないんです。

全てに共通すると思うんですが、まずは動くこと、モノをつくることが最優先事項であって、その他はいずれも重要ではありません。

「目標は低く、理想は高く」

重要なのは「小さな目標をクリアしていきながら、高い理想に近づけていく」事。

「目標」と「理想」ってこういう意味で違うんだろうと感じます。


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