ふだんあんまり、というか、ほとんどドラマって見てないんですが

今期はネットで話題になってて気になってた例の不適切なやつ、

4話くらいまで放送し終えたところから、NETFLIXでさかのぼって

見ておりました。

 

そんでさっき先週のを見たんですけども。

いや、なんで歌えんねーん!それ発売1997年ですやん。

 

わかんないけど、見てない人が騒ぐって話がこの前の週の

テーマ?だったから、水戸のこともまさにだったし、

そんなこともあってここで使われたのかなって気もします。

 

ほんとにうまいなぁ、と毎回感心しながら見ています。

今って、いろんな物事がたぶん過渡期だと思うんですよね。

考え方とか、社会の在り方とか、変わらなければいけないことは

間違いない。

だけどどこまで、どんなふうに、というのはまだ手探りで。

いや、探ってるならばまだましだけど、逆バネ働いて

どーんと極端なところに行ってしまっているようなことも

多々あるのが現状で、でもそれを極端だと思うこと自体が

今度は極端に非難されるという。

 

なんかそんな息苦しさを「こういう手法で描くかー!」って。

すごいなーと思いながら見ています。

 

虐げられた弱者が、自分は虐げられた!という声をあげたら

今度は最強の強者になりがち。

加害者だと名指しされたらもう一言も反論できない。

いじめられた側が「いじめられた」と思ったらそれは

いじめなんです、という考え方そのものは否定しないというか

むしろ完全に肯定できるんだけども、その後に続く言葉って

「あなたは一切悪くない、いじめた方が100%悪い」

って感じなんですよね。

もちろん、そういうケースもあると思う。間違いなく。

いや、いじめることは悪いのよ。

でも本人がいじめだと思ったそれが、もしも客観的に見たら

どう考えても違うじゃない?って場合には、これは

あなたに悪意が向けられたことではないんだよってことを

説明して双方が理解できるように試みることも重要だと思う。

それが辛かったというのを否定するわけじゃなく。

言ったもん勝ちみたいな社会になっちゃってて見てて苦しい。

 

ねぇ、あのドラマの中の尋問の会なんて、それこそ

吊し上げのパワハラにはならないんだろうか?

 

次が最終回なのかな?

楽しみです。

 

 

 

 

 

年末早めに長女が帰省してきて、そのあと末娘も来て

末娘が帰り、長居していた長女が帰り、それから

今度は母が来て、そして帰って行って、2月も中旬に入って

ようやっと落ち着きました。

 

そしてようやっと「耳のできごと」を聞きました。

ア・リ・ガ・ト、って、よく歌いますよね。

なんでだろう。今回なんてお芝居特集だったから

他にも適した曲があったように思うんだけれども。

やっぱりなんか、嫌なんですよね・・・。

 

 

母はゆっくりだけど着実にがんが進行していて、

去年の夏ごろには咳がすごく悪化して、もう年を越すのは

厳しいかも、みたいなことをお医者さんに言われたり

していました。

それで急遽秋に一家全員集合したり、私もしばらく

母の家に滞在したり、いろいろと受け止めなければと

思っていました。

が。

このたび少し調子を取り戻して北海道までやってきました。

本人の希望で抗がん剤治療もしてないし、がんのできた

場所的に手術が難しかったりで、治る方向には

どうしたって向かわないんだけど、「人生で一度くらい

雪まつりを見てみたかったけど無理だった」と秋に

言っていたので、「無理なつもりだったけど実現」

させてきました。

 

来る前には転移を疑わせるような症状もありましたが

こちらに来てからは特に症状が軽減して、弱っては

いるけれども比較的元気に雪まつりや温泉や、

少々の観光も楽しんで帰っていきました。

 

 

長男は休みがあまりとれないとか言ってお正月には

帰ってきませんでしたが、このSNSの発達した時代、

どちらかというと仕事の休みがとれないのではなく

遊びで忙しいようでした。楽しそうで何より。

 

娘二人はもう。。。見守るしかない。。。。

黙って見守るしかない。。。それがとてもしんどい。

 

私は全く占いを信じるタイプではなく、

占いをとても信じる人たちの心理も今一つ

わからなかったんだけども、最近すこし、

運命?運勢?自分の努力とか思考とかそういうものではなく

「あなたの今はこうですよ、これからはこうですよ」って

言ってもらえるラクさってあるな、と思ったりします。

信じるかと言われると信じられないんだけども。

 

昔は、なにか自分に悪いことが起こった時に、

誰かのせいにしてしまうと終わりがないというか、

どうしようもないけど恨み続けて、でも恨んでも

やっぱりどうにもならないから苦しい、ってなる。

無理やりにでも自分が悪かったと思えば

原因が自分なんだから仕方ないと割り切れる。

そんな風に考えていました。

執着心が強すぎたんでしょうかね。

はじめから誰かが悪いと思ってもそんなに強く

ひどい!とか思わなければいい話なんですけども。

 

だからそんな風に娘たちを育ててしまった気がします。

なにかうまくいかないことがあっても、何か他の物事に

原因を見つけるよりも、自分の中に見つけるべきだと。

 

それが娘たちを遠回しに苦しめてるような気がして

もう少しほどほど自分以外のもののせいにして気楽に

生きることを教えれば良かったのでは?と

考えたりしています。

 

って、なんでこんな話を書いてるんだろう。

 

 

あ、耳のできごとで占われてたからですね。

 

信じるわけじゃないけど、「何か」があるといいね。

心を揺さぶってくれる何かに出会えたら。

re-born みたいな。

 

 

 

 

 

 

配信あるって見て、すぐチケット買って、でも

ライブでは見られなくて、金曜の夜中にいそいそと

見に行ったらアーカイブは日曜からだと言われて…!

 

日曜の真夜中に暗がりの中でヘッドフォンかぶって

PCの前に。

 

もう、ぼろっぼろ。

 

坂道でぽろっときて、コインでぽろぽろ、

あじさいで息が止まり、ツバメでむせび泣き、

Eyes on you のイントロ聴こえた瞬間に涙がふきだし、

僕ここでもう号泣。酸欠ですよ。

無意識下でここがこのライブの自分のピークだと思いましたよ。

そしたらね、星空ギターが始まった……!

もう嗚咽ですよ。ほんとに倒れるかと思いましたよ。

 

簡単に「行きたかった!」なんて言えないライブでした。

いや、その場で聴きたい。それはそうなんだけど。

でもその場にいたら周囲を不安にさせる観客になってしまう。

 

 

ちょっと前にこの曲のフレーズが耳に入ってきて、

 

 

 

「僕がギターを思うように弾けなくなっても」

「高い声も出せずに思い通りに歌えない」

「それでもうなずきながら一緒に歌ってくれるかな」

 

って、「もちろん!」って思ってたはずなのに、

「もちろん!」って頷くことができずにいる自分がいて、

4月の渋谷の後なんて、「なんで」しかなくて

ああ、私、なんか冷たいな、とか思ったり。

 

 

でも今回はもちろん塩谷さんのピアノがほんとに素敵で、

ストリングスもいいけど、塩谷さんのピアノだと

自由さも失われなくて、ピアノ最強!

っていうのも、もちろんあるんだけど、

なんだろう。

ギターとか、いろいろ「あ」って反射的に思っちゃうけども、

でもそういうのを乗り越えてく何かがあったと思う。

 

KANさんのお叱りがどんなふうに心に響いたのか、

どんなふうに残っていくのか。

水戸の後のファンたちの様々な反応をどう見たのか、

心のうちはわからないけど、少なくとも

今回の横浜の歌は私にめっっっちゃ響いて、

自分がどれだけ今回、なんならその前から、

心配していたのかというのを思い知らされました。

 

 

あなたが歌ってくれると私はうれしい。

でも心の内側は強制できないから、

どうすることもできないけども、

でも歌ってくれると私はうれしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう今日は胃が痛くてなんなら吐き気まで。

 

自分で自分がそこまで心配してると思ってなくて

でもずっとスマホを手放せなくて

なんか胃が痛いなぁ。。。と思って

あ、まさにこの手元の情報のせいか!?

と気づきました。

 

でも「いつものまさやん」だったらしいので。

 

とりあえずよかった。うん。

 

 

私基本的にとても体が丈夫なので、そんなに

いろんなことが不調として体に出てこないんですけども

 

胃 が 痛 い で す 

 

ああ、なんか的外れなこと書いたなー。とか

自分でも何を書いてるんかようわからんわー。とか

 

自分の書いたものについて後からあれこれ考えるのは

いつものことですけど、なんていうか、自分で思った

以上にショックを受けてるらしい。

 

何がショックなのか、それもよくわかんないけども

表面上ほぼ普通に過ごしてるんだけど、なんか、

どうやらものすごくショック受けてるみたい。

 

更新されてた耳のできごと聞いて、さらに強まる

胃の痛み。

 

ふう。勝手に心配して、勝手に疲れてるよ。

 

はぁぁぁぁ。