ペーパー社会福祉士のうたかた日記

ペーパー社会福祉士のうたかた日記

社会福祉士資格をとるまでと、とったあと+α。浮世のつれづれ、吹く風まかせの日々。

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国営放送もたまにはいい番組をつくるようで、魔改造とかマニアック選手権なら受信料を払ってもいいかなと思って見ている。

 

で、こないだ寝転がってて跳ね起きたのが、介護技術のコンテスト実況中。福祉の末席を汚す者としては見逃せん!と意気込んで視聴し、途中から「うん?」「えっ」「いいの?」からの「あー、そうなんだ…うーん」。。

 

誤解のないように強く念押しをしたいのだけれど、ここで表彰された方々を貶める気持ちはさらさらない。配慮とか観察とか、話す・聞くといった、人間関係の根幹にかかわるスキルを仕事にしている方々を心から尊敬している。

 

尊敬はしているけど、それとこれとは別で、介護分野の「優秀」と「そうじゃない」(または「優秀に届かない」)という基準はどこにあって、何をどう評価されているのか、わしにはわからなかった。

 

このコンテストには5つの分野があり、総合点で優秀者が決まる。今回放映されたのは、このうち”入浴後の介助”と"看取り"の2分野。

 

まずは、入浴後。

課題は「入浴後の高齢者にスムーズに服を着せることができるか」。制限時間は7分間。

 

これだけ書くと平易そうだが、着衣の前に、対象の高齢者は入浴後のスッパダカで車いすに乗せられて脱衣所だか廊下だかで待機してるって設定。ここから急ぎ居室まで移動し、椅子に座位を取らせて着衣となる。これを7分で!?

 

だが、さすが。

全国選抜の精鋭の選手たちは、「いいお湯でしたか」「さっぱりしましたね」などと声かけをしながら、フットレストに足を置き、ブレーキ解除、「押しますね」「動きますね」と告げてから車いすで居室に移動、車いす止めて体幹抱えて椅子に、脱健着患、「ボタンはご自分でできますか」などの自立支援。

 

あー、すごいなあ。なんて自然なんだろ。流れるよう。うまいなあ。実習中にさんざん叱られたことを思い出す。できないんだよこれがー

 

…うん?


選手の中で一人だけ、利用者にバスタオルをかけない介護士がいた。そのまんま目の前の作業をどんどん進めていく。

 

えっ? いやいやいやいやいやいや…

高齢であろうとなかろうと、スッパダカの男性が車いすに湯気立てて座ってたら、まず背中(肩)と股間にバスタオルかけない?

 

言い方アレだけども、マッパのフルチンだぞ。うわっ冷やしちゃならねー!というのと、股間は隠したい!というのが脊髄反射で出てくるんではないか。

 

わしでも上半身は忘れても股間にかけることは忘れない。そこ真っ先に隠して、互いに安心してから事を進めたい。教科書的な言い回しで言えば、「尊厳の保持」である。

 

この選手はいつタオルをかけるんだろうとハラハラしながら見ていたら、車いすで室内に移動し、着衣を開始し、上着を着せて、ズボンをはかせるために補助バーをつかませて立たせたときに、やっと、だった。しつこいようだが、それまで高齢男性の下半身はスッポンポンだったんである。

 

もちろん、ロールプレイなので高齢者役は服を着ている。コンテストで、審査員の衆人環視で、緊張Maxで手順を忘れたというのは百歩譲ってわからなくもないけど、ほかの選手はちゃんとできていた。

 

わしは、湯上りの全裸の利用者にタオルかけ忘れって致命的なミスだと思った。湯冷めと羞恥心への配慮ゼロの痛恨のダブルエラーである。ピッチャーゴロを暴投してサヨナラ勝ちされたようなもので、取り返しがつかない。

 

ところが、表彰になったら、その選手が「優秀」だった。


他の3分野も加味されるので、総合的な判断なのかとは思ったものの、サヨナラ負けが帳消しになった上にリーグ優勝できるほどの加点ってなんだろう。車いすにケつまずいた選手や時間内に着せられなかった他の選手よりも、タオルをかけなかった選手が優れているとされた根拠はどこにあるのか。リカバリーできた他の分野をオンエアしなかった国営放送にも疑問が残った。

 

次に、わしの生息エリアでもある”看取り”分野。

90歳超えの女性に声かけをするというシンプルな課題で、選手たちは入室して自由に話す。最期の生活のほんの一部を切り取った課題なんだな、と理解した。

 

まっさきに気になったのは相手のニーズを確認するという手順がまったくないこと。入ってきていきなり呼吸の訓練をやりだしたりする。看取りケアとは、介護士本人がしたいこと、してあげたいことをする時間、という位置付けなんだろうか。

 

ブライアン・クラーク作『この生命誰のもの』で、四肢麻痺で寝たきりの主人公(彫刻家)が、「その身体でできることを考えましょう♡」とかヌカしたソーシャルワーカーに激高し、追い返して過呼吸になる場面がある。相手のニーズの確認を怠って、自分が自分が!で進めるとこうなるという見本だった。

 

だが、ここの利用者役はモノスゴイ物分かりがいい。悟りの境地と言ってもいい。入れ替わり立ち代わり入ってくる介護士たちがこれでもかと繰り出す「良かれと思って」への対応が完璧で、円滑な会話にいっさいのよどみがない。

 

利用者「わたし、時代劇が好きなの」

介護士「時代劇がお好きなんですね」

 

ちなみに解説者はこの応答を絶賛していたが、タネ明かしを知ってると、空虚に聞こえなくもない。おうむ返し(カウンセリングでは「伝え返し」、どっちでもいいけど)はこういうシチュエーションにおける最強の安牌なので、わしが利用者だったら「こいつ、置きにいってるな」とすぐに勘づく。気持ちが入ってなくても反復はできるから。

 

わしが「いいな」と思ったのは、利用者役の「お腹が張る」に呼応して、最小限の会話でお腹のマッサージをし続けた介護士さんだった。目前に迫った死、自覚する衰え一つ一つに敏感になっている利用者からすれば、楽しい会話よりもまずはプロとして体調をみてほしい。痛みを和らげてほしいし、大丈夫だよって言ってほしい。

 

でも、この分野で「優秀」とされたのは、その介護士ではなく、匂い袋を持ち込んだ介護士だった。

 

なぜ匂い袋かというと、当該利用者の設定が旅行好きだったことに合わせて、これどこそこのお花の香りです、旅行を思い出していただきたくて、という意図だそうで、素晴らしい思いやりと創意工夫にあふれていると満場一致の高評価。所属の施設長は、この子、‘’看取りの××"って呼ばれてるのよ!とご満悦だった。

 

わしは賛同できなかった。

たぶん心底ひねくれているからだろう。

 

匂いは海馬をダイレクトに刺激する。直線的で、直接的で、原始的で、直感的で、動物的だ。他人にとってはいい匂いでも、本人がそう感じるとは限らない。匂いの記憶を侮ってはならない。それこそ一般化と個別化で、みんながそうでも私は苦手、って匂いなんかいくらでもある。ピンポイントで匂い袋なんか持ってったら外れる確率だって高くなる。

 

利用者のニーズを確認しないで人工的ないい匂いを持ち込むなんて、わしには怖くてできない。


もし仮に思いついたとしても、根拠がないのは自説に反するから、「こないだ〇〇さんの言ってた匂い袋、お持ちしましたよ」とか言って、セリフで先制してカバーする。「自分が持ち込みたいんじゃなくて、お相手の要望ですよ」とアピールする。

 

それもなしで、ただ「持ち込んだものが気が利いてるから」と評価されるのはどうなんだろう。


介護士の自腹で、私物で、自分がいいと思ったからやりました、という主張で、いいときはいいけれど、よくなかったときのリスクをどうヘッジするんだろうか。糖尿病の利用者に善意で饅頭を差し入れるたぐいの事故って起きないんだろうか。

 

また、利用者の立場として考えてみると、ありがたくないものでも、ありがとう、と言って受け取ってしまう。相手が自分のことを考えてくれたから、申し訳なくて、って、自分は近々死んじゃう身なのに、どっちが気遣ってんのかって話になる。

 

こういうろくでもない視点から改めて見ると、利用者役が会話の水先案内人となって、選手たちを巧みに誘導しているフシがある。これだと、ロールプレイ慣れというか、演技派が勝てるコンテストになっちゃって、介護ケアの評価とは趣旨が違ってきちゃうんでないか。

 

放送終了後。

数々の疑問点があっても、プロが見て「優秀」っていうんだから、優秀なんだろうなと思ってはみた。

 

みたけど、実際の利用者とその家族は介護のプロじゃないからねえ。多くのドシロートが初めての介護保険に右往左往しながら、ケアマネって何する人?ヘルパーと違うの? ってアワアワしながら関わっていくものである。そっち側から「これでいいんです!」「優秀なんです!!」と言われて引っ込むしかないっていうのは、ちょっと違うかなあ。いや、だいぶ違うかなあ。

 

で、このコンテストの評価ってどんな人たちがやってるんだろうと思って調べてみた。

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厚生労働省、板橋区、東京都社会福祉協議会、第一生命株式会社、日本介護福祉士会、日本介護福祉士養成施設協会、全国有料老人ホーム協会、テクノエイド協会、かながわ福祉サービス振興会、高齢者住宅協会、高齢者住宅財団、全国介護付きホーム協会、日本パーソン・センタード・ケア・DCMネットワーク

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うーん。そうか。介護人材が身内を採点してるのか。

 

介護の力とは、数値で測れないことに気づく力だとわしは思っている。

 

昨日と今日の寝起きの違い、顔色の違い、食欲の違い、動作の違い、会話のはしばしの単語のささいな違いに気づいて、適切な対処ができるのは介護士さん(とケアマネさん)をおいてほかにない。日々の暮らしを支援するというのは、雰囲気とか空気とかを察する鋭敏で繊細な感覚、前回の様子を覚えておく記憶力、今回と比較する分析力、それらを具体化する技術と知識だ。

 

こんな漠然としたことに基準を設けるのはとても難しいことだけれど、介護の「優秀」とはどういうものか、介護のプロフェッショナルとはどういう人か、という具体例を出すときは、万人を納得させるような結果であってほしい。

 

体操の内村航平が「プロとは?」と聞かれて、「初めて体操を見た観客でも『すごい』とわかる選手」と即答していた。これはどのジャンルにでも当てはまる基準だとわしは思っている。自分の才能と技術を生かして対価を受け取れば、それはプロだ。

 

このコンテストで、それぞれの選手たちの声かけや態度、目線を低くした姿勢、笑顔、機敏な動作には、意識にも技術にも、プロを感じた。自分には到底まねできない、とっさにはできない、ということばかりだった。だからなおさら、「優秀」とされた基準がわからなかったのは残念に思った。

 

これさあ、

利用者役は素人がやったらいいんじゃないの?


わしみたいな、とまではさすがに言わないが、戸惑ったり、言い返したり、予定調和が通用しない相手だったら結果はどうなっていただろう。同じ番組の救急救命の選手権なんか、やじうま役にクソミソに怒鳴られながらタグつけてたぞ。

 

 

 

春近し、キャンプもたけなわですわ。

来月はWBC。

皆さま花粉にお気をつけくださいませ。

わしも気をつけます。

 

ricorico1214