特許翻訳 A to Z

特許翻訳 A to Z

1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

今日の朝日新聞朝刊に、生成AIを組み合わせた検索エンジンからの出力のなかに引用元と比べると文章の3分の2近くが一致する例もあることが掲載されていました。
文化庁は、AIによる回答の生成には著作権法上の許諾が必要になるものがあるという見解を示しています。


「AIと著作権に関する考え方」の素案

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/hoseido/r05_05/pdf/93980701_01.pdf

 

そこで、ためしにMicrosoft Bingに自社の

 

 テキスト比較ツール「ちゃうちゃう」について教えてください

 

と、質問してみました。
 

※ ちゃうちゃう!は、1998年の初代(当時の製品名は「FindDifferences」)バージョンのリリース以降、2005年に「ちゃうちゃう!」として多言語に対応し、四半世紀にわたってインターネット上で提供しつづけてきたソフトウェアです。
特許事務所や翻訳会社のほか、中央官庁や国公立大学、病院、金融機関、IT企業など、多くの企業で活用していただいています。

 

回答:

「ちゃうちゃう!」は、2つのウィンドウ上のテキストを比較し、異なる部分(追加、変更、削除)を文字単位または単語単位で示すテキスト比較ソフトウェアです1。比較するテキストの改行位置が違っていても、人間が見比べるときと同じように比較できます1。

全体を一度に比較することはもちろん、選択範囲だけを比較することも可能です1。背景色や比較結果を示す文字色、文字装飾、半角英数字を文字単位で比較するか単語単位で比較するか、半角大文字小文字の区別、全角半角の区別などユーザーが任意に設定できるほか、「区切り文字」を変えることで、文書の内容に応じた最適化も可能です1。

また、Word、Excel、HTMLなど、さまざまな形式のデータをコピーし、そのまま貼り付けて比較できます1。テキスト(.txt)とリッチテキスト形式(.rtf)であれば、ファイルからデータを読み込むこともできます1。

インストールについては、ダウンロードした圧縮ファイル「chawchaw2.0.zip」を解凍し、「chaw_setup.exe」を任意の場所に保存します1。アンインストールについては、コントロールパネルの「プログラムと機能」または「プログラムのアンインストール」でちゃうちゃう!を選択してください1。

動作環境は、OS:Windows® Vista®、7、8、8.1、10、11(各日本語版32ビット/64ビット)、CPU/メモリ:お使いのOSが推奨する環境以上、ハードディスク必要容量:2.6 MB以上です1。詳しくはマニュアルを参照してください1。安心してご利用いただけます1。1。
詳細情報 1 chaw-chaw.com  2 chaw-chaw.com  3 ameblo.jp  4 vector.co.jp


ちゃうちゃう!ウェブサイトのトップページにある文章と8割程度は同じように見えます(下の画像に入れました)。
追加分は、マニュアル&FAQですね・・・・。
ここまで一致していると、たしかに著作権法上の問題になる気がします。




※ 画像の左側がウェブサイト上の文章、右がBingの回答です。
灰色が一致、緑が削除、青が追加、赤は変更です。

 

ついでなので、ChatGPT(4.0)に対して同じ質問をしてみました。
 

回答:

「ちゃうちゃう!」はテキスト比較ツールであり、二つの文書や文字列を並べて比較し、異なる部分を明確に示す機能を持っています。このツールは、特にプログラムコード、契約書、文書ファイルなどの比較に役立ちます。以下は「ちゃうちゃう!」の特徴のいくつかです:

詳細な比較機能: 文字単位や単語単位での比較を行い、異なる部分を視覚的にわかりやすく表示します。

フレキシブルな設定: ユーザーは背景色、文字色、文字装飾などをカスタマイズでき、比較方法も文字単位や単語単位、大小文字の区別、全角半角文字の区別など、細かい設定が可能です。

選択範囲の比較: 文書全体だけでなく、特定の範囲だけを選択して比較することができます。

高精度: 改行や文字の位置に影響されず、精度の高い比較が可能です。さらに、句切り文字を使うことで比較の精度を向上させることができます。

「ちゃうちゃう!」は、文書のバージョン管理、コードレビュー、文章校正など、様々なシーンで大きな助けとなることでしょう。エディターや開発者、ライターなど、精確な文書比較が必要なすべての人にとって有用なツールです。


こちらのほうが、まだ手が入っていますが、それでもかなり似ています。
さらに、ChatGPTにリライトをさせてみました。
原文はトップページの画像でサンプルに使っているものです。
2回、試しました。

 

原文:

「ちゃうちゃう!」は、2つのウィンドウ上の文字列(テキスト)を比較して、異なる部分を文字単位または単語単位で示すソフトウェアです。
改行や文字の位置に影響されることなく、人間が見比べるときと同じように比較することができます。
全体を比較することはもちろん、選択範囲だけを比較することも可能です。
背景色や比較結果(追加・変更・削除)を示す文字色、文字装飾、英単語などを文字単位で比較するか単語単位で比較するか、英大文字と英小文字の区別、全角文字と半角文字の区別なども、ユーザーが任意に設定することができます。
さらに、句切り文字を上手に活用することで、精度の高い比較ができます。

 

 

リライト①:

「ちゃうちゃう!」があなたの文書作業を革命的に変えます。文字や単語の違いを瞬時にキャッチし、二つのテキスト間の微妙な差異も見逃しません。このパワフルなツールは、レイアウトの違いを超えて、まるで人間の目でチェックするかのように細やかな比較を実現。部分的な比較も可能で、特定の範囲だけに焦点を当てることもできます。

あなたのニーズに合わせてカスタマイズ。背景色、文字色、装飾はもちろん、比較の単位や大文字小文字、全角半角の区別も設定可能。さらに、句切り文字の利用で精度をさらに高め、文書の比較と分析をこれまでにないレベルに引き上げます。

「ちゃうちゃう!」は、編集者、ライター、開発者、学者、またはどんな文書を扱う全ての人々の最高のパートナーです。今すぐこの革新的なツールを使い、テキスト比較の真の力を体験してください。あなたの文書作業が、もう一歩前進します。

 

 

リライト②:

発見して、比較して、差を明らかにする―「ちゃうちゃう!」は、あなたのテキスト比較ニーズを完全に満たす革新的なソフトウェアです。このツールは、二つの文書を並べて比較し、最小の文字の違いから大きな文章の変更まで、あらゆる差異を素早く、正確に把握します。まるで人間の目で見るように、改行やレイアウトの違いに惑わされることなく、細部にわたり検証。選択した部分だけを比較するカスタム機能も搭載しており、あなたの作業をより効率的にします。

さらに、「ちゃうちゃう!」はカスタマイズ性に富んでおり、背景色や文字色、装飾から比較の単位まで、あなたの好みや必要に応じて設定が可能。大文字小文字の区別、全角半角の識別もあなたの手の中に。そして、高度な句切り文字機能により、より精度の高い比較結果を得ることができます。

文書の比較と分析に新たな次元をもたらす「ちゃうちゃう!」。これまで見逃していた違いを見つけ出し、文書作成の品質を向上させましょう。

 

日本語として不自然な箇所がいくつかありますが、著作権法上の問題になり得るかといえば、これなら良いのではないかという気はしますね。

少なくとも、リライトをしないAIからの回答は、著作権法上の観点からはグレーなものがあり得るということがよくわかりました。

昨今、AIによるリライトや文書作成もさかんに言われていますが、二次利用の際には十分な注意が必要になりそうです。

 

 

 これからは国際化の時代だから、日本人も英語くらい使えないと困る――。昔から、繰り返し叫ばれてきた言説です。1980年代にはすでにメディアに存在していた表現で、少なく見積もっても30年は経過しています。

 

 もし、本当に英語がないと困るのなら、とっくの昔に日本中が困り果てているでしょう。ところが現実には、大半の国民は英語がなくても日常生活に不自由をしていません。せいぜい、「使えれば、もっとよいかも」という程度です。それなのに、いまや小学校にまで英語教育が導入され、日本人の英語至上主義は過熱する一方です。

 

 マーケティングでも薬の治験でも何でも、通常、小規模で成功した試みの規模を拡大することはあっても、小さく始めて失敗したものを大きく広げることはありません。それが英語に関しては、なぜか中学高校で失敗した教育が小学校まで押し広げられています。ただ、どれだけ学習開始年齢を下げても、現状の教育方法に効果があるとは思えず……。語彙が増えることはあるとしても、単語や文法を暗記するだけでは、多くの場合に英語を使いこなせるようにはなりませんし。なぜなら、英語と日本語では物事に対する捉え方が異なり、語彙や文法だけの問題ではないからですね。

 

 こうした捉え方の違いを示すのに、たびたび引き合いに出されるくだりがあります。川端康成の『雪国』の冒頭です。

 

  国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。

  The train came out of the long tunnel into the snow country. The earth lay white under the night sky. The train pulled up at a signal stop.
  (直訳:列車が長いトンネルを出て雪国に入った。夜空の下に白い大地が広がっていた。列車は、信号所に止まった。)

 

 英文は日本文学の翻訳を多く手掛けた日本学者のサイデンステッカーによるもので、当時、英語版に対する書評はおおむね好意的なものでした。なかには、それまでに翻訳された日本の小説の中で、一番西洋人の心に訴えるものだと断定する評価まであったようです*1)。

 

 ここで、3つの文を個別にみていくと、日本語では一文目が汽車の中から外を眺めた描写になっています。このため、読み手には車内にいる人物が想起されるでしょう。翻って英文は、汽車を上から見下ろす形で表現されました。このような視点の違いを、言語学者の金谷武洋が「虫の視点」と「神の視点」と表現しています。「神の視点」は上空から見下ろす視点で、文が表す事象を客観的に捉えているのに対し、「虫の視点」は地上にとどまり、自らを客観視することはありません。まさに言い得て妙ですね。

 

 

 『雪国』に見られる日英の差は、ほかにもあります。たとえば、「国境(くにざかい)」とは上野国と越後国との境とのことですが、当時の「くに」は一般に「province」で訳されます。この単語は欧米諸国の「州」や「県」の意味でも用いられ、国家の行政区画を示しています。

 

 一方、サイデンステッカーは、「くに」を「country」と翻訳しました。「country」には「地域」「領域」などに相当する意味もあることから、日本語で漠然と用いられる「雪国」に対する訳としては許容されると思いますが、仮にその意味で訳したとすれば、「くにざかい」の意味は削除されたことになります。

 

 さらに、「夜の底が白くなった」という文に対する日本人の受け止め方には、大きくわけて2通りあることがわかっています。翻訳講座で講師をする際に何を連想するか受講者に聞くことがあるのですが、おおむね、東雲の空と雪で覆われた地面とで半々に割れるからです。つまり、日本語では、少なくとも2通りの解釈の余地を残しているとも言えるでしょう。

 

 これに対して「The earth lay white」という英文から得られる解釈は、白い大地の一択です。また、日本語の白く「なった」という表現からは、白くない底の存在が想起されます。存在しないものが何かに「なる」ことは通常あり得ないためです。そうだとすれば、「夜」は夜空ではなく地面も含めた暗闇と考えるほうが自然で、ここでも英訳によって意味の限定がなされています。

 

 このように、わずか3つの文だけでも、さまざまな違いがみられます。こうした中、事実を淡々と描写することから始まるサイデンステッカー訳の『Snow Country』は、西洋人から高く評価されました。原著者の川端康成は日本人として初めてノーベル文学賞を受けたことでも知られていますが、受賞者の選考は海外でなされることから、いくら日本語で優れた作品を生み出しても、それだけでは受賞には至りません。川端自身、受賞の半分はサイデンステッカーの功績だと考えていたとも伝えられています。

 

 最後に、上で引用したくだりを巷で話題のChatGPTに英訳させると、次のように出力されました。

  When I emerged from the long tunnel at the border, I found myself in a snowy land. The depths of the night had turned white. A train came to a stop at the signal station.

 汽車の中にいる人物の視点を残したまま、見事に「直訳」されています。

 ただし、3文目でtrainに不定冠詞を伴っていますので、冒頭に出てくる人物が乗っているのとは別の汽車を車内から眺めている視点でしょうか。

(トンネルから出てきた人物が徒歩だった、という解釈も成り立ちます。)

 

 全体として文法的な誤りはありませんが、この英文では、おそらくノーベル文学賞は夢のまた夢だったでしょう。

 

 比較のために、Google翻訳DeepLの訳もあげておきます。

 

Google翻訳
  When we passed through the long tunnel at the border, we found ourselves in a snowy country. The depths of the night turned white. The train stopped at the signal station.


DeepL
  After a long tunnel at the border, the country was snowbound. The bottom of the night turned white. The train stopped at a signal station.

 

 

 いずれにしろ、英語を使えるようになるには発想の転換が必要で、そのことを理解するには、中学1年生でもまだ早いようにも思います。だからといって、日本人が英語の母語話者と同じように自然に英語を習得できるような生活環境も、日本にはほとんど存在しません。

 

 こうした中、最新のテクノロジーを利用して自分に合った方法でスキルを高めること自体は良いのですが、英語学習のために時間を使えば、その分、国語なり何なり、ほかのどこかで時間を削らなければならないのも事実です。

 

 英語にかぎらず、どの言語でも必要になった人が必要に応じて学習すればよいのであって、日本で「英語くらい使えないと困る」ことなど、あり得ないはず。

 AI時代だからこそなおさら、自分に必要なものは何なのか、いまいちど立ち止まって考えてみたいものですね。

 

*1) 『川端康成作品選』中央公論社(1968年)p.549

 

 子どもが学校の定期テストなどで思ったような点数を取れず、落ち込んで帰宅することは、どこの家庭でもよくある光景でしょう。そういうとき、2児の母親である私は、決まって同じように声をかけ続けました。

 

 「できることがまたひとつ増えて、よかったね」

 

 小テストでも模擬試験や定期試験でも、とにかく子どもが間違えたと話してきたときは例外なく、「できることが増えて、よかったね」と言うのです。できていないことに対する指摘は、一切していません。間違えようと思って意図的に間違えたわけではないため、わざわざ言われなくても、本人がいちばん分かっているはずです。分かっていることを指摘されるのは、大人でも苦しいものでしょう。だから、たとえ全く勉強をしなかった結果だとしても、そのことには言及せず、

 

間違えた問題は、これからできるようになる問題

 

と、受け止め方を変えています。

 

 こんなの単なる言葉遊びにすぎないと言う人も、いるかもしれません。でも、やがて子どものほうが慣れ、今日はこういう問題が出たといった説明とともに、「ここ、間違えた。これでまた、できるようになることが増える」と自分から言うようになりました。

 

 なにより、「できることが増える」材料ですから、やらされ感を抱くこともなく自主的に勉強します。すると、成績があがって自信がつき、好循環が生まれます。何事も、こういう無理のない自主性こそ、重要だろうと思うのです。

 

 加えて、子どもたちが高校を卒業するまで、学校の定期テストの期間には毎回必ず勉強につき合いました。娘は歴史も理科も英語もA3用紙に絵を描いて覚えるタイプで、試験期間中はダイニングテーブルが図工室のようになり、息子は覚えたい内容をパソコンで活字化して一気に丸暗記するタイプ。それぞれに勉強方法は異なりますが、どちらにも同じように寄り添い、行き詰まったら、視点や発想を変えるヒントだけを出しています。

 

 もともと親子の会話を大切にしていたことが功を奏したのか、2人ともいわゆる反抗期はなく、特に息子は帰宅すると機関銃のように学校での出来事を報告してくれました。まるでラジオの実況中継さながらで、勉強や友達のことはもとより、先生の恋愛話まで筒抜けです。そんな子どもたちに、ひたすら、プラスの視点を刷り込んだのです。

 

 こうして「できることが増えて、よかったね」を徹底して言い続けた結果、息子が大学1年生になる頃には、いつのまにか同じことを同級生や下級生に言うようになっていました。

 

 卒業した高校に遊びに行って、同じ大学を受験したがっている後輩の相談にのるとき。

 同じ大学で、同級生がへこんでいるとき。

 いろいろな場面で、さまざまにアレンジして、使っているようです。

 

 すでに社会人数年目の娘以上に、息子は幼い頃から現在までずっと日々の出来事を私に報告するのが日課で、それは大学生になっても同じでした。こうした報告の中に、ちらほら混じってくるのです。

 

 ほかには、「それって、何が問題?」も、わりと使うようです。相手にとっての悩みだったり問題だったりすることに対して、いったい何をどう問題「だと感じているのか」説明してもらい、それを長所や利点に「変換」するそうです。

 

間違えた試験問題は、これからできるようになる試験問題

 

と、基本は同じですね。

 

 息子から友人へ、そしてその友人から私の知らない誰かへと、「できることが増えて、よかったね」が伝わっていくとしたら、すてきなことだと思うのです。

 

 話は変わりますが、私は、特許出願用の書類を訳す翻訳者です。そして、翻訳者という職業は、毎日が勉強の連続です。いかに「~すべき」を排除し、学びの自主性を保つかを考えるのも、ある意味で仕事のうちだと言えるでしょう。本来できる「べき」なのに、できていないというマイナス意識から取り組むのと、今はできていなくてもこれからできるようになる材料だというプラス意識から取り組むのでは、結果が大きく変わるように思います。

 

 たとえば若干進歩したときに、「まだまだ足りない」と感じるか、「すでに、これだけできるようになった」と感じるか。どちらが、自然に「もっとやろう」という気になりやすいかは、言うまでもないでしょう。

 

 翻訳者になると決めて2週間でフリーの特許翻訳者になった当初から、『「ない」ものを求めるより「ある」ものを活かす工夫を』というのが、私のポリシーでした。ソフトウェアにしろ、人間にしろ翻訳会社にしろ、何かの欠点や問題を指摘したり、何かの不足に不満をあげたりすることは、簡単です。でも、「ない」ばかり見ていても、何も生まれないと思いませんか。欠点があるソフトなら、使いにくいと嘆くより、「新しい使い道が増えて、よかったね」と言ってあげられるような使い方を考えるほうがずっといい。人間も、同じことだと思うのです。

 

 できることが増えて、よかったね。

 

 こんな視点の連鎖が生まれるたらよいなと思う、今日このごろです。

 

※本記事は、2016年2月の「できることが増えて、よかったね」と2017年1月の「続・できることが増えて、よかったね」を1本にまとめて整え直した「リメイク版」です。