電車に揺られて実家へ向かう時間。
前に立っている女性の、
膝裏にぽつんとくっつけたようなホクロに目が吸い寄せられます。
どうしてあんなところに住み着こうと思ったんだろうか。
どうしてヒゲはみんなで口裏合わせてあんなところに群生しようと思ったんだろうか。
どうして目くそは目尻じゃなくて目頭から出ようと思ったんだろうか。
世の中不思議なことだらけです。
あぁ。どうして人は生きてるんだろうか。
いや、病んでるわけではなくて。
先日祖母が急逝して、そういうこと考えるタイミングなのかなぁって思った次第です。
どこかで読んだ本に、
死んでる方が自然だから人は寝ることに安らぎを求めるんじゃないかって書いてあった。
苦しい世界に放り出され生きなければいけない悲劇に、赤ちゃんは大泣きしながら生まれてくるんじゃないかって。
一見したら過激な見方だけど。
うっかりそれに賛同したくなるくらい、
きっと多くの人が生きることに苦しみを感じていて。
それでも生き続けることしかできなくて。
同じ道を行き続けることしかできなくて。
それ以外の道は上手に隠されていて。
その縛られた道から抜け出した人が自殺とかしちゃうんだろうけど、
果たして私たちはそれを非難できるんだろうか。
「自殺はイケナイコトです。」
「自分をタイセツニしなければなりません。」
誰がそのわけを説明してくれるだろう。
抜け駆けして楽になる連中がうらやましいんじゃないの。
彼らの自分をタイセツニした結果がみんなと違っただけじゃないの。
世の中わからない道理だらけです。
当たり前という言葉は何も確かに見せてはくれません。
おぉロミオ、あなたはどうしてロミオなの。
だって僕はロミオだもん。当たり前だろう。
…なんて言ったら台無しでしょう。
きっと当たり前という言葉にだまされて隠されて、出会っていないものたちがたくさん世の中には溢れてる。
そのシステムに待ったをかける度胸はないけれど。
私はだまされないぞと気張っていたい。
なんていう過激派の私は、やっぱり教育者にはなれないなぁと思う今日この頃。
でも、当たり前を当たり前という理由でしか説明できない人たちには伝えられないものを、
もしかしたら伝えられるかもしれないという可能性を秘めていることには、うすっぺらな胸を張っていよう。
あー。
生きるって難しい。苦しい。怖い。
でも一人じゃないから、私は大丈夫。
赤信号、みんなで渡れば怖くない。
案外そんな馬鹿げたことと同じかもしれない。
なんて妄想をしながら
窓越しに電線を追いかけていると、スカッとした青い背景が目に入ります。
うん、今日はいい天気。
こねくりまわした議論もあほらしくなるくらい、世界はきれいです。