さきじゅびより【文楽の太夫(声優)が文楽や歌舞伎、上方の事を解説します】by 豊竹咲寿太夫




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芦屋道満大内鑑あしやどうまんおおうちかがみ

一谷嫩軍記いちのたにふたばぐんき妹背山婦女庭訓いもせやまおんなていきん絵本太功記えほんたいこうき




加賀見山旧錦絵かがみやまこきょうのにしきえ

桂川連理柵かつらがわれんりのしがらみ仮名手本忠臣蔵かなでほんちゅうしんぐら源平布引滝げんぺいぬのびきのたき曲輪文章くるわぶんしょう恋女房染分手綱こいにょうぼうそめわけたづな




生写朝顔話しょううつしあさがおばなし

心中天網島しんじゅうてんのあみしま心中宵庚申しんじゅうよいごうしん菅原伝授手習鑑すがわらでんじゅてならいかがみ




伊達娘恋緋鹿子だてむすめこいのひがのこ




鳴響安宅新関なりひびくあたかのしんせき




双蝶々曲輪日記ふたつちょうちょうくるわのにっき

日高川入相花王ひだかがわいりあいざくら平家女護島へいけにょうごのしま




娘景清八嶋日記むすめかげきよやしまにっき




義経千本桜よしつねせんぼんざくら




和田合戦女舞鶴わだかっせんおんなまいづる




景事けいじ


小鍛冶こかじ


寿柱立万歳ことぶきはしらだてまんざい


団子売















豊竹とよたけ咲寿太夫さきじゅだゆう


人形浄瑠璃文楽ぶんらく
太夫たゆう
国立文楽劇場・国立劇場での隔月2週間から3週間の文楽公演に主に出演。
モデルとしてブランドKUDENのグローバルアンバサダーをつとめる。

その他、公演・イラスト(書籍掲載)・筆文字(書籍タイトルなど)・雑誌ゲスト・エッセイ連載など
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令和6年4月公演チラシより









市若初陣いちわかういじんの段 端場はば



至って用捨は御身にかゝり、御親子ごしんし不和のもといぞと、諫め申せど尼君は荏柄えがらが妻子を匿ひ給ひ、物見のちんを高櫓、門々固め実朝の、討手来たらば討死と、思ひ定めし御覚悟、底意いかにと訝しき

夜の目も合わぬ腰元仲間一つ所に集まりて

「何と思やる皆の衆、荏柄えがらの妻子を受け取らんと数多の軍勢向かうといふぞや。日頃習ひし軍法の奥の手、命限りに逃げ退かうではあるまいか。名ある武士と引つ組もより、可愛い男と引つ組んで死ぬる戦がしてみたい」

とそゝり出せば

「ヲヽ嗜みや、敵に後ろを見せるめは女の身では大きな無作法。ことに味方に板額女はんがくじょ、子まで産んだ大根強だいこんづよ、五万や七万のお敵は明き家で棒、おとがいで蠅。つひ拝ます」

としどもなき

話半ばへ荏柄が女房綱手つなでといへど便りなき、落ち目になって気もひが

「コレいづれも、板額女はんがくじょばかりを力にし戦せうとは危ない思案。めい〳〵命を的に懸け、討死せうとは思はずか、笑止な衆」

と蔑したる

詞憎しと板額女、物見を出でて

「ホヽ勇ましき綱手殿のお詞、左程のそもじが何ゆゑに子まで引き連れ尼君を頼んでさもしい命乞ひ。実朝公は親御へ対しお違背なされ兼ね女房は兎も角も、一子公暁きんさとは姫を殺した者の倅、首討つてお渡しとの仰せ、たつてとある、ならぬとある。仰せ合わせでこの騒動、誠口ほど健気なら公暁を刺し殺し、その身も自害したがよい、兎角命は惜しいもの」

と恥しめられて

「イヤコレ死ねるを厭はぬ証拠には幾度かお暇を申し上げてもお上には我が娘を殺したる荏柄えがらこそ咎人なれ。そち親子は知らぬこと、匿ひしには思案ありと奥深い御一言。死ぬるにも死なれず」

と言はせも立てず

「その言ひ訳暗い〳〵。今にも討手攻めかけなば奥深い御思案があるといふて事済むか」

「ハテその時は覚悟の前」

「サアその覚悟を今極め、一子公暁きんさとが首討つて御親子の仲丸うしや」

「イヤそれは」

「それはとは卑怯者」

と角目かなめの攻め合ひが

漏れてや奥よりお局駆け出で

「尼君様の上意なり、板額はんがく様は表を固め、夜回り厳しく言ひつけ給へ。綱手様はまづ奥へ」

と言ふを幸ひ良き折と、皆引き連れて入る影を本意なげに打ち眺め『あんまり上が慈悲過ぎて、天下の騒ぎとなることよ』と一人恨みてゐるところに

間近く聞こゆる人馬の音、列を構わぬ軍勢の、鉦も太鼓も一時に、鯨波ときをどつとぞ上げにける

『すはや夜討ち』と板額はんがく女、物見に上がるそのうちに

松明提灯星の如く先に進むは佐々木の末子綱若丸、土肥実千代。二陣は千葉資若胤若、蜻蛉頭も打ち交じり

十一以下の子供の声々

荏柄えがらが一子公暁きんさとが首取りに来た、こゝ明けよ、明けぬは卑怯弱者よ、こちらが怖いか、えい〳〵わあ、笑へ〳〵」

と罵つたり

板額はんがく自然と心付き

「天下の法と御親子の礼儀のほどを思し召し子供を以て敵討ちか、げに尤も」

と感心し、『定めて我が子の市若も人数に加わりゐるべし』と明かりにすかし差し覗き、『あれかこれか』と見廻せど、似た姿なき不思議さに物見より声を掛け

「コレ〳〵子供衆もの問はう、浅利与市の一子市若といふ子、その中に居るならばちよつと呼び出してくだされ」

と頼めば先なる佐々木綱若

「その市若はおれと友達、来しなに誘いにやつたれど、嫌というて見えなんだ」

と言ふに側から口々に

「おいらも誘ひに寄つたれど戦は怖いものぢやゆゑ、後から行かうの留守ぢやのと尻込みしてえおぢやらぬ。あんな腰抜け今からは友達仲間へ入れまい」

と誇る我が子の噂をば

聞く親の身は迫り、しばし詞もなかりしが

「イヤナウ子供衆、総体夜討ちといふものは人の寝込みへ押し寄せて騙して討つゆゑ卑怯戦、それを知つて市若が来ぬであろうと紛らかし、其方も手柄したくば明日夜が明け、いつもの飯喰ふ時分にござれ。その時小母が取り持つて手柄さしてやろほどに、今夜は去んで寝ねしや」

と我が子の来ぬが不思議さに、当てなきことを引き延ばす、思いは親の因果かや

寄せ手は何の差別なく

「夜する戦が卑怯なら明日夜が明けるとそのまゝ来う、その時手柄さしてや」

と先が頼めば

その次が

「小母様手柄をわしにもや」

「イヤおれにも」

と段々に競り合う頼み頑是なく、鉦や太鼓を叩きたてひとまづ陣を引きにける

板額はんがく跡を打ち眺め

「小母でなき身を小母にして手柄頼むに市若は何として来ぬことぞ。たとへ我が子は臆病でも、父が励ましおこすはず。持病の虫でも起こりしか。母のない子と甘やかし、養ひ過ごして病は出ぬか。心得なや気遣ひ」

と顔見ぬうちの物思ひ、案じに障子押し立てゝ暫く


時を移すうち



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寿柱立万歳ことぶきはしらだてまんざい


春風に

乗つて出で候、三河路みかわじを野暮な太夫と二人連れ、幾夜重ねし旅鳥、浮いた言葉の軽口を、たゝき生活たつきの張り扇、音もたゝすと小鼓に、月の都や花の江戸、千町や万町の塵埃、払ひ清めて御万歳

「エヘン罷り出でたる者は」

「参州三河に隠れもない」

「えらい太夫」

「才智才三」

「万歳にて候」

「サア〳〵太夫さん、まづお客様方にご挨拶を申しませう」

「それがよろしうございます。エ、四方よもの御客様、日頃の御贔屓御引き立て有り難うござりまする。時に才三や、御祝儀の寿をさらばお祝い申そう」

と鼓おつ取り声繕ひ

「ヤンラめでたやなア、鶴は千年の名鳥なり」

「亀は万年の世御寿命保つ」

「鶴にも勝れ」

「亀にも増す」

「今日このお家をば、長者のしんとヨ祝ひ栄えましんまする」

「建て初めの柱をばヨ、綾と錦で包ませて」

「弓と矢をば付けさせてヨ、これが火伏せの柱とて、鬼門を守らせ侯へば」

「一本の柱が一の宮よ」

「二本の柱が二千だか」

「三本の柱が榊の明神」

「四本の柱がシロクヤ天王」

「五本の柱が牛頭ごず天王」

「六本の柱が六八幡とや」

「七本の柱が七尾の天神」

「八本の柱が正八幡」

「九本の柱が熊野三社の大権現とヨ」

「十本の柱が十羅刹じゅうらせつ

「十一本の柱をばヨ十一面観世音」

「十二本の柱をば薬師の十二神とや」

「千本あまりの柱をば御取り立て悦ばれたり」

「誠にめでたう候ひける。弥勒みろく十年たつてののち、諸神の立てたる御家は」

「雨が降れども雨落ちせず」

「風が吹けどもたゞならで」

「ちいと吹いては世をはる風よ」

「こちらへ吹いては御万歳」

「万歳楽まで祝うて千秋繁盛と参り栄へ給ふはコリヤ誠にめでたう候ひけるとは。アヽこれからそろ〳〵御万歳」

「オヤ万歳」

「へゝ万歳」

「オヤ万歳」

「へゝ万歳」

「万歳〳〵〳〵、ソレ万歳楽で御悦びだ、アハヽヽヽヽ」

「太夫さん」

「オヤあらけえね」

「ソレ銭や金の湧くやうだにコレハイ」

「これ様のお屋敷でソレ掴み取りが始まる」

「子供らも御油断召さるな、もつこを持つたら、しよこない米だにコレハイ」

「木鉢を持つたらすくひ込め」

「升を持つたら量り込め」

「美しい姉様にやコリヤ才三なんぞは内証づくなら五両や三両はさつくれべにコレハイ」

「ソレそこらの姉様の頬の周りやお鼻の周りが、おでくらでんのでべその近所の言はれぬ所がへヽヽヽヽ、べつちやらこ」

「オヤまつちやらこ」

「ヘヽべつちゃらこ」

「オヤまつちやらこ」

ホヽヤレ〳〵、まつちやらこにまんぢやらこ、まんざら野暮では

「どうした才三」

「ありやせまい」

「代々栄えて御万の長者よ、エーなほ万歳楽までも、ヤンラ」

「エイおめでたう」

祝ひ疲れて両人は、またの御見を待乳山まつちやま。うきね隅田の都鳥、明日は飛鳥の定めなく、かしこを指して












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 初日



初日!今日〜4/29。

文楽劇場前の二本の桜の木は満開🌸




初日に桜が満開になるタイミングはとても久しぶりで、華やかな気持ちで楽屋入りをしました。


明日もお天気は大丈夫そうですし、満開の桜と文楽をお楽しみにお越しください。






若太夫兄さんの口上は、ご挨拶の皆さんが笑いを交えながら(分量多め)、和やかに進みました。






襲名披露のある第2部にも出演していまして、埋め尽くされた客席の割れんばかりの熱気ある拍手を浴び、大阪で文楽をもっと根付いたものにしたいという気持ちが強くなりました。


コロナ禍以降、特に1日3部制になってからお客様が分散状態になってしまうことが多く、1日の総入場者数が2部制の時とあまり変わることがなくても、各部それぞれが埋まりにくい状況に複雑な心をいだくことも多いのが本音です。


特にコロナ禍直前までは、大阪の公演は満員御礼がよく続いていたこともあり、文楽の産まれ育った地である本拠地の大阪で再び根付いたものにすることは最も大きな課題だと考えています。












「若太夫」という名跡は、歌舞伎で言えば例えば「團十郎」のように非常に大きな名跡です。


やはり、それほどめでたい襲名披露公演ですから、もっと大阪で大きなムーブメントになってほしいのです。


現在、文楽のみならず、日本の芸能自体に関心を持たれることが薄くなっています。


正直、諸外国ではおおよそ考えられないことだと思います。

自分の国の文化に触れる機会が少ない、というのは寂しいことです。


学校で教わるのは歴史と音楽で数分といったところでしょうか。

あとはテレビで歌舞伎俳優さんと落語家さんの現代ドラマを見るくらい。


どうにかして、生の舞台を観ていただきたい、劇場にお越しいただきたい。


文楽のみならず、日本の芸能という分野全てに。


皆さまにもお願いがございます。

どんどん口コミしてください。

どんどん拡散してください。


メディアの露出が少ない文楽は、お客さま皆さまの口コミが1番の力です。

皆さまのお声が、大きな力です。


よろしくお願いします。









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ジブリやスタジオ地図、この世界の片隅に、など劇場アニメのあらゆる背景や美術を担当してこられた男鹿和雄さんの動くアニメーション背景によるスペシャルな曽根崎心中。


本日、千秋楽をむかえました!

誰も病気などになることなく無事に、1日2回公演を1週間、14回上演しました。


男鹿和雄さんの絵画はまるでタイムラプスのように、時に物語を牽引するように闇を呑み込むがごとく浄瑠璃と人形を包み込み、しかしけっして主体になることなく見事に舞台機構として昇華されていました。





実はお忍びで勘十郎さんがお越しになられていて、唯一男鹿和雄さんのラフ画をご覧になられているのでその経緯と感想を聞いたりしました。


ふたり共通での感想は、あの絵は職人の技で模写など真似しようにも真似できない技術だ、という結論に達しました。


男鹿和雄さんの絵は版権の問題で我々芸人も撮影することはNGだったので、どうしてもこの絵を記憶に残しておきたくて、海外の美術館に通う学生を思い出して模写しました。


たった1週間の公演だったのですが、1日2回公演していたことも合わせて非常に濃密な公演でした。


この公演は海外も視野に入れて企画された公演です。

ご覧になった方はぜひぜひぜひ!口コミ感想を何度でも何度でも様々な人に拡散してください。


この公演を海外に連れていってください。


そして!

日本に凱旋できたら、日本の伝統芸能と日本のカルチャーとの融合に自信をもつことができます。