さくらかおりオフィシャルブログ

さくらかおりオフィシャルブログ

シンガーソングライターさくらかおりのひとりごと。

こんばんワン。

ものごころつく前からスターになりたい貪欲なさくらかおりです。

 

すごく小さいころ、

ベッドの上をステージにして、ラムネが入ったおもちゃのマイクを握りしめ、(このおもちゃ、めっちゃなつっっ!!!)

ぬいぐるみをお客さんにみたてて唄ってた。

それがわたしの生まれてから最初のきおくだ。

 

 

『自分曲説明』パート3

 

 

③『モンスターライト』

 

わたしはすこぶる負けず嫌いだった。

子供のころから、すごろくでも、ツイスターゲームでも、人生ゲームでも、ちびまる子ちゃんゲームでも、

1位になれなかったとき以外はわんわん泣いた。

それだけじゃない、近所のこどもたちの集まりのなかで、自分以外の子供がおとなにほめられていると、わんわん泣いた。

もちろんそれだけなわけがない、さらにめちゃくちゃ嫉妬ぶかかった。

自分の母親が、他のこどもをあやしたりしていると、やきもちを焼いてぎゃんぎゃんわめいた。

とにかくわたしは《超ド級・めだちたがりや》だった。

 

いつしかそのめだちたがりやは、じぶんで唄をつくるようになった。

じぶんのつくる唄は、世界でいちばんいい唄だとかくしんしていた。(こんきょはない)

なぜならば、じぶんでつくる唄を唄うと、よすぎて涙がでたからだ。(じぶんが共感する唄をつくってるからあたりまえ)

 

スターになるじゅんびはととのっていた。

あれは15くらいのときか。

スターになるには遅いくらいの年齢だった。

だって、17になるころには天才と呼ばれていたいし、18ではスターの仲間入り、20になったらもうドームツアー組んでる予定のわけだからして、15ででびゅーするのは必須だった。

 

あくまで、わたしのもうそうのなかで。

 

だ・け・ど

 

15でうけたおーでぃしょん、全落ち。

20で送ったでもてーぷ、全落ち。

 

しんさいんから言われた言葉、

「あ~~、早く結婚したほうがいいかもね~~www」

 

・・・・・・・・・・・・・・。

 

 

《めだちたがりや》は、現実をしり、

もうそうは、あっけなく打ち砕かれた。

 

 

20をすぎて、たいばんライブのぶっきんぐにしゅつえんすることを決めた。

やる気まんまんだった。

まんまんすぎて、中森明菜のデザイアみたいな衣装をつくった。

もちろんすべった。

 

きょうえんしゃは、すごうでだった。

むちゃくちゃいい唄を唄っていた。

その人はデザイアは着てなかった。ただのTシャツだった。

なのに、おんがくはむちゃくちゃ良くて、ざんぱいして、

わたしは、

楽屋でくやし涙がとまらなかった。

 

 

それからめだちたがりやは、

じぶんに、さくらかおりというなまえをつけた。

 

いいなまえだと思った。

つぎこそ売れるとおもった。

さくらかおりとして、たくさん唄をつくった。たくさんライブをした。

たくさんのひとにであった。たくさんおうえんしてもらった。

それから、永援♡少女という、あいどるぐるーぷをたちあげた。

ゆくゆくは、アリスルアという創作ゆにっとをつくった。

 

かつどうをしていくなかで、めだちたがりやは、

いつのまにか、

めだつことより、《ほしをみつけること》を探しはじめていた。

 

 

こんなかんちがいめだちたがりやを産んでくれた、たったひとりのわたしの母きみこは、

いつでもどんなときもだれにたいしても、ほほえんでいる。

いま、母自身が、大病をわずらっていても、だ。

 

きみこは言う、

 

「なんでも楽しんでいこう!」

 

わらって、そう言う。

 

びょうきで、いちばんだれよりもいたくて、つらいのは母なのに、

家族にわらって、そう言う。

 

いまきみこのちからになりたいと思って、まいにちすごしているわたしなのに、

こころのなかに星をくれるのは、いつだってきみこだ。

 

きみこママのこころに宿る星を、

わたしもうけついでいるはずだ。

 

 

だから、

わたしは、

 

 

さくらかおりにであってくれた、

 

永援♡少女にであってくれた、

 

アリスルアにであってくれた、

 

そして、かおりという、とんでもなく貪欲なにんげんにであってくれた、

 

あなた、

 

 

あなたの、ほしになりたい。

 

 

 

こんにちワン。

てぃくとくーとか、いんすたぁーとか、りーるーとか、令和っぽそうなものに一生慣れないさくらかおりです。

はぁ、ブログって落ち着くぅ。

 

それでは!いきおいが冷めないうちにつづいてまいりましょう!

『自分曲説明』パート2!

 

 

②『アカテン少女』

 

 

「…ねぇ、なんでこんな曲を書こうと思ったの?」

 

と、ことあるごとに聞かれるこのアカテン少女。

 

いまついにその謎を解き明かすときがきた…。

 

まずはこちらのPVをご覧いただきたい。

 

 

 

森高千里さんの、『ザ・ストレス』。

 

わたしがこの曲を観た、聴いたとき、

「ぬぬぬぬぬわんだこれはああ!!!!」となって頭から離れなくなり、『ザ・ストレス』中毒となって、

この、「聴いたことのない歌詞・コトバがずんずん入ってくるメロディ・異国っぽい不思議なアレンジ・むらむらドキドキする映像」がおりなす、このもやもやむにゃむにゃもぞもぞ感を、じぶんの音楽でもつくってみたいとおこがましくも密かに想うようになっていた。

 

そして、そのときはきた。

わたしが昔、長い間ニコ生で生放送していた、「さくらかおりのサクラジオ」の中の企画「ニコミニソング」で、

たしか、視聴者のみんなから、「腕」・「教室」・「はなまる」という三つのキーワードをもらってミニソングをつくるときがあり、(もしかしたら一個キーワードまちがえてるかも、ごめんなちゃい)

そのときに、「よし、かおり版ザ・ストレスにちょうせんしてみよう!」

と、思い立ったのです。

 

 

いきなりですが、わたしは、学校の先生(男)や、学校の男子たちにちやほやされた経験がない。一切ない。

なさすぎて泣けてくる。

 

日テレ欽ちゃんの仮装大賞の出演に明け暮れた小学校時代も、

SPEEDのマネをしてSPOODの練習に明け暮れた中学校時代も、

筋肉マン体操で学校中を笑わせた女子高生のときも、

学校外の塾の中ですらお笑い担当だったわたしは、いつだってどこでだって明るいおバカ生徒として扱われ、

クラスの綺麗どころの女子がすべてのちやほやをかっさらっていった。

…書いててむなしくなってきた。

 

だ か  ら

 

わたしは人以上に学校の恋愛にコンプレックスがある。

このコンプは一生癒えない自信がある。

そのコンプレックスをアカテン少女にぶちこめようと誓った。

ここでわたしの満たされなかった少女時代の魂を昇華させるのだ!!!!!!と。

 

あ、

これを読んでくれてる男性諸君のみなさん、

わたし、こわい…?

きらいにならないでね…。

わたしのことは嫌いになっても、アカテン少女は嫌いにならないでね…。

(このあいだテレビで観た前田敦子さん主演の映画『もっと超越した所へ。』めっちゃ良かった)

 

そう、学生時代にできなかった恋を、もしアカテン少女が叶えてくれたら、わたしの絵にもならない思春期に意味があったと思えるはず。

 

小学校のとき、好きな人の前で顔を白塗りにして全身タイツを履いて仮装大賞に出て、賞はとったけど当然恋は見事に破れたことも、

中学校のとき、人気の社会科の先生(男)がわたしのことを目の敵にしたように授業中に思いっきりわたしの机を蹴り上げ、机の上のリプトンのミルクティーが教室中にぶちまけられたことも、

ぜんぶぜんぶ良い想い出になると願って書いたの!!アカテンを!!これが!アカテン少女を書こうと思ったしんじつだよぅ!!!!!!

 

…。。。

 

というわけで、

わかっていただけただろうか。

 

 

あなたがもし、アカテン少女を観て、聴いて、「な、なんだこの曲?」と、

願わくば思ってくださったとしたら、

 

それは、

 

 

ひとりのあまりにもモテない少女の怨念ソングだったからなのだ。

 

 

 

あ~あ、、制服でずにーしたかったな、、

(ぜんぜん昇華されてない)

 

こんにちワン。さくらかおりです。

げんざい唄の活動のおやすみをいただいております。

そして唐突にブログを再開してみました。

いったいいつぶりだろ…

 

じゅようないかもしれないのですが、

むしょうに文章をうちたくなったので、

唐突に、『自分曲説明』みたいのやってみようかなと思います。

つまり、自分の曲の説明です。

そのまんまです。

 

じゃ、いってみましょう!

飽き性なのでいつまでつづくかわかりませんが…、さくらかおりの自分曲説明、かいしっ!

 

 

(ここから先は、かんぜんに自分語りなので、曲のいーめじが変わってしまうのがびみょうだなって思ったら、とちゅうで読むのをやめたほうがいめーじ保てるかもですが!こわいもの見たさでさいごまで読んでもらえたらうれしいな!!)

 

 

①『さくら号線』

 

 

この唄の原曲は、すんんんんごい古い唄で、最初のタイトルは『春の嵐』という名前でした。

 

わたしがさくらかおりという名前で活動し始めて、おそらく初めてのライブか、数回目かのときに、ピアノサポートをしてもらいながら唄ったのが最初かな…。あやふやだけど。

春の嵐のときは、サビがぜんぜん今と違って、もうすこしやわらかい、まさに春の優しい風のようなメロディと歌詞でした。

 

 

わたしは曲を書くときに、なにかのきっかけがあって書き始めるタイプなのですが、

春の嵐を書こうと思ったきっかけは、わたしがバスのうしろの方の席に座るのが好きで、そこから眺める景色とか、舞い込んでくる風が穏やかで好きで、だけど春の風って、自分の心ごとぜんぶさらっていってしまうような怖さというか、希望と不安がいりまじっている気がして、

そんなもろい心情を淡いタッチで油絵のように描けたらいいなぁと思って書き始めた曲でした。

 

 

曲をつくり始めたての頃の昔のわたしは、

メロディをつくることに関して、めちゃくちゃ感情オンリーでつくっていました。

テクとか、コード進行とか考えずに。

 

だけど、伊秩弘将さんにプロデュースしていただき始めてから、

「歌詞を最大限に伝えられるメロディのつくりかた」におけるコード進行の大切さを知り、

この春の嵐も、いまの『さくら号線』になる新たなサビがうまれたのでした。

 

わたしはしばしばこのように、昔の曲をかきくわえることがありますが、

古いほうも、新しいほうも、どっちも自分の作品なので、優劣をつけてるわけじゃないし、捨てたわけでもなく、

古いほうの作品をあたためて、いる、という感じ。

またおぎゃあと再生する日がくるんだろうなって。

 

話を戻して、『さくら号線』は、わたしの母方の祖母のことを想って書いた唄なので、

唄うたびに、口数が少なかった祖母の、

畑仕事でいつも手が汚れていた祖母の、やさしい瞳を想い出します。

 

幼いころのわたしは、質素な祖母の繊細で奥ゆかしい愛情にあまり気づけず、

「おばあちゃんはかおりのこと、ほんとうにすきなのかなぁ…」

なんて、不安に思ったりしてたことがけっこうありました。

 

祖母との最期のお別れの前に、『ひとつだけ』という曲を書いて、

入院中の祖母に届けた日も、

母から、

「おばあちゃんね、かおりが帰ったあとに、“…かおりちゃんがいちばんだよ。かおりちゃんがいちばんだよ”って、言ってたよ」と聞いて、

直接言葉で伝えるだけが愛情じゃないんだって、初めて気づいて、

たくさん涙を流しました。

 

おばあちゃん家のぬかみその、おつけものが大好きだった。

とくになす。

あの味には、いまだに出逢えていない。

 

きっとあの味は、

おばあちゃんが言葉よりもあたためつづけた、

たった一人の孫への愛情の味だったんだろう。