裏の裏の裏は表?

るんたったーるんたったー。

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鬱はつづくよどこまでも



鬱がネチネチと続いている。
前の鬱とちょい違ったやつ。よくわかんないけど。焦燥感と罪悪感で何をする気にもならない。

離乳食もお風呂いれるのも面倒。朝起きるのも辛い。

ほんとは子供2人欲しいんだけどな。これをまた繰り返すとおもうと躊躇してしてしまう。働きたい、良いお母さんでもいたい。

でも良いお母さんてなんだろう。私は自分の母親に嫌悪感を抱きすぎて、ああなりたくないちゃんとしたお母さんになりたいと思い過ぎて鬱になったとこある。

でも美味しくないご飯でも三食作って虐待されなかっただけ感謝なのかな。それがお母さんの精一杯だったんだなと思えてきた。

虐待は論外だが、それでも他人事じゃないよなと思いはじめた最近。

可愛い可愛い私の赤ちゃん。
お母さんは貴方を真っ直ぐに愛せていますか?

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産後鬱のお話



それはお手伝いに来てくれたお義母さんが新潟に帰って2、3日後に突然やってきた。

頭の中でどうしようが爆発したのだ。
どうしよう、子育て出来ない、どうしよう、赤ちゃん怖い、どうしよう、どうしよう産んじゃった、育てられないのに産んじゃった、乳児院にいれる?無理無理でも私じゃ育てられないどうしよう、赤ちゃんと離れたいどうしようどうしよう死にたい、お母さんになったのに何も出来ないどうしよう、どうしようどうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう死にたいどうしよう死にたい

泣きながら旦那にどうしようを連呼。ウィダーインゼリー一個すら食べられない。体重が一気に減る。貧血で倒れる。まともに歩けない。

危機感を感じた旦那が即座に市役所に電話してくれて、子育て支援課の方とヘルパー事業責任者が飛んできた。このスピード感が良かった。旦那グッジョブ!まずは精神科に通院。抗不安薬と抗鬱薬と睡眠導入剤を処方される。午前2時間、午後2時間で一日4時間ヘルパーさんに側にいてもらう。
これを4ヶ月続けた。症状はゆるやかに
良くなっていって、今は“どうしよう“に支配されてはいない。

震災後の3年で友人と親族を自殺で無くした。周りに迷惑を掛けるなんて考えられなくなっちゃうのが鬱なんだね。

死にたいとは思ったけど、死のうとは思わなかった。でもギリギリだった。地獄みた。鬱になったらまずは精神科を受診するのみ。そして何より行政や周りの人に頼りまくること。


とにかく鬱怖い。そんだけのブログでした。

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レンタル家族



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いわゆる産後鬱というものになってしまったので、日替わりでヘルパーさんが来てくれている。
園子温の「紀子の食卓」さながらの、1時間千円で買えるレンタルお母さんである。

末期の時は死にたくなったりパニックに陥ったりキューピー3分クッキングで踊るキューピーを見ただけで胸がドキドキしていたので、その状態からは脱することが出来た。

日替わりでくるレンタルお母さんは皆優しく家事も完ぺきでグスグス泣いている私を叱咤激励してくれる。
「手を抜いたっていいのよ!」「お母さん一年生なんだから」「皆最初はそう、大丈夫」

私は彼女たちにどんどん甘えていって、自分で出来るようなことも頼んだりした。
リンゴを剥いて貰った時は、私がなりたかったのはお母さんじゃなくて子どもだったんだと気付いて泣きながらリンゴを食べた。甘かった。


レンタル家族セラピーである。遠くの親戚より近くの他人とはまさにこの事。私は赤の他人の彼女たちをお母さんに見立て、十分甘えながら子供役をやっている。
そして満たされた甘さをエネルギーに変えて、ゆっくりとお母さんになっていきたい。


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夜中に書くブログ

2011年から色んな人が死んだ。

看護婦さんが津波で死んだ。元同級生が津波で死んだ。ご近所さんが津波で死んだ。女友達が薬で自殺した。伯父さんが風呂場の手すりで自殺した。お手伝さんが死んだ。お婆ちゃんが死んだ。お父さんがホテルで突然死んだ。

ここまで続くと生きると死ぬの境目が曖昧になってくる。人間はそんな簡単に死ねない、という事と、人間は唐突に死ぬ、という事と、どっちも真実だと思う。どっちに転ぶかはそれこそただのタイミングとか運だよなーと。

学んだことは、変な人と付き合わないこと、薬の量を守ること。

書いてたらよく分からなくなった。
生きるとか死ぬとかって、なんだろね。私の大切な人の命がなるべく長く続きますように。

悲しみが乾くまで


気まぐれにmixiにログインしたら不意打ちをくらって沢山泣いた。
冬が来たら二年になる。長かったのか短かったのかよく覚えていない。

もう増えていかない思い出が悲しくて、mixi日記を読み返したり写真を見たり、最後のやり取りを反芻してみたりして何とか繋がりを確かめようとした。
気持ちの持って行き場がなくて会いたいよとメールを送った事もあったけど、読まれないメッセージはただ虚しくて相手の不在を更に強く感じるだけだった。

皆から愛されてるのに誰からも愛されていないような顔をして、マイペースで一見無愛想で、それでいて素直でとても可愛い人だった。長い手足と綺麗に塗られたネイルとふわふわの長い髪の毛を思い出す。

全てを過去形で語らなきゃいけないのが受け入れられなくて、今迄うまく言葉に出来ないでいた。
ブログを書いては消した。
不在を実感するのが嫌で共通の友達とも疎遠になった。

これまでお葬式の祭壇の前で「あの世で一杯飲もうぜ」みたいに語り掛けてる人をテレビで見ては、あの世なんて存在しないし死んだって会えないのにと思っていた。
でも大切な人の肉体や魂が消滅したなんて悲し過ぎる。あの世があるって思わなきゃ救いがないよなあ。

最後のメールには「とてもファックだね」と書いてあって、彼女らしくて少し笑えてしまう。
何で死んだのか分からないけど、何で死んだのか分かる気もする。

私はもう少しこの世を生きるから、無事天寿を全うしたら最後にお茶した吉祥寺のカフェでお喋りの続きがしたい。
まだまだ話したい事が沢山ある。

たまたまログインしたmixi、たまたま今日はかをりの誕生日。
ずっと若いままで少し羨ましくて、一緒に老けていきたくて凄く悲しい。
馬鹿げていると自分でも思うけれど、わたしを思い出してよと言われた気がした。


大丈夫、まだまだ全然忘れてないよ。
かをり、お誕生日おめでとう。


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