ICEPICK'13"についての4回目、〆のPART 4。

随分と更新の間隔が空いてしまったのだが、このイベントの所感の〆としてやはり改めて1970年代後半に英国で産声を上げたスキンヘッド・ミュージックについて振り返ってみたい。
このイベントに出演した各バンドのそこかしこに、オリジナルのスキンヘッド・ミュージック、そしてそれが生まれた背景にある当時の英国音楽シーンの影がちらほらと散見されたからだ。

まずアンダーグラウンド・シーンで密かに胎動し始めたスキンヘッド・ミュージックが大々的に音楽メディアに取り上げられたのはSHAM 69の登場によってだった。
SHAM 69は英国南部サリー州ハーシャムで結成されたオリジナルパンクバンドの一つである。
フロントマンであるジミー・パーシーは地元のサッカークラブ、「ウォルトン&ハーシャム」が1969年に地域リーグで優勝した際にあるサポーターが競技会場の壁に書き殴った"Walton & Harsham 69"という落書きをを目に留め、この「ヒップでクール」な落書きを「こいつはいただき」とばかり自らのバンド名に採用してSHAM 69と名乗るようになった。
元々、ロックとサッカーは1970年代初期にはグラムロッカーのSLADEの楽曲が一部のサッカーファンの間では愛唱歌として知られ、試合後のパブで合唱されていたりしていた。
両者はそれほど縁遠いものではない。
SHAM 69は1977年にインディーズ・レーベルのステップ・フォワード・レコードからシングル"I Don't Wanna"をリリースした後、ポリドールから1978年1月にシングル"Borstal Breakout"をリリース、待望のメジャー・デビューを果たした。
最初の解散までにシングル9枚、アルバム4枚をリリースし、特にメジャー3枚目となった"If the Kids Are United"は全英チャートで9位(1978年)、"Hersham Boys"全英6位(1979年)、3枚目のアルバム"The Adventures of the Hersham Boys"は全英8位(1979年)と数あるオリジナルパンクバンドの中でも彼らはセールス的にもかなりの成功を収めたと言っていい。
サッカーの応援歌を彷彿とさせる観客が一緒に歌いやすいキャッチーな曲調は「シンガロング・スタイル」と呼ばれ、英国BBCの人気TV番組の"TOP OF THE POPS"にも度々出演した。
が、彼らのライヴは血気盛んなパンクスやスキンヘッド達が度々喧嘩沙汰を起こし、プロモーターやライヴ会場から敬遠されて活動に支障をきたすようになる。
1978年のレディング・フェスティバルでは皮肉な事にそうした風評を払拭すべく、ステージでそんな思いを込めて"If The Kids Are United"を歌ってキッズたちの連帯を訴えたのだが一向に喧嘩が収まらない状況にパーシーが絶望し、ステージ上で涙を流したと言う伝説的な逸話が残されている。
1979年にSHAM 69は一旦活動を停止し、ジミーは元SEX PISTOLSのRスティーヴ・ジョーンズ、ポール・クックとSHAM PISTOLS結成を画策するが頓挫し、再びSHAM 69の活動に戻る。
そして1980年にアルバム"The Game"をリリース後、正式に解散を発表した。

後々にスキンヘッド・ミュージックを特徴付ける要素として挙げられるサッカーの応援歌然とした独特のコーラスワークもSHAM 69にその源流を見る事ができる。
サッカーとスキンヘッド・ミュージック、またそこから派生したOi!パンクは切っても切れない程縁深いものとなったのだが両者共に英国の労働者階級が生み育んだ最上の娯楽文化に数えられる。
また地域性を重んじる良い意味でのローカリズムもサッカーファンとスキンヘッド・ミュージックファン(スキンヘッズ)の共通項で、サウスロンドン出身のOiパンクバンド、THE BUSINESSは地元のッカークラブ、ウエストハム・ユナイテッドの熱心なサポーターとして知られており、2001年9月に行われたFIFAワールドカップ最終予選で英国がドイツに歴史的大勝利を収めた試合スコアをタイトルにした"England 5 - Germany 1"はヒットしてサッカーの英国代表の応援歌にもなった。
2006年、SHAM 69の"Hurry Up Harry"が2006 FIFAワールドカップのイングランド応援歌"Hurry Up England"の元曲として採用された事などはサッカーとスキンヘッド・ミュージック―その両者の新和性を改めて印象付けた。

Sham 69 - If The Kids Are United
※SHAM 69のメジャー3枚目、通算4枚目のシングルで全英チャート9位を記録する最大のヒットとなった。レディング・フェスでのエピソードはあまりにも有名。

Sham 69 - Hurry Up Harry (Original Promo Video) (1978) (HD)
※彼らの5枚目のシングルでリリースから27年後2006年のFIFAワールドカップのイングランドチーム応援歌の元曲となった(全英チャート10位)。

SHAM '69 & THE SPECIAL ASSEMBLEY - 'Hurry Up England'
※前出の2006 FIFAワールドカップ応援歌のキャンペーン映像。

SHAM 69が音楽シーンに登場した1970年代中期にはスキンヘッド・ミュージックの歴史を語る上で欠かせない、もう一つの重要なバンドであるSKREWDRIVERも活動を始めた。
彼らについては以前にもこのブログに書いたのだが改めてもう一度。
SKREWDRIVERは英国北西部ランカシャー州ブラックプール(ポールトン・ル・フィルド)で1976年に産声を上げた。
フロントマンのイアン・スチュアートはTUMBLING DICEというローリング・ストーンズのカバー・バンドをやっていたのだが、マンチェスターでSEX PISTOLSのライヴを観て刺激を受けパンクバンドの結成を思い立ち、SKREWDRIVERを結成した。
ロンドンのロキシーやヴォルテックス等、パンクバンド御用達のクラブ出演で人気を博し、パブロックバンドやパンクバンドをリリースしていたインディーズ・レーベルのチズウィック・レコードから1977年に"Your'e So Dumb""Anti-Social"の2枚のシングル、 12インチEP(アナログプレーヤーで45回転フォーマット)仕様でのアルバム"All Screwed Up"をリリースした。
注目すべきは"Anti-Social"ではストーンズのカバー・バンドをやっていた名残か、ジャガー/リチャードの名曲"19th Nervous BreakDown"がB面に収録されている。

SKREWDRIVER - 19th (Nervous) Breakdown
※SKREWDRIVERの2ndシングル"Anti-Social"のB面収録のローリング・ストーンズのカバー。彼らの音楽的ルーツが垣間見える。

また同シングルのリリース時まではメンバーのルックスがテディーボーイ・スタイルだったのだが僅か数ヶ月後にリリースされた"All Screwed Up"ではスキンヘッズに変貌している。
"All Screwed Up"は全曲、キャッチーでポップな乗りの良いパンクロックサウンドで、歌詞も後にホワイトパワー・スキンヘッドバンドの急先鋒となる白人至上主義的な色合いはなく、NMEやサウンズ、メロディーメーカー、レコードミラー等、当時の英国音楽プレスで絶賛された。
"ICEPICK'13"に出演した名古屋のバンド、AGGRO KNUCKLEはこのアルバムに収録の"I Don't Like"をライヴレパートリーにしており(この夜も演奏した)、1stアルバム"Unshakable Determination"にも収録している。
この夜のライヴでもAGGRO KNUCKLEのフロントマンはこの曲を演奏する前に「偉大な男に捧げます。」というMCを入れていて、彼らのSKREWDRIVERやイアン・スチュアートへの強い思い入れが感じられた。

SKREWDRIVERのレコードをリリースしたチズウィック・レコードは英国のロンドン、ソーホー街にあった「ロック・オン」というレコード店のオーナーだったテッド・キャロルと彼のビジネス・パートナーだったロジャー・アームストロングによって1975年に設立されたインディペンデント・レーベルだ。
テッドとロジャーは二人ともアイルランド出身で、ロンドンに出て来る前には同地で幾つかの音楽エージェンシーやプロモーターを務めた経験があり、テッドはハードロックバンド、結成間もない頃のシン・リジーのマネージメントを務めていた事もあった。
チズウィックはパンクロック誕生の下地を作った所謂「パブロック」のバンドの作品を多数リリースしたのだが、ファーストリリースはTHE COUNT BISHOPS(後にTHE BISHOPSと改名)のシングル"Speedball"だった。

The Count Bishops - Train, Train
※THE COUNT BISHOPSのチズウィックからの2枚目のシングル。"Train,Train"と言えば確か大のパブロックファンであるヒロト氏が率いたブルーハーツにも同名曲があった。

The (Count) Bishops - I Want Candy - TOTP 1978
※THE BISHOPSと改名してリリースした通算5枚目のシングル曲。ソリッドな演奏はドクター・フィールグッズにも決して引けをとらない。

以後、パンクバンドのTHE CLASHの前身バンドであるTHE 101ERS(ジョー・ストラマーが在籍していた)やJOHNNY MOPED(かつてはTHE DAMNEDのキャプテン・センシブルやTHE PRETENDERSのクリッシー・ハインドが在籍)等の作品をリリース、インディペンデント・レーベルならではのフットワークの軽さもあり、他レーベル(スティッフ・レコード)からデビューしたTHE DAMNEDが契約切れとなると見るやいち早く彼らと契約を結んで作品をリリースしたり、パンクムーブメントの勃興によりプロトパンクバンドとして再評価の気運が高まっていた米国のバンド、MC5のギタリストだったウェイン・クレイマーのシングル"Ramblin' Rose"を前出のスティッフ・レコードと共同制作という形でスティッフウィック(STIFFWICK)・レコード名義でワンショット・リリースした。
またパンクロックの台頭により当時ジャンルとしては下火になりつつあったハードロック/ヘヴィメタル界隈ではサイケ/スペースロックバンドのHAWKWINDを脱退したレミー・キルミスターが新たに結成したMOTORHEADと契約して彼らの記念すべきデビュー・シングル、ファーストアルバムをリリース。
MOTORHEADは次作からブロンズ・レコードに移籍してしまうのだが彼らがこの直後の1980年代初頭に隆盛を極めたNWOBHMの重要バンドとして一世を風靡する事を考えるとチズウィックに先見の明ありと感嘆せざるを得ない。

Motorhead - Beer drinkers and Hell Raiser [1977-with Lyrics]
※MOTORHEADが1980年にBig Beat Recordsからリリースしたパブロックテイスト溢れる緩めのR&Rナンバー。1977年に二日間で録り上げたという1stアルバム用のレコーディング・セッションの未発表曲。

話をSKREWDRIVERに戻すと、チズウィックの共同オーナーだったロジャーがチズウィック時代の彼らについて回想したインタビューがアップされているのだが、それを読むと中々興味深い記述がある。

Skrewdriver - Raw early punk and oi on Chiswick Records
※初期パンクバンドにスポットを当てるネットファンジン"punk77"にアップされているSKREWDRIVERのバイオグラフィー。

Skrewdriver - Roger Armstrong interview.
※"punk77”のSKREWDRIVER特集にあるチズウィック・レコードのロジャー・アームストロングの回想インタビュー。

ロジャーの回想によるとSKREWDRIVERがチズウィックと契約するきっかけはブラックプールから郵送されてきた彼らの写真が添えられたデモテープだった。
それはノイズ混じりの酷い音質だったのだがロジャーは当時、SEX PISTOLSに於けるマルコム・マクラレンやTHE CLASHのバーニー・ローズのようなパンクバンドの仕掛人的なポジションに色気があって彼らと契約したらしい。
またチズウィック在籍時にはイアンは所謂ホワイトパワー=白人至上主義的な徴候は一切見せなかったという事だ。
ただ、インタビューの冒頭で彼らは音楽的には本当に素晴らしいパンクバンドだったと断言している。
またドラマーのグリニーは英国北部の社会主義活動家で、バンドの他のメンバーは後にイアンが白人至上主義的な思想を前面に出すようになった事に憤慨していたらしい。
面白いエピソードとして、多くのパンクバンドのアーティスト写真やアルバムカバーを撮影した事で有名な写真家のPeter Kodik(THE DAMNEDの1stやTHE JAMの”All Mod Cons etc.)が彼らのマネージメントを手がけるようになり、"All Screwed Up"の裏ジャケットに写っている歯の写真はPeterがレコードのカバー写真を撮っていたパティ・パラディンの歯だという。
パティは当時、ジュディ・ナイロンとSNATCHというアートパンクバンドをやっていて後にジョニー・サンダースとデュエット・シングル"Copy Cat"をリリースした。
余談だがSNATCHのメンバーだった二人の女性アーティストはロンドンとニューヨークを行き来して当時のオルタナティブな音楽シーンの最先端で活動していた。
ジュディ・ナイロンはブライアン・イーノやジョン・ケイル、さらにはダブマスター、On-U Soundレーベルを率いるエイドリアン・シャーウッドの幾つかのプロジェクトにも参加している。
いやはや、音楽シーンの人の繋がりは本当に狭くて広い(笑)。

1970年代初頭から英国で静かな盛り上がりを見せたパブロック・ムーブメント(パンクロックほどセンセーショナルな話題を振り撒かなかったが)は、1960年代のブリティッシュビートや米国のソウル/ファンク、英米のルーツ音楽(英国伝承のフォーク・バラッド、米国産カントリー・ミュージック)等様々な要素を取り入れた(当時としては)新しい感覚を持ったアーティストやバンドが英国のパブで演奏するようになり、そこに目を付けたレコード会社と音楽メディアがユナイテッド・アーティスツからメジャーデビューしたドクター・フィールグッド等をバックアップして、高度なミュージシャンシップを持たなくてもロックできる~パンクロック・エクスプロージョンの導火線ともなった。
パブロックと一言で言っても先述のようにその音楽性は非常に幅広いものがあり「これがパブロックだ」とは定義し辛い。
例えばパワーポップバンドの草分け、THE MOTORSを率いて活動していたブラム・チャイコフスキー(古典音楽の大家であるブラームスとチャイコフスキーを掛け合わせたステージネーム)などはサウンド的には一般的にパブロックという言葉がイメージするバンドの音とは掛け離れてるかもしれない。
が、彼らも幾度かのパブサーキットを経て漸くヴァージン・レコードからデビューするに至った筋金入りのパブロッカーだ。

Bram Tchaikovsky - Girl of my Dreams - LIVE!
※ブラム・チャイコフスキーの初のソロ・アルバム『パワーポップの仕掛人』(1979年)に収録されている"Girl Of My Dreams"。知る人ぞ知るポップ・マエストロだがキャッチーでメロディアスな楽曲とは好対照のゴツくて骨太なルックスにパブサーキット上がりの逞しさが滲み出ている。

SKREWDRIVERも元々は地元のクラブ(広義にはパブも含まれる)でストーンズのカバーを演目にバンド活動をスタートさせた。
彼らは当初はパンクバンド、後にスキンヘッドバンドと呼ばれるようになるが活動開始時期から省みるとそんなパブロッカーの臭いがぷんぷんと漂っている。

"ICEPICK'13"を体験し、「スキンヘッド・ミュージック」と一括りにできないような多種多様な音楽性を備えたバンドを見るに付け、何故か個人的にパブロックのイメージが頭をよぎった。
それはバンドやスタッフ、観客も皆、飾り立てたりしない、気のおけない連中の集まった会場の雰囲気だったかもしれないし、バーカウンターで垣間見たそんな仲間内で酒盛りしてジョークを飛ばし合っているアットホームな空気だったかもしれない。
出演したバンドも秋田出身の鎧はMOTORHEAD直系~進化型のメタリックなスキンヘッド・ミュージックを聴かせてくれたし、AGGRO KNUCKLE、桜花は共にSKREWDRIVER派生~発展型のビュアなスキンヘッド・ミュージックなのだが前者は重厚でメタリックな中~後期SKREWDRIVER的な味わいがあり、後者はオリジナルパンクに立脚した初期SKREWDRIVERのサウンドを想起させた。
CRAWLERはキャッチーなコーラスワークが聴き所でOiパンクをベースにそこはかとなくパワーポップの要素も感じられた。
BOUND FOR GLORYはSKREWDRIVERから派生して独自の進化を遂げ、ブラックメタルの要素まで導入したエクストリームなスキンヘッド・ミュージック、そしてトリの鐵槌はメンバー全員、強固なミュージシャンシップに裏打ちされ、1970年代以降のロックが提示した多様なサウンドエッセンスから絶妙な取捨選択した強力無比なサウンドで正に日本発、日本独自のスキンヘッド・ミュージックを轟かせた。

パブロックの範疇で語られるバンドはサウンド志向、音楽性については本当に雑多なものだがやはりどのバンドもパブサーキットで鍛えられた現場叩き上げのタフさ、逞しさを感じる―ドクター・フィールグッド然り、ブラム・チャイコフスキー然り、イアン・デューリー然り‥。
この夜見たスキンヘッドバンドもパブロックバンド同様のタフさ、逞しさを感じた。
ネット社会になって音楽配信の普及し、産業構造が一変した‥CDやらDVDやらパッケージソフトが売れない‥ライヴハウスでのショウも需要と供給のバランスが崩れてライヴハウスが飽和状態にある、etc,etc...
そこかしこからそんな声が聞こえる今日この頃、この夜見た連中はきっとどんな状況にあろうと涼しい顔をしてバンド活動を続けていくだろう。
おそらく彼らの身体が動かなくなるまで。
どのバンドもそんな肉体的・精神的なタフさを見せ付けてくれた、忘れ難い一夜だった。

追記

来たる10月20日に新木場STUDIO COASTで開催されるイベント「ECHOES」に"ICEPICK'13"に出演したAGGRO KNUCKLE、鐵槌が登場する。
他にも上記2バンドと同じようなマインドを持つ京都のハードコアバンドKiMも出演する興味深いイベントだ。

HAWAIIAN6主催イベント「ECHOES 2013」
※10月20(日)に新木場STUDIO COASTにて開催されるHAWAIIAN6主催の異種音楽祭「ECHOES」のイベントガイド。







"ICEPICK'13"についての3回目、PART 3を。

CRAWLERを見終わり、次の大阪のスキンヘッドバンド、壬生狼までのセットチェンジの間に店のバースペースに行き、暫しドリンクタイムに突入。
するとこの夜のゲストアクト、米国からやって来たBOUND FOR GLORYのメンバーが日本サイドのバンド関係者や観客と談笑していた。
僕が見た限り、彼らは非常にフレンドリーな感じでお互いに肩を叩き合ったり、おどけたボディーアクションを交えながらジョークを飛ばしたりしていて日本のショウの雰囲気をエンジョイしていた。
壬生狼のライヴが始まったのだがこの夜はバースペースで何となく人間ウォッチングをしたくなり、ドリンク片手にイベントに足を運んだ観客やらバンド関係者の歓談する様子を観察してみた。
スキンヘッドバンドのイベントといっても皆が皆、厳つい男性客ばかりという訳ではなくバースペースに顔を出す面々を見ても女性やごく普通の音楽ファンまで幅広い層の人間がこの場に駆け付けていた事が分かった。
BOUND FOR GLORYというバンド名を聞いてと真っ先に頭に浮かんだのはプロテストフォークの元祖、放浪のフォークシンガー、ウディ・ガスリーの伝記映画『ウディ・ガスリー わが心のふるさと』(1976年)の原題がBOUND FOR GLORYだった(元々はウディの自伝本のタイトル)。
ウディ・ガスリーは1930年代、大恐慌時代に自然災害や貧困から逃れる為に故郷のテキサスからカリフォルニアへと放浪の旅を続ける中、所謂ホワイトプアーの労働者の惨状を目の当たりにして悪徳資本家と対峙する労働組合の集会等で米国の民間伝承歌としてのフォークソングやプロテストソングを歌って民衆を啓蒙・鼓舞し、その作風や生き様はボブ・ディランにも多大な影響を与えた。
そんなウディの生涯を追ったキース・キャラダイン主演のこの作品はくすんだ画質の映像処理が効果的で、当時の時代描写にリアリティーを与えていた。

閑話休題。

BOUND FOR GLORYは1989年に結成され、米国ミネソタ州ミネアポリスを拠点に活動しているスキンヘッドバンドで今回の日本ツアーを記念して制作された日本のAGGRO KNUCKLEとスプリット作品を含めてこれまでにアルバムを16作品、シングル4枚、旧作品のコンピレーション盤1枚をリリースしているベテランバンドだ。
彼らは所謂ネオナチ、ホワイトパワー・スキンヘッドバンドである。
メンバーのエドはサイドプロジェクトとしてNSBL(国家社会主義ブラックメタル)バンドのBEFORE GODというバンドでも活動している。
またオリジナルメンバーだった詳細は不明だがボーカリストは1993年にオレゴン州ポートランドである事件に巻き込まれ、死亡している。
恐らく多くの音楽リスナーはネオナチ、ホワイトパワーと聞いて条件反射的に忌避したり排除したりしがちであろうが、およそどんな政治的思想・理念を持っていようがそうした立場・スタンスに至る過程に於いて各々それなりの事情や背景がある。
個人的には今回、AGGRO KNUCKLEとリリースしたスプリット作品のタイトルにもなっている日本ツアーのテーマ、"Respect And Honor East Meets West"にある通り、どんな思想・理念を掲げている者であろうと音楽を通じて互いに交流する事は非常に意義のある事だと思う。
例えばお互いに異なった思想・信条を持つ者同士でも何らかの意見交換をする事によってどこかに接点を見出だす事も可能だろう。
スキンヘッドバンドと一口に言ってもその政治思想一つ取っても極右と言われるアーリアン・ネーションズ運動に参画するものからからSHARP(Skinheads Against Racial Prejudice)のように人種差別反対を唱えるグループまで右から左まで様々だ。

BOUND FOR GLORYのメンバーが白人至上主義を掲げるホワイトパワー・スキンヘッドであるならば、黄色人種である我々日本人の元を訪れてライヴツアーをやるというのは画期的な事だと思うし、彼らに何らかの意識の変化があったのかも知れない。
少なくともこのツアーを通じて交流したバンド関係者等とコミュニケートした事はある部分に於いて相互理解が成立したのではないかと思うし、それこそが意義深い事だったと思う。

先に触れたウディ・ガスリーは若い頃に体験した貧困とその遠因だった悪徳資本家が労働者から搾取する社会構造への義憤により生涯を通じて共産主義者であり続け、そうした立場からプロテストソングを歌って広く社会に訴えた。
所謂ネオナチ・スキンヘッドバンドやホワイトパワー・スキンヘッドバンドも、事の真偽はさとおきユダヤ資本によれ労働者からの搾取を訴えている(個人的にはそれが高じてユダヤ人全体を攻撃対象にするのは同意しかねるが)。
政治的な立場が右でも左でも皆、最初は社会的不平等、理不尽な現実に憤りを感じ、音楽を初め何らかの表現行為に駆り立てられるのは同じだと思う。
それが攻撃、糾弾する対象がどんなベクトルに向かうのかは別としても。

ウディ・ガスリーの代表的なプロテストソングに『我が祖国』という曲がある。
以下に一部を引用する。

この国はきみの国
この国はおれの国
カリフォルニアからニューヨークの島まで
アメリカ杉の森からメキシコ湾の流れまで
この国はきみとおれのために作られた
大きな高い壁が行く手をふさぐ
大きな看板が立っていて「私有地」と書いてある
だがその裏側には何も書いてなかったぜ

バー・スペースからフロアに戻ると程なくしてBOUND FOR GLORYのライヴが始まった。
勢い余って最初の曲でギターのシールドが抜けたのか、ちょっと中断する場面もあったのだが徐々に調子を上げていきミッドテンポな曲からハイスピードなハードコアナンバーまでタイトでへヴィ、彼らの真骨頂とも言えるメタリックなスキンヘッドサウンドが会場に鳴り響いた。
メンバーがサイドプロジェクトでブラックメタルバンドをやっているだけあってハードコアやメタル等、様々なエクストリームミュージックの要素を消化した彼ら独自の素晴らしいサウンドを披露。
会場も一部の在日外国人スキンヘッズの観客に煽られて他の客も次第に日本のバンドのライヴ時と遜色ない盛り上げを見せ、途中ステージ前で何故か黒ギャル?の女性が肩車されてノリノリで踊っているという何とも微笑ましい光景が現出した。
またフロントマンがMCで「俺達はスキンヘッズだ。何も隠す事はない。」と叫んでいたのだが、これも米国で彼らがどのような立場に置かれているのかを伺わせるものだ。

Bound For Glory - American Roulette
※2011年にリリースされたBOUND FOR GLORYのアルバム"Feed The Machine"収録の"American Roulette"。

Before God - Wolves amongst the Sheep - Defiance
※2002年にリリースされたメンバーなサイドプロジェクト、BEFORE GODのアルバム"Wolves amongst the Sheep"収録の"Defiance"。

そしてインターバルを挟んでトリの鐵槌がステージに姿を現した。
彼らは1990年代初頭から日本のスキンヘッドバンドシーンの最前線で活動を続ける文字通りの重鎮バンドだ。
鐵槌も桜花と同様にSSS(Samurai Spirits Skinhead)として海外でもその名を轟かせて非常に高く評価されているバンドだ。
彼らのディスグラフィーも以下に紹介しておく。

アルバム

■Samurai Thunder(12", Mini Album)※雷(Ikazuchi)とのスプリットアルバム。
Steve Priest Fan Club(USA)/1992
■Return From The Rising Sun※Bull(12", Mini Album)※The Buffalosとのスプリットアルバム。
Kamikaze Records/1993
■日本狼
Straight Up Records/1999

シングル

■New Dawn Warriors
New Bleed(USA)/1992 Pruduced byand Tommorow (Japan)
■Anthem EP
Vulture Rock(USA)/1994

カセット

■Hang 'Em High(5曲入りカセット)
セルフリリース/1991
■闘争(2曲入りカセット)セルフリリース/発表年度不明
■Live Tape(プロモ用カセット、12曲入り)
Tommrow Records(USA)/発表年度不明

オムニバス参加作品

■狼の宴
坂本商店/1994

■Werewolfen:The Japanese Samurai Compilation Vulture Rock/1995
■Fight Back For The Rising Sun
Vulture Rock/2000
■Made In Japan (Skinhead Sounds From The Land Of The Rising Sun)
Mother Fucking Sounds(UK)/2011

彼らも日本国内よりも海外からのリリースが圧倒的に多い。

さて、肝心の鐵槌のライヴであるがこれまで数回見たライヴの中でも出色のものだった。
鐵槌も1980年代以降に現れたメタリックなスキンヘッドサウンドが売り物であるがパンクや1970年代のハードロック、プログレの要素も感じられ、その楽曲構成に於ける重厚さ、荘厳さは中でも群を抜いている。
短いMCを挟みつつ『我、怒る故に我在り』『三千世界』『日本狼』と彼らの代表曲を立て続けに披露、会場も演奏前からステージ前に押し寄せた観客がライヴの進行に伴って益々ヒートアップ、トリを飾るに相応しい貫禄のパフォーマンスで文句なしにこの夜最高の盛り上がりを見せた。
そして本編ラストは名曲『儚き花よ』。
この夜出演したバンドはどのバンドもギタリストの多彩なギターワークに見るべきものがあって魅魅了されたのだが、イベントの正にクライマックスの場面でプレイされたこの曲で鐵槌のギタリストは、―もうこの歌詞にはこの音しかないだろう―というような素晴らしいアレンジ、フレージング、トーンコントロールを披露した(大袈裟でなくそれは芸術的な域にあった)。
彼らがステージを去った後も収まりがつかない観客の為にアンコールに応えて一曲演奏し、スキンヘッドバンドの饗宴は幕を閉じた。

鐵槌の名曲『儚き花よ』はStraight Up Recordsからリリースされた桜花とのスプリットシングルに収録されているのだが副題にもある通り、神風特別攻撃隊についての率直な想いを歌ったものだ。
この曲などはスキンヘッドバンドファンならずとも、例えば中島みゆきの『ヘッドライト、テールライト』や長渕剛の『乾杯』等に情動を揺さぶられるような感性を持っている者が聞けばきっと心の奥底に訴えかけてくるものがあるだろう。
そのくらい訴求力のあるパワフルな叙事詩と言っていい。
前回、スキンヘッドバンドにはメディアのバックアップがなく、大手レコード会社やインディペンデント・レーベルの食指を動かさないと書いたのだが、札幌のインディーズ・レーベルのStraght Up Recordsはこれまでに鐵槌、桜花を初めスキンヘッドバンドの作品も積極的にリリースしており、状況は決して悲観的ではない。

sledgehammer - kamikaze
※鐵槌の名曲『儚き花よ』。今さら説明の必要はないだろう。皆に耳を傾けてもらいたい。

スキンヘッドバンドを無視し続けてきた(というよりそれを評価する基準、スタンダードを持っていなかった)音楽メディアに限らずメディア全般の問題について言えば、昨今の総選挙、参院選でのリベラル陣営の大敗は、リベラルを是としてきたメディアの一角には大きな衝撃を与えたようだ。
国民意識のドラスティックな変化にメディアが追い付いていけなくなったような気がする。

この続きはPART 4へ。
前回に引き続き去る9月22日に開催されたスキンヘッドバンドの饗宴"ICEPICK'13"について。

AGGRO KNUCKLEに次いでステージに登場したのはこれもベテランバンドの桜花。
昨年開催された同イベントでトリを務めた時に初めて見たのだが、とにかくフロントマンの存在感に圧倒された。
彼らのプロフィール、そして音源リリースに関して少し触れておきたい。

彼らの初の音源リリースは3曲入りのデモテープで"Our Way""Low Life""Boot Boys"が収録されていた。
1992年には米国のSteve Priest Fan Clubというインディペンデント・レーベルから鐵槌とのスプリット7インチをリリースした(桜花サイドは"Low Life""Pride"の2曲収録)。
因みに同レーベルはOiスキンヘッド・レーベルの名門Vulture Rock Recordsの傘下レーベルだったらしい。
そして1993年にドイツのS.P.E. Records/Dim Recordsから世界中のOiスキンヘッドバンドを集めたオムニバス、"The Only Spirit Is...Unit"に参加("Firm Spirit"を収録)。
1994年にはイースタン・ユースの音源リリースでもその名を知られる坂本商店から日本のスキンヘッドバンドのオムニバスのマスターピースとも言える『狼の宴』に音源提供(『不動魂』『天空』を収録)。
この後は2000年に鐵槌とのスプリット盤が7インチシングルとCDEPのフォーマットで日本のStraight Up Recordsからリリースされたもの(『ゲキオウ』『土に往く迄』を収録)以外は海外のレーベルからリリースされたコンピレーション盤への参加が続く。
1995年には先出のVulture Rock Recordsから"Werewolfen:The Japanese Samurai Compilation" 1995 "("Low Life"を収録)、同じくVulture Rock Recordsから"Fight Back For The Rising Sun 2000"("Firm Spirit"を収録)が2000にリリース。
そして直近のリリースとなるのが2011年にMother Fucking Sounds(英国で活動している同名のスキンヘッドバンドのレーベル)からの"Made In Japan (Skinhead Sounds From The Land Of The Rising Sun)"("Firm Spirit""Low Life""Pride"を収録)となる。

長々と彼らのディスコグラフィーを書き綴ったのは、数少ない彼らのオフィシャルリリースの音源から"Firm Spirit""Low Life""Pride"の3曲が海外のレーベルからリリースされているコンピレーションに何度となく収録されているからだ。
これは音源発表の機会が極端に少ない彼らの存在がいかに海外のスキンヘッドミュージックファンに轟き渡っているか、その証左と言っていい。
桜花に限らず日本のスキンヘッドバンドの音源は国内よりも海外で積極的にリリースされているように思う。
こうした傾向も前回指摘したように保守=右翼的な色彩のある文化に対して日本のメディアが軽視する傾向と決して無関係ではない。
メジャーであれインディペンデント・レーベルであれ某のバンドの音源をリリースするに当たってメディアのバックアップが望めなければ消極的になるだろう―これはスキンヘッドバンドに関しては日本だけの問題ではないだろうが―。
スキンヘッドミュージックは国内外を問わずバンドもレーベルも利益や収益を当てにしていたのではとてもその活動を継続する事はできないと思う。
彼らを音楽を通じての表現行為に駆り立てる動機は決してコマーシャルベースなものではないのだ。

この夜の桜花のライヴパフォーマンスはスタートから観客を煽りまくり、昨年見た時より遥かにアグレッシブさを全面に押し出したものだった。
オープニングは戦国時代の合戦時の軍配よろしく法螺貝吹きを合図に"Low Life"からスタート。観客も凄まじいテンションでステージ前に殺到し、モッシュあり、サイコビリーバンドのライヴで定番のパンチ合戦あり、皆思い思いのスタイルで踊り暴れていた。途中、観客から彼らを讃える「桜花」コールも巻き起こり、日本のスキンヘッドシーンの重鎮たるに相応しい存在感を遺憾無く発揮していた。
昨年彼らが出演した時は出順がトリというポジションというのもあったのか、演奏のテンポもこの夜に比べると遅めで「聞かせる」パフォーマンス&プレイを意識していたような気がするが今年は出順も中堅であり、ある意味ヤンチャなイケイケモードのステージを展開していた。

彼らの代表曲"Low Life"から歌詞の一部を抜粋してみる。
「馬鹿げた流行りを追いかけ/のぼせるな/金が無けりゃ何にも/できねえのか」
「平和と自由を履き違え/生きてる/クソガキ共」

これは彼らの極初期のレパートリーであるがAGGRO KNUCKLEと同様、直截な表現で心中の苛立ちや憤怒を吐露しており、「今」の時代、多勢が持つ同時代感覚を喝破している。
いつの時代も特に若者はこうした焦燥を抱えていたものだが「格差社会」云々と囂しい現在ほどこうした叫びにビビッドに共感を覚える時代はなかった。

桜花はサウンド的には初期の英国のOiスキンヘッドバンド、ブリッツやザ・ビジネスそしてスクリュードライバーのようなキャッチーな感触があり、楽曲もライヴでは観客も踊り易い一曲3~5分の長さで、当然ながら会場が盛り上がる事請け合いだ。

彼らは最近は「婆沙羅」という楽曲を演っていて結成以来、テーマとして取り組んできた「日本固有のスキンヘッドミュージック」という命題に於いて新しい局面を切り開きつつあるようだ。

Ouka - Low Life ("Sledge Hammer / Ouka" Split EP)
※桜花が1992年に米国のレーベルからリリースした鐵槌とのスプリット7インチシングルに収録された代表曲"Low Life"(2000年に日本のStraight Up Reordsからリイシュー)。

『桜花より』
※昨年開催された"ICEPICK'12"での桜花の出演バンド紹介であるが彼らが新たなテーマとして取り組んでいる「婆沙羅」について解説している。

出順4番目、団体戦に例えるなら先の中堅・桜花に次ぐ三将となるCRAWLERは初見だったのだが、Oiスキンヘッドバンドの枠で括る事ができない豊かな音楽性、サウンド志向を持ったバンドで、この夜の出演陳の中では異色の存在だった。
個人的には1970年代の英国のパブロックのバンドに通じるキャッチーなメロディーラインが印象的なポップさが新鮮だった。
余談だが英国のパブロック・バンドにはエルヴィス・コステロやニック・ロウが所属していたスティッフ・レーベルの面々や知る人ぞ知るポップ・マエストロ、ザ・モーターズのギタリストだったブラム・チャイコフスキー等は所謂「パワーポップ」の源流の一つに数えられる。
パブロックといえば昨年このイベントに出演した岡山のスキンヘッドバンド、ROUGUE TROOPERのギタリストは時折、ドクター・フィールグッドのウィルコ・ジョンソンを思わせる渋いリフワークを聴かせていた。
日本のスキンヘッドバンド達のライヴは何回か見ているのだが、1970年代後半のパブロック~パンクロックをリアル体験している身としてはこれまで何となく曰く言い難い「懐かしさ」のようなものを感じる局面が多々あったのだが、その謎が解けた気がした。
ずばり個人的に感じた懐かしさの遠因は1980年代の英国のOiスキンヘッドバンドを経由した隔世遺伝か何かは判然としないのだが、彼らのサウンドの根っこに息づいている英国パブロック・バンドの持つタフで大衆的な感覚、肌触りだ。

本題に戻って件のCRAWLERのライヴはちょっと強面の出演面子が居並ぶ中、溌剌としたパフォーマンス&プレイで会場を暖かい雰囲気にし、観客の喝采を浴びていた。
彼らも楽曲中にコーラスワークを効果的にフィーチャーしていたのだが、昨今のメタリックなサウンドが主流のスキンヘッドバンドでは定番の勇壮なコーラスとは違った、キャッチーな「泣き」のコーラスは聴いていて心にジワジワと来るものがあった。
このイベントに於ける全出演バンド中、彼らの存在は絶妙なアクセントになっていたように思う。

"ICEPICK'13" 出演バンド "CRAWLER"
※"ICEPICK'13"のCRAWLERの出演バンド紹介。彼らのレパートリーである『風化サセズ』の音源がアップされている。

"ICEPICK'13" 出演バンド "壬生狼"
※この夜見る事ができなかったのだが大阪を代表するスキンヘッドバンド、壬生狼の"ICEPICK'13" の出演バンド紹介。キャッチーなコーラスが印象的な彼らの代表曲『祖国』のPVがアップされている。

この続きはPART 3に。