くもんいくもん
くもんとは全く無関係な内容です。
くもんに惹かれてクリックされた方すみません。
ニ十代ころ、くもんのコンペで負けました。そのとき、ライバル社が打ち出したコピーが、くもんいくもんで。
あー負けたな。私の力が足りなかったと、
恥ずかしくて、悔しくて、どうしていいかわからない気持ちになりました。
それから色々あって、というのはコピーライターとしてというよりも、婚活の焦りとか、主に婚活の焦りとか色々あって、
コピーに集中できなくなりました。
そんなうちに、コピーライターの部署を離れることになり、新しい部署の上司と合わず、もう何したかったのか自分でも混乱してしまい、
会社を辞めてしまいました。
新しい会社は、育ててくれた大手広告会社とは違い、硬くて会社会社した会社でした。
でも広告に未発展だったからこそ、わたしを頼ってくれ、結果わたしの成長にも寄与してくれました。
いま、その会社も辞めて、上海にいます。
子育てをしてます。
子育てのみに追われてます。異国で。
わたしの選んだ道は正しかったのか。
結局、焦りやすい性格で、堪え性がなくて、
逃げだしてきただけで、何か人に誇れるものは何もない。
社会的に役に立たない人間にしか、
自己紹介で私は誰ですと語るほどの柱はない人間にしか、育てなかったのではないだろうか。
今朝5時50分。
1時間前から眠れてない。
上海には前向きにきたけど
今の状況がうまくいってなくて、
メンタル壊れ気味だから、今起きてる。
くもんいくもんで負けた日のことを思い出す。
この仕事にわたしを誘ってくれた親会社のクリエイティブディレクターがいた。
私にチャンスをくれるために、わざわざ声をかけてくれた。
負けたまま、会わずじまいになってしまった。
理由は自分だけではない。
周りからの圧力もあった。稼げないなら小会社内の仕事をしろと上司に言われて、それで尊敬していたそのクリエイティブディレクターに私はお金の話だけしてしまった。
なんて失礼だったんだろう。
恩を仇で返した。
上司の圧力はあったけど、
一番わるいのは、私の弱さだ。
婚活の焦りとか、主に婚活の焦りとか、、
コピーライターとして、仕事に集中しきれてなかった。
だから、くもんいくもん、という相手の考えたコピーがテレビで流れたとき、
恥ずかしいと心から感じた。
自分はこれだけのチャンスを逃して、
クリエイティブディレクターの方にも、これだけの悔しい結果、思いをさせたと、恥ずかしくなった。
そして、その恥ずかしい気持ちをどうしてよいのかわからず、婚活には焦り続け、会社はやめて、クリエイティブディレクターの方とはそれっきりになってしまった。
わたしにわざわざ声をかけてくれて、
わたしを育てようとしてくれた、
あのクリエイティブディレクターの方に恥じない自分になりたい、とふと思うときがある。
なれてない。
今の自分は。
そう考えると、37歳になった自分は、ただ28歳のときの自分より劣ってる気がして。
頑張りきれなかった、チャンスを逃した28歳の弱い自分を攻める気持ちにしかならなくてつらい。
今こどもがいます。
婚活には、成功した。
でも子育ての悩みとか、結局眠れず朝になってる。
わたしは弱い人間だ。
くもんいくもん、というあっけらかんとした、明るくて強い言葉。
それが書けなかったのは、自分の悶々とした闇が深すぎて、闇の中でジメッするタイプだからだろう。
人生に勝ち負けはないことは知ってる。
何が正解かは決まってない。
だけど今の自分に自身をもてず、
あのときのことを思い出して歯がゆい気持ちになるのは、
人生への敗北感なんだろうか。。
輝く自分って、こんなにくさい言葉があるのか、ってくらい、くさい言葉がだけど、
何かに夢中な人は間違えなく輝いている。
年齢には関係なく。
もう一度輝きたい。
何かに夢中になって輝きたい。
そうなれることが、さっき話たすべての過去を、肯定できることになる。
会社をやめたこと、新しい会社でプランナーをしたこと、それもやめて上海にきたこと。
欲を言えば、この過去が自分の中でつながって将来何かできたら、急に私はドヤ顔で同じ話をするだろう。
将来、という言葉を使った。
37歳に将来なんてあるのかわからない。
もうばばあでしかない。
だけど将来がなければ、くもんいくもんは黒歴史のままになる。
子供が2歳になる。
くもんでも行かせようかと思うときがある。
くもんいくもんの歴史は私の中でなかったものとして、塗替えられつつある。
でも消えない。
やっぱり、心に刻まれた傷。
ごまかしたりせず、
くもんいくもん!
と過去の自分に明るく言える日がきてほしい。
くもんに惹かれてクリックされた方すみません。
ニ十代ころ、くもんのコンペで負けました。そのとき、ライバル社が打ち出したコピーが、くもんいくもんで。
あー負けたな。私の力が足りなかったと、
恥ずかしくて、悔しくて、どうしていいかわからない気持ちになりました。
それから色々あって、というのはコピーライターとしてというよりも、婚活の焦りとか、主に婚活の焦りとか色々あって、
コピーに集中できなくなりました。
そんなうちに、コピーライターの部署を離れることになり、新しい部署の上司と合わず、もう何したかったのか自分でも混乱してしまい、
会社を辞めてしまいました。
新しい会社は、育ててくれた大手広告会社とは違い、硬くて会社会社した会社でした。
でも広告に未発展だったからこそ、わたしを頼ってくれ、結果わたしの成長にも寄与してくれました。
いま、その会社も辞めて、上海にいます。
子育てをしてます。
子育てのみに追われてます。異国で。
わたしの選んだ道は正しかったのか。
結局、焦りやすい性格で、堪え性がなくて、
逃げだしてきただけで、何か人に誇れるものは何もない。
社会的に役に立たない人間にしか、
自己紹介で私は誰ですと語るほどの柱はない人間にしか、育てなかったのではないだろうか。
今朝5時50分。
1時間前から眠れてない。
上海には前向きにきたけど
今の状況がうまくいってなくて、
メンタル壊れ気味だから、今起きてる。
くもんいくもんで負けた日のことを思い出す。
この仕事にわたしを誘ってくれた親会社のクリエイティブディレクターがいた。
私にチャンスをくれるために、わざわざ声をかけてくれた。
負けたまま、会わずじまいになってしまった。
理由は自分だけではない。
周りからの圧力もあった。稼げないなら小会社内の仕事をしろと上司に言われて、それで尊敬していたそのクリエイティブディレクターに私はお金の話だけしてしまった。
なんて失礼だったんだろう。
恩を仇で返した。
上司の圧力はあったけど、
一番わるいのは、私の弱さだ。
婚活の焦りとか、主に婚活の焦りとか、、
コピーライターとして、仕事に集中しきれてなかった。
だから、くもんいくもん、という相手の考えたコピーがテレビで流れたとき、
恥ずかしいと心から感じた。
自分はこれだけのチャンスを逃して、
クリエイティブディレクターの方にも、これだけの悔しい結果、思いをさせたと、恥ずかしくなった。
そして、その恥ずかしい気持ちをどうしてよいのかわからず、婚活には焦り続け、会社はやめて、クリエイティブディレクターの方とはそれっきりになってしまった。
わたしにわざわざ声をかけてくれて、
わたしを育てようとしてくれた、
あのクリエイティブディレクターの方に恥じない自分になりたい、とふと思うときがある。
なれてない。
今の自分は。
そう考えると、37歳になった自分は、ただ28歳のときの自分より劣ってる気がして。
頑張りきれなかった、チャンスを逃した28歳の弱い自分を攻める気持ちにしかならなくてつらい。
今こどもがいます。
婚活には、成功した。
でも子育ての悩みとか、結局眠れず朝になってる。
わたしは弱い人間だ。
くもんいくもん、というあっけらかんとした、明るくて強い言葉。
それが書けなかったのは、自分の悶々とした闇が深すぎて、闇の中でジメッするタイプだからだろう。
人生に勝ち負けはないことは知ってる。
何が正解かは決まってない。
だけど今の自分に自身をもてず、
あのときのことを思い出して歯がゆい気持ちになるのは、
人生への敗北感なんだろうか。。
輝く自分って、こんなにくさい言葉があるのか、ってくらい、くさい言葉がだけど、
何かに夢中な人は間違えなく輝いている。
年齢には関係なく。
もう一度輝きたい。
何かに夢中になって輝きたい。
そうなれることが、さっき話たすべての過去を、肯定できることになる。
会社をやめたこと、新しい会社でプランナーをしたこと、それもやめて上海にきたこと。
欲を言えば、この過去が自分の中でつながって将来何かできたら、急に私はドヤ顔で同じ話をするだろう。
将来、という言葉を使った。
37歳に将来なんてあるのかわからない。
もうばばあでしかない。
だけど将来がなければ、くもんいくもんは黒歴史のままになる。
子供が2歳になる。
くもんでも行かせようかと思うときがある。
くもんいくもんの歴史は私の中でなかったものとして、塗替えられつつある。
でも消えない。
やっぱり、心に刻まれた傷。
ごまかしたりせず、
くもんいくもん!
と過去の自分に明るく言える日がきてほしい。
2年ぶりか。
わたしも2年ぶりくらいに、このブログ読んだ気がします。
妊娠で終わってたのか。
子はいま一歳7ヶ月です。
おてんば娘です。
そしてわたしは2ヶ月前から上海に住んでます。
仕事はしてません。
文章も書いてません。
頭がくさってます。
中国語の勉強もやってるような、
やってないような、つまりほぼやってなくて、
英語も妊娠前にTOEIC720まで上がりましたが、最近一年くらい勉強してないので忘れました。
何もできないわたしです。
子育てはまあまあ楽しいけど、
子育てしかできてなくて、頭はくさってます。
頭はくさってます。と何回も書くのは、
文章を面白くしたいからではなく、
ほんとに頭がくさってるから、
それしか言葉がでてこないからです。
理論的にいいわけすると、
育児をしてると、1日のすべての時間が子どもペースで、何かを10秒以上つづけて考える時間を与えられず、
あるとすればそれは子どもの昼寝中で、昼寝中は頭がくさった私は、難しいことを考えたくなく、頭を休めたいので、
結果、文章なんて人を楽しませるようなものを書く気にはならず、気づけば子守とネットサーフィンしかせず、1日が終わり、また同じ1日が始まるのです。
以上、ダイジェストでこの2年報告でした。
とりあえず、体には問題なく、母子ともに元気に、なぜか上海で、まだ全然充実してないけど、普通に暮らしてます。
また報告します。
妊娠しました
去年、流産してしまってから、本当にいろいろあり、考えさせられましたが、
ようやくいろいろ解決し、明るく過ごしていた最近、発覚です。
まだ心拍確認できてないので、誰にも言いづらい。仕事は去年のこともあるので、育児休暇を取るまで続けられるか悩んでいます。
ひとまず、先のことは考えず、、、
どうか心拍確認まで無事にたどり着きますように。
また書きます。
仕事でうれしかったこと
最近、仕事の調子がいい。
今日、得意先の担当者さんに、すごく褒めていただいた。
提案パートの中でも、プランニング、考え方部分を評価いただいて、わたし自身にも興味を持っていただけた。
プランナーになって、5年。前の会社でプランナーやってたときから、自分には向いてないと思ってた。転職してからも向いてないと思ってた。
コピーライターの方が向いてるし、プランナーとしてはできそこないという引け目があった。
でも最近やっと、自信を持てる企画、プレゼンができるようになった気がしていて、それが今日、初めて明確に評価をいただいた。
転職して会社のレベルは下がったけど、自分のレベルは上がった。上げてくれた今の環境には感謝している。
この先いつまで今の環境を続けるか分からないけど、いますごく調子が上がっていて、他の仕事でも企画が採用される機会が増えたり、いまの経験はきっと将来わたしの武器になる。
だから、ひとつでも多く、いま結果を出して、得意先からの評価をえて、自信につなげたい。
いつかフリーランスになる日がくるだろうけど、そのときに周りからの期待をつねに上回るアウトプットを出せる自分でいたい。
前の会社にもし戻ったら、スーパースターになれるくらいの実力をつけて、どこにでもいける実力者になりたい。
機会があれば、外資系広告会社や、メーカーとも対等に仕事をできるフリーランスになってみたい。
先のことは分からないけど、いま実力をもっともっと伸ばして、もっと成功体験を作って、社外から評価される人材になる。
上海勤務面接
旦那さんが上海勤務の転職面接を受けた。
受かれば、上海引越しが決まる。
私も仕事を辞めて上海へ。人生の転機だ。
第一志望の会社には落ちてしまった。今受けているところは、 現職とは少し業界が違う会社。旦那さんに合うのかわからない。特殊な業界なので、私は旦那さんの性格的に、どちらかというと不安の方が大きかった。ベンチャーっぽいし、今の安定は捨てることになる。
焦らずに待てば第一志望みたいなよい求人がくるかも、、という期待もある。
面接は、スカイプ面接だった。
スカイプで話す旦那さんの面接をずっと隣の部屋から聞いていた。
旦那さんは、すごく楽しそうに中国語を話してた。あー、この人は、本当に中国で働きたいんだなと思った。
最初の面接官は女性だった。あとで聞いたら私と同い年らしいけど、すごくしっかりした口調で、賢そうな印象だった。ベンチャー企業だから、正直勢い任せでやる気で全てを乗り切ろうとする聡明ではない人たちが出てこないか心配してたけど違った。私より賢いと思った。
次に出てきた代表もしっかりしていた。
この求人が旦那さんにとってベストなのかはわからない。待てばもっとよい求人がくる気もする。
ただ、賢い人たちに囲まれて、旦那さんが成長できるのであれば、それは私の成長よりも嬉しいと思った。
私だってやりたいことはたくさんある。今の会社もベストじゃないけど、嫌いじゃない。最近は、自分の企画が大手メーカーに採用されて嬉しかった。今仕事をやめて、この先私のキャリアがどうなるかはわからない。ちょっともったいない気もする。せっかく結果がではじめた時期だから。だけどそれはあくまで、私のプランナーという専門職種においての成長。日本の今の販促業界のプランナー職という枠組みの中での成長だ。
「弊社でマネージメント経験をつめば、世界に通用する人材になれますよ」と言われた旦那さん。もしも、本当に、彼が世界に通用する人材になるのであれば、こんなカッコイイことはない。私のなりたいプランナー像よりもカッコイイ!!
決断は旦那さんに任せようと思った。もしも彼がやりたい、行きたいというなら、応援する。上海という言葉の通じない場に行く。学びたかった英語は使えない。。けれど、私は私で人間的に成長はできそうだし、日本とのパイプを作ればプランナーは続けられるから。出産、子育てだってしないとだし、私のキャリアは結局なりゆきだ。どうにでもなる。というか本気になれば、どうにでもする。
そもそもやや業界に不安はある。ここで決めるか。もう少し待つか。旦那さんに決断を任せたい。
過去の恋の夢
今こんなにも幸せなのに、それでも人はなぜ過去の恋の夢をみてしまうのだろう。
夢の中の私はあの人を心底、好きだった。
告白せずにいたけれど、あの人も私が気になっていたと思う。でも小心者の私は告白できず、そのドキドキを毎日全身で感じていた。
そんな中、夢はぶっとんでいる。
私は、その人の子どもを産んだのだ。
しかも双子。彼といつそんな関係になったかはわからない。そこは描かれていないのだ。
しかし、変な夢だ。なぜか自分1人ではなく、彼と別の女と3人で育てるという、史上初の試みにチャレンジすることになるのだ。もちろん女も彼を愛している。
私は女をライバルとは感じていたが、どこか一瞬に娘たちを育てる仲間意識もある。私は、女と彼とパソコンで連絡を取り合いながら、子どもたちの状況を伝えあう。家にいる人が面倒をみて、外にいる人に連絡する、というシステムらしい。
私は、彼へのメールをするときドキドキしていた。私が子どもたちの面倒をよくみていることを彼は褒めてくれる。そして彼のメールからは彼の愛を感じる。きっと彼は、もう1人の女より私の方が好きなのだろうと、なんとなく感じている幸せ。でも、もう1人のことも、彼は捨てきれない存在なことはわかっている。それが彼の優しさと私は思い込んでいる。
子どもたちも私に懐き、私の方をお母さんと呼ぶ。そのことに私は少し、もう1人の女に申し訳なさを感じている。
しかし、結局私が見ていたのは、子どもたちではなく彼だった。子どもたちの面倒を見るのは、ただ彼に褒められたい、こっちを見てほしいから。
結局私は子どもたちの面倒を見ている振りをして、実際は見ておらず、子どもたちは不良に成長。。
という夢。
私はいつも変な夢を見ると、忘れないうちに、旦那さんに報告するけど、これはできないや。
ひどい夢。未練の片鱗も感じる。。
今は別に彼を好きじゃない。
もう完全に過去の人。でもあのときの片思いと失恋が残した深い傷が、ときどき起こす、後遺症のような夢なのかな。
こんなこと言うと、不謹慎と思うけど、次の人生では彼と結ばれてみたい。きっとすごく愛されて、幸せな人生になると思う。それはそれで。
前にも書いたけど、運命の人は何人かいる。
こんなに未練があるなら、来世では彼と結ばれてみて、来来世ではまたもう1人。そして来来来世ではまた旦那さん。
ローテーションかい。
でも、悪くないよね〜。笑
朝からひどい日記。でも久しぶりに妄想力を駆り立てられる夢だった。やっぱりこういう過去の恋、本にしたい。。
いつか海外でライター
久しぶりにライター仲間と再会。
みんな結婚して、子どもがいるメンバーもいるけど、「結局うちらって、我が強すぎるよね」という話になる。
シンガポールのライター職を断った話をしたら「それはもったいなくて残念だったね」って言ってくれた。同じライター職で、職種にこだわってきた仲間だからの声。
シンガポールでライターをしながら、なおくんと住めたら最高だったけど、いつかきっとよりベストな条件で、ライターをしながら海外に住める日がくると信じてる。
上海
今日は旦那さんが転職面接です。
受ける会社はなんと、わたしがお世話になった会社!笑
受かったら、上海にお引越しです!!
海外移住は英語圏限定って、ずっと言ってたんだけど、GWに旅行で上海に行くことになり、ガイドブックをみたら意外と景観の良い街だったので、GOサインだしてみました。笑
思ってるような街だといいな♪
まずは受からないとだけど。
てか、いま電車を乗り過ごした。。
最近忙しくて、電車の中で用事をすまそうとしたら、いま美容室に向かう電車を乗りすごしてる。。
美容師さんに「次のお客さんいるから、切れない」って言われた、、
あした結婚式なのにどうしよう、、
退院したばかりなんですマークの件 報告
報告です。
報道番組で仕事をしている古い知り合いにメールしてみました。
久しぶりの連絡なのに、快く返信をくれた彼に心から感謝。
放送にのるかは分かりませんが、何もしないよりは一歩前進!!