公!!光留塾☆期間限定復活分校☆
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

「佐藤光留は好きだけど全日本プロレスは」という難現象(乖)

佐藤光留論です。

 

2月23日(金)全日本プロレス・岡山コンベンションセンター大会が迫ってまいりました。岡山が産んだ変態レスラー・佐藤光留も営業で岡山入り。外気温と室温が全く同じという佐藤家で休む間もなく営業活動に勤しみました。マジで親の「ゆっくりしなさい」発言には43歳になっても物投げたろか思いましたわよね。寒いんじゃボケ。

 

混迷を極める我らが全日本プロレスですが、コロナ以来の岡山凱旋興行であります。「どんなカードが良いですか」と聞かれた佐藤光留は「鈴木さんとやり合いたいです」と答えました。

 

全「組むんじゃなくて?」

変「闘いたいです」

全「凱旋試合で?」

変「闘いたいです」

 

このやりとりの末、きっと6人タッグかなと思っていた佐藤光留に「鈴木みのる選手とのシングル戦で」と言ってくるあたり、やっぱり全日本プロレスは混乱しているんだなと思います。

 

実は全日本プロレスは常に混乱しています。というか、そもそもプロレスとは混乱ありきです。冷静に考えてください。椅子で殴っても注意されて終わるものが「普通」だと思います??日常にプロレスが存在し続けると麻痺してきますが、プロレスとは色や形が変わっても「非日常」なのです。

 

しかし岡山での営業では、久々に自分の知名度の無さを痛感しました。いや、東京では知名度の無さをウリにしていたのです。佐藤光留には知名度が無いけれど、どこにも無いプロレスをやっているんだ。どんなにSNSで呟いても、それが首都圏向けのCMである事。割と順調気味に言ってたので麻痺していました。

 

テレビにはもちろん雑誌にも出ていない。ネットのニュースにも出ていなければ不良と1分間闘ったりもしてません。それでもデカい顔していたのは、活動の範囲=自分の声の届く範囲だったからからです。あぁ恥ずかしい。

 

もちろんそれを忘れていた訳ではありませんが、中身の濃さより看板のデカさがモノを言う我が故郷・岡山では、合言葉のように「あなたは有名なの?」と言われました。

 

その中でも佐藤光留を知ってくれているキチ…マニ…ヲタ…熱心なファンの方も多くいらっしゃいました。有り難い話しでしたが、そんなキチ…マニ…ヲタ…熱心なファンの方に言われた事。

 

「佐藤光留は好きだけど全日本プロレスは見に行かない」

 

全日本プロレス以外の佐藤光留を見ているって例のセーターばっか見てるって事じゃねぇか言わせんな恥ずかしい…と思うのと同時に、むしろ今は全日本プロレスが面白いのに…と思ってしまいます。

 

もっと細かく言えば、全日本ジュニアが面白い。世界に誇るヘビー級の面白さとは別に、全日本ジュニアが育ちに育ってきた。これは声と為末を大にして言いたい。もし全日本プロレスに何かしらのアレルギーがあるからというので見ていないなら、マジでプロレス観戦人生を損していると言っても過言ではない。それぐらい面白い。

 

今の世界ジュニア王者はエヴォリューションのタッグパートナーである田村男児。誰でも彼でも飛びゃ良いと思っているジュニア像にガッチリ背を向けたパワーファイター。実直な性格が出過ぎて「派手さが無い」などと雑誌に書かれていたが、ただ男児ちゃんが男児ちゃんであっただけだ。まだ20代前半と若いのに、長年プロレスを見てきた玄人ファンも唸らせる雰囲気は誰にでも出せるモノじゃない。

 

そんな男児ちゃんと同じ試合でデビューし、近年の全日本ジュニアを牽引してきたのが青柳亮生。世界ジュニア王座を何度も戴冠したのはもちろん、2023年に行われたジュニアの祭典(ちゃんとした祭典)ではマスター・ワト選手とシングル対決。長らく閉塞感だのなんだの言われた全日本ジュニアに新風を吹き込ませたのは間違いなく亮生だ。

 

そんな全日本ジュニアで最も追い風が吹いているのがライジングHAYATOだろう。元々は愛媛プロレス所属だったが、今は全日本プロレスとのW所属。スーパーヒーローみたいな見た目だったのだが、ある日を境に本来の自分をリングで曝け出してきた。メイクをしてタトゥーを入れて入場してくるのだが、彼の本性は試合にある。

 

ある日、場外に倒れた相手に飛び技を狙ってコーナーに登ったライジングHAYATO。相当な落差ゆえ、お客を煽って自分を鼓舞したり誰かに祈りを捧げるレスラーはたくさんいる。でも、その時のライジングHAYATOは、まるで東尋坊から飛び降りるような顔で天井を見つめていた。勝つために飛ぶのに、自○するような雰囲気だった。あれがライジングHAYATOの本性なのだろう。それからの彼は、彼だけのマラソンを走り始めた。その姿に嫉妬したレスラーも少なくないはずだ(絶対に口には出さねぇけどアイツら)。

 

この3人に引っ張らるように、他の選手が自己主張を始めたのは間違いない事実だ。「全日本のジュニア」のイメージは、確実に変わり始めている。普遍の価値観を持つヘビー級ばかりが注目されるが、実は今こそ全日本はジュニアが面白いのだ。

 

「佐藤光留は好きだけど全日本プロレスは見に行かない」は別に良い。だが、佐藤光留を語る上で全日本ジュニアというのは避けて通れない。「佐藤光留は好きだけど全日本プロレスは見に行かない」という人にほど、全日本ジュニアはオススメしたいのである。

 

ま、そこで2月23日(金)全日本プロレス・岡山コンベンションセンター大会を見に来いってのが佐藤光留よ。鈴木みのるVS佐藤光留がメインって、もうジュニア関係ないからね。なんなら鈴木さんも佐藤光留も全日本プロレスじゃないからね。

 

上手くいかないのがパンクラス。チケットは佐藤光留までメールするように。

f5r6i5d1a3x1y0@ezweb.ne.jp

N氏の隣人

早くも佐藤光留です。

 

2014年も2月に突入。地球温暖化によって海水温が3度上昇した東京湾のクロダイが、20年前の20倍になったとヘチ釣り師が語っておりました通り、なんとなく暖かい冬です。

 

2024年は毎月プロレス興行を開催する地獄の目標を掲げた佐藤光留が2月に開催するのが「JEEEP」です。今年から「JEEEP2024」と、西暦をプラスする事になりました。まぁ来年には忘れていると思いますが。

 

そもそもJEEEPをはじめ、旧川崎球場での興行も全てコロナ禍で思いついた興行が好評だったため継続しております。ちょっと経験した事のない「未曾有のコロナ禍」でしたが、そこでいち早くアイデアを出して興行に繋げた事、そして専門誌などが一切の興味を持ってないにも関わらず継続している事=お客さんの支持だけで存続できている事は、佐藤光留のプロレスが令和に生きている証だと思っております。ここで「週刊プ○レスなんて必要ねぇ事の証明」とか言わなくなった佐藤光留は偉い。成長した。抱いて。

 

佐藤光留の興行は、全て佐藤光留の脳内で産まれたアイデアを具現化しているだけのシンプルなモノ。ま、そもそも出資者などを揃えた会議で「長渕が好きなレスラーだけを集めて千葉の山奥でプロレスやってみてはどうか」と言って実現するのか、とも思います。

 

子供の頃から脳内に浮かぶ様々なアイデアには自信がありました。が、その多くはマトモと呼ばれる神経を持った他人にうすら笑い付きで否定されてきました。そのアイデアがスマートフォンだったりしたら世間も少しは動くだろうし、具現化したら歴史に名前が残るのでしょう。そのアイデアが昭和の深夜ラジオの下ネタ投稿にも似た異臭を発していたから、万人に認められる事はありませんでした。

 

いわゆる「普通の人」にも受けそうなアイデアを思いつく事もありました。でも、全く満足しませんでした。面白いと感じないし、なんというか興奮しない。イイ女(死語)ではあるが、好みの女ではない。そんな感じです。

 

その鬱屈した気持ちを文章にした頃、少しだけ「面白い」と言われました。「くだらなすぎて笑ってしまう」とか「読んだ時間を返してほしい」と言われた時、初めて評価されたんだと感じました。決して何か賞を取った訳でもないのに、幸せを感じました。自分の生きる道がある事が嬉しかった。プロレスラーなのに、エロ本からオナホ用ローションのレビュー依頼が来た時も「自分のやってきた事は間違いじゃなかったんだ」と思いました。

 

普通と呼ばれるプロレスラーからすれば、そんなのは底辺のやる仕事だと思われるかもしれません。でもそれは、鳥が鮫に「飛べないんだプププ」と言うようなもの。生きる世界が違うだけなのに、つけなくてもいい勝ち負けを押し付けられてきました。知らぬ間に自分もやっていた事ですが、今はもうどっちでも良いのが正直な気持ちです。

 

長渕の歌にもあります。上でもなく下でもなく、右でもなく左でもなく。ただただ自分の道を突き進め。その割には勝ち負けの世界に相手を引っ張り上げるな…と思う事もありますが、夕焼け見るとまた泣けてくるのは長渕が歌を歌ってくれたからです。露骨に人を信じたら足の裏で蹴飛ばされるのも、大阪でうどんを啜ったら背中が小さく見えるのも、全部アニキの歌が原因です。

 

第1回は5人だった観客も、今回はすでに20人を超えています。ありがたいですが、日本の未来が少し心配です。

 

でもきっと、我々は少しだけ「面白い」と感じる事がズレているだけ。言い方を変えれば「他の人より面白いと感じる神経が鋭い」という事。今年も大きな声で歌い、そして泣きましょう。勇次ィィィィ!!

 

じゃあまたね☆

 

ニコプロpresents「JEEEP2024」

2024年2月21日

千葉県いすみ市某所

開場・開始時間は参加者にのみ通達

チケット 9900円(完全予約制)

感染希望者は佐藤光留までメール

f5r6i5d1a3x1y0@ezweb.ne.jp

 

決定カード

メインイベント

敗者引退式時間差ランブル※引退はしません

佐藤よ、HIKARU(パンクラスMISSION)

田むらの男児まで(全日本プロレス)

俺たちのキャSUSHIングミス(フリー)

土肥こうじ(フリー)

植木のまんまで(フリー)

LICENSE HAYATO(全日本プロレス)

斉藤拓海の家まで(花鳥風月)

マジアベエ!(フリー/推定年収3億7500万)

逆2(パンクラスイズム横浜)

真っすぐな雪妃の真矢ちゃん(フリー)

 

レフリー

李日の韓(フリー)

リングアナウンサー

望月までには彩がつく

劣等感は歌い続ける

言わずもがな佐藤光留です。

 

2023年も残りわずか。こないだまで1月だったのに…なんて言えば、若い人に疎ましがられる即席老害中年プロレスラーの完成です。もっとTikTokがどうとか小学生YouTuberだ言ってないと若い方に弾かれてしまいます。◯んでもやらんわ。

 

今年は佐藤光留にとっても大きな変化のある年でした。どんな変化って「興行が出来なくなる」という衝撃の展開にブチ当たりました。

 

8月に開催した川崎球場大会は、それはそれは評判の宜しいものでした。もちろん見に来ていただいたお客さんに満足してもらえるプロレスを考え、それを選手としても実践していくのが自身でも喜びであります。なので興行後の充実感も高かったし、行く先々で「とても面白かったです」と、普段あまり言われない事を言われるのが本当に嬉しかった。もしかしたらこのまま127人リストが作れるのか…などと思っていました。

 

が、その結果が「次の興行が思いつかない」でした。

 

良い興行をするのが目的だったのですが、その目標が達成されてしまった自分には、意外と何も残っていなかったのです。いつも何かしこりを残し、見る方にもやる方にも何かしらの違和感を残すのが、また佐藤光留がプロレスの興行をやる原動力にもなっていたのでしょう。8月の川崎球場は映画でいえば完璧なエンディングでした。続編に名作なし。心のどこかで「これ以上の興行は無理」「良い思い出を汚したくない」と思っていたのでしょう。

 

試合数も多い佐藤光留が、なぜプロレスの興行に拘るのか。それは一人のプロレスラーとしての試合が作品ならば、興行もまた携わった人、場所、空気も含め全てで描く作品だからなのです。

 

自分の実力である程度想像しコントロール出来る作品が「試合」ならば、自分以外が良し悪しの要因となる「興行」とは、本当に興味深いものです。何が起こるかわからないのに、それでもエンディングの曲が流れ始めた時の空気が痺れるぐらい良かった時があります。あれを忘れる事が出来ない。ワイスピ3でショーンがニーラと初めてのレースについてドリフトしながら「あんな快感初めて」と言うシーンを毎度思い出しては「ドリフトはこれより面白いのか」と考えてしまいます。嘘です。

 

それが数日経つと、次はコレがやりたいと思ってくるものなのですが、今年の8月はひとつの到達点を迎えてしまいました。

 

別に悪い事ではない。そもそも佐藤光留はプロレスラーなので、興行を無理矢理やらなくても全く問題ない。むしろ興行に向けての作業&川村の心ないミスの数々は、確実に寿命を短くしていると思います。

 

それでも佐藤光留は、佐藤光留の興行が再び見たいと自分で思いました。自画自賛ですが、コロナ禍で「屋外興行なら声出せるべ」とスタジアムでの興行を思いついたのはマジでもう少し世間からもプロレス界からも褒められたいもんです。日本初の同日スタジアム興行戦争で新日本・神宮大会の対になったのは佐藤光留自主興行です。どう考えても佐藤光留の方が早く思いついていた上に、もう4年も継続しておるのです。

 

ハードヒットは現在進行形のUWFを実践してきました。過去のUWFスタイルを猿真似したものや、結局既存のプロレスに迎合したスタイルにしなかったのは、まだUWFというものが運動体としてハードヒットの中で生きている事を証明しています。

 

ジュニアの祭典が華々しく開催された今年ですが、佐藤光留主催のインディージュニアの祭典は2回やって2回とも専門誌には無視されています。それでも、あの大会で抜擢した選手を見て「こんなプロレスラーがいたんだ」と思えてもらえる事は、自分が有名になるより嬉しいです。パンクラスの先輩や、プロレス界での兄貴分のような人が、全く無名の自分を興行で使い続けてくれた事を次の世代に繋げれたとしたら、自分が好きなプロレスに少しでもプラスになったかなと思います。専門誌には完全に無視されてますが。

 

他にもJEEEPや、地方開催の大会がありました。湧き出るアイデアは、嫉妬や困窮、焦燥感や過去の「佐藤がプロレスラーになんかなれる訳がない」という言葉や体験が捻り出してくれるものでもあります。それは決して楽しいだけの時間ではなく、まぁまぁ肉体的にも精神的にも辛かったりします。

 

ゆえに興行とは、自分自身なのです。

 

己を知るのは、いつも苦しみからです。やたら手拍子を要求するだけの飲み会みたいなプロレスを「エンターテイメント」という浅い免罪符にするだけでは、その場で過ぎ去るプロレスにしかなりません。そんなもの誰でも出来る。喉の奥に小骨が引っ掛かるような、負ける事でしか知れない何かを突きつけるような。そんな情熱だらけのプロレスを届けたい。

 

ただ「やろう」だけでは面白くない。寿命と引き換えに面白いものを生み出すため、2024年は毎月興行にチャレンジしようという事になりました。年12興行です。

 

まず1月は25日(ほぼ確定の予定)。東京の北の方で、久々の組技限定ハードヒットの開催。最近、センター南に出来たカルペディウム横浜の会員になった佐藤光留が「プロレスラーが柔術やったら」というテーマで開催する「ハードヒット〜PRO WRESTLING JIU-JITSU」。

チケットなど駆け足で作っております。

 

2月は27日(ほぼ確定の予定)に、例の場所で「JEEEP」本戦。

今年は某選手と交渉しており、もしかしたら二部制になるかもしれません。決まれば衝撃のアレ。眠らせないわよ2月の山奥で。

 

3月、4月も予定が立ち始めています。まだ2023年なのに、もう2024年が嫌いになりかけています。言って後悔しています。いやーマジで無理。プロレスやりてぇのか早◯にしてぇのかわかんなくなってきた。

 

おぉ。じゃあ進む方向は合ってるじゃないか。

 

人生に「正解」などという簡単な答えは存在しない。いつも雨に濡れ寒さに凍えながら、自分の体温を感じ人間である事を思い知るだけなのである。

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>