5月2日のネタに戻ります。

京王乗り歩きに戻ろうとした管理人が、小田急多摩センター駅を見て気が変わった理由とは。

それは、キティちゃん(ハローキティ)をはじめとするサンリオキャラクターズに制圧されていたこと。

 

今を遡ること8年前、京王多摩センター駅がサンリオキャラクターズに制圧された様子を当ブログで取り上げたことがあります。

そのときの記事がこちら↓

 

 

 

 

これは多摩センター駅がテーマパーク「サンリオピューロランド」の最寄り駅だからですが、8年前の時点では、隣接する小田急多摩センター駅は「普通の駅」でした。

しかし、今回小田急多摩センター駅を見て、管理人は仰天しました。

 

水玉模様とキティちゃん

 

何と小田急多摩センター駅にもキティちゃんが!

 

改札外の案内表示もこのとおり↓

こちらはキティちゃんのシルエットが描かれています。2点をノーキャプションで。

 

 

 

改札に入ってみます。

番線表示もキティちゃんのシルエット。1番線(唐木田方面)はマイメロディ、2番線(新百合ヶ丘・新宿方面)はポムポムプリン(のお尻)が描かれています。こちらもノーキャプションで。

 

 

 

1番ホームへの階段を登り切ったところで振り向くと、こんな感じ。

 

白と青

 

京王多摩センター駅は地色が濃紺、キャラクターは元の色のとおりに描かれていますが、こちら小田急は白地に青で描かれていて、キャラクターも黒又は青の線だけで描かれています。

 

こちらは駅名標。こちらも京王とは違い、白地に青線の通常仕様にキャラクターを描き足したもの。

 

あくまで通常仕様にキャラクターが乗っかっているということ

 

飲料類の自販機も京王とは違います。こちらも京王のそれよりずっと明るい青でまとめられています。

 

水玉

 

見方によってはこの水玉模様、某「初恋の味」の乳酸菌飲料に見えなくもない。

 

こちらは足元の乗車位置案内。これも京王の特別仕様とは異なり、他の駅と同じ色遣いにキャラクターを足しただけになっています。

 

ここにもキティちゃんが

 

これは発車案内表示。

 

これも青と白

 

とにかく「青と白」の爽快感ある色使いというところは徹底しています。これは小田急のコーポレートカラーが青だということもあるのかもしれませんが。

 

感想。

とかくこの手のリニューアルでは、行楽客・観光客向けに針を振るか、それとも地元客・用務客など日常利用者に針を振るかという匙加減の問題が出てくるものです。しかしやはり、そこはサンリオキャラクターズ。周囲との親和性が高いのはキティちゃんだけではなくサンリオキャラクターズ全体に当てはまるようで、それ故にここまで自然に仕上がっているのかもしれません。

 

最後におまけ。

小田急・京王の両多摩センター駅とも、副本線のある駅でした。京王はその副本線を有効活用していますが、小田急は列車密度の問題もあるのか、上下とも副本線を使用停止にして久しくなっています。両端の分岐器は撤去されましたが、駅部分には線路が残っています。

 

復活するときは来る?

 

もし復活するときが来るとすれば、噂されている相模原・上溝延伸が実現したときだと思われますが、果たしてどうなるか。

 

小田急多摩センター駅の話題を取り上げたいところですが、こちらも素通りするわけにはまいりません。

GW真っ最中の04/30、東武から2024年度設備投資計画のプレスリリースが出ました。

東武大本営からの発表はこちら↓

 

2024年度の鉄道事業設備投資計画 設備投資計画は総額403億円 ~「人にやさしく 人と地域が共に輝きつづける社会」の実現を目指して~

(PDFファイル注意)

 

立体交差化工事の推進、バリアフリー化及びホーム柵(ホームドア)設置の推進など、内容は多岐にわたりますが、ここでは趣味的に大きな関心事のみを取り上げます。

それは、野田線(アーバンパークライン・UPL)用新車80000系が当初の発表どおり5Rで投入されることが正式にアナウンスされたことと、東上線の地下鉄直通車9000系列の代替車両投入がアナウンスされたこと。もうひとつは、大師線の自動運転化に向けた検証の実施ですが、こちらは「2024年度は、引き続き前方障害物検知システム・地上センサの検証を行うとともに、車両および自動運転システムと保安設備の設計検討業務を実施します」の記載があるのみなので、これだけでは掘り下げてみても…と思い、新型車両の投入についてのみ取り上げることにします。

 

UPLへの80000系投入については、既に当ブログでも記事をアップしているところです↓

 

 

 

これによって、いよいよ60000系も現行の6Rから1両減らした5Rに改められることになり、合わせて8000系は勿論、10000系列までもUPLから放逐されることになります。

 

大きく変わるUPL

 

一般列車は5R化されますが、一方で大宮駅の改良工事も予定されているところ、こちらは2面3線化してその上で6R対応を維持するとのこと。これは恐らく、特急列車の入線を念頭に置いたものでしょう。

 

そして何よりも驚いたのは、遂に9000系列にも公式に「置き換えフラグ」が立ったということ。

 

遂に置き換え決定

 

もっとも、すぐに代替車を投入するというのではなく、今年度は「新型車両の設計業務を実施します」とあるのみなので、その概要その他具体的なスペックが明らかになるまでには、まだ時間があります。流石に50000系列のリピートオーダーにはならなかったか。あれも何だかんだで「20年落ち」ですから、今更感半端ない(^_^;)

しかしどこに発注するんでしょうかね? 日立か、近車か、はたまたJ-TRECか。日車ということは流石にないだろうとは思いますが。70000系は東京メトロ13000系の兄弟車とされたので近車に発注したもので、50000系列や60000系は日立ですから、また日立かな。

それともう一つの関心事は形式。既にUPL用の新型車両が「80000系」とアナウンスされましたが、こちらは「90000系」となるんでしょうか。そうなると大手私鉄、いや日本の鉄道では一番の「インフレナンバー」になりますが。このあたりは正式発表を気長に待ちましょう。

 

9000系列が退役すると、東京メトロの全路線で乗り入れ車両も含めた完全なVVVF化が達成されることになります。都営地下鉄ではまだ京成の3400形が浅草線に入ってくるようですが、恐らく消えるのはこちらの方が早いでしょうから、9000系列の退役が「東京の地下鉄における、乗り入れ車両も含めた完全なVVVF化達成」になると思われます。

 

いずれにしても、80000系ともども現車の登場が楽しみです。

 

というわけで(どういうわけだ)、京王線新宿駅でございます。

一日券を買い求め改札を通過、手始めに京王八王子行き特急を撮影。それが冒頭の写真です。

 

京王線新宿駅といえば頭端式ホームで、このように車両の顔がドーンとくる構図で撮影できるのですが、線路突端の壁にはこんな注意書きが↓

 

撮影者に対する注意喚起

 

このような注意書き、京王のみならず東武や東急などでも掲出しているところが増えましたが、夙に指摘される「撮り鉄」の暴走対策でもあるのでしょう。しかしこのような注意書きを見て「あ、俺も気をつけよ」と思える人に対しては、このような注意書きは要らないのですよ。他方で、本当に届いてほしい相手には届かない。難しいものだとつくづく思います。

(この点に関してはコメントをご遠慮願います)

 

結局冒頭の列車には乗らず、この列車の後に2番線から出る橋本行き特急(京王多摩センターから各停)に乗って京王多摩センターに向かいました。

1・2番ホームで見かけた、「京王ライナー」の指定券券売機。

 

駆け込み需要にも対応できる

 

指定席のある列車を運転する会社は、ホーム上にこのような指定券あるいは特急券の券売機があるものです。小田急や近鉄では特急停車駅には必ずありますし、他の私鉄もそう。これによって駆け込み需要にも対応でき、乗車率の向上に寄与しています。最近東急東横線の指定席車「Q SEAT」が2両から1両に減らされましたが、東急でもこのような券売機を渋谷や中目黒のホーム上に置いてもいいのではないかと思いますが…。

(自由が丘には『S-TRAIN』用の券売機があるが、あれは西武のシステムに丸ごと乗っかっているので、『Q SEAT』の指定券発売を兼ねさせるのは困難ではないかと思われる)

 

余談が過ぎました。本題に戻します。

橋本行き特急は7000系の10連。以前であれば新宿を出れば明大前までノンストップで、笹塚の手前で地上に出ると同時に加速していくものでしたが、現在は笹塚に停車するため、地上に出ると逆に減速します。未だに管理人はこの感覚に馴染めませんw

 

京王多摩センターでは、「京王カレー」こと「C&C」でカレーを食します。

 

期間限定メニュー

 

管理人が食したのは、↑の写真の「春の野菜カレー」にチーズをトッピングしたもの。最近の管理人は野菜不足が顕著だったもので、可能な限り野菜を食しておきませんと。

現物はこちら↓

 

濃い緑色の塊が目を引く

 

素揚げされたニンジン、ジャガイモ、タケノコ、エンドウなどがこれでもかとトッピングされていますが、上に載っている濃い緑色の塊、何だと思いますか?

実はこれ、春菊の天ぷら。何だか立ち食い蕎麦のトッピングみたいですが、サクサクした揚げ具合が非常に美味でした。また、ご飯は通常のカレーメニューに比べて少なめということでしたが(これは実食した後で看板を見て気づいた)、全く気にならないボリュームでした。

流石は京王カレー、安定の美味さでした。

 

最後におまけ。気になった掲示物。

 

福神漬けなどがテーブル上にない

 

福神漬けやソースなどは、全て提供カウンター横に置いてあるということですが、これは牛丼店や回転寿司店などで相次いだ、紅生姜の直食いや醬油の容器の注ぎ口を直に舐めるという迷惑行為に対する対策でしょう。勿論こんなことをするのは一部の大馬鹿者ですが、その一部の大馬鹿者のために圧倒的多数の善良な顧客が不利益を被るという構図、どうにかならないものかと思います。

 

この後管理人は、京王線乗り歩きに戻ろうかと思ったのですが、お隣の小田急多摩センター駅の改札口の様子を見て気が変わりました。

 

【おことわり】

当記事は05/08付の投稿とします。

今回より05/02のシリーズ記事のアップを開始いたします。よろしくお付き合いのほどを。

 

まず山手線に乗って新宿へ向かいました。

小田急百貨店が閉店になって久しく、建物も取り壊されたそうなので、その様子を見ておこうと、西口の小田急ハルク側にあるペデストリアンデッキに登って、新宿駅方を望んでみました。

すると…。

 

空が広い

 

高村光太郎(妻智恵子かもしれない)が「東京には空がない」と嘆いたのはもう100年も昔のことですが、こうしてみると東京にも空があることに気づかされます。

小田急百貨店の建物がなくなったことで、代々木のドコモタワーまで見通せるようになりました。

 

見え過ぎちゃって困るの~♪(古い?)

 

キャプションは大昔のTVCMソングですが、いかに管理人も、リアルタイムで放送していたのを見た記憶はありませんw

 

新宿駅西口といえば、ランドマークとなっていたのが「スバルビル」ですが、それもなくなっています。

 

換気塔が邪魔でスマソ

 

右側の白いビルの左隣にあったのですが、更地になってしまいました。

 

スバルビルの向かい側にあったビルの敷地もこのとおり。

 

こちらも更地に

 

これら更地には、いずれはオフィスビルか商業ビルが建つのでしょうが、一体どんな姿になるのでしょうか。

これほどまでに「空が広い」新宿西口は、今しか見ることができません。一見の価値はあると思います。

 

【おことわり】

当記事は、05/08付の投稿とします。

その2(№6157.)から続く

今回は「青ガエル」の伸長期ということで、「カエル」たちの増殖の過程と、それに加えて5000系で実行された新しいサービスなどを見ていくことにいたします。

【「カエル」たちの増殖の過程】
昭和29(1954)年に3連2本が登場した「青ガエル」は、同年度の間にさらに3連2本が登場、昭和30(1955)年には3連が3本投入されました。昭和31(1956)年には3連が一挙に8本投入され、この時点で「青ガエル」は3連が15本となりました。
そして輸送力増強に合わせて4連化が計画され、以下のとおり新たな中間車が登場します。
それが5000系初の中間電動車デハ5100。形態としてはサハ5050を電装したような車両ですが、機器構成及びパンタグラフの位置はデハ5000の偶数番号車と同じとされました。したがって、デハ5100のパンタグラフは桜木町寄りに搭載されています。デハ5100はサハ5050とは異なり、編成位置の縛りは全くありません。
現車は昭和32(1957)年に登場し、同年度は一挙に12両が登場、順次既存編成に組み込まれました。翌昭和33(1958)年度にはさらに6両、34(1959)年度には2両が投入され、合計20両が登場しています。
なお、デハ5100のラストナンバーであるデハ5120は、5000系(5200系も含めて)最後の新造車両となりました(5200系に関しては次回に取り上げます)。

デハ5100の登場により、「青ガエル」にも4連が登場しましたが、さらに輸送量の伸びは続き、5連化が計画されました。こちらは中間車の増備ではなく、基本編成の3連に2連を増結する形で5連を組成する方法がとられています。
そこで昭和34年に登場したのが、5000系初の制御車となるクハ5150。
同車は桜木町向き固定の制御車として、昭和34年に5151~5155が5両だけ登場。これとデハ5000がペアを組み、3連の桜木町方に連結されることになりました。
車号は5151~5155の5両。これとペアを組むデハ5000は必ず渋谷方を向くことになりますので、本来であれば奇数車号(5051・5053・5055・5057・5059)になるはずですが、実際にはそのようにはならず、5051~5055と続番とされました。したがって、5051~5055は車号にかかわらず渋谷方向きとされ、実質的に「デハ5000の50番代」ともいえました。そのため、このペアは車号の下2桁が全て揃っています。
なお、この年の増備でデハ5051が出現し、サハ5050のトップナンバーの5051号と車号の重複が生じることになったため、サハ5050は形式を「サハ5350」に改めています(原車号に+300)。
このクハ5150、デハ5000の前頭部からパンタグラフを取り去った風貌のため、何ともユーモラスというか締まらない姿をしていた印象があります(個人的には)。

ともあれ、これら新形式の出現などにより、昭和34年の時点で5000系は105両に達し、兄弟車の5200系を含めて109両となりました。この105両(5200系を含めれば109両)という数が、5000系の最大在籍数となっています。

【5000系で実施された新しいサービス】
5000系使用列車では、それまでにはなかった新たなサービスが実施されることになりました。それが①自動放送と②ラジオ放送。これらはいずれも、5000系が静かな走行音であることを生かして実施されたものです。
まず①の自動放送ですが、当時は現在のような小型の録音媒体は勿論カセットテープすらもなく、オープンリール式という図体の大きなものでしたが、その内容は女性の声による停車駅案内のみならず、沿線の遊園地の宣伝、時には軽音楽を流すことも行われました。このような自動音声によるサービス、早くも戦前には小田急の「週末温泉急行」で「ムーランルージュ新宿座」の看板女優だった明日待子の声を吹き込んだレコード(!)によって沿線案内などを流していたことがありますが、このときは列車の揺れによるレコードプレーヤーの「針飛び」に悩まされたとか。テープはレコードと異なり「針飛び」がないので、それ故に円滑な案内ができるとして期待されました。
しかし、当時としては画期的だった自動放送も、機器のメンテナンスの困難性が仇となり、実施された期間は短かったようです。
結局、東急における電車内での自動放送が本格的に実施されるのは、5000系デビューの32年後、昭和61(1986)年の9000系デビューまで待たなければなりません。
(大手私鉄全体だと、京成が昭和50年代の一時期、当時のワンマンバスと同じようなテープによる自動放送を実施していたことがある)
そして②のラジオ放送ですが、これは昭和33(1958)年12月にラジオ関東(現ラジオ日本)が開局し、同局が朝夕のニュース番組として「ハイ朝刊」「ハイ夕刊」を放送していたのですが、その放送をそのまま走行中の電車が受信、車内で受信して流していたものです。「ハイ朝刊」は7時30分から、「ハイ夕刊」は17時45分からのそれぞれ15分間の放送でした。ニュース番組だけでなく、野球や相撲といったスポーツ中継も放送されていました。
しかし、ラジオ放送も僅か6年後の昭和39(1964)年、乗客から苦情が寄せられたことで打ち切りの憂き目に遭います。勿論、その苦情の内容は、静かに車内で過ごしたいのにラジオ放送をそのまま流されてはかなわないというもの。楽しんでいた乗客も多かったようですが、スポーツ中継の場合は一番聞きたいところで停車駅が近づいて車掌の案内に切り替わったり、下車しなければならなくなったりするという悩みもあったようです。
もっとも、ラジオ放送受信に使われた機器類は無駄にはならず、列車無線へと転用されています。

【その他~5000系を使用したネームドトレイン】
沿線に著名な観光地のない東急のこと、大手私鉄他社のような華やかな有料特急列車には無縁でしたが、それでも5000系デビューのころは、同系使用のネームドトレインがいくつか運転されています。
代表的なのが昭和30年夏の日曜日に運転されていた「さざなみ号」。これは横浜駅で京急の列車に接続する海水浴場へのアクセス列車で、停車駅は渋谷~田園調布間の各駅、あとは横浜までノンストップで走り抜けました。
他には、通常の急行が高島町に臨時停車する「鹿野山号」「勝山号」。これは房総・伊豆大島方面の航路と接続するもの。さらに夏季には途中自由が丘・田園調布のみの停車で、夕刻に渋谷-綱島間を走る納涼急行「綱島号」もありました。
これらのネームドトレインが、5000系の人気と名声を確固たるものとしたことは、勿論言うまでもありません。

次回は、5000系の兄弟車を取り上げます。予告編では5200系しか取り上げていませんが、軌道線用の200形も取り上げておきませんと、画竜点睛を欠くように思われますので。

-その4に続く-