前記事で話題にしたNHK宛意見に対して、本日(2013年1月9日)、NHKさんより下記の添付ファイル付きメールが届いた。


一読して、文面から気苦労と困惑の滲み出てくるような印象を持ってしまったのは、私の勝手な思い込みかもしれない。


以下、本文メールと添付ファイル(Word)を紹介いたします。


[本文メール]


佐藤賢一様

東日本大震災プロジェクト

東北発☆未来塾

いつもNHKの放送にご理解を賜り、厚く御礼申し上げます。

この度は貴重なご意見ありがとうございました。

添付のようにご返信いたします。

これからも「東北発☆未来塾」をよろしくお願いします。


[添付ファイル]


佐藤賢一様




いつもNHKの放送にご理解を賜り御礼申し上げます。




また今回は、1月4日(金)放送の「東北発☆未来塾 リーダーのチカラ」をご覧いただき、貴重なご意見をありがとうございます。




またツィッター上でのご意見や、他の皆さまの思いなども拝見しました。




NHKでは、被災地の復興に向けて少しでもお役に立てることを責務と考え、番組を制作しています。



今回の番組は、西條氏の活動そのものを紹介することが主眼ではなく、東北の将来を担う若者たちに向けて、これからどのように仲間と活動していったらいいのか、その方法論を考え、復興に役立ててもらいたいとの趣旨で制作しています。



また、ふんばろう東日本支援プロジェクトの活動によって前向きになれた、と語る多くの皆さまと出会いました。



番組に参加し、あるいは番組を見た若者が、そこから自分なりに学んで、1人でも多くの人に復興への取り組みにいかしてもらいたいと願っています。



ぜひ4回通してご覧いただき、番組の趣旨をご理解いただければと思います。



ご意見は真摯に受け止め、今後の番組制作にいかしていきたいと思います。


今後とも「東北発☆未来塾」をよろしくお願いします。


東日本大震災プロジェクト 

東北発☆未来塾


まあ、色々あって、NHKの「東北発☆未来塾」のホームページ、意見・感想欄に下記の文面を送信した。


NHKさんから返事が来るかどうかは、未知数です。何かレスポンスがあれば、続報いたします。


以下、送信した文面(2013年1月7日):



前略


貴局作成の「東北発☆未来塾」(1月4日放送)に対する苦言を呈させていただきます。小生、既にツイッターのハッシュタグ#nhk_miraiでも同様の内容を発信した者です。


貴番組に登場する西條剛央氏に関しては、以下の点から公共放送での放映にふさわしくはないものと判断いたしまして、遺憾の意を表明いたします。


(1)「日本最大級の支援組織」云々という表現は、西條氏による自称に過ぎません。

(2)ふんばろう東日本プロジェクトに対しては被災地住民、その他方面から数々の批判が寄せられています。(前述ハッシュタグをご確認ください。)

(3)代表の西條氏は、自身の批判者に対して「名誉毀損」や職場への「厳重抗議」をちらつかせ、恫喝まがいの発言をツイッター上で展開していました。(参考:http://togetter.com/li/232194 http://togetter.com/li/271698 http://togetter.com/li/376181 )


このような人物が語る「リーダー論」や「組織論」に小生は、貴番組の品位を落とすものになろうとの危惧を抱きます。貴局の真摯なご対応をお願いする次第です。 草々


[所属省略] 佐藤賢一拝

凡例

・以下の記録は、2012年3月1日から、2012年3月15日までのTwitterでの呟きをまとめたものである。

・収録した呟きは、著者本人の独白形式のみを採用し、RTとそれへのコメント、@付きでやりとりをした会話は原則として除外した。

・各呟きは、時系列に沿って提示している。("2011.07.17."で呟いた日付を指示する。)

・収録にあたっては、誤字脱字を訂正し、必要最低限の補足修正に留めた。

・「※」を付して、呟きの背景を注記した箇所もある。

・一連の内容がまとまっている場合は、適宜、小見出し、参照URL等を付した。


本文


Making of Review:書評の舞台裏(Ⅱ)


よし、今日の夕方までには仕上げるぞー! しんどいけど。。。 原稿用紙90枚くらいになってしまった。。。

何か途轍もない虚しさに潰されそうな心境は久しぶり。。。

一つの原理と実例で、無理矢理何でもかんでも一般化して説明する態度は、似非科学と同一構造なんだよな~

やっと、書き終えた。。。 これからブログにアップする作業に移ります。。。

あちゃー。。。 ブログの制限字数オーバーしちまってた。。。 3分割ぐらいしないとダメか。。。

書評書きました。長文のため、3分割してありますが、駄文の極みです。/『書評(Ⅰ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』』 http://t.co/2BntPRCI

書評2つめはこちらです。/『書評(Ⅱ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』』 http://t.co/BanAPaRf

書評、3つめ、最後です。/『書評(Ⅲ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』』 http://t.co/WVezuQQs

何とか一周年を迎える前に、書評という形ではあるが、自分の考えをまとめることができて安堵している。犠牲者と被災地を忘れた不毛な議論は終りにしたい。
(2011.03.01.) 


その後


肝心のところで、「素人」を前に出すのを好きな人たちがいるようで。

自分のショボイ・ブログは半年近く休眠状態だったが、先日投下した書評で昨日のアクセス・ランキングが「歴史好き」ジャンルで28位(4238人中)になってた。んでもって段位も黒帯で、ブログのキャラが奥義「ドラゴン召還」を覚えてた。こんなに増えたのは『天地明察』の批判以来かな。

論理と心情を混同した批判は不毛だな。論理的に言葉を紡ぐことを商売としている者の発言に、矛盾と不備があれば、同業者から批判を浴びるのは当然だろう。それがなければ業界のモラル・ハザードが簡単に起きる。ましてや、人を相手にする支援論や環境問題などはなおさら。

言葉を発することを職業にしている人は、簡単に読める物ほど、完璧に理論武装して書かねばならぬもの。
(2011.03.04.)


結局、運動のための似非支援、自己主張や自説押し付けの支援というものは破綻するしかないわけだ。

論理的な言葉で商売しなきゃいけない人たちが、非論理的な人たちの片棒担いでわめき散らす姿は、やはりみっともない。
(2011.03.05.)


ある程度の影響力を実際に現場で行使し、メディア、出版にも露出して宣伝する組織におかしな事があれば批判するのが筋。称賛しか出ないというのも変。同じ被災地出身で何十回か現場を見て、同業の大学教員で世代も近い自分が批判しないとダメかも、と思って先日の書評を書いた。それ以上の意味はない。

「専門家としての提言」と「市民としての要望」は共に大事であるが、発言の種類を混同してはいけない。えてして、マスコミで発言する識者はその傾向があるんじゃないかな。自分を例にすると、江戸時代の資料保存なら少しぐらい提言できるけど、都市計画や義援金システムには要望しか言えないね。
(2011.03.07.) 


震災1周年を前にして


理解不能なRTが回ってきたけど、私はその発信元本人からブロックされているので、せめて憐れみの念波だけは送っておきたいww

そのやりかたって、宗教団体のイベント動員そのままやんww

やっぱり、拙文で指摘した「独善性」は適格であったと私は判断する。「ふんばろう」の運営方針にたいして。
(2011.03.07.)


自画自賛RTしまくる段階で、こいつアホやな~、と普通思わんか?ww

被災地支援で、支援者は1クリックで物資や義援金を現場に投下し、それを仲介する側も手軽にマンパワーと資金を集められるようになった。だが、この手軽さで支援活動全体が容易になったわけではない。裏方の仕事、現場の調整、クレーム対応は今まで通り。そこを疎かにする支援組織は崩壊する。

おやおや、今度は書簡集ですか。。。 さすがにこういったものの書評はしませんけどね。各書簡の掲載許可はとってるんだろうけどさあ、しかしまあ、自分の団体宛に来た手紙をまとめるって、すげー自画自賛やんww
(2011.03.09.) 


「2012.3.12を中心としたまとめ~ブラック組織編」を見て


( http://togetter.com/li/271698
)


絶句するしかないな、マジかよ。。。 ここまでの人間関係のゴタゴタに巻き込まれ、対決を承知でカミングアウトされていることに率直に同情の念を。事実関係に誤認があるなら組織の側も正すべきだろう。推移を見守ります。

去年の夏あたりから、現地を回ったときに聞こえてきた話はこういうことだったのか。。。 ンガー!!

ツイッターで急成長した組織が、結局は、ツイッターで潰滅してしまう予感。

この方をイベントに誘ったんか。。。。
(2012.03.12.)


あまりにも子供じみた振る舞いをしてしまう人をトップに据えるリスクは大きいなあ。組織の幹部が優秀でトップの動きをコントロールできないといずれ破綻するね。

組織のトップが天然ボケの非常識発言を連発して、裏では駄々っ子よろしく思い通りにならないメンバーを攻撃するって、やはり、組織運営がなっとらんと思う。天然ボケキャラをうまく誘導してくのが幹部だろうに。広報戦略だけじゃなくね。

そもそも、営利でもないし、行政でもない組織は、社会との信頼関係構築が命なわけで、それができない組織は淘汰されて当然。それのできない組織は刷新しなきゃ存続できまい。

先の書評でも指摘したとおり、「ふんばろう」の組織運営は画期的なように見えて、実はワンマン経営(独善性)の飾り文句を変えただけのもの。代表の性格や言動に組織の存否が左右されてしまう最悪のモデルを、代表自らが構造構成してしまった悲劇。

この一年を思い出して、災害ボランティアの状況判断の仕方に反省があっても良いと思う。災害直後は「緊急だからどんな方策を用いてもよい」と突っ走るか、「緊急だからこそ平時の体制に戻す補完代替機能」が大事と構えるか。この二つの考え方の違いが、長期ボラ活動に影響していると思う。
(2012.03.13.)


地震・津波から1年を経過した今も支援活動は各方面、分野に分散しているが、必要とされている。しかし、支援を受ける側も、相対的にすべての支援が必要では無い面もある。支援側の精査と地道な活動がさらに求められる。詐欺やいい加減なボラは淘汰されねば、そちらの方が障害になる。
(2012.03.14.)


ツイッターやFBは見事なまでに、主義主張の一致する人だけをグループ化できるので、いったんそのグループを相手に議論すると、相当しんどい。他の批判をかたくなに受け付けない素地が最初から織り込まれているわけで、非常にやっかい。
(2012.03.15.) 


「2012.3.12を中心としたまとめ~ブラック組織編」を見て


(http://togetter.com/li/271698 )


四の五の言わずに事実関係確認して釈明か謝罪だろうに。それすらできないとは自浄能力のない組織であることを露呈したわけだな。まったくもう。。。 事が露見して何日経ってるんだか。

有名人に宣伝してもらう以外に何ができたのか?と反省してみれば、その限界は明確なわけで、支援活動を撤収すべき時期を見誤ったとしか言えまい。関係者に電話しまくって事態収拾に励む代表の姿が漏れ聞こえてくるようでは、断末魔だな、ふんばろうは。

支援者・受援者の関係を一つのシステムとして考えると、「支援を止めること」も立派な支援になる場合がある。こういうメタレベルの発想を本来得意とするのが哲学者なのに、いざ支援組織の代表を務めるや、ずぶずぶの支援蟻地獄に落ちた皮肉というか、悲劇。

人権侵害にあたる事案が取り沙汰されているのに、組織としての反応が鈍すぎるだろう、ふんばろうは。代表が以前、名誉毀損、名誉毀損と喚いていたあれは一体なんだったのか?

部下がやったことならいざ知らず、責任者の振る舞いが批判されているのに、釈明か謝罪すら即決できない責任者なんて、失格じゃん。

やましいことが無ければ釈明すればよろしい。過ちがあれば謝罪すればよい。その即決も、やはり行動力と言って良いだろう。自分に気持ちのよいこと、利益をもたらすことだけに飛び付くのが行動力ではない。

危機管理意識甘いよ、ふんばろうは。ハラスメントに当たる紛争処理を、被害側と加害側と会わせてやるなんてあり得ない。人権軽視も甚だしいわ。

セクハラにせよパワハラにせよ、当事者同士を同じテーブルにつかせるなんて正気の沙汰ではない。被害申告している人が精神的苦痛を負っている場合を考慮して第三者を立てるのは企業でも大学でも同じ。そこまで落ちたか、ふんばろう。
(2012.03.15.) 

発端:なぜ『人を助けるすんごい仕組み』の書評を

    手がけたのか


昨年の震災以後、西條剛央氏の被災地での活動を初めて知ったのは、4月2日に発せられた一連のツイートによってであった。

(http://twilog.org/saijotakeo/date-110402/asc )


地震・津波の直撃からまだ一ヶ月も経過していない時点で、宮城県南三陸町を訪れた西條氏による現地報告だが、読み進める内に、何とも言えない不快感につきまとわれたことを正直に告白する。


西條氏の意識の根底にあるのは、明らかに、被災地の人たちを見下す態度であり、自分の活動に都合の良い人たちを集めて使い回すことであり、憶測だけで物事を語る傾向であり、いずれにせよ、次の発言を見た途端に、筆者は怒りを爆発させてしまった。(発言中の強調は、佐藤によるもの。)



「 [南三陸町においてある人が] 「物は足りてないけど、本部で仕分けができないから、受け付けないことにしているのです」といっていたのは驚いた(その人良い人です)。漁業などを中心としている街では元々マネジメント力が高い人材はあまりいないのだと思う。それを念頭においていく必要がある。
  2011年4月2日posted at 23:13:18


南三陸町ではマネジメントできる人たちはいたが、そういう人がみんな亡くなったらしい。最後まで「津波から逃げてください」と町内放送し続けた女性は、そこの3階で津波にのまれた(これはテレビでもやっていた)。力のある人は役所で役割を果たし、亡くなってしまったのだ。」
  2011年4月2日 posted at 23:15:30


津波から助かった人たちばかりではなく、津波で亡くなられた方に対しても、被災地の皆さんをこれ以上に侮辱する言葉はあるまい。しかも、これらの憶測に過ぎない事柄を断定口調で言う態度は何ぞや!と、筆者は我を忘れて、彼に批判を込めたツイートを即座に返した。(この時期に筆者はまだTwilogを設定していなかったので、正確な文面を提示できない。) すると、さすがにまずいと思ったのか、次のような補足ツイートが。



誤解があったようなので補足すると、南三陸町の役場では「トップと若い人は一部だけ生き残ったけど(屋上の柱にしがみついてどうにか助かった)、そこをつなぐ中間の実質的なマネジメント力を発揮する人が死んでしまった」と地元の人がいっていました。つまりほとんどの人がなくなったのです。
  2011年4月2日 posted at 23:35:00



これは、もう唖然とするしかあるまい。一体、何を考えてこの男はこのように失礼極まりない暴言をツイッター上で語り続けているのか。。。 同じ宮城県の出身で、この見下したような言い方はないだろう!しかもあろう事か大学の教員が!と他人事ながら情けなくなってしまった。


西條氏のツイートを直接覗いたのは、この日が最初で最後であった。(その頃からどうもツイッターで筆者はブロックされていたようである。)このように非常識な男は当然、ネット上でそのモラルの問題を叩かれ、早晩姿を消すだろうと予測したからである。もはやこの人物とは関わることもあるまい、とたかをくくっていた。


事実、西條氏がこれのすぐ後に結成した「ふんばろう東日本プロジェクト」は最初に支援活動に入った南三陸町でとんでもないトラブルをしでかしている。


(副代表の町長に対する問題発言 <5/12 ふんばろう副代表TKHDKTGW氏のツイート事件> http://hissi.org/read.php/budou/20111024/ZnpHbjdjblgw.html  )


筆者はその推移を見ていたが、何馬鹿なことしてるんだよ、という冷ややかな眼差しを向けるだけであった。


ところが、西條氏のプロジェクト組織はこのゴタゴタを経ても急成長し、その一年間の活動をまとめた本『人を助けるすんごい仕組み』(ダイヤモンド社、2012年2月)まで上梓された。


この1年の間、筆者はというと、何回となく地元の被災地を訪れてはいたが、「ふんばろう」のように大々的な支援活動とは関わりを持たなかった。最初期の西條氏の発言を見てしまった者としては、少なくとも「ふんばろう」との連携などありえなかった。


あまりにも不毛で大人げないことは自分でも分かっていたが、どうしても、このような意識を持ったトップが率いる支援団体というものに疑念の眼を持たざるをえなかった。結果として、毒舌を細々とツイッターで呟くループに突入していた。一時は災後ストレスも加味して、精神的にまいっていたかもしれない。だが、なぜだろう。自分に向けられた言葉でもないのに、不特定多数に向けられたあの暴言を、どうしても自分の中で許すことができないまま、この1年が過ぎた。


そもそも、上で述べたような意識を持つ人間が率いる支援活動を想像しただけで寒気が走ることすらあった。それでも、「ふんばろうによって支援されて助かった人がいるのだから。。。」という声はよく聞く。


それは当然である。支援組織を名乗る団体が支援すらまともにできなかったら、それこそ最低である。しかも、支援される側からすれば、震災直後から1・2ヶ月の間、支援団体をえり好みしたり拒絶できるような状況ではなかった地域も多数あった。西條氏の発言を振り返れば分かるとおり、彼は被災地住民を徹底的に田舎者扱いし、見下しながら支援をしていたわけで、短期的に住民は物質的には救われたかもしれないが、長期的に見れば、精神的な側面、表には出てこない形で裏切られ続けていたとも言えよう。


問われるべきことは、物理的な支援活動の成否ではなく、支援活動を行っていたトップの考え方、行動方針である。災害発生直後の緊急時ならいざ知らず、支援活動の長期化が免れない段階にある現在、このような考え方を持つ支援団体は活動が長期化すればするほど綻びを見せるに違いなく、いわば支援活動による被災地への二次被害も懸念されるのである。震災から1年を過ぎた現在、その破綻の徴候は少なからず現れているように筆者には見える。(後に掲げる3月以降の記述を参照されたい。)


以上が、執拗なまでにこの1年間、「ふんばろう」を批判し続けてきた筆者の根源的な動機である。折に触れて、筆者自身は「ふんばろう」への批判を意図的に呟いてきたが、最終的には、『人を助けるすんごい仕組み』(以下、『仕組み』と略す)に対する書評をまとめる過程へと収束した。この間の呟きをまとめたものが下記である。


筆者自身のどす黒く、えげつない精神状態を赤裸々に曝し、歴史家としてのアイデンティティー崩壊にも繋がりかねないような自虐行為を、それはそれとして、一つの記録として残しておきたい。


さらに興味関心のある方は、『仕組み』の本文と、筆者による書評(Ⅰ)~(Ⅲ)をご参照頂きたい。



書評(Ⅰ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』
http://ameblo.jp/satokenichilab/entry-11180165300.html


書評(Ⅱ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』
http://ameblo.jp/satokenichilab/entry-11180169615.html


書評(Ⅲ) 西條剛央『人を助けるすんごい仕組み』
http://ameblo.jp/satokenichilab/entry-11180171956.html


凡例

・以下の記録は、2011年7月17日から、2012年2月29日までのTwitterでの呟きをまとめたものである。

・収録した呟きは、著者本人の独白形式のみを採用し、RTとそれへのコメント、@付きでやりとりをした会話は原則として除外した。

・各呟きは、時系列に沿って提示している。("2011.07.17."で呟いた日付を指示する。)

・収録にあたっては、誤字脱字を訂正し、必要最低限の補足修正に留めた。

・「※」を付して、呟きの背景を注記した箇所もある。

・一連の内容がまとまっている場合は、適宜、小見出し、参照URL等を付した。


本文


車の免許を取る時に、95%安全ならいいよ、と教える人はいない。安全運転は完全を目指す以外にない。人の心と命に関わるボランティアも同じ。失敗は許されない。参加者にその心構えは絶対に必要。失敗した時の処理をマネジメントとして考えるのがリーダーや代表の仕事。
(2011.07.17.)
※『仕組み』でも展開されている「5%理論」への批判。


自らが批判をしながら、相手に対しては批判をするなという態度、これは理屈をこねることを職業とする人間が絶対に言ってはいけないことなんだけどなあ。それが分かってない人にはどのような批判も届かないか。
(2011.09.10.)


心の構造が理解できれば予測可能性が生まれるという主張は初めて聞いたなあ… 自説を吹聴する人の他に、まだ誰も確認できていない仮説に過ぎないと思うんだけど。それがうまくいくように見えるのは、洗脳された場合じゃないのかな?
(2011.11.07.)


最初は千客万来を謳っていたのに、わずか数ヵ月後には、めんどくさい人は排除しましょう、と同じ組織のトップが言い出したのには噴飯であった。
(2011.11.08.)


心の構造が分かって人間の行動が推測可能になるのなら、誰も苦労はしないわなあ。例えば、「他人を差別する心」の構造って見えるのか?
(2011.11.08.)


散々ボラのありかたに関する愚痴を吐いているのは、安直で無責任な物言いを垂れ流す研究者に対する皮肉を述べたかったから。布教したい行動原理を自らの支援活動に適用すると、即座に矛盾を生じることに気づいていない喜劇を笑った。
(2011.11.08.)


めんどくさい人との間に生じた信念対立を解消することが、その人の職務のようなイメージを持っていたのだが、実際はだいぶ違っているようだ。
(2011.11.08.)


義援金を配る宗教団体が、宣伝ビデオを流すのは分かる。布教目的だから。一方、宗教団体でないのに自画自賛する支援団体は理解不能。代表自ら教祖になりたいのかなあ。それよりも、そんな代表担いで平気でいる団体幹部も大丈夫かなと思ってしまいますね、余計なおせわでしょうけど。
(2011.11.09.)


そういえば、学生時代、駒場東大駅前でオウムメンバーたちが空中浮遊してポンポンとび跳ねてるの見たよ。なんか彼らの主張と似たものをこの支援団体に感じてしまうのは、強烈なトラウマかもしれないなあ。あのときは、友達の友達が逮捕されたし… うーむ
(2011.11.09.)


自分も素人だからいつも考えるんだけど、被災地向けの素人ボラって、いつまで・どこまで許されるのかなあ。地域を多少知ってるというだけでしゃしゃり出るのは地元に迷惑だし、信頼できる人に支援金渡すだけでも十分だ、と反省する時もある。結局、そのために現地を見て回るんだけどね。
(2011.11.09.)


心理学やカウンセリングの知識を活かした被災地支援が切実に求められているのは事実。だが、その知識を物資支援や就業支援の文脈で披露されてもミスマッチだよなあ。自分の回りに集まった人たちの心理構造をネタにして論文でも書きたいわけ?と毒を吐いてみる。
(2011.11.15.)


物資を集めるだけ集めて、現地に送って… ところが末端で配送する人が足りないからあっぷあっぷ… というツイートを見かけたけど、あまりにも考え足りなさ過ぎだろうその組織!と突っ込みを入れたくなる。
(2011.11.16.)


教育支援をめぐって:西條氏発信RTへの対応


.@saijotakeo 学習支援プロジェクトの要領拝見。趣旨は賛同。ただし、被災地にどれほどの学習支援ニーズがあり、 どのような規模の支援を想定されているか。具体的な情報がなければ、支援側の計画も立てにくいと愚考。教育は一つ間違えば取り返しが付きませんのでぜひ正確な情報を。


.@saijotakeo  貴殿は心理学を専門とされているので既に了解済みでしょうが、被災地の子供たちの心のケアに対しては、カウンセリングその他の周辺サポートをどのように配備して学習支援に臨まれる心積もりですか。このような領域に素人が簡単に踏み込んでは危ないと危惧しています。


.@saijotakeo  最終コメントです。支援側に提供していただきたい情報は、被災地のこれまでの進学率、学校外教育(塾)の利用率とその内容(受験勉強or授業補習)でしょう。それがないと何を目的として支援すればよいか分かりません。また、地元学習塾との競合への対応はお考えですか?
(2011.11.17.)


昨日、ふんばろう東日本代表の西條剛央氏に学習支援プロジェクトについてコメントをしたのだが、今のところ、反応は戻ってこない。まあ、こちらがブロックされているようなので、無視された可能性が濃厚であるわけだが、いやはや。


とりあえず懸念だけは表明したので、誰かが見ておいてくれるだろうと期待して。


そうだなあ、半日待ってみて何も来ないようなら、事務局宛アカウントに同文を送ればいいか。(拡散希望)の形で向こうから流れてきた情報に対して、問い合わせや質問をしたのに反応が返ってこないというのは、やはり「それってどうなの?」と思うのでね。


ふと気が付いたが、もしや事務局アカウントからもブロックされてたら笑えるな。ま、あと数時間でわかることかww


さてさて、一日以上経過し、何名かの方にも元ツイートをRTして頂いたが、彼のプロジェクト代表殿からのレスポンスは、今のところ無し。もういいですかね、大っぴらに批判してもww あ、これから飲み会なので、日付が変わるまでに動きがあっても対応できませんので、すいません。
(2011.11.18.)


経過報告


既報の通り、ふんばろう東日本プロジェクト代表西條剛央氏に学習支援プロジェクトについて問い合わせたところ、直接私宛ではなく、RTしてくれた方への返信としてコメントをご本人から頂戴した。
(2011.11.19.)


昨夜0時36分受信で西條氏からコメントをもらったが、相変わらずブロックされているようで、直接返信ができない。問い合わせた私本人ではなく、RTした人に向かって返信したんかい、あんたは!と苦笑。


西條氏からの返信。(RT先は略)


「ふんばろうの学習支援プロジェクトは被災地の「現場」を知り尽くしている大学の先生、塾の先生、Z会、河合塾といったプロ集団で形成しており、ご指摘内容はすべて織り込み済みで動いていますのでFAQとして対応させて頂きます^^ご指摘感謝です!(RT先略) @ke_1sato」saijotakeo 氏より。


幾つかこちらは問い掛けをしたものの、回答はあっさりしたもので、いかにも「機械的なクレーム対応」という印象を残念ながら持ってしまった。(そもそもブロックされてるようなので、直接私の意思はあちらに届けようがない…)


こちらのコメントはすべて織り込み済み、とのことなので、FAQを注視します。具体的な予備校名も挙げられたので、協賛の取交し書なり、この件に関する予備校さんの問合せ先も公表してほしい。特にこのPJが地元学習塾への営業妨害にならないという根拠も明示していただきたい。
(2011.11.19.) 


「.西條剛央さん(@saijotakeo)のNPO・ボランティア

団体への「批判」「クレーム」の心理的な観点からの読み解き」へ投じたコメント


※こちら( http://togetter.com/li/216144 )に批判コメントを寄せた文言を採録する。


第一番目の文「現地で活動をしている…」からして、根拠のない勝手な決めつけであり、それ以降の議論の独善性を容易に予想できるものである。 http://t.co/dulFzbjd


「無償で現地のニーズに答える活動」自体の批判を想定するのなら、その現象の外的要因を分析することが大事で、批判者の心理を分析することにはさほど意味は無いと思われる。 http://t.co/dulFzbjd


2番目のコメント、「そもそも「クレーム」と…それは意見内容そのものではありません。」には唖然とするしかない。「意見内容」を第一に考慮しないという姿勢は理解に苦しむ。 http://t.co/dulFzbjd


批判を受ける側は、その内容をこそ反省材料として取り込むべきであろう。「良薬は口に苦し 諫言は耳に痛し」という古人の警句を真っ向から否定しているわけだが、それでよいのだろうか? http://t.co/dulFzbjd


このような断定が生まれた一つの可能性として私が考えたのは、「自分たちの方針とは異なる建設的意見の存在を認めないし、そんなものありえない」ということが暗黙の前提になっているのではなかろうか。。。しまった!私も他人の心理.. http://t.co/dulFzbjd


4番目のコメント、「たとえば……といった具合です」の文中、「とてもすばらしい活動」、「応援しています」の語句は不要でしょう(苦笑)そうすれば、自らの支援活動に対する反対意見でも西條氏が言う「さらっとした」言い方はいく.. http://t.co/dulFzbjd


14番目のコメントの文中にある言葉、「5%以内のミスや批判は気にしない」の意図する所が全く理解できない。(1)何をどう数えれば支援活動全体の5%がはかれるの?ww http://t.co/dulFzbjd


(2)その失敗したり批判された5パーセントに当たる支援を受けてしまった人は一体どうすればいいの?支援側が謝ってお仕舞い?それではあまりにも無責任じゃないのかしら? http://t.co/dulFzbjd


18番目のコメントでは「自由に生きる権利」とありますが、これはただの「権利」と言うべきでしょう。少なくともクレーマーは生きる権利までは奪いませんよ。批判するだけでしょう。他人の生きる権利まで奪おうとしたらそれは犯罪・.. http://t.co/dulFzbjd


同コメントの中で欠けている視点は、クレーマーが自由に生きる権利の擁護と、ボランティアの果たすべき義務「被災地と被災者に迷惑をかけない」でしょう。 http://t.co/dulFzbjd


19番目のコメントで「何もしなくてもよいから、黙っている勇気は持とうね(人の自由意志は妨げないでね)」と言いたくなるわけです。」とのお言葉ですが、ボランティアだって間違えることはありますよ。その時にこそ生きる批判でし.. http://t.co/dulFzbjd


20番目のコメントで「なぜボランティアが批判されるのか?」と問いかけていますが、これは問題設定そのものが大きすぎて見当外れですね。一般的にボランティアを否定・批判している人がいるのなら、こちらこそ知りたい。批判の対象.. http://t.co/dulFzbjd


21番目のコメントは、すごい上から目線ですね。誰にでも基本的人権はあると考えるのが当然だと思うのですが。。。 http://t.co/dulFzbjd


24番目のコメント「他人のあら探しをして、クレームをつけることで、……」と仰るとおり、私も西條氏のあら探しをしているし、西條氏ご本人も「クレーマー」という人格を一般化してそのあら探しをなさっている。しょせん同じ穴の狢.. http://t.co/dulFzbjd


26番目と28番目のコメントから分かることは、自分に都合の悪い批判は全て他人に責任転嫁を容認してしまう姿勢である。特に28番目のコメントの末尾「その人がそれを実践すればすむだけのこと」という発想が含意することの重大性.. http://t.co/dulFzbjd


他人が建設的アドバイスを実践すればよいという考えは、この他人が「その支援方法はストップさせた方がよい」というアドバイスを発する機会を封じ込めている。(やめろといったその人は、実践することが何も無くなってしまうわけでし.. http://t.co/dulFzbjd


コメント全体を総覧して持った印象は、自分たちの外部にいる「他者」の存在を完全に拒絶しているという態度の表明ではないとかというものである。一連のコメントの話者が批判者から学ぶという姿勢を見せず、また、支援される側の視点.. http://t.co/dulFzbjd


こんな私はどうしようもないクレーマーなんでしょうね。これが最後です。どうもありがとうございましたww http://t.co/dulFzbjd


あ、そうそう。もし私のコメントに批判があったとしても、それはさらっと流すような場合でなければ拒否していいんですよねww 私も一応、被災地支援の心積もりはありますのでww http://t.co/dulFzbjd
(2011.11.19.)


昨夜以来の支援活動についての議論を整理し、さらに補足として。組織内のボラ個々人が外部からのクレームに対して心労を負う必要は無い。対応は組織の仕事。だが、「クレームは受け流せ」という科白は組織の代表が大っぴらに公言すべきものじゃないだろ。
(2011.11.21.)


補足2。ある活動や思想に賛否両論があるのは当然。しかし賛否の内、「賛」しか認めず、議論の場への参加拒否を推奨するような組織は一体どうなのよ?と、悩む。相互的な意見交換・討議による建設的活動こそ学者・研究者の本領ではないのか?
(2011.11.21.) 


数値目標を設定してしまう時点で、なんじゃその支援?と思うんだよなあ。
(2011.11.26.)


大事なのは数値目標ではなくて、いつどのような段階になったら撤退・方針転換するかの想定でしょう。どれだけ中途半端に終ったプロジェクトを抱えてるか知らんけど。
(2011.11.26.)


今後の被災地支援は、金のかかる復興事業でなければ、成果がはっきりとは目に見えない支援へと移る。つまり、災害時ボラではなく平時のボラへ。それだけに、これまでのボラに対する個人の意識や考え方、生き方そのものが露骨に出ることになる。(平時ボラへの移行を理解できない団体さんは論外…)
(2011.11.29.)


と言って、お前はどうなんだ?という突っ込みには、ちゃんと答えを出す用意をしておかないと。>平時ボラ
(2011.11.29.)


眼前でその人が困窮する姿を見て、「可哀想」としか思えない人はボラをやめた方が良い。何よりも先に、その不条理を克服すべく、頭を使え。
(2011.12.05.)


電車で席を譲る行為と、被災地への物資支援。根底の気持ちは同じと思う。だが、席を譲った人に名前と住所を聞いたら変だろう。物資支援で被災者と繋がろう!という考えへの違和感はそこ。寂しい自分が誰かと繋がりたいから支援すると思う人がいたら、それはもう無償の善意じゃないだろう。
(2011.12.08.)


ツイッター上での建設的な提案、議論を端から拒絶していた某氏の様子をずっと横目で見ていたが、予想通りの結果に落ち着いたというところか。
(2011.12.09.)


ツイッターにはブロック機能がついてるから、批判しようにも本人に届かないケースがしばしば。それでは議論が成立しないよなあ。
(2011.12.09.)


文系・理系を問わず、住民の分断と対立を結果として招いてしまっている「専門家」がいるかと思えば、専門家であることをおくびにも出さずに被災地を回っている人もいる。役に立ってくれればいいだけの話なんだけど、なかなか難しいものです。
(2011.12.17.)


素人向けに話ができることと、素人のままの意識でいることは、天と地ほども価値が違う。ボラ活動を九ヶ月近くもやっている大学教員が、埒もない愚痴を公衆にさらす醜悪さは、哀れ。もっとボランティア論や災害復興時経済について、関連書籍を読んで欲しい。それが我々研究者の仕事。
(2011.12.21.)


ツイッター上で交わされた「名誉毀損」という言葉への懸念


ブロックされてる人の発言だから追いかけようがないんだが、ツイッターだけの発言を取り上げて、自分の団体に対する名誉毀損を特定するのは困難なように思う。過去に類似事例はあるのかな。著しい人権侵害事象をどの点から立証するのか。それよりも前に、どんな抗議クレームをその団体は発信してたんだ?

起訴するぞ云々の前に、言論による反論は行ったのかな?事実無根であることの意思表明をすべきなのか、それとも法廷戦術的に何か目算があるのか、わかりませんが。いずれにしても、公共の場でオープンな対話を放棄する、という意思表明がなされたように見える。

そもそも裁判所はこの手の訴状を受理するだろうか?…

訴訟戦略的にも、対外イメージ戦略的にも下手だよなあ、この団体… 事実無根であることをデータとともに提示して、それでも対話が進展しないので団体として起訴へ、という手順じゃないのかな。営利企業でもない、信用第一の団体なわけだし。うむ、雑感でした。

すごいよなあ。冬物家電は地元購入を否定していた同一団体が、地元小売店を盛り上げよう! なんて言ってるわけだから、矛盾してないか?こういうことをするから信頼されなくなるわけで。
(2011.12.23.)


だいたい、発言対象が特定できないコメントに対してイチャモンつける行為はそりゃアウトだろう、一般論として。

そんでもって、その不特定多数向けのコメントに特定の意味付けを与えて、情報拡散促すのは、典型的な煽動ですな、一般論として。

一方的な価値観に基づく情報が流れてきたら、当事者たちのやり取りを遡って参照する手間を惜しまないで欲しい。ツイッターはそれができるツールなので、その後に各自が判断をしていただきたい、一般論として。

この人だから無条件に情報拡散する、となってしまったら、そりゃあ信者ですはな、一般論として。「死んじゃやだ」と「信者やだ」は大違い、一般論として。
(2011.12.26.) 


ブレーキの無い車どころか、ハンドルすら無い車。アクセルだけあって、仮想敵への憎悪をエネルギーとして走る車。そんなのに乗りたいかな?一般論として。あのピースボートだって、反軍隊をテーゼにしながら、今回の震災では自衛隊と連携してたなあ… 付き合い方の問題は課題として残るだろうけど。
(2011.12.26.)


日本のボランティア風土か何かは知らないが、行き着く先が個人対個人の支援というのは余りにも発想が貧困では?個々人の間に社会やコミュニティーがあるわけで、その機能回復という支援思想を末端まで行き渡らせないと、いつまで経っても、個人対個人の初動支援だけで何とかなるという精神論は無くならないだろう。
(2011.12.26.)


ネット上の震災絡みの話題で、「提訴するぞ!」と脅しをかけている団体が少なくとも二つはある。何とも嘆かわしい。
(2011.01.13.)


Making of Review:書評の舞台裏(Ⅰ)


タイトルだけ見てもすんごい自画自賛の著作が出されるようですねwww 

読んで批判しなきゃいかんのかなあw

まあ、自説の宣伝も兼ねていらっしゃるようだから、そのあたりを突っ込めばよいかww

ちょいと落ち着くかw

すんごいなあ、売り上げ・収益金は自分の団体に寄付かww 自治体や日本赤十字社じゃないのね。まあ、さんざんその方面を批判しているからそりゃ最初からありえないかww

うーん、そうか。支援活動の自己啓発本という新しいジャンルの本が出たわけねww

調布駅前の本屋、2軒ハシゴしたけど、売ってねー!ww
(2011.02.17.)


(新宿まで行って)買っちまったよーーww
(2011.02.18.)


すげーなあ、ボランティアの活動記録の本なのに、「ボランティア論」に関する文献が一本も引用されてないぞ。。。 研究者としてこれでいいのか?。。。

老婆心ながら、お世話になった方のお名前を、章や節のタイトルとして使うのならば、せめて「○○氏」や「○○さん」とした方がよいと思うなあ。

あらゆる場面で「鶴の一声」がなければ動かない仕組みは、そもそもまずいんじゃないのか??

緊急時にトップダウンでしか意志決定できないように思い込まされている組織は、他の分権的・自律的なサブ・システムの介在を許容できないのではないか。

トップダウンでの案件処理を狙い、トップとコネを持つ人間が利益誘導できる範囲は、そのトップが「軽い」(自分の権限で処理可能)と判断したもののみ。(正確にはトップダウン組織でないが)どんなに国会議員にコネがあったとしても、その地域の瓦礫処理にその議員を動かせない現状が良い例か。

個人の体験・感想を、そのまま組織論の原理として採用することの危うさ。その組織の末端まで、その体験は共有され、良好に機能できるものなのか?あらゆる批判と議論の可能性を含んだまま、組織が維持されていく現実をどのように克服するのか?そのように甘い前提のままで。

セコイ問題をトップダウンで解決させて、それの利かない問題には手も足も出ない。そんなところか。それにしても、とことん、他者の出てこない物語。それに酔える感覚こそ自己陶酔か。。。
(2011.02.21.)


複数組織論じゃなくて、単独組織論か。他者との関係性を構築できないまま自己完結してしまう支援組織には、被災者との関係性構築は期待できないわけだな。

しかしまあ、こんなに個人情報晒しまくって大丈夫なのか?かと思いきや、キーパーソンに違いない人の存在が煙に巻かれたように描かれている。この非対称性は一体何だ?あ、もしかして。。。

東北の経済状況と家計に関する致命的な誤認あり。現状では相対的に、年金収入のみの家計の方が余裕あり。(半壊被災地では。)単純に失業人口が増えただけ。ここに面倒な理屈をこねる必要はない。

(1)状況、の説明はあるけど、(2)目的、の説明が全く無いぞ?え、自明だから?

ツイッター上で「名誉毀損」と叫んだり、ブロックしまくってるこの人が、よもやこのような文章を書いたりなどはしていまい。

ある特定の状況っていうのが、例外じゃねーの?

状況をトップダウンにコントロールしようとは思わなかった人が、国会議員や副知事を使って局面を打開しようとしたわけか。。。 どっちなんよ。。。

一冊の本にまとめて編集すんなら、矛盾する内容ぐらいチェックせにゃああかんだろ。。。

条件を整えるために分断を促進してしまっては、元も子もない。住民と行政の間、ボラ同士の間、住民同士の間。「何が前向きか?」だって、人それぞれに違うわけだから。逆に、協同の発想はないのか?

今度の震災では、行政側にもすべてを失った人たちがいたわけだから、前を向いて生きていこうと思えるような条件を整えるために、やっぱり行政をサポートしてやれよ!これはやはり著者が言う「特定の状況」なのか?

うーむ、家族経営プロジェクト。。。 最大級の支援組織の末端がこれか?運送関係者との連携はどうなったんだ?。。。

涙ぐましいけど、なんか、しょぼくね?。。。

よーし、とりあえず読んだぞ~ ちょっとだけ寝よう。おやすみなさい。
(2011.02.22.)


馬鹿の一つ覚えだけど、ボランティア、支援活動にもキー・コンピテンシーの概念を使って行動原理を説明してもよいかもしれない。

「どんなに組織論を精緻にしても、ボランティア論への還元がなければ意味がない」これを例えると、「どんなに養豚経営論を精緻にしても、イスラム文化圏には受け入れられない」。
(2011.02.23.)


もう少しで書評の原案がまとまりそう。

そろそろ帰って原稿執筆に勤しみます。とりあえず「はじめに」の部分は書いた。いったん離脱。

うーむ、「夜郎自大」という言葉を使わずにその意を伝えることは、なかなか骨の折れる仕事である。
(2011.02.25.)


執筆の中休み。大学前の天神通りで軽く一杯。頭を冷やして別方向から構想を練り直し。仁平氏が言う、ボラ活動にまつわる「贈与のパラドックス」を如何に解消したかが日本のボラの歴史に伏在していたが、徹底的に他者との関わり、他者からの視点を排除して対応したのが、あのPJなんだと納得。

さて、帰ったら、ボラの戦後史とのすりあわせの箇所を書くか。。。 70年代以降、「ボラで自己実現!」と言われ始め、社会保障の一翼を担う補助としてボラが組み込まれ、「有償ボラ」が成立。そしてNPOの時代へ。ネオリベの帰結か。。。 仁平氏の本でまとめると。
(2011.02.26.)


うーむ、下品な文章なら幾らでも書ける自信はあるのだが。。。

支援活動に勝ち負けなどない。勝ち負けなどと言った時点で、何か虚しくなる。
(2011.02.27.)


人の批評だとあっという間に50枚書いてしまう俺って、つくづく嫌なヤツだな。普段の原稿も、それくらいサッサと書けよww

「なぜ素人がそこまでやるのか?」という問いに答えられる意識の持ち主なら、現場の作業は専門家に任せろ、という結論になるはず。なんでそれがボランティアに話が向くと「素人であること」が免罪符になってしまうんだ???優しい精神主義とでもいうヤツかな

だいたい、論文などを書く商売をしていると、「参考文献」・「先行研究」に偏りがある文章を書けば、それだけでボツになってしまうんだが、ある業界ではそんな最低限のルールさえ守られてないのかね~

「思いやり」の支援と、「思いつき」の支援は、天と地ほども違う。

いつもの毒舌モードになりつつあるw
(2011.02.28.)


自分に仕事をさせるために、今日こそ文章を仕上げるぞ!と宣言しておく。

うーむ。めんどくさい言葉を取っ払ってしまうと、「成金社長の体験談」にしか過ぎない本をまじめに読むのは辛い。

いつになく支離滅裂な文章になりつつあるな。。。 帰宅したら最終調整しよう。
(2011.02.29.)


   To Be Continued ............


凡例



・2011年2月12日~2012年3月13日までの間にTwitterで呟いた、歴史学、科学史、大学での講義といった、アカデミックに関わる話題をまとめたもの。

・末尾の数字は呟いた日付。

・個人的なメモがほとんどの内容。出典は必要最低限の文献名のみを提示している場合が多い。

・誤字脱字、若干の訂正を施した箇所がある。


本文


再び芦東山記念館


今日は先月に引き続き、一関市大東町の芦東山記念館で調査。元禄年間に書かれた大工向けの指示書(雛形)があったので、それを熟覧の予定。それから新しく出てきた和算書。やはりこの地区は凄まじいまでの向学心の高さがあったと実感する。後から後から和算書が出てくる。


今日も幾つか和算史料を見たが、明治になってから、西洋天文学の知見と関流和算を豪快にドッキングさせたものは初めて見たなあ。ついでに、関孝和の伝承が見事に的を外してるし。まあ、数学の内容はまともだから良いのだが。


【特別展】芦東山記念館、「一関市大東の文化財」、3月4日まで。中世の鉄製鋳造十一面観音立像、南北朝期作の前立、蕨手刀、芦東山書「百寿」、『天文平天儀』、他を展示。/今回の震災の難を逃れた文化財でもあり、貴重な地域資料の数々です。 
(2012.02.12 - 13.)


目黒の都立写真美術館で、フェリーチェ・ベアト展。面白そう。毎年、技術史の講義で彼を紹介するが、幕末・明治初期の日本を撮り続けた漂泊の写真家。日本人が忘れた日本の姿を見られるのが魅力。なお、ベアトは没年不明。ビルマの奥地で家具販売をしていたのが最後の消息という不思議な風来坊。
(2012.02.13.)


神社に奉納する絵馬って、平安時代ぐらいまでは本物の馬を奉納してたんだけど、後になるほど手抜きと節約のために、絵にかえられちゃいました。バレンタインのチョコもいずれ面倒になって、「絵チョコ」や「チョコメール」のやり取りになってしまうことでしょう。
(2012.02.14.)


今日、天文台で見た中国の暦算書、『数理精蘊』の対数表の冊子には、「明時館図書印」の蔵書印があった。これは幕府の天文方、渋川家の蔵書印。紛らわしい冊子構成の中に一冊埋もれていた。対数表を彼らも見ていたことは知っていたけど、とりあえず、現物史料が出てきたということで、落着。
(2012.02.16.)


江戸時代のコンパス


先日買った江戸時代の測量術史料の話。製図用具のコンパスは外来語として既に定着していたが、紙面に次の語句が書いてあり眼を疑った。コンパスのことを「阿蘭陀ニテハ円規(コンハス)ト書、フランス国ニテハ渾発(コンハス)ト書」と。うーむ、ヨーロッパで漢字使うわけねーだろ。。。

先ほどの「コンパス」の写真 http://t.co/D2fRfYav  
(2012.02.20.)


本郷の調査史料


明治の博物学者・田中芳男のスクラップ・ブックに、現在の宮城県石巻市渡波地区で採られて製品化されたきんこ(ナマコの一種)の缶詰(?)のラベルがあった。そのラベルの英文表記では、渡波のことをTONAMIと書いている。昔は「となみ」と読んでいたのかな?。。。


今日見た資料。国学者・小中村清矩(1821-1895)関係資料。『故事類苑』編纂で知られる小中村の旧蔵書が東大総合図書館に収蔵されている。雑文の草稿、明治初期の官庁(文部省・教部省etc)文書の下書、写しなど多数。特に興味を引いたのが、井上毅の草稿類がなぜか混じっていたこと。


まだ詳しく見ていないので経緯はよく分からないが、井上毅の草稿類を小中村が多数所持していた模様。一点だけ紹介すると、井上のメモ書きで「大坂 途上行倒死者ノ比較」というものがあり、明治17年度の行倒れ死者は97人、明治18年度の死者は362人とある。さらに、。。。


明治18年から19年にかけての調査と思われるデータとして、大坂警察署管区内に乞食が17,276人、赤貧が44,353人いたとも記されている。この時、大坂で何があったのか?淀川水系で大規模な洪水被害があったとのこと。どうもこれに関わるデータのようである。(F田さんご教示多謝!)


それにしても田中芳男といい、小中村清矩といい、明治初期の学者たちの資料収集量はハンパじゃない。博物学の田中、国学の小中村。小中村関係資料の中には全国の神社の由緒や縁起を集めた資料も紛れ込んでいる。一部研究者の間では著名であろうが、彼らの総合的な研究があると面白いかもしれない。 
(2012.02.17.)


旧暦の話


今日は2月29日ということで、4年に1度訪れる一年の日数の「端数」につじつまを合わせる日。これが、江戸時代まで使われていた旧暦(太陰太陽暦)だと、1年=13ヶ月の年を作って季節と暦にずれが生じないようにしていました。今思うと、豪快なまでの日付操作です。


旧暦の話のついでに。1年に13ヶ月ある年の余計な月を「閏月」と言います。月の満ち欠けで1ヶ月を計ると29日か30日。それを12倍すると大体354日しかならず、太陽の公転周期で計った1年=約365日との間に毎年11日ぐらいのずれが生じてしまうわけです。そのずれを直すのが閏月。


問題は、どのタイミングでその閏月を設定するか。季節の目安として立春、雨水……といった24節季があります。1ヶ月の間に24節季の2つが入るように旧暦は設定されていますが、たまに1つしか入らない「変な1ヶ月」が発生します。これを「閏月」とするわけです。


以下の話は暦研究者・岡田芳朗先生の本にも載せられているものだが、日本が旧暦から今の太陽暦に突然変更になった裏の理由。(明治6年のこと)当時から明治政府の官僚は月給制。ところが閏月が入ると1ヶ月分余計に支払わねばならない!そこで経費を節約するために太陽暦を採用したと。


この太陽暦採用を決断したときの責任者は大隈重信。一方、突然カレンダーを変えられた庶民は大迷惑。「太陽暦って何だ?」ということになって、『改暦弁』というパンフレットを書いて大儲けしたのが福沢諭吉。いやあ、こんな所で早慶の創設者がペアになって出てくるなんて。面白い歴史。


月の満ち欠けで1ヶ月を計るとハンパな数になるので29日(小の月)か30日(大の月)にします。この大小の月の現れ方も不規則。江戸時代までの人々は、来年が何日あるのか、1ヶ月はそれぞれ何日あるのか分からない状態で、年末に幕府公認の暦が出るのを待っていたわけです。


江戸時代の商いは月末締めが多かった。そこで、今月は大の月なのか?小の月なのか?が重大問題となる。特に金貸し、両替屋などは切実。誰が考えついたかは知りませんが、店の前に大きく「大」と「小」の文字を裏表に書いた看板をかけて見分けるようになりました。


「大の月」と「小の月」を見分けるための看板。2006年に佐渡島で撮影。 http://t.co/cxQmgq3F


こちらは裏の方で「小の月」を表します。 http://t.co/fv0m3V4w


1年の日数が毎年変わり、月の大小も分からない。そんなことで江戸時代の人は「予定」を立てられたのか?閏月に生まれた人は一生の間に二度と誕生日を迎えられないのではないか?そんな心配は無用でした。祭などの行事は大体動かない日付に設定し、正月元日にみんな一斉に年をとる。


江戸時代の暦を実質的に作っていたのは幕府の天文学者。一方、民間にも天文学者はいて、年末になると来年の暦を自分で計算して、幕府公認の暦と照らし合わせて楽しんでいる人が結構いました。日食の予報では、民間の学者の方の計算が当たって、幕府が赤っ恥をかいたこともありました。


ある年代記史料に全く「閏月」の記載がないのは不自然ということで偽物とばれてしまったケースがあります。それから「暦」は消耗品です。皆さんも去年の暦など持っていませんよね。もし蔵の中や押入から古い暦が出てきたら、現代の物でもぜひ大事にとっておいて下さい。貴重な資料です。


ありがとうございます!お手数おかけいたしました。 RT @hashimoto_tokyo 【佐藤賢一先生による「閏月」解説】をトゥギャりました。佐藤先生 @ke_1sato は江戸時代の科学史がご専門です。 http://t.co/rKiGPMsG


岡田先生の『明治改暦』(大修館書店、1994年)が参考になります。 http://t.co/rKiGPMsG  
(2012.02.29.)


幕末や明治初期に、下岡蓮杖やF.ベアトが撮影した古写真を見るのが好き。当時の人々が生き生きと写されている。特に、写真の中で無邪気に笑う子供たち。この後、この子達はどんな人生を送ったのかな、と、ふと考える。激動の時代を無事に生き延びただろうか、と心配してしまう歴史家の性。
(2012.03.03.)


国絵図の研究会


おはようございます。今日は本郷の史料編纂所で国絵図の研究報告会。日本史・地理学史の方々に混ぜてもらって参加している「外様」(笑)ですが、異分野交流はやはりいいですね。今日は拙文を収録してもらった『絵図学入門』が論評もされるのでドキドキ。


東大、福武ホール地下。これから、科研基盤(A)「地図史料学の構築の新展開」(代表・杉本史子)の研究成果報告会に参加中。しかし、まあ、分厚い報告書になったもんだ。 (^-^)


科研メンバーと飲み会終了。代表の杉本先生と、東文研Y氏、芸大A先生と。全然バック・グラウンドの違うメンツと飲むと楽しいですな。まさか、自分の生涯で最近、こんなに芸術関係の皆さんとお近づきになれるとは思ってもいなかったので、ありがたいことです。やっぱ芸大は普通の国立大と違う。。。 
(2012.03.07.)


小中村清矩史料


今日、本郷で見た史料。前回と同様、国学者・小中村清矩の関係史料を調査。彼は、明治10年代の後半、東大教授(古典講習課)であったが、その時、法学部・国書課・漢書課の学生に課した、学年末・学期末の試験問題が出てきた。小中村、自分の出した過去問を使い回ししてるww 今と同じだな。


小中村が明治17年6月に法学部学生に課した試験問題の一部。令義解などに基づく法令沿革。「男子所授ノ口分田二段ノ収穫ト田租ノ高トヲ今升ニ比量セバ如何…令ノ大小尺ヲ今ノ曲尺ニ比量セバ如何」など。古来の度量衡の知識を問う問題がオンパレード。これって、日本初の科学史試験問題じゃない?


この問題が収録されている雑書類のまとめは、『東京大学国書課関係書類』(A00-6153)。当時は公文書だろうが下書きだろうが、自宅に持ち帰ってたのかなあ。小中村の蔵書印を押した東京大学の原稿用紙がやたら多い。学生の試験成績を原簿に付ける前の下書きなんかもあった。


(自分が面白いのでメモ)小中村は官報に基づく情報で、明治25年末時点で人口が5万人以上の「市」を抄写している。全国41市の内17市が該当。以下、その内訳。/「東京 1,237,592人」「京都 307,251人」「大阪481,104人」「名古屋 180,198人」


「仙台 64,942人」「金沢 91,201人」「冨山 58,460人」「広島 85,430人」「和歌山 55,340人」「徳島 60,956人」「福岡 53,691人」「熊本 54,068人」「鹿児島 56,066人」「横浜 143,608人」


「神戸 148,519人」「長崎 62,138人」「新潟 49,258人」(新潟だけ5万人以下だが。。。)原文は漢数字で表記されている。個人的には明治25年の都市の規模が分かってありがたい。小中村が最後の4市としてまとめているのが国際貿易港であることも興味深い。 
(2012.03.13.)