行雲流水~へき地の一人病理医の日常

行雲流水~へき地の一人病理医の日常

兵庫県の赤穂市民病院に勤務する病理医です。学士編入学を経て医学部に入学し、2004年卒業。病理専門医、細胞診専門医です。

デザインを7年ぶりに変更!ストップ風疹!(2013年12月10日)


デザインを思いっきりシンプルにしてみました。中身勝負?!(2006年7月27日)

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 大変ご無沙汰しています。amebloにはまったく触れてもいなくて、メッセージやコメントなどみていませんでした。申し訳ありません。

 予定通り、3月末で近畿大病院を退職し、兵庫県赤穂市にある赤穂市民病院に異動しました。

 赤穂市民病院は、新快速の始発、終着駅の播州赤穂駅から徒歩20分。兵庫県からはへき地医療拠点病院に指定されている病院です。

 また、地域がん診療拠点病院にも指定されています。一言で言えば、赤穂市民病院は播磨地区西部や岡山県東備地区のがんの治療を担う病院です。

 地域がん診療拠点病院として認定される要件には、病理診断のことが多く挙げられています。ちょっと長いですが引用します。

「がん患者の病態に応じたより適切ながん医療を提供できるよう、キャ ンサーボード(手術、放射線診断、放射線治療、薬物療法、病理診断及 び緩和ケアに携わる専門的な知識及び技能を有する医師その他の専門を 異にする医師等によるがん患者の症状、状態及び治療方針等を意見交換 ・共有・検討・確認等するためのカンファレンスをいう。以下同じ。) を設置し、その実施主体を明らかにした上で、月1回以上開催するこ と。なお、キャンサーボードを開催するに当たっては、以下の点に留意 すること。
i キャンサーボードには治療法(手術療法、薬物療法、放射線療法 等)となり得る診療科の複数診療科の担当医師が参加すること。ま た、緩和ケア担当医師や病理医についても参加することが望まし い。」

術中迅速病理診断が可能な体制を確保すること。なお、当該体制は遠隔病理診断でも可とする。」

病理診断又は画像診断に関する依頼、手術、放射線治療、薬物療法又 は緩和ケアの提供に関する相談など、地域の医療機関の医師と診断及び 治療に関する相互的な連携協力体制・教育体制を整備すること。」

専従の病理診断に携わる常勤の医師を1人以上配置すること。なお、 当該病理診断には、病理解剖等の病理診断に係る周辺業務を含むものとする。」

 なお、専従とは「当該診療の実施日において、当該診療に専ら従事していることをいう。この場 合において、「専ら従事している」とは、その就業時間の少なくとも8割以上、 当該診療に従事していることをいう。」とのことです。

 長くてわかりにくいですが、地域のがん診療を担う拠点病院には、常勤の病理医が必要ということです。

 その常勤病理医として、私が赤穂市民病院に赴任したわけです。

 言ってしまえばへき地の病理医です。更にいうと、病理医の同僚はいないので、へき地の一人病理医ということになります。

 都会でも病理医は不足しているのに、なぜわざわざへき地?という疑問もわくと思いますが、前にも書いたとおり、2009年から2011年まで2年間、この病院に勤務していたことが大きな理由です。


 人口5万人を少し切った市ですが、全国的にも忠臣蔵で知られる赤穂藩があった場所ですから、歴史好きにはたまりません。

 赤穂の一人病理医です、といえば、ああ、あの赤穂ですか!と初対面の人にもすぐ分かってもらえますしね。そのあと病理医って何かを説明しないといけませんけど。

 へき地のがん診療連携拠点病院で一人で病理診断を担うという責任の重さに身が引き締まる思いがすると同時に、地域の方々の健康のために貢献できるということに、大きなやりがいを感じています。

 私の着任と同時に、病理診断科を開設していただきました。以前は病理科だったのですが、標榜科名にしていただきました。

 病院からも期待いただいているようで、ホームページや市の広報でも病理診断科開設を宣伝していただきました。


 一人で勤務なんて不安だし大変でしょう、と言われる方もいらっしゃると思いますが、10年前に勤務したときにはなかった遠隔病理診断(デジタル病理診断)が導入されていること、一人病理医支援のAI(人工知能)の開発が進んでいることが大きな安心材料です。


 こうした技術はへき地でこそ生きます。赤穂はまさに課題先進地なわけです。

 というわけで、まだ赴任一ヶ月ですが、非常に充実した日々を送っています。かつて勤めていた病院だし、ずっとアルバイトで通っていた病院なので、勝手知ったるという感じですが、8年ぶりの常勤ですから、人も場所も変わってます。とうがたった新人として雑巾がけからスタートです…大げさですね。


 赤穂生活も楽しく満喫しています。食べ物も美味しいです。

 仕事帰りにお城を散策するのも日課になっています。





 まだ一ヶ月なんで、これからが本番です。地域住民の皆様のために病理診断の質の向上に全力で取り組んでいきます。また、情報発信ももっとやっていきたいと思います。
 三が日もあっという間に終わってしまいました。

 プノンペンから戻って以来、いまだ消化器症状があり、一時期三キロ痩せましたが、何だかんだと食べてたら元に戻りました…。



 横浜の実家に帰省していました。恒例の箱根駅伝を応援に行ったりと、リラックスして過ごすことができました。横浜ではボケとツッコミをする必要がないので、大阪にいる時よりちょっと楽でしたσ^_^;

 さて、2019年のことを書きます。

 すでに書いた通り、近畿大学附属病院を3月末で辞めます。平成と共に去りぬ、です。ただ、まだ全てが口約束なので、手続きなどはこれからです。

 既に辞めることを公にして3ヶ月が過ぎましたが、なかなか長いですね…。辞める予定の人間は来年度のことには関われないわけで、こういう状態を「死に体」とか「レイムダック」というのでしょうが、なかなかにもどかしい。

 とはいえ、プロとして、業務を最後の日まで熱意を失わずやり続けていきます。

 4月からは赤穂市民病院に勤務しますが、病理医の諸先輩方にこのことを言うと、大抵「どうして?」と驚かれ、時に「なぜ俺に相談しなかったんだ」と言う方もいます。

 うん、いい感じだ。だって反対が多いほど常識外だってことですからね。いいチョイスだったと思います。誰にも相談しなくてよかった。

 「常識」からみたら、終身雇用の大学講師を辞めちゃうのもなぜ?だし、僻地で一人病理医やるなんて、普通しない選択です。

 でも、その常識外の選択で「レアカード」ゲットできるんですよ。その先には…。

 おっと、ここからは行動で示しますんで、よろしくです。

 そのほか、昨年立ち上げた一般社団法人カセイケンの活動も順調です。

 今年は異動を契機に人生を整理して、後半生に備えたいと思っています。

 今年もどうぞよろしくお願いします。


 2018年12月20日から25日まで、仕事でカンボジアに行っていました。

 なぜカンボジアか…。

 ここ数年、国立国際医療研究センター日本産科婦人科学会日本臨床細胞学会が、子宮がん検診の導入支援などをカンボジアに対し行ってきました。

 その中で、病理医がいないと、検診後の診断、治療がままならないということで、病理医の育成が急務になりました。

 そこで、病理医育成のコースが立ちあがりました。一期生が3年の養成課程を終え、二期生を募集しているとのことです。


近年、カンボジアでは疾病構造の変化と、医療技術の進歩により、より質の高い診断を求めるために病理診断に対する需要が高まってきました。しかし、カンボジアの病理の現状として、1400万人の人口の国内にいる病理医は現役でわずか4名、病理検査の可能な公立病院は3施設しかありません。病理技師は15名程度いますが、技師学校では病理を学ぶ機会がなく、職場で仕事を覚えている現状です。大学側としても、国内で教育を行うための教員の人材不足に悩まされています。 そこで我々は、2017年より医療技術等国際展開推進事業を活用して「カンボジア病理人材育成・体制整備事業」を開始し、病理専門医と技師の技術指導や講義、本邦研修などを行い、カンボジア病理のシステム強化に携わってきました。」

 病理医育成事業に携わっているのが、私と同じ近畿大学に所属している若狭朋子先生であり、その関係で、近畿大学がカンボジアの健康科学大学と協力協定を結びました。

 そこで、近畿大学の病理医として私に白羽の矢が立ち、若狭先生とともにカンボジアに行ったわけです。

 私に課させた任務は、カンボジア人医師、臨床検査技師たちに、免疫染色のベーシックを講義するということ。

 免疫染色の専門家でもない私がそんな講義できるのか…。大いに悩みましたが、まだ限定的な免疫染色しかできないカンボジアで、免疫学の基礎も含めた免疫染色の理論を教えればよいと言われ、それならばと引き受けた次第です。


 というわけで30度を超える乾期のプノンペンにやってきました。まず驚いたのは交通。車、バイクなどが、信号もない道路を巧みに走っていること。日本の援助だそうですが、日本そっくりの信号機もあちこちにできてはいましたが、まだ一部にとどまっています。


 日本の支援が入っているのは3つの病院で、その一つのクメールソビエト友好病院の病理部門の様子。3病院はそれぞれ異なっていますが、日本の臨床検査技師の方々の指導で、作成する標本の質が上がってきているとのことでした。


 私の講義の様子。2時間英語でやりました。なお、カンボジアはクメール語が第一言語で、第一外国語がフランス語。英語は第二外国語なんですが、ここにきている人の多くが英語もある程度できます。なお私の第二外国語はロシア語ですが、挨拶程度しかできません…。

 詳細はいずれどこかにきちんと書きますが、ここはざっくばらんに感想などを。


 カンボジアの病理医たちは非常に熱心に病理診断技術の向上に取り組んでいました。このコースは倍率も高かったそうで、カンボジアのエリート中のエリートが選ばれていたのでしょう。彼ら、彼女らがいればカンボジアの病理診断の発展は間違いなしでしょう。

 とはいえ綺麗事ばかりは言えなくて、まだまだ課題は山積みです。質の良い標本を作り、質の良い染色をし、質のよい診断をする。どのステップにも課題があり、国際基準には達していません。

 カルテが存在しないカンボジアの医療の中で、どうやって正確な臨床情報を知ることができるのか、厳しい現実があります。

 いま二期生を選定中とのことですが、今後も長く継続して支援していく必要があります。

 しかし、継続して支援していくには、財源を継続して確保する必要があります。関係者の皆様のご支援をお願いしたい次第です。


 これは臨床病理検討会(CPC)の様子です。一つの症例を多様な立場の人が忌憚なく議論するということも、想像以上に大変なことで、関係者のご尽力でなんとか形になってきたそうです。


 信号が見えます。なんどもカンボジアに来られている若狭先生が、繰り返し「これはすごいことなのよ!」とおっしゃっていました。


 プノンペン市内には巨大なガラス張りのビルがあったりします。中国資本が多いです。


 ホンダのバイクは圧倒的なシェア。


 イオンモールも二つあり、2023年には三店舗目ができるそうです。写真は今年できた第二店。しかし極度乾燥(しなさい)とは?!


 イオンモールの裏側。開発途上という感じです。


 トゥールスレン虐殺博物館。この国を語る上で避けて通れないのがクメールルージュの虐殺の歴史。いまご存命の医師たちは、メガネを捨て、身分を隠し農村に潜み、その時代を生き抜いたそうです。



 クラタペッパー。日本人の倉田浩伸さんが立ち上げた事業で、質のよい胡椒が人気です。



 クメール料理。野菜中心。

 ものすごく久しぶりの更新です。

 

 前の記事から5年間。何をしていたかというと、近畿大学医学部附属病院に勤務しながら、さまざまな活動をしていました。

 

 Yahoo!ニュース個人に記事を書かせていただいたり、STAP細胞の事件をきっかけにメディアに出るようになったりと、私を取り巻く状況はだいぶ変わりました。

 

 近畿大学の病理診断科にも新たなメンバーを迎え、職場の環境も変わってきました。

 

 こうした状況のなか、私は今後の生き方に重大決断をしました。ここでその決断を皆さんに説明させていただきたいと思い、5年ぶりに記事を書こうと筆を執った次第です。

 

 Yahoo!ニュース個人に書くほどのニュースでもなく、別ブログ(科学・政策と社会ニュースクリップ)に書くほどニュースでもなく、ここしかないかなと思ったわけです。

一般社団法人カセイケンの設立

 2018年10月4日付けで一般社団法人科学・政策と社会研究室を設立しました。今はなきNPO法人サイエンス・コミュニケーション(サイコムジャパン)を内部対立で辞めてから9年、ようやく念願の法人を立ち上げることができました。まだホームページなどを整備していないので、とりあえず新法人の情報は別ブログに書いていきます。

 

 今回は非営利型の一般社団法人でして、内部対立しないように、信頼おける仲間と数名の小さな組織でやっていきます。

 

 愛称はカセイケンです。タコのような火星人のマスコットを作ろうとしてます。タコの足は8本。8本足の火星人、「ハカセ」という意味もあります。こじつけですが…。ザ・ペンギンズfromマダガスカルに出てたタコのデイブみたいなイメージかな?

 

 法人のミッションはサイコムジャパンと同じ「知を駆動力とする社会」を目指すこと。サイコムジャパンのころからやっている科学技術政策のウォッチや、博士号取得者に代表される人材のキャリア問題などを今まで以上にしっかりやっていきます。科学の知が今以上に社会に活かされ、知を生み出す人々が今以上に社会で活躍することで、現在の人類が直面しているさまざまな課題を解決することができるような社会を目指します。

近畿大学を退職

 この一般社団法人の設立を機に、今までお世話になった近畿大学を退職します。すぐ辞めるわけではなく、来年3月まではきっちり勤めますが、大学教員としての生活に一区切りしたいと思っています。

 

 7年前に近畿大学に来てから、本当に貴重な経験をさせてもらいました。近大革命の真っ只中に身を置き、テレビなとにも沢山出させてもらいました。本当にいい経験でした。今年の1月には近大メディアアワード第3位という賞までいただきました。とくに医学部の総務広報課の皆様には大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。

 

 病理医としても、他人の飯を食わなければ一人前になれないと飛び込んだ、近大出身でもない私を、スタッフの皆様は大変よく指導してくださいました。近畿大学に来てから、病理専門医(受験は近大に来る前日でしたが)、細胞診専門医、病理、細胞診の指導医、日本病理学会評議員など様々な資格も取得できました。これもひとえに近畿大学病理学の皆様のおかげです。臨床検査医師さんや事務の方々はじめ、スタッフのみなさまに感謝いたします。

 

 決して近畿大学が嫌になったわけではありません。近大には感謝しかありません。近大辞めたらテレビにはあまり出られなくなるなあと思ったりしていますが、よりやりたいことができたので、辞める決断をしました。

 

 辞めるのにはいくつかの理由があります。


 大学病院に勤務する病理医は、たいてい専門臓器を持つのが常です。近畿大学でも肺病理や真菌感染症、神経病理の専門家がいます。

 

 ところが、私は一つの領域に絞ることができませんでした。興味が沸かないといいますか、いろいろな臓器を診断するほうが性に合っているといいますか…。このあたりは、病理医マンガのフラジャイルにも描かれているところですが、専門特化とジェネラルという方向性の違いですね…。

 

 また、大学ではやはり論文を書き、業績をあげていくことが重要です。近畿大学も、タイムズハイヤーエデュケーションの世界大学ランキングで、私立大学では日本で上位にランクされるなど、研究論文を書くことが重要になっています。そんななか、専門領域がない、日々附属病院の病理診断に追われているという理由もありますが、病理学に関しては症例報告しか書いていないといううしろめたさがありました。

 

 50代を目前に、大学における身の振り方を考える時期に来ていたわけです。

 

 幸い7年勤務して、一つの学年が入学して卒業し、研修医になるような長い時間をいただくことができました。2013年に学生の担任になりましたが、その学年が今年度で卒業という区切りを迎えます。

 

 残念ながら、7年かけても近畿大学に来るときに目標としていた、近大出身の病理医を育てるということはできませんでした。いろいろ努力はしたのですが、新人は獲得できませんでした。ひとえに私のアプローチの仕方や努力不足が原因であり、次の世代にバトンタッチしたほうがいいのかなと思ったのも理由のひとつです。幸いにも、他大学出身のやる気もあり、実力もある病理医が近大に加入してくれたので、安心して後を託るのです。

再び赤穂へ

 来年4月からはもといた赤穂市民病院に戻ります。私が辞めてからずっと常勤病理医がおらず、申し訳なく思っていたのもありますが、医師不足に苦しむ西播磨医療圏唯一の常勤病理医として地域医療に貢献したいと思い、決断しました。この決断を理解し許してくださった近畿大学に御礼申し上げます。

 

 この決断を後押ししたのは遠隔病理診断の進歩とAIの進歩です。

 

 僻地の一人病理医でも、遠隔病理診断とAIがあれば都市部と遜色のない病理診断を提供できるはずだと思っています。幸い神戸大学病理診断科からの支援もあり遠隔病理診断はすでに一部実現しています。病理診断革命を現場で経験できる環境が整いつつあるのです。

 

 現在日本病理学会はAMEDの予算で、国立情報学研究所などと共同でデジタル画像のアーカイブを行っており、今後一人病理医支援のAIの作成を行う予定です。日本病理学会の倫理委員として、AMEDの事業の審査をするなかで、これは将来性があると確信するに至りました。


 また、赤穂は興味深い街なんです。ご存知赤穂義士は言わわずもがかですが、恐竜時代のカルデラの中にあるというのも面白いですね。タモリだったら飛びつきそうな街です。

社会のなかで生きる

 最近悲しい事件がありました。移転直前の九州大学箱崎キャンパスで、憲法学を研究していた46歳の男性が、貧困のなか焼身自殺をした事件です。

 

 同じ歳の男性が、絶望の末自ら命を絶つという悲しい事件を知り、思ったことがあります。

 

 問題は若手研究者問題ではない。政策や関心から取りこぼされた人たちがいる…。

 

 また、私は常々博士号取得者は社会の様々な場で活躍できると言っておきながら、その私が大学に所属しているという矛盾をどう考えるのか…。口先だけでいろいろ言っていてもだめだ、身をもって証明しなければいけないと…。

 

 私自らが、いわゆるロールモデルとして、生き方を示していかなければならないと…。

 

 幸いにも環境は整いつつあります。オープンアクセスはだいぶ進んできました。DIYバイオなど、ウェットな科学(試験管を握る研究)を自宅で行う人も現れています。スマホ一つで大学に所属しなくたっていろいろできます。

 

 医療の世界では、上昌広先生率いるNPO法人医療ガバナンス研究所のように、大学に属さず論文をどんどん書く集団も現れています。

 

 科学技術政策ウォッチなどはカセイケンでやります。大学に所属していては大学を相対的にみることができず、政策を客観的に見ることはできません。利益相反といいますか…。もちろん大学と敵対関係になるというわけではありません。日本の科学技術政策をよりよいものにするためにも、第三者的な立場からの批判は重要だと思っています。

 

 そして、政策から取りこぼされた人たちのキャリアの問題もしっかりとやっていきます。

 

 研究公正の仕事は一般財団法人公正研究推進協会で続けていきます。医師の働き方の問題などは一般社団法人全国医師連盟で、中高生向けの活動は関西科学塾でやっていきます。どれもいわゆる民間団体ですね。サイエンストークスとのコラボとも続けていきます。

 

 こうした複数の組織に属する、いわゆるサードスペースを持つ、ナリワイを複数持つということが、リスクヘッジと言いますか、今後の生き方にとって重要であるということも示せたらなと思っています。

 

 ほんとけもの道ですね。企業に勤めて停年までみたいなところからはだいぶ遠くに来ました。けれど、ほんとワクワクしてるんですよ。こんな私の生き方が誰かの参考になり、誰かを救うことができれば。

 

 というわけで、これからもよろしくお願いします。

新年最初の更新です。

昨年は本を出してから本の宣伝ばかりをしていますが、病理診断医の日常も含め、もっと書いていきたいと思っています。

仕事始めは1月4日。先週は徐々に平常通りになりました。もう今週は普通の日常に戻りそうです。日々診断をしています。

昨年はだいたい外勤あわせ4500件程度の組織標本を診断し、13件の解剖を行いました。教育業務とあわせ、なかなか忙しい一年ではありました。

ベテランの病理医だったら、この程度の診断はこなせると思いますが、けっこういっぱいいっぱいで(汗)新人獲得が今年も第一の目標です。

さて、拙書「医者ムラの真実」です。
医者ムラの真実 (ディスカヴァー携書)/ディスカヴァー・トゥエンティワン
¥960
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kindle版がなぜか1月11日くらいから順位が上昇しはじめて、どうしてかなかあと思っていたら、amazonのkindleストアの「kindleセレクト25」に選ばれていたことが分かりました!

この「kindleセレクト25」とは、「毎週更新、Kindle化リクエストの多かったものから注目タイトルをピックアップ。」とのことで、価格の10%のポイントが付きます。1月18日くらいまでということになります。

これはとても有り難いです。多くの人に是非読んでいただき、きびしい批評も含め、ご意見をいただけたらと思っています。
医者ムラの真実 (ディスカヴァー携書)/ディスカヴァー・トゥエンティワン
¥1,260
Amazon.co.jp

紙版ですが、amazon順位は年末年始上がったり下がったり^^;書店での売上情報は分かりませんが、一部の書店では3刷が売っていました。まだ初版売っている書店もありますが…

和田秀樹さんの「医学部の大罪」が、時々新聞広告などが出るようで、それにつられてこちらもちょっと売れたりしています。やっぱり和田さんは有名な著者で、売れ行きが全然違います(・_・;)

売れ行きに一喜一憂してもなんですが、出版社の方々も含め、多くの方々の思いが詰まった本なので、やっぱり売れるにこしたことはないわけで^^;

というわけで、今年もよろしくお願いいたします。


今年は別の本を執筆することが決まっていまして、そちらにも全力投球しなければなりません。頑張ります!