デザインを7年ぶりに変更!ストップ風疹!(2013年12月10日)
デザインを思いっきりシンプルにしてみました。中身勝負?!(2006年7月27日)
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デザインを思いっきりシンプルにしてみました。中身勝負?!(2006年7月27日)
ものすごく久しぶりの更新です。
前の記事から5年間。何をしていたかというと、近畿大学医学部附属病院に勤務しながら、さまざまな活動をしていました。
Yahoo!ニュース個人に記事を書かせていただいたり、STAP細胞の事件をきっかけにメディアに出るようになったりと、私を取り巻く状況はだいぶ変わりました。
近畿大学の病理診断科にも新たなメンバーを迎え、職場の環境も変わってきました。
こうした状況のなか、私は今後の生き方に重大決断をしました。ここでその決断を皆さんに説明させていただきたいと思い、5年ぶりに記事を書こうと筆を執った次第です。
Yahoo!ニュース個人に書くほどのニュースでもなく、別ブログ(科学・政策と社会ニュースクリップ)に書くほどニュースでもなく、ここしかないかなと思ったわけです。
2018年10月4日付けで一般社団法人科学・政策と社会研究室を設立しました。今はなきNPO法人サイエンス・コミュニケーション(サイコムジャパン)を内部対立で辞めてから9年、ようやく念願の法人を立ち上げることができました。まだホームページなどを整備していないので、とりあえず新法人の情報は別ブログに書いていきます。
今回は非営利型の一般社団法人でして、内部対立しないように、信頼おける仲間と数名の小さな組織でやっていきます。
愛称はカセイケンです。タコのような火星人のマスコットを作ろうとしてます。タコの足は8本。8本足の火星人、「ハカセ」という意味もあります。こじつけですが…。ザ・ペンギンズfromマダガスカルに出てたタコのデイブみたいなイメージかな?
法人のミッションはサイコムジャパンと同じ「知を駆動力とする社会」を目指すこと。サイコムジャパンのころからやっている科学技術政策のウォッチや、博士号取得者に代表される人材のキャリア問題などを今まで以上にしっかりやっていきます。科学の知が今以上に社会に活かされ、知を生み出す人々が今以上に社会で活躍することで、現在の人類が直面しているさまざまな課題を解決することができるような社会を目指します。
この一般社団法人の設立を機に、今までお世話になった近畿大学を退職します。すぐ辞めるわけではなく、来年3月まではきっちり勤めますが、大学教員としての生活に一区切りしたいと思っています。
7年前に近畿大学に来てから、本当に貴重な経験をさせてもらいました。近大革命の真っ只中に身を置き、テレビなとにも沢山出させてもらいました。本当にいい経験でした。今年の1月には近大メディアアワード第3位という賞までいただきました。とくに医学部の総務広報課の皆様には大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。
病理医としても、他人の飯を食わなければ一人前になれないと飛び込んだ、近大出身でもない私を、スタッフの皆様は大変よく指導してくださいました。近畿大学に来てから、病理専門医(受験は近大に来る前日でしたが)、細胞診専門医、病理、細胞診の指導医、日本病理学会評議員など様々な資格も取得できました。これもひとえに近畿大学病理学の皆様のおかげです。臨床検査医師さんや事務の方々はじめ、スタッフのみなさまに感謝いたします。
決して近畿大学が嫌になったわけではありません。近大には感謝しかありません。近大辞めたらテレビにはあまり出られなくなるなあと思ったりしていますが、よりやりたいことができたので、辞める決断をしました。
辞めるのにはいくつかの理由があります。
大学病院に勤務する病理医は、たいてい専門臓器を持つのが常です。近畿大学でも肺病理や真菌感染症、神経病理の専門家がいます。
ところが、私は一つの領域に絞ることができませんでした。興味が沸かないといいますか、いろいろな臓器を診断するほうが性に合っているといいますか…。このあたりは、病理医マンガのフラジャイルにも描かれているところですが、専門特化とジェネラルという方向性の違いですね…。
また、大学ではやはり論文を書き、業績をあげていくことが重要です。近畿大学も、タイムズハイヤーエデュケーションの世界大学ランキングで、私立大学では日本で上位にランクされるなど、研究論文を書くことが重要になっています。そんななか、専門領域がない、日々附属病院の病理診断に追われているという理由もありますが、病理学に関しては症例報告しか書いていないといううしろめたさがありました。
50代を目前に、大学における身の振り方を考える時期に来ていたわけです。
幸い7年勤務して、一つの学年が入学して卒業し、研修医になるような長い時間をいただくことができました。2013年に学生の担任になりましたが、その学年が今年度で卒業という区切りを迎えます。
残念ながら、7年かけても近畿大学に来るときに目標としていた、近大出身の病理医を育てるということはできませんでした。いろいろ努力はしたのですが、新人は獲得できませんでした。ひとえに私のアプローチの仕方や努力不足が原因であり、次の世代にバトンタッチしたほうがいいのかなと思ったのも理由のひとつです。幸いにも、他大学出身のやる気もあり、実力もある病理医が近大に加入してくれたので、安心して後を託るのです。
来年4月からはもといた赤穂市民病院に戻ります。私が辞めてからずっと常勤病理医がおらず、申し訳なく思っていたのもありますが、医師不足に苦しむ西播磨医療圏唯一の常勤病理医として地域医療に貢献したいと思い、決断しました。この決断を理解し許してくださった近畿大学に御礼申し上げます。
この決断を後押ししたのは遠隔病理診断の進歩とAIの進歩です。
僻地の一人病理医でも、遠隔病理診断とAIがあれば都市部と遜色のない病理診断を提供できるはずだと思っています。幸い神戸大学病理診断科からの支援もあり遠隔病理診断はすでに一部実現しています。病理診断革命を現場で経験できる環境が整いつつあるのです。
現在日本病理学会はAMEDの予算で、国立情報学研究所などと共同でデジタル画像のアーカイブを行っており、今後一人病理医支援のAIの作成を行う予定です。日本病理学会の倫理委員として、AMEDの事業の審査をするなかで、これは将来性があると確信するに至りました。
また、赤穂は興味深い街なんです。ご存知赤穂義士は言わわずもがかですが、恐竜時代のカルデラの中にあるというのも面白いですね。タモリだったら飛びつきそうな街です。
最近悲しい事件がありました。移転直前の九州大学箱崎キャンパスで、憲法学を研究していた46歳の男性が、貧困のなか焼身自殺をした事件です。
同じ歳の男性が、絶望の末自ら命を絶つという悲しい事件を知り、思ったことがあります。
問題は若手研究者問題ではない。政策や関心から取りこぼされた人たちがいる…。
また、私は常々博士号取得者は社会の様々な場で活躍できると言っておきながら、その私が大学に所属しているという矛盾をどう考えるのか…。口先だけでいろいろ言っていてもだめだ、身をもって証明しなければいけないと…。
私自らが、いわゆるロールモデルとして、生き方を示していかなければならないと…。
幸いにも環境は整いつつあります。オープンアクセスはだいぶ進んできました。DIYバイオなど、ウェットな科学(試験管を握る研究)を自宅で行う人も現れています。スマホ一つで大学に所属しなくたっていろいろできます。
医療の世界では、上昌広先生率いるNPO法人医療ガバナンス研究所のように、大学に属さず論文をどんどん書く集団も現れています。
科学技術政策ウォッチなどはカセイケンでやります。大学に所属していては大学を相対的にみることができず、政策を客観的に見ることはできません。利益相反といいますか…。もちろん大学と敵対関係になるというわけではありません。日本の科学技術政策をよりよいものにするためにも、第三者的な立場からの批判は重要だと思っています。
そして、政策から取りこぼされた人たちのキャリアの問題もしっかりとやっていきます。
研究公正の仕事は一般財団法人公正研究推進協会で続けていきます。医師の働き方の問題などは一般社団法人全国医師連盟で、中高生向けの活動は関西科学塾でやっていきます。どれもいわゆる民間団体ですね。サイエンストークスとのコラボとも続けていきます。
こうした複数の組織に属する、いわゆるサードスペースを持つ、ナリワイを複数持つということが、リスクヘッジと言いますか、今後の生き方にとって重要であるということも示せたらなと思っています。
ほんとけもの道ですね。企業に勤めて停年までみたいなところからはだいぶ遠くに来ました。けれど、ほんとワクワクしてるんですよ。こんな私の生き方が誰かの参考になり、誰かを救うことができれば。
というわけで、これからもよろしくお願いします。