そんなわけで欧米の

『ジプシー・ロマ』問題について

初歩的な知識を得たい方には

イアン・ハンコック著の

『ジプシー差別の歴史と構造』を

強くお勧めしたいところです。

 

 

 

 

で、こちらの本の

翻訳をしたのが

水谷驍(たけし)さんという

学者さんなのですが

この水谷さんの書いた

『ジプシー 

歴史・社会・文化』も

読む価値ありです。

 

 

 

 

(上から目線ですみません)

 

イアン・ハンコック氏は

自身の出自がロマであるため

「この問題は他人事ではない」

というヒリヒリと

張りつめた緊張が

著作内にあるのですが

(『お前ふざけんな

こっちはそういう偏見で

殺される

可能性があるんだぞ』)、

対して水谷氏は

「東欧史が専門である自分は

東欧の諸問題に

通じていたつもりが

ジプシー問題を見落としていた、

学者としてこんなに

恥ずかしいことはない、

よっしゃ勉強したるで」が

出発点である感じで、

そこから学究の徒の底力で

貪欲に書物を読み漁って

満を持してこの本を

アウトプットした、

そんな印象です。

 

ハンコック氏も著作の中で

『文芸作品の中で無責任に

描写されるジプシー像』を

批判していますが、

水谷氏は一歩間違えば

自分もそっち(無責任

著述者)側に行っていた

可能性があるためか

(『お前らマジでふざけんな

こっちはそういう偏見を

信じて広めて

被害者を殺す側になる

危険性があるんだぞ』)

やはりそういう

文筆家に対しては辛辣で、

『物質文明に背を向け

漂泊する青空と草原の民』とか

『ジプシー=乞食・泥棒』

とかいう書き方をする手合いは

偏見を鵜呑みにし過ぎじゃいと

憤っていらっしゃいます。

 

この二つ目の見方は

『発展』すると

『乞食・泥棒=ジプシー』

というド偏見に行き着く。

 

ジプシー関連書籍の本を

訳した人間が欧州で

物乞いをする子供を見て

『あの子もきっとロマ』

とか『あとがき』に書いちゃう、

出版社もその発言の

問題性に気づかず

それを印刷しちゃう、

この現状の危なさよ。

 

(つまりたとえば

『今週捕まった痴漢は

日本人男性だった』から

『痴漢=日本人男性』と

言ってしまうのは

そもそも極論ではないのか、

日本人じゃない

痴漢だっているだろ、

で、さらにそこから進んで

『日本人男性=痴漢』は

絶対違うだろって話です)

 

ハンコック氏の本の

『訳者あとがき』でも

水谷氏はこの点に触れていて

「今のこの時代になっても!

『ジプシーに勝手な

イメージを押し付けるな』と

ハンコック氏が警鐘を鳴らして

数年経ったというのに!

なおのうのうと『おお

ジプシー憧れの流浪の民よ』

とか書いちゃう連中は

皆恥を知れ!」と・・・まあ

水谷氏はもっと抑制のきいた

知的な文章で上記の内容を

述べていらっしゃるんですが、

こういう『正義感を怒りとして

ほとばしらせる』学者さんは

良識派と私は思うのです。

 

そんな水谷氏はどうも

「自分が訳したいと思った

本しか訳さない」方なので

水谷さんが訳した

ジプシー関連書籍は

たぶん読む価値アリ。

 

(だからどうしてここまで

私は上から目線なのか)

 

今度日本に帰国したら

まとめ買いをする予定です。

 

 

で、実は私の手元には

このハンコック氏や

水谷氏以外の方が書いた

ジプシー関連和書も

いくつかあったのですが・・・

 

それがまあいわゆる

『おおジプシー

流浪する憧れの民よ』系の本で・・・

 

頭を空っぽにして読めば

それなりに楽しめる

内容ではあるのですが

『無意識の偏見』

という視点を持って

内容を検討しちゃうと

「・・・これは偏見の

再生産というか助長に

つながりますね」みたいな

暗い気持ちに

なってしまう、という・・・

 

ここは水谷先生に倣い

暗い気持ちを

熱い怒りに切り替え

さあ本丸

『No Place to Call Home』です!

 

・・・不安は何よりも

己の英語能力なのでありました。

 

続く。

 

 

英書を読むのが得意なあなたも

そこに壁を感じるアナタも

お帰りの前に1クリックを


ヨーロッパランキング

本日の記事は

書くのに勇気を要するというか

ずばり己の恥と無知を

告白する内容になるのですが

・・・その前に、皆様の中に

「ジプシーはその言語に

『所有』という言葉を

持たない」という説を

耳になさったことがある方は

いらっしゃいませんか?

 

「彼らは生粋の

自由民であるがゆえに

『所有』などという言葉で

己を義務に縛り付けたりは

しない」みたいな感じで・・・

 

 

なんだったら一部にある

「ジプシーは盗む」みたいな

悪意ある偏見に対して

「違う、それは

『盗み』ではない、

彼らに『所有』の概念は

存在しない、故に『盗み』の

概念もない、誰かが

ジプシーに何かを

『盗まれた』とするなら

そこに存在するのは

文化的差異による

誤解である」とジプシー擁護の

論拠として使っちゃうくらいの・・・

 

いや、私はあるんですよ。

 

それで不思議なのは

私は自分がこの考えを

どこで得るに至ったかで・・・

 

そこが思い出せないんです!

 

それでですね、私は絶対に

反ジプシー的な文脈で

こうした説には

触れていない筈なんです。

 

何故なら私はこの

「ジプシーに『所有』の

概念はない」説を

一種の憧憬とともに

信じていたので。

 

信じていた、過去形です。

 

『ジプシー差別の

歴史と構造』を書いた

ハンコック氏によりますと

この「ジプシーに

『所有』の概念はない」は

古来より広く世間に

信じられてきた説で、

・・・しかし

ジプシーの言語に

『所有』を示す言葉は

バリバリに存在するそうです。

 

 

 

 

それでも多くの記者や

小説家や言語学者までもが

「ジプシーは『所有』という

言葉を持たない」と

無邪気に信じ、書き記し、

その間違いを世に広めて来た。

 

何故か。

 

「『所有』という概念を

持たない」ことに憧れるあまり、

そうした願望をジプシーに

押し付けたのではないか、と

ハンコック氏は指摘します。

 

しかしこういう憧れは

何かの拍子に簡単に強烈な

差別意識にすり替わる。

 

「『所有』という概念を

共有できない人間との

共存は無理ではないか」とか

「語彙の欠落は知能の欠落を

意味するのではないか」とか。

 

「ジプシーへの勝手な

『憧れ』の押し付け」として

ハンコック氏が

他にも挙げているのは

「馬にひかれた幌馬車で

移動生活をするのが

本当のジプシー」みたいな

見解で、こういう人は

トレーラーハウスだの

家だのに住むジプシーには

幻滅を感じ批判的になる。

 

怖いのは私も実は少し

そうした幻滅が

理解できるところです。

 

自分以外の誰かに

勝手に幻想を抱いて

相手がそれに

反する行動をすると

勝手に幻滅する。

 

誰しもが一度は通り

後から羞恥にさいなまれる

道かとは思うんですが

・・・私はそういうの、

若い頃に一通り経験して

「もう自分はしない」と

思っていたんですけどね・・・

 

そういう危ない感情を

対象に抱いた時は

少なくとも自覚できるものと

考えていたんですけどね・・・

 

まさか自分の中に

『ジプシー』に対して

ここまで強い思い込み、

差別が存在しているとは!

 

だって私は人生において

多分一度も『ジプシー』と

深くかかわったことは

ないんですよ。

 

なのにわかった気になっていた。

 

インターネットを通じ

未知の情報に触れる機会が

格段に増えている今、

その情報が本当に正しいのか、

無知と偏見から来る誤解なのか、

そこの見極めは非常に

難しくなっているとも感じます。

 

 

「ジプシーに

『所有』の概念はない」は

よく考えると

ジプシーを差別する側に

すごく都合のいい

理屈なわけですよ

 

それを口実に相手から

所有物を巻き上げられるし

「道徳がない」と見下せるし

なんだったら罰も与えられる

 

こんな怖いことを

いったい誰が言い出したのか

 

その言い出しっぺも

もしかしたら

悪意はゼロだったかも

しれないところが

真の恐怖だと思います

 

お帰りの前に1クリックを


ヨーロッパランキング

英国における

『ジプシー』問題を

いつか理解したいなあと

思いつつ準備した本

(『No Place to Call Home』)の

『読み時』を完全に

逸していた私でしたが

 

 

 

 

この春ふとした拍子に

向学心が復活。

 

ただほら・・・

 

英書はハードルが

高いじゃないですか・・・

 

当初予定では

『No Place to Call Home』を

読んだ後に、補足として

他の本を何冊か日本語で

読むつもりだったのですが

順番を変えてまずは

和書から読んでみることに。

 

というわけで手に取ったのが

イアン・ハンコック著

『ジプシー差別の歴史と構造

〈パーリア・シンドローム〉』。

 

 

 

 

読み終わった感想を一言で言うと

「とても勉強になりました」。

 

Norizoさん、それ、駄目学生が

課題図書を読んで

何も理解していない時の

常套句じゃないですか、と

思ってしまった方も

いらっしゃることでしょう、

何も知識がないところに

どかんと厚みのある情報を

投入されるとすっかり物事を

わかった気になってしまう

(陰謀論に悪い意味で

とりこまれてしまう人は

この傾向が強いと思う)のは

素人のよくないところ、

というご意見もあるでしょう、

でもこれは本当に私にとって

『読んでよかった本』となりました。

 

というかね!

 

『ジプシー』問題に関して

私はここまで物事を

知らなかったのか、と!

 

違うんです違うんです、

真実を知って目覚めた系

話じゃないんです、

純粋に歴史の話なんです。

 

そりゃ私は歴史の授業が

得意じゃありませんでしたけど

・・・そもそも我々は世界史で

『ジプシー』『ロマ』について

どれほど習いましたっけ?

 

道徳というか現代社会の時間に

「『ジプシー』という言葉は

よくない」というのは

習った気もするんですが、

では『ジプシー』とは

どういう人たちのことを

指すのかは

学習内容に含まれて

いなかったと思うんですよね。

 

「『ジプシー』って

聞いたことあるでしょ?

あれは使っちゃ駄目な言葉、

これからは『ロマ』ですよ」で

終了、みたいな。

 

 

そもそも『ジプシー』とは

どこに起源を持つ人々なのか?

 

『エジプトから来た人』から

転じて『ジプシー』だから

エジプトなのでは?

という説は現在は

疑問視されていて、代わって

出てきているのが

『インド起源』説。

 

でもインド起源ではない

『ジプシー』も存在し、

まあこの問題は

後日にとっておきましょう!

 

それよりもジプシーの歴史、

社会における扱われ方ですよ。

 

私は知識として『ジプシー』が

ドイツのホロコーストで

多数殺戮されたことは

知っていましたが、

故にその時点でそこに

ジプシー排斥の動きが

ドイツおよび欧州社会に

存在していたことは

わかっておりましたが、

皆様そういう『ジプシー迫害』が

欧州ではどの時期から

始まっていたと思います?

 

記録によれば『ジプシー』と

呼ばれる人々は14世紀には

ルーマニアに存在していて、

そこから西に移動する形で

欧州に広がっていくんですけど、

そこからナチスの虐殺まで

彼らはずっと基本的に

迫害されていたというか

かなり厳しく

差別されてきたらしいんです。

 

それでこの『差別』なんですけど

私は結局のところ

昭和生まれの日本人ですから

『差別』の理解が

ぬるかったというか・・・

 

近世・近代の欧州における

ジプシー差別って単純に言うと

「東欧では『お前は奴隷

(人として扱われない)』、

西欧では『お前は出て行け

(定住は認められない)』」で、

それに対して「嫌だ、自分は

奴隷になりたくない」とか

「出て行きたくない」とか言うと

「ああ、そう」で

殺されてしまうという・・・

 

そもそも奴隷になっても

命の保証はないんですよ、

だって奴隷なんですから。

 

だから逃げ続ける、

移動し続けるしかない。

 

シューマンの『流浪の民』で

歌われている人々が

何故ぶなの森の葉隠れで

宴を開いているのかというと

彼らには家がないし

宴を開く場所を

借りることもできないし

宴なんて開いているのが

露見したら懲罰必至だし。

 

よく『悪いジプシー』の話で

「彼らは物を盗む」とか

物語に書かれるじゃないですか。

 

でも彼らはそもそも

物を『買えない』状態で、

つまり奴隷でお金がないか、

お金があっても「うちの店は

ジプシーに売るものはない」で

買い物が出来ないか、

その状態でどうしても

何かが必要になったら

人間はどうするか、

という話で・・・

 

(注:だからといって

すべてのジプシーが

盗みを働くわけではない、

ここを間違えると

善意からの偏見

至ってしまうので注意したい)

 

ただほら、人間は

歴史に学びますから

第二次大戦後は

そういうジプシー差別は

解消に向かったのかと思いきや、

そもそも「ジプシーも

ホロコーストの犠牲者だった」と

西ドイツ議会が認めたのは

1979年で(それまでは

『人種がどうこうではなく

ジプシーは犯罪者だから

処刑された』と主張していた)、

その後1990年代でも

欧州の一部国家

(本書ではチェコ

スロヴァキアの事例が

挙げられている)では

ジプシーの強制断種

実行されていて

・・・強制断種?

 

90年代に?

 

欧州で?

 

『理由:ジプシーだから』?

 

・・・となりませんか?

 

私はなりました。

 

しかし何よりも私が

愕然としたのは、

当時90年代、

大学生としてそれなりに

本とか新聞とかを

読んでいたような

気がする自分が

こういう状況をまったく

知らなかったことですよ。

 

まあでもそれは私が

物知らずの

馬鹿学生であっただけの

話かもしれないのですが

私はここからもう一歩進んで

『無知は罪なり

(byソクラテス)』に

等しい状況にあったことを

この本は暴いてくれたのです。

 

続く。

 

 

第二次大戦を生きのびた

西独在住の『ジプシー』が

市民権の確認を求めても

西独政府はその申請を

却下したそうです

 

それまでに数世代にわたり

西独に住んでいても駄目、と

 

西独政府には西独政府の

言い分・政策が

あったのかもしれない

 

でもじゃあ戦争と収容所で

家も家族も仕事もすべて失い

「せめて虐殺の賠償を」と

求めても無視された人々が

そこからどう生きるべきであると

政府側は考えていたのか

 

『ジプシーの定住は認めない』の

精神が20世紀になってもなお

西欧諸国には残っていたのか

 

勿論世界中すべての国・地域に

差別は存在してて

わが祖国日本もその例外ではない

 

でも私は欧州にここまで強い

ジプシーへの差別があったことを

この本を読んで初めて知りました

 

知らないということは

恐ろしいことであると同時に

ある意味幸せなことですが

それは愚者の幸せであるとも思います

 

お帰りの前に1クリックを


ヨーロッパランキング

英国の移動生活者(いわゆる

ロマ/ジプシー)である

『トラヴェラーズ』のことを

知りたいと思った私は

まずはネットで

色々検索してみたのですが

・・・これがもう正直

よくわからないというか

情報量が多すぎるというか

内容がまとまって

いなさすぎるというか。

 

変なところが漠然としていて

変なところが

細かすぎて、みたいな。

 

これは私が知ろうとした内容が

問題なのではなく、ネットでの

情報収集はある程度の

基礎知識がないと難しい

ということなのかなと。

 

つまりそういうネット上の

資料を読んでいて怖いのが

ネット情報ってどこからどこまでが

『裏付けされている』か

わからない点で、

つまり『文責』が

どこにあるのかが不明確。

 

なにせ自分側の知識が

ゼロに近いため

悪意を持つ誰かがそこに

虚偽情報を紛れ込ませていても

私にはその判断のしようがない。

 

このままだと

自分が気づかないうちに

誤情報に基づいた判断、

すなわち偏見を

抱いてしまう可能性が高い。

 

こういう場合はやはり

著者名のはっきりした

本を読むに限る!と

まず最初に

手に取ろうとしたのが

キャサリン・クオンビー

(Katharine Quarmby)著

『No Place to Call Home』。

 

 

 

 

英国のトラヴェラーズ問題を

少し知ろうとすると必ず出てくる

エセックスのデール・

ファーム問題を題材とした

ノンフィクション作品。

 

これを数年前の年末に

自分用の冬のプレゼントとして

ネットで注文し、結果、

待てども待てども本が届かず。

 

 

勿論催促というか

メールなどで何度か

問い合わせはしたんですが

なしのつぶてで

最後の手段で

本社オフィスに電話を入れ

「販売担当者につないでくれ」

と言ったら

数秒後に言われたのが

「アッ、こちらの本現在

在庫がございません」

 

・・・在庫がないのは仕方がない、

だけれどもその気になったら

そっちの端末で

数秒で調べられることを

何故君たちは数か月間

放置したのか、という・・・

 

ちなみに違う本屋には

その間もずっと在庫があって

・・・こっちの本屋に

在庫がないとなったなら

私はすぐそっちの

本屋に注文を入れたんですよ!

 

そんなこんなで『違う本屋』から

お目当ての本が届いたのですが

その時点で私の

『本を読みたい度』は

ひどく減少していてですね・・・

 

本好きの皆様には

きっとわかっていただける

この気持ち。

 

読書欲には旬があるんです!

 

というわけでこちらの本は

しばらくわが本棚の

飾りとなっていたのでした。

 

続く。

 

 

デール・ファーム

問題については

こちらのBBCの記事

簡潔に時系列を

まとめているかな、と

 

英文ですけど

 

読書欲の旬がわかるあなたも

それは「怠け」の

言い訳では?と

小首をかしげるアナタも

お帰りの前に1クリックを


ヨーロッパランキング

漂泊民・移動生活者、

いわゆる『ロマ/ジプシー』と

いわれる人々は英国にもいて

現在(多くの場合)

『トラヴェラーズ』と呼ばれる。

 

とはいえ私はこれまで

『トラヴェラーズ』を

自称する人とは

直接会ったことはありません。

 

イングランドに行った時に

「この間、地元のお祭りに

ロマの占い師が来ていた」

とか聞いたことはあるんですが

根が疑り深い私はそういう時

「それはいわゆる

『ビジネス・なんちゃら』で

本当はロマでもなんでも

ない人がロマの看板を掲げて

集客を図っていただけと違うか」と

考えてしまう傾向があり・・・

 

ただ移動生活者問題は

イングランドでは

(スコットランドに比べ)

より身近な印象であるらしく、

「どこそこの公園・農場に

ロマが集団キャンプを

設営しちゃって

それはそれは大変だった」

みたいな話を

耳にする機会もありました。

 

「それは無許可なんですか」

 

「無許可なんだよ。

それで何が大変って

一度設営されたキャンプを

撤収してもらうのも大変だけど、

その後に残されるゴミの山が

土地の所有者にとっては

大問題なんだよ」

 

それは確かに大変な問題だろう、

が、移動生活者には

『移動して生活する権利』

のようなものがあるはず

(英国トラヴェラー問題に

関する私の漠然とした知識)、

だから警察や自治体も

強くは言えないのかな、

あれ、でもそれだと

キャンプを設置された側は

泣き寝入り一択ってことか?

 

それはおかしくないか?

 

いや・・・昔に比べて

『誰のものでもない土地』が

増えてしまったことが

そもそもの原因なのか?

 

18世紀とかなら英国全体に

『人目につかない場所』が

今より多かっただろうし、

ゴミ問題なんかも当時は

基準が緩かったというか、

ほら、プラスチックがまだ

生み出されていない時代だから

キャンプの後に残されるものも

すべて有機物で自然風化も

もっと早かっただろうし・・・

 

 

で、ここでちょっと

英国の各自治体の対応などを

調べてみたらですね、

基本的にどこの自治体も

『移動生活者向け滞在地』

みたいなものを公に

提供しているんですよ。

 

ですから単純に考えると

何故トラヴェラーズの皆さんは

そうした公式滞在地ではなく

公園とかに一時滞在

しちゃうのかな、と。

 

自由を愛する民として

『お上(かみ)』に

一時的とはいえ

「ここに住め」と言われるのは

耐えられない、みたいな、

つまり『誇りの問題』?

 

それと同時に各自治体は

『移動を止めて定住したい

トラヴェラーズ』のための

支援住宅みたいなものも

用意していて、うーん、

私ならとりあえず一度

移動生活を止めて

どこかで定住を試みて

みたいところなんだけれども、

でもこれは土地や財産に

心を縛られた

哀れな定住生活者の

狭い料簡というもの・・・?

 

つまりほら、行政に

用意してもらった家に住んだら

その時点で自分は

『保護を受けている身』に

なってしまうわけでしょう?

 

私は生活保護とか

非常に優れた現代社会の

システムだと

思っているんですが、

そういう保護を

受けたくない人の

気持ちもわかる。

 

トラヴェラーズの人々は

(私がこれまでフィクション系の

本や映画を通して漠然と

理解していることから

推察すると)世界のすべてを

『誰の所有物でもない』と考える、

土地も水も花も

すべては誰のものでもない、

故にそれらはすべて

自分のものと考えられる、

移動生活を続ける限り

「それが自分の哲学です」と

胸を張って言うことが出来る。

 

しかしそこで移動生活を止め

定住を開始するとなると

話は全て変わってしまう、

大地は自分の物ではなくなり

水も花も誰かの物となる。

 

世界が根本から

変わるわけですよ。

 

そりゃあなかなか

決断は出来ないよなあ・・・

 

ただ移動生活って

私としてはどう考えても

非常に大変そうなんですが、

定住の利便性を振り捨てるほどの

魅力がそこにはあるものなのか?

 

山の下に暮らしていれば

ぬくぬく冬も越せるのに

あえて断崖に挑んでしまう

登山家などと似た心境?

 

何が彼らをそこまで

移動生活に駆り立てるのか?

 

移動をしながら

彼らは何をしているのか?

 

移動そのものが重要なのか?

 

つまりロマ/ジプシー、

トラヴェラーズと

呼ばれる人々は

定住を好む私や

多くの現代人とは

全く異なる価値基準を

持っているのか?

 

持っているならそれは何故?

 

そもそも彼らは今、

いったいどこで

どう暮らしているのか?

 

それを知りたいと思って

私は書物を

読むことにしたのです。

 

続く。

 

 

ジプシー/ロマ/

トラヴェラーズについて

過去にお勉強・

研究した人が今回の私の

この記事を読んだら

「・・・危ないこと

書いてますなあ」と

思われるかもしれない

 

これね、今回の私の

自由研究の過程なので

どうかもう少し

お付き合い願いたいです

 

論文発表ではないので

この自分の危うげな

思考の揺れみたいなものも

記録しておきたい、みたいな

 

よろしくお願いしまする

 

お帰りの前に1クリックを


ヨーロッパランキング