ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコール狂詩曲 ギョウちゃんが いく

ビコールの魚屋のブログです。行きがかり上フィリピンに住むことになった時の所持金は、僅か7000ペソ。
その後、山あり谷ありを経て18年後の今もなんとか生きてます。

Amebaでブログを始めよう!

人間あることに集中すればする程、夢中になればなる程、他のものが見えなくなってしまうことがある。今日はそんな話についてだ。

さっきかなり遅めの朝食をとった後、自分で入れたアイスコーヒーを飲んでいると、なぜか胸騒ぎがして落ち着かない。
どうしたのだろうと、その原因に考えを巡らせていると、前回のブログを“つづく”として終わらせていたことを思い出した。

つづき物がつづかなくなることが良くある僕のブログで、何も今回のことに限って気にするのもおかしな話だが、改めて書いていない理由を考えると、自分自身なにか得心できないものがある。

もしかすると、このことに起因した居心地の悪さなのだろうか。
まだハッキリとはしなかったが、そう思った途端に僕の思考回路のどこかで、途切れていた回線が繋がるのが分かった。
ふと飲みほしたアイスコーヒーのカップを覗くと、まだ大きな氷の塊が残っている。
そのまま氷を捨てるのも勿体ないと思った僕は、カップを洗いもせずにそこにウィスキーをなみなみ注ぐと、それを持って二階の自室へ向った。

まずラップトップの前に陣取ると、T君について思っていることを頭の中で整理した。T君とあえて呼ぶのは、彼がフィリピン関連の知り合いの中では際立って若いことが理由だ。
酒造メーカーに勤めて7年目ということは、大卒だとしても、浪人でもしてない限りまだ20代ということになる。
その若い彼から最近よくメール来るようになっていた。
内容は彼の恋人のフィリピーナとの結婚についてだ。
初めてのメールには、彼の両親に結婚を反対されて困っていることが書いてあり、僕にどうしたらよいのかと相談してきたが、自分の親も説得できなかった僕に何を聞いても無駄だよと答えると
「ハハハ、やっぱりジャパユキさんと結婚するのは大変ですね」と返事をしてきた。
いま思えば、その時気付くべきだったのかもしれない。

その後、メールの回数が字数と共に日増しに増えていったが、僕も若い人と話すのが楽しかったせいか、それには全く苦痛を覚えず、それどころか次第に彼の力になってあげたいと思う気持が強くなっていった。

ある日などは、テニスが縁で彼女と知り合ったと言うので、その甘美な出会いに感心していると、あとからオンラインゲームの、と言ってきたりして今の若い人はと苦笑いさせられたり、彼女の父親が僕の店からいつも魚を買っているなどと、こちらをドキッとさせる冗談を言っては僕を楽しませてくれていた。
じっさい彼女はビコールの女性で、しっかりとした家のお嬢さんだということである。彼女とはマニラで、二度会ったことがあるそうだ。

他にもいろいろと話は聞いているが、特に印象的なのは、偏見の塊と彼が言う彼の両親のフィリピーナにまつわるトラウマについてだった。
彼がまだ幼かった頃、彼の実家の近くの板金屋の男がフィリピーナの嫁をもらったそうな。そのフィリピーナには何人かの連れ子がいたが、その全員を男は日本に呼び寄せ、数年間は幸せに暮らしていたようだと言う。
ところがある日、男の父親が亡くなると土地や家を相続した男は、母親の反対を押し切り、全ての財産を売り払ってフィリピンに移住してしまった。
残された母親は親戚の元へ引き取られていったが、それからしばらくして夫の後を追うようにして「息子は騙された、息子は騙された」と言いながら死んでいったそうだ。
言うまでもないが、母親の葬儀の時もその男が帰ってくることはなかった。

その後、男の人生はいったいどうなったのだろう。
つかのま死んだ母親の無念に思いを馳せるも、つい男のなれの果てが気になってT君に聞いてみると、彼の田舎の人にその男の行方を知る者は、もう誰もいないということだった。
それにつけても、こうなると彼の両親の考えを口先で変えることは難しいようである。
僕は最後に交わしたメールでそのことをT君に言うと、あくまでも結婚は個人の意思によるものだからと、これまたあくまでも個人的な意見であることを断わってから、彼にそう告げた。

実は、この辺りまでのことをブログにさらっと書こうと思っていたのが一昨日の土曜日のことである
ところがちょうど今から書こうという時に、彼からスカイプの誘いがメールで送られてきた。
彼とのスカイプはその時が初めてである。僕は小汚いTシャツを着替えると鏡の前でササッと髪を整え、彼のスカイプアカウントにビデオコールをかけた。
そして数秒後とうとうビデオ画面にT君は現れた。
メールの内容から、彼が自信家であることには気づいていたが、やはりそれを裏付けるように画面に映ったT君はかなりのハンサムであった。
ただ、なぜか身だしなみを整えた僕とは正反対に、ボサボサの髪をして、しかも上半身は裸でいる彼を見て、いくらフィリピンでは裸の男を見慣れている僕でも、異質な何かを感じざるを得なかった。
僕は「裸の付き合い、裸の付き合い」と二回念仏を唱えると、恐らく18年振りとなる20代の日本人との会話に備えたのである。

                  つづく


すいません。これからマークさんとマニラに出かけます。