40歳で母になるということ~祝 6か月!
出産のブログも書いていないのに、いきなりですが
息子、6か月になりました。
最近やっと人間になってきました
今思うと早い、だけどずいぶん時間がたった気がするけど
まだ6か月
この6か月を振り返ると
0日 まさかの帝王切開で出産
1ヵ月 赤ちゃんはほぼ寝ているときいたけれど、昼寝も夕寝もしない息子。。。。
夜も2時間おきに授乳。。。
2カ月 やっぱり来ました乳児湿疹。
3カ月 0歳児子育て、こんなに寝れないなんて睡眠って何ですか
4カ月 どんどんひどくなる乳児湿疹(皮膚科医にはアトピーと言われたけれど)、ステロイドを使わない選択
睡眠不足と疲れ限界でダウン、2週間寝込み息子と夫は夫の実家へ
5か月 やっと復活、息子の湿疹も汗疹にも明るい兆し
6か月 すこ~しだけ育児を楽しいと感じる余裕が
こんな感じでしょうか
書いてみたら、これに尽きるというか、もう濃すぎて何から書けばいいのかわからない
なんだろう
まだ6か月、されどありったけのパワーを使い果たした(もう??)6か月
人間ひとりを育てるって、本当に大変だ
世の中のお母さんすべてを尊敬します
息子がお腹にやってきてくれた日から、母になる自分をイメージしてきたけれど
実際に産んでみると、全く想定外の世界が広がっていました
「母」になった自分が自分で一番戸惑っていたこの半年だったように思います
分からないことだらけで、うまくできないことばかりで
いや、そもそもうまくできるわけないし、、、
これでいいんだろうかの連続
きっとこれは子育ての間中感じる悩みなんだろうな
迷いながら悩みながら、でもここぞというときは動じない母でありたいというのが
今の夢
40歳で母になろうが、20歳で母になろうが、初めて体験するという事実は変わらない
一長一短だけれど、たまたま私はアラフォーで母になるという人生
きっと子供をもたなくても
夫と二人で楽しく幸せな人生を創れるだろうという自信はあるけれど
子供をもったことで広がる幸せ(もちろん苦労も)もたくさんあるんだと思います
あなたはもっと修行しなさいと神様が与えてくれた子育てという大事業
思い切り楽しみながら、そして悩みながら、
母に、そしてより強い絆の家族になっていけたらいいなと思います
小さな怪獣、ハーフバースデーおめでとう
あなたの未来にたくさんの幸せがありますように
40歳で迎える40週0日
自己肯定感と独立記念日~9年目のはじまりに~
今日は10月1日
この日は私にとって特別な日です
2008年10月1日に独立をして、まる8年
早いようで、長いようで。。。
昨年はこんなことを書いていました
8年の時間、
たくさんの方々に支えられて何とか生きてきた(笑)実感と感謝は
めちゃくちゃあって、充実していたことに変わりはないけれど
まる8年の10月1日はちょっと違う感覚があります
まだまだだな
自分としては薄々感じていたけれど、見て見ぬふりをしていたのかも
結婚して、1年たって自分の生活と仕事のペースが見えてきたら
なんか、思った
私、
まだまだいけるはず(どこに?)
相変わらずの自己肯定感を発揮しておりますが
来年は40歳
不惑の40というけれど、迷いっぱなし
だけど40代でもうひとつ自分がアップグレードできるかは
20代や30代の方法論とは違うやり方が必要になる気がする
自分のことだけど考えてたらいい時代とは違って、家族がいて
夫とともに築いていく大切なパートナーシップもある
そのうえで「私」をどうアップグレードするか
ひとつの確信はあります
40歳になる今こそ新しいチャレンジが必要
大きく風呂敷を広げるではなく、小さく始めて大きく育てれたらいいな
9年目のスタートを新たな決意とともに
これからもどうぞ宜しくお願い致します。
2016年10月1日 瀬口有紀
38歳で結婚するということ③~子供を産むという命の奇跡~
関連記事 38歳で結婚するということ①婚活はクロージングで終了する
38歳で結婚するということ②家庭と仕事
まったく記事数はかけてないうちに1年たってしまいました
今日で結婚して1年の記念日で39歳になりました
そして、とてもプライベートな内容なのでそれを公表すべきかどうかも分かりません
でも、37歳で婚活をして38歳で結婚をした。
ドラマであればそこでハッピーエンドで終わりかもしれないけれど、
38歳で結婚することのリアルを、発信する限りは伝える必要があるのではないか
そう思ったので、ここに書くことにしました。
リアルな画像もあるので、ダメな方はスルーしてください。
37歳で鬼気迫って婚活をした理由のひとつは
やはり子供をもちたかったから
子供は人生の全てではないけれど、出来るなら母親になってみたい
そう思いました
でも心配症な私は結婚当初から年齢のこともあり、自分が子供を授かれるからだかどうか
とてもとても不安でした
だから、不妊治療ありきで情報収集に余念がありませんでした
仕事の関係でガッツリ妊活はできなくて、仕事に区切りがついた2015年の秋ごろから
そろそろ、妊娠できる体かどうかチェックしてもらおうと産婦人科に行きました
その時は基本の内診をして終わりました。
で、その月のくるべきものが来なかった。。。
そして、妊娠検査薬でチェックをしたら、マッハで陽性になりました
4週6日
4週なんて、早すぎてみえないかもとドクターは言いましたが、ちゃんと写りました
まるで、私ここにいるよ、と私に似た自己主張のはっきりした赤ちゃんだと思いました
予定日は7月21日
突然、母になる日を宣告される驚き。
こんなにサクッと妊娠するなんて信じられませんでした
そして、本当にうれしかった
実感なんて全くわかないけれど、でもママになれるんだと思うと嬉しくて泣けてきました
おなかの中の赤ちゃんは有紀だから、「こゆき」と勝手に名付けました。
勝手に女の子と決めつけて(笑)
まだ何もわからない、豆粒ほどのエコー写真を毎日毎日何回も見ました
1週間後、また病院にいくと拡大してくれて、「こゆき」は少しはっきり見えました
なんかゾウリムシみたいだなって感じ
何をしたらいいのか分からないけれど、巷で聞き覚えのあるこれを買いました
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38年生きてきて、まだまだこんな知らない世界が広がっているとは思いませんでした
やっと少し実感がわいて、喜びよりもちゃんと生まれてきてくれるかな五体満足かな
そんな不安な気持ちのほうが大きいことを知りました
世にいう「つわり」が私はほとんどなくて、ホントにいるのかなあこゆきって毎日何度も思いました。
でもある方に「ママを苦しませないような親孝行な赤ちゃんってことじゃない」
と言われて、また幸せな気持ちになりました。
そして、次回はきっと心音が聞こえるはずと言われていた健診に
画面の中でピコピコと光っていました。ちゃんとこゆきは心臓が動いていて
そして、体が2等身になりました
とにかく感動しました
人間って命ってすごいと思った。
こんなふうにして、自分も生まれてきたんだと思った
本当に愛しくなりました。
おなかに宿った命だけでなく、夫のことも両親のことも、家族のこと全てを
そして、やっと母子手帳をもらえるようになりました
保健所にもらいにいったら、窓口から
「おめでとうございます」と言われて、こんなに見ず知らずの人から祝福をされるって
妊娠するってすごいなって改めて思いました
そして、年末12月28日
ワクワクしながら健診にいきました
そしたら・・・・・
先生が「赤ちゃん、調子が悪そうです」と
確かに画像に写る、こゆきは色がうすくてはっきり見えない
なんで、どうして。。。。。
内診が終わると先生が言いました
「今回は残念ですが、もう心音がきこえません。何度もきいてみたのだけど
やっぱりきこえない。おそらく前回の健診のあと数日後にとまってしまったのだと思われます」
けいりゅう流産、というそうです
最初は、何を言われてるのか分からなかった
でも、自分でも意外に冷静に
ああ、もうダメなんだって、事実は理解しました
画面に映るこゆきは明らかに前回と違っていて大きくなってないし、形も崩れてみえました
私の赤ちゃん、ダメだったんだ
一人で病院に行ってたので、帰りはあんまり記憶がない
家に帰って、やっと何だか事実をのみこめた感じです
帰宅した夫と、二人で泣きました
世の名にこんなにつらいことがあるって知らなかった
私は痛くもかゆくもなかったのに、こゆきは一人で苦しんでたのかな、
気付いてあげられなくて本当にごめんね
生きて産んであげられなくて、本当にごめんね
そんな気持ちしか起こらなくて、本当に辛かった
でも、今なら思います
こゆき1号は赤ちゃんが授かれるか不安だった私に
「大丈夫、ママは赤ちゃんを授かることができるからね」って教えに来てくれたんだと
そしてまた、きっと2号がきてくれるんだと信じています
私はあまりにも、妊娠後の知識が少なすぎて、
妊娠さえすれば、無事に生まれてくるものだと漠然と思っていました。
でも妊娠し、無事にこの世に生まれてくること、それだけで奇跡だと思います
たくさんの奇跡が重なって、赤ちゃんはこの世に生まれてくる
元気に産んであげられなかったからこそ、母親になる重さと責任とありがたさが
身に沁みました
悲しい経験はしないほうがよいけれど、神様が与えた私の、そして私たち夫婦の
学びなのだと思います
今回のことで、誰より夫の存在が大きくて夫婦というか家族というか、本当にそんな
関係になれたように思います
短い時間で夫婦になった私たちに、私たちにしか分からない絆ができたのかな
次にこゆき2号が来てくれるかどうかは、神様しか分からない
でも、もし来てくれなくても夫婦で満たされた人生をおくれるように努力しようと思えます
そして、こゆきが生まれてきてくれるはずだった7月21日は一生忘れてはいけない日
たった、2か月くらいだったけどママにしてもらって今まで味わったことのない種類の
幸せを感じました
だけど、やっぱりホンネは
今年の7月21日にはこゆき2号がきてくれていたらいいな
39歳の誕生日はまた新たなスタートです。
こゆきを失った日に夫が私に言いました
「大丈夫、ゆきどんはまだ38歳でしょ。まだまだこれからやん」
そう、私はまだまだこれから。
妊活とは、「意思をもって授かること」、だそうです
就活も婚活も、そして妊活も、自分が望む人生をつくっていくために最大限の努力をする
努力をして、報われるかどうかは別の話。
でも自分らしい満たされた人生にできるかどうかは自分次第
そう、まだまだ私は何も始まっていない。
もっとこれから幸せになります
2016年 2月1日 せぐっち
追記: けいりゅう流産後、私は手術をせずに自然に出てくれるまで「待つ」ことを選択しまし
た。 流産と診断されてから約2週間後、陣痛のような痛みに4時間苦しんだ結果こゆきは
ちゃんと自力で出てきてくれました。もちろんまだ10週だったので母体にほとんど吸収され
て出血としてですが。いわゆる高齢で妊娠をすると流産のリスクは20%くらいは上がります。
年齢が理由でかどうかは今回の私のケースは分かりません。ただリスクはあがる。
その後の処置も手術がいいとか、自然がいいとかはあくまでも個人の価値観です。
ただ、私は何の自覚症状もないまま「こゆき」を見送ることはできませんでした。もしかしたら
めちゃくちゃ痛いかもしれないけれど、やっぱりこゆきが自分で出てこようというタイミング、
そして私も血しか見ないかもしれないけれど流産したんだという認識がほしかった。
結果、本当に死ぬかと思う痛みでした。あとで知ったのですが、自然に出すということは
本当に出産と同じだそうです。おしるしがきて陣痛がきて、痛みの感覚が短くなって。
最後はもう痛すぎて無理と泣き叫んでました。そばで見ている夫が一番困ったと思う。
でも出たって瞬間のあとはサッと痛みがきえた。
ああ、これが出産なんだと少し思いました。(おそらくホントの出産はもっと大変だと思いますが)
そして、おかしいけれど今まで感じたことないありえない達成感がありました。
流産とわかってから待つ時間は正直辛かった。おなかにいるのに生きてないんだ。
そんなことを考えると何度も涙が出ました。でも今はこれでよかったと思えます。
生きて産んであげることは出来なかったけれど
ちゃんと、こゆきのタイミングで産んであげれたことは誇りに思います。
がんばったね、こゆき。
ママにしてくれてありがとう。
また、会おうね