僕が12歳の時に出会った詩集に「僕は12歳/岡真史」がある。
12歳で自死した少年が書き残した詩集だ。
僕は彼より2歳年下だったが、当時、彼の父親が作家であったこともあり、事件としてニュースもなり、それでその後出版されたその詩集のことを知った。
その当時の僕は詩が好きだった。もちろん、今でも好きだが、当時は小学校6年生、中学1年生という多感な時代だからこその感性で詩集を読んでいた。そして夭逝した作家へのある種の憧憬の感情を抱いていた。
立原道造も好きな詩人だった。
24歳で夭逝した立原道造もまた僕の憧憬の対象であり、12歳の僕は彼が無くなった24歳までに一体自分は何ができるのか、何を残せるのか、そんなことを考えていた。
早くして才能を開花させた人たちへの憧れ、死を以て名声を得たわけではないだろうが、やはりその言葉には、死と合わせた時に感じるインパクトがある。
岡真史の「ひとり くずれさるのを まつだけ」(ひとり)という詩も、彼の自死があるからこそ際立って光を放つ。
自分を失うことと引き換えに、人の心に残る永遠を獲得する。
そんな生き方をしたいと望んでいた。
しかし、もちろん、そんな生き方は出来ない。
そもそも死んだら自分の評価などわからないのだから。
あの世からそれを見ることができる保証もない。
だから結局自殺は出来なかった(当たり前だが)
もちろん自死の後に評価されるであろう作品群を作っているわけでもない。
夏休みの自由研究程度の詩作ではもちろん太刀打ちできる状況ではない。
僕は才能に恋焦がれる少年でしかなかった。
そんな僕が同じ頃知ったのはイエローマジックオーケストラだった。
聞いたことのないその音楽。
そのメンバーの一人が坂本龍一さんであり、すごい!と思いながらも、彼が時折発信するニュースに人間臭さを感じ、親しみを覚えていたのも確かだ。
彼らがツアーしてニューヨークのボトムラインでのライブがFMでオンエアされていた。
それを僕は当時で言う「エアチェック」して、何度も聞き返した。
サポートの矢野顕子の奔放さ、ギターの渡辺香津美のエッジ感。
その全てが刺激的で、そうか、生きている天才というのはこういうものなのか、と感銘を受けた。
というのは少年にとって、天才の仕事は死なないと認められないというか、宮沢賢治にしてもそうだよな、とか思っていたので。
その僕の憧れは生きたまま次々にレジェンドを生み出していく。
アカデミー賞もそうだし、俳優になって映画に出た時は、なんだかチンケな芸能人になってしまったような寂しさも覚え、複雑な気持ちになっていた。
その坂本龍一が亡くなった。
ああ、この時を待っていた。
いや、それは正しくない。
いつか来ると思っていたが、それで彼の人生は僕から見れば完結する。
歴史的事実になる。
もう誰が望んでも会うことが出来ない。
彼にまつわるゴシップの数々もただのレジェンドエピソードにしかならない。
文春砲の餌食になることもないのだ。
なんと素晴らしいことだろうか!!
といくら書いたところでこの喪失感は埋まらない。
そう、喪失感だ。
この喪失感はジョンレノンが亡くなった時以来かもしれない。
あの時は地球のどこかで彼が吸っている空気と僕が吸っている空気は繋がっているから頑張れたのに、と思ったが、今回も少し似ている。
時代に対してアクションを起こし続ける坂本龍一の生き方に一ミリも近づけていない自分を悲しく呪い、かといって生き直すことができるわけでもない。
でも紛れもなく憧れだけは心に抱いていた。
仕事であったこともある。
お話しさせていただいたこともある。
でも、その感触はどこか薄皮に包まれて、どうしても直接触ることが出来ない宝物のような存在感だった。
残されている方法は彼の曲を聴くことだけだ。
全身全霊で聴こう、坂本龍一のメッセージを必死に受け止めよう。
そんなことを思う訃報が届いた日の夜。
ぐちゅぐちゅ書いても仕方ない。
今言えることは一つだけだ。
坂本龍一さん、本当にありがとうございました。
あなたが生み出した音楽が私という人間の核の一つになりました。
忘れようとしても忘れることができず、忘れたと思っていたも、何かをきっかけにして、ブワッと蘇る。
そんな存在感に僕はどう反応していいかわかりません。
でも、だから憧れなのだと。
さよなら
おやすみなさい
またいつか会える人でもないでしょう。それも分かった上で、感謝だけは伝えたい。