2024年春の帰省その3
コロナ禍に、50年近く頑張ってきたホテルを手放したKちゃん。
今までは時間に追われ働くだけ働いてきた彼女だけど、今は時間がたっぷりあります。
だけど、Kちゃんはチケットの手配をすることも、一人で飛行機に乗ることさえできません。
あんなシャキシャキさんが思いのほか内弁慶で、今までどおり、会いたいときは私が出向くしかないのです。
その代わり、今回も博多に宿をとり、美味しい焼肉を夕飯にご馳走になりました。
最終日は、福岡空港に荷物を預け、バスで太宰府へ向かいました。
平日だというのに結構混んでいたのは....
その日は25日で、太宰府天満宮の25日祭がちょうど行われるところでした。
菅原道真公が生まれたのは6月25日、亡くなったのは2月25日と伝えられており、毎月25日は月次祭を執り行うのだそうな。
また、この日限定のよもぎを使った梅ヶ枝餅も口にすることが出来ました。
本殿は、今修復中で、仮本殿での月次祭を30分ほど見学。Kちゃんも初めて遭遇したそうです。
ちなみに、仮本殿を横から見ると、こんな感じ。
建築家は奇抜なことを考えます。
太宰府天満宮には大木がたくさんあり、心地よい空間でした。
私もKちゃんも初めて天開稲荷神社と奥の院まで足を延ばしました。
お互い物忘れが多くなったのか、弥次喜多道中に近いものがあったけど、楽しい時間を過ごしました。
私達が育つ頃の津久見市は人口は3万人を超え、第2中学校だけでも、1学年360人ほどのマンモス校でした。
それが、今は人口は1万5000人を切り、中学は市内1校に統合され、それでも3学年全部で300人ほどと聞きました。
4月から開校した統合中学は、伊勢正三(しょうやん)が校歌を作ったそうな。
みかんとセメントの町で賑わった当時の面影がなくなったものの、
多感な時期の数年間を一緒に過ごした同級生は、当時はさほど親しくなくても、声をかければ、「仕方ないなあ」と時間を作ってくれます。
50年以上の月日は、それぞれ悲喜こもごも。
今は、ボランティアで人のために時間を使う人もいれば、遊びのために働く人もいます。
Iさんの娘さんは助産師で、産後鬱や子育て支援のために5月1日に開院するそうで、Iさんは今看板つくりの追い込みです。
50数年の時空を超えて、同級生が集まって近況報告ができる幸せをかみしめると同時に、
亡くなっていった友達の分まで大事に生きなきゃと思った帰省でした。
みんな、また遊んでね~
2024年春の帰省その2
2日目は、朝、ホテルまでIさんに迎えに来てもらい、佐伯市の塩糀本店へ。
創業334年という老舗なのですが、恥ずかしながら知りませんでした。
佐伯市には私たちのシステムが入っていて、随分と通ったのになあ。
図書館からもそう遠い場所ではありませんでした。
9代目当主の浅利妙峰さんは、私より1歳下だけど、「糀で世界中の人をお腹の中から元気に幸せにしたい」と活躍されている方で、3月に国東にお邪魔した際に、Hさんから是非会ってほしいと言われていたのです。
聞きしに勝る素敵な方で、もちろん記念写真も撮らせていただき、たくさんのパンフレットもいただきました。
「上京されることがありましたら連絡ください」と言ったら、今はZoomで済ませているそうな。
時代が変わりましたね~
生の塩糀は温度調整が難しくお店で直接購入か冷蔵保存での宅急便になるのですが、
水分を飛ばして粉末にしたことで、世界中に届けられる食品になりました。
こういうアイデアや発想が世界を変えていくのよね~
国東の農業世界遺産もしかりで、故郷で頑張っている人たちを見ると、誇りに思えると同時に元気をもらいます。
大分県の南部の海はリアス式海岸です。
今はバイパスが出来ているから海沿いは通らないほうが多いのですが、Iさんは海沿いを運転してくれました♪
豊後二見ヶ浦。歩道が出来ていて、ちょっとショック。
高校3年の受験の夏、Iさんや友達5,6人とキャンプした高浜は、当時は船に乗って、山越えしていった砂浜の綺麗なところでした。
今は、車で行ける上に、浜は津波対策で見る影もないとのこと。
さすがに時間がなくて連れて行ってもらえなかったけど、次回機会があれば行ってみたいなあ。
Iさんのおかげで思わぬ海沿いのドライブも楽しめて、博多へと向いました。
Iさん、2日間ありがとう♪
懲りずにまた連絡するからね~(笑)
2024年春の帰省その1
1月法事の際に先輩に会うつもりが、直前に入院となり、会えずじまいで気になっていました。
そして、3月、国東市訪問時に佐伯市の塩麹本店を紹介され、これまた気になっていたのです。
そんな時に、高校の同級生のIさんが与那国島から魚を送ってくれ、田舎で暮らす母親の様子見に帰るという情報をゲット。
アッシー君を頼んだら快く(?)引き受けてくれ、急遽帰省することにしたのです。
Iさんは早朝に門司港に着くとのことで、そのまま大分空港まで迎えにも来てもらいました。
今回のお土産は、なぜだか他の場所のもの(笑) 追々書いていきます。
前日に、「帰るからランチしたい!」の突然の強引なお誘いに、渋々ながら高校の同級生6人が集まってくれました。
東京から杵築に移住し、バジル栽培や漁業や合鴨農法まで手掛けるSさんが、最近は大分市府内町のベトナム料理店に合鴨の卵から作ったホビロンを出荷しているとのことで、Quán Phở 18 - Oita でランチしました。
食事は美味しくいただいたものの、誰もホビロンには手が届かず.....
ちなみに、ホビロンとは、
ベトナムでは普通に食べているのだそうです。
みんなと別れて、臼杵の先輩にも会えて、お墓参りも済ませ、津久見でも同級生とお茶をして、
早く息子に会いたいおばちゃんには申し訳なかったけど、1日目の予定は全てミッションクリア。
でも、Iさんの受難は翌日も続きます(笑)
今日は1年分のチンジャオロースの筍を刻んだ!
昨日は、久しぶりに心理療法のSFA(ソリューション・フォーカス・アプローチ)の勉強会に参加しました。
報道記者をされていたMさんから、SFAの仕事への活用事例発表のあと、イン・スー・キムバーグのビデオ鑑賞。
ビデオはカウンセリング講座を学び始めたころにみたことがあるのですが、あのころよりは少しだけ気づきが深くなったように感じます。
やはり続けて学んでいる意味はあるのかなあと思いました。
今日は、午後からKさんが着物をとりに我が家へ。
携帯をマナーモードにしていたから気がつかなかったのだけど、先日の魚と筍を交換した友人が、今日も千葉へ掘りに行っていたとかで、筍を持ってきてくれました。
Kさん、早くに気が付けば分けてあげれたのに残念でした。
今日の戦利品。
左の本は、Kさんからのいただき物。
実は、筍はこれだけではなかったのです。
今日は60本掘ったそうで、でかい筍がまだあって、冷凍も効くというものだから、
次男に取りに行ってもらい、この3倍ほどの筍2本が追加されました。
写真撮り忘れた!
近くに住むYさんに、「刺身と筍取りにおいで~」と誘い、今日も出刃包丁の出番でした。
蕗を茹で、皮をむき、水にさらして、料理へ。
筍の方は、大きな鍋で5回あく抜き作業するほどの量となり、
大きな筍は固いので、毎月チンジャオロースが食べれるほど切って小分けにして、冷凍して、力尽きて今日は終了。
冷凍するときに、砂糖をまぶしておくとよいのだそうです。
明日は、筍の春巻きと天ぷらかな。
ということで、今年も無事季節の筍を味わうことが出来ました。
与那国島から魚が届いた!
二日前、大阪に住む高校時代の友達が、釣り仲間と与那国島にいると連絡が来ました。
「たくさん釣れたから着払いでいいなら送るよ」というので、送ってもらいました。
着払い代金4810円を払うと、郵便局の配達員の方から冷ややかに「買った方が安いんじゃないの~」と言われたけど....
カンパチとアカマチだそうで、アカマチはオナガ鯛ともいうのだそうです。
どのくらい大きさかというと、俎板と28㎝のフライパンで想像してみてください。
氷がしっかり入っていて、「刺し身で食べてください」とのこと。
出刃包丁で、先ずはアカマチからさばきました。
鱗取りの道具がないから、鱗をとるだけでも大変です。
台所だけでなく、部屋中に飛び散って、乾燥してくると刺さって痛いのよね~。
明日は掃除必須となりました。
次はカンパチ。この大きさは初めてさばきます。
口からエサの魚が!と思ったら、
顎の部分なんだそうな。餌は30センチぐらいのムロ鯵ですって。
無事に2匹とさばき終えるのに、葛藤すること1時間!
イヤー!本当に疲れました。
5000円では食べきれないほどの量でした!
マンションのお友達にもおすそ分けし、今晩は刺身で頂きました。
カンパチはしっかりした歯ごたえで、アカマチはそれより淡白で上品な味でした。
頭はしっかりだしをとり、明日の分まで確保して、あとは冷凍しました。
ここ数週間は楽しめそうです。
Iさん、ありがとうね~♪
来週は、田舎にひとりで住んでいる96歳の母親の様子を見に帰るとのこと。
おばちゃんにも久しく会ってないなあ。
1月に帰省した時、入院していて会えなかった先輩が退院したとの連絡も入ったので、
私も都合がつけば帰ろうかなあと思案中。
帰ると決まったら、大分近辺に住む友達を招集しようかな。
正月から訃報が続き、「会える時に会っておかない」と、思うこの頃です。