しゃっぴいおばさんのブログ
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大森西図書館で開催の「知ればもっと好きになる大森西写真展」に行ってきました

今日は、明日5月11日まで大森西図書館で開催の、「知ればもっと好きになる大森西の写真展」に行ってきました。

昨年の「大森町を元気にするプロジェクトの写真展」の様子は、ブログで紹介し、

第113回のWebコラムでも報告しました。

 

でも、今年は、さらにパワーアップしていました。

著書『定点写真で見る 東京今昔』の末尾に名前を載せていただいたこともあり、今回の写真展に鷹野晃さんもお誘いしました。

会場は撮影禁止だったのですが、一部許可をいただいて撮影させていただきました。

 

M館長曰く「写真は100倍に増えました」は眉唾だけど、本当に増えていました。

特に、前回より会社関係の写真がずいぶんと増えていました。

前回の写真展のあと、過去に大森にあったと名前が挙がった会社に連絡しところ、社長自ら写真を持参してくれた会社もあったそうです。

探したけど探しきれなかった、台湾の会社「ニイタカドロップ」や大洋漁業の「マルハ:〇に『は』の字」なども話題になっていました。

 

写真家が伺うと事前に伝えていたから、M館長は総出を挙げて説明してくださり、鷹野さんもスイッチが入り、気が付けばたっぷり1時間以上も経っていました。

その間にも、人は入れ替わり立ち代わり現れて、写真の原画(?)をもってきたという方が現れて、

「その写真は、俺が社務所で見つけたのだ」と、ナビゲータの方が主張すれば、

「それを社務所に持っていったのは俺だ!」と、どちらも譲らず、会話が続き、

皆さんが、写真の前で、地図を広げ「あーだこーだ」と楽しんでいる様子は、この町を愛しているからの風景と思って眺めていました。

毎日誰かが新しい写真を持ってきたり、

「ここに写っているのは、亡くなった妻だ」と話される方に、M館長も思わずもらい泣きをしたり、

まさに、写真はコミュニケーションツールになっていました。

 

昨年の商店街マップもさらにパワーアップしていて、皆さんが情報を追加していました。

 

ランチは、お父様の代から写真を撮り続け公開しているKさんもご一緒し、Kさんのユニークな活動や活躍に刺激を受けて帰ってきました。

人生を愉しんでいる方はすばらしい!!

 

M館長をはじめ皆様、毎日大変ですが、あと1日、頑張ってくださいね~♪

Webコラム「図書館つれづれ」120回が公開されました。

Webコラム「図書館つれづれ」第120回が公開されました。

 

私とて、喘息や癌になったりと決して健康な体ではないものの、何とかこれまで生き抜いてきました。

でも、世の中には生まれながらにして目が見えない人や耳が聞こえない人もいます。

事故で体の機能を失う人もいます。

それを障害というかは別問題ですが、当然と思っていたことが当然でない人権もあることを、2021年7月に聴講したJDC(日本DAISYコンソーシアム)とJEPA(日本電子出版協会)共催のウェビナー「デジタル社会に必要な情報アクセシビリティ」で知りました。

その時のブログがこちら。

 

 

あれから、名前だけは知っていたマルチメディアデイジー図書のことを、いつかきちんと聴きたいと思っていたら、

2023年12月、発達障害児者向けに、児童書・小中学校の教科書・教科書の副読本・障害者白書・大人向けの図書などさまざまなデイジー図書を製作する公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会(以下、リハ協 注2)主催のウェビナーを聴く機会がありました。

デイジー図書の製作者は、筋委縮性側索硬化症(ALS)、筋ジストロフィーなど重度障害により在宅療養を余儀なくされている方々です。

今回は、誰も取り残さないSDGsへの取り組みとして、「重度障害のある方が製作を担うデジタル図書(マルチメディアデイジー図書)製作の報告会」の報告です。

ちなみに、マルチメディアデイジー図書(以下、デイジー図書)とは、読むことが困難な方々のためのアクセシブルな国際標準のデジタル図書のことです。デイジー教科書やあとで出てくるデイジー子どもゆめ文庫は、ボランティア団体が主に製作をされているそうですが、2021年より重度障害者の方が子どもゆめ文庫の一部を製作するプロジェクトが立ち上がっていました。

 

ウェビナーを聴いていて、ぼーっと生きているのが恥ずかしくなったのを覚えています。

よかったら覗いてみてください。

https://www2.nec-nexs.com/supple/autonomy/column/takano/column120.html

以前NHKバックヤードで放映された国立国会図書館のデジタルアーカイブの作成も(もしかして一部?かもしれない)彼らが担っていると聞きました。

やっぱりぼーっと生きていては恥ずかしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 
 

本の森ちゅうおうで岩下尚史先生講演会「東をどりの歴史」聴いてきた

昨日は、長崎県諫早市のDさんが上京するとのことで、やはりユーザーだったK市のYさんを誘い、Sさんもくわえて歌舞伎座で集合。

DさんもYさんも、今は立派な館長になられています。

ランチして本の森ちゅうおうにお連れしました。

Yさんは、図書館界でも話題の統廃合の大きな波の直撃を受けている最中。

つぶれずに何とか精神的にも持ちこたえてほしいと願わずにはいられませんでした。

 

そして、今日も本の森ちゅうおうへ。

今日のお目当ては、岩下尚史先生講演会「東をどりの歴史」。

1年半以上上がらなった四十肩(70肩?)の左手もなんとか後ろに当てることが出来るようになり、せっかくだからと着物で行きました。

講演は、さすがの話術で笑わせながら、あっという間の2時間でした。

講演会に誘ってくれた銀座の生き字引のHさんは、新橋花街にも詳しくて、時々岩下氏の問答に答えたりして会場を盛り上げていました。

『定点写真で見る東京今昔』光文社新書の鷹野さんもいらしていて、その日、紹介されたAさんも一緒に4人でちょっとだけお茶?ならぬアルコールを入れて帰りました。

鷹野さん、本の最後に私の名前を入れてくださっていました。律儀な方です!

 

5月4日は鐡砲洲稲荷神社の例大祭があり、銀座界隈を神輿が練り歩きます。

今は、歌舞伎座の近くで当日に備えています。

お時間のある方は是非!

 

 

2024年春の帰省その3

コロナ禍に、50年近く頑張ってきたホテルを手放したKちゃん。

今までは時間に追われ働くだけ働いてきた彼女だけど、今は時間がたっぷりあります。

だけど、Kちゃんはチケットの手配をすることも、一人で飛行機に乗ることさえできません。

あんなシャキシャキさんが思いのほか内弁慶で、今までどおり、会いたいときは私が出向くしかないのです。

その代わり、今回も博多に宿をとり、美味しい焼肉を夕飯にご馳走になりました。

 

最終日は、福岡空港に荷物を預け、バスで太宰府へ向かいました。

平日だというのに結構混んでいたのは....

その日は25日で、太宰府天満宮の25日祭がちょうど行われるところでした。

菅原道真公が生まれたのは6月25日、亡くなったのは2月25日と伝えられており、毎月25日は月次祭を執り行うのだそうな。

また、この日限定のよもぎを使った梅ヶ枝餅も口にすることが出来ました。

 

本殿は、今修復中で、仮本殿での月次祭を30分ほど見学。Kちゃんも初めて遭遇したそうです。

ちなみに、仮本殿を横から見ると、こんな感じ。

建築家は奇抜なことを考えます。

太宰府天満宮には大木がたくさんあり、心地よい空間でした。

私もKちゃんも初めて天開稲荷神社と奥の院まで足を延ばしました。

お互い物忘れが多くなったのか、弥次喜多道中に近いものがあったけど、楽しい時間を過ごしました。

 

私達が育つ頃の津久見市は人口は3万人を超え、第2中学校だけでも、1学年360人ほどのマンモス校でした。

それが、今は人口は1万5000人を切り、中学は市内1校に統合され、それでも3学年全部で300人ほどと聞きました。

4月から開校した統合中学は、伊勢正三(しょうやん)が校歌を作ったそうな。

みかんとセメントの町で賑わった当時の面影はなくなったものの、

多感な時期の数年間を一緒に過ごした同級生は、当時はさほど親しくなくても、声をかければ、「仕方ないなあ」と時間を作ってくれます。

 

50年以上の月日は、それぞれ悲喜こもごも。

今は、ボランティアで人のために時間を使う人もいれば、遊びのために働く人もいます。

Iさんの娘さんは助産師で、産後鬱や子育て支援のために5月1日に開院するそうで、Iさんは今看板つくりの追い込みです。

50数年の時空を超えて、同級生が集まって近況報告ができる幸せをかみしめると同時に、

亡くなっていった友達の分まで大事に生きなきゃと思った帰省でした。

 

みんな、また遊んでね~

 

2024年春の帰省その2

2日目は、朝、ホテルまでIさんに迎えに来てもらい、佐伯市の糀屋本店へ。

創業334年という老舗なのですが、恥ずかしながら知りませんでした。

佐伯市には私たちのシステムが入っていて、随分と通ったのになあ。

図書館からもそう遠い場所ではありませんでした。

9代目当主の浅利妙峰さんは、私より1歳下だけど、「糀で世界中の人をお腹の中から元気に幸せにしたい」と活躍されている方で、3月に国東にお邪魔した際に、Hさんから是非会ってほしいと言われていたのです。

 

聞きしに勝る素敵な方で、もちろん記念写真も撮らせていただき、たくさんのパンフレットもいただきました。

「上京されることがありましたら連絡ください」と言ったら、今はZoomで済ませているそうな。

時代が変わりましたね~

生の糀は温度調整が難しくお店で直接購入か冷蔵保存での宅急便になるのですが、

水分を飛ばして粉末にしたことで、世界中に届けられる食品になりました。

こういうアイデアや発想が世界を変えていくのよね~

国東の農業世界遺産もしかりで、故郷で頑張っている人たちを見ると、誇りに思えると同時に元気をもらいます。

 

大分県の南部の海はリアス式海岸です。

今はバイパスが出来ているから海沿いは通らないほうが多いのですが、Iさんは海沿いを運転してくれました♪

豊後二見ヶ浦。歩道が出来ていて、ちょっとショック。

 

高校3年の受験の夏、Iさんや友達5,6人とキャンプした高浜は、当時は船に乗って、山越えしていった砂浜の綺麗なところでした。

今は、車で行ける上に、浜は津波対策で見る影もないとのこと。

さすがに時間がなくて連れて行ってもらえなかったけど、次回機会があれば行ってみたいなあ。

Iさんのおかげで思わぬ海沿いのドライブも楽しめて、博多へと向いました。

Iさん、2日間ありがとう♪

懲りずにまた連絡するからね~(笑)

 

 

 

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