戦後60年-20歳で戦死した眞市の記録

戦没者  及川眞市 20歳

昭和18年5月 出征

昭和20年8月 戦没 【戦没地 ミンダナオ島



漫画と絵が大好だった眞市青年(私の叔父)のことを綴っていきたいと思います。


彼は亡くなったとき母、キクの前に霊となって現れました。

亡くなった時のままであったろうボロボロの軍服を着ていました。


「母さん、僕死んでいないからね。」

「母さん長生きするように守っていくからね、及川の家を守っていくからね。」

と言いのこして消えたそうです。


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【目次】

7-31-4  綴る2-3  


写真2  綴る8-3




※ブログ形式の為、クリックのあと下から日付の順に読んで下さい。



【第1章】  なぜ眞市は戦死したか 『その1』  『その2』  『その3』


【第2章】  出征時の話~寮生活「昭和17年」 『その1』  『その2』  『その3』

 

【第3章】  横浜の生活「昭和17年」 『その1』  『その2』


【第4章】  新兵教育の思い出


【第5章】  母の手紙より


【第6章】  錬成の書


【第7章】  眞市の手紙


【第8章】  戦歴調書


【第9章】  その他

【第10章】  眞市童話集 『その1』  『その2』

【第11章】  あとがき



1   母9-2


母5-2   錬成の書1-3

あとがき

今回でブログは最終回とさせていただきます。



これからも続けていきたかったのですが、60年も過去のこと遺品がほんのわずかしかありませんでした。

母・キクが亡くなった時、最愛の息子の遺品も一緒にと棺に入れたそうです。


息子の言葉どおり守ってくれたのでしょう、大病することなく93歳の大往生でした。



眞市の妹によると、とてもやさしくて純粋な人でした。

ものすごく集中して「ウ~ンウ~ン」うなりながら大好きな絵を描いていたそうです。


父が若くして病死し、母の苦労を見てきたせいかとても母思い。


終戦直後は生きて帰ってくると思い、家族中で布団を縫ったりごちそうを作ったり準備している中、

眞市の戦友が訪問し戦死したことを伝えられ、母・キクは一時おかしくなってさまよい歩いたそうです。

(亡くなった直後霊として現れた時は、生きているんだと思ったそうです)



>マスコットを抱いて喜ぶ妹の顔、喜代子はそれを一晩中抱いて寝ることであろう。


と、手記に出てくる眞市がお給料で購入し妹に送ったとても綺麗な花嫁人形。

戦死後、そのお人形の顔がだんだん悲しい顔になってきて見るのがつらくなり『おたきあげ』したそうです。



今まで眞市叔父の手記を読んで、共感していただいた皆様どうもありがとうございました。

短編作文『その29』

9-28


物音一つしない静かな周囲の中にぽつんと灯りのついているのは、なんとなく淋しさをそそる。


風がひとしきりさあーっと吹き抜けた。


それを聞きつつ、ぶるぶると身ぶるいをしながら電灯の下に坐って私は子供心に童謡を作っていた。




9-28-2


召され来たって早や二年


  どんなに母さんかわったろ


僕もかわったつもりだが


  どんなに母さんやつれたろ




召され来たって早や二年


  毎晩おそく針仕事


今日の夢もそうでした


  どんなに母さんやつれたろ




召され来たって早や二年


  重荷を背おって僕のため


冷たい夜道をとぼとぼと


  どんなに母さんやつれたろ




召され来たって早や二年


  小川の岸で淋しそう


僕も男だ頑張るぞ


  どんなに母さんかわったろ


  どんなに母さんやつれたろ



                                        第一回寄宿舎生活の巻終 



9-28-3    9-28-4


昭和17年12月28日午前2時


我の思い出の寄宿舎は焼ける




昭和17年12月8日


大東亜戦争一周年記念


             及川眞市著

短編作文『その28』

9-19


正月を迎えて『その8』



「男は男らしくお國のことだけを考えていればよいのです。

家のことは心配せず女にまかせておきなさい。


お前の送ってくれた心づくしのお金はほんとに有り難いのだけれど、

どうしたらよいか神様にお供えしてお父さんに考えて戴きました。


するとやはりお父さんは折角だから心だけ取っておいて送り返せと言われましたからお前の半分を送ります。


もし必要がなければ貯金しておきなさい。

貯金をするのもお國の為だと聞いています。


では身体を大切に健康を祈っていますよ。」


  生活の楽にならねど大君に

    

     捧ぐる吾子のありてられしき


                            母より


眞市殿へ

                                                  終わり



9-19-2


眞市のスクラップ                         

短編作文『その27』

9-18


正月を迎えて『その7』



「折角だからお前の送って戴いた半分だけとっておきましょう。


お前がそういう細かいところまで気を配ってくれる心持ちは有り難いが、

姉さんやお前の可愛い妹には及ばずながらこの母がついています。


お前には心配かけませんよ。


お前は家を出る時なんと言いましたか。

工場で働くのは國の為につくすことだと言ったではありませんか。


それだからこそ母さんは淋しいながらも横浜へ行くことを許したのです。


だのにお前はお國のことを忘れ、家のことや妹のことばかり考えているようだが、

そんな女々しいことでどうしますか。


母さんはお前をそんな女々しい男に育てたつまりはなかったはずです。」

                                                       続く



9-18-2


眞市のスクラップ

短編作文『その26』

9-17


正月を迎えて『その6』



「眞市、お前が生まれてから初めて給料を戴いた時はどんなに嬉しかったろうか。

殊にそれが他人の中へ出て汗水たらして得たのだから、お前の嬉しさは充分に察します。


亡くなられたお父さんも、さぞかし草葉のかげで喜んでいなさるでしょう。

それから又、ちょっとしたことで人様にほめられたりおだてられて

いい気にのぼっていたら人世の道中は困難が多いのですから、よく反省して自重すべきです。


お前の昇給したことやほめられる事は、母さんは自分自身がなったよりも以上に嬉しいのです。


知人の方がご来宅になっても皆第一番にお前のことを聞いてくださるので

嬉しさのあまり手紙の文句通り話をするのです。


あとでいい気になって息子の自慢話をしたが、

あれで終わったらどうしようどうか立派な人間になってくれるようにと神様に祈らずにいられません。


××さんからお前の大きくなったら食べるようにと、大きなお茶碗を下さいました。

早速それに陰膳を据えています。」

                                                    続く



9-17-2


眞市のスクラップ

短編作文『その25』

9-16


正月を迎えて『その5』



「どれその手紙を見せてごらん」


佐々木寮長はそれを取って読み始めた。

やがて寮長は感慨深げに言った。


「及川、寮長はお前を疑ってすまなかった、許してくれ。

お前はいいお母さんを持って幸福だな、お母さんの教えを忘れるではならんぞ。

そしてお母さんを助けようという今の精神もいつまでも忘れてはならんぞ、いいか・・・」


佐々木寮長はそういって私の肩へ温かい大きな手をおいて揺すった。


私の母の手紙には、文章も字も拙いものではあったが、大体次のような意味のことが書かれてあった。

私は今でもそれを大切に生活の指針として持っている。

                                                続く



9-16-2


眞市のスクラップ

短編作文『その24』

9-15


正月を迎えて『その4』



私には何がなんだかわからなかった。


困ったような顔をして立っていると


「まあすわれよ」


と言って寮長は一通の手紙を出した。


「見ろよお前のお母さんから書留が来ている、寮長の前で開けて読んでごらん」


私は怪訝な顔をしながら封を切ると中からバサリと為替が落ちてきた。


私は一層怪訝な顔をしながら手紙を読んだ。


読んでいくうちに私の手はぶるぶる震えだした。


やがて涙がぽたりぽたりと手紙の上に落ちてきた。


「どうした及川」


「寮長・・・これを読んで下さい」


そう言って私ははずかしさも忘れて、わっと声を上げて泣きながら片腕で顔を覆ってしまった。


                                                          続く


9-15-2


眞市のスクラップ

短編作文『その23』

9-14


正月を迎えて『その3』



それから数日たったある日の晩、私は佐々木寮長の部屋へ呼ばれた。


「及川お前、正月にお母さんへお金を送ったのではなかったかね」


「はい送りましたが」


私は少し不審に思いながらも快活に返事をした。


「ほんとか?」


「ほんとです?どうかしたのですか」


「うそを言っちゃいかんぞ、お前お母さんの所へお金を送って下さいと無心を言ってやらなかったか」


                                                          続く



9-14-2

短編作文『その22』



9-14


正月を迎えて『その2』



私はこう書いて思わず微笑んだ。


マスコットを抱いて喜ぶ妹の顔、喜代子はそれを一晩中抱いて寝ることであろう。


それにしても嬉しいのは、母が

「うちの眞市も、もうこんなにして家へお金を送るようになりましたよ」

と言って、近所中をふれ歩く姿である。


ほんとに心から喜んでくれるに違いない。


それを思うと自分が日本一の孝行者になったような気がして

私は笑うなといっても笑いが浮かび上がってくるのを抑えることが出来なかった。

                                                       続く



9-14-2


眞市のスクラップ

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