デューン/砂の惑星 日本公開30周年記念特別版 Blu-ray BOX
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もし、第7稿(最終稿)の構成のままに、採用されなかったオープニングを再編集したらどうなるのか?
これは、そんな超レアな幻のオリジナルオープニングだ。
実は、脚本の第7稿では、フレメンの教母の語りから始まり、イルラン姫のナレーションは全くなかったのだ。
ところが、劇場公開版では、映画冒頭でイルラン姫の語りを採用して、さらに要所要所をイルランのナレーションで補強するカタチになっていた。
このイルランの語りとナレーションは、すでに脚本の第1稿には存在していた。
なぜなら、原作からして基本的に各章の冒頭にはイルランの記述から入る構成だったからだ。
リンチは、原作の構成を踏襲していた訳だ。
ところが、その後の脚本ではイルランの語りはカットされ、フレメンの教母の語りに取って代わられたのだ。
そこで今回は、最終的な第7稿の構成のままに、オープニングを再編集してみたワケ。
なぜ、フレメンの教母の予言から始めようとしたのか?
フレメンたちが超人クイザッツ・ハデラッハによって、抑圧された環境から解放されていく物語だという面を強調したかったのではなかろうか?
しかし・・・編集してみて思ったんだけれど、初めて映画を観る観客にとっては、あまりにも分かりづらい内容になるんじゃなかろうか。
これは、もしかしたら、劇場公開版よりも分かりづらいかもしれない。
まあ、結局このオープニングは不採用になった訳だしね。
もしリンチの手によるディレクターズ・カットが実現したとしても、やはりこのオープニングが採用される可能性は低いと考えられるんだよね。
【リンチ版デューン/砂の惑星】教母の予言の長尺版(究極試写版)
それなら、フレメンの教母の語りは、どの位置なら、しっくりくるのか?
脚本の第1稿から7稿(最終稿)までの資料や、リンチの証言などを検証して、考察した「究極試写版」のクリップがコチラ。
アトレイデス家がアラキスに到着し、ここでフレメンの教母が「予言」について「時が来た」と告げる。
お分かりのように、劇場公開版と構成は同じだ。
ただ、教母の語りは圧倒的に長い。
究極試写版では、冒頭はイルラン姫の語りを採用。
劇場公開版よりもイルランのナレーションを増やして、物語に散りばめた。
教母の語りも、劇場公開版の流れに準拠した。
イルランの語りと、教母の語りを二つとも採用することで、とても理解しやすい内容となったのではないかと考える。