今月20日、以下のニュースが日本中を震撼させた。
A級戦犯、靖国合祀 昭和天皇が不快感 元宮内庁長官メモ(産経新聞)
昭和天皇が靖国神社のいわゆるA級戦犯合祀に不快感を示していたことを示すメモが表に出たことについて、安倍晋三官房長官は20日午前の記者会見で、「政府としてコメントする事柄ではない」と述べた。だが、自民党内は現在、戦没者の追悼をめぐって、A級戦犯分祀(ぶんし)論、国立追悼施設の建設や千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充論など百家争鳴状態にあり、波紋が広がるのは間違いなさそうだ。
政府は、小泉純一郎首相の靖国参拝に関しては「首相自身が判断するもの」(安倍長官)との姿勢だが、首相の参拝に反対する勢力が、今回のメモ発見を利用し、勢いを増すことも想定される。またメモ発見が、首相の靖国参拝に反対している中国の高官が、「A級戦犯分祀論」を唱える自民党の古賀誠元幹事長に賛意を示したばかりというタイミングの問題もある。
ただ9月の自民党総裁選に向けて「公になった言葉ではなく、非公式な会話メモで判断するのは、昭和天皇の『政治利用』につながりかねない」(百地章・日大教授)との懸念も出ている。
政府筋は「(故・富田朝彦宮内庁長官のメモだけでは)昭和天皇が本当に不快感を示すご発言をしたかどうかは、誰も分からないだろう」とも指摘する。
また、仮に内心がどうであれ、昭和天皇も現天皇陛下も春秋の例大祭には靖国に勅使を派遣するなど、靖国重視の姿勢を示し続けてこられた事実は重い。靖国の現宮司の南部利昭氏は就任に際して「天皇陛下から『靖国のこと、よろしく頼みます』と直接、言われている」(関係者)ともいう。
今回のメモ発見でも、「戦没者追悼の中心施設は靖国」(小泉首相)という事実には何ら変わりはない。
■「政治利用」に懸念も
昭和天皇が昭和63年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと不快感を示されたとする当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)のメモが残されていることが20日、分かった。昭和天皇は50年以降、靖国神社を参拝されていない。A級戦犯合祀は昭和53年。
関係者によると、富田氏は昭和天皇のご発言などを手帳などに書き留めており、63年4月28日付で靖国参拝に関するメモが残っていた。昭和天皇が「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などとお話しになったとしている。
「松岡」「白取」はA級戦犯として祭られている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられる。
ほかに「筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが。松平の子の今の宮司がどう考えたのか、易々(やすやす)と。松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」などの記述もあった。
「筑波」はA級戦犯の合祀をしなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(故人)、「松平」は最後の宮内大臣の松平慶民氏(同)、その「子」は長男でA級戦犯合祀をした当時の松平永芳宮司(同)とみられる。
富田氏は昭和53年から63年まで宮内庁長官を務めた。
靖国A級戦犯 昭和天皇 合祀に不快感 宮内庁元長官メモ「だから参拝せず」(産経新聞)
昭和天皇が靖国神社のいわゆる「A級戦犯」の合祀(ごうし)について「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと話されたとするメモを、元宮内庁長官の富田朝彦氏(故人)が残していたことが20日分かった。昭和天皇はA級戦犯合祀が明らかになる3年半前の昭和50年11月以降、同神社を参拝されなかった。メモは、明確になっていないご参拝中断の理由を探る貴重な史料といえる。
関係者によると、富田氏は宮内庁次長時代を含め、昭和天皇との会話を手帳などに書き留めていた。靖国発言のメモは63年4月28日付。メモによると、昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語られたと記されている。
「松岡」「白取」は日独伊三国軍事同盟締結にかかわりA級戦犯として祭られている松岡洋右元外相(未決拘禁中に死亡)、白鳥敏夫元駐伊大使(終身禁固刑を受け獄中死)を指すとみられる。
また「松平は平和に強い考(え)があったと思うのに、親の心子知らずと思っている」などの記述もあった。「松平」は最後の宮内大臣の松平慶民氏(故人)、「子」は長男でA級戦犯合祀を決めた当時の松平永芳宮司(同)とみられる。このほか「筑波」は41年に厚生省から祭神名票を受け取りながら合祀しなかった筑波藤麿・靖国神社宮司(同)とみられる。
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【富田元長官のメモ】
私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と
松平は 平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている
だから私あれ以来参拝していない それが私の心だ(原文のまま)
私は当初、このニュースを知ったときには「まあ、先帝陛下は大東亜の開戦に最後まで反対されていたようだから、思わずこのような事を側近に漏らされてしまわれたのだろうな」ぐらいに思っていたのだが、翌日になってネットを見てみると何とあの「富田メモ」が偽造なのではないか、という情報が縦横無尽に流れていたのだ。後になってニュース番組で「富田メモ」の実物が移っていたのだが、確かに不自然に貼り付けているような感じを受けた。さらに言うならば、昭和天皇のお言葉としてはかなり違和感を感じてならない気がするのだ。
このニュースは日本経済新聞の20日付朝刊が元になっているのだが、やはり日経はこのタイミングを狙って流したのだろうか。そして昨年の始めに朝日の「NHK番組改編事件」と同様に偽造したのだろうか。しかし、仮にも五大紙の一つである日経が恐れ多くも昭和天皇のご発言を捏造した、などという事が発覚すれば間違いなく日経は終わるだろう。それを考えると全くの偽造と言い切るのも難しいのかも知れない。
しかしここで重大なのは、万一事実であったとしても、これが立憲君主であらせられた昭和天皇の極めて「私的」なご発言であるという事であり、間違っても政治利用するような事は決して許されないという事なのだ。
特に朝日はこのニュースが発表されるや否や社説で「昭和天皇の気持ちを尊重するべし」という旨を書いていたが、では皇室典範改正問題で三笠宮寛仁親王殿下が女系天皇反対のお気持ちを表わされた時に、やはり朝日は社説で無礼にも「皇族ならば政治的発言は控えるべきだ」などと書いていた事を忘れたのだろうか?皇族方のご発言に対するご都合主義にも程があろう。
また、さらに言うならば、あまり死者に無理打つような事はしたくはないのだが、今回の火種を残してしまった今は亡き富田元長官の責任は決して軽くはないであろう。本来ならば、このような後生に多大な悪影響を及ぼすような手記や日記などは、自らが死す前に必ず全て処分しなければならないのが道理である。恐らく富田氏は「このような貴重なものを処分することなど出来ない…」などとしている内に亡くなってしまったのではなかろうか。なぜこのような人物が宮内庁長官を務めていたのか、全く困った事である。
さて、昭和天皇が「富田メモ」にもあったように、大東亜戦争開戦の要因となった日独伊三国軍事同盟締結の推進役であった松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐伊大使に多大な不快感を催されていたのは概ね事実であろうが、しかし私個人としてはそれは酷ではないかと思う。
特に松岡に関しては満州国建国を否決した国際連盟脱退と先述の三国同盟締結に関して保守派からも毛嫌いされているようだが、私には松岡の気持ちもある程度が分かるような気がする。人種平等宣言を白人植民地保有諸国のエゴで否決し、さらには清朝のラストエンペラー・溥儀の願いを受けて建国し、平和で安定した国家になりつつあった満州国を承認しなかった国際連盟への失望。米国の対日敵視戦略によって孤立させられた日本を何とかしようと、全体主義であると知りつつもヒトラーのナチス・ドイツとムッソリーニのファシスト体制下のイタリアとの同盟締結。後生に生まれた我々はその結果でもって松岡らを批判するだけで良いのかも知れないが、苦悩の末に行動した彼らの思いも酌み取る事も大事なのではないだろうか。