リアル異世界おじさんブログ

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滞米14年の研究者から転生して現在異世界で教授生活

新幹線での移動等で、フラフラになりながらも読書をしたのであった。

 

「ロッキード」読後は色々と書きたいことがあったのであるが、今はその熱も冷めてしまっている。が、とりあえず記録としてここに書いておこう。

 

ロッキード事件に関してはあまり知らずに「立花隆の文藝春秋の記事によってスクープされた事件」とか誤解していたのであった。田中角栄の金権政治(とみなさられる)が立花隆によって明らかにされ辞職、その後、ロッキード事件が起こり、その家庭で元総理として角栄が浮かび上がる。ロッキードには、全日空ルート、丸紅ルート、児玉ルート、とよばれる3つの案件に焦点をあてて検察の調査が進むのであるが、全日空と丸紅の金の流れにより角栄は逮捕される。が、むしろ本丸は児玉ルートであり、これは未解決のまま事件自体が終わったしまう。作者は、独自の分析により、角栄は児玉ルートを隠すためのスケープゴートにされたのではないか、そして児玉ルートの黒幕は中曽根元総理ではないか、と推理するのであった。私は松本清張の日本史の裏で米軍が蠢いていることを主張する「日本の黒い霧」が好きなのであるが(今で言う陰謀論か)、そういう戦前から続いている昭和の裏面史を垣間見えたような気がして面白かった。

 

 

すだまさし的な生活をもとめつつも、結局今日は5時間労働。学位審査の発表の練習に付き合い2時間、その後論文を書き始める(論文は私が書くのだが)学生のデータを確認して1時間、某大学との共同グラントについて調べて1時間、学位審査のスケジュールについて1時間。6月に深圳で行われる会合に声をかけていただいたり。明日は9時から某先生とディスカッション。ということで、毎度のように忙しい自慢になりつつある。

 

というか、仕事だけをしていられるなら異世界でも構わないのであるが、その他のファクターが多すぎるのでそれがストレスになるのである。

昨夜は長旅で疲れていたのか、こちらに転生後にアパートに戻り、掃除やら洗濯をした後に寝落ち。

 

菅田将暉の歌で「頑張らなくてもいいんだよ」的な歌詞があったと思う。また、(学生時によく聴いた)さだまさしも、「頑張らないで〜、るるる〜」と歌っている。

 

すだまさき

さだまさし

 

似ているのではないか、と気づき、頑張らなくてもいいことを「すだまさし」と呼ぶことにしようと転生後のタクシーで思いつき、今後はすだまさしとして生きていくことにしたほうがいいかもなあと思ったのであった。

 

ちなみに、「さだまさき」も候補に上がったのだが、すだまさしにくらべるとさだまさきの方はなんか強い印象があるので却下にした。

 

ということでこれからラボ

ということで明日異世界に再転生する。今夜は異世界でのゼロをサバイブした戦友と会ってきた。「シベリアから戻ってきたようなもの」と彼が言っていたが、あの街であの状況を説明するのはとても難しいし当事者以外には理解されないだろう。それだけゼロは我々の人生に影響を与えたのである。いや、まじで、だれか日本人の体験談をまとめるべきだと思う。

 

(予想外の)2週間の日本滞在。最初はフラフラと耳鳴りがひどくてちゃんと食事もできなかったのだが、あるいは友人との対話も集中しないと続かなかったのだが、ここ数日は耳鳴りがまだ残っているもののジャンクフードも楽しめるようになり居酒屋でルービーも飲めるようになった。フラフラも深刻な状況ではなさそうなので、まあ転生後は仕事に集中できる。とりあえず6月末の学期後に数日こちらにもどり、それ以外は8月末まで仕事モードで過ごし、グラントを3つと論文を3つ片付けることにする(おそらくこれがオーバーワークなのかもしれないけれど)。

 

友人や後輩や先輩や恩師や新しく出会った人からアドバイスをもらい自分なりに考えて、今後どうすればよいのか見えてきた、ような気がする。

1)研究はなるべく続けたいけれど、どこで終えるかは自分できめるべき

2)長生きできる術があるのならそれを試すべき

3)研究後の人生を真正面から考えるべき

4)自分はどこか壊れていて普通の人のようには生きられないと自覚するべき(無いものねだりはしない)

5)おそらく最後は孤独死だろうからその現実を受け入れるべき

6)元気なうちに(人に迷惑をかけない範囲で)快楽を享受するべき

7)全ての責任は自分にあると思うべき

8)他者に追うべき責任を明確に決めてそれ以上のことをできないと自覚するべき(自分に自惚れない)

ということで昨日は目黒駅近くの耳鼻科に行き、耳鳴りをみてもらった。ここは両国駅近くのだっちゅーのをするクリニックとは異なり、受付もドクターもちゃんとしていて、とくに昨日担当してもらったドクターはわかりやすい説明で感動すらした。もし興味があるなら、目黒駅、みみはなのど、で検索してみてください。メニエール病とも思えないけれど、普通の人より聴力が弱いそうである。多分、ストレスが原因だと。まあ、脳梗塞の可能性が限りなく透明に近い永遠のゼロになったので良かった。が、今後は、健康に気をつけて定期的に人間ドックを受けることにする。

 

そういえば、新幹線の中でホリエモンの本を読んだのだが、毎度のように情報密度は低く、フーン程度であった。が、定期的にパラパラと見直して日常生活で忘れそうな健康管理について思い出すには良いだろう。歯のクリーニング、人間ドック、脳ドック、内視鏡検査、積極的な運動(1日1万歩)、1日7時間半の睡眠、あえて何もしない日、人間関係の断捨離、が大事になる。加えて、目のケア、スキンケア、頭皮ケア、等をすればアンチエイジングにもなる。今後は、体のメンテにエネルギーの30%くらいは使うべきであろう。逆に考えると、これらをしておけば、72歳健康寿命も突破できて、そう考えると、70%くらいの出力にダウンして効率が落ちたとしても、その分長く行動できることになり、生きている間に出来る事柄は増えることになる。

 

その後、某旧友と会いに行くために某大学へ移動したのだが、途中、私が学位をとったイカケンに立ち寄る。およそ20年ぶりである。というか、目黒駅周辺、白金は随分と変わり、かなりシャレオツになった、のは当たり前か。当時はまだフツーの本屋とか写真屋とかあったのだけれど。イカケンは国内最高峰の研究所と認識されており、ここでは大体セブンイレブンで年休1日くらいで、皆、くるったように、働く(くるう人もいる)。ここで働く人を私はイカケニアンと呼び、そしてCNSを出すとスーパーイカケニアンに進化するのであった。

 

その後、イカケン時代の後輩とおよそ20年ぶりくらいに会って夕食。後輩というか、私がスタッフの時に面倒を見た学生であり、よく飲みに連れて行った。彼は学位後すぐに企業に就職して、結婚、子供を2人授かり、転職をしてステップアップ、首都圏に家を建てている最中ですまだまだっすよ、という、典型的な成功組であった。当時と同じ格好をして、同じ生活をして、娘とも疎遠になり、APAホテルに滞在して、APA温泉につかり、見放題のAVを見て現実逃避をしている自分には眩しく見えたのであったが、もしかしたら研究というドラッグにハマったスーパーイカケニアンの末路はこんなものかもしれない。能力が低くバックグランドも無い自分が、納得のできる研究をするには何かを犠牲にするしかない。そして、生活を犠牲にしてでも研究をして論文を出したいと思えるほど壊れてないと続けることはできない。「学生時代にはたくさんお世話になったので、今日は私に奢らせてください」と後輩に言われながら、そんなことを考えたのであった。