西日本ジェイアールバス「園福線」廃止の25回目です。
今回は鉄道区間からバス区間への通しの乗車券です。
昭和33年9月に東海道本線京都駅で発行されました、「京都から 須知ゆき」の乗車券です。
「園福線廃止~4」でご紹介いたしました「須知」着の乗車券で、「園福線廃止~5」で申しましたように、「新須知」の開業は昭和37年10月10日と考えられますので、この券が発行された昭和33年9月の段階では「園福線」の本線は旧山陰街道沿いの「須知」を通っていたものと思われます。
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西日本ジェイアールバス「園福線」廃止の22回目です。
今回は桧山からの鉄道区間への通しの乗車券をご紹介いたします。
昭和53年10月に発行されました、「桧山から 八木ゆき」の乗車券です。
当時は大阪印刷の「発売当日限り有効」の一般式の常備券は、他の印刷場と同様に原則としてB型券でした。
この券には運賃変更印が押印されておりますが、券番は0094で発売枚数は100枚に僅かに達しておりません。
鉄道区間の運賃改訂は昭和53年7月8日に実施されておりますが、現在の消費税率引き上げ時のように、当時は鉄道区間とバス区間が同時に運賃改訂される事は少なく、鉄道区間の運賃改訂後に新運賃券が登場しても、その後にバス区間の運賃改訂が実施されれば運賃変更印が押印されますので、会社線との連絡乗車券と同様に、バス区間と鉄道区間の通しの乗車券も、鉄道区間だけの券よりも運賃変更印が押印される確率が高かったです。
こちらは昭和55年8月に発行されました、同じ区間の乗車券です。
大阪印刷の「発売当日限り有効」の一般式の常備券が、原則としてA型券に変わってからの券となります。
桧山駅では、園部接続で山陰本線京都方面の駅は常備券の設備が多かったようで、幾つかをご紹介いたします。
「亀岡ゆき」、「花園ゆき」、「京都ゆき」の3種類で、最初にご紹介いたしました「八木ゆき」と合わせて、園部から山陰本線京都方面へは4種類の常備券が確認でき、この他の着駅の常備券も設備されていたものと考えられますが、発売需要の少ない着駅に対しては補充券で発売していたものと思われます。
桧山駅には、「東京都区内ゆき」の長距離の常備券の設備もありました。
裏面です。
桧山~園部間には途中下車指定駅は存在しないため、「自動車線内下車前途無効」の記載があります。
西日本ジェイアールバス「園福線」廃止の21回目です。
今回からバス区間と鉄道苦寒の通しの乗車券を幾つかご紹介いたします。
昭和44年6月に園部宮町駅で発行されました、「園部宮町から 京都ゆき」の乗車券です。
当時、列車区間の乗車券の有効日数は、営業キロ30キロまでが「発売当日限り有効」で「下車前途無効」とされ、園部~京都間の鉄道区間の営業キロは34.2キロで「発売日共2日間有効」となり、自動車線と鉄道線の通しの乗車券の場合は全区間の営業キロが30キロを越える場合は、鉄道区間の有効日数+1日とされましたので、鉄道区間の有効日数2日+1日の「発売日共3日間有効」となっています。
裏面です。
当時の園部宮町~園部間には途中下車指定駅は無かったようで、「自動車線内下車前途無効」となっています。
こちらは昭和46年3月に発行されました、同じ区間の乗車券です。
運賃は変わりませんが、「発売当日限り有効」で「下車前途無効」のB型券に変わっています。
昭和44年11月15日の旅客営業規則の改訂で、営業キロ50キロまでが「発売当日限り有効」で「下車前途無効」となり、鉄道区間の有効日数+1日となるのも全区間の営業キロが50キロを越える場合に変わり、園部宮町~京都間の営業キロは50kmを越えませんので「発売当日限り有効」で「下車前途無効」となり、全区間の営業キロも50キロを越えないため有効日数+1日ともならず、この区間は規則改訂前の「発売日共3日間有効」から有効期間が2日間減る事となりました。
西日本ジェイアールバス「園福線」廃止の20回目です。
「西日本ジェイアールバス 園福線廃止~10」のエントリで、「もう少々お付き合い下さい。」と申しましたが、アレをご紹介したならばコレも、コレをご紹介したならばアレも・・・と、いつもの悪いクセで本日のエントリで20回目になってしまいました。
福知山駅の鉄道窓口発行のバス区間用の金額式乗車券で、「西日本ジェイアールバス」となってからの券です。
平成3年5月に購入した券で、この時は「10円区間」~「100円区間」の全ての券がJRW地紋の券に切り替わっておりました。
昭和63年4月1日に「西日本旅客鉄道バス」から「西日本ジェイアールバス」に分社された時、さすがに「西日本会社線」の表記は変わるだろうと思っていたのですが、予想は外れて鉄道区間用と同じ様式の「西日本会社線」表記の券で発売され、初乗り運賃よりも安い運賃の金額式乗車券の口座も生き残ってJRW地紋の券に引き継がれましたが、「10円区間」の券はJRの歴史上で見ても、最も安い硬券であったと思います。
いずれの券も地紋以外で大きく変わったのは小児断片の数字の記載方で、これまでの小児運賃の記載から大人運賃の記載に変わっており、「西日本ジェイアールバス」に分社された時から、小児運賃の10円未満の端数は「切り捨て」から「切り上げ」に変更され、端数整理の変更で一部の区間の小児運賃が10円値上げされましたので、「西日本ジェイアールバス」となってから小児断片は大人運賃の記載に変わった可能性が高く、昨日のエントリでご紹介いたしましたように、「西日本ジェイアールバス」となる10日程前の段階でも、福知山駅では国鉄券の残券を継続発売していた口座が残っており、分社化で小児運賃の端数整理も変わる事から、昭和63年3月31日の発売をもって国鉄券の残券と「西日本旅客鉄道バス」の国鉄地紋券を廃札として、昭和63年4月1日からJRW地紋の新券に一斉に切り替えたのかも知れません。
今回ご紹介いたしましたような、大阪印刷調製の鉄道区間用と同じ様式の「西日本ジェイアールバス」の金額式乗車券は、国鉄時代は「中部地方自動車局」管内であった木ノ本、近江今津、小浜、敦賀、金沢、穴水管内での発売例は未見で、金沢の「名金線」や穴水の「奥能登線」は「発売日共2日間有効」の一般式のA型券でしたし、木ノ本、近江今津、小浜、敦賀では、大阪印刷調製となってB型券からA型券となった一般式の他に、国鉄時代の名古屋印刷調製の券の様式を引き継いで、大阪印刷調製のJR券では少数派の相互式や矢印式のB型券が発売されておりましたので、鉄道区間用と同じ様式の金額式乗車券は、旧「近畿地方自動車局」の管内のみの発売であったものと思われます。
西日本ジェイアールバス「園福線」廃止の19回目です。
福知山駅の鉄道窓口発行のバス区間用の金額式乗車券で、「西日本旅客鉄道バス」となってからの券です。
「西日本ジェイアールバス」に分社化される10日程前の発行ですが、まだ国鉄券の残券を継続発売している口座が多く残っており、JR券に変わっていた「10円区間」と「200円区間」の券を購入しています。
[西]の発区分記号が入り、「国鉄線」が「西日本会社線」に変わりましたが、鉄道区間用と同じ様式なのは変わらず、「200円区間」の券の小児断片の数字も国鉄券と同じく小児運賃の表示となっています。
収集目的での購入で使用しておりませんが、昨日のエントリで申しましたように、この券2枚を同時に使用すれば、210円区間に乗車できる事になります。
西日本ジェイアールバス「園福線」廃止の18回目です。
昭和55年11月に、福知山駅の鉄道窓口で発行されました金額式乗車券です。
鉄道区間用と全く同じ様式の券となります。
昭和55年11月当時の鉄道区間の初乗り運賃は「100円」だったのですが、国鉄バスでは鉄道区間の初乗り運賃以下の運賃の金額式乗車券の設備がある例が多く、当時の国鉄バスでも小児運賃で「10円」で乗れる区間は無かったと思いますが、福知山駅には「10円区間」の金額式乗車券も設備されておりました。
国鉄バス区間用の金額式乗車券は、鉄道区間の金額式乗車券とは発売方と使用方が異なっており、鉄道区間では原則として乗車券は1人に対して1枚で、例えば300円の区間を乗車する場合に150円区間の乗車券2枚では、支払った運賃は同額でも同時に使用する事は不可で、1枚は重複購入として払い戻しの取扱いとなりますが、国鉄バスの場合は150円区間の金額式乗車券2枚で300円区間に乗車する事が可能で、このような例は民営バスの乗車券でも見られます。
つまり、例えば福知山から国鉄バスの110円区間を乗車する場合、「100円区間」と「10円区間」の2枚の金額式乗車券を発売し、2枚の乗車券を同時に使用して110円区間に乗車する事が可能であり、乗車する区間に応じて複数枚の券を組み合わせて発売するために、初乗り運賃以下の金額式乗車券が設備されておりました。
各運賃の券とも、小児断片の下部に記載された数字は小児運賃を表わしており、「10円区間」、「20円区間」、「30円区間」の小児断片には何れも「10」と記載してあり、当時は既に小児運賃でも「5円」の端数はありませんので、「10円区間」の小児断片を切断して発売しても発売額は「10円」でした。
当時の国鉄バス区間用の金額式乗車券で、小児断片が設けられていた例は大阪印刷(近畿地方自動車局)と新潟印刷(信越地方自動車部)ぐらいで、他の印刷場の国鉄バス区間用の金額式乗車券は鉄道区間用とは様式が違い、小児断片が設けられておりませんので、鉄道区間用と全く同じ様式にもかかわらず、初乗り運賃以下の運賃の券が存在する大阪印刷の券は特異に感じられます。
当時の福知山駅の鉄道窓口には、「10円区間」から10円刻みで金額式乗車券が設備されており、「100円区間」以上は何種類の金額式乗車券が設備されていたのかは不明ですが、「1000円区間」の金額式乗車券の設備がありました。
昭和55年4月20日の国鉄運賃改訂による制度改訂で、鉄道区間は近郊区間相互発着を除いて100kmまで「発売当日限り有効」で「下車前途無効」となり、この時点で90km~100km帯の運賃は「1080円」で4ケタの運賃となっていたのですが、当時は51km~100km帯の乗車券は原則として一般式、相互式、矢印式の着駅表記となっており、運賃が4ケタとなる金額式乗車券はバス区間用のみで、鉄道区間用は存在していなかったかも知れません。
幹線運賃と地方交通線運賃が分けられた昭和59年4月20日の国鉄運賃改訂以降は、51km~100km帯の乗車券にも金額式乗車券が用いられる事が多くなり、運賃が4ケタとなる金額式乗車券も通常に見られるようになりましたが、この運賃改訂以降に登場した大阪印刷調製の運賃が4ケタとなる金額式乗車券は、数字が横幅の狭いフォントの活字となりましたので、今回ご紹介いたしました「1000円区間」の券とは見た目が若干異なっています。