見ろよ青い空 白い雲 空の歌#4 | 鳥肌音楽 Chicken Skin Music

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前回エノケンの「私の青空」の動画をYOUTUBEで探している際に関連動画として喜劇関係やコミック・ソングに関係した動画がたくさんあって、暇にまかせていろいろ見ていました。中でも面白かったのが大瀧師匠の87年のNHK-FMでの特番「マイセレクション トニー谷特集」と同じくNHK-FMの坂本龍一のサウンド・ストリートの本人植木等、大瀧師匠を招いての「クレイジー・キャッツ特集」で、聴き終わって小林信彦の「日本の喜劇人」を読み直したりしています。

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なぜこういうことを「空の歌」特集のマクラに書いているかというと、クレイジー特集の中で植木さんが以下のような発言をしていたからなのです。

植木等: 当時はね(戦時中)ラジオ歌謡なんてね、菊田一夫さんが作詞のね「鐘の鳴る丘」とかね、真面目な歌が多いし、どうしても軍歌が多かった。そういう時代になんかこうそうじゃないものを、だから「マイ・ブルー・ヘブン」なんていうのを。
大瀧詠一: あぁ良かったんですか。
植木: 押入れの中で一人で歌ったりトイレで歌ったりしてたからね(笑)。
坂本龍一: 人前では駄目?。
植木: 人前で歌ったら警察に連れていかれちゃうからね。そういう時代ですよ。それが戦争が終わると、負けたとなると駐留軍に慰問にいっちゃうんだから、節操が無いというか、なんというかね(笑)。


「マイ・ブルー・ヘブン」と英語で言っているので英語詞で歌うということかも知れませんが、おそらくは日本語詞の「私の青空」も作曲がアメリカ人で敵性歌だし歌詞の内容も小市民的なので”戦意高揚を妨げ、時節にふさわしくない”ということでダメだったということじゃないかと思われます。現在は歌を聞いて心を「癒す」なんていうのが普通に言われますが、戦時中は「癒す」なんてトンデモないことでとにかく一億国民が一緒になって戦意を「昂揚」させなければならない、好きな歌すら聴くこともできない嫌な時代ですね。

で、戦後植木さんはハナ肇や谷啓らと出会いジャズ・バンド、クレイジー・キャッツを結成します。クレイジー・キャッツの名前の由来自体が進駐軍相手のライヴで演奏中に洗面器で相手の頭を叩いたりするパフォーマンスをやっていてアメリカ兵から”You,Crazy”と大笑いされていたので、元々の名前キューバン・キャッツをクレイジー・キャッツに改めたということですから、演奏の腕がいいのはもちろんかなりハチャメチャでとにかくウケのいいパフォーマンスをやっていたのが分かります。

61年の「スーダラ節」の大ヒットでお茶の間にもブレイクしたクレイジー・キャッツと植木等ですが、植木等は64年にソロとして映画『ホラ吹き太閤記』の主題歌「だまって俺についてこい」を発表します。

だまって俺について来い


金の無いやつは 俺んとこへ来い
俺もないけど 心配するな
見ろよ青い空 白い雲
そのうちなんとか なるだろう


戦時中のエピソードを語るのを聞いた後で”見ろよ青い空”と歌われるこの歌を聴くと、戦時中に「私の青空」や好きな歌を歌えなかった「恨み」を晴らしたかのようにも聞こえるし、なによりも戦時中のすべては「国家」のためにという理由で抑圧されていた「個人」の解放が感じられるます。

物心ついてから半世紀近く、クレイジーなんていうのは本当にものごころがついた頃に耳にしていました、いろんなミュージシャン、いろんなジャンルの音楽を聴いてきましたが、最もパワフル(いろんな意味で)な音楽は誰かと問われれば僕はクレイジー・キャッツだと答えます。どんなヘビメタやハードコアよりも植木等の歌声は破壊力を持っていると思います。いや上に書いたように植木の歌声には抑圧からの解放=「自由」があるので、「破壊力」であり「蘇生力」をも内包していると言った方が正しいような気がします。

だから僕は「スーダラ節」が流ないような社会には住みたくはありません。



泣きながら歌う歌手は多いけど、笑いながら歌う歌手は植木等だけかもしれないな。



ごくろうさーん