この度、私 漢那悦子は、シアターキューブリックを退団いたします。
「一度演劇をやると中毒になって、死ぬまでやめられない。」とは、昔からよく言われるそうですが、本当にそのとおりです。2000年の旗揚げから、俳優を10年、制作を5年務めましたが、皆で作品を創り上げる作業は、苦しさも悲しさも全部含めて、いつも最後は“楽しい”の一言に辿り着きました。
俳優は自分が演じる人物を愛し、裏方は、そんなふうに演じられる役柄と演じる俳優を愛する。人間を、世界を、愛し抜く。いいところも、どうしようもない弱さも汚さも突き詰めて、とことん。本番中はもちろん、稽古場や会議、準備期間の日常すべてが、そんな愛情・愛憎あふれる濃密な時間となるわけですから、楽しくないわけがありません。
しかし、15周年を迎えた今年、私は退団を決意しました。
家庭の事情でいつかは東京を離れるであろうことを考慮し、将来の道を考えるようになってもいました。
また、劇場のロビーや、劇団が経営する店舗の店先に立つうちに、いつしか、お会いするお一人お一人の物語をもっと深く知りたい、その物語の喜怒哀楽を共有したいと、個人的に願うようにもなっていました。
そして、その両方の思いを叶えてくれる仕事に出会い、新しい道を歩むことに決めました。
シアターキューブリックは、年々作品のクオリティもアップし、商店街アイドル・帰ってきたキューピッドガールズの活動も地域に根付き、たくさんの方々に愛され、ますます進化を遂げている最中です。
これからは私もいちファンとして劇団を応援してゆきますので、劇場や、ローカル鉄道や、キラキラ橘商店街などで見かけた際には、お気軽にお声がけくださるとうれしいです。
15年間、シアターキューブリックの私を応援してくださった皆様、ありがとうございました。
一緒に走ってくれた仲間のみんな、ありがとう。
こんなにも大きな愛しさを教えてくださったこと、心から感謝しています。
これからも続く愛しい奮闘の日々、みなさんの笑顔をお祈りしています。
2015.12.31
シアターキューブリック 漢那悦子
「一度演劇をやると中毒になって、死ぬまでやめられない。」とは、昔からよく言われるそうですが、本当にそのとおりです。2000年の旗揚げから、俳優を10年、制作を5年務めましたが、皆で作品を創り上げる作業は、苦しさも悲しさも全部含めて、いつも最後は“楽しい”の一言に辿り着きました。
俳優は自分が演じる人物を愛し、裏方は、そんなふうに演じられる役柄と演じる俳優を愛する。人間を、世界を、愛し抜く。いいところも、どうしようもない弱さも汚さも突き詰めて、とことん。本番中はもちろん、稽古場や会議、準備期間の日常すべてが、そんな愛情・愛憎あふれる濃密な時間となるわけですから、楽しくないわけがありません。
しかし、15周年を迎えた今年、私は退団を決意しました。
家庭の事情でいつかは東京を離れるであろうことを考慮し、将来の道を考えるようになってもいました。
また、劇場のロビーや、劇団が経営する店舗の店先に立つうちに、いつしか、お会いするお一人お一人の物語をもっと深く知りたい、その物語の喜怒哀楽を共有したいと、個人的に願うようにもなっていました。
そして、その両方の思いを叶えてくれる仕事に出会い、新しい道を歩むことに決めました。
シアターキューブリックは、年々作品のクオリティもアップし、商店街アイドル・帰ってきたキューピッドガールズの活動も地域に根付き、たくさんの方々に愛され、ますます進化を遂げている最中です。
これからは私もいちファンとして劇団を応援してゆきますので、劇場や、ローカル鉄道や、キラキラ橘商店街などで見かけた際には、お気軽にお声がけくださるとうれしいです。
15年間、シアターキューブリックの私を応援してくださった皆様、ありがとうございました。
一緒に走ってくれた仲間のみんな、ありがとう。
こんなにも大きな愛しさを教えてくださったこと、心から感謝しています。
これからも続く愛しい奮闘の日々、みなさんの笑顔をお祈りしています。
2015.12.31
シアターキューブリック 漢那悦子