おめでとうっていう言葉は便利というか
何かいいことがあったときに最初におめでとうって言えば
話に詰まらないしそのあともスムーズにいくから
自分ももちろんよく使うんだけど
そのおめでとうが重くのしかかってしまうときもある
長年半分引きこもっていた(コンビニにたまにいくだけ)人が自宅で資格の勉強してを資格をとってあるところに就職した時
まあそのときみんなは やっと 【世間一般でいうまともな社会人】 になったてことで
おめでとう自分のことのように嬉しい おめでとうこれで社会人の仲間入りだね みたいなことを言った
でもねそりゃあ今まで引きこもっている人が急に社会に出て行く訳で正直なとこ上手くいく確率て普通のそれよりは低いのは致し方ないことで その人もすぐ忙しさストレスから精神が病んでしまった そしてしばらくは無理をしてがんばっていたけどそこで体調を壊して結局は
辞めてしまった今はまた家で愛国活動をしてるとかしてないとか
その辞める辞めないまでの葛藤の中にやさしい人だから
人のおめでとうを無下にできないあれだけ喜んでくれたんだっていう思いがあったのは容易に想像がつく
「あーもう無理せんでええから 合わなかった辞めたらええねん もし上手くいった時にはじめておめでとうって言うわ」と言えなかったのが酷く悔やまれている
(自分の立場で言えた柄か?というのが言えなかったところなんだが)
その先がどうなるか不透明な事柄に対するおめでとうは慎重にしたいなって思う