アスパラの季節になりましたね。ご存じの通りアスパラには緑と白の2種類がありますが、もともと西洋野菜なので日本料理では使うことはほとんどないんじゃないでしょうか? 私が日本にいるときにお店で使ったことはありません。そりゃ京料理の店なら京野菜を使えばいいわけですし、この季節は日本だったら筍という王道がありますからね。私の実家でもアスパラはゆでたものにマヨネーズというシンプルな食べ方しかしなかったのでアスパラってどうやって料理したら良いのか未だに思考錯誤中です。実際のところこちらのレストランでの王道はマヨネーズのようなオランデーズソースで食べるということのようです。


あとは油脂と相性が良いので緑アスパラならばベーコンと一緒に炒めると美味しいですよね。でもそれって家庭の料理なのでは?という疑問があるのかレストランで見ることはほとんどないような気がします。だからこそ技術の必要なオランデーズソースを作って提供しているんでしょうが、美味しければ何でもいいと思いますよ。まあ素人が材料費300円でできるアスパラとベーコンの炒め物をいかにレストラン価格1500円に納得してもらうかということを考えると厳しいのかなぁという気もします。個人的にはオランデーズソースよりも単純にマヨネーズの方が美味しいんじゃないかとは思うんですけど、マヨネーズは温かい料理には普通使わないので茹でたてアスパラにはオランデーズソースということなのでしょう。


さてそうは言ってもこちらは日本料理店なので日本料理としてどうやって美味しくアスパラガスを提供するかというところが悩みなんですね。それでも緑のアスパラは素材の味だけで食べられるんですけど、白いアスパラって何が美味しいのか私にはわかりません。まだ生の白アスパラなら良いんですけど缶詰の白アスパラってどうしてあんなに不味いいんでしょうか? 私は嫌いなものがほとんどなく、例え嫌いなものであっても出されたらだいたい食べることはできるんですが、あの缶詰の白アスパラだけは鼻をつままずに食べられませんね(笑)。


で、この春はこちらに来て5回目のアスパラシーズンなのですが、結局のところ私は白アスパラの美味しさはいまだ理解できていません。白アスパラって緑色にならないようにネギと同じように土を盛って土の中で育てるんですが、その手間がかかっているだけ当然ながら値段が高い。緑の1.5倍はするというのに美味しさは半分以下のような気がします。何が美味しいのか? どこに価値があるのか? 知っている人がいたら教えてください。


おまけに白アスパラって皮が堅いような気がするんですよ。緑だとちょっとむけてないところがあってもそんなに口に当たらないのに白アスパラの皮って髪の毛を口に含んだ時のように必ずペッて出したくなります。ネギの場合は緑になると堅くなるので土を盛っているはずなんですが、アスパラは土の中で育っておいて皮が堅いってどういうこと?


でもこの国の人はアスパラ好きですね。もちろん私も緑なら大好きです(笑)。日本人ならまさに筍や菜の花と同じ感覚でしょうね。「ああ、春がきたなぁ」と感じることができます。農業技術が発達してこれだけ年中同じ野菜を食べられるのに筍、菜の花、アスパラは春限定。まあアスパラは技術上春以外も育てられるんですけど、なぜか秋にアスパラを出すと季節感を無視していると感じるんです。だから私としてはアスパラを主体に組み立てるコース料理をやりたいと毎年いろいろと試作をしているんですがなかなか実現できない。でも今年はいよいよ目処がたってきました。なぜか?


相変わらず白アスパラって値段ほどの価値がないと思ってはいるんですが、散々食べているうちによく考えたらこれってウドと同じなんじゃないか? と思ったわけです。ウドも緑色にならないように室内で育てます。皮も堅いし類似点が多いんです。何より味がほとんどないということが似てる。食感も近いですね。ま、どちらかというと白ダツ(ずいき)の方が近いかな。なのでウドの料理やずいきの料理と同じように白アスパラを使えば良いんだと気づいたわけですね。偉そうに言えるほどの発見じゃないんですけどね(笑)。実際のところ酢味噌で和えてみたらなかなかいける。桂でむいて白髪ネギのように使っても面白いですね、この場合はあくまでも飾り的要素なんですけど。できたら木の芽和えなんてやってみたいですけど、さすがに木の芽はここにはないのであきらめています。胡麻酢和えなんてのも良いですね。


緑アスパラは歯ごたえ重視ですけど、白アスパラは茹ですぎても色が悪くならないし、くったくたにゆでてから味を含ませるのでも良いですね。調べてみると茹でるよりは蒸し焼きのようにした方が良いみたいです。というわけで白アスパラを何とか食えるように(笑)することができたのでいよいよアスパラ和食コースのデビューとなるでしょうか。まだ地元産が出てきていないのでしばしお待ちください。


今週から思ったより忙しくて週2ですら更新できないかも・・・とにかくがんばってみます。さて、今日は前回の続きで、私が過去に一緒に働いた料理人を紹介しましょう。


まず、私が一番長く勤めた京料理屋の社員ですが、総料理長、料理長、新入社員(キッチン)、店長、店長補佐と新入社員以外は全て30代以上で上は40代半ばですが全員独身でした(笑)。新入社員は私とほぼ同時期にはじめたのですがかわいそうでしたね。とにかく雑務が多すぎて料理に全力を出せない環境。夜は夜で飲みにつきあわされて私はバイトでよかったと思いました。給料は3年たっても20万なかったですね。実質時給で計算したら450円だとか笑ってましたよ。


とはいっても世の中には450円もらえれば良いという人もいますからね。超一流の料亭なんかはそこで働いたという経験がキャリアに箔をつける意味もあるので住み込みで朝から深夜までただ同然で使われているところもあると聞きます。そりゃ誰でも聞いたことがある名店で働いていたとなればその技術は折り紙付きですから足下を見られているんでしょうね。それでも見事に勤め上げれば日本中の店で引く手あまたですからね。よほど堕落しなければ一生そこそこで食べていくことができるでしょう。ある意味エリートですね。


バイトの身分だと残業はあってもきちんと時給がつきますから私は30万以上もらっていた時期もありました。もちろんバイトが全てにおいて上というわけではなく、やはり社員しかできない仕事もあります。その店はその垣根が相当低かったのですが、普通の飲食店ではバイトはあくまでも誰でもできるような仕事しかやらせてくれません。逆にバイトが高い比率の店を探せば良いのですが、そうすると今度はバイトでもできる仕事程度の料理しか出さないんです(センターキッチン利用とか)。バイトのくせに京料理をきちんと作っているなんて相当珍しい店だったと思いますよ。つくづく運が良かったです。


ちなみにそこの総料理長は昨年ついに独立をし、職場結婚の奥様と切り盛りをしています。実にいい話です。その一方で、長くは一緒に働かなかったですが、入った時の副料理長は40代で独身でした。別の店にいてたまに応援に来てくれた社員の方はいかにも”職人”で仕事はめっぽう早いんですが寡黙でやはり独身ですね。この店だけなのかもしれませんけど料理人ってやっぱり出会いがないのでギャンブルとか酒とか風俗とかそんな趣味の人が多かったような・・・店長と総料理長が夏休みでタイ旅行(もちろん目的はアレ)に行くとはしゃいでいたのはさすがに引きました。もちろん結婚することが善で独身でいることが悪だなんてこと言いませんけどね、私の価値観からするといくらいくら仕事ができても寂しい人生だなぁと思います。


もう1つ働いていたのが創作和食の店、いわゆる外食チェーンの店です。ここは総料理長は業界では超有名人でこのクラスだと60万以上はもらっていたんでしょう。でも下っ端は雑用、雑用で本当に忙しそうでした。店の料理長は当時30代半ばくらいだったと思いますが当然独身でした(笑)。


両方の店で共通していたのはスタッフの良さ。どちらのヒラ社員も朝から晩までこき使われてはいましたが、料理する時間をなるべく確保して育てようという雰囲気もありました。ただ、雑用が多いと精神的にも体力的にも料理に集中できないんですよね。それと厳しい言葉も飛びましたがそれはお客様に中途半端な料理を出させないためやむを得ない部分もありました(全てではありませんが・笑)。お金をいただく料理はきちんとするというのは料理人の大事なプライドとも言えることだと思います。まあ一度も叱られず、怒鳴られずに一人前になる人は料理人どころか普通のサラリーマンですらいないでしょう。


実はもう1軒バイトしていた店がありました。こないだ過去の履歴書を見て思い出したくらい記憶の闇に葬り去られています(笑)。ここはデパ地下の弁当総菜を売る店ですが母体は京都の料亭です。東京のデパ地下にはだいたい出店しているんじゃないでしょうか? その時は最初の店で煮方までしていたので一通りわかっていましたから、ちょっと技術を盗んでやろうくらいの気持ちだったんです。確かに技術を盗むには(私は)良い立ち位置でした。バイトの仕事は弁当の詰め込みがメインだったんですけど、そこの煮方(料理長補佐)の人に気に入られて煮物材料のカットとかそんな仕事を中心にやってました。


その店は前の2店舗とは違って社員数>バイト数なんですね。キッチンは料理長、煮方、中堅、2年目1人、新人3人で社員が7名。バイトは2-3名で皿洗いとか弁当の詰め込みとかまさに誰でもできるような仕事をするはずだったんですけど。そういう雑用は結局新人がやってましたね。材料のカットとかそういう仕事を新人社員にやらせた方が良かったんじゃないかと私も思います。


だから店長とあわせて社員は8名、結婚適齢期以上は店長、料理長、煮方の3人で既婚は煮方の人だけでした(笑)。でもちょっと安心しましたよ、料理人でも結婚できるんだって。ただそこの料理長は本当にひどかった・・・きっと東京のデパートに出店している店同士で毎日が売上競争なんでしょうね。「昨日は何位」とかしゃべってましたから。そういう意味では彼もかわいそうなんですが、売上が出ないとイライラしてオープンキッチン(デパートのお客様から見える)なんですけどテーブルの下の見えないところで2年目の子を蹴るんですよ。まだ春先だったから新人3人が使えなくて教育係を引き受けていたような感じでしたが2年目の子に3人の新人つけるのもどうかと思います。煮方の人は余裕があって彼を助けたりしてましたけど、中堅(5年目くらい)の人はトロくて自分の仕事で精一杯。2年目の子はまさに中間管理職状態(ただし給料は新人並)で新人3人から「何やりましょう?」って仕事を求められ(ただし複雑な仕事はまだできない)、料理長からはあれやれこれやれ(こっちはある程度技量が必要)と言われ、彼自身の仕事もあってパニック寸前。それでいて蹴りが入ってくるんですからね。


煮方の人の補佐をしたので仕事も覚えたし、弁当の詰め込みみたいな単純な仕事もやらないですんだし、料理している気にもなれたし、居心地自体は良かったんですけどその料理長の蹴りを見るのが耐えられずに辞めてしまいました。でもこの業界にはいろんな人がいるんだと気づいたもんです。そして正社員を中心でやっている職場ではこれが当たり前なのかと・・・2年目の子は「もうすぐ辞める」って言ってましたし、1年目の3人は高卒+専門卒だからまだ10代で初々しい感じでしたけど今は何人残ってるのかなぁ・・・ ここで感じたことは(1)社員が多いと使えない奴もいる(中堅の彼)(2)結婚できる人は良い人(煮方)(3)おそらく新人は辞めることを前提に多めに採用(4)職場で暴力(言葉によりものは別)をふるう人が本当にいる(5)料理人が必ずしも高い志を持っているとは限らない。まあこんなところでしょうか。笑い話のようで笑えません・・・


おかげである意味自信がつきました。というのは当時はまだ料理の世界は経験年数がとても大事と思ってましたから経験の浅い自分は「どうしようか」と心配でしょうがなかった。だけど目標をしっかり定めてひっちゃきに努力すれば5年くらいの差は容易に埋まると感じましたね。こういうの書くから「○○になってる」って言われるんでしょうけど(笑)。もちろんできる人はできるんですけどね。例えば新人100人いたとしたら3年以内に50人が脱落、20人が要領が悪くて、20人がセンスがない。残り10人だけが勝ち残っていくとしたらその10人の中で3番以内に入ることは努力すれば不可能じゃない。100人中の3位といえばすごいけどよく見てみると10人中3位で良かったということです。だからきちんと努力さえしていれば経験5年の要領が悪い20人とセンスがない20人を追い越すことは可能なんだと。すると経験5年以内の料理人500人のうち自分の上にいるのは各年代10人x4だけで自分は41-43位の位置にいる。まだ上位9%以内ですよ。それが可能ならば多少スタートが遅くても問題ないなと思いました。


料理人をこきおろしているような記事なんですけど、この中で人として許せないのは最後のデパ地下の料理長だけであとは人としては何の問題もない素晴らしい人たちで一緒に働けて私は幸せでした。なのになぜかみな独身(苦笑)。間違いなく出会いがないってことですよね。今から料理人になる人は先に彼女を見つけておくことをお薦めします。冗談じゃなくてね。


最後に自虐ネタになるんですけど学生時代の友達がたまに合コンに誘ってくれて行ってました。料理人ってはっきり言ってモテませんね。もちろん”私”だからというのもありますが(笑)、当時の年齢だともう合コンが結婚を意識した感じですので全く相手にされません。料理上手は女性受けが良いなんて話も聞きますけど、あくまでも素人の話なんでしょうか?(苦笑) プロだときっとアレコレ言われそうと思われているんでしょうね・・・ もちろん大学の友達ですからその友達たちは名だたる会社に入って私の倍は稼いでいるわけで勝負にもならないんですけど、そこまで引くかってくらい引かれました。だけど料理人の給料というのは俗に言われている「結婚相手に求める収入」に実際届いていないですからね。超ラッキーなことに私は結婚できましたけど、私だって今まで紹介してきた独身料理人と紙一重でしたから。義理のお母さんから出会って早々に「生活していけますか?」って聞かれましたし、世の中の人たちの思っていることはそんなところなんだなぁと思いました。誰だって手塩にかけた子供を安月給の料理人と結婚させたくはないですからね。あ、もちろん今は義母とは関係良好ですよ(笑)。

昨日の記事にコメントがつきました。嬉しい限りですね。しかも料理人希望の方からです。こういうブログを書いていてよかったと思います。自己満足なブログですが(笑)、人の役にも立ちたいと少しは思っているんです。ほかの方もどしどしコメントください。でもね・・・このブラックな業界にまた人を引き入れてしまっていいんだろうかとも悩みます(笑)。イヤイヤ、半分は冗談ですから、あまり本気にしないでください(でも半分は本当)。


コメントの主旨としては「29歳で料理人を目指そうと思っていますが大丈夫でしょうか?」ということです。結論を言えば大丈夫です。ただし本人次第、当たり前ですが。私も偉そうにブログ書いていますが、この業界に入ったのは今年でちょうど10年前。年齢がばれますが27歳の時でした。料理長なんて言ってますが、まだまだ修行していないといけない身分ですからね。


料理人への門戸はいつでも開いています。29歳どころか40でも50でも60でもやりたいときが始め時。ただし、きちんと修行するならば体力のある若いうちの方が良いと思います。私も37歳になろうとしている身ですからこの仕事は体にきます。20歳のころから当たり前のように料理をしているとちょっとは違うんでしょうか? 30代後半の経験15年超の料理人がいましたらぜひコメントください。


世の中は不公平なもので商売センスのある人はきちんと修行をしないでも繁盛店を持つことができますし、逆に20年修行して独立してもさっぱりという人もいます。だから料理人として成功するかしないかはまた別の話ですが、料理人になれるかどうかという点においては年齢は関係ありません。


料理人の良いところはブログでも散々書いてきましたが、一番はお客様の反応がダイレクトに返ってくるということでしょうか。「美味しかった、ありがとう」この言葉で苦労が報われない料理人はいないでしょう。ほかのサービス業と違うところは、一概に言うのも何ですが「ありがとう」の質が違うんだと思います。今ちょっと考えてみましたけど、サービスや物の対価をいただいて相手から「ありがとう」と言われることはあっても、これだけ心を込めて言ってもらえるサービス業ってほかにあるかなぁ? それとも外食して「こんなに美味しい物をありがとう」って心から思うのは私だから?(笑) 学校の先生とかお医者さんと同じような感覚でしょうか? 「お金を払っているとはいえこれだけ教えてくれて、治療してくれてありがとう」と。料理人の仕事は時間をかけて良いものを作っても必ず気に入ってくれるとは限らないですが、基本的にはやった分だけ感謝してもらえる。しかも大げさだけど食という命にかかわる仕事ですからそういう精神的な報酬とか自己満足とか(笑)そういうのにやり甲斐を感じる人にはおすすめできる仕事です。


だけど当然ですが良いことばかりではありません。まずは仕事時間、長いというのももちろんあるけれどもとにかく普通の人と違いすぎる(笑)。オフィス街とかは別ですが基本的に週末は稼ぎ時、夜は遅い、お昼の休憩が中途半端等あって、はっきり言って友達減りますね(笑)。ま、私は一人好きなのであまり気にしませんが、親友の結婚式とかクラス会が土曜で参加できないって時はちょっと凹みます。彼女を作るのも至難のわざ、まあ同じ業界とか理・美容師さんとか看護師さんとかそういうところが狙い目でしょうか。仮に結婚できたとしても子供の授業参観にも運動会にも行けません。それでいて有給は取れないは、残業代つかないは、もともとの給料が安いはでろくなことがありませんね。


門戸がいつも開いているということは逆を言えばどんどん人が入ってくるわけで、だからこそこうやって多少劣悪な労働環境であっても労働力の需給のバランスが取れているわけです。それでも人は入ってくる。しかしその一方で出て行く人もいる。実力の世界と言えば聞こえはいいんですけど、料理人をあきらめて脱落していく人や料理人であっても職人というより単なるコマ(手)としてしか見てもらえない人いろいろです。そうやって誰でもできる仕事をやっている限りは給料は上がりません。料理人の給料で家庭を持ってやっていくというのは結構大変なんじゃないでしょうか? 多くの料理人が「いつかは自分の店を」と思っていると思いますが、まずはそこにたどり着くまでに競争があって、お店を持ってからもまた競争と。ずっと雇われてでやっていくのも良いですがある程度出世しないと生活厳しいんじゃないでしょうか? 雇われのヒラ料理人の給料なんて安いもんです。大手のチェーン店だと比較的高いところもありますが、そういうところは奴隷のような毎日なんじゃないでしょうか? 全て伝聞調なのですが大きくは違ってないでしょう。


そういう業界ですから入る前に自分の人生をある程度計画して予想してみる方が良いと思います。単にあこがれとか思いつきだけで業界に入ると長い人生の中で正しい選択だったのかきっと考えることになるでしょう。もっともどの業界に入っても一長一短でしょうし、まだ定年まで20年以上もある私が言うのも変な話なんですけどね(苦笑)。まず独立志向だとしたら「いつまでに独立するのか」「独立資金はいくら必要か」まずこれをはっきりさせた方がよいでしょう。今から修行を始めてその時までに技術的にも精神的にも経済的にも全て準備OKになるか? 見込みがあるならレッツゴーです。


「独立などせずに細々でよいので手に職をつけてやっていきたい」という人がいたら10年後の自分の給料を調べてみてください。どんなに悪くても1人ならやっていけるとは思います。でも結婚したいですか? 子供は欲しいですか? 子供の教育はどうしますか? いくら稼ぐ必要がありますか? 未来を予測することは難しいですが、過去のトレンドからある程度は推測することができます。実は会社員時代はそういうことを得意にしてました。その予想される生活であなたは幸せでしょうか? 料理人をすすめたい気持ちは料理人として当然あるのですが、やはり長時間労働・低賃金と待遇は良くありません。そういう意味では気軽にはおすすめできないんです。


その選択のどこに勝算があるのか? 私の場合は最初から海外で生きていくという前提があって料理人になったわけで、その夢が実現しただけで十分幸せです。休暇も最低年5週間取れます。実は結婚していて子供も二人います。まあよくこんな無謀な男と結婚してくれたと思いますが(苦笑)私は本当に恵まれていると思います。天狗になるのも無理はないですね(笑)。あなたが人生で求めるものが料理人という職業で実現できるでしょうか? そこまでじっくり考えて仕事を選んで欲しいと思います。話はつづくのですが、いよいよ毎日更新ができなくなりますのでしばしお待ちください。

週末だというのに記事の貯金ができていない・・・自転車操業中です(苦笑)。しかも来週のお休みは1泊2日で小旅行なのでいよいよ毎日更新が途切れそうです。先月がんばったのですが毎日書いても読者は増えないんだなぁと気付いたのであえて毎日書く理由がなくなったのでいいんですけどね。毎日書いているからこそ読者数が減ってないなんてことはないですよね?(笑) 先日読者登録をしていただいた方から「ちょっと天狗になっている」というご指摘をいただきました(笑)。ま、本人自覚していますので気にしていません。ただ読者の方があまりの”天狗ぶり”不快に思われているのでは?とわずかながらに心配しています。読者数が増えないのは上から目線の記事だからでしょうか? そう思うという方はぜひご連絡ください。”少しだけ”改めます(笑)。


さて、最近イチゴが出回ってきました。日本と違って海外のイチゴって本当に酸っぱい。この国に限らず旅行等で行った国のスーパーでフルーツを買っても甘かった試しがなかったような気がします。日本のフルーツはもともと甘く作っている上に買ったその日に食べる前提なのですが、こちらのフルーツは買って1-2週間室温で熟成させて美味しくなるように店頭に並んでいる気がします。だからリンゴも酸っぱいし、モモ系は硬くて歯が立たない。イチゴも冷蔵庫で2週間もつだけあって買った直後は硬かったり、酸っぱかったりと当たりは3割くらいでしょうか? 1か月ほど前にみかんを買ったらものすごく甘くて当たりだったのですが、内側の皮が硬くてみかんを食べているというよりオレンジを食べているような気になりました。せっかく甘いのに全然減らない・・・


いきなり話が飛んでますが、イチゴ大福を作ってみました。前にも書いたようにこちらの人は白玉が苦手なんです。あのクニュクニュした食感が気持ち悪いそうですけど理解できません。それともう1つあんこがダメな人が多いですね。小豆というのはアジア圏の豆の種類なのでしょうか、こちらではスーパーでは売っていません。うちの店も遠くの中華食材店まで買いに行っています(白玉粉も同様です)。だから小豆とは何か?と言われたら直訳して「小さな赤い豆」となるわけですね。だけどここの国には黒豆のようなサイズの赤い豆が存在します。それは戻して、煮てサラダとかスープに入れるわけです。そんな豆が甘いというそのギャップが耐えられないらしいですよ。まったく寝言は寝て言えって感じですよね(笑)。


その赤い豆は黒豆とほとんど同じなので以前にそれでお正月の黒豆(ならぬ赤豆)を作ったのですが、お客様は残すこと!(苦笑) 前菜の一部で5粒ほど出したのですが、一粒だけ食べて戻ってくるような状況でした。とにかく「豆が甘い」という概念を理解できないようですね。先入観とはおそろしいものです。とは言っても日本人からしたらお米が甘いっては理解しにくいですよね。ところが世界にはお米で作った甘い菓子というものが存在します。スペイン料理だったかな、バニラをきかせた甘い牛乳の中にお米を入れたようなお菓子です。私も最初「ええ?」って思いましたけど案外いけますね。さすがにコシヒカリでやろうとは思いませんけどね(笑)。まあ、先入観というのはおそろしいものです。


というわけで甘い豆とクニュクニュした食感の白玉にイチゴを加えたイチゴ大福は絶対嫌いだろうなぁと思っていました。まあ時間があったし、イチゴも余っていたのでちょっとだけ作ってみたら売り切れ続出・・・ もちろん試しに食べてみたという人がいたんでしょうが、サービスからの情報では「みんな好き」と、1人だけ例外がいてオーナーのお友達なのですが、その人は日本料理が食べられないカタイ頭の持ち主でいつもステーキばっかり食べています(笑)。で、やっぱりダメだったと・・・ 彼以外はとにかく気に入ったということでなんだかんだでここ1週間毎日作っていましたね。


サービススタッフもこちらの人間なので嫌いかなぁと思っていたらものすごい反響でレシピを教えろとまで言い出す始末。面倒くさいから大福にしないでそれぞれを口の中でブレンドしたら?って言っておきました。当然ながらイチゴが入っているので作ったその日しかお客様に提供できません。そうすると夜の営業後にみんな虎視眈々と余った大福を狙っているんですね(笑)。私は好きだけどそこまで熱狂的に好きってわけじゃないので譲っています。海外在住の方はシーズンですのでぜひ作ってお知り合いに食べてもらってください。たぶん好評だと思います。


なにゆえにイチゴ大福はこれほどまでに人気なのか? 私もよくわかりません(笑)。理由があるとしたらイチゴの存在でしょうか。白玉ぜんざいのようなものは「甘い」という印象しかありませんね。だからこそ普通の白玉は甘くないのですが、それだとこちらの人は吐きだしてしまいそうです(笑)。うちでやっているわけじゃないですが白玉ぜんざいだと”甘い”x”甘い”で言い方によっては味が単調になってしまう。そこに日本とは違って酸っぱいイチゴが入ってくると対比効果と言いますか、お互いを引き立てるという結果になっているんじゃないでしょうか? 誰でも思いつくような理由で申し訳ないのですがたぶんそれが主な原因。あともう1つは白玉と違って大福の皮って薄いのであまりクニュっとしたお餅のような食感がないのもひとつの理由かもしれません。


これを食べたこちらのお客様がこれにアイスを包んで食べたら美味しいだろうなぁとおっしゃってました。おお!目の付け所がするどい! そうですね。それこそが雪見大福というものですが、雪見大福ってどうやって作るんでしょうか? 私のイチゴ大福は白玉粉+砂糖+水をレンジでチンして作ってます(普通は蒸します)。で、生地が熱々のうちにあんことイチゴを包むのですが、生地が冷えると成形しにくい。でも生地が熱いとアイスが包めない。不思議です。いずれ作ってから冷凍庫に入れないといけないので皮が固くなってきっと美味しくないでしょうね。市販の雪見大福は皮に何か特殊な材料が入っていて固くならないようになっているんでしょうか?ご存じの方がいたらぜひ教えてください。というわけで今日は「イチゴ大福は外人受けが良い」というお話でした。

日本の日本料理店ではあまりないけれども、海外の日本料理店ではステーキを焼くことも多いのではないだろうか? 少なくとも牛食文化のある国だったら牛肉を食べないとレストランで食事した気がしないという人もいるはず。和食の料理人と言えども美味しくステーキを焼けるようにならないと海外ではやっていけない。


日本にいた時は京料理屋で鍬(くわ)焼というステーキに近い料理があったけど、焼き加減をお客様に聞くなんてことはしなかった。全員ミディアムで統一。うちの店にはワサビ醤油で食べるステーキがあって、当然だけどお客様に焼き加減を聞く。肉の焼き加減というのは英語にするとレア、ミディアムレア、ミディアム、ウェルダンの4種類だと思う。英語にするとって書いたけど日本語には焼き加減の表現がない。


うちの店には日本人のお客様はほとんど来ないけれども十中八九ミディアムを頼む。実に面白い。逆に地元のお客様はミディアムレアが70%、レアが15%、ミディアムが10%、ウェルダンが5%と実際に数えたことはないけれども印象としてはこんな感じだ。何で日本人ってミディアムが好きなんだろう? まるでコースが松竹梅とあって竹を選ぶようなものかな(笑)。私の考察では日本人がミディアム志向なのは「真ん中好き」というか集団心理があって松竹梅で竹という選択方法がまず1点。これは間違いない(笑)。もう1つはいわゆる和牛ってミディアムでも柔らかいからあまり気にならないというもの。この国の肉は脂が少ないのでミディアムまで焼いちゃうと歯ごたえがややイマイチ(硬い)なんだな。だからお客様はミディアムレアが好きだし私もそうだ。その国の牛肉を一番美味しく食べる焼き方をそこの国民は自然に選んでいるんではないか?ということだ。


お客様が常にこの4種類の焼き加減で言ってくれれば何も問題はないんだけど、うちの店は観光客もよく来る関係でか色々な国の表現が出てくる。実はこれがやっかいで、苦情の原因にもなるからサービススタッフにはお客様が言った表現そのままでキッチンに伝えるようにお願いしている。よくあるのがミディアムレアとミディアムの間ってやつで、「ミディアムレア+(プラス)」って言われることが多い。私も厳密に言えばそこが一番好きなので気持ちはよくわかる。技術上もちろんできなくないけど面倒くさい。まあそれでもこれなら4段階表示の中のどこに位置するかはわかるからいいんだけど、たまに「ピンク」とか「バラ色」とか色で指定してくる人がいるんだな・・・


私の感覚からすると「ピンク」ってミディアムじゃないのかと思うんだけど、なんでわざわざそう言うのかなぁ?(笑) でもサービスが勝手にピンク=ミディアムと解釈しないようにピンクはあくまでピンクとしてキッチンに伝票を持ってきてもらう。ピンクはまだ良いんだけど「バラ色」って・・・だってバラの色ってピンクもあるし赤もある(笑)。もちろん一般論としてのバラだからあの深紅のバラってことなんだけどそれならレアってこと? 実は未だにバラ色って4段階表示のどこに位置するかわかんないからどうとでも取れるように”ミディアムレア-(マイナス)”あたりでお客様に出している。もし焼きが足りなかったらまたキッチンに持ってきてもらえば”焼き足す”ことができるからだ。当たり前の話だけどステーキは”焼き引く”ことはできない。


お客様に提供する時にはお皿は温めてあるので1枚のステーキを食べているうちに当然だけど焼き加減は進む。最後まで楽しんでもらうのと”焼き引く”ことができないから私はいつも一歩手前で焼き終えるようにしている。万が一もうちょっと焼いて欲しいという希望があったら焼き足せばいいからだ。ただ、実際のところそういう要望はほとんどない。あるとしたらオーダーと違う焼き加減を希望しているとき(笑)。なぜかミディアムレアで頼んでおいて「もうちょっと焼いて欲しい」というようなのがたまにある。これ以上焼くってそれじゃミディアムってこと? そのあたりの心理がイマイチよくわからない(苦笑)。まあ実際のところ焼き加減に対する苦情ってほとんどない。よほど違う焼き加減でない限りお客様もあんまり気にしていないんじゃないかと思う(笑)。まあ私も自分が客の時はウェルダンにさえなってなければ文句は言わないけどね。肉は肉だからね。私は適当すぎるかな?(笑)

昨日も書いたけど私のいる国は湿度が低い。まあ日本の湿度が異常なんだけど、こっちに来て5年たった今、日本の夏を過ごすことは相当ハードルが高いと思う。ここは標高が高いこともあって夏でも30度を超すことはほとんどない。しかも湿度が低いので部屋の中や日陰に入れば涼しい。さすがに直射日光は暑いけれどもこちらの夏は日本に比べてはるかに過ごしやすい。


うちの店では週に1回業務用のスーパーに買い出しに出かける。次の買い出しまでにちょうど使い切るくらいの量だけれどもそれでも1週間以上冷蔵庫に入れっぱなしとなる食材も出てくるわけだ。サラダ用のレタスなんて日本だったら3日くらいで付け根のあたりから溶けてくるけれどもここでは1週間経っても何も変わらない。切り口の部分の色が悪くなるくらいだ。大根はいつも良いものがあるとは限らないので良いものが出ている時に買いだめするから古いものは1ヶ月以上前に買ったものだ。それでも何の問題もない。最近はイチゴが出回ってきたけれどもイチゴなんて足の早い果物の代名詞、しかし私の部屋の冷蔵庫には2週間前に買ったイチゴがまだ元気に残っている。それでも私が最初に海外で働いた某ラテン系の国よりは足が早い。きっとあそこならイチゴは1ヶ月はもつと思う。


前から書いているように気候・風土の違いがその土地の料理を生む。日本料理は日本の国土だからこそ発達した料理のかたちなのだ。お酒で例えると蒸留酒といえば日本なら焼酎のことだ。ロシアならウォッカを飲み、スコットランドではスコッチを飲む、同じウィスキーでもアメリカではバーボンになり、中国では白酒で、メキシコではテキーラを飲む。どれも同じ蒸留酒にもかかわらず原材料を含めて気候風土でこれほどまでに違う酒となるわけだ。気候の違いで飲むものが変化するのと同様に気候の違いで食べるものも変化する。


日本の料理の特徴のひとつは発酵食品をよく使うこと。醤油、味噌、日本酒、酢、味醂、漬け物、納豆、塩辛、カツオ節なんかが代表的な例だろう。これらは微生物が食品に働いて変質させる。そうやって大豆が醤油や味噌になって、米が日本酒になるわけだ。そういう風に微生物が働いた結果として食べられるようになったものを発酵食品と言い、食べられないようになることを腐敗という。つまり良いにしろ悪いにしろ日本の気候は微生物が働きやすい環境ということなのだろう。だからこそ発酵食品が数多くあり、その一方で食材の痛みが早くて料理人を悩ませる。


今いる国にも発酵食品というものはあるけれども日本ほど多彩じゃない。書いていくと国がバレるので書けないけどパン、ヨーグルト、ワイン、チーズなんて代表的なものだ。こう考えると結構あるな(笑)。でもパンなんて生地を発酵させるのにわざわざ温度の高いところにおいておくけれどもこの国においてどういう過程でパンを焼くという文化が発達したんだろうか? 今度調べてみます。


微生物の働きなんてのは直接関係ないかもしれないけど、この国に来てびっくりしたことの1つが味がしみないということ。日本料理の特徴は自分は手を下さずに時間に仕事をさせるということだと思う。そういうのがあるから西京漬けとか柚庵焼きという料理があるわけだ。一方この国においてはそうやって素材を調味液に漬けるという料理が私の知る限りほとんど存在しない。実際にこの国で味噌漬けをしようとすると日本の倍以上の時間がかかる。柚庵焼きにしても日本だと魚を夜漬ければ翌日のランチの営業では使えるようになっている。ところがここでは丸1日経ってもまだ味が薄いくらい。濃いめの地(ぢ・調味液のこと)につけてようやく丸1日だ。味噌漬けにいたっては5日くらいかかってようやくというところだ。だから具材を小さく切ったりして対応しなくてはいけない。ゆでたほうれん草に下味を入れるにも時間がかかる。


こういうのを実体験するとそれぞれの気候で育った料理に敬意を持つと同時にやはりこの国で日本料理を作ることは無理があるなぁと思ってしまう。日本料理はその土地、そこの水が作り上げたもの。一言で”日本料理”と言っているけど日本全国に多彩なそれぞれの土地の料理が存在する。どの地方料理もそこで取れた食材を使っている。地産地消ってやつだ。でもどの国の料理だって地産地消が大原則ではないのか? そう考えると日本料理って何だろうな?と思う。今いる国で日本料理を作るということはここの土地にある食材を使う料理ということになるわけで、すなわちここの土地の料理こそが日本料理なのでは?とわけのわからない禅問答になってしまう(笑)。


海外で働く人、特に日本食に携わる人は日本料理とは何なのか?ということはしっかり自分の中で哲学しておくことをおすすめする。寿司だから日本料理なのか? 天ぷらは日本料理なのか? 天ぷらはポルトガルから伝わったという説がある。それは日本料理と言えるのか? すき焼きは日本料理か? しかし日本の牛食文化は極めて短い。それで伝統料理と言えるのか? ラーメンは日本料理か? 中国人いわく中国にはあんな麺類はないという。焼き肉は日本料理だろうか? 日本の焼き肉は韓国の焼き肉と大分違うという。オリジナルを改良すればそれは別のスタイルとして認められるのか? イタリア料理の代表的素材のトマトだけれども、トマトが食用としてヨーロッパに広まったのはわずか200年前の話だ。これをイタリア料理として認められるべきなのか? 200年の歴史があれば伝統になるならば中国5000年の歴史に失礼ではないか?(笑) 等々考えればきりがない。


日本で働くならばそこまで考えずに寿司を握っていたってかまわないけれども、海外で働くならば寿司とは何かということをきちんと考えておく必要がある。もちろん寿司だけじゃなくて日本料理とは何なのか? 何をもって日本料理なのか? 醤油が使われればいいのか? 鰹出汁が使われればいいのか? 塩だけ振った魚の焼き物は他国料理にも存在するけど違いは何なのか? ぶれない自分の立ち位置が決まっていればそれが自信になる。私には私なりの結論があるけれどもそれはブログでは書かないことにしよう(これを腹案という・笑)。

最近の検索ワードは傾向があって、「海外の調理師免許」、「必要、海外就職、調理師免許」、「料理人になるのに必要な免許」、「海外生活、調理師免許」、「調理師、免許、海外」、「必要か、海外就職、調理師免許」というのが目立つ。何度も書いているけれども調理師免許というものは絶対必要なものじゃない。日本においては調理師免許がなくても、保健所で講習を受けて”食品衛生責任者”という資格を取得すれば飲食店を開くことができる。調理師免許はその上位の資格に位置するので調理師免許保持者=食品衛生責任者と自動的になるだけだ。


海外においても調理師免許は絶対条件じゃない。なぜか? 料理人の免許が国家資格としてある国は極めて稀なのだ。だから普通なくて当たり前なので持っていなくても問題ない。だから逆に調理師免許だけでは就労ビザが取れずに就労経験(年数)が求められる。とはいっても、日本というパスポートの信用力が極めて高い国の政府が発行した調理師免許だからその信用力もある程度担保されるということになるので調理師免許はあった方が良い。海外就職を目指すならばこれは事実。


そしてまた採用する側においても調理師免許はビザ取得可能性を高めるものと同時にその人の最低限の技量と知識を保証するものとして安心材料になるのだ。だって私が散々書いてきたように経歴の詐称というのが技術的に可能だ(笑)。だからこそ海外の履歴書には前職の上司の名前と連絡先が記入してあってその人なりを照会できる仕組みがある。日本の履歴書においてはそういうのはないので調理師免許という資格を最低条件にしている求人は多い(だからもしあなたが免許を持っていなくてもダメもとで募集してみることは大切だ)。だから調理師免許はあった方が良い、むしろ可能な限り取得すべきだと思う。何度も言っているけどこれが結論。


一方で調理師免許を取得するためには時間と費用がかかる。手っ取り早いのは調理師専門学校をはじめとする卒業=資格取得という学校(ほかにそういう課程のある高校・短大など)に通うこと。そういうところは生徒が卒業してくれないと対外的に困るのであらゆるバックアップをして試験を合格に導いてくれる。当人がやる気を持っている限りは留年・退学というようなことはあり得ない(少なくとも私の出た学校ではそうだった)。ただし、学費というものがかかる。1年で最低100万だ。よくテレビに出ている忍者のような名前の先生の学校なんかは設備や講師が良いのかもっと高い。これはちょっとすぐに用意できるお金じゃないだろう。かといってその学費を貯めるとなると1年はかかるだろう。そして2年飲食店で働いていれば調理師免許試験の受験資格が得られるのでそっちの方が割安になる。ただし勉強しないといけない(笑)。


調理師学校の試験は授業さえ受けていれば合格できるような難易度(少なくとも大卒程度の人間には)なので試験勉強をしなくてもいいくらいだけど、調理師の試験は全部自分で覚えないといけないのでグータラの私には相当きつい。独学という条件ならば簿記2級より難しいかもしれない。少なくとも私はそう思う。となると、飲食店で勤めながら試験勉強をするのは相当大変だと思う。もちろん飲食店のオーナーが知り合いでいるならば偽の就業証明を出してもらえば試験を受けることは可能だ。でも勉強しなくてはいけないのは変わりはない。いずれにしろ海外で働くという前提ならば調理師免許はその費やした時間と費用に見合うだけの価値はある。


一方国外においても日本と同様に調理師免許のような国家資格がある国がある。それが他国で通用するかは正直私にはわからない。日本の調理師免許の信用力というのは日本という国の信用力があってこそのものだと私は思っている。だからもし最初に選択肢があるならば日本で調理師免許を取得することをおすすめしたい。別に私は調理師学校のまわしものではありません(笑)。


さて次にどこで修行すべきかという話。この場合の”どこ”というのは国内か国外かということだ。日本料理に限らず日本人であるならば日本で修行した方が良いと私は思う。数少ない例外はすでに語学が十分にできそして一流のレストランで修業できる場合だ。


いくつか理由があるのだが、まず日本人の綺麗好きという国民性を前提として仕事を覚えた方が良いということ。たとえは悪いけれども公衆便所で料理をすることが平気な人にいくら衛生について説明しても理解ができないだろう。海外においてはおよそ信じられない環境で調理することもある。もちろん一流の店ならば料理の質と同時に掃除の質も高い。きれいな環境から良い食事が生まれることは一流の世界では国を問わず当たり前の概念だが日本の厨房はよほど場末の料理屋でない限り非常に綺麗だ。こういうのを当たり前と思える環境で働く方が良いのは当然の話だ。


次に日本というのは食べ物が悪くなりやすい気候の国ということ。要は高温多湿ということでアジア全般にそういうことが言えるんだろう。私の今いる国はとにかく湿度が低い、もちろんそれだけが理由じゃないけれどもたとえばレタスを1週間冷蔵庫に入れっぱなしにしてもほとんど変質しない。日本だったら間違いなく溶けだしているころだろう。鮮魚にしても日本だったら仕入れた当日とせいぜい翌日までしか生で提供できないけれども、今いる国は5日は平気でもつ(もちろんそんなことはしないけれども)。刻んだネギだって1週間以上日持ちするのだ。そういう国で料理を覚えると品質管理に鈍感になる。こちらの料理人と働いたことが何回かあるけれども恐ろしいほどの品質管理に気を使わない。6月くらいになると管理の仕方によってはその日の朝作った料理が夜には食べられないこともあるなんて国に住んでいれば品質管理は敏感にならざるを得ない。日本に戻ってくる可能性も否定できないのであれば日本のやり方で仕事を覚えておく方が良いだろう。”大は小を兼ねる”じゃないけど質の高い仕事を覚えておいて損はない。


私は東京出身だったから特に強く感じたけれども日本の厨房って信じられないくらい狭い。今の店の厨房もほかに比べると相当狭いけれども日本のあれは異常ともいえる。通路をすれ違うのですら苦労するような環境だった。今思うとよくあんな狭いところに5人の男どもが働いていたと思うな(笑)。で、今いる場所が田舎というのもあるだろうけど、知り合いの飲食店で厨房を見せてもらうとめちゃくちゃ広い。広すぎて効率が悪いんじゃないかと心配するくらい広い。日本の厨房だとA2用紙(A4用紙4枚相当)くらいのスペースで仕事することも珍しくないのにこちらだと同じ仕事をするのに2畳分は必要だと主張されそうなくらいだ。小さい場所で仕事ができる人は効率的に場所を使える。当然だけど広い場所でも仕事ができる。でも逆は成り立たない。


小さなことかもしれないけれども最初に覚えた料理のスタイルというのはその人の料理の仕方・考え方を一生左右する。当たり前だけど厳しい親方のもとで修行すればきちんと仕事のできる料理人になるし、甘い親方のもとで修行すれば適当な仕事を覚えてしまう。だからより条件の厳しいところで料理を覚えるという意味で海外より日本で料理を覚えた方が良いのだ。私のように年5週間の有給休暇に慣れてしまったらもう日本には戻れない。日本の労働環境を知っているからこそ今いる国がいかに待遇が良いかわかる(笑)。そういうことだ。


和食の料理人であれば当然それらに加えて本場という意味で日本で修行するのが普通の感覚だ。だけれどもフレンチとかイタリアンのシェフを目指す人はどうだろうか? 最初から本場で修行するのが良いのではないだろうか? 先ほど書いたように(1)語学に不安がなく(2)一流の料理店という2つの条件があるならばそれもありだと思う。まず一流の料理店というのは国を問わず本当に一流だ。使う食材、料理技術、接客技術、器の品質そして掃除の質まで一流なのだ。そこから得るものは大きい。料理人の中には時として「誰でもなれる」「そんなに努力がいらない」というような消極的な理由で働いている人もいるんだな、残念なことに・・・けれども一流店で働いている料理人のモチベーションはものすごい高い。自分の仕事に誇りを持って、より高きを目指して働いている。そういうところで料理を覚えるのは良いことだ。


だけれどもちょっとレベル落ちてくると惰性や慣れで料理している人の多いこと。そういうところでいくら自分が上を目指していてもなかなか思うようにはいかない、足を引っ張られるだけだ。私がグータラというのが何より理由なんだけど(笑)、厳しい環境に身を置いた方が自分に厳しくできるのは当然の理。ま、本当に一流と呼ばれる人たちはどんな環境であっても自分に厳しくできるのだろうけど、私のようなグータラ人間は環境の力を借りる方が賢明だ。時としてやらざるを得ない環境が人を育てる。もちろん日本にもそういう惰性や慣れで料理をしている人は山ほどいるけれども日本人には日本人の仕事観というものがあるのでどんな人でもある程度は仕事に対して向上心やら責任感というものを持っている。だから一流店もしくは志の高いオーナーシェフのもとで働けないのであれば海外で仕事を覚える必要はない。もちろんここで言っているのは修行の初期段階での話だ。


語学の話はわかりやすいと思うけれども言葉もろくに通じない環境で働くと仕事を覚えるのに人の倍の時間がかかる。前にも書いたように人というのは使える人間に重要な仕事をさせ、使えない人間にはつまらない仕事しかやらせない。語学が理由としても人の倍も時間がかかる”使えない”人間に良い仕事は与えられないのだ。だから最初からそういうところで働くのは私はおすすめしない。日本で一通りのことを覚えてから本場で修行すればよいのだ。ある程度の基礎知識があれば語学の不利はそんなに重要じゃない。むしろ日本流の丁寧かつ早い仕事を見せれば重要な仕事を任せられる可能性は高い。なんつったって料理はしゃべれなくてもできるのだ。だけど全く初心者は一から教えないといけないので話は違う。


逆の立場になってみて考えてみればわかるけれども同じ素人相手にしても寿司の作り方を日本語で日本人に教えるのと外国人に教えるのはどちらが簡単か。日本人なら寿司というものや日本文化をある程度理解できているし日本語も通じる。外国人には寿司とはなんぞやというところから教えなくちゃいけないのに日本語がきちんと通じないときた。いくら熱意があっても外国人には新しい仕事や複雑な仕事を覚えてもらおうと思う気持ちは薄くなってくる。でももし外国人が日本文化にある程度理解があって、海外であろうとも寿司を作ったことがある経験があるならば教えて良いかと思うだろう。そこでようやく素人の日本人と同じ土俵に上がれるのだ。だから語学もできないのに最初の修業先がいきなり本場の現地というのはあり得ない。ま、まさかそんな人はいないと思うけれども・・・


ま、そういうわけで日本人が修行するならまず日本で修行するのが一番だ。日本料理以外の場合は最終的に本場で修行する必要もあろうが、それはある程度の基礎ができてからの話。日本で料理を覚えれば世界で通用するってすごいでしょう? でも求められる仕事の質、求められる掃除の質、豊富な食材、劣悪な労働環境(笑)、食材の足が早い気候とどれを取っても世界有数の厳しい職場だ。ここで基礎を身につければどの国に行っても通用する。もちろんあなたが相手のやり方に合わせる柔軟性があっての話だけどね(笑)。

昨日のワインの話と一昨日の苦情の話をかけて今日はワインの苦情の話を少々しましょう。ワインの苦情っていくつかあります。正当なものから不当なものまでありますが、一番ひどいのが「想像した味と違うから違うのにしてくれ」って・・・ワインにお詳しくない方もおられると思いますから解説しますと、ワインリストなるものには生産地、生産者の名前、ブドウの品種名(もしくは地域、村、畑の名前。それによって品種が特定できる)、高価なものになれば生産年これらが表記されています。同じワインでも生産年ごとに味は違うので年が書いていないワインはサービスに確認すれば何年のものか教えてくれます。ブレンドするシャンパンなんかは例外ですね(生産年を持つビンテージシャンパンというのもあります)。つまりワインリストにある情報である程度の味は想像できるという前提に立っています。もちろんそこでわからなければサービスの人や高級店においてはソムリエに聞けばだいたいの印象は教えてくれるでしょう。


したがって、その前提において注文したワインが想像と違う理由で取り替えることはできません。一度開けたワインはほかのお客様には提供できないからですね。もちろんそのワインの代金を払った上で違うワインを飲むというのは全く問題がありません。大事なのはお店側が損をしないこと。ワイン後進国の日本ならまだしも今いる国はワイン先進国と言っても過言じゃない。でもいるんですよ! びっくりですね。だいたいそういうことを言う人はそういう暗黙のルールを知った上でわがままを言うリッチでわがままなお客様です。本当に金持ちの思考は理解できません・・・無理を通そうとする自分に酔っているんでしょうか? 「わがままな俺ってかっこいい!」って? 子供みたいですね。別に評価されたくもありませんが、そういう人たちはワガママが通じるレストランほど良いレストランと評価します。心の底から評価されたくありません(苦笑)。私がこう書くと世の中の金持ちはみんなそんな思考なのかと勘違いされるかもしれまえんが、そんなのは極一部です。ですが、そういうルール破りをする人は100%と言っていいほど金持ちですね。


うちのサービスも毅然とダメだと言えばいいのに金持ちに対してビビっているのか、以前はその要求を受け入れるかオーナーに確認していました。その場でダメというなら相手はどうしようもないですが、オーナーに確認するという行為自体がその実現可能性を示しているようなものです。つまり相手(お客様)によって時には○でときには×と判断が異なると誤解されるおそれがあるので、そういう基本的なことは”原則ダメ”どころか”絶対ダメ”にしないとまずいです。そうじゃないとお客様が「ああ、この店は私にはダメと言うのか」と思います。最近はそれが徹底されているのでそういう話がキッチンの中まで入ってこなくなりましたが、今でもちらほらいるようです。


似たようなケースで「このワインは美味しくないね」とか「この年はイマイチだね」なんてのもありますね。ま、これは苦情というよりは世間話の一部なわけでまさかお客様も返金してくれということではないと思います(そう信じたい)。ただ、まれに「(味がイマイチで)半分しか飲めなかったから払うのは半分でいいか?」と聞いてくる人がいるんですね。お前はボトル半分でそんなくだらない冗談を飛ばすほど酔っぱらったのか?と聞いてみたいですね(笑)。まあ実際、酔っぱらいの戯れ言なんですけど、冗談半分でも金返せなんて言うのは個人的にはいかがなものかと思います。どんなに親しくて常連であっても客と店という関係上、そういう言葉にはこちらも敏感に反応せざるを得ないんですよ。まあケースバイケースなんですが、うちらも「ボトルとコルクはサービスしますのでお持ち帰りください」とあしらっています(笑)。もちろん返金なんてしませんよ。


ただし、開けたワインの代金を請求をしない例外が1つだけあります。ワインにコルク臭がうつってしまっている。専門用語で言うと「ブショネ」ってやつです。実は私はソムリエですがその前に”なんちゃって”がつくだけあって(笑)ブショネがよくわかってません。なのでネットで見つけた表現を借りますと「新建材に近い香り」「濡れた新聞紙が蒸れた臭い」「コクゾウムシに侵されたコルクの臭い」「腐葉土がうまく発酵できなかった臭い」「痛みかけの野菜の臭い」「濡れたブロック塀の臭い」という臭いのするワインのことらしいです(笑)。こんなワイン飲みたくないですね。だけど私が言いたいのは実はそれじゃなくて違うところにある。今書いた表現というのはブショネ、いわゆる不良品のワインの表現なんです。では次に通常品質のワインの香り表現を書きだしてみると、「なめし皮」「腐葉土」「ねこのおしっこ」「たばこ」「灯油」「濡れた犬」「馬の汗」とこれら全ては良い(状況によっては悪いこともある)ワインの表現に使われます。濡れた犬の臭いってどんなのでしょうか?(笑) うまく発酵できた腐葉土は良い香りで、うまく発酵できなかった腐葉土は悪い臭いなんですね。


話はそれますがこれらは英語、日本語と同様にソムリエ語というやつですね。IT用語とかオタク用語とも同じようなもんです。つまり特定の香りに対してそれぞれ名前をつけて共有しようという目的を持って作ったものです。事例で説明すると、夜になると空に浮かぶ明るい物体をAさんは「月」と呼び、Bさんは「太陽」と呼んでしまったら「月がきれいだね」と言ったAさんの言葉をBさんは理解できないことになる。だからあれを「月」と呼ぶことにしようと決めたのが日本語です。同じようにとある香りの表現をAさんが「おばあちゃんの部屋の臭い」と言い、Bさんは「奥さんの風呂上りの香り」と言ってしまうと同じ香りなのに意思の疎通ができないわけです。しかも両者とも家族しか知り得ない臭いなわけですから共有は不可能(笑)。そこでこの香りを「腐葉土」の臭いとしようと決めたのがソムリエ用語です。別に私のおばあちゃんの部屋は腐葉土臭くはないですよ(笑)。


だから一般の方は知る必要はないですね。どんなに素晴らしい香りであっても「こちらはねこのおしっこのような香りのするとても良いワインです」なんて言われたら注文する気になりませんよね(笑)。それにしても日本のソムリエは犬が濡れた臭いはともかくとして馬の汗の香りなんてどこで知ることができるんでしょうか? 競馬場に行ってもまわりのおっさんどもの方がよっぽど臭いですよね(笑)。たばこの臭いだっていろいろあるからあんなに山ほど種類があるわけでどのタバコの臭いをソムリエ用語の「タバコの香り」とするんでしょうか? 私は”なんちゃって”なのでよく知りません。そんな”なんちゃって”ソムリエを生み出さないためにもソムリエ試験というものはブショネを見分ける能力をもって合格とすべきです。まあソムリエ協会も今や立派な利益団体となったので会費収入や試験料収入が美味しいのか私のような”なんちゃって”ソムリエを量産していますね。どうでも良い話ですが。


というわけでブショネというのはコルクを理由とする品質不良ワインのことです。ワインショップや百貨店のような小売店においては原則としてブショネは客の損害(泣き寝入り)になります。いくらレシートを持っていてもその店で買ったワインがブショネであったという証拠はありません。同じラベルのものを別の店でも見つけることができる以上はブショネを見つけたあとに新たに同じワインを買って返金を試みることもできるからです。一方、レストランにおいてはブショネは店側の損害です。したがってブショネのワインをお客様は拒否できるというのがルールであり、だからこそ提供する前にホストの人にティスティング(品質の確認)をしてもらうわけです。したがって人口コルクやスクリューキャップのワインの場合にはティスティングを省略するのが基本です。お店によってはかっこつけるためにやっているところもありますけどね。もちろん店側と客側の両方の見栄のためですよ(笑)。


ブショネは品質不良なんですが、これは避けようがないのが実情です。避けるとしたら前述したように人口コルク(ゴム栓のようなもの)やスクリューキャップにするしかない。長期保存をする必要のないワインやエコに関心の高いワイナリーでは人口コルクは使っています。でも5年以上長期熟成をするにはコルクの方が良いというのがワイン界での基本認識のようです。で、実際にうちの店でも週に何本か出ます。ネットによると5%とか2%とかいろいろ数字があります。でもお店で5%も出てないな。取引のあるワイナリーのオーナーいわく2%をひとつの基準としているとか。ブショネは避けられれないのですが、責任は生産者(本当はコルクの製造者なんだけど)にあるわけで生産者が特定できる(返金請求できる)場合はレストランはワイナリーに返品とともに返金を申し出ることができます。少なくともこの国ではそうなっています。で、1つのレストランから2%を超えるブショネが出ている状況だとワイナリーは何かあるのでは?と注意を払うということです。


例えば実際にブショネじゃないのにレストランがお客の言い分を聞いてしまうとか、まさかないと思いますが、余ったワインを集めて返品するとか? 実際にコルクを使っている以上はブショネを避けることは不可能であるということを逆手に取って、想像と違っていたワインを「ブショネであるので違うワインを注文させろ」というお客様もいないことはない。いや実際にいるんですね。


ブショネの確立が5%だとしてもうちの店で発見される割合はそこまで行かないということは何を意味するのか? ブショネと気づかずに消費されているということです。それほどまでにブショネを判別するのは難しい。明らかにブショネというケースもあるようですが、私はそういうワインに出会ったことがありません。そりゃ発酵をきちんとした腐葉土がOKで発酵が不完全だとブショネって言うんだから本当に微妙ですよね(笑)。さらにもう1つあって、原則としては流通過程において劣化したワインをブショネとは言わないんです。だから問屋の中庭で炎天下で放置されたワインは例え品質が悪くてもブショネとして処理できません。ですがそういう品質劣化とブショネを判別するのも難しいのです。で、実際の現場では品質劣化についてもひどいものは引き受けざるを得ませんね。


レストランのワインが高いとおっしゃる方はレストランはそういう2%だか5%にもなる不良品のリスクを抱えているということをご理解ください。うちの店の場合はワイナリーに「これブショネだったよ」って直接持って行ける立地にありますけど、ワイン生産地と遠く離れた場所のレストランにとってはブショネはお店の損失以外なにものでもありません。直接取引ならともかく途中で問屋が入れば返品処理は困難ですからね。ましてや日本のレストランでフランスやカリフォルニアのワイナリーに「ブショネだから金返せ」ってやるとそっちの方がお金がかかりそうですよね。日本のワイン業者に言ってもワイン業者もどうしようもない。ま、でもレストランは大口顧客なのである程度の取り決めはあるのかもしれません。うちの店でも遠く離れた地で生産された(返品不可能な)仕入れ値3万円のワインがブショネっていて泣いたことがあります。3万稼ぐのにどれだけ料理を作らないといけないのか・・・


私はサービスの人間ではないのでわかりませんが、お客様に「これブショネじゃないの?」って言われる瞬間は最も緊張する瞬間のひとつだと思います。その時に風邪をひいていないことを願うだけですね(笑)。それだけ微妙なブショネをサービス側が完全に見抜けるわけがありません。実際のところ線引きというのは厳しいということです。生産者側でも「言われればそうだけど言われなければそうじゃない」と言える微妙なケースはあるそうです。いずれそういう指摘を受けたらサービスの人間としては試飲して確認しなくてはいけません。それでブショネなのか?ブショネじゃないのか? 仮にブショネではなくてもお客様がそう感じているものを否定するのはなかなか難しいものです。その一方で連れにかっこつけるために「これブショネでしょ」ってふっかけるお客様もまたいるんです。客商売の醍醐味ですね(苦笑)。


で、内情をさらすとうちの店では1回目のブショネについては真偽にかかわらずブショネで処理します。これはワイン1本分の損失よりもお客様の満足度を高めようという考え方をしているからです。2本続くと明らかにブショネでない限りは2本目の代金をいただいて3本目を開けるかどうかお客様にうかがいます。というとだいたい3本目は開けませんね。お客様もブショネかどうか微妙だと思っているんでしょうね。もちろん2本続けてブショネが続く可能性はゼロではありませんけど、明らかに判別可能なもの以外は代金をいただくことにしています。そういう風に一律のルールにしておいた方がサービスも楽ですからね。


ただ、例外はあります。それはさっき出た仕入れ値が1本3万円のワインを含む高額ワイン。世の中には想像もつかないほどの金持ちというものはいるもので毎晩その3万円のワインを飲んでいる人がいるんですよ。そんな人にかかればいつもと状態が違うというのは一目瞭然です。キッチンもそうですがサービスのスタッフも給料は高くありませんから3万円のワインなんて一生で数えるほどしか飲まないでしょう。だから毎日飲んでいるお客様に指摘されたら返す言葉はありません。それを飲むお客様の金払いの良さも勘案して無制限でブショネとして処理せざるを得ませんね。


つまりブショネというのは程度が低いものは極めて判別が難しい。特に初めて味わうワインがブショネかどうかと見分けるのは相当明確でない限りわかりません。もしかしたらワイン固有の香りかもしれないわけです。そういうこちら側の不安というか自信のなさを悪用してワインを取り替えようとする客が少なからずいる・・・だいたい頼んだワインがブショネだからといってなぜ違う種類のワインをオーダーするの? それってまさに想像と違っていて取り替えたいからブショネにしちゃえってやつですよ。本当にサービスの人はよくやってるなと思います。私だったらぶち切れますよ(笑)。

私のいる国で一番飲まれるアルコール類はおそらくワインだと思う。ビールも飲むけどビールは仕事帰りにちょっと一杯ひっかける時に飲むものでレストランで食事するときはワイン(シャンパン含む)の方が多い。うちの店は当然ながら日本酒という選択肢もあって、いわゆる三増酒というやつと日本のとある酒蔵から直接輸入している純米、純米吟醸、純米大吟醸と合計4種類。だけどきちんと作っているお酒は日本ですでに良い値段なのに輸送コストが高いもんだからワインに比べると相当割高。だけど誰でも知るようなメーカーの日本酒は美味しくない。結局ワインが一番出るアルコールとなる。


だけど不景気のせいなのかワインがそんなに出ないのが悩み。私のいるところはド田舎で日本でもそうだけど田舎の人って(東北とか)飲んべでしょう。ここの人もよく飲む。20人くらいのパーティとかあるとボトル20本平気で空く。平均1人1本といったって女性もいるし、あまり飲まない人もいるから2本飲む強者もいるわけだ。私はお酒が弱いのでワイン1杯で真っ赤になるからそう思うけどワイン2本ってやっぱりすごいよね? アルコール度数が日本酒よりは低いけど2本って1.5Lだから一升瓶の8割1人で飲んでいることになる。だけど4人くらいで食べにくるとワインが出ない。4人いれば1本(1人2杯弱見当)頼んでくれてもいいけどグラス売りのワインとかハーフボトルとか寂しい限りだ。これについては日本でも宴会だと飲む量が増えるのと同様に”ノリ”の違いがあると思うけど、これだけ飲んべの人たちが「2杯も飲めないのか?」と不思議に思う。


ワインに限らずアルコール類はレストランにとっては重要な利益源だ。食事で利益を出すというのは難しいけれどもワインだったら仕入れ値の2~3倍の値段をつけてこちらの労力はコルクを抜いて注ぐだけ。2000円で仕入れて5000円で売れば3000円の利益となる。料理は普通材料代の3倍(ざっくりですが)というのが標準的なので2000円の材料で6000円の料理を作って4000円の利益となるけれどもそこには人手というのがものすごいかかっている。当然4000円の利益の中から人件費と光熱費(ガス代等)を引いたものが粗利益となるからアルコール類よりはるかに儲けが少ないのだ。6000円の料理っていったらそれなりの料理だけれどもプロの料理人(単価2000円)が2時間(人件費4000円)で仕上げるのは相当難しい。ある程度の注文があるからこそ6000円でやっていけるのだ。うちの店はもともと日本から料理人を呼び寄せている関係で人件費が高いからアルコールで稼がないといけないんだけど・・・


うちの店は地域での独占的地位を生かして料理、日本酒、日本のビール、梅酒、焼酎などの値段は高めの設定だけどワインについては地域の相場に合わせている。むしろ安いくらいだ。だけどワインを頼んでくれないのはなぜだろうか? 考えられる理由の1つには料理が高めなのでワインに予算がまわらないということ。ま、あまり説得力はないな。もう1つはお客様が日本料理を食べるときにワインを飲むことをイメージしにくいこと。その上日本酒となると良いものは高いし安いものは飲めたもんじゃないから選択肢がないということ。これなら可能性はある。あとはお客様がワインは日本料理に合わないと感じていること。これもあり得る。


ワインと日本料理の相性は必ずしも良くはない。少なくとも地元の料理を食べるときほどの相性の良さはないと私は思っている。今考えるともしかして私がそう「思い込んでいる」だけなのかもしれない。でもお客様ももしそう「思い込んでいる」ならばあえて日本料理を食べるときにワインを頼まないで純粋に食事を楽しもうという方向でいるという仮説も間違ってはいないだろう。読者の中で海外で料理人をしている方がいらしたらそちらの店ではどうしているのか教えて欲しいです。


今考えているのがワイン付きのコースというもの。コースが4品あったら各品に1杯ずつの異なるワインをつける。そうするとこの例でいけば4種類のワインが飲めるのは1つの魅力。それと今まで日本料理にワインを合わせようと努力をしなかった人がその相性の良さに気づいてくれるかもしれないということだ。とは言っても私自身が日本料理とワインの相性に懐疑的なままでは話が進まない。というか話が進んでいない理由はそれなんだけど(笑)。そうは言っても日本料理とワインを合わせるのは本当に難しい。なんつったって現状として2つがケンカしない相性のものを選ぶので精一杯なのだ。地元の料理を食べているとワインと料理が引き立て合うということが良くあるのだが、日本料理とワインがそういう相乗効果を生むことは極めて希だ。そんなことはないという人がいたらぜひアドバイスをください。


このコースの良い点はもう1つある。日本料理のコースというのは小さなお皿で何品も出てくるのが特徴だ。日本で1万円くらいのコースを頼むと8品くらいは出てくるんじゃないかな? 一方フランス料理なんかは前菜+メインで2品でこれがいわゆる西洋料理の基本形となる。イタリア料理でも前菜+プリモ+セコンドで3品だ(相当ざっくりしているので細かい苦情はご勘弁ください)。つまり1皿の量がある程度あるので1つ1つの料理に対してワインを選んでも1本のボトルが飲みきれるということだ。日本料理の場合は1つの料理で1杯のワインすら飲みきれないほど料理が細切れになるのがまずワインを勧めるうえでの欠点だ。選ぶ楽しみというのは日本酒よりもはるかにワインの方が奥深い。もちろん日本酒だって1つ1つの味が違うのは承知しているけれどもワインほどの違いはない。しかも日本酒はどの日本料理とあわせてもケンカしないというオールラウンダーなのに対してワインの世界にはそれは存在しない。うちの店の場合はそれでも4品(デザート除く)という風に1皿の量を多めにして料理の数を減らしているので1品につきワイン1杯くらいは飲みきれるだろうと思う。


もう1つ考えているのが日本産のワインを輸入するということ。日本産のワインというのは一昔前まではこちらのワインと同じジャンルにするのが申し訳ないほど別物の飲み物だった。もちろん日本風のワインは日本風として悪くはないんだけど、日本料理と同様にワインにも本家というものがあるわけで本家のワインこそが世界で”ワイン”と称すべきものなのだ。日本でも最近は本格的(本家と同じよう)にワイン作りをしている醸造家がどんどん出てきて、実際に国際的なワインコンクールでも賞を取るようなものまで出てきていてその実力はあなどれない。物まねというと気を悪くする人もいるかもしれないけれども、もともと日本人はよその技術を自分のものにしてそれをさらに高めるという能力が非常に高い。ワインもそういう状況になりつつある。ただし、工業製品とは違ってワインは農産物である以上気候の違いというのはやはり大きく、日本の高温多湿の環境で本家のようなワインを作るのは苦労が多いと聞いている。


日本料理は日本の国土・気候が育て上げた料理であるということは、同じ国土・気候で作られたワインは日本料理に合うということになる。実際のところ日本のワインはこちらのワインよりもはるかに日本料理への許容度が高い。実は去年の一時帰国の時に勝沼に出かけて質の高そうなワインを山ほど買い込んできた。それをレストランスタッフに試飲してもらうとなかなか評判が良い。余った分をお客様にも提供したところこちらのワインと比べて遜色はないということだ。希少価値もあるのである程度売れると私は思う。私も(なんちゃって)ソムリエの一人として日本のワインを世界に広めたいという気持ちがあるものの、やはり問題は値段・・・


日本でそこそこの質のワインを買うと1本2~3000円はする。樽を使っていると4000円くらい普通にする。まあ当然だ。だけどその品質を維持しながらこちらに輸送(つまり航空輸送)すると1本2000円くらい+関税がさらにかかる。その原価に対して利益を乗っけると1万円以上で売らないといけないのだが、レストラン価格といえども1万円以上のワインはなかなか出ない。私は日本ワイン推進派なので利益を度外視してもやりたい気持ちはあるんだけど、あまり出ないとは言えアルコールからの利益がなくなるのは経営側としては困る。まあこれも当然だ。せめてほかの中価格ワインと同じくらいの3000円の利益だけ乗っける方法で折り合いをつけたいのだが、うちのオーナーはあまり積極的ではないようだ。輸送費を安くするとなるとリーファー(定温)コンテナで海上輸送があるけれどもうちの店でコンテナを埋められるほどの需要は見込めない・・・


どなたか国際運送会社(もちろん輸送手段は問いません)の方で何か良いアイデアがあったらぜひ教えてください。そしてまた「うちのワインを是非世界に!」と高い志を持っている醸造家の方がいらしたらぜひご連絡ください。私は今回は帰りませんが次のバカンスでオーナーやほかの料理人が一時帰国しますのでぜひ試飲させてください。 日本のワインがうちのお客様の選択肢に入ることを夢見て今日の記事は終わる。

今週はイースターでいつもより休みが少なかったので記事の書き溜めができなかった・・・毎日更新を途切れさすか、適当にお茶を濁すかどちらにしようと悩んだ結果・・・今日は軽いネタでさくっと終わらせることにしました(笑)。書きたいネタはあるんですけど、書く時間がない。結構長文なので校正に校正を重ねていると1時間以上普通にかかります。その割には文章の完成度が低いというのは言わないお約束でお願いします。


さて、先日業務用のスーパーに行ったら売れ残りの在庫処分セールがあってワサビ味のポテチが半額になっていたので思わず2袋(セット売り)買ってしまった。このワサビ味のポテチは日本にも確かあったな。わさビーフ味というやつ。あとは柿の種のワサビ味というのもある。こっちは私の大好物なんだけど日本でもあんまり売っている店がないのが残念なところ。実家から最寄り駅までにある数あるコンビニの中で1軒しかおいていない。久しぶりに食べたくなってきたなぁ(笑)。


わさビーフ味は何回かしか食べたことないけれどもなかなか美味しかった記憶がある。一方、ここで売っているワサビ味は辛い!とにかく辛い! これを食べるとどうしてこちらの人は寿司や刺身を食べる時に醤油が緑色になるくらいワサビを使うのかちょっとわかった気がする(苦笑)。今日も山のようにワサビを添えて寿司を作ったのに足りなくなってワサビの追加されたもの。こういう食べ方をされているとチューブの生ワサビなんて使う気には到底なれないんだよなぁ。チューブといえどもやっぱり粉よりは美味しいんだけどなぁ・・・


とにかくそのポテチは辛くてとても食べてられないくらいなんだけど慣れてくると何故か尾を引いて一気に2袋完食してしまった(笑)。でもこれだけ辛いと売れ残るのもよくわかるよ。1回試して二度と買わないと思う。もう少しマイルドなやつがあればいいんだけど、きっとこちらの人はワサビというのは辛いものを我慢して食べることに意義があると思っているんだろう(笑)。そうじゃなかったらあんなに辛くするわけがない。


幸いなことにお腹も壊さずに済んだけど(私は唐辛子系の辛さが強いとお腹がゆるくなる)気づいたら味覚がバカになっているみたい・・・ちょうど舌をやけどした時の感覚なんだけど2日たっても舌がヒリヒリしている。非常にヤバイ状況だ。だって料理の味見をしてもそれが良いのか悪いのか全然わかんない・・・やけどと同じだとしたら1週間くらいすれば治るんだけどずっとこのままだったらどうしよう。


味噌汁を作っても最初の一口だけは濃いか薄いかきっちりわかるけど味見しているうちにだんだんわからなくなってくる。いずれ時間が解決してくれるのを待つしかないのであきらめるしかないか・・・