こんにちは。

 今年は花見はしそこなってしまいました。開花が遅かったというのもあるけれど。でも、ソメイヨシノも開花とともに若葉も出てきて、いつもとは違う感じだったと思います。

 

 前回、予告したように、栃木県鹿沼市の岩山に行ってきました。でもその前に、丹沢のエボシ山から。

 トレッキングシューズを新しくしたので、その足慣らしに、ゆるく行ける山に行きました。そうして選んだのが、大山の麓にあるエボシ山。マイナーな低山だし、道もはっきりしなくて、尾根を歩けばいいんだけど、それでもときどきルートファインディングが難しかったりとかもありました。山頂の標識のエボシの絵はかわいいんですけどね。

 ちょっと落ち葉が積もっている感じでワイルドなコースだったので、靴の感触を確かめるのにはちょうどよかったです。

 帰りは小田急を寄り道して、お風呂の王様高座渋谷店。

 

 その翌週、岩山に行きました。ここはその名の通り、凝灰岩の岩の塊で、登山道というよりは岩の間を通り抜け、あるいははいのぼって進んでいくという、アスレチックな山です。ロッククライミングの練習をしている人もいました。

 この山のメインは、山頂付近から下る、最大斜度80度、距離約70メートルの鎖場です。7本の鎖をたどって下っていくのですが、なかなかのものです。危険なので、あくまでも自己責任で、とくどいくらい標識が立っています。

 とはいえ、ぼくもここを下るために来たので、引き返せません。今回はヘルメットをかぶり、手袋をして下り始めました。

 上の方は、斜度が60度くらいだし、岩も乾いていたので、どうにか下ることができたのですが、下の方に行くと、一昨日の雨でまだ乾ききっていない上に、斜度がきつくなってきます。まあ、最後の2本ほどは、鎖につかまったまま滑り降りていきました。でも、ちょっと擦り傷ができたかな。

 本当は、ハーネスくらいつけた方がいいんでしょう。

 それにしても、やっぱりここは危ないです。埼玉県小鹿野町にある四阿屋山のツツジ新道、8mの垂直の鎖場も余裕、というくらいの人でなければ、行かない方がいいと思いました。

 この鎖場、上る人もいるんですよね。

 それにしても、鹿沼はちょっと遠かった。帰りは東武金崎駅で途中下車して、栃木天然温泉夢ロマンへ。

 

 その翌週は、公演が終わったかみさんとともに、超ゆる山。高尾にある、初沢山と金毘羅山。標高200メートルくらいで、高尾駅から1時間もしないで登れます。でもこれでは物足りないので、多摩森林科学園を散策。桜保存林こそ公開中止になっていましたが、そのかわりに入園料は100円。桜の一部は遠くからも見えました。

 帰りは竜泉寺の湯八王子みなみ野店でまったり。

 

 そして、昨日は、秋川丘陵へ。

 五日市線武蔵増戸駅からスタートし、標高300mくらいのゆる山を歩きました。弁天山から網代城山に至る道は、サクラもまだちょっと残っていましたが、それ以上にミツバツツジが見ごろでした。

 さらに小峰公園を通り、桜がほぼ終わった桜尾根を歩くわけですが、終わったといっても花びらは雨のように舞っていたりして、それなりに風情がありました。

 トレッキングの終点は瀬音の湯。

 

 しかしまあ、トレッキングとお風呂はずっとセットになっていますね。

 5月までは、もう少し山を歩いてみたいです。

 鳥取県に行く機会ができたので、大山と蒜山もちょっとねらっています。

 

 テレビドラマ「不適切にもほどがある」はけっこう楽しく観ることができました。宮藤官九郎のドラマって、はまれるときとはまれないときがあるんだけど、今回ははまれるほう。まあ、テーマの選び方も良かったし、阿部サダヲはともかく、俳優もいい感じで、河合優実は注目されちゃったかな。毎回後半のミュージカルシーンもよくできていたし、ストーリーもよく作り込んでいたし。それとSFということでは、タイムパラドックスネタもいろいろ仕込まれていて。昭和のなつかしさもかんじさせてくれました。バスもノンステップバスじゃないし。

 だからといって、昭和賛美に与しようとは思いません。だめなものはだめです。ただ、このドラマが受け入れられたのは、政治的な正しさに疲れてしまった人たちも少なくないことと、そもそも政治的な正しさについて盲目的に信じてしまったこと、というのが、背景にあるのだと思います。

 特に後者、何が不適切なのか、あまり考えてこないまま、従ってきた、という人が多いのかもしれません。そういう人には、阿部サダヲの言葉は響くのかもしれないですが、基本的には吉田羊の言っていることの方が正しいと思うのです。

 まあ、そんなことを思いつつ、楽しく観ていました。

 

 少し本の話も。

 香山リカの「61歳で大学教授をやめて「へき地のお医者さん」はじめました」(集英社)はけっこう楽しく読めました。年代も近いし、趣味も近いというのはあります。60代で新しいことを始めるというのは、ちょっと人生の軌道修正というのは、アリですね。精神科医から総合診療医になるだけでも、けっこう大変だったと思うし、北海道に移住するために自動車の免許を取得しなおすというのも大変だけど。

 

 竹村和子の「彼女は何を視ているのか」(作品社)もようやく読みました。絶版の本だし、アマゾンでけっこう高かったけど、竹村の本はこれだけ読んでいなかったので。

 クイアスタディーズを中心に論じてきた竹村だけれど、基本は文学批評の方にありました。でも、そこから少し離れて、映画に対する批評というのは、少し竹村の趣味もかんじさせるところがあって、楽しく読めます。ハリウッド映画をレズビアニズムの視点から見直していく試みとか。本当は「ジュディ・フォスター論」が中心になるらしかったのですが、それはついに書かれないままでした。

 

 中沢新一の「精神の考古学」(新潮社)も面白かったです。中沢がチベット方面(ネパールあたり)に行って、師の元で20年くらいにわたって修行してきたことが書かれています。修行していたのは知っていたけれど、ずいぶん後まで続けていたということだし、師について語ったのは初めてじゃないかな。

 森で裸になったりとか、そんなこともしているわけですが。苦行ではないんですね。むしろ、自分の身体に対していかに敏感になっていくのか、そしてそこから見えるものは何なのか、そのことは、そもそも身体が持っているものであり、かつての人間は修行によってそれを発見してきた。それを現代によって修行を通じて発掘していく。そんなことが行われているのだと思います。

 瞑想することにも意味があるし、そこで見えることは、身体というものにとっては、真実であるのだとも思います。

 

 クワハリ原作、出内テツオ画「ふつうの軽音部」(集英社)、けっこう好きです。ふつうの軽音部って、たぶんこうだよな、というところがなんかいいです。放課後ティータイムのようにはいかないです。

 あと、龍幸伸の「ダンダダン」(集英社)も読み始めてしまいました。オカルトも宇宙人も出てくるし、美少女もオタクもありだし、何なら怪獣とロボット。カオス感が半端ないです。そもそも、河野真一郎が取り上げていたのが読むきっかけだったんだけど。「怪獣8号」もそうだったな。

 

 とりあえず、「この素晴らしい世界に祝福を3」と「転生したらスライムだった件3」が楽しみです。

 こんにちは。

 春分の日ですね。風が強くて寒いですけど。でも、来週には桜が咲くとか。

 

 というわけで、予告通り、ためぐそ山に登ってきました。武蔵五日市駅から北東に歩いていきます。マイナーな山すぎて、登山口が見つからないのですが、それでもどうにかたどりつきました。何もない見晴らしの悪い里山でしたが、ちゃんとためぐそ山って書いてありました。その下、谷間には金玉水。なんかいいですね。

 ここから幸神尾根を登り、金毘羅尾根から下山。幸神尾根は整備はされていないけどなだらかなアップダウンの道、金毘羅尾根はけっこう整備されていて歩きやすい道でした。

 植林の針葉樹と常緑広葉樹でちょっと面白みには欠けるコースではありますが、そこそこ長いコースが歩けたので満足です。

 

 次回は鹿沼市の岩山を考えています。

 

 このところ、ツイッターのタイムラインはパレスチナのことで埋まっています。

 そうでなくとも、毎朝NHK-BSのワールドニュースを見るのですが、とりわけアルジャジーラのニュースを見ていると、心が押しつぶされます。ドイツのZDFは逆の意味で怒りを感じますが。

 イスラエルのしていることは、もはや頭が狂っているとしか思えないですね。でも、その狂気を育ててしまったのが欧米であり、なおかつその責任をとろうとしていないことには、怒りをおぼえます。

 そんなこんなで、岡真理の「ガザとは何か」(大和書房)やサラ・ロイの「ホロコーストからガザへ」(青土社)なんかを読んでいます。

 岡についてはこれまでもアラブ文学からパレスチナ問題へ続く本を読んできましたが、「ガザとは何か」は昨年暮れの2つの講演を収めた本で、昨年10月7日のレジスタンスから現在までの背景・構造を語っています。

 「ホロコーストからガザへ」は、もう15年前の本なのですが、当時もまたハマスのレジスタンスをきっかけにイスラエルが残虐な軍事行動に出たこと、そしてとりわけドイツがそれを批判できていないこと、などが語られており、現在の構図がそのままあてはまります。また、オスロ合意に関する評価には、考えさせられました。表向きは和平の合意だけれども、裏側ではイスラエルのパレスチナ支配が進むようにつくられたしくみであること、パレスチナへの先進国の支援はイスラエルが支配することを支えていること、など。当時から南アフリカはイスラエルをアパルトヘイト国家だと非難していました。

 どちらの本も、読むことをおすすめしておきます。

 

 この件に関しては、10月7日直後のジュディス・バトラーの発言にはちょっとがっかりしたこともあります。「無資格に、ハマスの暴力を非難する」と、最初に言ったからです。

 ユダヤ人であり、かつシオニズムには批判的なバトラー(そのことは、「分かれ道」で書いています)ですから、現在のイスラエルがどのようにできたのか、パレスチナをどのように侵略していったのか、知らないわけではありません。それでも、「非暴力の力」の著者は最初にそう言わざるを得なかったのでしょうか。それとも、最初にそれを言わなければ、米国のアカデミズムから排除されると思ったのでしょうか。

 バトラーは基本的に、イスラエルを批判する立場です。だから、昨年末にフランスでの講演がキャンセルされたことにも、文句を言っています。フランスでは、イスラエル批判は反ユダヤの極右とつながってしまうので、キャンセルされたけど、でもそもそもシオニズム批判と反ユダヤ主義をつなげることの方がまちがっているんじゃないか。

 また、米国でもパレスチナを支持すると、ハーバード大学の学長みたいに辞任に追い込まれているというのは、どうかしている、と。

 後にバトラーは、ハマスに対する見方を変えています。ハマスの行為「テロではなくレジスタンスである」と、はっきり語っています。イスラエルが行っているのは、戦争ではなくジェノサイドである、と。

 少なくとも、1948年からの時間軸で見れば、今起きていることが戦争ではないことはわかると思います。

 

 結局のところ、欧州にあった反ユダヤ主義という負債を、当時英国とフランスが統治していたパレスチナに押し付けたこと、そしてその後に起きた問題について、欧米はずっと無視してきたことが、イスラエルという狂気を育ててきてしまったのだと思います。日本はパレスチナ支援という名目でこの状況の維持を支えてきました。

 多くの人がパレスチナ問題に関心を持たなかったことでは、すべての国に責任はあるけれども、とりわけ欧米には大きな責任があると思います。「共通だが差異ある責任」ですね。だからこそ、この問題の解決にあたって、本当は欧米が強くコミットしなければならないのですが、腰が引けています。

 しかし、パレスチナ問題を解決しないということは、持続可能なものではありません。紛争は拡大します。イスラエルは中東諸国にかこまれてハリネズミのように過ごすことになります。

 若い世代ほど、パレスチナ問題への負の影響が大きいし、イスラエルを通じて利益を得ているのは年寄りばかりだということでは、世代間でも違っているということです。したがって、米国でも欧州でも若い世代ほどパレスチナを支持しています。

 また、15年前と比べても、グローバルサウスの発言力が高まっているし、SNSでの発信も増えています。

 若い世代がパレスチナ問題に対する正義を求めているというのは、気候変動問題における気候正義と、相似形だと思いました。先進国が言い訳をして問題に適切にコミットできていないことも含めて。あるいは無力な国連も含めて。

 

 ただし、イスラエルによるパレスチナ侵攻には、もうひとつの側面があります。それは、ネタニヤフの政権維持という目的です。ネタニヤフは訴訟を受けています。これを回避するために、最高裁の権限を抑制し、議会が優越するという司法改革を進めてきました。

 こんな民主主義を破壊するような政権の支持率が高いわけではなく、ネタニヤフは極右政党と連立することで形を保ってきましたが、それも限界です。

 支持率が低下した政権は、仮想敵をつくり、さらに戦争を行う。これは、米国の息子の方のブッシュをはじめ、プーチンも行ってきたことだし、仮想敵をつくるだけなら安倍晋三も行ってきました。

 そうしたとき、イスラエルの狂気がエスカレートするほど、ネタニヤフの首がとばないと収まらない(比喩的にですよ)ようになってくると思います。米国民主党上院議員のトップがそうした発言をしているのも、その通りだと思います。

 問題解決にあたっては、すでにネタニヤフを戦争犯罪人として裁くことが必要になっているとも思っています。

 今のまま、仮に停戦で合意したとしても、さらにパレスチナ国家が樹立されたとしても、その先、責任をとるべき欧米が適切にパレスチナの支援をしていかないと、問題は解決しないし、イスラエルの狂気は解消できないと思います。

 イスラエルの正常化とアパルトヘイト政策の解消、パレスチナ国家が国家として運営できるだけのキャパシティビルディングに対する支援、そういったことが必要になると思います。

 

 昨年末から、映画もちょっと観ています。

 石井裕也監督の「月」は、原作が辺見庸の小説。相模原障害者施設での大量殺人事件がテーマです。宮沢りえはちょっと重い演技だったけど、二階堂ふみや磯村優斗などがいい感じで頑張っていたし、オダギリジョーもいい味出してました。というか、宮沢とオダギリの夫婦訳って、「湯を沸かすほどの熱い愛」と同じですね。

 

 ヴィム・ベンダース監督の「Perfect Days」も観ました。しみじみと良かったとは思いましたけど、役所広司の老後が気になりますよね。でも、今の暮らしはどことなく、近いものがあるような気もしています。

 ついでに、帰宅してから録画しておいた小津安二郎の「秋刀魚の味」も観たりして。岩下志麻がかわいい、とか、岸田今日子のエキセントリックさもいいなあ、とか、そういうのもありますが、同時に感情的にも戦争の傷や戦後になりきれていないことがあるんだなあ、ということも感じました。

 

 前々から見たかった「さかなのこ」、沖田修一監督ですね、これも観ることができました。さかなくんの役をのんがやっているのですが、こういうこともできてしまうんだ、と。

 のんがやるっていうのは、けっこう意味があって、男性とか女性とかではなく、さかなのこである、という、そうした自分らしく生きることが前提になっています。さかなくんを理解しようとする母親役の井川遥も良かったな。

 

 他にも、録画しておいたノーラ・エフロン監督の「奥様は魔女」を観たりとか、湯浅弘章監督の「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」(押見修三が原作なんだな)を観たりとかしていました。

 

 そんなこんなで、仕事がたまる一方です。

 こんばんは。

 そろそろ冬も終わりですね。なんだか寒い日があるけど。

 

 まず、告知から。

 非売品なんですけど、吉田秀雄記念事業財団が発行している「アドスタディーズ」という研究誌に記事を書きました。前文、ネットで読めるので、アドスタディーズで検索してみてください。

 

 それから、3月27日~31日、タテヨコ企画の「繭の家」という芝居にカミさんが出演します。場所は目白駅と新井薬師駅の間にあるシアター風姿花伝。

よろしければ、ぜひお越しください。

 

 とまあ、そんなわけで、2月は何だか忙しかったです。とくに最終週は、バタバタ。そんななかでも、山にはいってきました。久しぶりのソロでのトレッキング。

 場所は、相模原市、旧藤野町にある、石老山、石砂山、峰山の縦走、でいいのかな。

 石砂山はヤマビル大量発生中なので、冬の間に登ろうと思っていたのだけど、アクセスが悪くて。でも、石老山を越えていけばいいかな、と。結局、長いトレッキングになったのだけれど、久々にたくさん歩きました。石老山山頂付近は雪があって、軽アイゼンを使ってみたり、とかね。

 全体はゆる山ではあるのですが、それでも4つも登ると大変、くらいです。石砂山は東峰と西峰がありますからね。

 

 次回は、ためぐそ山に登りたいと思っています。って、ためぐそ山ですよ。名前にひかれます。ゆる山ではあるのですが、まあ、何だか。まあ、名前だけで、地味な山らしいのですが。

 

 「不適切にも程がある」は、いろいろ言いたいこともあるけど、面白いので見ています。まあ、昭和はある部分ではろくでもない時代だったなあ、というところもあるし、バイタリティがあるといえばあったのかもしれないし。

 ポリコレって、基本的には正しいと思っています。だからケツバットとかしちゃいけないし、喫煙所以外でタバコを吸ってもいけないんですけど。ただ、ポリコレについて、何も考えずに受け入れてしまうと、そもそも何が問題だったのかわからなくなってしまうっていうこともあるんだなあ、ということも確認しました。

 後半のミュージカルシーンも、よくつくってあるなあ、とか。

 あと、80年代がノスタルジックな時代なんだなあって思うと、感慨深いですよね。

 

 「王様戦隊キングオージャー」も、無事最終回を迎えましたが、面白かったですよね。映像も気合入れて作っていたけど、ストーリーの方もかなり伏線をはりまくっていて、ラストでどんどん回収していくところがすごいなあ、とか。キャラクターも個性豊かでよく作り込んであるし。スーパー戦隊シリーズ最高傑作という声もあります。「暴太郎戦隊ドンブラザース」も捨てがたいですが、直球と変化球くらいの違いでしょうか。

 大人の鑑賞に堪えるだけの作品ということは間違いないです。

 このあと、Vシネマでいいのかな、「キングオージャーvsドンブラザース」と、「キングオージャーvsキョウリュウジャー」も制作されるそうですが、前者はあまりにもテイストが違う戦隊なので、どうなるかなあ、とか。キョウリュウジャーの方には、飯豊まりえも出演するので、それは楽しみだなあ、とか。メガネの飯豊まりえはいいですよね。

 

 とかまあ、そんなこんなで、もうすぐ3月です。

 吉田秀雄記念事業財団が発行している季刊「アドスタディーズ」に記事を書かせていただきました。
 Webでも読むことができます。基本的な内容ですが、わりと日頃考えていることも含めてまとめてあるので、もしよろしければお読みください。
https://www.yhmf.jp/as/postnumber/vol_86_06.html

 こんにちは。

 今日は大寒です。寒いのは苦手です。ということで、今年最初のどんぶらこ通信です。

 

 まず、告知から。

 1月15日に発売された、週刊ダイヤモンドには、ぼくが書いたダイヤモンドオンラインの記事が転載されています。脱炭素の注目会社です。

 

 それから、今月末には、トーキングヘッズ叢書No.97 「LOST PARADISE〜失われた楽園」が書店に並びます。今回は、ガッサーン・カナファーニーの小説と、イスラエルSFアンソロジー「シオンズ・フィクション」を中心に、ガザのことを書きました。

 ガザで起きていることは戦争ではなくジェノサイドだと思うし、ハマスの攻撃はテロではなく占領に対する抵抗だと思っています。

 とにかく、1秒でも早くこの事態が終わることを願っています。毎日、NHK-BSのワールドニュースで、とりわけアルジャジーラのニュースでガザを見るのはつらいです(そして、イスラエル側の報道をするドイツの放送は不快になりますし、その点でスペインの放送はあまりバイアスがかかっていなくていいです)。

 

 年末年始は、何かのんびりと過ごしていました。

 恒例の七福神めぐりですが、2日に千寿七福神、3日に取手七福神に行きました。

 取手を選んだ理由は、1月8日で湯楽の里取手店が閉店になってしまうので、その前に行こうということです。

 でもまあ、年始の利根川沿いを散歩するのも気持ちのいいものでした。

 

 年末には、友人W他2名とともに、関八州見晴台のトレッキング。西吾野駅からスタートし、高山不動尊を経由して目的地へ。その名の通り、武蔵、上野、下野、相模、常陸、下総、上総、安房の8州が見渡せる低山です。まあ、実際にはそこまで見えませんでしたが。

 ゆる山歩きのあとは、休暇村奥武蔵で温泉につかってきました。

 

 今年最初の山は、北区の飛鳥山でした。まあ、トレッキングというほどではないですが、標高25.4mの山であることは間違いありません。飛鳥山は何度も行っているけれど、今回初めて山頂の標識を見てきました。

 

 今年2つ目の山は、相模原市の津久井城山です。山全体が津久井湖城山公園になっていて、山頂は標高375m、飛鳥山よりは高いですね。

 元々、城があったところで、遺構があって、それなりに歴史を感じます。

 帰りはバスがなくて、バスの多いところまで1時間くらい歩きましたが。

 

 最近、気になっているのが、武蔵五日市の方にある、ためぐそ山です。これもゆる山なのですが、名前のインパクトが強いですね。そのうち、行ってきます。

 

 昨年末に読んだのが、ジュディス・バトラーの「この世界はどんな世界か?」(青土社)です。

 コロナ危機をきっかけに、社会の格差が浮き彫りになったと思います。エッセンシャルワーカーという言葉ありました。医療従事者を含めたケアワーカーは、パンデミックの危機の中でも仕事をしなきゃいけない。経済だけではなく命の格差まであります。

 お金持ちは自宅にこもり、ギグワーカーの人たちが料理を届ける、というのも同様です。

 私たちはそういう世界に生きているということです。

 

 カレン・ティ・ヤマシタの「三世と多感」(小鳥遊書房)は、おすすめの短編集です。

 名前の通り、日系アメリカ人です。邦訳された「熱帯雨林の彼方へ」(新潮社)の印象が強くて、マジックリアリズムというイメージがありますが、まあ、もっとトリッキーです。

 どのように移民がやってきて、どのような歴史をたどり、今にいたるのか、一世、二世とどのようにちがっているのか。

 最初の短編、「風呂」を読むと、入浴という文化をめぐって、日系人の姿が描かれます。日本に行き、銭湯に入ったりもします。

 でも、そうしたことが、常に視点をずらしながら書かれていて、そこはマジックリアリズム的なものに通じていきます。三世は日本人ではなく、日系アメリカ人だし、そこには、日系アメリカ人として生きること、第二次世界大戦中に収容所に送られたということも含めて、バトラーのいうパフォーマティビティというものがあるのでしょうか。

 

 シオドラ・ゴスの「メアリ・ジキルと囚われのシャーロック・ホームズ」(早川書房)は、アテナ・クラブシリーズの三冊目にして完結編。登場人物が途中でしゃべりだす独特のスタイルが楽しい本です。

 ヴィクトリア朝、フランケンシュタインやモロー博士の娘たちが活躍するのですが、ゴスもまたフェミニズムを意識していて、アテナ・クラブのメンバーがしゃべるのは、当時消されていた女性の声を書いているということだそうです。その声が心地よく響きますし、当時の男性社会の問題をやんわりと告発します。

 前作、欧州旅行は、旅行のシーンがちょっとだらだらしすぎているなあって思いましたが、今回はもう少し引き締まった感じです。それに、メイドのアリスがヒロインとして活躍することそのものもまた、ゴスの女性に対する考えが示されています。

 

 岡真理の「ガザとは何か」(大和書房)は、ガザについて知りたい人はぜひ、読むといいと思います。昨年末に行われた2回の講義をまとめ、緊急出版したものです。

 岡はそもそもイスラエルという国が70年以上もパレスチナを侵略してきたことが問題であるといいます。そして、ガザが封鎖され、パレスチナ人が希望がないまま暮らしているといいます。そこでのハマスからの攻撃は、むしろ自衛のためのものだし、ハマスが最初に攻撃したのはイスラエルの基地だったといいます。

 イスラエルがパレスチナ人に対して行ってきたことは、生命ではなく生きる希望を奪うようなジェノサイドだったし、そうした中、現在は本当に命を奪っているということになります。

 ぼくがトーキングヘッズ叢書に書いた文章とともに、読んでもらえるとうれしいです。

 

 昨年は、果実酒をたくさんつくりました。誰も見向きもしない、公園とかのサクラやヤマモモやヒメリンゴ、街路樹のヤマボウシなどを使っています。これが、思いのほか、よくできています。ヤマボウシはけっこう甘い果実酒だし、ヒメリンゴは食べると渋いのだけれど、果実酒はいい香りと甘み、酸味のバランスがいいのです。

 できれば今年も作りたいとは思っています。まあ、公園の果実を持ってくるのは、あまり褒められたものではないですけど。

 でも、食べられる木がそのあたりにたくさん生えているというのは、悪いことではありません。というか、都市にそうした木を増やそうという運動もあるそうです。それは、困難な生活をしている人たちの食糧の一部にもなるからです。それがすべてを解決するのではないにせよ、食べられる公園、食べられる街路樹というのは、それはそれで豊かなものだとも思います。

 そうなったら、ぼくは自分が味見をする分だけ、少しだけいただければ、とも思います。あとは、例えば子供たちがおやつにしてもいいし。まあ、ヤマボウシなんかは、食べるとモモみたいでおいしいですよ。

 

 ということで、ではまた。

牛乳通信 第102

 

Blog http://d.hatena.ne.jp/tenshinokuma/

twitter @tenshinokuma

Facebook https://www.facebook.com/tenshinokuma

Instagramtenshinokuma33

 

♪あけましておめでとうございます?

 あまりめでたい感じがしないですよね。一昨年のロシアによるウクライナ侵攻に加えて、イスラエルによるガザ侵攻。とりわけガザについては毎日ワールドニュースでアルジャジーラなどの映像を見ているので、本当に気が滅入ります。

 ということに加えて、元旦から能登半島地震。地震そのものこそ自然災害だけれど、その後の鈍い対応など、銅かと思います。

 というだけではなく、昨年は両親が相次いで旅立ってしまったので、喪中というでもあるのですが。

 

♪釣りとトレッキング

 トレッキングですが、昨年は、西丹沢の檜洞丸と、群馬県・栃木県の県境にある日光白根山に登りました。この2つはまあ、ちょっと本格的に近いかもしれないです。

檜洞丸は、知人の車(テスラを自慢したかったらしい)で登山口まで行ったので、往復は楽でしたが、山頂付近以外はちょっときついだけの山だったかも。

日光白根山は、途中までロープウェイを使ったので、ゆるいですね。でも高山植物は見ごたえがあったし、山頂付近はワイルドでした。

他には、筑波山をはじめ、いろいろなゆる山に登りました。低いところでは、生田緑地の枡形山とかもあります。「ヤマのすすめ」がきっかけで、飯能アルプスの子の権現も行きました。最後は、昨年同様、友人4人(みんな還暦+1)で関八州見晴台。

 表丹沢は行きそこなったけど、陣馬山から高尾山への縦走は今年もしたし。今年はどこに行くのでしょうか。

 釣りは、小田原の米神漁港と江之浦漁港に行きました。なぜか、クロホシイシモチというネンブツダイに似た魚がたくさん釣れました。今年のテーマは、釣った魚はすべて刺身にする、ということです。ベラもゴンズイも刺身です。スズメダイの刺身はまあおいしかったし、カゴカキダイやメジナもまあまあ。クロホシイシモチは刺身よりも昆布締めがおいしかったです。

 本当は、カサゴとかハタとか釣りたかったんですけどね。根魚を釣るのが好きなのですが。なかなか簡単にはいかないです。

江戸川放水路のハゼ釣りも一回だけ行ったけど、雨が少なかったせいか、なんか川が少しどぶみたいな匂いで、ちょっとなあ。いや、釣ったハゼは天ぷらでおいしくいただきました。

 

♪筋トレと水泳

 昨年夏の終わりから始めたのが、筋トレ。それに水泳も復活し、週に一度は1200mくらい泳いでいます。

 なぜそうなったかというと、血糖値が上がったから。HbA1c7.5まで上昇してしまったので、最初は薬を飲むことにしました。でも、糖尿病の薬を飲むと、倦怠感がひどいです。体重は3㎏くらい減ったけど。慣れもあるのですが、医者と相談し、薬をやめて、筋トレと食事に切り替えたのです。ということで、毎日筋トレをしています。短い時間だけど、腹筋を中心にスクワットとか腕立て伏せとか、スマホアプリをガイドにしてやっています。筋肉がつくと、糖を消費してくれるので、血糖値が下がります。かくして、現在はHbA1c6.5、高めだけれど薬は不要なレベルに下がっています。まあ、実際に少しは筋肉がつきましたし、お腹もちょっとへこんだかな。糖尿病の薬で減った体重は、今のところキープしています。

 

♪資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか

 2023年もそれなりに本を読みました。

最初に、イヴ・コゾフスキー・セジウィックの「タッチング・フィーリング」(小鳥遊書房)がじんわりときました。セジウィックといえば、ジュディス・バトラーと並ぶクイア理論の開拓者なのですが、この本はそうした部分だけではなく、セジウィック自身が死を意識して書かれたところもあります。チベット仏教にそって、死ぬ瞬間まで人は学ぶ、そうした生き方について述べられています。自分らしく生きるためのフェミニズムの一つの到達点かもしれません。

ナンシー・フレイザーの「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ちくま新書)は、昨年のおすすめの1冊です。タイトルそのまんまの内容ですね。資本主義のしくみはお金をお金があるところに集めてしまうので、豊かさの再分配がそのままではできないのだと思います。99%の人は1%のお金持ちの側にいないわけです。

そもそも、社会が進歩すれば、誰もが幸せになるはずです。それはジェンダーや障害の有無にはよらないし、親ガチャとかもないはずです。ということを意識しているので、立岩真也が亡くなったのは、かなりショックでした。この機会に、「弱くある自由」などいくつも読みました。とても読みにくい本ではあるのですが、人が生きていけるというのは、とても大切なことだと思うのです。

そうしたことから遠く離れたところにあるのが、今のガザです。ガッサーン・カナファーニーの「ハイファに戻って/太陽の男たち」(河出文庫)は、パレスチナが置かれた状況が伝わる短編集です。ぜひ読んで欲しい本です。

東京に長い事住んでいるということもあって、源川真希の「東京史」(ちくま新書)はおもしろかったです。近現代の東京が、どのように成り立っていくのか、時間軸というよりテーマごとに読み解いていって、新たな見方を提示してくれます。著者は、大学の同級生なんですけどね。つきあいはないけど。

小説は、新刊ではジョン・スラディックの「チク・タク」(竹書房文庫)が面白かった。ロボット三原則が壊れた主人公が人を殺しつつ副大統領候補になっていくというブラックなコメディだけど、トランプってこんな感じだよな、と思ったりもします。

アリ・スミスの「五月 その他の短編」(河出書房新社)も面白かったけど、スミスは基本的に長編作家ですね。トリッキーな作品が短編ではそのことが目立ってしまうので。

それから、ジャン=フィリップ・トゥーサンの「ぼく」とマリーの4部作の最後がずっと翻訳されなかったので、英訳で読みました。「裸の人」というタイトルになるのかな。ラストがすごく印象的でした。チョコレート工場の火災による強烈な香り、墓地に降る冷たい雨、そこでマリーに告げられること。死を超えて生につながっていく見事なラストでした。4部作の最後だけが翻訳されないなんて、犯罪だと思います。

マンガは、完結した次の3つが印象的。ペトスの「亜人ちゃんは語りたい」(講談社)は、障害者や外国人などへの差別に対する批判、秋本治の「ブラックティガー」(集英社)はジェンダーとLGBTQを意識した西部劇、坂井恵理の「シジュウカラ」(双葉社)は家父長制とエイジズムに対する批判、というそれぞれの側面を持った上での、エンターテインメントなのです。

 

♪「王様戦隊キングオージャー」はちょっとすごかった

 一昨年の「ドンブラザース」がカオス的でちょっとすごかったのだけれど、昨年の「王様戦隊キングオージャー」は逆にしっかりと構成されたドラマと力の入ったCGによる背景を使った異世界ということで、これまでのスーパー戦隊とは一線を画す、とんでもない出来になっています。クォリティの高さにはびっくりします。キャラクターの一筋縄ではいかないし、伏線はこれでもかっていうくらい張り巡らされていて、それがきちんと回収されていくし、スーパー戦隊シリーズの最高傑作という声もあります。まだ、最終回は先だけれど、歴史に残る作品だと思うよ。

あとは、「昨日何食べた2」は、けっこう楽しく観ていました。「ギョギョっと、サカナスター」は、NHK Eテレの番組なのですが、とても好きです。まあ、魚が好きなだけじゃなく、サカナくんもいい感じなのだけれども、香音のちょっと外しているところがかわいいので、それも魅力です。

 

♪その他、仕事の周辺

 4月に、久しぶりのまったくの新著となる「図解即戦力 脱炭素のビジネス戦略と技術がこれ1冊でしっかりわかる教科書」を技術評論社から出しました。長いタイトルですね。でもまあ、脱炭素をめぐる動きとか背景とかは、だいたいこれでフォローできるものにしたつもりです。といっても、ビジネス書なので、ちょっと敷居が高いかも。本屋で見かけたら、コラムのところだけ読んでみてくださいね。

他にも、週刊エコノミストとかにも記事を書いたし、年末にはダイヤモンドオンラインにも書きました。年明けには、また別の媒体に書いた記事が出ます。

でも、仕事のメインは、H Energyという韓国企業の日本進出の基盤づくりでした。エネルギー関係の仕事ですが、まずは入り口を探す1年だったかな、と。今年は、日本でもきちんと事業ができるようにしたいですね。

もう一つは、鳥取県倉吉市のお手伝いもしています。今年は、鳥取県に行くことが増えるかもしれません。大山には登りたいですね。

 

♪トークングヘッズ

 「トーキングヘッズ叢書」でも、毎回寄稿しているので、よろしかったら読んでやってください。身体と恋をテーマに、レベッカ・ブラウンやジャネット・ウィンターソン、モニック・ウィティグなどについて書いたり、銭湯とかMINAMATAとか団地について書いたりしました。

 あと、観た演劇は基本レビューしています。

 あと、フェリシアはまだ残部があるので、読みたい方は連絡ください。

 今年は別のメディアにも書くことを計画しています。これも、リリースしたら報告します。トラディショナルな暴力について書こうと思っています。

 

♪最後に、パレスチナのことなど

 イスラエルによるガザへの攻撃の映像は胸が痛みます。毎日100人くらいの人が死んでいるのです。正当化されるものではありません。同時に、それに対してほぼ何もできない世界の無力さにも絶望したくなります。

 言っておくと、ぼくはハマスをテロ組織だとは思っていません。むしろ、オスロ合意すら守ることができず、ガザに人を閉じ込め、ヨルダン川西岸に入植するイスラエルが侵略組織だと思っています。侵略されている側が攻撃したとして、誰が責められるでしょうか。むしろ、そうした悲劇を防ぐことが、イスラエルが和平に応じることだし、欧米が支援することだと思うのですが。

 イスラエルとロシアがともに侵略国家であるにもかかわらず、欧米の対応はまったく逆です。このダブルスタンダードに、先進国の偽善を感じます。日本政府も同じです。

 日本のことも考えます。一昨年暮れに、タモリが徹子の部屋で現在の日本を新しい戦前だと述べたと言います。でも、ぼくはむしろ、いまだに戦後にたどりつけていないのではないかと思っています。日本国憲法が体現しようとした国家像にキャッチアップできていないのが今の日本です。

 東京オリンピックが負のレガシーを残し、大阪万博が日本の恥をさらすように進んでいく。円安が進行しているのを見ると、戦後が逆回しで進んでいるようにも見えます。でもそれは日本だけではなく、トランプ人気の米国をはじめ、右翼が台頭する欧州、あるいはロシアも中国も同じかもしれません。そんな中で日々暮らしているのだと思います。

 えーと、それはそうとして、東京ヤクルトは昨年は5位でしたが、今年は再び優勝して欲しいと思い、応援します。国を背負ったスポーツは好きではないですが、ファンとしてチームを応援するのは好きです。

 それに、春になったら花見がしたいですね。昨年は光が丘公園でやったのですが、今年もそこがいいかな。

 ということで、今年がいい一年でありますように。

 こんにちは。

 もう年末ですね。気持ちは冬休みです。

 

 まず、業務連絡から。

 今年も友人Wが状況します。ということで、1228日は里山ウォーキングをします。

 計画では、西武秩父線西吾野駅930分集合、高山不動尊と関八州見晴台を目指します。

 もしよろしければ、一緒に行きましょう。

 

 次は告知。

 週刊エコノミストに記事を書きました。といっても、2週間前に発売になったものなので、大書店でバックナンバーを立ち読みするか、Webの有料記事になってしまうのですが、2024年の原発再稼働などについて書きました。

 このあと、さらに2誌ほど、掲載予定がありますが、それはまた追って。

 

 息子が来年2月にオペレッタに出演します。210日と11日、北とぴあで、「シューベルトの青春~三人姉妹の家」です。もしご関心があれば、ぜひ。

 

 前回、糖尿病の薬をやめて、筋トレを始めたことを書きました。おかげさまで血糖値は下がりました。あいかわらず、毎日筋トレをしています。メインは腹筋、休日は全身、それに週一回のプール。コレステロールだけは下がっていないので、これはアトルバスタチンを飲んでいます。多少、筋肉はついてきました。

 

 友人Kがつくば美術館でグループ展「鴇展」を開催しているので、行ってきました。第44回だそうで、足掛け40年ですね。今回はつくばでの開催なので、アクセスがいいので、行ってみたというところです。

 けっこう広い展示スペースで大きな作品が多く、いろいろ面白かったです。

 40年という時間をどう考えるのか。世界はその間にどうなっているのかな、とか。目の前の風景がどんなふうに見えているのか、とか。人の心をどのように反射するのか、とか。

 友人Kの作品は4点。1つはリスカするリカちゃん人形に目が行ってしまいますが、その背景には原爆も原発もよど号もあさま山荘もあります。日本国憲法は沼に沈んでいきます。戦後、結局のところ日本人は少しも成長しなかったのかな、と。

 タブレットの画面にガザとウクライナの画像が背景として置かれていて、おなかからケーブルを出している女性。日本とイスラエルとロシアの国旗が重ねられていて、つながっているというのでしょうか。

 

 美術展といえば、近くの世田谷文学館で江口寿史展もやっているので、足を運んでみました。いろいろ懐かしかったりもします。やっぱり、江口が描く女性はいいですね。

 

 先月と今月、小田原に釣りに行きました。江之浦港と米神漁港です。

 釣果はいまいちでしたが、それでもネンブツダイ系のクロホシイシモチがたくさん釣れました。

 釣った魚は刺身にする、というのが最近のテーマ。ゴンズイも刺身にしました。今までは天ぷらとかにしていたけど、それだとカロリーが高いので。

 あまり大きくないけど、かみさんがスズメダイやカゴカキダイを釣ったし、メジナも釣れたので、それはまあ刺身としてはおいしい方でした。

 あと、クロホシイシモチはこぶ締めにしてみました。これがなかなかおいしかったです。このためだけに、またクロホシイシモチを釣ってもいいかな、と思うくらいです。

 

 来年は、もうちょい食べがいのあるサイズの魚を釣りたいですね。

 

 秋から冬にかけての登山は、その後、神奈川県の藤野にある日連アルプス、陣馬山から高尾山への長いトレッキング、そして逗子の神武寺から高取山までのゆる山歩き。

 冬が近づくと、紅葉もほぼ終わりかけているけれど、落葉広葉樹が葉っぱを落としているので、視界は広くなります。もっとも、三浦半島は常緑広葉樹の林なので、そうはいかないですが。

 三浦半島でトレッキングをすると、特定外来種のタイワンリスをたくさん見ることができます。

 

 本はいろいろ読んでいます。

 ガッサーン・カナファーニーの「ハイファに戻って/太陽の男たち」(河出文庫)は今だからこそのおすすめです。パレスチナの小説です。パレスチナがどのような場所に置かれているのか、伝わってきます。

 ぼくはハマスをテロ組織だとは思っていません。そもそも、イスラエルがパレスチナを侵略したのですから。

もっと言えば、イスラエルではなく英国なのですが。そのことは、ファドワ・トゥカーンの「『私の旅』パレスチナの歴史」(新評論)で、1920年代から1967年までのこととして描かれています。

女性であるトゥカーンは、英国・イスラエルによるパレスチナへの侵略と、アラブ社会における女性差別を経験します。アラブ社会は変わっていきますが、イスラエルはより強硬になっていきます。

 

 イスラエルの小説も読みました。「シオンズ・フィクション」(竹書房文庫)というイスラエルSFのアンソロジーです。この本を読んでいると、イスラエル人がホロコーストのトラウマをかかえ、中東諸国に囲まれた中で怯えて暮らしているというメンタリティが伝わってきます。でも、イスラエル人には同情はしません。和平の決定権を握っているのがイスラエルなのですから。

 ただ、そうしたことを見過ごしている、ロバート・シルヴァーバーグのまえがきには、ちょっと絶望的な気分にもなります。

 

 森達也編「あの公園のベンチにはなぜ仕切りがあるのか?」(論創社)は、日本における排除と差別を扱った本です。いつのまにかベンチは真ん中に仕切りがあるものばかりになりました。これって、寝そべることができなくって、良くないですよね。誰にとっても不便なものにするというのはなぜなのか。

 この本は、日本社会において、ホームレスをはじめ、シングルマザー、生徒、外国人などがいかに排除されているのかが語られています。

 ぼく自身、まだ東銀座で仕事をしているとき、地下通路に排除アートが置かれて絶望的になりました。20年以上前のことです。当時、銀座から東銀座に向かう通路にはホームレスの人たちが住んでいました。でも、そこで寝泊まりできないように、干支の置物が置かれたのです。

 ホームレスの人を排除したところで、その人たちがいなくなるわけではなく、より過ごしにくい場所に行くだけです。何も解決しません。

 学校も同様です。いじめられている生徒の方を排除すれば、問題は片付く。その程度です。

 森がまえがきで書いているように、日本人は戦後、マッカーサーから12歳って言われて、でもそのあとも少しも成長していない、そう思います。

 ほとんどの教師が人権について考えたこともない、そんな学校に子供たちが通っているということは、絶望的ですらあります。

 いろいろ考えさせられる、というか見えにくいものを見せてくれる本なので、おすすめしておきます。

 

 大江健三郎の「親密な手紙」(岩波新書)も読みました。大江の著作はいくつかは読んできたし、現代に対する問題意識も明確だし、だいたいは同意します。ヒロシマや沖縄、あるいは原発の問題も、その通りだし、日本国憲法は第9条を含めて守られるべきだと思います。

 でも、やはり少し違うなあと思うこともあるのです。

 大江がもう少し人権ということを考えていたら、違ったのではないか、と思うのです。

 「親密な手紙」にも、しばしば息子のことが話題として出てきます。しかし、これまで小説やエッセイなどで大江が息子のことを書いた時に、息子の人権って守られていたのだろうか、そのことが少し気になりました。

 ぼくはずっと以前から、死刑制度がなくならない限り、憲法第9条は変えられる危険性が高いって言ってきました。結局のところ、死刑制度も、人をこの世から排除するしくみでしかないのです。それで問題が解決するわけではないのです。

 別に、死刑だけの話ではなく、「あの公園のベンチにはなぜ仕切りがあるのか?」で取り上げられた、シングルマザーの貧困も、使い捨てられる外国人労働者も、生活保護受給者予備軍も、見えないところに排除されているのです。

 そう思うと、大江のこのエッセイが、成城に住むお金持ちの話にしか見えなくなってきます。というのは言い過ぎかもしれないのですが。

 大江が「沖縄ノート」で沖縄の人たちがいかに本土の人たちによって使い捨てられてきたのかを感じ取ることはできます。それでもやはり、戦後28年たっても、日本人は12歳のままだということにたいして、多少なりとも知識人の責任というのはあってもいいと思います。

 

 古川健の「追憶のアリラン」(ハヤカワ演劇文庫)も読みました。太平洋戦争末期の挑戦とそこから帰ってきた1948年の2つの時代を行き来しながら、日本人がいかに朝鮮人を排除してきたのかが語られています。この作品の舞台は観たことがなかったので、こうして本で読んだわけですが。

 古川は劇団チョコレートケーキでの作品を中心に、歴史を掘り起こし、日本人が何を間違えたのかを上演し続けています。今年観た「テレビより愛をこめて」は、古川としては異色の、特撮ドラマの撮影現場を舞台にしたものでした。「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」というエピソードを軸に、構成された作品でした。

 そこでは、「ウルトラマン」でのジャミラやウー、「ウルトラセブン」でのノンマルトやギエロン星獣もまた、排除される存在でした。

 

 結局のところ、排除の論理は戦前から現在まで変わっていないし、それは地続きでもある。

 それは時間軸だけではなく、パレスチナに対するダブルスタンダードということにまでつながっている。

 そうしたことに見えづらいままにしておく日本人は成長しなかったけれど、今の欧米を見ると、彼らもまた似たようなものに思えてきます。

 けれどもそうした中で、若い世代ほどパレスチナを支持している、そういうところにはまだ希望があるかもしれません。

 

 セネガル系フランス人のマリー・ンディアイの戯曲「パパも食べなきゃ」もまた、フランス社会において黒人がどのようなところにいるのか、そうしたことが描かれています。排除される中で、必ずしも幸福になれるわけではないけど、愛しあうことはできる。そうした救いを多少なりとも見出すことができます。

 

 そんなわけで、ではよいお年を。

 こんにちは。

 気が付くと11月ですね。

 この週末はけっこう寒いです。

 

 先月から筋トレをはじめました。平日は腹筋、休日は全身ストレッチ、水曜日は水泳、トレッキングの日はお休み、くらいで。

 糖尿病の薬を飲み始めたら、どうしても身体がだるくなるので、医者と相談して、薬をやめて、筋トレにしたということです。下半身はわりと筋肉がついているので(これもトレッキングのおかげ)、上半身をメインに。筋肉が糖分を燃焼させてくれるということです。

 デペルザ(SGLT2阻害剤)を飲むと、尿から糖が排出されて、体重が減少します。あと、それでも足りなくて、エクメット(インシュリンの分泌をうながし、肝臓から糖の排出を抑制する)も飲んでいたのですが。でも、どっちもやめました。

 まあ、それで血糖値が下がっていればいいんですけどね。でも、筋トレと食事制限(夕食の炭水化物は減らす、とか、甘いものは食べない、とか)で、減った体重をリバウンドさせていないし。まあ、そんな感じです。

 ウエストも少し細くなったかな。それでも標準体重よりは多いわけですが。

 

 たまには美術展関連の話題。

 

 先月は、与偶展に行きました。場所は銀座のヴァニラ画廊。

 与偶さんは球体関節人形の作家なのですが、トーキングヘッズ叢書では「辛しみと優しみ」の連載があります。傷つけられた人形を製作しているのですが、痛々しいというよりも、どれほど傷つけられたとしても生きる意志を失わないという、そういった強さを持った人形です。それは、観る人を勇気づけてもくれます。

 数年前にも同じヴァニラ画廊の個展を観たのですが、今回は少し違う印象を受けました。前回と比較して、どこか穏やかさを感じたのです。時間のせいかもしれません。

 前回とちがって、与偶さんが在廊していたので、少しお話しもしました。人形も抱っこさせてもらったし。貴重な経験でした。それに、基本的には撮影禁止なのですが、2体は撮影可能なので、スマホで撮影させていただきました。なかなかよく撮影できた写真もあって、ちょっとうれしかったです。

 

 同じヴァニラ画廊の古屋兎丸展も行きました。これはまあ、付き合いだったんですけど。「ライチ光クラブ」がメインで。実は読んでいないのだけど、丸尾末広の先にある、という感じでしょうか。

 

 森アーツセンターの「ブラックジャック展」では、手塚治虫の原画をたくさん見たのですが、修正がすごく少なくって、正確なペン入れが多作につながったのかなあと思いました。

 

 世田谷文学館の江口寿史展は行きたいですね。

 

 トレッキングの話も。

 

 今月は、箱根の矢倉岳に行きました。

 小田急線で小田急に近くなってくると、なんだか目立つ単独峰があります。さして高い山ではないのですが、とても気になっていました。おにぎり形の山といえばわかるかな。それが矢倉岳です。

 小田急新松田駅から、行きは直通のバスで矢倉沢まで。そこから登るのですが、おにぎり形なので、最初はちょっと急です。とはいえ、山は二次林に覆われていて、明るくって、気持ちよく登れます。途中、杉林もあるのですが、山頂近くなると、なだらかな二次林のトンネルをくぐるみたいで、とても気持ちがいいし、山頂は開けていて、遠くに富士山、近くに金時山が見えます。

 帰りは直通のバスがないので、大雄山線の大雄山駅から小田原に出て、万葉の湯で疲れを癒してから帰りました。

 矢倉岳は箱根のジオパークの一部で、北米プレートとフィリピン海プレートの間にあり、かなり新しい深成岩が隆起してできたという、めずらしい山だそうです。「タモリさん、この岩石、なんだかわかります?」と言いたくなります。でもまあ、歩いていると、見かけるのは泥岩が多くて(元々海底ですからね)、石英閃緑岩が露出している場所がそんなにあるわけではないのですが。

 

 河野真太郎著「この自由な世界と私たちの帰る場所」(青土社)、小川公代著「世界文学をケアで読み解く」(朝日新聞出版)、岩川ありさ著「物語とトラウマ」(青土社)を続けて読みました。

 河野といえば、「戦う姫、働く少女」が文庫化されていて、「風の谷のナウシカ」なんかも取り上げているので、読みやすいと思うので、これもおすすめですが、新刊は「現代思想」に掲載された論文が主体で、やや硬めの本になっています。

 映画「ドライブ・マイ・カー」も取り上げられています。割と評判のいい映画なので、観た人も多いと思います。この映画における男性性というのがフォーカスされています。主人公の家福は、男性性にとらわれずに、正しく傷つくべきだった、ということでしょうか。妻の音が亡くなる、そこに対する後悔や、あるいは男性性を示す若い高槻が鏡となり、あるいは作品中で演じられる「ワーニャ伯父さん」がそれを反映している、と。

 面白いのは、同じ作品を小川公代も取り上げています。そこでは、音による家福へのケア、ドライバーであるみさきの家福へのケアが語られています。

 この作品を接点として、河野の本は、私たちはどのような世界にいて、どこに行こうとしているのか、そのことが背景としてあるし、小川の本は、ケアという視点からさまざまな作品を読み直し、現在におけるケアの意味について近づいていきます。

 その意味では、自分自身をケアするために書かれたのが、岩川の「物語とトラウマ」ということになります。けっこうな厚さがあるのだけれど、どちらかといえば作者の代表作から少しずれたところから、作品を取り上げ、人がいかに傷つけられ、あるいは傷つけ、そこから回復していくのか、が語られます。例えば、大江健三郎の「美しいアナベル・リイ」のヒロインがいかに傷つけられ、男性が加害者として背景にいかに退いていくのか。そこには、同性愛者に対する傷害も含まれます。岩川自身、性被害によるトラウマを抱えており、そこからの回復としても、この本があるということが語られます。

 そして、小川もまた「世界文学をケアで読み解く」のあとがきで、自身が受けた性被害について書いています。

 こうして読みながら思うのは、「男性的」な暴力的な世界ではなく、ケアが尊重される世界(あえて「女性性」とはいわない)に行きたいのだけれど、現実はそうではない、ということです。

 立岩真也はあえて、「ケア」という言葉から距離をとるのですが、それでも、人が人として生きていくためには、誰かのケアは必要だと思います。そして、そのケアが「エッセンシャルワーク」などという言葉で話に、あたりまえの価値ある仕事であってほしいと。そしてその底流に、ケアがある、そういう合意が必要なのかな、と思います。

 だから、見方によっては、TRPGの「エクリプス・フェイズ」によるシェアワールド小説が、お金を出せば事実上不死になる、ケアから遠い、暴力的な資本主義だけが残った世界を描く、そんな風に感じられてしまうのかもしれません。というより、ケアへの飢餓が描かれているのかもしれません。

 

 明日は釣りに行こうと思います。

 こんにちは。

 ということで、10月も半分が過ぎてしまいました。

 なんか急に涼しくなってきましたね。

 

 まずは、業務連絡。

 「トーキングヘッズ叢書 No.96 ネオゴシック」が今月末に店頭に並びます。ということで、今回もご購読のほどよろしくおねがいします。

 

 それから、1016日に発売された「週刊エコノミスト」には、蓄電池の記事を寄稿しました。まあ、こちらはバックナンバーになってしまうのですが、見つけたら立ち読みでもしてください。

 

 そんなわけで、秋のトレッキング、最初は筑波山から。

 なんか、久しぶりに行ってみようかなあって思って。今回は、メインルートの御幸ヶ原コースから登りました。ケーブルカー沿いのルートなので、ちょっと坂がきついかも、です。でもまあ、御幸ヶ原でつくばうどんを食べ、男体山と女体山に登ったところで、かみさんが力尽き、ロープウェイで下山です。でもまあ、下山した先のつつじが丘にある筑波山京成ホテルで日帰り入浴。疲れを癒したのでした。

 

 続いて、奥多摩の棒ノ折山にも行きました。青梅線川井駅からバスで登山口まで。標高は969メートルの低山ですが、けっこうな急坂を登りました。おまけに杉林なのであまり景色が見られないし。でも、メインルートは飯能側からのルートなので、奥多摩側のルートで登っている間は人が少なかったのですが、広々とした山頂にはけっこう人がいました。

 下山は、その飯能方面の白谷沢ルート。沢沿いを歩くのですが、鎖場があるし、岩にはさまれた沢を下らなきゃいけないしで、ちょっと難儀をしました。

 でも、下山した先には、日帰り入浴施設のさわらびの湯があり、疲れを癒したのでした。

 

 トレッキングのようすは、フェイスブックで写真とともにくわしく書いています。

 

 あとは、ハゼ釣りも行ったかな。江戸川放水路です。なんだかちょっとどぶ臭かったのだけど、友人Aによると、雨が少なくて、川底の泥が流れなかったからだとか。そういうものでしょうか。ハゼは天ぷらでおいしくいただきました。

 

 最近読んだ本といえば、まずは坂爪真吾著「日本百名虫」(文春新書)のフォトジェニックとドラマティックの2冊でしょうか。甲虫推しですが、なかなかカラーできれいな本です。

 

 小野正嗣著「夜よりも大きい」(リトルモア)は、なんだか山尾悠子の作品みたいな感触があります。そこまで異世界というわけじゃないんですけど。この人が日曜美術館のレギュラー出演者なのもわかる気がします。

 

 ジョン・スラディック著「チク・タク」(竹書房)は、なかなかブラックなコメディです。アシモフのロボット三原則が壊れたロボットが主人公。ダークなアメリカだけれど、トランプが大統領になったアメリカもまた、ブラックなコメディだったなあと思うのでした。

 

 金田一蓮十郎著「ぼくらはみんな*んでいる」(スクウェアエニックス)の1巻も読みました。明るいゾンビの話。食欲も性欲もなくなっちゃうけど、うっかりするとゾンビになったことに気づかないけど、でもまあ、あっけらかんとしていて、まあいいか、という感じ。

 

 ナンシー・フレイザー著「資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか」(ちくま新書)はおすすめです。内容はまあ、書いてある通りなのですが、フレイザーは資本主義の概念を拡張し、経済の仕組みだけではなく社会や政治のしくみにまであてはめています。結局のところ、東インド会社の例を出すまでもなく、資本主義と植民地は結び付いているし、成長という名のもとに、植民地を次々とさがしてきたことも資本主義の歴史だと思います。そうしたしくみは、人を幸せにするわけがないというか、そもそも人の不幸の上に成り立っているのかもしれないとも思います。

 

 立岩真也著「良い死/唯の生」(ちくま学芸文庫)も読みました。立岩の本を少し集中して読んだわけですが。生きていられるのなら、死ぬ必要はないということです。それを安楽死に向かわせようというのは、資本主義が求める効率性とかかわってくるのではないかと思うのです。ということで、フレイザーと立岩の本をならべてみたいと思うのです。

 

 立岩の本と並べてみたいのはもう一つ、伊野隆之著「ザイオン・イン・ジ・オクトモーフ」(アトリエサード)です。エクリプス・フェイズというTRPGの世界をもとにした、シェアワールドのSF小説です。この世界では、人は死なないというか、データとして保存され、いろいろな義体にインストールされています。主人公はタコ型の義体にインストールされていて、金星から脱出しようとするわけですが。

 人が死なないというのは、設定の1つですが、もう一つ背景となっているのが、太陽系に広がった資本主義です。人が死なないということは、ではその人の欲望というのはどういう形になっていくのか。結局のところ、資本主義にとって大事なことは自己増殖する資本でしかなく、人そのものは死のうが生きようがその媒体でしかない。死なないということは、人間が不死を求めた結果ではなく、効率よく人のデータを活用する資本主義の結果なのではないか、とも思いました。誰もが死なないわけではなく、貧しい人々はデータのバックアップができずに死ぬし、あるいは安い義体しか買えなかったりもします。そこにはもう、唯の生はありません。

 

 TRPGつながりでもう一冊、健部伸明著「メイルドメイデン」(アトリエサード)も読みました。TRPGはきっかけで、そこで人格が分離してしまうという話でしょうか。最初は入っていけなかったけど、途中から面白く読みました。

 

 マシンガンズの滝沢秀一著「このゴミは収集できません」(角川文庫)は、ためになります。ゴミの出し方は注意しましょう。資本主義社会の見えない部分での仕事についての本でもあります。

 

 マキエマキ著「マキエイズム」(みらい)、サブタイトルは「私が性の客体を演じた理由」です。けっこう痛快な本です。若い女性が性的に消費されるのはどうかとは思うけれど、性的なことそのものを否定するフェミニズムに対しては異議を唱え、自分自身として性的である、ということを確認する、ということでしょうか。

 最初に自撮りをした理由のひとつは、自分が身近なモデルだったから。最近はモデルを使った写真が増えてきて、それがなかなかいい感じです。

 

 ハマスとイスラエルの戦争が起きてしまいました。これについては、問題はすべてイスラエルにあると思っているし、イスラエルに対するダブルスタンダードな対応をしてきた欧米に責任があると思います。ハマスのテロが問題なのではなく、イスラエルが70年以上にわたってパレスチナを苦しめてきたことそのものが問題だと思います。

 とはいえ、ウクライナと同様に、出口が見えない戦争には、気が滅入ります。鬱々とした気分です。

 早く、ガザに地下鉄が走る日が来てほしいと思います。

 こんにちは。

 ということで、9月も半分が過ぎてしまいました。

 でもまだ暑いですね。彼岸までは暑いのでしょうか。

 

 そんなわけで、先日はひさしぶりに釣りに行ってきました。場所は小田原市根府川の江之浦漁港です。

 江之浦といえば江之浦測候所があるのですが、それはもう少し先ですね。

 前回は、同じ根府川の米神漁港だったのですが、今回は江之浦漁港。前回のテーマは、とりあえずかみさんが1匹釣るということで、釣りやすい米神漁港になったわけですが、今回のテーマはベラではない魚を釣る、ということで、こちらを選びました。

 まあ、回遊魚がいるといいなあ、と思ったわけです。で、サビキも持っていきました。

 結果から言うと、回遊魚はいませんでした。でも、サビキのしかけでかみさんはまず小さなカワハギを釣ったので、あっさりと目標達成です。ブログやFBに写真をアップしていますが、小さいカワハギはけっこう釣れました。最後にはメジナまで釣りました。

 ぼくはというと、テトラの間で穴釣りをして、でも釣れたのはネンブツダイ系のクロホシイシモチやオオスジイシモチ。ぼくは江之浦漁港との相性は良くないです。

 まあ、他にもキュウセンなどのベラも釣れました。

 料理ですが、今回はすべて刺身にしてみました。カワハギはまあわかりますが、ネンブツダイも刺身にしたのはチャレンジングでした。でも、おいしかったです。

 次回は、江戸川放水路のハゼを予定しています。

 

 トレッキングといえば、暑いので山にはいかず、御岳渓谷を歩いてみました。川沿いなら涼しいかと思えば、そういうことはなく、湿度が高かったわけですが、ボートで川を下っている子供たちはちょっと涼しそうでいいな、と。

 玉堂美術館に入り、ゴールは澤乃井で利き酒、と、なんか最後は不健康ですね。

 次回は筑波山を予定しています。

 

 今期はアニメではなくドラマ「ばらかもん」を観ていました。原作はなかなか好きなのですが、ドラマもけっこうよくできています。半田清舟役の杉野遥亮はともかくとして、琴石なる役の宮崎莉里沙が原作を見事に再現していて、かわいいです。

 あと、豊嶋花と近藤華の、美和と珠子の中学生コンビもすごくいい感じだし。この際、田中みな実はちょっと余分です、くらいに思ってしまいます。

 川藤も最初は細いかなって思ったけど、そうでもないしな。キャストが全体としていいなあと。

 

 坂井恵理著「シジュウカラ」(双葉社)が完結したので、6巻から10巻まで一気読み。

 この作品、40代、息子のいる女性漫画家が主人公。一回り年上の夫との愛のない生活の中、アシスタントをやっていた18歳年下の青年と恋に落ちるという話。逆のパターンはあるけれど、年下の男性と、というのは少ない、ということですが。でも、ちょっと前だけど「逃げ恥」での石田ゆり子が演じた土屋百合はがそうでした。アラフィフでも大丈夫、というのはけっこう重要なメッセージなのでは。

 5巻までで、夫と離婚し、だからといって年下の彼と結ばれたわけではなく、元カレが登場して。息子は母親の離婚の背中を押してくれたわけですが、大学は関西を選びます。

 とまあ、そんな感じで、別れた夫は病気が見つかり、回復したものの早期退職で寂しい一人暮らしになっています。

 なんとなく、ひと段落ついたので、6巻から先はちょっと読まないでいたのですが。あらためて後半はというと、40代既婚女性の恋する自分を取り戻す話から離れ、周辺の人物の、DV父から逃げる話や、アルコール依存の女性など、困難を抱えた女性の話がサイドストーリーとして描かれいます。でもまあ、ヒロインも彼の方も、漫画家として、成果を出していくし、元カレの編集者も支援してくれるし、マンガがドラマ化される話とか、実際に「シジュウカラ」がドラマ化される話と重なったりして。後半はもう少し違ったテーマになっているのかな。二人は暮らし始めるものの、結婚はしない。そういう制度への疑問というのも投げかけられる。それでも、二人で幸せに暮らそうとするし、息子も応援してくれる、そして50歳の誕生日を迎える、というハッピーエンド。

 でもまあ、50歳でも若い人は若いし、魅力的な人は魅力的だし、取り戻せるものでもあるのかな、と、そういうことが大事だと思う作品。

 別れた夫は、なかなか悲惨な末路ではあるのだけれど。

 

 立岩真也著「弱くある自由へ・増補新版」(青土社)、「介助の仕事」(ちくま新書)も続けて読みました。

 「弱くある自由へ」は、一つは、ALSの患者のように、人工呼吸器がなければ生きられない、手足も動かせず、眼球運動だけでコミュニケーションするしかないようになったとしても、それで10年以上は生きられるのだから、生きるべきではないか。そのための介助は受けられるべきではないか、そしてそれは行政が担えばいいのではないか。そういうこと。ALSになったからといって、生きられるものを死ぬ必要はないではないか、というのはそう思う。同時に、そうしたものを主体的に勝ち取ってきた障害者のことも語られる。

 障害のある2歳の子供を殺してしまった母親の裁判で、一方で母親の減刑を求める声があり、他方で一部の障害者は、障害者だから殺されても母親が減刑されるのはおかしい、と主張する。それはそうだとも思う。

 これについては、ぼくはやはり、減刑されるべきだと思うけれど、その責任は行政が担うべきことだと思う。

 さて、「弱くある自由へ」の後半は、2000年当時、開始される介護保険制度をめぐる話だ。そこでは、立岩は制度に対する不安を述べる。

 そのことが、「介助の仕事」につながっていく。介護ではなく介助。高齢者介護ではなく、重度障碍者の介助、そうなる。制度がちょっと違っているし、報酬の体系もちがっている。

 この本は、研修における講義をまとめたもの、ということになっている。だから、実務的なこととそれをとりまく環境について語っている。でも、そうだなあって思うことの1つは、報酬が低いこと。それは、もっと行政がお金を出すべきだし、その仕事で生活できる水準にすべき、というのはその通りだと思う。

 ちょっと離れてみると、ホワイトカラーはAIに仕事を奪われるっていうけれど、それでいいのかもしれないとも思う。そうではなく、介助の仕事に対して、もっと報酬を出すべきではないか、と。

 どうやってビジネスで成功するか、みたいな話が、あちこちにあるけれど、その対極にあるものが、社会を支えているのだと、改めて思うのである。

 

 血糖値が上がってきて、デベルザに加えてエクメットまで処方されたのだが、飲むとけっこう倦怠感がひどいです。今はちょっとエクメットをお休みしています。

 デベルザを飲むだけで、体重は2キロくらい簡単に減ります。尿から糖をどんどん排出して血糖値を下げる薬ですからね。

 エクメットは2種類の薬が複合したもので、肝臓からの糖が放出の抑制と、筋肉や脂肪での糖の吸収の促進なのですが。これがどうかと。デベルザだけでも倦怠感があるんですけどね。

 ということで、炭水化物とアルコールは減らします。