ゴールデンウィークでバイトを辞めたとき、すごい解放感を感じました。


毎日が時間に追われ、一週間があっという間に終わり、そしてまた新しい週がやってくる。
息つく暇もなく、消化するだけの日々。


そんな毎日からやっと逃れることができたと。



その後1ヶ月はのびのびとした日々でしたが、そのうちなんだか思考が停止し、
そして何にもする気がしなくなり、ただただ寝る、寝る、寝るの日々。
夜、早く寝られるようになったというのに、以前と変わらず一日中眠い。



頑張りすぎたから、こんな休息も今は必要だと思っていたのですが、
1ヶ月、2ヶ月、経っても状態は変わることなく中々エンジンがかからない。

無駄に時だけが過ぎていく。


そして、なんだか沸々としたものが心の奥にあるような気がしてきたのです。
この沸々を退治しないと次に進めない、そう思ったのです。



そして辿り着いたのがゆるすということ。
もう2年も経って、触れないようにしていることが一番平穏に暮らせるように
感じていたのですが、どうにも居心地が悪くなって。


自分ではどうにもできなくなって、いろんな本を読んだり、考えたり。




ゆるすということも、立ち直ることも、やはり自分次第だと思います。
可哀想な自分から抜け出せないでいるのも、私がそうしているのだと感じました。




何やっているんだか・・・・・


そうやっているうちは幸せになんてなれないのにね。
そんな自分を断ち切りたい、そう思うようになりました。
自分の力を信じたい。




今、目の前の状況をちゃんと見ろよ!と言いたいです。
何の不安があるのだと。


いや、全くないわけじゃないです。
ヤツが彼女との不倫の最中に作った借金。
(デート代?それとパチンコ依存?その両方ですね)

これはまだある。これは現実。


不倫、借金、どちらも人生相談にはよくある悩み。

そして、必ず言われるのが

浮気は病気。必ずまた繰り返す。

借金癖は治りません。

それらの回答に深く頷きながら、引っ張られたりもする。


でもあの時、死んだ目をしていたヤツが、生き生きとまではいかずとも、
でも一度は抜けた魂が戻ってきたという目をして借金返済のため、

仕事にバイトに頑張っています。


週3回の徹夜はキツイだろうなとも思いますが、弱音も吐かず
自分で蒔いた種だからと、苦笑いして出かけていきます。



私がフラヴァった時も、開き直ったり、逆切れすることなく相手をしてくれます。

この2年、ずっと変わることなく。

時々思うのです。逆の立場だったらどうだろう。

私なら・・・間違いなく逆切れですね。反省しているのにどーすりゃいいんだ!!って。



私がゆるせないのは恐らく自分自身でもあるんだと思います。

以前は、夫が浮気をしたら即離婚 と思っていましたから。

一度でも裏切った人と幸せになんてなれるはずがないと思い込んでいました。

幸せそうな顔をしても、ウソっぽい笑顔なんだと思っていました。


そんな自分が離婚もできずにいる。

それも ゆるせないこと なのだと思います。

そして幸せと感じても、すぐに打ち消すかのように過去を持ち出す。



そう、この瞬間の心の苦しみは、自分自身の思いが生みだしている。

自分次第。
過去に縛られつづけるか、それとも今を信じるか。
浮気、借金は治らない、そんな言葉に縛られるか、それとも今のヤツを信じるか。



「正しさ」より「幸せ」を選ぶ。



随分遠回りをしたかもしれないけれど、この先もまた失敗もあるかもしれないけれど
怖がらないで自分自身と、そして今のヤツを信じて進んでいこう。

これからは不幸を語るのではなく、幸せを数えていこう。




今日で8月も終わり。
夏ももうすぐ終わりです。
私の長かった夏休みも、もうそろそろ終わりにしよう。






 いろんな意味で、「根本的な許し」とも呼べる許しがあります。
それは、「悪いことはなにも起こらなかった」と思うことです。
あなたはその出来事を「悪いこと」と判断したかもしれまん。
しかし、創造主の目から見れば、ただ「そういうことが起こった」だけにすぎません。
それはすでに終ったこと、過去のことなのです。
自分がひとや出来事に対して下した判断に固執することは、エネルギーを消耗します。
ほんとうにほしいものを引き寄せるために使われるべきエネルギーが、
そこで虚しく消耗されるのです。


「根本的な許し」の著者、コリン・ティッピングは、つぎのように書いています。


  「済んだことは水に流す」というのが、従来の許しである。それはそれでいい。
  しかし、いやなことがあったという認識がある以上、どんなに許そうと努力しても、
  自分は被害者だという認識をぬぐい去ることはできない。ふたつの相反するエネルギーの
  間で葛藤することになるだけだ。非難したい気持ちと許したい気持ちの間で。


 ティッピングのいう「根本的な許し」とは、悪いこと、いやなこと、ネガティブなことは、
いっさい起こらなかったという認識をもつことです。
さらにいえば、その出来事は、あなたを苦しめるためではなく、あなたの目を開かせ、
成長させるために起こったことで、あなたをいまいる場所へ導くための
カリキュラムの一部だったと理解します。


                             ザ・キー ジョー・ビタリー著



それはすでに終ったこと、過去のことなのです。
自分がひとや出来事に対して下した判断に固執することは、エネルギーを消耗します。


そう、すでに過去のことだ。
そして、まさに今私は、この過去のことが許せずに固執し、それによって
自分自身を縛り付け苦しんでいる。



その出来事は、あなたを苦しめるためではなく、あなたの目を開かせ、
成長させるために起こったことで、あなたをいまいる場所へ導くための
カリキュラムの一部だったと理解します。



借金、不倫は必然だった。
自分でもそう思えることもある。
あれがなければ、ヤツの根本に巣食っていた親に対する不満、蓄積された怒りには
気がつかなかっただろう。


ヤツは不満を抱え、それでも周りの顔色を伺い、一生苦しんでいたかもしれない。



成長させるためのカリキュラム・・・・・
もし不倫がなかったら、今のふたりはいなかった。それは深くそう思う。思える。


それまでの夫婦関係を見直すためには必要だったのかもしれない。
本当の夫婦になるために必要だったことかもしれない。



もし、私たち二人に必要なカリキュラムだったとしたら・・・・・


もし本当にそうだとしたら、もしそのためにキャスティングされたとしたら彼女のことを

ゆるすというより、気の毒にさえ思える。

彼女の方も、ヤツとの夢のような一時を過ごしていたかも知れないが、
(この一時が私の嫉妬心をかき立て苦しみの原因なんだが)
でもそれも信じて夢見ていたようなハッピーエンドとは程遠く、わかっていたこととはいえ
騙されたという思いも強いことだろう。
彼女もまた、ゆるせない思い をしているのかもしれない。
でも、彼女にとってもそこにも何らかの学びがあってくれたなら・・・・


どう思っているのかはわからない。
しかし、今の私を納得させ、今の状態から抜け出すには
苦しめるためでなく、成長させるために起こったことだと思い込ませるのも
必要なのかもしれない。




ゆるしとは
過去の影に惑わされることなく
いまこの瞬間に
百パーセント生き
百パーセント愛すること


ゆるすにはどれだけの時間が必要だろうか?


それはあなたの価値観しだい


絶対に無理だと信じるなら
絶対に起こらない


半年かかると信じるなら
半年かかる


一秒ですむと信じるなら
一秒ですむ


       ゆるすということ ジェラルド・G・ジャンポルスキー著





私は・・・・
もう犠牲者となって同じ所をループするのを止めようよ。
もう過去となった敵の影に向って一人闘っても何もならない。

憎む気持ち、悲しむ気持ち、それらを断ち切るか否か、それは私次第だ。





半年以上前、本屋でふと目にした本。

ゆるすということ ジェラルド・G・ジャンポルスキー著


タイトルが気になりつつも、その時は手にすることができなかった。


そして、先月のこと。
今度は古本屋でまた見つけた。
恐らくずっと心の中に引っかかっていたのだろう。
やはりこの本を手に取る時期が訪れたということなのか。



今の自分のどす黒い部分に触れる箇所、

そして今の自分に繰り返し語りかけたい言葉を拾ってみた。





友人や愛する人に裏切られ、恨みつづけることで、自分を守ろうとする場合も
あるかもしれません。ゆるしとは何かがわからず、苦痛をもたらすものにしがみつき、
癒しをもたらすものに目をつぶることもあります。
 私にとって最も受け入れにくかったのは、ゆるさないと過去の出来事にいつまでも
縛られるという事実でした。しかし、恨みにしがみつけば、結局、自分自身を
地獄の暗闇に突き落としてしまいます。


彼をゆるすのが怖い。彼をゆるしたら、彼がやっとこともゆるすことになるのでは?
ゆるすということは、彼のふるまいに同意するのと同じでは?


傷つけられたせいで、私の心には有刺鉄線が張りめぐらされている。私の心は
石のようになってしまった。彼について考えるたび、私はかたくなになる。
この思いは、絶対に変えられない。


仕返しをしたいという気持ちと、全部忘れてしまいたいという気持ちのはざまで、
心が揺れ動く。


憎しみを手放したいのはやまやまだけど、ゆるしたら、また傷つけられそうだ・・・・




他人を裁いたり、恨みつづけたり、非難する気持ちや罪悪感にしがみついている自分を
想像してください。そんなときは愛も安らぎも幸せもどこかにいってしまいます。


ゆるしとは過去の傷を喜んで手放すことです。これ以上苦しむのをやめ、心と魂を
癒そうと決めることです。憎しみや怒りには価値があるという考えを、手放すことです。
すべては過ぎ去ったことなのですから、自分に何かが起こったからといって人や自分を
傷つけるのはやめることです。人を裁いたり責めたりせず、目を開いて、その人のなかに
光を見出すことです。



ゆるさないと考え、怒りや憎しみにしがみついているとき、
人は自分がとらわれの身であることに気づけない。



<エゴの声>
・そいつはあなたをひどく傷つけた。あなたは怒って当然だし、そいつを愛するのを
 やめて当然だ。どんな罰を下してもいい。


・ばかいうな。ゆるしたら、そいつは同じことを繰り返すだけだ。


・そいつをゆるせば、相手が正しくてあなたがまちがっていると認めるのと同じだ。


・ゆるすのを延期したほうがいい。仕返しができ、気分がいいから。


・誠実に謝るなら少しはゆるしてもいいが、百パーセントゆるすわけにはいかない。


・この際はっきりいうが、悪いのはいつも相手だ。ゆるすなんてとんでもない。


・「他人の行動をゆるせないのは、自分も前に同じようなことをしていて、
それがゆるせないからだ」――そんな話も信じてはいけない。





犠牲者としてふるまうのをやめれば、簡単にゆるせる。



ゆるしは過去を消す消しゴム。




「自分を哀れんでも無意味だ」と知る。

「あら探しは無意味だ」と知る。

「正しさ」より「幸せ」を選ぶ。

被害者としてふるまうのをやめる。

「恨みつづけたり、絶対にゆるさないと決めつけると自分が苦しいだけだ」と考えてみる。

いま、この瞬間の心の苦しみは、自分自身の思いが生みだしていると認める。

ゆるすことは、その人の行動に同意するのでも、人を傷つける行動を肯定するのでも

ないということを思い出す。


ゆるしとは

怖れに満ちた過去に

こだわりつづけるのをやめること


ゆるしとは

古傷を引っかいて

血を流しつづけるのをやめること