Diary. 2014. April 6. Sunday.
日記。2014年。4月06日。
● メモ。
ドイツ兵士たちの戦死記録。
https://www.youtube.com/watch?v=JS7VcRckOgI
● 静かな日曜日。
注文してあった:
Varty. Boyd ボイド・ヴァーティ著。
The cathedral of the Wilderness。 原野大寺院。
がアマゾンから届いた。
●
Diary. 2014. April 6. Sunday.
日記。2014年。4月06日。
● メモ。
ドイツ兵士たちの戦死記録。
https://www.youtube.com/watch?v=JS7VcRckOgI
● 静かな日曜日。
注文してあった:
Varty. Boyd ボイド・ヴァーティ著。
The cathedral of the Wilderness。 原野大寺院。
がアマゾンから届いた。
●
Diary. 2014. April 5. Saturday
日記。2014年。4月05日。
晴れた土曜日。チャックは通例のお御堂奉仕。
のりこさんから通信が途絶えた。
少年時代のあの戦争経験を思い出すとぞっとする。
常盤橋の袂で見送ったあの幼い日本人兄妹はどうなったのだろうかしら?
リーベンクイツと苛められてるのかもしれないけど。まさか。
せめて、金銭でも送りたいけど。名前も宛名も知らない。
僕は彼らを忘れない。忘れまい。
Diary.2014. April 4. Friday
日記。2014年。4月4日。金曜日。
● 昨日木曜日、シャンテイクレア散歩で、疲れてしまっていて、ほぼ寝て暮らした。
● のり子さんから連絡があった。
● Boyd Varty. Cathedral of the Wild.
ボイド ヴァーティ 著。 原野の大寺院。
http://digitalcast.jp/v/18542/
まだ入手していないが、今朝のNY時報でこの書について読み早速注文した。Internetに彼の講演が記録されている。それも視聴した。(上掲)。
著者は、南アフリカ出身の白人。27年間独立運動で牢獄につながれたネルソン・マンデラの影響をうけて育った30歳の青年。
人権、独立運動でマンデラは28年牢獄に繋がれた。
釈放されたあと、彼は復讐を人類愛と赦しに切り替えた。
僕たちの”日本と朝鮮”両族はともにマンデラから習うべきことが多い。人種境界線を越えた彼の視野がすごい。
Diary.2014. April 2. Wednesday
日記。2014年。4月2日。水曜日。シャンティクレア植物園開園。
またもや泣き出しそうな水曜日早朝。まずチャックと大事をとってストラッフォード市場へ。開園午前十時まで市場の片隅に座ってスイスチーズ・ハムサンドウィッチとコーフィーとでほぼ一時間過ごした。
午前10時開園時間に、小雨の降る道をストラッフォードから教会路のシャンティクレアまで直行。雨が降るので入園者は僕たち二人のほかにただ一人だけ。僕たち二人の全2014年度パスがたった50ドル。
一人分じゃなくて、二人分。嘘みたいな値段だ。(勿論出入自在。)
インタネット: Google under : Chanticleer. Images.
四月早々に開き始めた花のむれ。
毎週水曜日に観に来る。
池を眺める小丘。
川沿いの歩道。
そして、顔なじみの人工廃墟。
Diary.2014. April 1. Tuesday
日記。2014年4月1日。火曜日。’
チャックは火曜日のお御堂奉仕。
僕は一日中、東北津波被害の実況報告ヴィデオを視聴。
明日のシャンティクレア公園開園が待ち遠しい。
昨日、オランダの少女アミールが歌うのを眺めながら、小学校五年生のとき習った漢詩を思い出した。一寸した思い出に過ぎない。
●天莫空勾銭 時非無范蠡
Diary.2014. March 31。
日記。2014年。3月31日 月曜日。’
月曜日。3月も今日で終わり。そして、月曜日週例の買出し。
上ダービイの朝鮮食品店で食品をしこたま買い込み、ジャイアントで買出しした。
Diary.2014. March 30. Sunday.
日記。2014年。3月30日。日曜日。
父の命日。1975年。(1975年、復活祭ごぜん10時。39年前。)
● 教会の友人Joseph Vattimo君が教えてくれた。
オランダの最年少(9歳)”最新進”オペラ歌手。
アミーラ・ヴィリグハーゲン。
父の命日の良い思いでになった。
https://www.youtube.com/embed/ZWpLfncliwU?rel=0
アヴェマリア。
https://www.youtube.com/watch?v=FUnrLMvpQLk
Diary.2014. March 29 Saturday.
日記。2014年。3月29日。土曜日。
父は東洋日付で、1975年の3月30日、復活祭午前10時に亡くなった。僕は親不孝な息子だった。父の死に目にも会えなかった。
考えてみれば彼の人生は気の毒だった。1898年に生まれ、12歳の時に亡国の憂き目に遭い、人生の大部分を民族更生の努力で費やした。1945年に祖国光複をみたものの、祖国は南北に二分されていた。
彼は黙して語らなかった。ただ、黙って働いて、朝鮮族の労働者社会で黙って教え、黙って死んだ。
名も無く、彼は死んだ。だが、彼が夢見た、再建された韓国社会はどうやら国際社会のなかで生き延びている。
今土曜日の午後8時30分。あと30分での午後9時が彼の命日死亡時間にあたる。今の僕にはただ祈ることしかできない。
● 城戸久枝さんの「遥かなる絆」に関する記事を読み返した。
そして、1946年の寒い春の日に大連常盤橋のたもとで売りはらわれていた5歳前後の日本人兄妹二人のことを考えた。この七十年、僕は彼らを忘れられないでいる。彼らももう七十五歳を過ぎただろう。どんな人生を彼ら二人は辿ったのだろう?
アメリカの僕にはただ祈ることしかできない。
日本に現在する「残留孤児」援助組織の宛名を知っていられる方がいられたら、教えて戴きたい。
●
Diary.2014. March 28. Friday.
日記。2014年。3月28日。金曜日。
● 老齢期の単純な金曜日。明後日が父の命日。4月2日、木曜日、にシャンティクレア植物園が開く。待ち遠しい。
● 日本で,半世紀近く死刑囚として監禁された囚人が一応釈放された。囚人の名前がハカマダ。露西亜の国会議員ハカマダと同じ名前だ。
NY時報にでかでかと載った。委細は僕にはよくつかめない。
● 午前9時に病院で薄血剤使用下の血液検査。そのあと、チャックと二人でストラッフォード市場へ。帰り道にCVS薬局に立ち寄った。
Diary.2014. March 27. Thursday.
日記。2014年。3月27日。木曜日。
雪が解けた。3月30日は父の命日。1975年復活祭の前夜だった。
● 少年時代に覚えたアイルランド民謡もう一つ。
トラリイの薔薇。
http://www.youtube.com/watch?v=mXKK7PLPX0k
● 午前八時に”圭二”と電話。
● 正午にマイケル神父とチャックが僕の誕生日祝いにプリマヴぇーラ食堂で昼餐をしてくれた。
マイケル神父とはもう二ヶ月ぐらい会ってなく、うれしかった。
プリマヴぇーラは日本から来る友人も、毎度食事に連れてくる場所。
Trompe l'oeil の絵が壁を覆う。
http://www.primavera-pizza-kitchen-ardmore.com/
マイケル神父とひさしぶりにギプソン一杯にありついた。