その存在を知ったときにはすでに自らその命を絶っていた、ブローティガンという小説家がいて、昔、その作家にものすごーく影響を受けていて、大好きだった(その文脈で、高橋源一郎のことも好きになった)。
「アメリカの鱒釣り」という小説が一番の代表作になるのだろうけれど、これはアメリカでもバカ売れしたらしいのだけれど、日本では、本屋の「レジャー」の棚に置いてあった、というような笑い話をどこかで聞いたことがある。
で、ブローティガンは詩人でもあり、詩集も出していて、その詩集に「ロンメル進軍」というのがあって(それこそ源一郎が訳してたはず)、その詩集の中に、編集に問題があったのか、印刷か何かのトラブルなのか、原書からそうなのかわからないけれど、タイトルだけがあって何も書かれていない詩が3つあった(多分、3つだった)。
当時はネットもなく、調べることもできず、僕はどうしたか、というと、その空白に、タイトルから勝手に自分で詩を書いたのであった。
これが若さだ。
確か、サンディエゴの泥棒がどうとかいうタイトルだったと思う。あとの二つは覚えてないけどもサンディエゴうんぬん、というタイトルにどんな内容のものを書いたのか、出だしのあたりはなんとなく、覚えている。
「彼女のお父さんはサンディエゴの泥棒(48歳) 仕事のときはいつも素っ裸」みたいな感じ。
ああ、これが若さだ。
まあ、そういう痛い思い出はともかく、それくらいブローティガンが好きだったのだけれど、最初に名前を間違えると、ずっとそれで間違えたまま覚えている、ということもあって、数年前まで、わたくし、ブローティガンのことを、ブローディガン、と思ってた。そのまま人に、いやあ、好きなんだよ、ブローディガン、すごく、いいんだよねー、ブローディガン、みたいなことを言っていた。所有しているどの本にだって、ちゃんと「ブローティガン」、と書いてあるのに。書いてあるのにブローディガン。いやあ、春樹も源一郎も影響受けてるんだよね、ブローディガン。
そうさ、これは若さ……ではない。ただただ、恥ずかしい。繰り返すけども、ただただ、恥ずかしい。
ブローティガンにまつわる思い出、恥だらけやないか。
そんなんでよく好きとか言えるよな、って感じだけれども、この手の覚え違いは非常に多い。それこそ、来週、BIGBEACHフェスで見る、BASMENT JAXXのことも、ずっと、ベースメントジャック、と呼んでいた。いや、いまだに、5割の確率で、ジャック、って言ってる。ス、どこ行ったんや。
ちなみに、ヴィックスベポラップのことは、逆に、ベポラップス、とか言ってると思う。今、不安だから調べたら、ベポラップが正しかった。俺は、たくさん常備してるから、複数形で呼ぶ! という強がってみたところで、むなしい。
ということで、そういう間違いは誰にでもあると思うけれど、そこと愛情や思い入れは(多分、一応)別物で、ブローティガンのことは好きだ。好きだった、という気持ちに偽りはないのだ。
で、彼の代表作のアメリカの鱒釣り以外にも、今はどうなってるかわからないけれど、新潮文庫で「愛のゆくえ」という小説があって、これも好きだった。
ここまでが前置き。長すぎるけど、前置きなのです。
んで、最近、満を持して読みたいけれど読まずにいた漫画を一気に読もう、と思って、一つはジョジョのスティールボールランで、これはキンドルのカラー版で読むことにして、一気読みしたのだけれど(違う日記でそのことを書けたら書きたい)、もう一つはまだ終わってないけれど、最終章に突入した(そして休載中)という、「おやすみプンプン」。
出た!
プンプンは鬱展開で読むのがつらいという周りの声を聞いていて、いにおのほかの漫画はいくつか読んでいて、なんとなく鬱展開で辛くなる、というのもイメージできたので、ふーむ、鬱になりたくないなあ、とは思っていたのだけれども、スティールボールランで一気読みに気をよくしていたわたくしめは、プンプンの11巻まで、一気に読んだのであった。
そして、話はブローティガンに戻る。プンプンの叔父にあたる雄一が出てきて、まあ最初から影がありそう感ぷんぷんではあるけれども(ここでぷんぷん使うと、もう話がわちゃわちゃになるけども)、いい人だなあ、とか思ってたら、やっぱり(ある種ベタな)過去の苦いドラマがあって、それで、その過去の話をする相手が結婚する翠さんで、その喫茶店で初めて出会うときに、雄一が読んでいた文庫本(そして水をかけられる本)が、ブローティガンの「愛のゆくえ」なのだ。
この小説の表紙がアップになったときに、あ、もうだめだ、と思った。それはつまり、どうやっても雄一のことを好きで仕方ないだろう、と思ったし、この漫画のことも好きなんだな、って実感した、ってことだ。案の定、雄一は翠さんと結婚したのちに浮気して、失踪する、ある意味文学的最低野郎なのだけれども、こんなところで、ブローティガン、そして「愛のゆくえ」に出会うと思わなかったので、ぶわ、っと鳥肌が立ったのであった。ある意味で、ここは個人的にこの漫画のピークってことだ。
わたくしにとって、プンプン、とはそういう漫画です。愛のゆくえの出し方だけで、いろんなことを許容してしまう。
一気に読んでしまって、大人になっていく、成長していく中で、プンプンに感情移入をまるでしたことがないのだけれども、これしてたら、読むの辛いだろうなあ、とも思ったけれど、愛子ちゃんに固執する理由が少しもぴんとこないので(その固執を理由にするようなプンプンの甘えを描いていってこういうことになったぞ、って話だろ、ってことなのかもしれないけど、それにしても)、逆に11巻になって、(大きな事件によって)愛子ちゃんから固執されることの甘えへと転化して、やっぱり本質変わんないんだよね、そりゃそうだよね、って思うのだけれど(ちょっと短くうまく言えないから、適当に読み流して欲しい)、そういうまあ鬱展開らしいものも、そんなにずずんと沈まずに読めているので、楽しいです。
様々なエピソードが絡み、終わりへと収斂していく中で、ペガサス合奏団の和田さんが、「この世界は壮大なギャグ漫画だったのだ」と7月7日にみなが実感する、みたいなことを言っていて、これが、落とし方の一つの示唆的なセリフなのかなあ、とか思っています。予想とかじゃなくて。
ある意味、この漫画の読み方自体がすでにそうなわけで。メタ的な意味でもそうだけど、いやー、ほんとにどう終わるんだろう。
んー、この日記、途中まで、プンプンのこと、ぷんぷん、とひらがなで書いてた。ほら、そういう間違いしてるんだよね。
「ブローディガン」的間違いをするならば、プンプンにはすでに半濁音がついているために間違いようがなかったので、むしろ、欠落させて、平気で、ふんふん、とか言わなくてよかったです。過去にブローティガンに余計な点々をつけていた分、ここで差引きゼロにならなかったので、いつか、濁音は逆襲に来るのでしょう。
無駄に付け加えられた濁音は、必ずいつか取り返される。
いや、名言ぽく言ってみたところで、世界史のテストで書いた「ナポレオン・ホナパルト」は、どう考えてもマルにならないんだけど。ただのケアレスミスやないか、いや、むしろ注意しなくちゃそんなミスおこらないわ、って話なんだけど。
泣きながら、「せめて三角になりませんか」と食い下がる吉永。
誰だよ、吉永。
三角になったところで、33点の吉永。
赤点やないか。
「アメリカの鱒釣り」という小説が一番の代表作になるのだろうけれど、これはアメリカでもバカ売れしたらしいのだけれど、日本では、本屋の「レジャー」の棚に置いてあった、というような笑い話をどこかで聞いたことがある。
で、ブローティガンは詩人でもあり、詩集も出していて、その詩集に「ロンメル進軍」というのがあって(それこそ源一郎が訳してたはず)、その詩集の中に、編集に問題があったのか、印刷か何かのトラブルなのか、原書からそうなのかわからないけれど、タイトルだけがあって何も書かれていない詩が3つあった(多分、3つだった)。
当時はネットもなく、調べることもできず、僕はどうしたか、というと、その空白に、タイトルから勝手に自分で詩を書いたのであった。
これが若さだ。
確か、サンディエゴの泥棒がどうとかいうタイトルだったと思う。あとの二つは覚えてないけどもサンディエゴうんぬん、というタイトルにどんな内容のものを書いたのか、出だしのあたりはなんとなく、覚えている。
「彼女のお父さんはサンディエゴの泥棒(48歳) 仕事のときはいつも素っ裸」みたいな感じ。
ああ、これが若さだ。
まあ、そういう痛い思い出はともかく、それくらいブローティガンが好きだったのだけれど、最初に名前を間違えると、ずっとそれで間違えたまま覚えている、ということもあって、数年前まで、わたくし、ブローティガンのことを、ブローディガン、と思ってた。そのまま人に、いやあ、好きなんだよ、ブローディガン、すごく、いいんだよねー、ブローディガン、みたいなことを言っていた。所有しているどの本にだって、ちゃんと「ブローティガン」、と書いてあるのに。書いてあるのにブローディガン。いやあ、春樹も源一郎も影響受けてるんだよね、ブローディガン。
そうさ、これは若さ……ではない。ただただ、恥ずかしい。繰り返すけども、ただただ、恥ずかしい。
ブローティガンにまつわる思い出、恥だらけやないか。
そんなんでよく好きとか言えるよな、って感じだけれども、この手の覚え違いは非常に多い。それこそ、来週、BIGBEACHフェスで見る、BASMENT JAXXのことも、ずっと、ベースメントジャック、と呼んでいた。いや、いまだに、5割の確率で、ジャック、って言ってる。ス、どこ行ったんや。
ちなみに、ヴィックスベポラップのことは、逆に、ベポラップス、とか言ってると思う。今、不安だから調べたら、ベポラップが正しかった。俺は、たくさん常備してるから、複数形で呼ぶ! という強がってみたところで、むなしい。
ということで、そういう間違いは誰にでもあると思うけれど、そこと愛情や思い入れは(多分、一応)別物で、ブローティガンのことは好きだ。好きだった、という気持ちに偽りはないのだ。
で、彼の代表作のアメリカの鱒釣り以外にも、今はどうなってるかわからないけれど、新潮文庫で「愛のゆくえ」という小説があって、これも好きだった。
ここまでが前置き。長すぎるけど、前置きなのです。
んで、最近、満を持して読みたいけれど読まずにいた漫画を一気に読もう、と思って、一つはジョジョのスティールボールランで、これはキンドルのカラー版で読むことにして、一気読みしたのだけれど(違う日記でそのことを書けたら書きたい)、もう一つはまだ終わってないけれど、最終章に突入した(そして休載中)という、「おやすみプンプン」。
出た!
プンプンは鬱展開で読むのがつらいという周りの声を聞いていて、いにおのほかの漫画はいくつか読んでいて、なんとなく鬱展開で辛くなる、というのもイメージできたので、ふーむ、鬱になりたくないなあ、とは思っていたのだけれども、スティールボールランで一気読みに気をよくしていたわたくしめは、プンプンの11巻まで、一気に読んだのであった。
そして、話はブローティガンに戻る。プンプンの叔父にあたる雄一が出てきて、まあ最初から影がありそう感ぷんぷんではあるけれども(ここでぷんぷん使うと、もう話がわちゃわちゃになるけども)、いい人だなあ、とか思ってたら、やっぱり(ある種ベタな)過去の苦いドラマがあって、それで、その過去の話をする相手が結婚する翠さんで、その喫茶店で初めて出会うときに、雄一が読んでいた文庫本(そして水をかけられる本)が、ブローティガンの「愛のゆくえ」なのだ。
この小説の表紙がアップになったときに、あ、もうだめだ、と思った。それはつまり、どうやっても雄一のことを好きで仕方ないだろう、と思ったし、この漫画のことも好きなんだな、って実感した、ってことだ。案の定、雄一は翠さんと結婚したのちに浮気して、失踪する、ある意味文学的最低野郎なのだけれども、こんなところで、ブローティガン、そして「愛のゆくえ」に出会うと思わなかったので、ぶわ、っと鳥肌が立ったのであった。ある意味で、ここは個人的にこの漫画のピークってことだ。
わたくしにとって、プンプン、とはそういう漫画です。愛のゆくえの出し方だけで、いろんなことを許容してしまう。
一気に読んでしまって、大人になっていく、成長していく中で、プンプンに感情移入をまるでしたことがないのだけれども、これしてたら、読むの辛いだろうなあ、とも思ったけれど、愛子ちゃんに固執する理由が少しもぴんとこないので(その固執を理由にするようなプンプンの甘えを描いていってこういうことになったぞ、って話だろ、ってことなのかもしれないけど、それにしても)、逆に11巻になって、(大きな事件によって)愛子ちゃんから固執されることの甘えへと転化して、やっぱり本質変わんないんだよね、そりゃそうだよね、って思うのだけれど(ちょっと短くうまく言えないから、適当に読み流して欲しい)、そういうまあ鬱展開らしいものも、そんなにずずんと沈まずに読めているので、楽しいです。
様々なエピソードが絡み、終わりへと収斂していく中で、ペガサス合奏団の和田さんが、「この世界は壮大なギャグ漫画だったのだ」と7月7日にみなが実感する、みたいなことを言っていて、これが、落とし方の一つの示唆的なセリフなのかなあ、とか思っています。予想とかじゃなくて。
ある意味、この漫画の読み方自体がすでにそうなわけで。メタ的な意味でもそうだけど、いやー、ほんとにどう終わるんだろう。
んー、この日記、途中まで、プンプンのこと、ぷんぷん、とひらがなで書いてた。ほら、そういう間違いしてるんだよね。
「ブローディガン」的間違いをするならば、プンプンにはすでに半濁音がついているために間違いようがなかったので、むしろ、欠落させて、平気で、ふんふん、とか言わなくてよかったです。過去にブローティガンに余計な点々をつけていた分、ここで差引きゼロにならなかったので、いつか、濁音は逆襲に来るのでしょう。
無駄に付け加えられた濁音は、必ずいつか取り返される。
いや、名言ぽく言ってみたところで、世界史のテストで書いた「ナポレオン・ホナパルト」は、どう考えてもマルにならないんだけど。ただのケアレスミスやないか、いや、むしろ注意しなくちゃそんなミスおこらないわ、って話なんだけど。
泣きながら、「せめて三角になりませんか」と食い下がる吉永。
誰だよ、吉永。
三角になったところで、33点の吉永。
赤点やないか。