ジョーカーの感想をまとめるとして

 

ポイントが多い映画なので冗長ながら一つずつ書いていく

 

 

 

感想ではあるが

 

 

「これは個人的な感想なのだが」と言って書き出すのは

自分が批判にさらされないよう守る意味しか無いのだと

 

 

高校の先生に指導されたのを思い出す

 

 

 

 

思うように書いて

理解されればいいし

されなくても正直に向き合った上での反応なので成長が出来る

 

 

 

別に理解されようが批判されようが2時間後には消えてなくなってしまうものだ

 

 

 

そんな感じでやっていく

考察動画や文章も数多くありすぎて

目を通してられないので本編2回見た感想としてだけ

 

 

 

 

 

 

1、興行収入 

 

 

文句なし

商業作品なので売れるのが正義

 

 

好き嫌いは関わった人の生活と次の作品に挑戦する権利を確保した上でゆっくり観客と批評家に議論してもらえばいい

 

 

作品に優劣は無いが負けがあるとしたら作品の存在すら知られないことだから

 

 

 

 

 

 

 

内容がオープンだったらここまで売れなかったのは間違いない

 

この映画は全くエンタメではなく芸術系映画で

 

下手したら単館上映もありえるのではと思った

 

 

 

 

 

 

元々わかりやすいアメコミ作品だったバットマンシリーズから

 

 

ヒースレジャーの演技と死

単純なヒーローを求めない世相を汲んだ脚本によって

 

 

従来のシンプルなエンタメ作品から脱却しつつ

 

深みと箔がついた「ダークナイト」の成功で

 

 

 「(ヒースの)ジョーカー」需要が掘り起こされ

 

 

 

加えてスーサイドスクワットやニンジャバットマンなど

あからさまに「違う」ものを10年かけて机に並べられた後で

 

 

 

 

 

「お待たせしました本物の『JOKER』です」

 

 

と言わんばかりのホアキンの素晴らしいポスター

そしてスタイリッシュにジョーカーが踊るトレーラーである

 

 

 

 

 

 

「エンドゲーム」の大ヒットでアメコミ映画需要が活性化した市場

 

 

多くのファンは殺到し

それにつられて興味なかった人も行くのは間違いない

 

 

 

 

脚本はSNS映えする考察要素を散りばめ

 

 

 

印象的なジョーカーの恰好とダンスは

ファンが気軽にコスプレして盛り上がれる仕様になっている

 

 

これは最近の作品でヒット飛ばすには不可欠な要素らしい

 

 

 

 

 

この想像以上のヒットは

プロモーターのセンスと巧みな戦略の賜物と言っていいだろう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん詐欺は詐欺である

 

 

 

 

 

古くからのバットマンファン、アメコミの生き証人

話題のエンタメアクション映画を見に来た人などには

 

 

 

 

 

 

縦か横かわからないステーキを食べに来たのに

ヘルシーでおしゃれな前菜を何品も食べさせられたあげく

 

最後に60gの脂肪分の無い肉が

うやうやしくソースにかかってきたようなものなので

 

 

 

 

提供元に怒ったり苦言を呈す権利は100%ある

「ジョーカーはこうじゃないんだよ!」と

 

 

 

 

 

 

周りの人間の感想を見ても

 

 

男性で面白いと思った人が33%くらい

肩透かしをくらったと感じた人のが多く

 

 

 

 

女性は15%くらいの人に受けて

 

残りは肩透かしとかでなく

 

アーサーのキャラ造形とストーリーに

忌避感・嫌悪感を感じた人が多いように見えた

 

 

 

 

歴史に残る作品であり憤るファンも多くいるので

特に人気商売やってる女性なら公で言うのは悪手だが

 

 

アーサーは苦境に負けず最善を尽くす

周りにいないタイプの高潔な人物ではなく

 

 

 

「みとめられたい」「モテたい」「家族が欲しい」

 

 

同じ車両に10人くらいはいそうな

割と人間的な欲望もある中年男性の

しみったれた日常から

犯罪者に落ちるまでを描いてるので

 

 

 

気持ち悪いと感じたり

甘ったれるなと考えるのは自然な反応、、、

 

 

ていうか普通に考えて

女がどうやってあれに感情移入したらええんや

 

 

というところだろう

日常的に気持ち悪い男性からの好意や視線を浴びる女性が多いのも事実なのでしょうがない

 

男はほんとに好きな女の前だと挙動不審になってしまうので解決しようがない

 

 

 

 

 

さておき、そもそもアーサーが一般女性に受けるキャラなら

映画前半で美人の隣人と付き合ってハッピーエンドである

 

 

 

アーサーを気持ち悪いという彼女にムッとする彼氏もいたのにはジョーカーもニッコリというところか

 

 

 

最後に言うように「どうせ理解できないさ」

と嬉し気に言うさまが全てだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この「解釈違い」「プロモーションの妙」は

実際SNSで大炎上する可能性もあったが

 

映画の出来を支持する人が相当数いたことによって回避された

 

 

 

 

 

 

バクチに出て、そして勝った、ということなのだろう

 

 

ただ、炎上したところで話題になれば勝ちなので

運営は最初から勝っていたともいえる

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2、映画のクオリティについて

 

 

 

 

この映画のシナリオは一番感想が複雑になるし

 

 

そもそも映画は小説じゃないので

 

クオリティや芸術性と物語を一緒に評価するより

個別に判断したほうがいいと思う

 

 

 

 

 

クオリティを語るのに

 

アーサーと社会を結びつけたり政治批判したり

自己責任論だったり自分語りをするのはノイズに思える

 

 

 

 

 

 

 

この作品は

 

カメラカット、象徴的な色使い、

 

 

 

何でもない会話シーンで不安や緊張感を高めたり

 

時に楽しげにして

実は幻覚であることをカモフラージュするBGMの使い方

 

 

 

犯罪後に光が差したり

上り下りする階段

捨てられるお面、

銃などの小道具へのこだわりも良く

 

 

 

様々な映画のオマージュを積み重ねることで

 

 

 

 

退屈でストレスフルなだけの日常生活が

何故かテンポ良く消化させられてることに驚かされる

 

 

役作りも言うまでもなく

体形変化だけでなく

キレイな歯並びを貧民らしくガチャガチャにしてヤニまみれにする

徹底ぶりは(CGかもだが)ほとんどの観客はうなったことだろう

 

 

 

 

 

また意図的かわからないが

 

主演俳優ホアキンの実の父親が子供のころ

事故で脳に障害を負った母親と共に

父親(ホアキンの祖父)に捨てられ

 

 

 

母を介護しながら育ち

成人してからは新興宗教に走りその団体内で結婚した事実

 

 

 

 

狂った価値観の中で生まれ育ったのがホアキンであり

 

 

 

若くしてスターになったのちに

目の前で自殺に近い死を遂げた兄リバーという現実を

重ね合わせるように

 

アーサーというキャラクターは作られてるような印象があり

 

 

 

 

 

最後にアーサーはマーレイのショー内で

自殺するリハーサルを入念にしていたにも関わらず

 

 

マーレイを撃ち殺して生きる道を選択するあたりも

リバーとホアキンを暗示するようで

 

 

そこまでするかという感想を抱いた

 

 

 

 

 

 

ここだけ取って見ても芸術映画として

最高クラスの出来栄えと観てて感じた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3、ストーリーについて

 

一番「荒れる」要素であるストーリーだが

 

 

 

まず、この作品はジョーカーというキャラを反映するため

 

何度もリブートされる作品のためそんなに気を遣う必要もないのだが

 

これまでのバットマンシリーズと食い違いがあまり出ないよう

(そして過去作ファンが炎上させにくいように)

 

 

虚実入り乱れた作りになってて

 

 

 

 

 

最後のシーンで実は全部作り話でして、、、というオチにもできるし

全部そのまま本当ですとも解釈できる

こことここだけは妄想でした、、、などなど

 

 

 

 

 

映画内では何が本当か判明はしないし

したところで個人の楽しみを減らすだけなので

真相解明は無粋に思える

 

 

 

 

その「ズルい」造りによって

全ての感想をジョーカーが笑い飛ばして無にできる仕様なのだが

 

 

 

 

 

ここではオーソドックスに

妄想は最低限として解釈して

アーサーの人間性とストーリーの感想を書いていく

 

 

 

 

この映画を見るうえでのポイントは

 

 

 

アーサーをマイノリティながらどこにでもいる人間として受け取るか

 

あの街を現代と似たようなものとしてとらえるかで

スタートが大きく変わる

 

 

 

 

ある程度バットマン見てると

ゴッサムシティはモデルがあるにせよ

犯罪率貧困率がとんでもないこの世の地獄だと知ってるし

 

 

アーサーも後にジョーカーになるとわかってるので最初からファンタジーとして消化できてしまう

 

 

 

つまり日本人がそもそも感情移入できる世界ではない

 

 

そうやってみると一件落着してしまうし

そう思わせないからの大ヒットなので

 

 

 

 

 

 

懐古と見せかけて現代を鋭く描きとった世界に

誰の心にも少なからず

アーサーがいるのではないかというところから始めてみる

 

 

 

 

 

アーサーは

 

 

電車内で子供を笑わせることすら拒否される

 

 

神経障害がありストレスを受けると

引きつけのように笑いが止まらなくなる

 

 

普通に仕事してたら

ボコボコにされてお金を盗まれた上に

信じてもらえずクライアントを激怒させる無能ぶり

 

 

 

 

電車男のように絡まれてる女性を

助けるベタなヒーローチャンスが来たのに症状が出て

女性は立ち去り自分だけボコボコにされる

 

 

 

 

同僚の勧めでもらった拳銃を職場でうっかり落として

しかも同僚が(調べれば購入元がわかるため)

自分に類が及ばないよう嘘ついて裏切られ

クビになる

 

 

美人で親し気に話しかけてくれた隣人に

プチストーカーする

 

 

低収入かつ母親の介護に追われ

周囲からは母から自立できない男として扱われる

 

 

 

など

世にいる

「まともな人々」

「辛いながらも努力してる人」

からするととても関わりたくない人物であり

 

 

 

誰にも迷惑かけず

どっかでのたれ死んでてほしいと思われるしかない存在である

 

 

 

ツイッターでおもちゃのように晒しあげられる

電車にいる認知症や統合失調症の人々

のようになるのを福祉の薬でギリギリ踏みとどまってる状態だろう

 

 

仮に可哀想、だとしても

実際に彼みたいな人物を家族として迎え入れたり

職場で取引先に連れて行けたりできる人間はほぼいないだろう

残酷な現実である

 

 

 

職場の上司はかなり頑張ってたのではないだろうか

 

 

 

 

 

 

僕はADHDなんです

どころではなく

始まりからしてかなりの低スペックどころか

レベル-50から始まる異世界生活なのだが

 

 

 

 

物語の進行とともに

 

 

 

「周りの人をハッピーにするのよ」

と子供のころから言う母親の影響か

コメディアンを目指し

 

 

美人のキャリアウーマン風のシングルマザーと

なんとなくいい感じになったり

 

 

尊敬する大スターの番組内で紹介され

「君を家族のだとすら感じる」と祝福を受けたり

 

 

 

 

勉強してネタを作って

劇場で受けて成功への第一歩を歩む

 

 

 

実に映画らしいじゃないの

とサクセスストーリーを見るのだが

 

その合間

 

 

電車内でボコボコにされて反撃で銃を撃った事件が

観客の心に影を落とす

 

 

なんで人殺したの無かった風に成功してるんだろう?

 

 

 

その疑問はすぐにとかれ

 

 

母親は幼少時障害を負うはめになる虐待に加担した挙句

反撃されないよう

また自分自身の欺瞞から目を背けるため

「あなたは幸せな子よ」といい続け

実の母親かどうかもわからないことが判明する

 

 

 

大スターのショーに招かれたのも妄想であり

 

 

美人の隣人とはほとんど会話もしてない状態で

服装から娼婦として生きており

辛い時に会いに行った時のおびえた顔と

「お母さん呼んできてあげようか?」の言葉で

妄想がコントロール出来ない状態に進行してるのを自覚する

 

福祉からの薬のサポートも打ち切られた

警察に目を付けられる中

視聴者も、もう先がない、とその事実を共有する

 

 

劇場でも自分の笑いと感覚が周囲と大幅にずれているのを確認するばかりで

 

父親のように親愛の情を抱いていた大スターマーレイに

こけにされてるのを脳卒中で倒れた母の横で見る羽目となる

 

 

一つだけでもと人間的なつながりを求め続けるアーサーは必死に会いに行った父親(かどうかは不明)から

次来たら殺すと殴られる始末

 

 

 

アーサーは、レベル-50ながら

福祉、親、仕事、同僚、女性、と細く薄くつながってて

そこが人間として踏みとどまる動機づけとなってたのだが

それが一本ずつ切り落とされ、或いは最初から無かったのを理解してついに完全に社会から断絶する

 

しかし断絶される度にアーサーは実に軽々と踊りだすのだ

 

 

 

 

 

ここで殺人シーンを思い返すと

アーサーは殺人をする時だけ表情、手際共に無駄が一切なく最初から完全なLV90のプロである描写になってて

人間としての才能はゼロでも殺人者としての才能は最初からあるのでジョーカーの素質十分であることがわかる

 

 

 

 

しかも普通に人を殺しても人を不幸にするだけだが

上級サラリーマン3人を半分防衛とはいえ手にかけたら

街のみんなが熱狂してしまった

 

 

ここは日本や先進国と違うところで

普通殺人が起きてもざまあみろ

と市民のほとんどが賛同などはしない

 

なぜ熱狂したかというと

貧富の差が激しく自分が成功する見込みなど無い

未来は閉ざされ押しつぶされていくのを待つだけの人がほとんどの「ゴッサム」だからである

 

 

 

 

リアリティを感じた人はすぐそこに迫る自分の将来、国の現実だと思ったのではないだろうか 

 

明日事故で頭打ったとして脳に障害が出た時に親族福祉の力を借りず自分の努力で生き残っていけるものがどれだけいるか

 

そんな時代が来なければいいと思うばかりだ

 

 

 

 

 

最初にアーサーを襲う低層移民の子供たち

娼婦のシングルマザー クビをきられる福祉、従業員たち

笑いものにされることしか稼ぎ口がない同僚

みんなハッピーなどではなく「ハッピーそう」なのはウェインやマーレイなどの権力者とその周りにいる人だけである

 

 

 

 

 

アーサーがかつて母だと思った者に向かって名前で「ペニー」と呼びかけて「ハッピーな時なんて一度も無かったんだよ」

 

と言うアーサーは共感覚が必要になる「笑い」では障害もあり

つながるのが不可能だったものの

「殺し」で人々をハッピーにするのに成功した

母親からの呪いの言葉だったはずが再び彼を祝福し

生まれて初めて自分自身も「ハッピー」となるのである

 

 

 

「自分の人生が駄目になったのは自分の責任なのだから人を恨むべきではない」

「死ぬなら人に迷惑をかけず一人で死ぬべきだ」

「お前は自分に負けたんだ」

「低スペックが夢を見るな」

 

 

これはまさにその通りで正論そのもの反論の余地もない

ただ視点を返して

「完全に切り離された側」から見てみるとどうなるかというと

 

 

 

マーレイがアーサーが道端で死んでても気にも留めないように

完全に切り離されて1から13の階級制から「独立した存在」ジョーカーにとってもまた

「自分を仕事のタネとしてコケにすることしか考えてない」

「勝手に死んでてくれ」といわんばかりの存在をなんでやねーんと撃ち殺すのもまた正論となってしまうのだ

 

 

社会からも目の前の人間からも何もいただいてない以上

お代を払う義務もない

 

 

 

 

ジョーカーにとっては数字の大小、全てが無意味なので札束も燃やすし有名人、権力者だろうとおかまいなし

むしろその方が面白いわけで

 

 

 

ジョーカーが最初の子供たちに復讐しようとしなかったのは同じ大貧民で殺しあっても全く面白く無いが絶対強者のキングやエースが血祭にあげられるのは笑えるから

 

 

 

化粧無しのアーサーとしては自殺する前に

あれだけ出生の秘密で怒り泣き叫んだのが

希望の無くなった母親を無感情で殺害し

 

 

半分ジョーカーになった状態では警察に売ろうとしてたと見られる同僚を怒りも込めて抹殺している

 

 

 

アーサーが可哀想な人物というだけではないのは、劇場で滑稽に働く労働者チャップリンや小人症の同僚を一緒に笑う姿からわかる通りだ(自分より下のものを笑うときは周りと同じタイミングで笑っている)

高潔でも何でもない小市民なのだが

完全に切り離されたら最後自由に生きるだけだろう

 

 

 

 

自分のネタを披露し自殺するのを何度も止められ茶化された結果

より面白くするためにTVという媒体で

(ショーの最初と最後を見るとわかるようにカメラを非常に意識して振る舞ってる)

あたかも苦しんでる市民代表のようなセリフをカメラに向かって叫びつつジョーカーはマーレイを殺してしまうが

 

 

 

TVに映った映像は傲慢なマーレイと憤るジョーカーの鉄槌という

 

ヒーローが映画で市民を苦しませ脅威にさらす悪の王を倒すのと

 

 

 

苦しんでる人々からするとジョーカーは同じ構図にしか見えないため街は大いに盛り上がり、権力者ウェインも殺害され無秩序な世界が到来する

フランス革命の時なども同じような感じだったのでは

 

 

 

 

そして熱狂する人々にジョーカーの誕生が如くパトカーから引きずり出され自分の才能が昇華されたのに満足して生まれて初めてのハッピーを感じ心からのスマイルを取り戻していく

新しい社会が始まりジョーカーはつながりを手に入れることになる

 

 

 

 

 

さて、歴史上最高の権力者ですら部下(下っ端)に恨まれて暗殺された事例もある通り

他人をコケにしたり強く恨まれたら誰であっても無事ではいられないし日々気を付けるに越したことはないが

 

 

ではアーサーが正しいのか?あんな奴が?

 

という意見はもっともだが

ここはゴッサムではないし

殺人を熱狂に変えてしまうような完全なジョーカーは今のところ生まれてない

現実と一緒にして心配する必要はない

 

 

なぜ生まれてないかとすれば

みんな誰かをコケにしたりマウントとったり無関心だったりする一方で別の誰かを思いやったりつながりを保ってるからで

 

 

 

日々の仕事や買い物それこそ「JOKER」を観にお金を払うことでも誰かの収入やつながりが出来ていると言えるし

 

そんな日々の積み重ねがジョーカーを生まないよう抑止力になってるのでは

 

或いはなる前に「自分が悪いんだ」と自殺してくれるだけなのかもしれないが

つながりは母親の言葉のように救いにもなるし、呪いの鎖ともなるので

 

 

 

 

自己責任などと言っても始まらないどころかマーレイのようにジョーカーを産んでしまうだけなので

自分自身と身の周りの人を気にかけて思いやるところから始めるのしかないのだろう

とても地道でスポットライトも当たらないけど

 

 

もし本当にジョーカーが居なくなってほしいならば、の話ではあるが

 

 

 

反転してみると

最初からアーサーの中にジョーカーがいて

必死にもがきながら社会になじもうと、抑え込もうとしている

 

 

それを周りのみんなで解き放ってあげるストーリーでもあるので

開けてはいけない箱を開ける昔話のように

 

 

 

 

 

 

 

 

さてここまで言っても所詮ジョークでした~

(ただしアーサーの足は血にまみれ自然な笑顔は完全に化粧無しでジョーカーそのものだった)

で終わってしまいかねない映画なのだが

色んな人がつい熱くなり自分の本性に向き合えるいい映画だった

 

 

とりあえず私は映画観終わった後

深夜コンビニのバイトやアマゾンの配達員にコーラを上げてみたり

 

ハトに餌あげてる謎のダナキャランばあさんの話相手になってるくらいだが

 

ヒーローや「何かを変えてくれそうな人」がいらない世界であり続けるよう祈るばかりだ