日米映画批評 from Hollywood

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トップガン マーヴェリック (10点)

採点:★★★★★★★★★★
2022年6月4日(映画館)
2022年6月18日(映画館)
主演:トム・クルーズ、マイルズ・テラー、ジェニファー・コネリー
監督:ジョセフ・コシンスキー
製作:ジェリー・ブラッカイマー、トム・クルーズ

 

 撮影の遅れやコロナの影響もあり、当初の2019年から2022年まで公開が伸びた間に、アメリカでは劇場と同時にネット配信という作品も増え、映画館の存在価値すら危ぶまれるようになりつつあったが、1986年公開の第1作から36年後の今、ここに、ハリウッド最後の映画スターとも言うべきトム・クルーズが、自身の出世作を携え、ハリウッド映画の存在価値を再び見せつけてくれた!

 

【一口コメント】
 ハリウッド最後の映画スターとも言うべきトム・クルーズによる、これぞハリウッド映画!という王道中の王道映画です!

【ストーリー】
 過去40年間において空中戦で3機の敵機撃墜記録を持つ唯一のパイロット・マーヴェリック。最新型の極超音速テスト機・ダークスターのテストパイロットを務めていたが、最高速度がマッハ10に達していないのを理由に計画が凍結されることを伝えられ、上官を出し抜きマッハ10を見事成功させる。しかし、それ以上に記録を伸ばそうとした結果、ダークスターを空中分解させてしまい、その結果かつて自身も参加したアメリカ海軍パイロットのエリート養成学校・トップガンに教官として戻ってくることになる。
 某ならず者国家が稼働しようとしているウラン濃縮施設の破壊というミッションを達成するために、12人のエリートパイロットを指導するのだが、その中にかつての相棒グースの息子・ルースターがいて、とある理由から彼はマーヴェリックを恨んでいた。
そして2つの奇跡を起こす必要があるというミッションを成功させるために厳しい訓練を乗り越え、作戦決行当日がやってきた―――!

【感想】
 見終わった瞬間「This is Hollywood!」と思わず叫びそうになるくらい、久々にハリウッドの"王道中の王道"映画を観れた!という満足感に打ちのめされた。ぐうの音も出ない(という言葉が適切かどうかはわからないが・・・)ほど完成度の高い作品で、質的には「
Back to the Future/バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズと同等の完成度と言っても過言ではないレベル。今までにこの作品を含めて417作品のレビューを書いてきたが、歴代8作目の10点満点!!
 冒頭にも書いたようにアメリカでは映画館の存在価値が危うくなっていたが、この作品がきっかけとなり劇場に足を運ぶ人も増えるだろう。その証拠として、コロナ禍以降に公開された映画の中でマーベルとDCのスーパーヒーローものを除いて最大のオープニング興行収入を記録しただけでなく、アメリカの祝日であるMemorial Dayの週末の興行収入においても、今まで歴代1位だった2007年の「
パイレーツ・オブ・カリビアン~ワールド・エンド~」を大きく上回って歴代1位となっている。ちなみにトム・クルーズ自身の作品の中でも歴代No.1のオープニング記録になっている。

 さてまずはオープニング。

 前作同様にテーマ曲が流れ、トップガンの説明文章が入る。そして夕方の空母の甲板が映し出され、そこで働くメカニックたちを映し出す。戦闘機が離陸するのと合わさるようにしてDANGER ZONEが流れ出す・・・、これ以上ないくらいに前作へのオマージュ満載なオープニングだ!さらにカワサキのバイクにまたがり、基地へと向かうトム・"マーヴェリック"・クルーズがスクリーンに登場し、一気に物語へ引き込まれる。
 実際にプロジェクトが動き始めた直後の2012年に前作の監督であるトニー・スコットが自殺し、2013年に公開された「
オブリビオン」でトムと組んだジョセフ・コシンスキーが監督を務めるなどの背景があったことも、この作品に前作へのオマージュがこれでもか!?というくらいに込められた理由になっているのかもしれない。

 オマージュという点では他にも多数のニヤリ・ポイントがある。
・ジュークボックスのある海沿いの酒場で盛り上がるエリート・パイロットたちのシーンにニヤリ。
・その酒場で悪態をついた相手が翌朝教官としてやってくるという前作と同じ展開にニヤリ。
・更にその教官を見て、Oh My God!な反応を見せる生徒たちにまたニヤリ。
・グースの妻として若き日のメグ・ライアンの映像が流れてニヤリ。
・前作でマーヴェリックの相棒グースが弾き語りをした曲を、今作ではグースの息子ルースターが同じ状況で演奏するシーンにニヤリ。
・前作ではビーチバレーだった親睦会的なものがビーチ・フットボールとなっており、さらに親睦会からチーム作りの一環となっているシーンにニヤリ。

・前作のライバルであるアイスマン役のヴァル・キルマーが登場してニヤリ、そしてその後涙がホロリ・・・。
・今作でそのアイスマン的なポジションのハングマンという自信家で憎ったらしいキャラクターの登場とその見事なまでのキャスティングにニヤリ。
・空母でF-18とともに格納庫から甲板へと上昇するマーヴェリック(前作ではF-14を背後に同様のシーンがあった)にニヤリ。

・そして戦闘機同士のドッグファイトにニヤリ。
・最後の最後、空母の管制塔付近をかすめ飛ぶマーヴェリックにニヤリ(できればコーヒーを持たせておいてほしかったが・・・)。

 他にもまだまだたくさんあるのだが、一番のニヤリ・ポイントはその設定だろうか?どういうことかというと、前作では相棒グースを永遠に失い、苦しんだマーヴェリック。そして父親も戦闘機乗りでその相棒だったヴァイパーがマーヴェリックの教官として指導をしていた。それが今作ではグースの息子をマーヴェリックが教官として指導するという設定。前作でマーヴェリックが味わった父親の死という苦悩を相棒の息子が味わい、それを父親代わり、そして教官としての視点で描くという設定。この設定がこの作品最高のニヤリ・ポイント・・・ではなく、最高のオマージュではないだろうか?親子二代に渡るストーリーをデジャヴ感満載の演出で見せてくれることで、続編としての存在意義が極限まで高められているのだから。
 そしてハングマンと同じくこのグースの息子役のキャスティングもニヤリ・ポイントであることは間違いない!

 

 ストーリー自体は前作も今作も正直、もの凄くシンプルで、あらすじを一文でまとめるなら「極限ミッションへの挑戦を通して、友情・愛情・苦悩などを描くトップ・パイロットたちの成長物語」といったところだ。もっと単純な表現をすれば、「これがハリウッド映画です!」の一言で十分で、王道中の王道の展開で予想通りの展開が繰り広げられ、予想外の展開!みたいなものはないし、なくて良い。これだけの王道映画にそんなものは期待していない!
 さらに今の技術をもってすればどんな映像でも作れてしまうであろう2022年に、ある意味アナログな撮影方法(もちろん機材はかなりハイテクなものだが・・・)にこだわり、CGを極力使わずに実写映像にこだわっている。本物の人間が、本物の戦闘機に乗り、本物の太陽光や本物の大自然を背景に撮影している。こうやって文章で書くとそんなに凄そうな作品にはならないはずなのだが、実際にはものすごい作品に仕上がっている。
 これはプロデューサーであるブラッカイマーの存在が大きいと思われる。「アルマゲドン」、「
パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズ、「ナショナル・トレジャー」シリーズなどを手掛けたハリウッドでもっとも有名なプロデューサーの1人であるブラッカイマー、実は前作のプロデューサーの1人でもあり、世界的にハリウッド映画とはこうあるべき!という方程式のようなものを作ってきた1人でもある彼が、主役であり、自身もプロデューサーであるトム・クルーズと一緒にプロデュースしているのだから、面白くないわけがない。
 更にトム自身が続編の権利を買い取り、撮影技術が追いつき、満足のいく脚本ができるまで待ったということもあり、この作品に込められたトムの思いをそこかしこに感じることができる仕上がりになっている。

 さて、この作品には2つのクライマックスが用意されている。
 1つ目は2つの奇跡・ミラクルを行さないと達成が困難なミッション。こちらは地形の複雑さ、それを囲むように配備されたロケットシステムをかいくぐり、ターゲットへミサイルを撃ち込むというもの。2つ目はミッション達成後に敵機の追撃を逃れ、無事母艦に戻ってこれるか?というもの。
 この1つ目のミッションの達成がいかに難しいか?そしてマーヴェリックの腕前がどれだけ凄いのか?という演出が本当に見事。他の教官が設定した目標撃破までの設定時間は4分。マーヴェリックが設定したのは2分30秒。誰1人として達成できない。そんな中、首になったはずのマーヴェリックが自ら戦闘機に乗り、2分15秒でクリアすると言い出し、見事にその目標を達成してしまう。このあたり、プロデューサーでもあるトム・クルーズは自分の魅せ方を良く知っていると言える。
 そして2つ目のミッション。目標撃破をした後に無事に母艦へと戻ってこれるのか?という1つ目よりもさらにハードな設定。敵機に背後を取られたルースターをかばい、代わりに撃墜されてしまうマーヴェリック。もしかしてマーヴェリックが死ぬ!?っていうベタな終わりかたか!?と思ったら、墜落前にちゃんと脱出していて、とある人物と一緒に敵基地から戦闘機を盗んで脱出をするという展開に・・・!「
ミッション:インポッシブル」の最新作が始まったのか!?と思いきや、その戦闘機が前作で世界的に有名になった戦闘機F-14・トムキャットという展開がこれまた素晴らしい!(事前に敵基地にはF-14があるという情報も伏線として張ってある・・・)

 そしてそのF-14(この作品ではポンコツとも呼ばれる旧世代の機体として描かれている)と敵の第5世代最新鋭戦闘機との手に汗握るドッグファイトへと続いていく・・・、この一連の流れは大画面ならではの映像を楽しむことができる。
 また大画面を楽しむという意味では、細かい部分だが個人的に上手いなぁと思ったのが、戦闘機の速さを表現する演出。狭い峡谷を抜けていく際に崖から落ちる滝の傍をF-18が通過し、縦に落ちるはずの滝が、一瞬だけ横に流れるというシーン。それを画面に大きく映すのではなく、引きの絵の中でやっているあたり、良い意味で憎ったらしいなぁ・・・と感じた。もちろん上述の戦闘機同士のドッグファイトなどの大迫力シーンを見るのも、映画館のスクリーンという大画面ならではの楽しみ方だと思うのだが、こうしたスマホやテレビでは気づきにくい小さな演出に気づけるのも大画面ならではの楽しみ方だと思う。

 最初から最後まで盛り上がりっぱなしと言える作品であり、そのような映画をジェットコースター・ムービーと呼ぶことがある。これはアップダウンが激しく盛り上がりのある映画という意味で使われ、アップダウンの激しさに見終わった後に疲れを感じたりもするが、この作品はダウンのないずっとアップし続けるテイクオフ・ムービーとでも呼ぶべき作品で、見終わった後に来るのは疲れではなく、ただひたすらの爽快感である。
 テイクオフ・ムービーを形作る上でコメディ的要素も散りばめられていて、興奮だけじゃなくクスッと笑えるのもこの作品の良いところ。
 マッハ10のテスト飛行が終わった直後、墜落してボロボロになったマーヴェリックがレストランに入り、水をもらう。レストランのお客たちが異様な視線を彼に注ぐ。そしてマーヴェリックが客の中の少年に「ここは何処?」と尋ねる。そして少年はこう答える「地球だよ」と・・・。「
宇宙戦争」のパロディか?という思いが一瞬頭をよぎった。
 またマーヴェリックのロマンスとして描かれたジェニファー・コネリー演じるペニーとのラブ・シーンの途中で、昔なら「大変ママが帰ってきたわ!」となるところを「大変娘が帰ってきたわ!」となり、それだけでも面白いのだが、娘に気づかれないように階段ではなく、窓から外に出たら着地した地面から窓越しに娘とご対面!日本の劇場でもかなり笑いが起きていたので、本国アメリカの劇場では爆笑だったに違いない!
 こういったコメディ的要素を入れ込むことで、何事もそつなくこなす「
ミッション:インポッシブル」シリーズのイーサン・ハントとは違う人間味あふれるキャラクターとしてマーヴェリックが描かれており、こうした要素の積み重ねで、苦悩を乗り越えたクライマックスの大団円となり、感動の涙につながっていくのだと思う。
 感動という意味では忘れられない台詞がある。ダークスターのマッハ10の試験が終わり、上官にトップガンへの赴任を指示されたシーン。上官がこれからは無人機がメインとなり、パイロットは時代遅れの絶滅危惧種になると言われ、それに対して返したマーヴェリックの台詞、「そうかもしれない・・・でもそれは今日じゃない(Not today)」。冒頭で述べた映画館からネット配信へという時代的な流れに対して、配信のオファーを断り、映画館での公開にこだわったトム本人と重なった気がして、すごく心に残った台詞である。


 そして2019年ではなく、2022年の公開となったことで、この作品に現実世界とリンクする・・・というか、現実世界でも起き得るリアリティがもたらされたのも忘れてはならない。
 1つはウクライナ問題だ。この作品の中で破壊する敵国の施設が、核兵器製造に必要なウラン濃縮施設ということで、核使用をチラつかせながら侵略戦争をしている某国とのリンクというか・・・リアリティがあり過ぎるという点。
 第5世代戦闘機を持ち、アメリカと敵対するような国は世界広しといえど、2つの国しか存在しないわけだから、作品中でならず者国家として描かれている敵がどこなのか?というのが現実世界でも2つの候補に絞られるというリアリティがある。

 2つ目が22年に公開が延期となったことで浮上した問題。上記のもう1つの候補である国がらみのリアリティというか、リアルな問題。2019年に予告編が公開された当時の国旗問題がそれだ。マーヴェリックのフライト・ジャケットから日本と台湾の国旗が消されているという報道があったが、本編では両国の国旗が復活していた。
 もう1つの某国が台湾を国として認めておらず、台湾国旗が登場する作品に某国として出資はできない⇒CG処理で国旗を入れ替えた(ついでに憎き日本の国旗も変更させた)ということだと思われるため、予定通り2019年に公開されていれば、この作品では目立たないはずのCG処理によって国旗が消された本編が公開されていた可能性がある。それが公開が2022年に延期され、その期間に某国企業が出資を取りやめたことで、台湾の国旗が復活=某国のハリウッド進出が予定通りには進んでいないという時代背景を想像する楽しみももたらされた。
 バブル期にSONYがコロンビア・ピクチャーズを、そしてPanasonicがユニバーサルを買収したのと同様に、某国の会社が2012年にアメリカの劇場チェーン最大手のAMCを、そして2016年にはレジェンダリー・ピクチャーズを買収、さらにスタジオ買収とは行かないまでも某国の別のIT大手企業が作品ごとに出資をしたり、30年以上の時を経て日米の貿易摩擦がアメリカと某国の貿易摩擦に変わったという時代的な流れを感じることもできる作品となっている。
 今や日本を抜き世界第2位の、そしてコロナ禍ではアメリカすらも抜き去り世界第1位となった某国の映画市場。台湾国旗を復活させたことで、検閲によって外国映画の公開のハードルがもともと高い世界一の市場である某国での公開は難しくなったとも言われているみたいだが、これがアメリカ映画界として某国での興行収入よりもハリウッド映画としての誇りを優先させた結果なのかもしれない?なんて考えると、この作品の中で描かれているトップ・パイロットとして国を守るために誇りを持って任務を遂行するというテーマと、現実世界がリンクし、この作品の持つリアリティがより一層高まるのだ。

 リアリティという意味では前作では全員男性だった候補生の中に、今作ではフェニックスという女性が入っており、時代の流れを感じることができる。そして前作では影の主役として登場していたF-14戦闘機もアメリカ軍では2006年に引退している。それがならず者国家の基地に残っていて、マーヴェリックと一緒に搭乗した人物からポンコツ呼ばわりされてしまうあたりも時代の流れを感じる。
 それを映画ならではの映像として見せてくれたのが最後のドッグファイト。第5世代戦闘機がありえない変則的な動きでマーヴェリックの追撃をかわし、逆にF-14の背後を取るシーン。どこまでリアルな動きなのかはわからないが、時代の流れというか、36年の間の技術の進化を顕著に感じることができる。そしてこの新旧戦闘機対決という、旧作のアイスマンや新作のハングマンもお手上げの憎ったらしい演出が最後に来ていることで、この作品の完成度がさらに高まっているとも言える。

 続編が前作を超えることはないとはよく言われるが、例外は意外とある。トム・クルーズ自身、「
ミッション:インポッシブル」シリーズは回を重ねるごとに面白くなっているし、「ボーン」シリーズも3作目まではそうだった。
 しかし近年目立つ、過去の人気作を数十年経ってから、リバイバルではなく、続編として製作する映画に限っては、なかなか成功する作品はないな・・・と思っていた。半分以上が今更感があり、且つ平凡な作品になってしまって、何なら旧作の評価すら霞ませてしまい、残念なことがしばしばあります。直近だと「
マトリックス」がまさにそうだった。
 それが本作は、新作としての内容が素晴らしいだけでなく、1作目のマーヴェリックの相棒グースの息子ルースターを物語の中心に据えていることで、36年経ったこの時代に公開することの意義もあり、これだけの長期間を空けての続編としての完成度も高めることに成功した作品とも言える。
 前作ではグースが死んだこともあり、マーヴェリックは"全員を無事に帰還させる"ことに一貫してこだわり続け、前作では無茶をしていたマーヴェリックの成長が垣間見えると同時に、続編でよくありがちな前作よりもショッキングな展開を挿入することなく、最後までテンション上がりっぱなしの展開でエンディングを迎えたという点においてもこの作品は素晴らしいと言える。

 もちろんThis is Hollywood!のエンタメ王道大作なので、F-14登場などのご都合主義的な展開もあり、突っ込みどころはあるが、そんな突っ込みをする暇もないくらい、最初から最後までずっと面白いのがこの作品の凄いところ。
 個人的に一番の突っ込みどころはペニーとのロマンス。正直なくても良かったが、ハリウッドの王道映画という意味では必要だったし、上述した「大変娘が帰ってきたわ!」のコメディ要素につなげるという意味でも必要だったかもしれない・・・?
 前作と比べた場合、唯一圧倒的に前作のほうが良かったなと思うのは戦闘機。今作でメインなのはF-18だが、前作のメイン戦闘機であるF-14のフォルムだけは圧倒的な美しさでF-18の出る幕はない。

 前作の公開後に海軍への志願者が激増したらしいので、今作でも同様の現象が起きると思われる。そのため前作も今作もアメリカ海軍全面協力という、ここでもまたハリウッドらしい展開が待っている。確かに空母での撮影や、そもそもF-18に俳優を載せて、実際に空を飛び、長時間にわたって撮影をするなんてことは、軍の機密保持という観点からもかなり難しいと思われる。そのあたりのバックグランドも含めて、この映画はやはりハリウッドの王道映画なのだと言えるのかもしれない・・・。

トップガン (8点)

採点:★★★★★★★★☆☆
2022年6月4日(DVD)
主演:トム・クルーズ、ケリー・マクギリス、ヴァル・キルマー
監督:トニー・スコット
製作:ドン・シンプソン、ジェリー・ブラッカイマー

 

 1986年の全米興行成績1位を記録し、トム・クルーズが一躍トップスターの仲間入りを果たした作品で、日本でも1987年度の洋画配給収入1位を記録。36年ぶりの続編公開に合わせて、過去に何度も見た自宅のDVDを劇場に行く前に鑑賞した。
 

【一口コメント】

良い意味でシンプルを極めた作品でありながら、歴史を変えた作品です。

【ストーリー】
 アメリカの海軍機F-14のパイロットであるマーヴェリックは、相棒のグースと共にインド洋上でミグ28との戦いに勝利し、空母に帰還した。すると上官からトップガンという優秀なパイロットが集められた養成学校に行くよう命じられる。パイロットたちが集まる酒場で、マーヴェリックはシャーロットという女性に声を掛けるが、待ち合わせていた老齢の男性が来たことで振られてしまう。翌朝シャーロットがミグに詳しい教官として、チャーリーというコードネームでトップガンにやってくる。
 その後厳しい訓練を通して関係性を深める2人。しかし訓練の途中で相棒グースが事故で亡くなり、自分のせいだと思いこんだマーヴェリックは学校からもシャーロットからも次第に距離を取るようになっていく―――。

【感想】
 これぞハリウッド映画!という要素が盛りだくさんの作品。
 主人公の成功と挫折を主軸に据え、友情あり、恋愛あり、戦闘機による空中アクションあり、憎ったらしいライバルがいて、親子の確執もあり、そしてバディムービー的な要素もある。さらに映画音楽とはこういうものだというお手本的な音楽もある。
 ストーリー的には予定調和に物事が進んでいき、グースの死以外に予想外の出来事は起きず、ストーリーだけを取ってみればよくある作品なのだが、この作品をその他大勢の作品と違う名作にしているのは、なんといっても海軍全面協力というところだろう。この作品の要素(=主人公の成功と挫折を主軸に友情や恋愛など・・・)が他はすべて一緒であったとしても、舞台が海軍学校ではなく、普通の学校で空中アクションの代わりにストリート・ファイトだったとしたら・・・と考えてみるとわかりやすいかもしれない。一般人にとっては未知の領域である海軍学校で、これまた一般人には未知の領域である戦闘機という世界観。ここを舞台に上記の要素を上手く散りばめながら一流のスタッフが、一流の俳優とともに作り上げた作品というのが個人的には大きいと思う。

 ストーリー的には上述したように、よくある作品であり、良くも悪くもシンプル。シンプルだからこそ時代が変わっても、時代背景に影響されることなく、いつ見ても楽しめる。逆に映画に奥深さとか、練りに練ったサスペンスとか、ミステリー的要素を求める人は拒絶反応を示すレベルのシンプルさだと言える。考え方を変えると、ここまでシンプルに作って、かつ面白いというのは逆に難しいのではないか?と言える。
 一方、映像においては海軍が舞台ということもあり、この作品ならはの素晴らしい映像がたくさんある。
 戦闘機が空を滑空するシーンはもちろんだが、オープニングの甲板上で戦闘機の離陸を前にシルエットで映し出されるメカニックたちの姿に興奮を覚えたりもする。映画もそうだが、メイン(この作品では戦闘機やトム・クルーズら、映画であれば監督や俳優たち)となる要素の周りには多くのサポート要素があるということをオープニングで比喩的に伝えてくれる。

 同じ海軍を舞台にした名作「
愛と青春の旅立ち」にも通じるものがあるが、大きな違いはこの作品には主人公マーヴェリクのキャラクター設定もあり、コメディ色が強いという点だろうか?
 例えばオープニングのミグ28との戦闘シーン、背面飛行で敵機上空から数mの距離まで近づき、ポラロイド写真を撮影するというシーンがある。このシーンはコメディであると同時にマーヴェリックのパイロットとしての腕前の凄さも示す違う意味での名シーンと言える。これも海軍が舞台だからこその名シーンで普通の学校が舞台の作品で、天井からぶら下がって逆さにポラロイド写真を撮っても、それはストーカー以外の何物でもない・・・。
 また個人的にツボだったのが、管制塔をかすめ飛ぶマーヴェリック。劇中でも過去に5回も行っていることを上官にとがめられるシーンがあるが、それとは別にこの作品中でも2回、管制塔の近くを飛ぶシーンが描かれている。1回目はまだしも2回目、最後の最後に管制塔に「挨拶します」とマーヴェリックが無線を使って事前告知をしていて、来るとわかっているのにコーヒーを飲む管制官も面白い!

 映画は第七芸術と呼ばれることもある。カンヌ映画祭やベルリン映画祭などの映画祭はまさに映画の芸術性を評価するお祭りだし、日本のアカデミー賞もどれだけ売れたのか?観客がどれだけ楽しんだのか?という視点よりも芸術性が評価されることが多い。しかし個人的には映画=芸術ではなく、映画=娯楽=エンタメであり、アメリカのアカデミー賞は他の映画祭や日本のアカデミー賞とは異なり、ある程度劇場で成績を残さないとノミネートすらされない。
 その点、この作品はエンタメの王道とも言うべき作品であり、アメリカのアカデミー賞でも4部門にノミネートされ、1部門受賞している。そして何よりエンタメの王道=何度も見たいと思わせる作品ということで、DVDを購入し何度も見返してしまうほどである。単純に見終わった後に爽快感に満たされる=これぞハリウッド映画!という作品です。
 長編監督2作目のトニー・スコットが監督を務め、ジェリー・ブラッカイマーがプロデューサーを務め、若き日のトム・クルーズを含め、ヴァル・キルマー、メグ・ライアンなど大物俳優達を一躍世に送り出したこの作品。今見ればスタッフにも俳優陣にも名だたる名前が並んでいるのだが、ブラッカイマーを除いて公開当時は今ほどの知名度はない。そういった意味ではこの作品をきっかけにアメリカン・ドリームを体現した作品とも言える。

この作品がもし今公開されたら、ありきたりなストーリーで映像的にも音楽的にも新鮮味はないのだろうが、36年前のまだCG映画の歴史を変えた「
ジュラシック・パーク」が公開される7年前にアメリカ海軍全面協力のもとに戦闘機を実際に飛ばして、CGではない現実の映像を大スクリーンに繰り広げたという意味では、この作品も「ジュラシック・パーク」と並ぶ歴史を変えた作品と言えるのかもしれない。

名探偵コナン 緋色の弾丸 (4点)

採点:★★★★☆☆☆☆☆☆
2022年4月22日(TV)
原作:青山 剛昌
監督:永岡 智佳

 

 新型コロナの影響で劇場版コナン・シリーズの歴代興行収入塗り替え記録は7年で途絶えたものの、「劇場版 呪術廻戦 0」、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」に次いで、2021年興行収入ランキング第3位を獲得した作品。
 前作の最後で名古屋・栄のテレビ塔とオアシス21が映っていたが、その予告通り今回は名古屋が舞台。そしてもともとの公開予定が2020年ということもあり、東京オリンピックを意識しつつ、2027年に開業予定の名古屋⇔東京を結ぶリニアを意識した超電導リニアなるものがもう1つの舞台となっている。

【一口コメント】
 アニメだからこそのリアリティの無さもある程度限度があるな!と気づかされた作品です。

 

【ストーリー】
 4年に一度開催される世界最大のスポーツの祭典・WSG(ワールド・スポーツ・ゲームス)が東京で開催され、その開会式にあわせ、最高時速1000キロを誇る世界初の真空超電導リニアを開発することが発表された。しかし、世界の注目を集める中、名だたる大会スポンサーが集うパーティ会場で突如事件が発生し、企業のトップが次々と拉致される!
 コナンは、15年前のアメリカでも同様にWSGのスポンサーが拉致される事件が起きており、3人目の被害者が殺害され、FBIによって解決したことを知る。FBIとして事件を追う赤井秀一から捜査協力を頼まれたコナンは、3人目の標的と推理されるジョン・ボイドを護衛するため、園子のツテを利用して名古屋からリニアの体験乗車に参加することになる。
 一方、MI6から密命を帯びた世良真純とメアリーも、名古屋へやってくる。そして羽田秀吉は名古屋での仕事のついでに宮本由美をデートに誘い、期せずして赤井一家が名古屋に揃うことになる。
 リニア乗車前の検査が実施された病院で、クエンチによってコナンも気を失ってしまう。目を覚ますと、気絶している間にジョンが誘拐されたことが判明、更にWSG協会のアラン・マッケンジーも同時に誘拐されていたことが判明する―――!!

【感想】

 ここ10年の劇場版コナンでも群を抜いて質の高かった2作品、「異次元の狙撃手」、「純黒の悪夢」。どちらにも共通しているのが赤井秀一とFBI。今作はその赤井秀一とその家族がメインということで楽しみにしていたのだが、結論としては残念な結果となった・・・。

 オープニングは15年前のアメリカ・デトロイト。ハーモニカと逃亡者のシンクロの演出は秀逸だった。つかみはここ10年でもトップレベルと言っても過言ではなかったのだが・・・。
 そして現代に戻り、4年に1度の世界的スポーツ・イベントWSGのスポンサーを集めたイベントに前後する形で3つのスポンサー拉致事件が起きる。ここまでの展開も良かった。
 しかしその3つ目の事件で、護衛対象であるジョンを誘拐された毛利小五郎が、まだジョンが見つかっていなかったにも関わらず、ひつまぶしを食べていたのはさすがに・・・。一見チャラけているけど、そういうところはきちんとしているのが小五郎の小五郎たる所以なのだが、今回はチャラけているとかそういうレベルではなく、脚本の校正ミスというひどいレベルのミス。
 そしてお決まりの少年探偵団に向けた博士のダジャレクイズでトーンダウンする(これは水戸黄門の印籠と同じ役割なので仕方がない・・・)。その前後で探偵団がリニアに乗りたい!でも最終的に仮面ヤイバー・ショーに行くという一連の流れはなくても良かったかな?ショーを見に行くのであれば最後の最後、ショーの開催場所がせっかくリニアの終着駅の近くという設定=「コナンが乗った暴走特急が探偵団のいる会場に突っ込む」を活かしたラストの演出にしてほしかった(過去そういった演出も何度かあったのに、今回はなし・・・)。であれば、やはり探偵団は登場させる必要はなかったかな?しいて言えば園子の父親を元太の特技で発見するのだが、そこもコナンの推理で良かったのでは?と思えるレベルの内容だったし・・・。探偵団を描く時間があるのであれば、今作のメインキャラクターである赤井ファミリーをもう少し丁寧に描く時間に回してほしかった。

 またリニア乗車前の検査会場で、クエンチに気づいた灰原が朦朧とする中コナンに警告したのに、コナンもあっさり一緒に眠ってしまったのは、「
業火の向日葵」で主役をキットに食われて以来、久々のやらかし。そこは警告されたんだから機転を利かせて対処するのが名探偵でしょ!?
 というか、そもそもリニア乗車前の事前検査って何?手荷物検査とかじゃなくて、血圧とか計測してるシーンがあって、リニアってそんな健康診断しないと乗れないのかよ!?って突っ込みを入れたくなるレベルの、これまた検査に関する一連のシーン不要じゃないか?っていう設定。
 犯人が狙うターゲットを1人にするための描写だということはわかるが、他にいくらでもやり方あっただろ・・・。

 またコナンがFBIに頼んでリニアに乗る予定だった全員の携帯を鳴らさせるのだが、1人だけ携帯が鳴らなかった人間が犯人という描写も不要。電源切ってたらそもそも鳴らないし、他に多くの携帯が鳴っている中で鳴っていない人を特定する方が、普通に考えて大変だろ!?
 リニアの暴走を招いたぽっちゃり技術者を取り逃がしたシーンも何だかなぁ・・・。あれだけ大勢の関係者がリニア、並びに並走する新幹線、そして駅にいる中、逃走を許してしまうのはさすがにないわ・・・。その後の秀吉の活躍を見せるためには必要だったと言えば、必要だったが、そもそも秀吉が登場する必然性は赤井ファミリーというだけで、この取り逃がしがなければ本筋には一切絡むことがなかったキャラ。そう考えると逃走するよりも新幹線の特定車両をロックするなどして、その車両の中からリニアを暴走させる方が設定としてはリアリティがあったかな?
 そもそも最初からリニアに人を乗せておいても良かったのでは?というのがどうしても最後まで消えなかった。リニアに人が乗っていて、終着駅近くの会場に少年探偵団がいて、リニアの中からコナンが、会場では少年探偵団が、お互いに協力しながら解決策を探る・・・といった展開の方が緊迫感もあったし、意味不明な事前検査がなく、全員リニアに乗車という自然な流れも作れたと思うのだが・・・。

 他にも細かい描写で突っ込みどころはいくつもあるが、一番の突っ込みどころは何と言ってもタイトルにもなっている赤井秀一が撃つ弾丸(実際はリニアそのものとの二重の意味での弾丸)。上述のリニアを無人にした最大の理由でもあるこの銃撃シーン(一般客が乗っていてはこのシーンは成立しない・・・いや一般客が乗っていなくてもあまりにも実現の可能性が低すぎて赤井秀一凄い!とはならない)。
 名古屋から山梨まで真空状態とは言え、数百キロも弾丸が届くのか?という飛距離の話ではなく、そもそも名古屋から山梨まで一直線の線路という大前提があり得ない。というのは途中でカーブがあった瞬間、この弾丸はリニアに届く前に何かしらの壁に当たるはずで、そのあたりの説明がないので、そこにリアリティがない。いや劇場版コナンシリーズにリアリティを求めているわけではないが、この設定はさすがに無茶苦茶すぎるではないか?
 例えば少年探偵団や事前検査の一連のシーンを削って、真空超電導リニアの説明として「名古屋から山梨までを一直線に結んだ真空のトンネル」と一言入れて、更に「FBIの計算では時速1000kmで走る車両に追いつくためには初速○○kmで発射可能な特別製のライフルと~」といった説明を入れてくれれば、科学的根拠の有無に関わらず、アニメとしてはリアリティが増していただけに残念。磁石の影響を受けないように銀製の弾丸を作らせたところまではリアリティを持たせようとしていたこともあり、もうひと頑張りしてほしかったというのが正直なところ。

 逆に期待を超えてきたシーンもある。
 ここ10年のシリーズにおいてトンデモ展開が当たり前となり、前作では遂にシンガポールに現存するマリナ・ベイ・サンズまでをも破壊してしまい、次回作以降はいったい何を破壊するのだろうか?と不安になっていたが、その点において今作は期待を裏切ることはなかった。どれだけの国家予算がつぎ込まれたかわからないレベルの次世代の乗物と国際的な4年に1度のメイン会場を破壊することになったのだから・・・。

 そして改善点があるとすれば、この作品の一番の見せ場を中盤に持ってきた点。その見せ場は上述の赤井の銃撃シーン。この実現性はさておき、世良でさえも「誰が撃ったんだ!?」と驚くような狙撃だったわけで、その種明かしを中盤でする必要はなく、すべてが片付いてから最後の最後であの種明かしをしていれば、もっと盛り上がっていただろうに・・・と思わずにはいられない。
 また射撃距離についても普通なら数km(オリンピック競技でさえ最長は50m)なのだが、赤井は10㎞先の標的でさえ当てることが・・・的な説明があればまだしも今回はやはり距離が長すぎてリアリティが薄れてしまったのも残念と言えば残念。
 逆にリアリティがあったのが今作品のメインの舞台とも言える真空超電導リニア。アメリカでは"ハイパーループ"と呼ばれる、ロサンゼルスとサンフランシスコの560㎞を時速約1200kmで35分前後で結ぶという、飛行機よりも早い輸送手段として、実現に向けて動いているプロジェクト。それを実世界で2027年に開業予定のリニアと結びつけて提示している点はものすごくリアリティがあると感じた。

 そういえばエンドロールを見ていて、浜辺美波が声優として参加していることに気づいたのだが、本編を見ている最中はまったく気づかなかった。昔は子役に一般の子供の声を重ねていたこともあり、博士のクイズと同じく興ざめの原因になっていたが、最近は子供の声に興ざめすることもなくなっていることに改めて気づかされた。

マトリックス ~レザレクションズ~ (5点)

採点:★★★★★☆☆☆☆☆
2021年12月26日(映画館)
主演:キアヌ・リーブス、キャリー=アン・モス
監督:ラナ・ウォシャウスキー

 

久しく映画館に行っていなかった自分を、3年ぶりに足を運ばせた作品は、2003年の3部作完結編から18年ぶりの「マトリックス」の続編だった!
残念ながら22年前、18年前の”映像革命の衝撃”を再度感じることはなかった・・・が!!

【一口コメント】
 「ストーリーは〇だが、演出が×」な映像革命の無いマトリックスの続編です。

 

【ストーリー】
 救世主ネオは、トーマス・アンダーソンとして生活していた。彼は世界的なゲームデザイナーで、過去に「マトリックス」という3部作のゲームを大ヒットさせ、シリーズは完結していたものの、親会社のワーナー・ブラザーズから圧力を掛けられ、「マトリックス 4」の制作を余儀なくされる。
ある日、アンダーソンは同僚とカフェに行き、ティファニーという女性と出会う。別の日に再会したティファニーは「マトリックス」のトリニティから影響を受けてバイクに乗り始めたなどと話すが、お互いに心のどこかにひっかかりを覚えていた・・・。
勤務中のビルに犯罪予告が届き、アンダーソンのスマホにメッセージが届く。メッセージに従い、トイレに向かうとそこに、「マトリックス」に登場するモーフィアスが待っていた・・・。こうしてアンダーソンとしての自分、ネオとしてのうっすらとした記憶の狭間で揺れ動きながら、ティファニーとトリニティの記憶も取り戻し始める―――。

【感想】
Part 1が公開された1999年当時はかなり時代の先を行きすぎていた世界観を持った作品だったが、今やヴァーチャル空間を扱った作品は2009年公開の「
アバター/AVATAR」や2018年公開の「レディ・プレイヤー 1/Ready Player One」に代表されるように多数あり、現実世界に置いても今年2021年にFacebook社が社名をメタに変え、メタバースと呼ばれる仮想空間を活用したサービスに注力していくことを表明した。
そういう意味では22年が経ち、ようやく現実世界がマトリックスの入口までたどり着いたと言える。そんな時にこの作品がサブタイトルのレザレクションの名の通り、復活を遂げるのだから、映画館に行く意味もあるというものだ・・・と思っていたが・・・。

完結した3部作を新たに始めるにあたり、よくある時代を遡って描くということでもなく、これまたよくある主人公を変えて同じ世界の別人物を描くということでもなく、きちんとした続編として旧作の主人公2人の後日談を描くという点においてはよくできたストーリーだと思った。
その点は、オープニングからパート1の冒頭シーンを別の人物が見ているという続編でありながら、スピンオフ的な視点で見せる演出も上手かった。そして仮想世界の中の第二仮想世界として旧三部作をゲームに置き換えて、そのゲームクリエイターとしてネオ=アンダーソンを仮想世界の人物として描くことで、マトリックスならではの現実世界vs仮想世界をパワーアップさせて、現実世界vs第一仮想世界vs第二仮想世界の3層構造にしている点も上手い。・・・が旧三部作を見ていない人にとってはこのあたりの設定はかなり難しいと思われる。
さらにそのゲームのマトリックスを第一仮想世界の人物たちがセルフパロディー化しているところは秀逸。映画「
スクリーム」シリーズで毎回オタクが映画の定番を語るようなイメージで「マトリックス」について語るシーンはとても面白かった。新ゲーム”バイナリー”を開発中にもかかわらず、親会社のワーナー・ブラザーズから「マトリックス4」の制作を依頼されるシーンは本作のプリプロダクションで、ワーナー幹部がこのような会議をしていたのでは?と思わせてくる。このシーンは映画の中では仮想世界での出来事なのだが、こ映画を見ている観客からすれば一番感情移入できるシーンであり、映画の中の仮想世界が現実世界ともっとも強くつながるというストーリー設定が非常に上手い!

このようにストーリーは良いのだが、その見せ方・演出方法が格好良くない=マトリックスらしくない。一言で言うと軽いのだ。
例えばトイレで新しく生まれ変わったモーフィアスがアンダーソン=ネオに赤と青のカプセルを飲ませる選択をするのだが、そこでカプセルを飲めなかったため、別の場所にネオを連れていく。そこでは旧作の映像をスクリーンに映し出すという今までありそうでなかった演出が行われる。フラッシュバックや回想シーンとして旧作の映像をスクリーン全体に映すというのはよくあると思うが、今作で行われたのはある場所に設置された作品中のスクリーン(言うなればスクリーンinスクリーン)に旧作の映像が流れ、それを今作の長髪+髭面のキアヌが見るというシュールと言えばシュールだが、旧三部作で見せた格好良さとは違う演出であり、旧三部作を見ていない人間はここでまた置いていかれる。そして旧三部作を見ている人間は逆に演出に違和感を覚えるシーンになっている。わかりやすくはあるのだが、マトリックスに求めるのはわかりやすさではなく、斬新さであり、格好良さだと思うのだが・・・。
また敵の銃撃シーンの命中率の低さも気になった。かなりの至近距離にもかかわらず、全然当たらない。特にオープニングのバッグスの逃走シーンにおける銃撃シーンはひどかった。旧三部作は全体的に重いトーンの中に斬新な演出があり、格好良さが際立っていたのだが、今作は全体的に軽いトーンな上に斬新な演出がない!
その典型とも言えるのが上述のセルフパロディーだったりする。あのシーンは、あのシーンで非常に面白いのだが、作品のブランドというか統一感という意味ではやはり軽いのだ!


Part 1のバレット・タイムと呼ばれる銃弾避け、並びにワイヤーアクション、そしてPart 2のヴァーチャル・シネマト・グラフィにおける100人のエージェントスミスと戦うシーン、さらにはPart 3での雨中における気と気がぶつかりあうドラゴンボールの舞空術による空中格闘戦を思わせるバトルシーンなど、かつては”映像革命”と呼ばれたこのシリーズ。
残念ながら、今作ではそのような革命的な映像的演出は皆無と言って良い。ワイヤーアクションはあるし、舞空術も登場はするが、18年前に見たものと同じでそこに新鮮さはない。というよりは、今までにない斬新な映像を見せるぞ!という点において、今、見比べたとしても旧3部作の方が勝っていると思う。
例えば真っ白な背景の中に無限に並ぶ武器庫に、黒いロングコートを着た2人がいるシーン。CGのリアルさとか、そういうことではない格好良さがそこには描かれていた。その延長上にあるのが、ワイヤーアクションであり、バレット・タイムであった。
もちろんあれから20年近くが経ち、映像の進歩が進んだため、技術的には何でもできるようになってしまったというのもある。その点、今作にそれを求めるのは酷なのかもしれない。目覚めたばかりのネオが和テイストの畳の上で特訓するシーンもあるし、サンフランシスコの街並みを駆け抜けるバイクシーンもあるし、狭い空間でのワイヤーアクションシーンもあるし、ネオが両手をかざしバリアのようなものを出すというシーンもあるし、格闘シーンでの超スローモーションもあり、旧作と同じようなシーンは何度もあった。それでも20年前の心躍る、ワクワク感はなかったのだ・・・。
しいて言えば、高層ビルから人間を落下させるシーンが旧作にはなかったかもしれないが、ゾンビ映画ならまだしも、マトリックスで描かれるには、どちらかというとちょっと引いてしまう描写であり、軽く見えてしまった。その1つの原因としては、緊迫感がないのだと思う。圧倒的な存在感のある敵がいて、そこから逃げたり、逆にそこに立ち向かったり、そうした緊迫感の中で描かれる主人公たちに共感を覚えるからこそ、敵に対する畏怖があり、それを乗り越える主人公に憧れを抱き、格好良いと思うし、ワクワクするのだが、今作においては旧三部作のエージェント・スミスのようなライバルがいないことが大きいかもしれない。
いや、実際のところはエージェント・スミスは存在するし、それに匹敵するアナリストなる敵も新たに登場するのだが、2人の描き方が、これまた軽いのだ。2人に対する畏怖のようなものはまったくない。それが故に作品全体までが軽く見えてしまう。いや逆か?作品全体が軽いから2人も軽いのか?そういえば、新しいモーフィアスも旧作に比べると軽い気がする(逆に言えばローレンス・フィッシュバーンとヒューゴ・ウィーヴィングの存在感が重すぎたとも言える・・・のか?)。
その頂点がトリニティの奪還シーン。今作においてはラスボス的な存在がいないこともあり、一番の見せ場のはずだが、なんかそれほど苦労することなく奪還できてしまった感が否めない。旧三部作であればそこでエージェント・スミスがラスボスとして立ちはだかったのだが、今作においては謎に見方になったりもするので、なんとなく作品が締まらない・・・。
観客の意識がこうなることを意図して作られているのだとしたら、それはそれで凄いのだが・・・。

また日本人として気になった点もある。
オープニングのおなじみの緑色の文字が流れていくシーンでカタカナが流れていくシーンは純粋に嬉しかった。また富士山と新幹線が登場するのも嬉しいのだが、新幹線は内装がまるっきりヨーロッパの列車だったのが残念だった。細かい部分、例えばアンダーソンのオフィスにトリニティのフィギアが置いてあったり、上司(今作におけるエージェント・スミス)の部屋には旧作のエージェント・スミスの胸像が置いてあったり・・・といった備品などにもこだわって作られているだけに新幹線の内部もこだわってほしかった・・・と思うのは日本人だけだろう・・・。
とはいえ、監督もキアヌも親日家であるということは変わらずに感じられたし、中国資本が入った作品が増え、キャストも中国人が増える最近のハリウッド作品の中でここまで日本推しの作品を見られたという意味では純粋に嬉しいと思う。

個人的に今作最大の謎はエージェント・スミス。
正直、役者を変えてまで登場する必要性はなかったのでは?と思う。そうすればアナリストの人物描写をもっと丁寧に、かつ重く描くこともできたし、持っていた能力自体はスミスに遜色もなかったのだから・・・。そんなアナリストを上回ってしまう力を見せながらネオに協力までしてしまい、結局彼が何をしたかったのか?最後までわからないまま終わってしまった・・・。
もしかしたら仮想世界のゲーム版「マトリックス」の会話でできたパート5に向けての伏線なのだろうか?

伏線と言えば、エンドロールの後、再び「スクリーム」っぽい感じでオタクが「マトリックス」について語るシーンがあり、続編というかスピンオフに言及するシーンもあった。このあたりもまったくもってマトリックスの世界観とは異なる軽さの目立つ演出だったと言わざるを得ない。

コロナで延期を重ねてしまった今作だったが、まとめると「マトリックス」シリーズの続編としてのストーリーは良いが、演出が軽く旧三部作とは違う意味で一線を画している、そして映像革命は一切ない・・・といったところ。
同様に延期に延期を重ねるクラシック作品「トップガン」の続編は果たしてどうなるのだろうか?

きみに読む物語/The Notebook (8点)

採点:★★★★★★★★☆☆
2020年4月10日(TV)
主演:ライアン・ゴズリング、レイチェル・マクアダムス
監督:ニック・カサヴェテス

 

 今からもう15年前になるが、アメリカ留学後に現地でヒットしていたラブ・ストーリーが、日本の正月の深夜番組で放送されていたので録画していたものを、コロナウイルスの影響で新番組が始まるはずのところ、特番ばかりでだったので鑑賞。

【一口コメント】
 "刑事コロンボ方式"で描かれる、古き良きアメリカ南部を舞台にした身分違いの恋という王道のど真ん中を行くラブ・ストーリーです。

 

【ストーリー】
 療養施設にある老人がノートに書かれた物語をアルツハイマー型認知症の老女に読み聞かせている・・・。
 1940年代のアメリカ南部・・・材木置き場で働くノアは別荘にやってきた17歳のアリーに一目惚れをする。お祭りの会場で強引にデートに誘ったのをはじめにその後も何度もアタックして、友人の助けもあって一緒に映画を見た後で急接近し、2人は付き合うようになる。
 アリーが初めてノアの家を訪ねた日、ノアの父親は夜にもかかわらず朝食と称してパンケーキを勧める。ノアはアリーを連れて古い屋敷に出かける。そこでいつかこの屋敷を買い取って農場を始めたいとアリーに語り、2人はベッドを共にするが、アリーの両親が警察に依頼して彼女を探していることが判明する。アリーの両親は裕福なため、2人の仲は認められることなく、アリーの大学進学を機に2人は離れ離れに・・・。
 ノアは大学生になったアリーに365日毎日手紙を出したが、アリーの母親が回収し、アリーに届くことはないまま、戦争が始まってしまう・・・。
 そんなことを知る由もないアリーは看護師となり、戦地から重傷で帰国したロンと病院で知り合う。その後、裕福な家庭で育ったロンと付き合いはじめ、しばらくして婚約をする2人。しかし結婚直前のある日、ノアとあの日の屋敷が新聞に掲載されているのを見たアリーは思わずノアの元へと車を走らせる・・・。

【感想】

 ものすごく王道ど真ん中の青春ラブ・ストーリー。自分が10代の頃にこの作品を見ていたら、大恋愛に憧れたのは間違いない。大人になった自分が今見て思うのは現実の世界ではなかなか難しいということ・・・、頭の中ではそう考えるのだが、その反面心の奥底にやはり恋愛は良いものだという一種のノスタルジーも抱く。
 古き良きアメリカ、そして舞台はアメリカ南部ということで身分違いの若者の恋愛を描いた青春ラブ・ストーリー・・・。自分がまだ海外を知らずにハリウッド映画に描かれる"アメリカ"に憧れた、その感情に似ている。それがSF映画であれ、西部劇であれ、史実に基づいたものであれ、アメリカへの憧れはジャンルを問わず、やはりノスタルジーである。例えばSF映画であれば、「
バック・トゥ・ザ・フューチャー」パート1の深海パーティーなんかがその典型だし、最近だと「ラ・ラ・ランド/LA LA LAND」なんかもノスタルジーを感じる作品だ。この作品自体は2005年の作品だが、21世紀に入り20年近く経った今でもこうしたアメリカン・ノスタルジーを描いた作品は数年に1度の割合で出てくるからハリウッド映画はやはり面白い!

 話がそれてしまったが、この作品においてノスタルジーを感じるのは時代設定のみではない。
 大富豪の令嬢と時給40セントで材木置き場で働く男性という身分違いの立場設定も、都会育ちの令嬢と田舎育ちの若者という出身地の設定も、過去と現在が行ったり来たりする時間軸設定も、愛よりも未来の安定を取った母親と未来の安定よりも愛を取った娘という対比設定も、ハリウッド映画ではよくある王道設定であり、どこかで見たことがあるという既視感=ノスタルジーを感じさせる脚本であり、かつそれを狙った演出をしている。
 だからストーリー展開としては簡単に先が読めるし、極端に期待を裏切られるような展開もない。逆に言えば安心感を持ったまま最後まで見られるということでもある。これがサスペンス映画であれば、そんなつまらない映画はないのだが、この作品はラブ・ストーリーである。普通のラブ・ストーリーであれば結論は予測できるものの、最後の最後まで結論がわからないようにして最後まで引っ張るのだが、この作品は冒頭に老人2人が登場し、ノートに書かれた物語を読み始め、過去に戻っていくということで結論は最初からわかっている。例えるなら犯人が最初から誰かはわかっているという意味で古畑任三郎方式をラブ・ストーリーに持ち込んだ形だ・・・ハリウッドなので古畑任三郎ではなく、刑事コロンボ方式の方が適切か?
 そこを1つひねったのがアルツハイマー型認知症という設定。この女性が誰なのか?なんてことは冒頭30分で誰もがわかるはずだし、わかるような演出が施されていて、多くの観客の関心はこの女性が誰なのか?ではなく、いつこの女性が記憶を取り戻すのか?にある。このあたりの設定が非常に上手い。結論は先に見せておきながら、別の関心を与えることで劇的な展開はないものの最後まで引っ張るという手法に1940年代のアメリカ南部という設定が絶妙にマッチする!!

 そして最後、「君に読む物語」の著者がアリーだと明かされる。その瞬間はサラッと流してしまったが、見終わった後に振り返ってみるとこれってこの物語においてかなり重要なシーンだったことに気づく。自分はノアが書いた2人の思い出を読み聞かせているものだと思っていたのだが、実はアリーが書いていたという、それだけっちゃ、それだけなのだが、考え方次第ではノアがアリーに書いた365通の手紙に対するアンサーソングならぬアンサーノートとも言えるわけで、それを認知症を患うアリーがどのタイミングで書いたのか?ということを考えると作品本編では描かれていない2人の別の物語も見えてくる。
 そして最後に過去にも記憶を取り戻してはなくすということをアリーが何度も繰り返していることがわかる。この設定が2人の恋愛の切なさを増幅させるという仕掛けもある。
 2人が望んだハッピーエンドでありながらも切なさが残る本当のエンディングの少し手前にその切なさを増幅させる仕掛けを仕込んでいるこのストーリー展開は本当に素晴らしい!

 そしてアリーの婚約者ロン。このロンをとても良い人として描いているのがまた良い。王道的なストーリー展開であれば婚約者を極悪人として描いておいて、最後に主人公が奪い去っていく・・・的な展開になるのだが、ロンはイケメンでお金持ちで性格も良い。そして何よりアリーをきちんと愛している。そしてアリーもロンを愛している。
 さらにアリーの母親が25年前の駆け落ちの話を娘にすることで、さらにこのロンが際立ってくる。25年前に娘と同じ境遇になり、その際に自分は金のある今の旦那を選んだ。そして時々こうして昔の彼氏を見に来ては「今がどんなに幸せな暮らしかと思う」と言い、泣きながら言葉を続ける・・・「ママはちゃんとパパのことをを愛してる」と・・・。そして隠していたノアからの365通の手紙をアリーに渡し「正しい選択をしてね」と言って、去っていく。この"正しい"がお金を選べ!ではなく、母親自身も胸の奥で愛を選ばなかったことを後悔しているのだとしたら、娘には後悔のない生き方をさせたかったという母親心とも考えられる。
 ここでロンが極悪人であれば、何の迷いもなくノアを選ぶことができるのだが、ロンが良いやつなだけにアリーは迷うのだ。それだけにノアを選ぶアリーの愛の深さをより強く感じることができるようになっている。

 ノアとアリーのやり取りで印象に残っているシーンがある。ロンの間で揺れるアリーに対して言ったノアが言った台詞。
 「俺たちがうまくやるのは難しい。お互い努力しないとやってけない。でも君といられるなら努力する。これから先・・・ずっと・・・毎日君と一緒にいたいから。周りのやつの気持ちは考えるな、俺や奴のことも!親がどう思うかも忘れろ!君はどうしたい?それで決めろ!・・・君がどう生きたいかだ!」
 愛する女性にこの言葉を言えるノア。ものすごく良い男だと、男の自分がそう思う。そしてこの台詞がこの物語の本質でもあると思う。裕福な環境で育ち、進学だけでなく恋愛についても、口出しをされてきたアリー。そして同じような境遇になった母親。その対比構造に自分がどう生きたいか?を迫り、母親とは違う選択をさせるノア。
 王道のストーリー展開ではあるが、こうした台詞に深い意味を持たせているあたりがこの作品に更なる深みを与えてくれる。

 またノアを演じたライアン・ゴズリングは「
ラ・ラ・ランド/LA LA LAND」や「ブレードランナー 2049」でもそうだったのだが、最初の登場シーンではそこまでイケメンという感じではないのだが、物語が進んでいくうちにどんどん色気を感じさせるというなかなかいないタイプの俳優。噛めば噛むほど味が出るタイプとでも呼べば良いのだろうか?

 もちろんいくつか疑問に感じる描写もあった。
 一番は2人の出会いのシーン。観覧車で強引にデートを約束させるノア、それに対してズボンを擦り下げるアリー。とても強烈なキャラ設定を印象付けるのだが、その後の2人の行動力のなさにやや違和感を覚えた。一番わかりやすいのが、365日毎日手紙を書いたのに1度も会いに行かないノア。一方のアリーも離れ離れになった後、一度も手紙が来ないことに対して郵便受けをのぞくこともなければ、自分から手紙を書くこともない。このあたりもう少し上手いこと描写してくれるとより素敵な作品になっていたなぁと思う。

 とはいえ、全体を通して考えれば素敵な作品であることには間違いない。王道過ぎて、かつ先が読めてしまうのでジェットコースター的な浮き沈みはなく、淡々と進んでいくため、一発逆転的なものを望んでいる人が見ると多分ものすごくつまらない作品に見える・・・。
 でもだからこそ、安心して最後まで見られる上に淡々としているからこそ、1つ1つのシーン描写や台詞の裏にある作り手の考えに思いを馳せながら見ることができる。そして結末をわかっているからこその満足感を得られるラブ・ストーリーと言える。

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