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第十二回・外山恒一賞 受賞者発表

 こちらで発表することにします。

 

第十一回・外山恒一賞 受賞者発表

※検索サイト等からいきなりこのブログにアクセスした方へ。ここには「我々団」もしくは「外山恒一」に関する詳しい情報はありません。公式サイトへ移動してください。
 外山恒一の活動に資金協力を! 
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   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。


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 実は今、福岡で怪しいイベントを極秘開催中で、時間的余裕がない。じっくり考えればノミネートすべき個人・団体・作品・行動その他もろもろ、まだまだ思い出せるかもしれないが、じっくり考えるヒマがない。そんなわけで今回の授賞発表はササッと済ませる。
 


  ノミネート1 黒川杯、名古屋アメリカ領事館事件など

 

 「自称室伏良平容疑者」の活躍が止まらない。
 前回受賞の「なごやトリエンナーレ」の首謀者である。
 なごトリ事件での逮捕の際に「自称室伏良平容疑者」と謎の呼称で報道されたのが面白がられ、以後本人も「自称室伏良平」と名乗り続けている自称室伏氏だが、2020年も次々と面白おかしく、かつ革命的な事件を引き起こしてくれた。
 まずは6月の東京・検察庁前での賭けマージャン大会、通称「黒川杯」の開催である。東京高検の検事長を務めた黒川弘務氏の賭けマージャンが発覚するも、レートが低かったということでお咎めナシとなったことを承けて、同一レートで白昼堂々の賭けマージャンを呼びかけたわけだ。当日、大量の警察官が動員され、マージャン大会そのものは開催不可能に追い込まれたが、そのモノモノしい光景は大手メディアでも大々的に報道された。
 それでコケにされた権力側の怒りを招いたか、11月に自称室伏氏は突然逮捕されてしまった。8月に名古屋のアメリカ領事館前(テナントビル内の領事館が入るフロア)で「米軍は出ていけ」という内容のビラをまいたことに「建造物侵入」の云いがかりをつけられ、自称室伏氏を含む青年男女5名の一斉検挙である。自称室伏氏には2021年2月に執行猶予つきの懲役6ヶ月の判決が云い渡されて(他に我が「教養強化合宿」出身者でもある女性1名に罰金刑)、もはや前科2犯、どこに出しても恥ずかしくない凶悪政治犯だ。
 その他、自称室伏氏はいろいろ地道な闘争もやっている。
 波状的な連続決起は充分以上に外山賞の栄誉に値するが、さすがに2年連続というのは気がひけるというだけの理由で自粛する。
 なお領事館事件の詳細については、被逮捕者の救援をそれぞれ担った「自称・救援会」「なりゆき救援会」のサイトを参照のこと。

 


  ノミネート2 アメリカ連邦議会突入闘争

 

 そりゃあこの1年間の世界の出来事で、これ以上に革命的なものはなかろう。そしてトランプ以外のどんな大統領が、かくも革命的な事態を引き起こし得ただろう。革命的な事態は必ずしも「正しい」勢力によって引き起こされるとは限らない。ポリコレ管理社会がますます全面化していく過程では、ポリティカリーにコレクトな立場はむしろ反革命でしかあり得ないことを思い知らされる出来事が、今後も何度となく繰り返されるだろう。トランプ派的なものがどれほど醜悪であろうと許しがたかろうと、現下、革命的なのはトランプ派的なもののほうである。


 

  ノミネート3 清義明「Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー」

 

 一部の目利き(私と、中川文人氏と……あと誰だろう?)の間で「反知性主義の時代の知の巨人」「我らの世代の立花隆」との高い評価が定まりつつあるルポライター・清義明氏の、「web論座」での連載である。
 この連載を通じて清氏は、アメリカを(実に喜ばしいことに)滅茶苦茶にし、つまり世界を(実に喜ばしいことに)滅茶苦茶にしている陰謀論信者ども、通称「Qアノン」の隆盛は、実はなんと日本が“火元”なのだという衝撃の事実を明らかにしている。もちろん陰謀論ではない。
 2015年の第5回外山賞でのノミネート、のち単行本『日本会議の研究』として大ベストセラーとなった菅野完氏の「ハーバービジネスオンライン」での元連載が、日本会議の源流に60年代後半の長崎での右翼学生運動が存在することを解き明かし始めたくだり以来の衝撃と云ってよかろう。
 とにかく読んでみなさい。
 

 

  ノミネート4 西日本新聞「自称革命家 外山恒一の闘い」

 



 さすがに私自身のネタに授賞するようなことは慎むが、“外山恒一の評伝”なんてヤバいものを紙面の上半分(以上?)という圧倒的な大きさで、しかも全7回も、朝っぱらから北部九州約50万戸の家々に行き渡らせようとは、さすが遡れば自由民権運動右派・玄洋社の機関紙としての面目躍如、とうていブルジョア新聞らしからぬ世紀の英断と云う他ない。
 




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   第十一回外山恒一賞

   クラスターフェス


  理由
 

 平塚正幸という人を、基本的にはまったく支持できない。荒唐無稽な陰謀論者だし、活動歴をちょっと調べてみるだけでウンザリしてくる。授賞対象とした活動の背景にある、肝心のコロナ論ですら相当ムチャクチャである。
 が、私は平塚氏の「クラスターフェス」を断固として支持する(授賞対象は「クラスターフェス」という“活動”であって、平塚氏個人ではない)。
 知らない人のために一応説明しておこう。
 平塚氏は82年生まれで、2019年夏の参院選にN国党から立候補したりしてたらしい、つまりトンチンカンな活動家である。私もそうだし、おそらく世間のいくらかの人が平塚氏の存在を認識したのは、コロナ騒動下の2020年夏、「コロナはただの風邪」をスローガンとする(つまり“反自粛派”なわけだ)、都知事選への出馬によってだろう。
 私も“反自粛派”だし、「コロナはただの風邪」などとはこれっぽっちも思ってないが(私は一貫して「チョイわるウイルス」、つまり云うなれば「ちょっとタチの悪い風邪」的な表現を心がけている)、コロナなど恐るるに足らずというスタンスを貫いている点では平塚氏と同じである。コロナに関して“自粛不要”、という以外の平塚氏の主張にはほぼ不賛成だが、07年の私の出馬以降、“面白い”ということを根本的に勘違いしている、何の主張もない、そしてもちろん1ミリも面白くもないクズ候補がわんさか沸いて出る中、久々に最低限“主張”のある正統派の泡沫候補が登場したことには、多少の好感も抱いた。
 いつからやっていたのか、都知事選の前後からなのか、都知事選が終わって以降なのか知らないが、渋谷駅周辺で、「クラスターフェス」と称する、マスクなしでの路上イベントをたびたび開催しており、かなり(ネット上で? 新聞もテレビ報道も私は一切見ないのでよく知らないが)話題になった2020年8月10日のそれは「第10回」だったという。たぶんその後もやっているのだろう。くだんの回が話題になったのは、50人ほどで単に路上で騒いだのみならず、そのままノー・マスクで山手線に乗り込むという戦術のエスカレートが図られたからである。
 「バイオテロだ!」との非難が集中していた。
 しかし私は、これを断固として支持する。非難するほうが間違っていると断言する。
 もはやいちいち説明しない。1年以上このバカバカしい騒動を経験して、今なおマスク強要圧力に疑問を感じないFラン人民に何を云ってもムダだろう。ま、どうしてもという向きは、(平塚氏同様、いや平塚氏よりは多少マシかもしれんが、やはりコロナ問題以外ではあまり支持できない)小林よしのりのコロナ論でも読めばよろしい。
 私もこの1年間(以上)、自粛なんてやめてしまえ、以前と同様に街に繰り出し続けろ、マスクなんかする必要はない、“3密上等”、ネット配信限定イベントなんぞ女々しい見苦しい、どんどん客を入れてイベントを開催せよ、なーにがZOOM飲みだ臆病者、いっそ麻生あたりが罹患するまで感染爆発させてしまえ、……などなどと煽り続けてきた。「そうだそうだ!」という人は煽り始めた当初からそこそこ多かったし、“自粛”疲れなのか最近ますます増えてもいる。が、その大半はいざ自分もマスクを外して街に繰り出すことには引き続き二の足を踏み続けているようだ。
 そんなことだから、くだらん“自粛”をいつまでも強要され続けるのである。
 ぐだぐだ云うな、と。平塚氏の“やり方”がどんなに野蛮で品がなくても、ぐだぐだと云い訳をして結局は街に出ないより、何であれ出るほうが何億倍も偉い。
 某氏がやってる、1日ウン万円の休業補償を受け取りながら店を開けてタダで酒をふるまって(普段の売上からすればそっちのほうがよっぽど“儲かる”らしい)「“営業”はしていない」と云い張るとか、ほんとに実際やってるかどうかは知らんがコレとかコレとか、頓智を利かせて店を開け続けたりイベントを開催したりする方法を案出している人たちもいる。グローバルダイニング社のように、もうやってられん、“自粛”要請に従ってたら従業員のクビを切らなきゃいけなくなる、と正面から法的に行政と闘いながら営業を続ける路線を選択するのも立派だと思う。
 が、そういったセンスや知恵のある人たちばかりではあるまい。もちろん個人的な好みとしてはセンスや知恵のある闘争を称えたいのだが、もはやセンスなどどーでもいいのだ、ただ“自粛”しなければいいんだし、思いっきりセンス悪く、野蛮なやり方であってもこの際かまわないのだ、ということを強調するためにも、今回は「クラスターフェス」を絶賛しておくことにする。
 

第十回・外山恒一賞 受賞者発表

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   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。


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 革命情勢が電撃的に到来している。
 コロナ騒動である。
 詳しくはnoteの無料記事「〝チョイわるウイルス〟を援軍とし、波状的に街へ繰り出そう!」に書いたが、反革命派の軟弱者どもが一斉に屋内に引きこもっている今こそ、波状的に街に繰り出すことで、死をも長期入院をも恐れない猛者たちと出会い、組織し、革命派を1つの確固たる勢力として形あらしめる絶好の機会である。
 むろん私自身も、その血沸き肉踊る闘争の渦中にあり、例年のように本賞の選考作業に多くの時間を割いている余裕がない。
 よって今回は手短に、ほとんど結果だけ発表する。

 


  ノミネート1 松山孝法氏の“反自粛”宣言

 

 現在進行形の“自粛”強要ムードに対し、各地で少数ながら抵抗の動きが出ているが、最も目覚ましかったのが、大阪市西淀川区でバー「The Intersection」を経営する松山孝法氏である。
 松山氏は、大阪府が(とくに“夜”の)飲食店などに「休業要請」を出した4月14日に、ネット上で「一切自粛や要請に沿った営業時間や休業も行わない」旨を宣言し、実際に通常どおりの営業を続けている。ツイッターでも、そのうち「大阪府下で唯一通常営業しているバーになるかもしれない」などと意気軒昂&不敵である。
 もちろん、“自粛”強要の同調圧力に屈さずこれまでどおりの営業を続けている飲み屋その他は全国各地にまだまだ多くあるだろう。表向きはおとなしく従っているフリをして、いわゆる“闇営業”を続けている諸君も含めて、偉大な闘争の担い手たちである。が、ここまで堂々と、店名も自身の顔や名前も思想信条もすべてさらけだして、まさに“闘争”として“これまでどおりの営業”を続けているのは松山氏だけではないかと思われる。
 松山氏の声明とその“果敢な通常営業”の模様は、共同通信が記事にして配信し、全国各地の地方紙の紙面を飾ったようでもある。その反響も松山氏のツイッターで知ることができる。
 なお松山氏は、2009年に兵庫県の宝塚造形芸術大学の学生として、外山およびスガ秀美氏、千坂恭二氏を招いてのトーク・イベントを学園祭で開催した、まあ要するに筋金入りの人士でもある。

 


  ノミネート2 杉田俊介&藤田直哉『百田尚樹をぜんぶ読む』

 

  最近の左翼は不勉強である。勉強ができることだけが左翼の唯一の取り柄だったのだから、不勉強な左翼なんてつまりイイトコなし、存在意味ゼロである。
 右翼はもともと不勉強であるのが普通である。右翼というのは頭が悪くても人格者でさえあればそれでいいので、(もちろんいわゆるネトウヨなんてのは人品下劣で右翼の風上にも置けないし、最近はそういう手合いが多いという問題は別個に存在するとしても)右翼が不勉強であること自体には何の問題もない。
 が、最近つくづく感じるのは、いずれも極めて少数ではあるとしても、向学心に燃える若者は左翼方面よりも右翼方面にこそ増えているということである。その“向学心”には、自分とは対立する立場の人たちが何を考えているのか知りたい、という欲求も含まれる。つまり、左翼の若者には、右翼なんて連中のことはハナからバカにして、右翼の論客が書いたものなど読む価値もないと決めてかかり、実際まったく読もうともしない者がほとんどであるのに対して、あくまで比較の問題だが、右翼の若者には、左翼って連中がそもそも何を考え、どんな主張を展開しているのかに興味津々で、左翼の論客が書いたものであっても積極的に読んでみようとする者がそれなりにいるように感じられるのである。
 もちろん私は、そういう部分も含めて、左翼の若者たちよりも右翼の若者たちの今後の活躍に多くを期待している。
 そんな中にあって、左派論客の杉田俊介氏と藤田直哉氏による「百田尚樹をぜんぶ読む」という試みは、たいへん貴重なものに感じられる。おそらくは、これまで(やはり露骨に“右翼歌手”である)長渕剛などについても積極的に論じてきた杉田氏の主導によるものだろう。
 もちろん私は、そもそもイッパシのインテリを気取るなら必ず読んでおかなければならない本もほとんど読んでいない“教養のない教養主義者”なので、まして百田尚樹の本なんぞ1冊も読んだことがないし、今後もたぶん読まないだろう。しかし杉田氏の姿勢は素直に偉い!と思う。
 なお私がチラチラ読んで感心していたのは集英社のサイトでの連載版だが、のち単行本化されたようである。


 

 最初に述べたように今回は選考作業にあまり時間を割けず、ノミネートは以上2つのみである。

 

 




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   第十回外山恒一賞

   なごやトリエンナーレ


  理由

 

 多くの人が予想していたであろうとおり、今回はこれ以外に授賞は考えられない、この1年間におこなわれたうち圧倒的にズバ抜けて革命的な闘争である。
 当時リアルタイムでさんざん言及したし、コロナ“自粛”強要の同調圧力粉砕闘争に忙しいので、改めて説明はしない。この闘争について知らない人は、私がnoteで公開し6万ビューを稼いだ「『なごやトリエンナーレ』事件について」を読めばいい。
 あ、一応念のために云っておくが同時期に開催されていたFラン芸術祭「あいちトリエンナーレ」ではなく、「なごやトリエンナーレ」である
 この騒動後、“自称室伏良平容疑者”は略式裁判の罰金刑を不服として正式裁判を要求し、法廷を「なごトリ」会場と化さしめる愉快な公演を続行した。
 また、室伏氏を含む「なごトリ」界隈では、ヘイト・デモのパロディだと思われる「レプティリアン征伐国民大行進」(レプティリアンとは、一部の荒唐無稽にもホドがある陰謀論者たちがその存在を主張し、世界を陰で操っているとされる、哺乳類ではなく爬虫類から進化した“爬虫類人”のこと)だの、当然、今回のコロナ騒動に関連しても、安倍ちゃんがアベノマスク配布により「2回までは不要不急の外出をしてもよい」との温情を示してくれたことに感謝する“不要不急の花見大会”だのが名古屋で敢行されていたり、逆に「誰も出歩くな!人類外出禁止!永遠に家に籠れ!路上には騒音とコロナしかない。そして我々の方がウイルスだって事を思い知らせてやる」などと宣言して、「なごトリ」事件の契機ともなった“騒音の夕べ”が引き続き大阪の繁華街で開催されていたり、とにかく愉快だから各自調べてみるよろし。

 

 

今期も開催!【夏休みで差をつけろ! 第11回・学生向け「教養強化合宿」】

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コチラ

 

 2014年の夏を第1回として、以来毎年8月と3月にやっている合宿の第11弾である。
 過去10回と同様、参加費無料・食住最低限保障、福岡までの往復交通費のみの負担で、夏休みが明けるやいきなり超優等生、という夢のような合宿だ。
 開催主旨は下記のとおりで現役学生限定(高校生や大学院生なども可)、また内容は過去10回とほぼ同じなので、すでに過去参加した諸君はご遠慮いただきたい。

 8月2日(金)~11日(日)
 9泊10日の全日程参加が原則である。
 2日の夕方(18時)に福岡入りしていただき、交流会。翌3日から毎日“9時5時”で、私が付きっきりで講師役を務める“詰め込み教育”的な座学三昧、11日朝解散、となる。打ち上げ的な交流会を10日夜におこなう。

 そんなわけで、参加希望者はwarewaredan@mail.goo.ne.jpまで、氏名・学校名など記入してメールを。
 あと過去の例でとくに高校生などが参加する場合は、親に「こういう合宿に参加したいんだけど」などと正直に相談すると「ダメ!」となって参加を阻止されたりするので、「ちょっと1人で旅行してみたい」とかテキトーにごまかすなり、仮に鈍行とかで往復するとしてもどうせ2週間かそこらで戻るんだし、いっそのこと「○月○日までには戻ります」とか書き置きして“プチ家出”するとか、各自工夫のこと。
 参考までに、かつて私が書いた「ヒッチハイク・マニュアル」はコチラ。過去には「親が交通費を出してくれなかった」と、家出して、これを参考に実際ヒッチハイクでやってきた高校生もいる。

 座学では、過去10回のほとんどの場合、左翼思想の入門書1冊、左翼運動史の入門書1冊、そしてポストモダン思想の入門書1冊の計3冊をひたすら読み進めた。
 左翼思想を理解しておかなければ左翼運動史は理解できず、左翼運動史を理解しておかなければポストモダン思想のモチベーションが理解できず、ポストモダン思想を理解しておかなければとくに人文系の学生としてはお話にならない。この脈絡を、大ざっぱにでも把握している学生が、現在そんなに多いとは思えない。むしろほぼ皆無に近いはずである。したがって、当然たったの9泊10日では“基礎中の基礎”しか伝授しえないとはいえ、それだけでも現在の学生の平均的水準からは圧倒的に抜きん出ることが可能なのだ。
 もちろん私は“左翼学生”を育成しようというのではない。そもそも私はファシストであり、左翼を敵視している。当然ながら左翼思想・左翼運動史そしてポストモダン思想に関する私のレクチャーは批判的な視点からのものとなる。左翼になってもらうのではなく(なってもらってもかまわないが)、左翼を知ってもらうための合宿である。世の中がどれほど“右傾化”しようとも、インテリ層においては今も昔も左翼が主流である。左翼にならずとも、左翼を知ってはおかなければ、とくに学生はどうにもならない。
 私の究極的な(といっても中期的な)目標は、常々公言しているとおり「(左右混淆の)学生運動の再建」である。合宿参加者の中からその担い手が出てきてくれればもちろん嬉しいが、私もいきなりそんなことまで期待してはいない。たった9泊10日で伝えられることは基本的には表層的な知識のみである。これを踏み台として単に“優秀な学生”になってもらうだけで現段階では充分だ。優秀な学生があちこちに散在しているという「学生運動の再建」の前提条件をととのえていくことが、現在の私の短期的な目標である。

 なお過去の参加者のうち何人かが、“体験記”を公開しており、以下はその例である。

 ・一参加者による20000字メモ
 ・外山恒一さん主催『学生向け「教養強化合宿」』のレポートと個人的感想
 ・外山恒一謁見記
 ・たむろ荘のきっかけ。外山恒一合宿からのシェアハウス同盟篇

 ※注意 当合宿は嫌煙権持込み禁止である。

 多くの学生諸君の合宿参加決意を期待する。

第九回・外山恒一賞 受賞者発表

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 外山恒一の活動に資金協力を! 協力者向けに活動報告誌『人民の敵』を毎月発行しています。詳しくは
コチラ

 全国各地で不定期に開催される「外山恒一を囲んで飲む会」もしくは「外山恒一トークライブ」の情報を事前に確実に入手したい方はコチラを。
 



   外山恒一賞

 主に反体制的な右翼運動、左翼運動、前衛芸術運動などの諸分野から、「いま最も注目すべき活動家(もしくはグループ)」を、外山恒一が独断で選んで一方的に授与する。辞退はできない。

 外山恒一のファシストとしての再臨(2004年5月5日・ファシズムへの獄中転向を経て福岡刑務所を満期出所)を記念して、2011年より毎年5月5日に受賞者の発表をおこなう。

 授賞は、外山恒一が受賞者の活動に「全面的に賛同している」ことを意味するものではなく、あくまで「いま最も注目している」ことを意味するものである。多くの場合、授賞は好意的評価の表明であるが、時にはイヤガラセである場合もありうる。

 外山恒一が創設した革命党「我々団」の公然党員は授与の対象とならない。

 賞状・賞金・賞品はない。「外山恒一と我々団」や「我々少数派」などの外山恒一関連サイトで授賞が発表されるだけで、受賞者への通知もないが、受賞を知った受賞者は「外山賞活動家」であることを周囲に吹聴してまわって存分に自慢することが許される。外山賞受賞は活動家として最高の栄誉であり、いくら自慢しても自慢しすぎるということはない。


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  昨年上梓した大著『全共闘以後』にも書いたように、私は革命的高揚のサイクルの「10年周期説」をこれまで保持してきたのだが、どうも「2020年前後」は不発に終わりそうである。何かあるとすれば一昨年ぐらいからそれらしいことが起こり始めていなければならないのだが、何も起きていない。世界的にはそれなりにいろいろ起きているが、日本では何も起きていない。端的に云って、若者が死んでいるのだと思う。若者の「不甲斐なさ」を嘆くのはいかにも老人っぽいが、じっさい不甲斐ないのだから仕方がない。今の若者に比べれば我々の世代の若い頃はだいぶマシだったと思うが、その我々の若い頃にしたところで、さらに上の世代の若い頃に比べれば話にならんぐらい不甲斐ない。若者はどんどんダメになっており、まあ国が没落するというのはそういうことなんだろう。
 それに振り返ってみれば、これまた『全共闘以後』に書いたとおり、1990年前後から2010年ごろまで果敢に暴れていたその時々の「若者」というのは結局すべて、「89年革命」で感化された我々「70年前後生まれ」の活動家たちであり、例えば00年代末の高揚も、その中では相対的に年少ということになる74、75年生まれの松本哉や雨宮処凛らが30代前半という「まあギリギリ若者」として担ったものにすぎず、80年前後生まれより下の世代はほぼ「何もやってない」のである。
 もちろん(このまま国が滅びなければ、あるいは滅びたとしても)「革命的な若者たち」はいずれ登場するだろう。だがしばらくは(個人としてはともかくそれなりの規模の層・集団としては)登場しないだろう。良い兆候は何もない。私はもはやすっかり厭世的な気持ちになっている。

 


  ノミネート1 批評集団「大失敗」

 昨年9月ごろ誕生したグループのようである。10月1日に京大・熊野寮でスガ秀実氏との(『全共闘以後』刊行記念の)対談トーク・イベントをやった時に、来場していた中心人物であるらしき青年・左藤青氏に喫煙所で声をかけられ、批評誌の創刊を準備中であると聞いた。かなり長いこと話したような気がするが、活動を通じての耳学問の他はほとんど新書レベルの入門書の類のみで東浩紀なんぞは無知蒙昧の輩と断言しうる地位を確立した私に向かって、「ぼくは新書なんか一切読みませんよ」と云い放つ左藤氏のハナモチならんキャラクターに好感を抱いた。
 現時点で真に知的な若者であれば当然そうなるように、「外山恒一とスガ秀実」にかなりのところ立脚した思考を展開しているようで、エゴサをしていると彼らのツイートがたびたび視野に入るようになり、左藤氏のみならず他の同人の面々もそれぞれハイ・レベルなツイートを連発していることが分かった。
 肝心の批評誌『大失敗』創刊号は実際1月に出たようだが、それ以前の、ブログにさまざまな批評を掲載している段階で、同人の1人である赤井浩太氏が『全共闘以後』の書評を書いてくれた。また左藤氏も、「外山恒一と東浩紀」を現代の“2大思想家”的に比較して詳細に論じる、おそらく批評シーンのFラン的な現状においては野蛮きわまりないであろう挑発的な批評(前編後編)を発表している。
 べつに私に注目しているから注目し返してるわけではないが、多くの論客が私の思想なり存在なりをあれこれ論じていなければおかしいのにそうではない状況なのだから、『大失敗』の若者たちが抜きん出て優秀であることはもうそれだけで疑いない。その証拠と云えるかどうか、まず赤井氏が1月に、まあ外山賞ほどの権威はないとはいえ文芸誌『すばる』の批評新人賞を受賞している。
 私もいろいろ教えられることが多く、例えば最近読んだ中では極めつきに面白かったコレなんかも、彼らがどこかで言及していて知った。
 参考までに、彼らの宣言文「哄笑批評宣言」および創刊号の「内容紹介」

 


  ノミネート2 グリーンピースによる原発アタック
 

 昨年7月3日、環境保護団体のグリーンピースがフランスの原発にドローンを激突させたという。
 「仏原発にスーパーマンを模したドローンぶつける、グリーンピース」(AFP・2018年7月4日)
 もちろんそんな程度で原発は壊れないし、グリーンピースも(たぶん)本気で壊すつもりではなかったろう。要するに、「たまたま」悪戯レベルのものだったから大惨事にならなかっただけで、仮に強力な爆発物でも積んでたらどうするつもりだ、そういうことも可能だったんだぞ、という「警告」である。
 私も、まあ世間体があるからちょっと実行に移すのは気が引けるが、「日本の原発はてめえらのオンボロ・ミサイルじゃビクともしねえ。やれるもんならやってみろ」と北朝鮮や中国を徹底的に挑発する運動を盛り上げれば、さすがのアベちゃんもビビって原発を諦めるんじゃないかと前々から提起しているが、現実を変革する(しうる)のは「選挙」とかではなく、そうした「悪意ある頓智」である。



  ノミネート3 園良太氏のRADWINMPS抗議行動


  バンド「RADWINMPS」が昨年6月に発表したシングル「カタルシスト」のカップリング曲「HINOMARU」を左派の一部が問題にした。
 たしかに「ネトウヨ」くさい歌詞ではある。ココとかで読めるが、まあ実際しょーもない歌詞である。私はファシストだし「右翼っぽい歌詞」がイカンとは思わんが、「右翼っぽい歌詞」としても低レベルで、要は聞いたふうな、それっぽいフレーズを連発してるだけの、何も考えてないことがモロバレの歌詞である。私は基本的にはRADWINMPSは好きで(聴いているとスタッフS嬢に「人民か!」とよく叱られる)、とくに初期の「オーダーメイド」とか「おしゃかしゃま」とかにはかなり感動してもいたので、それなりに残念な気持ちにもなったが、「マニフェスト」なんかはすでにつくづくくだらなかったし、そもそもあのブルーハーツの「いかにもミュージシャン」な振る舞い丸出しの醜悪な転向を見せつけられて以来、ミュージシャンなる人種をまったく信用していないので、とくに怒る気にもなれないし、「ミュージシャンなんぞ、その程度の連中」としか思わない。「ミュージシャンは政治に口を出すな(どうせつまらんことしか云えないんだから)」と思っている。
 が、そりゃ「HINOMARU」に怒る人もいるだろう。それはそれでかまわん。
 「若いヘサヨ」の代表的活動家として知られる(『全共闘以後』でも言及している)園良太氏も、まあヘサヨだし、怒ったようだ。園氏の呼びかけで、6月26日に神戸でおこなわれたRADWINMPSのライブ会場前で、数名による抗議行動が展開され、うち1名が逮捕された(翌日釈放)。
 ネット上では案の定、「ざまあwww」的な嘲笑が園氏らに対して向けられた。抗議行動の現場でのRADWINMPSファンたちの反応も、これまた案の定、「アブない人たちは無視、無視!」的なものでしかなかったようだ。
 私はもちろん、園氏の思想や今回の行動をまったく評価しないが、園氏を嘲笑する連中なんぞは二束三文のゴミクズ人民であって、それに比べれば園氏のほうがちょっとはマシである。思想は(ヘサヨだし)間違ってるし抗議行動の手法もまったくナットランが、「とりあえず何かやってみる」のは少しは偉い。どいつもこいつも何もやらずに(「選挙」とか「国会前に集まる」とかは「何か」やってるうちに入らん)他人のやることをあれこれ無責任に論評する奴ばかりの中、権威ある外山賞にノミネートぐらいはする程度には偉いのである。
 事件直後にツイッターにも書いたが、しかし園氏は活動家としてのスキルが低すぎる。今回のような場合は、園氏がやったような、ファンの行列に向かって遠くから拡声器でワーワーやるなんてのは愚の骨頂、何の意味もない。自分たちの主張を、RADWINMPSファンのせめて10人か20人に1人ぐらいには理解してもらえる水準の語彙やレトリックで文章にまとめてビラにして、「とにかく読んでください」とやる以外に、やりようはなかったと思う。そして残念ながら、園氏にはそういうビラを書けるだけのスキルもないんだろうなあとも思う。
 そもそも園氏には、RADWINMPSに対してどの程度の「理解」があったのだろうか? 例えば長渕剛が「HINOMARU」みたいな曲を発表したとして(実際そんなような曲は長渕にはたくさんある)、たぶん園氏はわざわざ抗議行動なんかやらないだろう。おそらく多少は「RADWINMPSだからこそ」で、単にネット上で話題になってたから脊髄反射しただけで、もともとRADWINMPSには何の興味もなかった、なんてことは、いくらなんでもないとは思う。だったらせめて、
 増田聡「『愛国ソング』30年史を振り返る〜長渕剛からRADWIMPSまで」
 増田聡「ゆずと椎名林檎に学ぶべき『愛国ソング』の作法」
 に書かれてある程度のことは前提として認識しておかなければならないし、そうでなければ抗議行動的な「介入」を試みる資格がない。「資格」というのはつまり、RADWINMPSファンのせめて数パーセントが、少しはモノを考えるきっかけになるようなビラが書ける、ということである。


  ノミネート4 京都大学の一連の闘争

 

 京大のタテカン問題や吉田寮問題は一応、気にはしている。
 タテカン問題というのは、それまで京大にはたくさんあった(90年代ぐらいまではマトモな大学なら全国どこでもあった)、道路に面して構外に向けて設置された学生たちの(政治的であったりなかったりする)立て看板を、京大当局が昨年5月から、市の景観条例を口実に問答無用で撤去し始めた問題である。吉田寮問題というのは、築100年以上になる木造の京大学生寮を、むろん「老朽化」を口実に、要は長らく「学生運動の拠点」として名を轟かせている(近年はそこまで云うほどの内実はなかったようだが)同寮の存在が当局としては疎ましくて仕方がないというだけの話で、これまでもたびたび廃寮は目論まれてきたのだが、いよいよ本気で廃寮にしてしまおうと、昨年9月いっぱいで当局側が一方的に「在寮期限」を切ってきて、しかし現在も引き続き一部の寮生たちが抵抗して住み続けている、というものである。
 「タテカン文化」にせよ吉田寮的な「自治寮」文化にせよ、消えてしまえば京大も晴れて東大レベルのFラン大に堕ちてしまうわけで、それらを残すべく果敢に闘っている少数学生たちにはそれなりにシンパシーがないわけではむろんないが、もともと私は(ここらへんはたぶん誤解されていると思うが)「学生運動」に対して強い反感を持ち(そもそも私は「大学」になんぞ通ったことがない)、全共闘の問題意識を正しく受け継ぐ「大学解体」「学校解体」派でもあるので、吉田寮なんかも含めて京大は(もちろん他の大学もすべて)廃止したほうがいいと考えていて、まあ立場的には非常に微妙である。
 もちろん今回の問題はいずれも敗北必至である。
 京大でこういった闘争がそれなりに成立するのは、党派・ノンセクトの別を問わず伝統的な新左翼の勢力が、全国的にも珍しく京都にはいくぶん持続しているからなのだが、だからこそ敗北が必至でもあるのが悩ましいところである。この際まあ党派はどうでもいい。伝統的な新左翼ノンセクトが京大周辺にはまだ一定いるからこそ闘争がどうにか成立し、かつ、伝統的な新左翼ノンセクトがそうした闘争に一定の影響力を持っているからこそ絶対に勝てない、という状況なのである。
 このジレンマに気づいた部分が闘争の主導権を握るようになれば、わずかなりとも「勝つ」可能性は出てくるはずなんだが……まあ要は「ファシズム学生運動」以外に学生運動が今後再生する可能性はないことはもはや分かりきっているし、「アンチファ」みたいな寝ぼけたことを云ってる連中とは縁を切らなきゃ何も始まらないという話なんだけれども(笑)。
 なお、京大ばかり目立っている感はあるが、タテカン問題は早大でも闘争化している

 

 




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   第九回外山恒一賞

   秘密


  理由

 

 「排除アート」と呼ばれるものがある。
 駅構内(要は「屋根のあるところ」)にホームレスがダンボール・ハウスなど建てたりし始めないように「オブジェ」と称して「余計な」スペースを埋めたり、これもまあホームレス対策ではあるが、公園のベンチに寝そべることができないように手すりを設けて仕切ったりする類のことである。
 こんなものは民主的手続きでやめさせることはできないのであって(どうせ多数派に支持された差別政策なのだ)、やるとすれば「実力行使」以外にない。「排除アート」に手を貸した「アーチスト」どもが次々と凄惨なテロに遭うようにでもなれば申し分ないのだが、残念ながら現下の情勢はそこまで革命的ではないから、そのだいぶ手前のところで攻防戦を開始するのがせいぜいである。
 先日(というかこの1年間のある時に)、私も知らないわけではない何人かの若者たちが、某所で、私とは別の席で雑談に興じていた。私もずっと聞き耳を立てていたわけではないので、詳細は不明だが、どうもその中の1人が、その種の「実力行使」に時々及んでいるらしい。公園のベンチの「寝そべり防止」の手すりを、たまに故意にぶっ壊して回っているらしいのだ。
 とっても偉い!
 選挙なんぞで何も変えることはできないが、その若者は、正しい実力行使によって、わずかながらであれ確実に社会を正しい方向に変革しているのだ。しかも直ちに。
 さすがに名前を出して顕彰することは控えるが、今後もますます精進してもらいたい。多くの若者たちにも、ぜひ見習っていただきたい。

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