このブログを書き始めたのは2005年で、その頃僕はフリーライターとは名ばかりの半・無職だった。ブログを書き始めたのは、とにかく何か書いてみたかったのと、書くことで少しは文章が上達するのではないか、と思ったからだ。

あれから10年以上が過ぎた今、いちおう僕はプロのライターとして生活している。そしてどうやら、もうすぐ次の段階に進もうとしている。長く目標としてきたことが、ようやく実現しつつある。

10年ブログを書き続けて、文章が上達したかといえば、残念ながら大した変化は見られないようだ。むしろ、ヒマだった昔の方が、緻密な文章を書いていた気もする。

でも、不特定多数の人に読まれることを想定して文章を書き、時に感想を書いてもらえたりしたことは、本当に貴重な体験だった。文章力はあまり変わらなかったけれど、読者のことを考える視点は、このブログを書くことで少しは鍛えられたと思う。

そして今、何かを書きたいという要求を叶えるべき場所は、このブログではなくなろうとしている。Tricky Daysは役目を終え、これから僕は僕自身の人生を、トリッキーに展開させることになるだろう。

そういうわけで、ブログの更新を、ここでいったん休止いたします。

今まで読んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。

通りすがりの方も、長いこと読者でいてくださった方も、どうかお元気で。

いつかどこかで、またお会いしましょう。

歳をとるにつれて、単純な人間になってきた、と感じる。

若い頃は少し複雑だった。たとえば大学生の頃、理由はよくわからないが晴れの日より曇りや雨のほうが好きだ、などと思っていた。あるいは、そう思いたがっていた。

太陽より、月が好きだった。

最近は、当たり前だが晴れの日が好きだ。それどころか、1分でも長く、太陽の光を浴びていたい。よく晴れた真昼、青空を眺めながらジョギングすること。日当りのいい窓辺で好きな本を読むこと。そのふたつが、今の生活の中で、最高の快楽だ。

日が沈むと残念だが、仕方ない。また明日晴れたらいいな、と願いながら、早く寝る。

自分がしあわせなのかどうかなんて知る由もないし、興味もないが、なんといっても太陽は永久的気に無償だ。それを素直に楽しめるということは、とりあえずすごくありがたいことだ、と思う。
サービス残業がしばしば美化されていることからもわかるように、この国では苦労が評価される。

僕は苦労そのものに価値はないと思う。重要なのは何のためにそれをしたのか、そこから何を学び、何を生み出したか、だ。

苦労話を自慢げに話す人や、若い奴はもっと苦労すべきだなどと論拠なく言い放つ人を見ると、その人たちが無邪気な善人であるぶんだけ、暗い気持ちになる。

僕はなるべくなら楽しいことしかしたくない。さもなくば、僕の周りにいる誰かを楽しませることだけしたい。むろんその過程では努力が必要だろう。楽しく生きるために、退屈に生きる人よりエネルギーが必要なのは当たり前のことだ。そしてそれを苦などというネガティヴな響きで汚したくはない。